著者
青木 賢人 林 紀代美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.243-257, 2009-05-01 (Released:2011-08-25)
参考文献数
27
被引用文献数
2 4

2007年3月25日に発生した能登半島地震の被災住民である石川県輪島市と志賀町の中学生およびその保護者に対して,地震発生時の意識と行動に関するアンケート調査を行った.あわせて,地震発生以前の災害に対する知識,認識や経験,すなわち防災に対するレディネスを調査し,これと被災時の意識・行動との関係を,被災前後の比較が効果的に行える津波に焦点を当てて分析した.その結果,避難訓練や防災情報などから学んだ内容がとっさの行動として表出したり,直接・間接の被災経験が津波からの適切な避難行動に結びついたりするなど,被災以前のレディネスが適切な被災時の意識・行動の励起を強く規定していることが確認された.その一方,災害に対する警戒感が低かった能登では住民のレディネスは十分ではなかったため,住民の多くが適切な想起や行動が行えなかった課題も浮き彫りとなった.これらを踏まえ,今後の地域防災力強化のためには,学校教育,社会教育などのチャンネルを通じた防災教育の充実と,地域環境に応じた防災へのレディネスの構築が必要であることを指摘した.
著者
原 裕太 関戸 彩乃 淺野 悟史 青木 賢人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.67-80, 2015 (Released:2015-08-27)
参考文献数
25
被引用文献数
1

本稿では,防風林の形成過程に着目することで,伊豆大島における地域の生物資源利用に関わる人々の知恵とその特徴を明らかにした.防風林の形態には気候,生態系,社会経済的影響などの諸因子が影響している.そのため,国内各地で多様な防風林が形成されてきた.防風林は,それら諸因子を人々がどのように認識し,生活に取り込んできたのかを示す指標となる.伊豆大島には,一辺が50 mほどの比較的小規模な格子状防風林が存在する.調査によって,防風林の構成樹種の多くはヤブツバキであることが確認され,事例からは,伊豆大島の地域資源を活かす知恵として,複数の特徴的形態が見出された.土地の境界に2列に植栽されたヤブツバキ防風林はヤブツバキの資源としての重要性を示し,2000年頃に植栽された新しいヤブツバキ防風林は古くからの習慣を反映していた.また,住民が植生の特性を利用してきたことを物語るものとして,ヤブツバキとオオシマザクラを交互に植栽した防風林が観察された.それらからは島の人々とヤブツバキとの密接な関係が推察された.
著者
青木 賢人 林 紀代美 AOKI Tatsuto HAYASHI Kiyomi
出版者
金沢大学人間社会研究域人間科学系
雑誌
金沢大学人間科学系研究紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Sciences Kanazawa University (ISSN:18835368)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-26, 2021-03-31

While the occurrence of an inland earthquake with an active fault, which is a low-frequency and high-intensity disaster, is assumed with a high probability, in recent years, in Kanazawa city and its surroundings in Ishikawa Prefecture that have not experienced large-scale disasters. We conducted questionnaires survey to parents who are using nursery school. Among them, the authors investigated the recognition (occurrence probability, seismic intensity, etc.) for active fault earthquakes and how we assumed the disaster situation and investigated the perception of the difficulty of hand over their children. As a result, both nursery schools and parents highlighted that knowledge and recognition of the active fault earthquakes were not sufficient, and it became clear that the perception of 'difficulties to hand over the children' is low.
著者
青木 賢人 林 紀代美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.29, 2007

<BR>1.はじめに<BR> 2007年能登半島地震は,2007年3月25日午前9時41分,能登半島西方の門前沖で発生した海底活断層による地震で,Mj6.9,最大震度6強(輪島市,七尾市,穴水町)を観測した.建築物の倒壊や生活インフラの寸断など,様々な被害が輪島市を中心に発生している(青木・林,2007a).気象庁は地震発生の2分後,9時43分に石川県に津波注意報を発令し,11時30分に解除している.実際には,津波は珠洲市長橋で22cmの津波を観測したのが最高で,幸いにも被害は生じなかった.また,第1波が最大波高では無かったとともに,押し波であったことは,本地域での津波対策を考える上で注意すべき点である.<BR> 本研究では,津波被害が生じなかった本地震に際して,地震発生直後に住民が津波に対してどのような意識を持ち,回避行動を取ったのか否かについて明らかにすると共に,その意識や行動を規定した既往教育歴や被災経験を検討するために,被災地である輪島市・志賀町の中学校の生徒およびその保護者を対象にアンケート調査を行った.<BR><BR>2.アンケート調査の概要<BR> 津波回避行動に関する調査を行うために,能登半島の震源地側(西岸)に位置する輪島市,志賀町の中学校の内,校区内に海岸線を持つ7校にアンケート調査への協力依頼を行い,志賀町立志賀中学校,輪島市立門前中学校,上野台中学校,南志見中学校,町野中学校の5校から協力を得た.志賀中学校については生徒に対する抽出調査となったが,他の4校では全校生徒およびその保護者に対する全数調査となった.予稿集投稿時には上野台中から回収できていないため4校の値となるが,回収数は生徒から330通,保護者から308通,合計638通である.<BR><BR>3.アンケート結果の主な内容<BR> 津波からの避難行動を行ったか否か:避難行動を取った生徒は12%(38/309),保護者は22%(62/280).避難を行わなかった被験者には,海から遠い,高台にいたなどの適切な理由から避難しなかったなどもあり,一概にこの値を低いと判断出来ない部分もある.<BR> 津波に関する情報を確認したか:生徒の72%(221/306),保護者の60%(169/280)が,テレビ,防災無線などで津波情報を確認している.また,旧門前町では,停電が発生したため「情報が確認できなかった」という回答もあった.一方で,生徒の54%(169/312),保護者の66%(193/293)が地震発生時に津波を想起している.<BR> 地震発生時の津波の想起,あるいはテレビなどでの情報確認を行った率はかなり高いと言えよう.しかし,その一方で想起や情報が必ずしも避難行動に結びついていない.避難行動を起こさなかった具体的な理由として,以下のような回答が得られていることから,必ずしも適切な判断が行われているわけではないことが推察される.<BR>・津波の心配はないと報じられたから<BR>・父が海に行って「大丈夫」と言っていたから<BR>・海を見ていて、津波が来るけはいがなかったから<BR>・津波の高さが50cmと聞いたので<BR> 現実には,地震発生後2時間近くも津波注意報は解除されていないし,第1波は押し波であった.対象地域内には漁業者も多く居住しており,海に関する経験や知識が豊富であるとも思われるが,その知識が逆に危険な方向に作用している場合もあることが確認された.<BR> このほか,詳細に関しては当日に報告する.
著者
青木 賢人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.249, 2009

I 金沢大学における自然災害対応の枠組み演者の所属する金沢大学では常設の災害対応組織が構築されていない状況下で,2007年3月25日に能登半島地震が発生し,県下の災害に対し全学的な対応を求められることになった.発災当日より,本学のいくつかの災害調査関連の教員グループが自発的に現地調査を開始したが,大学としての正式な組織の発足以前から当該教員間では相互に連絡が取られ,動向が相互に把握されている「緩やかな連携」が成立していた.これは,能登半島地震が発生する以前の2005年より,金沢大学の理学系・工学系・文系教員のうち,災害関連調査を行う教員によって「白山火山勉強会」が設立され,定期的な情報交換が行われていたためである.本学教員による能登半島地震関連調査は,大学の正式組織に整理統合されていくが,通常時の「緩やかな連携」が発災時において重要な役割を果たしたことは,他大学における防災体制構築のヒントにもなるのではないだろうか.II「白山火山勉強会」の設立と展開白山は金沢市の南方約45kmに位置する活火山である.1659年の噴火記録を最後に比較的静穏な状況にあるが,本学名誉教授(元文学部地理学教室)で火山地形学の守屋以智夫氏による一連の研究(守屋,1984など)によって,最近数千年間は100~150年程度の静穏期と300年程度の活動期を繰り返しており,近々活動期に入ることが予想されている.しかし,白山の噴火を前提とした産官学の連携や,発災時の連絡・協力体制,ハザードマップの作製などの事前対策は十分に構築されていない状態であった.そうした中,2005年に白山山頂直下で顕著な群発地震が観測され,噴火の可能性が危惧された.この活動を受け,群発地震の観測成果を速やかに共有することに加え,発災時の協力体制を事前に構築することを目的に,前述の守屋以智夫氏と,自然科学研究科助教授で実際に地震観測を行っていた平松良浩氏を中心に,文系学部(文学部・教育学部)を含む学内の関連教員および,石川県・白山市などの自治体職員,金沢地方気象台,建設コンサルティング会社による「白山火山勉強会(以下,勉強会)」が設立され,演者も早い段階から参加することとなった.III 2007年能登半島地震発生時の災害対応体制2007年能登半島地震は3月25日という,春季休業中の日曜日に発生したこともあり,教員・学生とも多くが大学を不在にしていた.演者も金沢を離れており,直接的な対応をとることが難しかった.こうした状況下で,文・理・工の各領域の災害調査関連教員の所在確認と調査動向の相互把握が勉強会のネットワークを通じて行われ,スムースに情報交換が進んだ.演者が金沢を離れている間にも,勉強会参加教員の調査状況や成果はもちろん,それ以外の教員らによる成果が勉強会のネットワークを通じて提供され,その後の調査計画の立案に大いに役立った.その後,各教員の調査・研究は4月5日に発足した学長直轄の組織である「金沢大学2007年能登半島地震学術調査部会(以下,調査部会)」に集約されるが,この12日間の初動時に,特に文・理をまたぐ情報交換に勉強会が果たした役割は大きかった.また,勉強会として文・理の協働が既に取られていたことが,正式な組織立ち上げの素地となったともいえる.調査部会の発足後は,情報交換,成果の共有・発信,自治体との連携などが調査部会を核として行われている.また,自治体,消防,自主防災組織,一般市民に対する情報提供・防災教育などが,調査部会に参加した各教員によって行われている.IV「緩やかな連携」が果たした役割現在,勉強会は地震調査から離れ,本来の火山を中心とした防災に関する勉強会として調査部会とは独立に活動を継続している.能登半島地震の発生に際して,勉強会が果たした役割を再整理すると,災害発生以前から「学内にいる災害調査関連教員の把握(人材の発掘)とFace to Faceの関係構築が,教員個人レベルにおいてボトムアップ的になされていた」ということを挙げられる.一方,大学の組織である調査部会は,予算措置(とオブリゲーション)を伴うトップダウン型の組織であり,形骸的である側面も否めない.また,正式な組織は公的である反面,その設置までのステップや,多くの教員や様々な学外組織が参加するためには制約も多く,ハードルが高い.発災時において,混乱した状況下で調査組織を立ち上げ,効果的に運用するためには事前の準備が不可欠である.本学のように公的な組織が未整備な大学にあっては,その組織の発足までに多くの時間が費やされ,最も重要である初動時の調査が混乱の元で進められる可能性があった.その意味で,勉強会を通じて「緩やかな連携」が構築されていたことは重要であったといえよう.
著者
青木 賢人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.291, 2011

現成の氷河が存在せず(とされていた),氷河地形の分布範囲も広くなく,そのアプローチも悪い日本列島において,非常に多くの氷河地形研究が蓄積されてきた.その研究史については,岩田(2010)において既に,時系列,テーマ別に精緻に整理されており,1936~2010年の間に公表された400本を超える報文がリスト化されている(岩田編,2010).「1970年代に活動した研究者たちに育てられた新しい世代の大学院生」であった演者らには,これらの研究史を整理し,次の課題を見出す責務が課されたといえよう. 本発表では,これらの日本列島の氷河地形に関する研究を,その指向性から「地域研究としての氷河地形研究」と「基礎研究としての氷河地形研究」とに整理し,それぞれについて,今後の研究課題に関する展望を述べてみたい.
著者
安仁屋 政武 MARINSEK Sebastián 紺屋 恵子 縫村 隆行 津滝 俊 刀根 健太 BARCAZA Gonzalo SKVARCA Pedro 杉山 慎 青木 賢人 松元 高峰 安間 了 内藤 望 榎本 浩之 堀 和明
出版者
公益社団法人 日本雪氷学会
雑誌
氷河情報センター (ISSN:13453807)
巻号頁・発行日
no.29, pp.1-17, 2011
被引用文献数
2 9

The Glaciological Research Project in Patagonia (GRPP) 2006-2009 was carried out with several objectives at Glaciar Perito Moreno of the Hielo Patag&oacute;nico Sur (HPS), in the area of the Hielo Patag&oacute;nico Norte (HPN) and along the Pacific coast. At Glaciar Perito Moreno, hot water drilling was carried out at about 5km upstream from the terminus, reaching the glacier bottom at ca. 515m, in order to monitor subglacial water pressure. Good positive correlations among air temperature, subglacial water pressure and glacier flow speed were found. Based on <sup>14</sup>C dating of tree and organic samples, it is proposed that Glaciar Perito Moreno made two Little Ice Age (LIA) advances at AD1600-1700 and ca. 130-100y BP (AD1820-50). Fan deltas located at the mouth of big rivers around Lago General Carrera (Buenos Aires) and Lago Cochrane (Pueyrredon), in the area east of the HPN, were investigated to elucidate their development. The variations of 21 outlet glaciers of the HPN elucidated from aerial surveys for 2004/05-2008/09 revealed an areal loss of 8.67km<sup>2</sup> in four years. A general slowing down of retreats was observed with a few exceptions. Meteorological measurements at Glaciar Exploradores of the HPN from 2005 to 2009 indicate that air temperature ranged from 17.4&deg;C to -10.5&deg;C. The total annual precipitation was about 3000mm. Glacier surface melt was observed at two spots. Sediment and water discharges from the glacier showed that while water discharge fluctuated a lot, suspended sediment concentration was rather stable in summer. A single channel seismic profiling during the JAMSTEC MR08-06 cruise identified a probable submerged moraine formed before the last glacial maximum (LGM) in the Golfo de Penas, south of Taitao Peninsula. Piston coring along the Chilean coast further indicates that ice-rafted debris recorded the LGM and earlier Late Pleistocene events of the glacial advance.
著者
青木 賢人
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.189-198, 2000-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
31
被引用文献数
4 10

木曽山脈北部の千畳敷カールおよび濃ヶ池カールのカール底に分布するターミナルモレーン上に露出する複数の巨礫に対し,宇宙線生成核種の一つである10Beを用いた露出年代測定法を適用し,モレーン構成礫の生産年代を測定した.AMSによる10Be測定から得られた露出年代値の多くが17~19kaを示し,両モレーンは最終氷期極相期に形成されたことが示された.また,両モレーンは構成礫の風化皮膜の厚さが等しく,モレーン構成礫の風化皮膜の厚さを用いた相対年代法(WRT年代法)による年代推定結果と矛盾がないことが確認された.
著者
安仁屋 政武 青木 賢人 榎本 浩之 安間 了 佐藤 和秀 中野 孝教 澤柿 教伸
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2003

エクスプロラドーレス氷河の前面にある大きなモレインの形成年代を推定すべく周辺で合計15点の^<14>Cによる年代測定試料を採取した。大きなモレインの6つの試料の年代は9250BPから820BPである。このデータからは形成年代に関して確定的なことは言えないが、モレインの堆積構造、試料の産出状況、植生、年輪などから14-17世紀頃の小氷期に形成されたと解釈した。氷河観測では、D-GPS静的測位を用いた氷河流動測定、 D-GPS動的測位を用いた氷河表面形態の測量、5MHzアイスレイダーによる氷厚測定を行った。流動は各期に氷河上の巨礫を反復測定し、末端部付近では50m、アイスフォール下部では140m程度の水平流動を得た。また、末端部付近では著しい上方向の流動があることが観測された。レイダーによる氷河末端付近の氷厚は260〜300mと推定された。氷河流域の年間水収支を算出し、それにより氷河の質量収支を推定した。2004年12月から末端付近に自動気象・水文観測ステーションを設置し、観測を継続している。また、夏季(2004年12月)、冬季(2005年8月)の双方で、氷河上の気象要素分布・表面熱収支・融解量分布などの観測を実施して、氷河融解の特性を明らかにした。2004年12月から2005年12月までの1年間における末端付近の平均気温は7.4℃、降水量は約3300mm、さらに氷河流出河川の比流出量は約6600mmであった。ペリート・モレーノ氷河において、中流部の表面高度測量および歪速度観測、カービングフロント付近の氷河流動の短期変動観測および写真測量、融解観測、氷河湖水位観測、中流部におけるGPS記録計による年間流動の観測、氷河脇山腹における長期写真記録および温度計測を行なった。近年上昇していた中流部の表面高度が2004年〜2005年で減少していた。この地域に2004-2005年の期間にストレイングリッドを設置してひずみや上昇速度を観測したが、大きな下降速度が計算された。また移動速度は0.8〜1.2m/dayの値が観測された。氷河末端部の測量からは、1.5m/dayを超える速度が多くの地点で観測された。
著者
岩田 修二 松山 洋 篠田 雅人 中山 大地 上田 豊 青木 賢人
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

1.空中写真・衛星画像・地図などを利用して衛星画像の判読,マッピングなどの作業を行った.モンゴルアルタイ・インドヒマラヤ・カラコラム.天山山脈などで情報収集を行った.2.それらを総合して氷河変動・氷河湖変動・気候変動を解明した.3.モンスーンアジア地域:ブータンでは,最近50年間の氷河縮小・氷河湖拡大などの変化をまとめ,災害の危険を警告した.インドヒマラヤ地域については,Lahul Himalayaで現地調査をおこない,近年は継続的に氷河末端が後退傾向にあることを確認した.4.乾燥アジア地域:パキスタン北部では,小規模氷河の最近の縮小と,対照的に大きな氷河が拡大傾向にあることが明らかになった.モンゴルモンゴル西部地域(モンゴル・アルタイ)では,1950年前後撮影の航空写真を基にした地形図と2000年前後取得された衛星画像(Landsat7ETM+)の画像を用いて氷河面積変化を明らかにした。氷河面積は1940年代から2000年までに10〜30%減少し,この縮小は遅くとも1980年代後半までに起こり,それ以降2000年まで氷河形状に目立った変化は認められないことが明らかになった.5.気候変化:最近1960〜2001年のモンゴルにおける気温・降水量・積雪変動を解析した結果,1960,70年代は寒冷多雪であるのに対して,90年代は温暖化に伴って温暖多雪が出現したことが明らかになった.天山山脈周辺の中央アジアでは,既存の地点降水量データ(Global Historical Climatology Network, GHCN Ver.2)に関する基本的な情報をまとめた.GHCNVer.2には,生データと不均質性を補正したデータの2種類あり,中央アジア(特に旧ソ連の国々)の場合,これら2種類のデータが利用可能なため,まず,両者を比較してデータの品質管理を行なう必要があることが分かった.6.まとめ:以上の結果,モンスーンアジアと乾燥アジアでの氷河変動の様相が異なっており,それと対応する気候変化が存在することが明らかになった.