著者
古沢 照幸 加藤 義明
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.37, pp.p121-133, 1989-09

石垣,白河,稚内,東京の4地域の小学生,中学生,高校生,大人(小,中,高の親)を対象とし,56の東京へのイメージ項目,東京への知識度,東京の情報をどれだけ欲しいかという情報獲得度や性別,年齢などの基本的属性について質問した。56の項目の因子分析(factor analysis) の結果,東京砂漠, Enjoy東京,先進都市,きたない,便利,ビジネス都市の因子構造を確認した。確認された結果は次の通りである。地区別ではネガティヴイメージ(東京砂漠,きたない)で地方サンプルが高く,ポジティヴイメージ(Enjoy東京,便利)で東京サンプルのイメージ得点が高かった。ポジティヴイメージである先進都市ではこの通りではなかった。知識度については知識度低群でポジティヴイメージが低く,ネガティヴイメージが逆に高い。地区別の結果にこの知識度の影響も考えられる。地方サンプルでの東京へ"行ったことがない","行ったことがある","住んだことがある"という経験要因では経験あり群の方が各イメージ得点が高くなる傾向にあった(ネガティヴ.ポジティヴ共)。きたないイメージでは地方サンプルと東京サンプルとの得点差を開く要因となっている。また東京砂漠イメージでは"住んだことがある"より"行ったことがある"方が高い得点を示した。地方サンプルでは情報獲得の各イメージへの影響が知識度より大きかったが,東京サンプルではこの傾向は見られなかった。発達的には地方サンプルで発達段階が上がるにつれほとんど(6イメージのうち5)のイメージ得点は高くなる傾向にあるが,東京サンプルではこのような傾向は一部のイメージにあるだけであった。発達の影響が特に大きいのは東京砂漠イメージで対人関係に関するイメージであることが発達的に徐々にこのイメージを作り上げていくのではないかと考えられる。
著者
古沢 照幸 加藤 義明
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.37, pp.p55-70, 1989-09

東京,大阪,白河,石垣,稚内の5地域に住んでいる人々を対象に東京イメージと大阪イメージについて質問を行った。なお白河,石垣,稚内についてはこれらを合わせ地方サンプルとして結果を出すこととした。被調査者は小学生,中学生,高校生とその両親であった。調査項目は56のイメージ項目,東京または大阪への居住経験を問う項目に性別,年令などの基本的属性を問う項目が加わっている。初めに東京イメージと大阪イメージの因子構造を決定するため全サンプルを対象に両イメージについてそれぞれ因子分析を行った。その結果5つの因子が抽出され,それらは両イメージに共通のものであった。因子名は「先進性」,「砂漠性(東京砂漠,大阪砂漠)」,「Enjoy(Enjoy東京, Enjoy大阪)」,「きたない」,「便利」であった。以下この5つの因子を基本とし指標尺度を作成し,比較検討を行った。諸結果は以下の通りである。東京イメージ,大阪イメージそれぞれについて各地域サンプルの指標尺度の得点を比較した。「先進性」,「砂漠性」,「きたない」は両イメージとも地方サンプルが東京サンプルや大阪サンプルの得点より高かった。各地域サンプルにおける東京サンプルと大阪サンプルの比較では,東京サンプルはすべての指標尺度が東京イメージの方が大阪イメージよりも高い得点を示していた。地方サンプルは「Enjoy」以外のすべての指標尺度で東京イメージの得点が高かった。大阪サンプルでは「Enjoyj」と「便利」で大阪イメージの得点が高く,他の3指標では東京イメージの得点が高かった。「先進性」,「砂漠性」,「きたない」はこの結果から東京に特徴的なイメージであると考えられた。これらの結果と経験要因の結果を合わせた検討によって3つのルートによるイメージ形成が考えられた。「Enjoy」,「便利」のようにその地に生活し,経験することによって形成されるイメージ(生活経験ルートイメージ), 「砂漠性」,「きたない」のように経験を通して現在住んでいる地域と対象都市を比較することによって形成されるイメージ(経験比較ルートイメージ), 「先進性」のように経験に直接関連せず,住んでいる地域との比較によって形成されるイメージ(非経験または間接経験ルートイメージ)の3ルートイメージである。これは諸結果による総合的な判断によるが,実際に3つのルートによってイメージが形成されているかどうかは,実験的な研究の裏づけも必要となろう。
著者
直井 道子
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.39, pp.p149-159, 1990-03
被引用文献数
2

子供との同居や子供との交流は高齢者の幸福にとって必須の条件であろうか。本稿ではP.G.C.モラール尺度を用いて,幸福感の規定要因を探った。分散分析では,子供との同別居,子供の有無,子供との交流によってモラール得点に有意差はみられず,配偶者の有無,世帯収入,健康度,男性ではこれに加え,別居子と会う頻度,就業の有無,友人との電話頻度でのみ有意差がみられた。基本属性と家族構成,親族交際頻度,友人交際頻度を説明変数として男女別に重回帰分析を行ったところ,男女とも健康度が重要であるほか,男性では友人との交際,女性では世帯収入と親族との交際がモラールに有意な影響をもつといえる。
著者
石川 幹子
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.59, pp.5-20, 1996

本論文は、都市の成長管理の系譜について、近代都市計画における緑地計画の歴史的変選の視点から考察したものである。拡大する都市の成長を如何に整序化し、制御するかは、近代都市計画における基本的テーマであった。成長管理からみた緑地計画は、パークシステム、田園都市論、リージョナル・プランニング、グリーンベルトの四つの類型に大別される。都市計画の手法として、法制度、財源を含めて、最も初期に成立したものが、アメリカで発達したパークシステムである。これは、公園緑地と広幅員街路という良質の基盤整備を行うことにより、計画的に市街地開発を誘導し、あわせて自然環境の保全、及び緑地の創出を行ったものであった。19世紀中葉から半世紀に及ぶパークシステムの実践を踏まえて、マスタープランに基づく都市計画の考え方が醸成された。イギリスで発達した田園都市論は、都市の適正規模と成長の道筋を示したものであり、1920年代のリージョナル・プランニングの形成に大きな影響を与えた。リージョナル・プランニングの考え方は、世界各国で独自の展開を経て今日に到っている。グリーンベルト施策により成長管理を持続的に行ってきたのがイギリス、自然保護と景域保全を基礎に、永続的土地利用をテーマに成長菅理施策の積み上げを行ってきたのがドイツである。アメリカでは、リージョナル・プランニングは大都市圏の拡張計画となった。日本では開発の制御及び緑地保全に関する損失補償及び財源確保に関する施策が立ち遅れたため、無秩序な市街地の外延的拡大を十分に制御することはできなかった。近年、アメリカでみられる成長官理は、伝統的手法に加えて、コミュニティの再編、エネルギー問題、持続的土地利用、地球環境の保全等の様々の問題に、まちづくりの視点から多様な施策を導入しているものである。また、日本においても、地方分権の動きを受けて、都市計画への市民参加が始まっており、緑地計画においても新しい萌芽がみられる。
著者
波多野 憲男 糸長 浩司
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.28, pp.p3-37, 1986-09

本論は土地区画整理事業をとおしておこなわれる宅地供給の特性を検討したものである。その1は,宅地供給の観点から土地区画整理事業の実態の特性を,マクロ的な視点からの統計的解析手法を用いて,首都圏3県(埼玉県,千葉県,神奈川県)を対象とし,土地区画整理台帳を分析資料として解明したものである。首都圏3県での土地区画整理事業は,経年的には昭和40年代が全盛期であり,その特徴は県によって相違し,埼玉県型,千葉県型,神奈川県型といえる特徴があるが,主な特徴としては,埼玉県で市街地基盤整備的性格が強く,千葉県,神奈川県で宅地開発的性格が強い。また,施行面積の狭小な「ミニ区画整理事業」が発生する傾向が強まってきている。つぎに,宅地供給に深く関わる土地区画整理事業を,従前宅地率を指標として抽出し,これを「郊外地型土地区画整理事業」としてその特徴を解析した。首都圏での土地区画整理事業の全盛期であった昭和40年代は,郊外地型土地区画整理事業で占められ,郊外地型が首都圏の宅地開発に対して一定の役割を果たしてきた。郊外地型は,組合施行が主であり,施行面積が小規模で,事業期間も短縮化する傾向にある。組合施行による郊外地型は,千葉県,神奈川県において多く存在している。この郊外地型土地区画整理事業は保留地を伴っており,事業の性格を規定する上で大きな意味を持っている。その2は郊外地型土地区画整理事業が施行された地区をとりあげ,農民・土地所有者が土地区画整理事業地区内の宅地をどのように土地利用し,土地運用しているかを検討し,宅地供給者としての行動様式を明らかにすることによって農民・土地所有者がなぜ土地区画整理事業をとおして宅地供給を行うかを解明しようとしたものである。土地区画整理事業によるもとの農地や林地の宅地化は一時的にもとの農業的土地利用を中断させ,大量の未利用地を生み出す。事業後それが時間の経過とともに農用地としてもとの土地利用を回復する部分と建築地や駐車場・資材置場等の都市的土地利用が進む部分にわかれる。事業後15年程度を経過した時点はどちらかの土地利用にわかれた状況を示しており,以降の宅地供給は農用地の転換を待たなければならないことになり,一層,農民・土地所有者の土地利用・土地運用に左右されることになる。農民・土地所有者の土地区画整理事業地区内の土地利用・土地運用は,まず第一に農業経営上必要な農地であるかどうかによって規定されること,第二は世帯の生計維持の範囲での土地利用・土地運用であり宅地供給者として意識されたものではないこと,第三は換地の位置・形状・周辺状況にも規定されていることがわかった。
著者
堀江 典子 萩原 清子
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.82, pp.93-103, 2003

多基準分析とは、複数の基準で代替案を評価し選択を支援しようとする分析手法の総称である。費用便益分析が費用と便益を全て貨幣尺度で捉えて比較するのに対して、多基準分析では複数の基準をそのままの尺度で評価し、それらを何らかの方法で統合しようとする。コストや効率性だけでなく、環境問題や公平性の問題といった時として相反する複数の目的が意思決定において考慮されなければならない社会状況の中で、貨幣尺度での評価が困難な基準を含めて多基準として明示的に扱うことができる手法は時代の要請でもある。しかし、多基準分析の範疇には様々な手法が含まれており、分析手順も理論的根拠も同じではない。本稿では、多基準分析についての歴史的経緯を振り返り、理論的根拠を整理したうえで、多基準分析の特色と今日的意義を明らかにした。また、多基準分析のうち、公的な意思決定をはじめ様々な意思決定の場面で多くの適用が見られる多基準意思決定分析MCDA(多属性意思決定分析MADAとしても知られている)の手順に沿って問題点を考察し、意思決定支援における可能性を示すことを試みた。多くの多基準分析手法における最大の問題はウェイティングシステムの恣意性である。この懸念を克服するためには、社会の選好をより反映させることが可能なウェイテイング手法を開発することが求められる。合意形成と意思決定のためにプロセスの透明性とわかりやすさを高めることによって、'audit trail'を明らかにする。このように判断の責任の所在を示すことによって恣意性に歯止めをかけることが必要であると考えられる。
著者
新井 邦夫
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.29, pp.p143-151, 1986-12

東京市の財政規模が1億円であった時点において,震災による被害は約50億円と見積られた。この災害の復興のために東京市は約6億円を必要とする計画に基く事業を実施した。財源のほとんど全ては公債の発行に頼った。このため財政は極度に逼迫したが,第2次世界大戦前後のインフレーションによって減価された。震災復興にほとんど全ての資金が費やされたために,他事業の進捗が遅れた。特に人口集中に伴なう流域の都市化対策の実施は第2次大戦前においてはほんの一部で実施されたにすぎない。
著者
高木 恒一
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.52, pp.99-109, 1994

本稿では、1993年に実施した「教育と友人に関する調査」のデータをもとに、子どもの私立小・中学校進学の規定要因を検討する。分析に当たっては主として親の個人的要因(学歴、経済資源)と社会的文脈(両親の出身地)に着目し、これらの変数が子ともの私立小・中学校進学にどのような影響を与えるのかを検討する。主要な知見は以下の通りである。1.個人的な要因のうち、学歴に関しては両親の学歴が高いほど、私立小・中学校に進む子どもは多くなる。また、親が私立中学校に通った経験がある場合には、子どもが私立小・中学校に進学する傾向にある。2.経済資源に関しては、世帯収入が多くなるほど、子どもは私立小・中学校に進学する傾向にある。また、収入が中程度以上の場合に、資産としての住宅を保有していれば子どもは私立小・中学校に進学する割合が高くなる。3.社会的文脈としての両親の出身地についてみると、東京出身の親は、私立中学に進学している比率か高い。また、東京出身者は、収入中程度以上で持家を保有している傾向にある。従って親の出身地は、親の教育歴や経済状況を規定することを通して、子ともの私立小・中学校進学に影響を及ぼす。
著者
佐藤(粒来) 香
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.78, pp.55-65, 2002

本稿は2000年東京版総合社会調査データをもちいて、戦後の高度経済成長期およびそれ以降の東京における社会移動がどのようなものであったかを明らかにしたものである。基本的な分析枠組としては、リプセットとベンディクスが提示した都市移住モデルを参照にしている。1970年以降に生じた東京への人口流入の減少をうけて、2000年時点での40歳代以下の年齢層では、それ以前の世代とは異なり、東京出身者のほうが流入者よりも構成比において大きな比重を占めるようになっている。このことから、50歳代・60歳代を流動期世代、20~40歳代を安定期世代とした。前住地のデータからみると、流入者の移動パターンにはそれほど大きな変化はなかった。東京出身者では、男性よりも女性のほうが総じてモビリティが高いが、若い世代ほど男女ともモビリティが低くなる傾向がみられる。また、こうした居住者の地域移動経験は地点によって異なっている。男性に限定して学歴および現職から社会移動のありかたをみたところ、流動期世代では学歴・現職とも東京出身者と流入者との問に違いはなく、社会移動のありかたに出身地による差異がみられない世代といえる。一方、安定期世代では、流入者のほうが相対的に高学歴ではあるが人数が少ないため、東京出身者が明らかに不利というわけではない。この世代の社会移動のありかたには、出身地による違いというよりも、学歴による違いが大きくあらわれている。ここでの分析からは、どちらの世代についても、リプセットとベンディクスが提示した都市イメージが成立するとはいえない。
著者
西澤 晃彦 高橋 勇悦
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.40, pp.85-98, 1990-09

本稿では,1990年において墨田区住民を対象として実施されたアンケート調査の結果の分析を通じて,各住宅階層間の地域問題の認識過程の比較検討を行い,地域社会の構造とその変動を明らかにすることを目指す。墨田区社会の構成を概観するならば, 70年以降の新住民の侵入によって二重構造化が進展していると把握することができる。そしてこの二重構造は,住居形態によってセグリケートされ各々のライフスタイルを保持しながら,強化されていると見ることができる。それゆえに,本稿では,住宅階層論を援用して,各住宅階層が,出来事を認知しネガテイブな問題として評価する過程を比較していく。その際,一戸建て住宅や長屋居住者にはいわゆるインナーシティ問題群がより地域の問題として認識され,新住民を中心とするマンションやアパート居住者には,そうした問題は見過ごされる傾向にあることが仮説とされた。分析の結果は,概ね仮説が支持されるものであった。この結果が指し示すのは,インナーシティ問題が,特定の住宅階層の階層的な問題となりつつある傾向である。墨田区におけるインナーシティ問題の重みの低下は,恐らくは新住民の更なる侵入によって,強められていくと考えられる。その一方で,新たな問題群が生成し,行政課題となっていくであろう。しかしながら,このことがインナーシティ問題の消滅を意味している訳では勿論なく,それは地域社会とそこでの問題群の一層の多様化を示すものなのである。
著者
谷口 力夫 星 旦二 藤原 佳典 高林 幸司
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.5-18, 1998

都道府県別にみた平均寿命の30年間の経年変化の実態を分析し、特に東京都平均寿命の特性を明らかにすることを目的とし、1965年から1995年までの5年毎30年間の男女別都道府県別平均寿命を分析対象として調査を実施した。都道府県別平均寿命の経年変化をみると、男女共に急速に延びていった。しかしながら性別にみた増加傾向は同一ではなかった。女性の平均寿命は、1985年頃まで直線的に延長していったが、1990年以降はその延びが鈍化し上に凸な二次曲線の延びとなっていった。男性の増加傾向は、女性よりも5年早く二次曲線の延びに変化していた。都道府県別平均寿命の地域間格差を経年的にみると、1965年では男性で最大4.52歳、女性では同様に3.46歳であったものが、30年後の1995年では、男性で3.67歳、女性では3.25歳へと縮小していった。1965年の時点で、最も短い平均寿命は、男性では青森県の65.32歳、秋田県の65.39歳で、女性では秋田県の71.24歳、岩手県の71.58歳であった。一方、最も長い平均寿命の地域は、男性で東京都の69.84歳、京都府の69.18歳、女性では東京都の74.70歳、神奈川県の74.08歳であった。1965年の時点において、東京都の男女の平均寿命は突出して高い値を示していたが、年次経過とともにその延びは鈍る傾向を示し、30年後の1995年における順位は大きく変化していった。30年後の1995年の東京都平均寿命の男性順位は20位で、女性平均寿命の順位は35位となり、他の道府県の平均寿命の延びに比べて、延び率が少ないことが明らかになった。
著者
石田 頼房
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.43, pp.p21-35, 1991-09

衛生学者としての森林太郎(鷗外)の仕事に関する一連の研究の一つである。今回とり上げるのは,鷗外の市区改正論である。鷗外の市区改正論としては「市区改正ハ果シテ衛生上ノ問題ニ非サルカ」が有名であるが,東京医事新誌に連載されていたこの論文は未完であり,難解でもある。これに対して「市区改正論略」は,『国民の友』という一般向けの雑誌にまず発表されただけに,短い論文であるが,その中に極めて分かりやすく,しかも要領よく,鷗外の市区改正論が述べられている。論文は「近心と遠心との利害」「離立と比立との得失」「細民の居処」の3項目よりなる。近心と遠心とは,現在の言葉でいえば一極集中か多心型かという都市構造の問題であり,鷗外はロンドン,パリあるいはウィーンの例を引きながら,遠心すなわち多心型の都市構造が望ましいと説く。離立と比立は,日本の建築用語では適当な言葉がないが, ドイツ語のoffene Bauweiseとgeshlossene Bauweiseのことで,鷗外はヨーロッパの都市が比立・高密の解決に苦労していることを紹介しながら,日本は現在離立であるのを大事にすべきだと説く。また,細民の居処では,リヴァプールの例なども引き,単にクリアランスするだけではなく,低所得者むけの住宅供給をともなう必要があることを説く。
著者
野口 孝一
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.30, pp.121-157, 1987

江戸~明治期の農村における土地所有の研究は,地主制研究と資本主義発達史研究との視点から,これまで数多くの研究成果があるが,都市における土地所有の研究はきわめて乏しい。とくに東京における土地所有については商業資本・産業資本の展開との関連で,また市街地形成の観点から,その実態を把握することはきわめて重要である。にもかかわらず,これまで個別企業の土地集積についての研究はあるが,総体的な研究はごく僅かである。これまでの研究は,明治40年に日刊『平民新聞』に掲載された竹内余外次郎調査の土地所有統計および大正元年3月調査の『東京市及び隣接郡部地籍台帳』をもとに,東京における土地所有状況を考察し,産業資本確立期の状況を明らかにしたものであり,それ以前の土地所有の研究は皆無に近い。本稿では,資本主義成立期以前の,しかも地租改正にともなう土地所有の確定作業が終わり, 「近代的」土地所有権がほぼ確立した時期に着目し,明治11年6月刊行の山本忠兵衛編『区分町鑑東京地主案内』を素材として,集計・加工することにより,この時期の土地所有状況を明らかにしようとするものである。同資料には,東京府の『帳簿』をもとに,大区小区制にもとづき町別,地番順にその坪数と所有者の氏名が記載されている。これを東京市15区別に編集・集計し, 「所有規模別地主数」「1万坪以上所有地主の15区別筆数ならびに所有坪数」「5,000坪以上所有地主の職業・地位」「東京朱引内地主名簿」「東京市15区別1,000坪以上所有地主名簿」等の統計表に作成した結果が本稿である。
著者
吉井 博明
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.47, pp.121-133, 1992-12

最近、特にロマプリエータ地震以降、日本においては災害時のボランティア活動をどう活性化すべきかが大きな関心を呼んでいる。本稿では、この点での社会的論議が活発になされているイタリアを取り上げ、防災体制の現状のレビュー、防災ボランティアの位置づけ、防災ボランティアの概況、代表的ボランティア団体の活動実態について検討した。特に興味深い点は、ボランティアを防災体制の一部として明確に位置づけ、保険や経済的補償の制度化をはかる一方で、役割や指揮系統の明確化、訓練の義務づけがなされつつある点である。このような論議は、日本における防災ボランティアの推進を検討する上で大いに役立つと考えられる。
著者
望月 利男 江原 信之 谷内 幸久
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.37, pp.p169-192, 1989-09

1987年12月17日に発生した千葉県東方沖地震での市町村の対応に関し、市町村の防災担当者らを対象にアンケート調査をおこなった。市町村の震度と地震後の対応について検討した結果、震度が低く測定され住家等の被害が少なくても、組織的な対応をおこなった市町村と、震度、被害ともに大きくても組織的対応をおこなわなかった市町村が存在した。災害対策本部の設置、避難勧告、応急給水活動などの対応は、おおむね震度4.5以上(気象庁震度V)で始まっており、地域防災計画等で計画化されている対応の基準とほぼ調和した。地震直後の被害情報の収集は多くの市町村でおこなわれたが、報道機関や県庁からが多く、近隣住民からの情報収集が少なかった結果、被害状況の把握に長時間を要した市町村が存在した。また住民への地震情報の伝達は、震度に関わらず沿岸部の市町村で活発におこなわれ、津波に対する警戒を目的としたものであった。市町村の対応で、長時間にわたりおこなわれたのは、ガス施設の復旧作業や今回の被害で特徴的であった、屋根瓦の被損した住家へのビニールシートなどの貸出しなどであった。Generally, disaster preperedness plans of municipality are supposed to that operate emergency countermesures in a case of earthquake with a seismic intencity V (I_JMA = 5, MSK;7^+ ~ 9^—) announced by neighboring observatory. However, the intensity of V has wide range from sligtly to rather severe damages. In addition, distributions of ovserbatory are not sufficient as compared with number of municipality which has not observatory in the jurisdiction, the person in charge of disaster prevention is apt to confuse to judge the seismic intensity of his region. Even if such the municipality which has observatory, there is difficult problem how he performs emergency operations and/or decides the extent of them. The 1987 CHIBAKEN TOHO-OKI Earthquake subjected moderate damage as result, and so post-earthquake countermesures of municipalities where implemented variously. The object of this study ; 1) estimating the proper seismic intensity of each municipality ; 2) inspecting and considering the actual response of all municipalities with the seismic intensities at their sites in Chiba prefecture ; 3) proporsing how to make the decision of optimum emergency countermesures for such a critical earthquake in future. The results of this investigation can be summarized as follows. 1) The relationship among the seismic intensities and various damages in each municipality as follows : Casualties and damage of houses occured in some municipalities where were estimated the intensity above 4.2. At the intensities above 5.0, the number of municipalities in which occured the damage of human, dwelling houses, public facilities (including life-line systems) and so on. increased remarkably. 2) Setting up the disaster countermeasure headquarters which is the 1st step of emergency operations by municipality goverment were begun at the intensities above 4.5, moreover, it became remarkably at above 4.8. But, there were some municipalities which did not set up the headquarters, nevertheless their seismic intensities were estimated more than 5.0. 3) Municipal response, such as the orders for evacuation to the residents for preventing to casualties due to landslides, were recognized at the intensity above 4.5. and the response, such as temporary water supply and rending many waterproof shirts to dwelling houses which damaged to their roofs, impremented in the areas of above 4.2, moreover, aforementioned operations incresed remarkably above 4.5. 4) Various kind of disaster information activities to the inhabitants were more quickly and actively carried out in the coastal municipalities than the hinter areas in the case of the same seismic intensities. Because, the former areas have the dangerous tsunami potentials and the various communication system for them.
著者
野沢 慎司
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.56, pp.73-92, 1995

これまで都市家族の研究のなかで比較的等閑視されてきた、家族とコミュニティの相互関連をめぐる問題(家族・コミュニティ問題)へのアプローチとして、とくに夫婦間の援助関係と世帯外援助ネットワークとの関連に焦点を据えた分析を試みる。北米都市での調査知見に基づく仮説は、パーソナル・ネットワークとしてのコミュニティが居住地域や連帯性から解放されることによって、夫婦関係を分離的にするような世帯外ネットワークからの影響(競合説)が消失し、世帯内のニーズに従って(ニーズ説)、夫婦間の援助関係を前提として世帯外のネットワークから援助が動員される(両立説)状況が生み出されたと主張している。現代日本の都市家族にもこのモデルが妥当するのかどうかが検討される。東京都調布市に居住する比較的若年の既婚女性を対象とした調査票調査のデータ分析から、基本的にはニーズ説、両立説が支持される結果が得られたが、部分的には競合説を支持する結果やニーズ説に包摂しきれない結果が得られた。とくに育児期の妻の近隣ネットワークと夫からの家事援助との間には、競合的な状況が現れやすい。この点は、最近の他の調査知見と照らし合わせてみると、ネットワークの一部が世帯外から夫婦関係を規定する力を失っていないことを示唆している。こうした知見は、多角的なネットワーク測度を使った家族・コミュニティ研究によって、比較社会学的な文脈から、さらに検討される必要がある。
著者
若林 芳樹
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.71, pp.147-164, 2000-03
被引用文献数
1

犯罪都市として悪名高かったニューヨーク市で近年、急速に治安が向上しているという事実は、日本のマスコミでもたびたび報じられているところであるが、その背景の一つをなしている防犯対策にGISが貢献していることはあまり知られていない。本稿は、ニューヨーク市における近年の犯罪発生動向と犯罪防止策を概観し、警察活動へのGISの応用例を紹介したものである。まず、ニューヨーク市内での犯罪発生率の推移を統計分析すると、ジュリアーニ市長が就任した1994年以降に急減しており、これは同市長が推進した防犯対策の効果とみられる。その対策の一つの柱をなすCOMPSTATと呼ばれる犯罪統計解析では、GISが活用されている。こうした警察活動へのGISの応用は、ニューヨーク市のみならず北米の多くの都市で試みられており、そのためのパッケージ・ソフトも多数開発されている。そのうち本稿では、GISを用いて犯罪多発地区を検出して可視化するための手法をいくつか紹介した。それらはGISと空間分析手法とを組み合わせた汎用性の高いもので、犯罪のみならず種々の都市問題の解決を支援するツールとなる可能性がある。Whereas New York City had long-standing and international reputation for crime, its crime rate has shown a dramatic decline since 1994. Among several factors supposedly influenced on this (e.g.,economic conditions,demographic shifts), the most essential one appears to be the crime control strategy adopted by the New York City Police Department (NYPD) on the initiative of Mayor Giuliani. The new strategy of NYPD has been known as COMPSTAT (computerized crime statistics) in which GIS plays a key role. The aim of this paper is to outline the recent trend of crime and policing in New York City focusing on the applicability of GIS to crime prevention. According to the FBI's Uniform Crime Reports, the number of crimes in New York City reduced more than 40% from 1993 to 1997. As a result, New York City's total crime per 100,000 people ranked last among the ten largest U.S. cities in 1997. Change in the distribution of crime occurrence within the city shows that the number of crimes has declined in the whole area of New York City. Because of the correspondence between the period of this dramatic decline of crime incidence and the NYPD's practice of crime control, the crime reduction in this period can be mainly attributed to the strategy of the police department. In the practice of COMPSTAT, GIS has been used as a tool for mapping and analyzing crime patterns. Such an application of GIS to policing is not limited to NYPD but various packages for crime mapping have been developed and used in North American cities. The author introduced several methods for detecting the hot spot of crime occurrence used in this kind of packages (e.g., STAC). Since these methods are entirely based on the integration of GIS and spatial analysis, they are also applicable to a variety of urban problems.
著者
詫摩 武俊
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.3, pp.25-32, 1978-03

地方出身の青年が就労を目的として一定期間,大都市に居住しその後,再び郷里に帰る現象のことをUターン現象という。わが国の経済情勢の変化にともない,この現象が4,5年前より目立つてきたのは周知のことである。かつては地方の高校を卒業した青年の多くが大都市に集中したが,現在では郷里に止って,郷里の発展につくしたいと望む者が増えてきた。本論は,沖縄県の高校生が東京や大阪のような大都市の生活をどのようにみているかに関する質問紙法による調査の結果である。調査は沖縄県下の5つの高等学校の3年生,男子599名,女子614名,計1,213名について1976年秋に行われた。将来の進路に関して,この中の573名は本土に行って働くことを希望し(これをA群とする),510名は地元にとどまりたいと望んだ(これをB群とする)。のこりの130名はわからないと答えた。A群とB群のあいだにつぎのような差が認められた。1. A群の親の中にはB群の親よりも親自身が若いときに都会の生活を経験しているものが多い。またA群には本人が都市に行くことを親もまた望んでいることが多い。親の意向や経験が本人の意志決定に反映していると考えられる。2. 第1子は地元にとどまりたいと望むことが多い。3. A群は都市の生活を楽しく便利なものと考えているのに対しB群は都市は犯罪や公害が多く,健康に有害で恐ろしいところというイメージをもっている。4. 自分の性格を依存的で子どもっぽいと考えているものはB群に多い。学校の成績の自己評価に関しては両群のあいだに差がなかった。5. 本土で働えことを希望していてもそのまま本土の都市に定住したいというものはごくわずかで3年以内に再び沖縄に帰ることを予定しているものが多い。以上のように現在の沖縄の高校生はUターンすることを前提として都市に出ようとするものが多い。家族との連帯感や郷土に対する愛情がきわめて強いと感じられた。The problem of young people returning to their home towns after several year working in urban districts because of their maladjustment to social conditions is called "phenomenon of the U-turn". In recent years there has been an incase in such. Years before,young people of rural areas used to come to big cities such as Osaka or Tokyo after graduation from high sclool to work and live the rest of their lives. These days,however,it is said that the number of people who would like to stay and contribute to their hometown development has increased. This study attempts to reveal how senir high school students of Okinawa actually regard large cities. Among the twelfth grade students of 5 different senior high schools in Okinawa,1213 students (M=599,F=614) were administered a questionaire,concerning the above problem. In regards to the question as to where they would like to work after graduation,573 students showed the desire to come to the main land of Japan. This group is called group A. Then 510 students,called group B,revealed their desire to stay in Okinawa. The others stated no particular preferences to where they might work. Some significant differences between group A and groud B are as follows: 1. More of the parents of group A than those of group B experienced city life and therefore desired their children to work and live in large cities. 2. In group B,there were more of the first born children than those of group A. 3. The students of group A regard the city life as pleasant,enjoyable and convinient. In group B,the students regard the city life as difficult and unhealthy due to pollution and crime. 4. More student of group B than those of group A,see their personality as dependent and childish. It should be added,besides those differences,that even in group A there are few who are planning to stay in large cities for the rest of their lives,and most of them are planning to return to Okinawa in 3 years. It may be said that almost all of the students in this research had a strong kinship and tie to their home towns and families.
著者
Shibata Tokue
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.125-142, 1998

戦後、特に「もはや戦後でない」と経済白書が宣言した1956(昭和31)年辺から、バブル経済崩壊の平成初年までの40年間近く、日本経済は世界が羨む高度成長を遂げて来た。その鍵は何であったか。裏からいえば、多くの発展途上国が豊かな天然資源に恵まれながらも、経済成長が速くはかれない陸路は何であろうか。アフリカや中南米諸国を訪れると、港湾施設や道路といった公共施設(産業基盤)がうまく整備されない点が目立つ。この背景として、税収入や長期低利に運用できる公的資金の不足が注目される。その点、日本は先の1956年頃よりエネルギー源を、石炭や水力発電から石油に転換し、ガソリンにより走る自動車生産に本腰を入れ始めた。自動車生産こそ広汎な関連産業を底あげするものである。そしてより多い自動車のより速い走行を促すため、公共投資を通し道路整備に全力を傾けた。この道路と自動車の相互増殖の道を、制度と財源の両面で開いたものが、1958年に公布された「道路整備緊急措置法」である。この法律により、道路の整備が経済基盤強化の戦略要点と扱われ、そのための閣議決定による道路整備五箇年計画が樹立され、自動車関係税収入が自動的に道路の公共投資の資金に向けられることとなった。財政投融資の資金もこれに加わってきた。こうした各種の政治的措置のおかげで、日本の自動車産業は世界最高水準にまで到達して来たが、いまその余りの発展による自動車の洪水により、交通渋滞による経済損失、大気汚染や騒音の自動車公害や、年間百万件に近づく自動車事故と多くの死者、郊外発展による都市中心部の経済的衰退などのマイナス要因が、極めて大きくなり、社会的に見過ごせなくなっている。新しい政策を考える段階である。Japan had enjoyed a comparatively high rate of economic growth throughout the postwar period since 1945. When the economic growth started, Japan drastically changed its energy source from hydroelectric power generated by many dams built along rapid stream rivers to thermal power generated by oil imported from abroad. At the same time the major means of transportation started to shift from train (rail) to automobile (road). infrastructure necessary for the economic development was called the "industrial base" and a large portion of the public investment was spent on strengthening it. One of the priority industrial bases was road (expressways and highways) and its construction has been much emphasized since the mid-1950s. A huge amount of automobile-related taxes, including gasoline tax, diesel oil Tax, liquid petroleum gas tax, was collected annually and was earmarked for road construction. Thanks to this road improvement system and policy, Japan's automobile industry made a remarkable improvement. More cars on the road meant more auto-related tax revenue that can be used for further road construction. In this way, road and automobile were regarded as the symbol of Japan's economic progress. In recent years, however, some people have been criticizing such semiautomatic reciprocal relationship between road and automobile. The economic development has resulted in the expansion of depopulated provincial areas. More roads in these areas, not making much contribution to the country's economic development, may mean a waste of public investment. On the other hand, the economic development has brought about heavy concentration of people and industrial activities to Tokyo and other metropolitan regions. Streets in large cities are heavily congested, causing air pollution (and hence many asthma patients), noise and vibration, and traffic accidents. Traffic congestion also results in an enormous amount of economic loss. The time has come to reconsider public investment in Japan.