著者
須貝 俊彦 松島(大上) 紘子 水野 清秀
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.122, no.6, pp.921-948, 2013-12-25 (Released:2014-01-16)
参考文献数
109
被引用文献数
18 19

The Kanto Plain, the hinterland of the Tokyo metropolitan area, is the largest plain in Japan and is characterized by marked marine and fluvial terrace levels that developed during Marine oxygen Isotope Stage (MIS) 5. Late Quaternary topographical changes to the plain have been controlled by concurrent tectonic activity and glacio-eustatic sea-level changes. The shoreline at the maximum transgression of MIS 11, 9, 7, 5 and 1 is reconstructed based on the distribution of marine sediments revealed by many geologic columnar sections and marine terrace surfaces. A comparison of the magnitudes of the last five full-interglacial transgressions above shows that magnitude decreased over the long term. This is due probably to changes in the tectonic regime in the Kanto basin, from subsidence to uplift along with the northward migration of the depositional center, probably associated with changes in the motion of the Philippine Sea Plate and the collision with the Izu peninsula. The marine transgression has also been controlled by fluvial processes, especially in the north-western part of the plain because of high sediment inputs from the Tone, Ara, and Watarase rivers. Aggradation coupled with regional uplift since MIS 5.4 limited the MIS 1 marine transgression within the incised valley formed during MIS 2. As a result, the Paleo Tokyo bay, which was connected directly with the Pacific Ocean, disappeared. Instead, a large shallow submarine area of about 10,000km2 emerged. The northern part of the present Tokyo bay is still subsiding and large volumes of water and sediments have been concentrated in the bay area during the Holocene. Such natural environmental conditions enable supplies of natural resources, such as fresh water, fertile soil, and flat land for the development of greater Tokyo.
著者
遠藤 邦彦 千葉 達朗 杉中 佑輔 須貝 俊彦 鈴木 毅彦 上杉 陽 石綿 しげ子 中山 俊雄 舟津 太郎 大里 重人 鈴木 正章 野口 真利江 佐藤 明夫 近藤 玲介 堀 伸三郎
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.58, no.6, pp.353-375, 2019-12-01 (Released:2019-12-24)
参考文献数
77
被引用文献数
2

国土地理院の5m数値標高モデルを用いて作成された武蔵野台地の各種地形図により,武蔵野台地の地形区分を1m等高線の精度で行った.同時にデジタル化された多数のボーリングデータから各地形面を構成する地下構造を検討した.その結果得られた地形面は11面で,従来の区分とは異なるものとなった.既知のテフラ情報に基づいて地形発達を編むと,従来の酸素同位体比編年による枠組み(町田,2008など)と矛盾がない.すなわち古い方からMIS 7のK面(金子台・所沢台等),MIS 5.5のS面,MIS 5.3のNs面,MIS 5.2-5.1のM1a面,M1b面,MIS 5.1からMIS 4の間にM2a面,M2b面,M2c面,M2d面,MIS 4にM3面,MIS 3-2にTc面の11面が形成された.武蔵野台地は古期武蔵野扇状地(K面)の時代,S面,Ns面の海成~河成デルタの時代を挟み,M1~M3面の新期武蔵野扇状地の時代,およびTc面の立川扇状地の時代に大区分される.M1~M3面の新期武蔵野扇状地が7面に細分されるのは,M1面形成後の海水準の段階的低下に応答した多摩川の下刻の波及による.
著者
吉田 英嗣 須貝 俊彦 坂口 一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.10, pp.649-660, 2005-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
23
被引用文献数
3 3

岩屑なだれをはじめとする大規模土砂供給イベントが,流域の長期的な地形発達に与える影響を評価する事例研究として,約2.4万年前に浅間火山で発生した大規模山体崩壊に由来する前橋泥流が達した利根川・吾妻川合流点付近を対象とし,河川地形発達史を考察した.本地域では最終氷期初頭以降,泥流流下時までの間,気候変動に対応した段丘発達過程がみられた.本地域に達した泥流は,5~6万年前までに段丘化した段丘面に衝突し,段丘面を覆うローム層を削剥しながら,これをのりこえていった.他方,利根川を遡上し,堆積した泥流堆積物は,速やかに河川に侵食されていった.最終氷期最盛期前後には,泥流堆積物が再堆積するなどして,下流側において小規模な谷埋めが生じ,晩氷期には側刻が卓越し,完新世に入ってから下刻が始まった.最終氷期最盛期以降の利根川本流の河床変動は,泥流イベントの影響を残しつつも,再び広域的な気候変動に対応してきたと考えられる.
著者
須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.12, pp.793-813, 1990-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
49
被引用文献数
3 11

赤石山地・三河高原南部の小起伏面の性格と分布を示し,従来の“山頂小起伏面=隆起準平原遺物”説の再検討を試みた. まず空中写真判読により小起伏面を認定した.次に面の形態や構成物質の特徴などをもとに小起伏面を5タイプに分類した.さらに調査地域全域の小起伏面の分布を示し,面の起源を検討した.その結果,赤石山地・三河高原南部の小起伏面は,大半が侵食面であり,(1)山頂や高い尾根上に位置する面は,化石周氷河成平滑斜面の一部に含まれること,(2)厚い風化殻に覆われた丘陵状を呈する面は,山地の縁辺部ほど良く分布し,標高1,500~2,000mで消失することが明らかにされた.(1)は高位削剥面,(2)は隆起準平原遺物,とみなしうることが指摘され,従来の“隆起準平原遺物”説を再考する必要性が示された.
著者
山田 俊弘 矢島 道子 須貝 俊彦 島津 俊之
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.132, no.3, pp.217-230, 2023-06-25 (Released:2023-07-07)
参考文献数
41

The historiography of geoscience in the 20th century in Japan is reconsidered through 57 volumes of diaries (1914-1963) of Mochizuki Katsumi (1905-1963), a geology professor at Shizuoka University, from the following four viewpoints: 1) Scientific thought of geotectonics: Considering Mochizuki's own theory of geotectonics from his relations with other researchers such as Otuka Yanosuke (1903-1950), professor at the Earthquake Research Institute and the Faculty of Science of the Imperial University of Tokyo; 2) Mutual relationship between geology and geography: Tracing Mochizuki's teachings and research in the two disciplines at the higher schools of Kanazawa and Shizuoka; 3) History of geoscience education: Illustrating the transition of ‘geoscience’ including human geography, from the World War II era to the post-war period; 4) The life history of a scientist: Positioning a personal history, which records details of educational reforms in the history of universities and cultural history of Japan.
著者
田力 正好 安江 健一 柳田 誠 古澤 明 田中 義文 守田 益宗 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.118-130, 2011-03-01 (Released:2015-09-28)
参考文献数
30
被引用文献数
3 2

岐阜県南東部および愛知県西部を流れる土岐川(庄内川)流域の河成段丘を,空中写真判読によりH1~4面,M1~3面,L1~3面の10段の段丘面に分類した.それらの段丘面のうち,L2面は,構成層中の試料の14C年代値,構成層を覆う土壌層中の指標テフラ(鬼界アカホヤテフラ),段丘面の縦断形と分布形態,段丘構成層の厚さに基づいて,酸素同位体ステージ(MIS)2の堆積段丘面と同定された.M2面は構成層と指標テフラ(阿蘇4テフラ,鬼界葛原テフラ)との関係,構成層およびそれを覆う風成堆積物の赤色風化に基づいて,MIS6の堆積段丘面と同定された.これらのことから,これまでMIS6の堆積段丘の報告がほとんどなかった中部地方南部において,その分布が確認された.M2面とL2面の比高から,土岐川流域の隆起速度は0.11~0.16 mm/yrと求められた.
著者
鈴木 康弘 池田 安隆 渡辺 満久 須貝 俊彦 米倉 伸之
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.151-159, 1989-06-24 (Released:2010-03-11)
参考文献数
17
被引用文献数
5 2

Many active faults trending N-S along basin-mountain boundaries are recognized in Northeast Japan, but only a few of them have experienced surface faulting in historical time; most of them seem to have been quiescent in the past several hundred years or more. Thus earthquakes are anticipated to occur from these active faults in the near future. To detect the recurrence intervals of faulting, which can be obtained by the excavation study, is indispensable for the long term prediction of earthquakes.We excavated a trench at Kitasakai, Sakata City, across the Kannonji fault, one of the eastern boundary faults of the Shonai plain, Northeast Japan, in order to reveal its late Holocene activity including a possible faulting event associated with the Shonai earthquake (M=7.0) of 1894 A. D., which caused severe damage along this fault.Our excavation has revealed that (1) the last surface faulting event on the Kannonji fault occurred in a period from 2, 500 years B. P. to 1894 A. D., and that (2) no surface faulting occurred (at least at the trenching site) in association with the Shonai earthquake of 1894. Careful examination of historical records, however, strongly suggests that the earthquake of 1894 was also generated from this fault; it is likely that thick, unconsolidated sediments prevented the rupture from propagating up-dip to the surface. These results indicate that the interval between the last two earthquakes originating from the Kannonji fault is less than 2, 500 years. It could be 1, 000 years, because the event revealed by excavation is possibly correlated to the historically-documented earthquake of 850 A. D..
著者
遠藤 邦彦 石綿 しげ子 堀 伸三郎 上杉 陽 杉中 佑輔 須貝 俊彦 鈴木 毅彦 中山 俊雄 大里 重人 野口 真利江 近藤 玲介 竹村 貴人
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

近年誰でも使うことができる地下データ(=ボーリング柱状図)が多数公開されるようになった.そのデータの密度は数年前とは比較にならない.またそれらを解析するツールも整っている.本研究は,東京23区内を中心に数万本余のボーリングデータを活用しつつ,その上に多くの地形・地質データなどアナログのデータを重ね合わせ,従来の点の情報を線,面に発展させることを目指す.地形の解析についても,国土地理院の5mのDEMを活用してQ-GISによって解析し,1mコンターのレベルで地形区分を見直した.こうした様々な情報を総合して,主に東京の台地部の中・後期更新世以降の地下構造を解明し,従来の諸知見(貝塚,1964;植木・酒井,2007ほか)を発展させることを目的とする.ボーリング資料の解析は,一定の深度を持つボーリング地点が集中する主要道路路線沿いに検討を進めた.環状路線:環八(笹目通り)・中杉通りと延長・環七・環六(山手通り)・環五(明治通り)・不忍通り、王子-中野通り,外苑西・東通り.放射状路線:桜田通り・目黒通り・首都高3号線(玉川通り)・青梅街道・新青梅街道・甲州街道(晴海通り)・川越街道・春日通り17号・小田急線-千代田線・世田谷通り・舎人ライナー・新幹線・ほかの合計30路線余について断面図を作成した.さらに,東京港地区(オールコア検討地区),中央区-港区沿岸低地,多摩川河口-羽田周辺,板橋区北部,赤羽台地~上野-本郷に伏在する化石谷などは短い多数の断面図を作成して,詳細な検討を加えた.以上の検討から見えてくるものは以下の通りである.遠藤(2017)は東京の台地部の従来の武蔵野面の範囲に,淀橋台と同様の残丘が存在するため、板橋区南部に大山面の存在を提唱した.その後の検討では大山面以外にも同様の残丘が和光市(加藤,1993)など各所に存在する.東京層は淀橋台や荏原台をはじめとし上記残丘のS面全域と,武蔵野扇状地面(M1,M2,M3面) の地下全域に存在し,基底部に東京礫層を持ちN値4~10程度の海成泥層が卓越する谷埋め状の下部層と,海成砂層を主体に泥質部を挟む上部層からなり,その中間付近に中間礫層を持つ.中間礫層は北部ほど発達がよい.さらに,埋積谷の周辺では広い波食面を形成し,貝殻混じりの砂礫層が波食面を覆うことが少なくない.基底礫と波食礫では年代を異にすると考えられるが,谷底か波食面上かに関わらず便宜的に基底部に存在する礫・砂礫層を東京礫層と呼ぶ.東京層はMIS6からMIS5.5に至るものと考えている.また,沿岸部の築地一帯~皇居・六本木周辺には東京層の1つ前のサイクルの築地層が高まりをなしており,東京層の谷はこれを挟んで、北側(神田~春日)と南側(品川~大井町)に分かれる.これらはほぼ現在の神田川の谷や目黒川の谷に沿う傾向がある.なお,大山面の地下に伏在する埋積谷は池袋付近から北に向かい,荒川低地付近では-20m以下となる.荏原台など,東京の南部では上総層群の泥岩が東京礫層の直下にみられることが多い.礫層は薄くなる傾向がある.東京最南部の東京層に相当する世田谷層(東京都,1999;村田ほか,2007)の谷は多摩川の低地に続く.東京層の泥層の分布はMIS5.5の時代にどこまで海進が達したかの参考になる.甲州街道沿いでは桜上水~八幡山あたりで武蔵野礫層によって切られて不明となる.青梅街道沿いでは荻窪のやや東方で武蔵野礫層によって切られているが,ともに旧汀線に近いものと予想できる.淀橋台相当面やその残丘の分布は,武蔵野扇状地の発達過程で重要な役割を果たしてきた.武蔵野扇状地の本体をなすM1a(小平)面(岡ほか,1971;植木・酒井,2007)は淀橋台と大山残丘群の間を抜けて東に向かった.目黒台(M1b面)は以前から指摘されている通り,淀橋台と荏原台の間を通り抜けた.現在の石神井川に沿ってM1a面の北側に分布するM2a(石神井)面は大山面と,赤塚~成増~和光付近の残丘群の間をぬけて東に流れた.M1a面の南側に分布するM2a(仙川)面は荏原台と田園調布台の間を通りぬけ流下した.北側の黒目川沿いのM2c, d面は,赤塚~成増~和光の残丘群を避けるように北向きに流れた.さらにM3面が多摩川下流部や赤羽台付近に形成された.M2,M3面は海水準の低下に応答したものと思われる.引用文献:貝塚(1964)東京の自然史.;植木・酒井(2007)青梅図幅;遠藤(2017)日本の沖積層:改訂版,冨山房インターナショナル;加藤(1993)関東の四紀18;東京都(1999)大深度地下地盤図;村田ほか(2007)地学雑誌,116;岡・ほか(1971)地質ニュース,206
著者
丹羽 雄一 須貝 俊彦 松島 義章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.はじめに <br> 三陸海岸は東北地方太平洋岸に位置する.このうち,宮古以北では,更新世の海成段丘と解釈されている平坦面が分布し,長期的隆起が示唆される.一方,宮古以南では,海成段丘と解釈されている平坦面があるが,編年可能なテフラが見られない.これらの平坦面は,分布が断片的であり連続性が追えないこと(小池・町田編,2001)も踏まえると,海成段丘であるか否かも定かではない.すなわち,三陸海岸南部の長期地殻変動は現時点で不明である. 三陸海岸南部には,小規模な沖積平野が分布する(千田ほか,1984).これらの沖積平野でコア試料を採取し,堆積物の年代値が得られれば,平野を構成する堆積物の特徴に加え,リアス海岸の形成とその後の埋積,平坦化の過程を検討できる可能性が高い.リアスの埋積・平坦化過程の復元は,長期地殻変動の解明につながると期待される.本研究では,気仙沼大川平野において掘削された堆積物コアに対して堆積相解析および<sup>14</sup>C年代測定を行い,完新統の堆積過程,および完新世全体として見た地殻変動の特徴について論ずる.<br><br>2. 調査地域概要 <br> 気仙沼大川平野は気仙沼湾の西側に位置し,南北約2 km,東西4 kmの三角州性平野である.気仙沼大川と神山川が平野下流部で合流して気仙沼湾に注ぐ. <br><br>3. 試料と方法<br> コア試料(KO1とする)は,気仙沼大川平野河口近くの埋立地で掘削された.KO1コアに対し,岩相記載,粒度分析,<sup>14</sup>C年代測定を行った.岩相記載の際,含まれる貝化石の中で可能なものは種の同定を行った.粒度分析はレーザー回折・散乱式粒度分析装置(SALD &ndash; 3000S; SHIMADZU)を用いた.<sup> 14</sup>C年代は13試料の木片に対し,株式会社加速器分析研究所に依頼した. <br><br>4. 結果 <br> 4.1 堆積相と年代 <br> コア試料は堆積物の特徴に基づき,下位から貝化石を含まない砂礫層を主体とする河川堆積物(ユニット1),細粒砂からシルト層へと上方細粒化し,河口などの感潮域に生息するヤマトシジミや干潟に生息するウミニナやホソウミニナが産出する干潟堆積物(ユニット2),塊状のシルト~粘土層を主体とし,内湾潮下帯に生息するアカガイ,ヤカドツノガイ,トリガイが産出する内湾堆積物(ユニット3),砂質シルトから中粒砂層へ上方粗粒化を示すデルタフロント堆積物(ユニット4),デルタフロント堆積物を覆いシルト~細礫層から構成される干潟~河口分流路堆積物(ユニット5)にそれぞれ区分される.また,ユニット2からは10,520 ~ 9,400 cal BP cal BP,ユニット3からは8,180 ~ 500 cal BP,ユニット4からは280 cal BP以新,ユニット5からは480 cal BP以新の較正年代がそれぞれ得られている. <br> 4.2 堆積曲線 <br> 年代試料の産出層準と年代値との関係をプロットし,堆積曲線を作成した.堆積速度は,10,000 cal BPから9,700 cal BPで約10 mm/yr,9,700 cal BPから500 cal BPで1 &ndash; 2 mm/yr,500 cal BP以降で10 mm/yr以上となり,増田(2000)の三角州システムの堆積速度の変化パターンに対応する.<br><br>5.考察 <br> コア下部(深度38.08 &ndash; 35.38 m;標高&minus;36.78 &ndash; &minus;34.08 m) は潮間帯で生息する貝化石が多産する層準である.また,この層準の速い堆積速度は,コア地点が内湾環境に移行する前の河口付近の環境で,海水準上昇に伴い堆積物が累重する空間が上方に付加され,その空間に気仙沼大川からの多量の土砂が供給されることで説明がつく.すなわち,この区間(10,170 &ndash; 9,600 cal BP)における堆積曲線で示される堆積面標高は,当時の相対的海水準を近似すると考えられる. <br> 一方,地球物理モデルに基づいた同時期の理論的な相対的海水準は標高&minus;27 ~&minus;18 mに推定される(Nakada et al., 1991; Okuno et al., 2014).コアデータから推定される約10,200 ~ 9,600 cal BPの相対的海水準は,ユースタシーとハイドロアイソスタシーのみで計算される同時期の相対的海水準よりも低く,本地域の地殻変動を完新世全体としてみると,陸前高田平野で得られた結果(丹羽ほか,2014)と同様に沈降が卓越していたことが示唆される.コア深度36.13 m(標高-34.83 m)で得られた較正年代(9,910 &ndash; 9,620 cal BP)を基準にすると,当時の相対的海水準の推定値(堆積面標高)と理論値の差から,完新世全体として見た平均的な沈降速度は0.9 ~ 1.8 mm/yr程度と見積もられる.
著者
吉田 英嗣 須貝 俊彦 大森 博雄
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 = The Quaternary research (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.55-67, 2010-04-01
被引用文献数
1 8

火山麓に分布する流れ山は,大規模山体崩壊が過去に発生した証拠として,また,岩屑なだれのメカニズムを推察するうえで,重要な研究対象とされてきた.本研究では,流れ山地形がなお崩壊や岩屑なだれに関して地形学的に重要な情報を提供してくれるものと捉え,岩屑なだれの流下方向における流れ山の分布様式を検討し,流れ山地形に新たな地形学的意義を与えることを試みた.研究対象は,日本における4つの岩屑なだれが形成した流れ山であり,これら岩屑なだれは山麓に拡散した典型例とみなされる.空中写真判読により抽出した流れ山の数は,尻別火山の172,有珠火山の262,岩木火山の200,那須火山の643であり,GISを用いて流れ山の形態データを取得した.<BR>いずれの事例も,流れ山地形は山麓の下部斜面から平地にかけて緩やかな斜面として存在する.そして,流れ山のサイズは下流方向に減少する傾向が認められる.この減少傾向は,流れ山のサイズと給源からの距離との回帰分析によれば,指数関数で近似しうる.まず,回帰関数は,距離ゼロ(給源)における流れ山のサイズが崩壊の体積に規定されていることを示している.すなわち,崩壊の規模に応じて,崩壊部に発生する初期段階での割れ目の大きさが決まるらしい.他方,流れ山のサイズの減少割合は,等価摩擦係数の逆数で示されるような岩屑なだれの流動性に規定されていると考えられる.換言すれば,流動性の小さい岩屑なだれでは流れ山が急速に縮小するのに対し,大きい岩屑なだれでは緩やかである.以上の検討により,流れ山のサイズと給源からの距離との関係は,火山体ならびに岩屑なだれの流動特性を反映していることが明らかとなった.
著者
久保 純子 須貝 俊彦
出版者
公益財団法人 日本学術協力財団
雑誌
学術の動向 (ISSN:13423363)
巻号頁・発行日
vol.24, no.11, pp.11_24-11_27, 2019-11-01 (Released:2020-03-27)
参考文献数
8
著者
泉田 温人 内山 庄一郎 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>1.初めに</b> 平成27年9月関東・東北豪雨は鬼怒川流域に記録的な大雨をもたらし<sup>1)</sup>,10日12時50分に常総市三坂町地先(左岸21k付近;図1中の&times;)で鬼怒川の堤防が決壊した<sup>2)</sup>.鬼怒川水海道観測所においては同日13時に計画高水位(17.24m, Y.P.)を超過した<sup>3)</sup>.破堤箇所付近の鬼怒川は,風成層を載せる更新世段丘に挟まれた沖積低地の西端を流れ,河床勾配1/2500程度の砂床河川である.堤防の決壊区間から後背湿地に南流した洪水流による自然堤防上の地形及び洪水堆積物の特徴を報告する.<br><b>2.調査手法</b> トータルステーション測量とVRS方式のGNSS観測機による測量を実施し,洪水後の地形断面図を作成するとともに洪水前の5mメッシュDEM(国土地理院提供)と比較して洪水イベントによる地形変化を検討した.堆積物調査では現地での記載とレーザー回折式粒度分析装置による粒度分析を行った.<br><b>3.破堤地形の記載</b><br><b>地形の特徴</b><b>:</b>洪水流の中心では破堤堤防の付近に深さ2 m以上の落掘が形成され,その下流も150 m以上の距離の間,浸食作用が卓越し標高が30-40 cm低下したが,中心以外では侵食域は洪水流の根元に限られ標高変化の小さい領域が大きかった.この領域の途中には地形的な段差の下に比高30-40 cmの急崖を持つローブ状堆積地形が一部で形成された.また侵食を免れた道路などの洪水流下流側に砂が堆積する例が多く認められた.<br><b>堆積物の特徴</b><b>:</b>調査地のほぼ全域で地表から5-30 cmの深度まで洪水堆積物が分布し,その下部は上方粗粒化を示す泥質細砂-極細砂,上部は淘汰の良い細砂-中砂で主に構成されていた.前述のローブ状地形では層厚50-60 cmの泥を欠く中砂が地表まで堆積した.また,一部地点は泥が地表を被覆した.<br><b>4.まとめと今後の展望</b> 今回の破堤地形は過去に報告されたクレバス・スプレー<sup>4)</sup>と類似する特徴が多いが,地形の分布は人工物の影響を多少受けている.今後,UAVを用いた新たな地形調査法を含む地形と堆積物の詳細かつ広範な調査により,破堤箇所から遠方に至るまでの破堤地形の縦断的な地形変化のシーケンスが明らかにされ,過去の埋没破堤地形の同定に適用できる可能性がある.このことは,自然堤防の分布と共に勘案することで,クレバス・チャネルの出現に発する新河道の形成と本流路の争奪,そしてまた別の流路への河道変遷の過程を追跡し,氾濫原の地形発達の理解に繋がり得る.<br><br><b>参考文献</b>&nbsp; 1) 気象庁 (2015):平成27年報道発表資料,http://www.jma.go.jp/ jma/press/1509/18f/20150918_gouumeimei.html(2015年12月28日閲覧) 2) 国土交通省関東地方整備局 (2015):平成27年記者発表試料, http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/index00000080.html(2015年12月28日閲覧)3) 国土交通省:水文水質データベース, http://www1.river.go.jp/(2016年1月23日閲覧) 4) Bristow et. al. (1993) : Sedimentology, 46, 1029-1047
著者
泉田 温人 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000293, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに 氾濫原内の相対的な地形的高まりである「微高地」は,自然堤防だけではなく,様々な河川作用が形成する微地形の複合体である.自然あるいは人工堤防の破堤を形成要因とするクレバススプレーは,微高地を構成する微地形の一つである.平成27年9月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤洪水では茨城県常総市上三坂地区にクレバススプレーが形成され,微高地の発達過程におけるその重要性が再認識された.著者らはクレバススプレーが広く分布する(貞方 1971)とされる常総市域を含む鬼怒川下流域の氾濫原において,平成27年9月関東・東北豪雨を受けて形成されたクレバススプレー及び歴史時代に形成されたクレバススプレーに対し地形及び堆積物分析を行ってきた.本発表ではその二つの地形を比較し,調査地域ではクレバススプレーがどのように成長し,微高地発達に寄与してきたのかを検討した.2.平成27年9月関東・東北豪雨によるクレバススプレー 2015年9月10日に発生した鬼怒川の破堤洪水によって,破堤部付近で“おっぽり”の形成などの激しい侵食が生じた一方,その下流側では淘汰の良い中~粗粒砂層からなる最大層厚80 cm程度のサンドスプレーが堆積した(泉田ほか 2016b).破堤部を起点とする堤外地への洪水流向断面において,両者の分布領域の間に侵食・堆積作用がともに小さい長さ100 m程度の区間が存在した(泉田ほか2016b).この区間からサンドスプレーの堆積区間への移行は洪水流向断面内の遷緩点で生じた.サンドスプレー形成区間より下流では洪水堆積物層は薄く,地形変化量は微小だった.洪水前後の数値表層モデルから計算された,破堤部から約500 m以内の範囲における総堆積量及び総侵食量はそれぞれ約3.7万m3及び約8.0万m3であり,本破堤洪水では侵食作用が卓越した(Izumida et al. 2017).3.歴史時代に形成されたクレバススプレー 上三坂から約4.5 km上流に位置する常総市小保川地区は17世紀初期にクレバススプレーの上に拓かれた集落である.小保川のクレバススプレーは鬼怒川左岸に幅広な微高地が一度成立した後に形成を開始し,ある期間に鬼怒川の河床物質が繰り返し遠方に堆積したことで微高地を二次的に拡大したと考えられる(泉田ほか 2017).既存の微高地上では急勾配かつ直線的な長さ約1.5 kmのクレバスチャネルが掘り込まれ,クレバスチャネルの溢流氾濫による自然堤防状の地形であるクレバスレヴィーがその両岸に形成された一方で,チャネル末端では間欠的な大規模洪水によるイベント性砂層及び定常的に堆積する砂質シルト層の互層からなるマウスバーが形成された.両区間は,クレバススプレー形成以前の鬼怒川の微高地と後背湿地の境界域でクレバスチャネルの緩勾配化に伴い遷移したと推定され,マウスバー部分が後背湿地上に舌状に伸長したことで微高地が面的に拡大したと考えられる.小保川のクレバススプレーは厚い流路堆積物からなるクレバスチャネルを含め堆積環境が卓越し,侵食的な要素は鬼怒川本流とクレバスチャネルの分岐点に位置するおっぽり由来と考えられる常光寺沼のみである.4.考察 上三坂と小保川のクレバススプレーの形成時間スケールと地形の分布する空間スケールの差異から,両者の地形はクレバススプレーの発達段階の差を表すと考えられる.しかし,両調査地のクレバススプレーは,ともに破堤洪水により鬼怒川の河床物質が氾濫原地形の遷緩部分に堆積しサンドスプレーあるいはマウスバーが形成されたことで,鬼怒川の微高地発達に寄与したことが明らかになった.調査地域におけるクレバススプレーの発達は(1)クレバスチャネルの形成による河床物質の運搬経路の伸長,(2)その下流に位置する堆積領域の河川遠方への移動,そして(3)侵食環境から堆積環境への転換によって特徴づけられた.上三坂が位置する常総市石下地区の鬼怒川左岸の微高地及び地下地質が複数時期のクレバススプレー堆積物からなることが報告されている(佐藤 2017).クレバススプレーの形成は常総市付近の鬼怒川氾濫原において普遍的な営力である可能性があり,微高地の発達過程で激しい侵食作用を含む地形変動が繰り返されてきたことが示唆される.参考文献:泉田温人ほか 2016a. 日本地理学会発表要旨集89, 165. 泉田温人ほか 2016b. 日本地理学会発表要旨集90, 181. 泉田温人ほか 2017. 日本地球惑星科学連合2017年大会, HQR05-P06. Izumida et al. (2017). Natural Hazards and Earth System Sciences, 17, 1505-1519. 貞方 昇 1971. 地理科学 18, 13-22. 佐藤善輝 2017. 日本地理学会講演要旨集 92, 150.
著者
吉田 英嗣 須貝 俊彦 坂口 一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.14, pp.934-939, 2007-12-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
13
被引用文献数
1
著者
石川 怜志 須貝 俊彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100187, 2014 (Released:2014-03-31)

1. 背景・目的 天井川とは, 河床面が周辺平野面より高くなった河川である. 堤防により河道が固定されると洪水流の氾濫が抑制され, 堤外地での堆積が進行して河床が上昇し, 天井川が形成されると考えられてきた(町田ら, 1981). 築堤という人間が関与することで形成された天井川の形成要因と発達過程を明らかにすることは, 科学的, 社会的要求を満たす重要な研究課題である. そこで本研究では河川地形としての天井川の形態や天井川周囲の平野面や上流域の地形学的特徴を検討し, 天井川の形成要因と発達過程を明らかにすることを目的とする.2. 対象地・方法 明瞭な天井川が存在する地域である山城盆地・六甲山麓低地・甲府盆地・近江盆地を対象地として選定した. この4地域において, 国土地理院のDEMデータ等を用いて天井川を認定した. ArcGISを用いて天井川の河床縦断形を作成し, 近似関数をあてはめた(Ohmori, 1997). 既存の地形分類図を河床縦断図にあてはめ, 天井川がどの地形から始まるかを確認した. 近江盆地内において改修の影響が少ないと考えられる天井川を4河川, 天井川化が明瞭でない河川を1河川選び, 天井川発達を議論するためのモデル河川とした. 河床縦断図から河床勾配を約500 m毎に算出した. 更にこれらの河川において河床礫径の計測を行い, 混合比(d84/d16)と限界掃流力を算出した. 水位データから, 掃流力の算出を行って掃流力の比較および掃流砂量の算出を行った. 河道に沿って周囲の地形面の縦断図を作成し, 標高と河床高の差をとって相対河床高を算出した. 3. 結果・考察 多くの天井川は扇状地を有していた. 扇状地を持たない河川は, 上流域から蛇行原に移り変わる位置で天井川化が始まっており, 遷緩点が堆積に関与していると考えられた. 扇状地を有する河川では, 天井川区間の上流端位置は扇頂から扇端まで様々であった. 天井川の河床縦断形のほとんどが累乗・線形関数で近似された. これは, 天井川の屈曲度が小さいことを示し, Ohmori(1997)が扇状地内の河川で指摘したように, 河川が平衡を保つために礫の堆積位置を前進させることで河床が上昇した可能性を示唆する. 礫径と河床勾配の縦断変化について述べる. 河床のある点で礫の細粒化は弱まり, 河床勾配も一定に近い値が続いた. この位置は天井川区間の上流端とは一致せず, より上流に位置し, 天井川区間下流端付近まで続いており, 天井川区間より上流から河床上昇が生じていると考えられた. 掃流力は限界掃流力より大きいためアーマーコート化は生じておらず, 現在の河床の特徴が河床上昇に伴って生じたと考えられる. 掃流力は河床勾配の変化に伴って変動しており, ほぼ全ての地点で掃流による土砂運搬が卓越していたと考えられる. 礫径の細粒化速度は選択運搬を示し, 天井川の混合度は5程度と低い. 天井川の上流では最大礫径の限界掃流力と掃流力が釣り合っている一方, 天井川を構成する礫径は128 mm(-7 φ)以下であり, 2年に一度程度の頻度で発生する洪水時における掃流力は, 限界掃流力を大きく上回っていた. -7 φの礫の流下限界は河床勾配が約1‰に急変し, 掃流力が急減する部分である(Ohmori, 1997). 周囲の地形面には天井川区間の上流端より下流に遷緩線が存在した. よって-7 φ以下の礫が選択的に緩勾配地点まで流下し, 掃流力減少に伴う堆積が生じ, 河川が平衡を保つ形で河床が上昇したと考えられる. つまり築堤と砂礫の供給によって掃流力等, 河川の平衡条件が変動し, 遷緩点まで輸送された砂礫が掃流力の減少によって堆積し, 河床上昇が生じた. このプロセスの繰り返しが天井川化であると考えられた. 一方, 掃流砂量は上流から緩やかに減少する傾向を見せるものの, 激しく増減していた. 天井川区間において掃流砂量の各地点での比は10以内に収まり, ほぼ一定の値を示していた. しかし, 掃流砂量の精度を見積もることは難しく, 掃流砂量から河川が平衡状態にあるかを判断するのは検討の必要があると考えられる. 本研究では相対河床高は天井川区間の大部分で一定の値を保ち, 天井川区間が下流域の一部であったことから河床上昇による勾配の変動は無かった可能性が高い. これは砂礫供給量の増大による河床上昇は勾配の増加を伴い, 河床上昇は堆積面の上流端から生じているという従来の見解と異なる. 一方, 1 m/年のような非常に大きな堆積速度が推定されている天井川も存在する. つまり天井川の形成には砂礫供給量の顕著な増大を伴う場合とそうでない場合の, 二つの可能性があると考えられる.