著者
有馬 明恵
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.199-218, 2023-03-30

The purpose of this study is to reveal 1)the extent to which broadcast programs on Emperor’s abdication/enthronement-related ceremonies and events were watched by Japanese people, and 2)how it related to people’s national consciousness and cosmopolitanism. Based on the results, the role of media events will be discussed. Two hundred and ninety-nine Japanese(144 male and 155 female)recruited through a crowdsourcing service participated in the online survey. The results showed the following. Firstly, many Japanese became aware of the new era name, Reiwa , on TV or on the Internet at the moment it was announced. Secondly, the public shunned standardized solemn ceremonies. Thirdly, depending on whether the participants watched abdication/enthronement-related ceremonies and events, they were divided into three groups: the “non-viewing group,” who watched none of them; the “Heisei-focused group,” all of whom watched the “abdication ceremony”; and the “Reiwa-focused group,” none of whom watched the abdication but many of whom watched the “celebration parade.” Fourthly, there were statistically significant differences among groups in terms of national consciousness, respect and affection for the imperial family, and cosmopolitanism. The results indicate that the difference in exposure to media among Japanese people with respect to media events such as the Emperor’s abdication and enthronement needs to be considered with regard to the division of people caused by the diversification of media use.本稿の目的は、日本人の国民意識とコスモポリタニズム意識について、天皇の退位・即位関連儀式・行事に関する中継番組をテレビでどの程度視聴したかとの関連を明らかにし、国民意識の高揚に関わるメディア・イベントの役割について考察することである。クラウドソーシングサービスを通じて募集した299名(男性144名、女性155名)の日本人がWeb調査に協力した。結果は、多くの日本人は新元号の発表をテレビやインターネットでリアルタイムで知ったこと、一方、退位礼正殿の儀などの退位・即位関連の儀式をテレビで視聴する人は少なく、定型化された厳かな儀式は国民から敬遠されていることを示していた。また、退位・即位関連の儀式・行事の視聴有無により、調査協力者はそれらを一切視聴しなかった「非視聴群」、「退位礼正殿の儀」を全員が視聴した「平成重視群」、「退位礼正殿の儀」は視聴しなかったが「祝賀パレード」を多くの人が視聴した「令和重視群」に分かれることが明らかとなり、視聴タイプにより、日本人としての意識、皇室に対する尊敬と親しみ、コスモポリタニズム意識に違いが認められた。日本人にとって重要なメディア・イベントにおけるメディア接触の違いは、メディア利用の多様化がもたらす人々の分断について検討すべき課題の存在を示していよう。
著者
中村 眞人
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.1-25, 2022-09-30

Tanka is a form of traditional Japanese short poem with a syllabic metre. Along with the modernization of Japanese society, a literary movement of realist tanka reform emerged and aimed at universality of emotional expression while describing objective facts and things.This article examines the works of Mokichi SAITŌ, Bunmei TSUCHIYA and other poets of the Araragi school. These poets published in the periodical Araragi, and they were highly influential among Japanese literary practitioners. They regarded an ancient poetry book, the Manyōshū, as an important poetic model.日本が近代社会を形成していく過程で、短歌を、伝統的な形式を踏まえつつも文学としての普遍性を志向する文芸に革新する運動が興った。雑誌『アララギ』に拠る人々は、写実主義を標榜し、『万葉集』を模範としながら、大衆的な広がりをもった文芸活動を実践した。斎藤茂吉はヨーロッパ滞在の体験や、飛行機への搭乗の体験などを素材として、近代にふさわしい短歌の様式を創り出した。土屋文明は、あえて殺風景な都市景観を即物的に描写しつつ、短歌の韻文としての格調を確立した。茂吉と文明は、『万葉集』における写実的な心情の表現と民衆的な基礎を尊重した。
著者
馬場 朗
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.65-124, 2022-09-30

This third and final part of this study (its seventh, eighth and concluding sections), the former parts (its former six sections) of which are already published in the latest issues of this Bulletin (vol. LXXII (n.2), 2021, and vol.LXXIII (n.1), 2021), focuses on the later works of Condillac such as the Grammaire (1775 (its drafting began, however, possibly from 1758)), the Logique (1780) and the Langue des calculs (1798 (posthumous publication)), to verify Condillac’s constant elaboration, since the Essai sur l’origine des langues (1746) passing through the Traité des sensations (1754), of integrating aesthetic expressivity in the empiricist manner into his epistemological system, an elaboration inseparable from his renovation of French aesthetic classicism. This article examines the impact of the aesthetic visual dimension on the relation between “langage d’action” and “analyse” based on the “analogie de la nature” and the metaphor of “peintre habile” in the Grammaire (the seventh section of this study), on the “ordre simultané” in the Logique (1780) (the former part of the eighth section), and on “langage d’action” as the primordial way of calculation and “tableau mouvant” in the Langue des calculs (the latter part of the eighth section). After having concluded that the aesthetic visibility of the simultaneous “ordre” plays a decisive role not only for the development of his epistemological empiricism system but also for his empiricism renovation of the French Classicism, this paper further examines the positive actuality of Condillac’s aesthetic thought as well as its insufficiency for new aesthetic experiences, based on the attractive and inexhaustible otherness or grace, irreducible to the enjoyment of the static stability of “ordre”.本研究は、哲学者エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤックの『人間認識起源論』(一七四六年)を中心に、彼の経験論哲学の美学的射程を検証する一連の試みの結論をなす第三部である。この第三部では、コンディヤックのパルマ滞在期から晩年に至る三つの著作、『文法』、『論理学』そして『計算の言語』における「全体瞬時性(simultanéité)」概念を検証する。『人間認識起源論』では「想像力」を介しての「行動言語」論と特に「倒置」論で、『感覚論』では「全体瞬時的」な「視覚」の生成論で、それぞれ浮上した概念である。注意すべきは、「全体瞬時性」が「自然」の「類比」に基づく「分解・(再)合成」による「分析」と協働関係にあることである。この協働関係も実は、『人間認識起源論』でも既に潜在的に示された関係であるが、『感覚論』を経て、一貫して『文法』・『論理学』・『計算の言語』で進展させられる。第七章では『文法』の「卓越した画家」、第八章では『論理学』の「全体瞬時な秩序」そして『計算の言語』の「動くタブロー」、以上の関連概念群を順次検証し、この進展過程を明らかにする。その上で、本研究全体の結論として、『人間認識起源論』の感性的表現論が古典主義美学をコンディヤックの経験論によって革新したものであること、そしてその美学的議論が晩年に至るまで彼の経験論的認識論自体を支えるものであったこと、以上を提示する。この結論を踏まえた上で本論末尾では、コンディヤックによるこの新たな古典主義の美学一般における重要な意義とその問題点を明らかにする。
著者
田中 美保子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.17-37, 2021-03-30

スタジオジブリがアニメーション化した『借りぐらしのアリエッティ』(2010)は、メアリー・ノートンのイギリス児童文学の古典The Borrowers (1952)を翻案した作品である。『ハウルの動く城』 (2004)や『思い出のマーニー』(2014)を含め、ジブリ映画の伝統に位置づけられる作品は、イギリス児童文学を脚色したり、その影響を受けたりしている。ジブリは、物語の舞台を日本へ移し、アニメーション化に際し、環境の違いや文化の背景の違いを反映した多くの変更を加えている。ジブリ作品の英語吹き替え版の大半はディズニー/ピクサーが制作し、アメリカ人声優を起用しているが、珍しいことに、『借りぐらしのアリエッティ』では2種類の英語吹き替え版が制作された。一つは、ディズニーによるThe Secret World of Arrietty (2012)、もう一つは、イギリス人役者を主に起用した、イギリスの配給会社スタジオ・カナルによるArrietty (2011)である。これら二つの吹き替え版では、脚本、性格描写、それぞれの国固有の事物・風物として焦点を当てる箇所などが違う。そしてそれは、ジブリの日本語脚本とも著しく異なっている。本稿では、こうした点に着目し、日本語版と二つの英語吹き替え版を比較対照し(また、ノートンの原作を適宜参照し)、文化を跨いだノートンの物語の広がりを探る。変更点の多くは、日本、アメリカ、イギリスの文化的な違いに関わること、言語や物質的世界の向こうへ広がる問題、物語の慣例や(特にディズニーの場合には)登場人物や家族関係に対する姿勢の違いが関係することについて考察する。その際、「国民性」といったありきたりの結論にならないよう留意しつつ、関連する要因の数やその複雑さにも配慮する。
著者
石井 翔子
出版者
東京女子大学論集編集委員会
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.53-85, 2013-09

本稿では、子規の短歌に詠まれた天体(太陽、月、星)にどの感覚表現が用いられているのかに注目し、短歌に見られる天体の表現が子規の生活の変化にどのように対応しているのかを明らかにする。天体を表す語彙の使用状況を調査した結果、次のことが明らかになった。1、全ての天体語彙に視覚表現が用いられている。月には触覚表現の使用も見られる。古典への意識が短歌革新後にも残り、また子規にとって月が古典の影響を受けやすい材料であると考えられる。2、子規の作品の太陽の表現方法の一つに、太陽の動きによって時間の推移を表現する方法がある。またその表現方法は、外出先の出来事の記録に多い傾向である。子規の短歌にもその表現方法が見られる。外出が不自由となった明治33年以降に、子規は短歌に太陽を詠むことが少なくなったが、この子規の太陽の表現方法が実生活と合わなくなった為と考えられる。3、月を詠んだ作品数が、太陽と星の場合よりも多くなっている。その理由として、子規の月への興味が強いことと、子規にとって空想や回想によって詠むことのし易い材料であったことが考えられる。しかし明治33年以降は月を詠む傾向が弱まっている。その理由として、子規にとって月の表現は、景色の一つとして表現され易い題材であったことが考えられる。その表現方法は、明治32年の、短歌は時間的なことを含むのに適しているという子規の考えと、一致しないものである。4、明治33年の子規の短歌では多様な趣向で星を詠んでいるが、34年以降は星を詠んだ短歌作品が見られない。その理由として、子規の星への興味の薄さと当時の子規の目の不調、糸瓜棚の設置による視界の狭まりが考えられる。
著者
黒沢 文貴
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.145-154, 2009-03

日露戦争の勝利とそれにともなう日本の大陸国家化、そして第二次日英同盟協約の締結とは、日本軍部に大きな衝撃を与えた。陸海軍にはそれぞれ、日本の大陸権益と植民地の維持・拡大を直接的に支える陸軍と、大陸との海上輸送ルート(シーレーン)の確保と対外的抑止力としての海軍という、日本の大陸政策を支える新たな位置づけが与えられたのである。日英攻守同盟は、ロシア海軍の再建を抑止するという点で、日本海軍に相応の軍事的利益を与えるものであった。しかし、ロシアの対日復讐戦を想定する陸軍にとっては、必ずしも純軍事的利益をみいだせるものではなかった。そうした日英同盟評価とロシアを念頭においた種々の国際認識や国防上の見通しが、日英露仏の接近を促す日露戦後の帝国主義的国際環境の変化のなかで、1907年7月の第一次日露協約締結に日本を向かわせる重要な要因となったのである。こうして日露戦後の日本軍部、とくに陸軍は、日英同盟と日露協約の価値と有効性とを常に注視しながら、帝国日本の大陸政策の一翼を担っていたのである。
著者
田中 美保子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.17-37, 2021-03-30

スタジオジブリがアニメーション化した『借りぐらしのアリエッティ』(2010)は、メアリー・ノートンのイギリス児童文学の古典The Borrowers (1952)を翻案した作品である。『ハウルの動く城』 (2004)や『思い出のマーニー』(2014)を含め、ジブリ映画の伝統に位置づけられる作品は、イギリス児童文学を脚色したり、その影響を受けたりしている。ジブリは、物語の舞台を日本へ移し、アニメーション化に際し、環境の違いや文化の背景の違いを反映した多くの変更を加えている。ジブリ作品の英語吹き替え版の大半はディズニー/ピクサーが制作し、アメリカ人声優を起用しているが、珍しいことに、『借りぐらしのアリエッティ』では2種類の英語吹き替え版が制作された。一つは、ディズニーによるThe Secret World of Arrietty (2012)、もう一つは、イギリス人役者を主に起用した、イギリスの配給会社スタジオ・カナルによるArrietty (2011)である。これら二つの吹き替え版では、脚本、性格描写、それぞれの国固有の事物・風物として焦点を当てる箇所などが違う。そしてそれは、ジブリの日本語脚本とも著しく異なっている。本稿では、こうした点に着目し、日本語版と二つの英語吹き替え版を比較対照し(また、ノートンの原作を適宜参照し)、文化を跨いだノートンの物語の広がりを探る。変更点の多くは、日本、アメリカ、イギリスの文化的な違いに関わること、言語や物質的世界の向こうへ広がる問題、物語の慣例や(特にディズニーの場合には)登場人物や家族関係に対する姿勢の違いが関係することについて考察する。その際、「国民性」といったありきたりの結論にならないよう留意しつつ、関連する要因の数やその複雑さにも配慮する。
著者
佐々木 涼子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.225-226, 2002-09-25
著者
湯浅 成大
出版者
東京女子大学論集編集委員会
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.195-218, 2014-03

本論文では、2001年9月11日(9.11)のアメリカに対するテロ攻撃以後の10年間で、アメリカは変わってしまったのかを検証することを目的とする。そのために、まず2011年9月の代表的なオピニオン誌に掲載された9.11関連の諸論考を考察することで、リベラル、保守、国際政治学のリアリストの9.11に対する見解を比較する。リベラルは、9.11以後の10年間を「失われた10年」と考えている。それはブッシュ大統領による対テロ戦争は、アメリカの大義から外れ、国民の安全も保障せず、市民的自由や権利の侵害を進行させただけだったからである。逆に保守は、ブッシュ大統領の対テロ戦争を無条件で称賛する。テロリストによる大量殺戮というこれまでとは全く異なる脅威に対して、ブッシュ大統領は新しい戦略ドクトリンを生み出し、「アラブの春」へと道を開いたというのである。一方国際政治学のリアリストは、ブッシュ大統領の対テロ戦争における「単独主義」や「先制攻撃」もアメリカ外交の伝統の延長線上に位置づけることは可能だと主張し、9.11以後の変化を強調しすぎることに反対する。これらの一見全く違うように見える主張には実は共通する特徴がある。それは「内向き志向」ということである。このような状況下で、大統領に就任したオバマだが、彼にとっても9.11以後アメリカを覆った自国の安全第一という雰囲気を打破するのは難しかった。彼は、キューバのグアンタナモ海軍基地内にあるテロ容疑者収容所の閉鎖と、そこにおけるテロ容疑者の無期限拘留の停止を決断した。それらの問題はアメリカの道徳的優位性を損なうと彼は考えたからである。しかし連邦議会での議論においては、オバマ大統領が掲げた道徳性の問題はほとんど顧みられなかった。その結果、彼はこの問題について立往生してしまったのだ。オバマ大統領を失敗させたもの。それは、理性に訴えかけて「話せばわかる」というリベラル的信念の後退と、自分の身の安全と生活防衛をすべてに優先させる内向き志向の日常生活リアリズムの台頭に支えられた「過防備国家」の誕生である。これこそが、アメリカが9.11以後の10年で変わってしまった姿なのである。
著者
中川 浩子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.145-167, 2009-09

The purpose of this paper is to examine the psychological processes of women making decisions about whether to continue to work or not. The study used the "Career Anchor Self-Analysis Form" developed by Edger Schein in 1978. Using the form, the author interviewed five women who had 15-38 years of continuous working experience.Five types of career anchor were found: post-tradition, relativity, dream/purpose, security/stability and lifestyle. Two major limits were also found: one was that women do not appear to have a consistent career anchor. Another was that women tend to respond to questions with self-criticism, which keeps them from exploring their career anchors fully. These limits can arise from problems in the interview methodology and the relationship between narrator and interviewer.In order to explain women's psychological processes in choosing whether to continue to work, this paper proposes a new interview framework the "Life-Career Anchor Search". The "Life-Career Anchor Search" has four characteristic features: ① It focuses not only on women's working careers but also on women's life-careers, ② It encourages women to find positive aspects of their past experience so that women become able to perceive their own abilities, values, motives and needs, ③ It finds specific types of middle-aged women's career anchors, and ④ It is future-oriented in asking women how they would like to live in the future congruent with their own life career anchors.本論の目的は女性たちの「働き続ける」、「辞めない」という選択がどのような心理的プロセスで行われるかを探索することである。方法として1978年にエドガー・シャインによって構築された「キャリア・アンカー自己分析表」の質問を用い、組織で15年から38年勤務した経験をもつ女性たちにインタビュー調査を行った。その結果、キャリア・アンカーとして脱伝統、関係性、夢・目標、保障・安定、ライフスタイルの5つが推測された。一方で、女性のキャリア・アンカーにはシャインが主張したような明確な一貫性が見られない、インタビューでは自己批判的な語りが多く女性たちのアンカーが十分に探索出来ない、という限界が明らかになった。これらの限界はインタビュー方法の問題、語り手と聞き手の関係性の問題に起因すると考えられた。女性たちの「働き続ける」という選択を説明するには新しいインタビュー方法が必要である。これを「ライフキャリア・アンカー調査」として提示する。「ライフキャリア・アンカー調査」は、①女性たちの働き方(キャリア)だけでなく、生き方(ライフキャリア)も聞く、②女性たちが肯定的に振り返り、自らの能力、価値、動機・ニーズに自覚的になることを重視する、③中年期女性特有の「ライフキャリア・アンカー」を発見する、④自らの「ライフキャリア・アンカー」をこれからの生き方にどう活かすかも聞く未来志向である、という特徴をもつ。
著者
今村 楯夫
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.205-220, 2002-09
著者
楠原 慶子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.p101-113, 1991-09

東京女子大学ホッケー部員14名を対象に,ホッケーの動作特性についてストッピング,ヒッティング動作により検討を行った。その結果,以下のことが明らかとなった。1)本実験では動作の所要時間に関しては,中級・初級未熟練者間に有意な差はなかったが経験年数の増加により所要時間は短縮する傾向を示した。2)中級熟練者の方が未熟練者よりも動作の再現性において優れていた。3)一回動作の所要時間の短縮は,準備動作におけるボール扱い,すなわち調整力の向上と,振り上げ動作におけるコンパクトな腕の動きによって可能であることが示唆された。本実験ではホッケーの動作特性について,ホッケーの基本的技術であるストッピング,ヒッティング動作により検討を行なった。ゲームとは違った状況での実験ではあったが,経験年数による動作の相違を検討したことによりホッケーの打動作の特性が示されたと思われる。また動作特性の検討により,ホッケーが独自の運動様式を持っている競技であることも示された。今後は,被検者数を増し統計的検討を行うとともに,ヒットの動作特性と成功率の関係,また,身体の移動軌跡,重心の移動速度等からのアプローチをはかりホッケーの動作特性についてさらに考察を重ねて行く必要があると思われる。
著者
野口 道
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.156-157, 1982-09-25
著者
宇野 公一郎
出版者
東京女子大学論集編集委員会
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.121-175, 2014-03

This paper is the first part of the study in two parts on the regeneration ritual of the Kingdom of Rwanda performed once in four generations by a cattle king. In the introduction, I have discussed the structure of the ritual, its framework in time and space, and the process of editing its text. Then from the esoteric royal ritual code (ubwiru), I have translated and annotated the "Way of the Lese Majesty (Inzira y 'ikirogoto)" lines 181–199, in which the burial ritual of the cattle kings is summarized, and the "Way of the Watering (Inzira y 'ishoora)" lines 1–686, in which the renewal of the regalia is prescribed.Seen diachronically, the "Way of the Watering" ritual was part of the process uniting the funeral rite, which closed the older cycle of kings (Kigeri, Mibambwe, Yuhi, Mutara, for example) by burying the smoke-dried corpse of the former cattle king (Cyirima) who had guarded the cattle of the kingdom for the past four generations, with the enthronement rites, which inaugurated, on the one hand, the king Kigeri who opened the new cycle of kings (Kigeri, Mibambwe, Yuhi, Mutara) and, on the other, the smoke-dried corpse of the newly deceased cattle king (Mutara) who was to protect the cattle of Rwanda for the next four generations.This process analyzed spatially reveals a ritual geography of the realm as follows: East: West:: North: South:: Past: Present:: Ancestors: Living:: Sacred: Profane.本稿はルワンダ王国において四世代に一度行われる王権の再生儀礼の研究の前半である。序論では、この儀礼の構成、時間的・空間的枠組み、およびテキストの編集過程を論じた。次に、王朝秘典ubwiruの「不敬の道(Inzira y 'ikirogoto)」181–199行の牛王の埋葬法の部分と「水飼いの道」1–686行のレガリアの更新の部分に訳と注を付けた。通時的にとらえると、水飼い儀礼は、一つの周期(例えばKigeri-Mibambwe-Yuhi-Mutara)を後見してきた先代の牛王Cyirimaのミイラを埋葬して古い周期を終わらせる葬送儀礼と、次の周期(Kigeri-Mibambwe-Yuhi-Cyirima)を後見する新しい牛王Mutaraのミイラを作り、その周期の先頭にKigeri王を据える即位儀礼とを組み合わせるプロセスの一環としてとらえることができる。このプロセスを空間的にとらえると、ルワンダ王国には、東 : 西 :: 北 : 南 :: 過去 : 現在 :: 死者 : 生者 :: 聖 : 俗という象徴論が存在したことが明らかになる。
著者
市川 紘美
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.1-24, 2011-03-15

Kyoka Izumi's Ryutantan (1896) is written as a first-person narrative. In the story, the narrator “Ware" (I) seeks out a Mother who does not exist. Previous studies have interpreted Ryutantan to show “a union of mother and child" or “the formation of Ware's ego." However, there are no concrete descriptions of his deceased mother or memories of her in the story. “Ware" creates images based on an imagined mother figure and seeks her out in various ways. However, the women that he meets are not able to become this nonexistent “Mother" that he has created in his imagination. This paper shows that “Ware" is doomed to never find this mother figure that can fulfill his desires.“Ware's" assertiveness can be seen in his quest to find the nonexistent “Mother". However, the narrative is in a passive voice, creating a discrepancy between the story and the narrator's voice. In addition, toward the end of the story, “Ware" abruptly discontinues the narration, and a change to an outsider's third-person voice occurs. In a hopeless pursuit to fulfill his desire, “Ware" becomes unable to complete the narrative. This “Ware," who cannot find completion, falls short of establishing his “self."In Ryutantan, the story unfolds by linking the drifting of the subject between reality and the nonexistent, to his continued pursuit to find the nonexistent mother figure. This state of suspension between reality and the nonexistent can also be found in the late works of Kyoka. One can say Ryutantan holds the possibility to go beyond reality.
著者
金子 紀子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.1-29, 2015-03

和泉式部は千五百首余りの歌を詠んでいるが、まだ研究の対象となっていない歌も多く存在する。和泉式部の歌の本質を知るためにはこれらの歌についても解明する必要がある。本稿では和泉式部の「あやめ草」(菖蒲)を詠込んでいる歌を取り上げ、分析を試みた。そして五月五日の節供の「あやめ草」というありふれた歌材を用いても、和泉式部が独特の感性と言語感覚でその折をとらえ、心情を表現をしていることを明らかにする。
著者
倉持 和雄
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.85-119, 2019-03

This article aims to figure out the involvement of South Korean Christians in the democratizing movement in the Chun Doo Hwan regime, and to evaluate this involvement from the viewpoints of both the democratizing movement and that of Christianity.After Park Chung Hee's death, Chun Doo Hwan held political power by suppressing the Kwangju Uprising. His regime was more oppressive than that of Park Chung Hee's. Some Christians continued the democratizing movement during Chun Doo Hwan's regime. Non-Christian democratizing movements (which were influenced by Marxism) became more active than that of the Chirstians. Their movement aimed at social revolution because the activists recognized the limitations of a movement in the 1970's that aimed for Liberal Democracy after the failure of the Kwangju Uprising. After that, their movement became radical and developed an anti-American sentiment because the U.S. had agreed with the suppression of the Kwangju Uprising. These changes impacted upon the Christian democratizing movement. While some Christians maintained their Christian identity, others accepted their radical ideology. However, during the June Struggle for Democracy in 1987 every social movement group and ordinary civilians got together to achieve a system of direct vote for the President, which was the point of success of realizing democracy in Korea. In the June Struggle for Democracy, Christians took on important roles as major members of the National Movement Headquarters for Democratic Constitution which led the June Struggle. Some conservative Christians joined the June Struggle, but other conservative Christians who supported Chun Doo Hwan had been against the democratizing movement.本稿は、全斗煥政権の時期におけるキリスト教の民主化運動への関わりの実態と、これについての民主化運動の視点からの評価、キリスト教の視点からの評価について明らかにしようとしている。朴正煕死後、光州事件を経て政権を掌握した全斗煥は、朴正煕政権にすぐるとも劣らない強権的性格の政権であった。この時期もキリスト教会とキリスト者は民主化運動を継続したが、1980年代の民主化運動においてはキリスト者の民主化運動以上にマルクス主義の影響を受けた非キリスト者の変革的運動が台頭した。それは光州事件の敗北を経ることで1970年代の自由民主主義的な民主化運動の限界を認識したためであった。このため1980年代の民主化運動は急進的となり、また光州事件に米国が加担したことが原因となって反米的となった。このことはキリスト者の民主化運動にも影響を与えた。これまでの進歩的キリスト者はキリスト者のアイデンティティの堅持を主張する者と急進的な非キリスト者の運動を受容していく者とに分かれていくことになった。しかし、1987年6月民主抗争では大統領直接選挙制実現を求める運動にあらゆる多様な社会運動団体や多数の一般市民が結集して民主化を成就させることができた。そのときにキリスト者が中核となった民主憲法争取国民会議がこの運動の主導的役割を果たした。6月民主抗争には保守的であったキリスト教会の一部も合流したが、全斗煥時代にも親政権的で民主化運動に敵対する保守的キリスト教会が存続し続けた。
著者
倉持 和雄
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.85-119, 2019-03-30

This article aims to figure out the involvement of South Korean Christians in the democratizing movement in the Chun Doo Hwan regime, and to evaluate this involvement from the viewpoints of both the democratizing movement and that of Christianity.After Park Chung Hee’s death, Chun Doo Hwan held political power by suppressing the Kwangju Uprising. His regime was more oppressive than that of Park Chung Hee’s. Some Christians continued the democratizing movement during Chun Doo Hwan’s regime. Non-Christian democratizing movements (which were influenced by Marxism) became more active than that of the Chirstians. Their movement aimed at social revolution because the activists recognized the limitations of a movement in the 1970’s that aimed for Liberal Democracy after the failure of the Kwangju Uprising. After that, their movement became radical and developed an anti-American sentiment because the U.S. had agreed with the suppression of the Kwangju Uprising. These changes impacted upon the Christian democratizing movement. While some Christians maintained their Christian identity, others accepted their radical ideology. However, during the June Struggle for Democracy in 1987 every social movement group and ordinary civilians got together to achieve a system of direct vote for the President, which was the point of success of realizing democracy in Korea. In the June Struggle for Democracy, Christians took on important roles as major members of the National Movement Headquarters for Democratic Constitution which led the June Struggle. Some conservative Christians joined the June Struggle, but other conservative Christians who supported Chun Doo Hwan had been against the democratizing movement.本稿は、全斗煥政権の時期におけるキリスト教の民主化運動への関わりの実態と、これについての民主化運動の視点からの評価、キリスト教の視点からの評価について明らかにしようとしている。朴正煕死後、光州事件を経て政権を掌握した全斗煥は、朴正煕政権にすぐるとも劣らない強権的性格の政権であった。この時期もキリスト教会とキリスト者は民主化運動を継続したが、1980年代の民主化運動においてはキリスト者の民主化運動以上にマルクス主義の影響を受けた非キリスト者の変革的運動が台頭した。それは光州事件の敗北を経ることで1970年代の自由民主主義的な民主化運動の限界を認識したためであった。このため1980年代の民主化運動は急進的となり、また光州事件に米国が加担したことが原因となって反米的となった。このことはキリスト者の民主化運動にも影響を与えた。これまでの進歩的キリスト者はキリスト者のアイデンティティの堅持を主張する者と急進的な非キリスト者の運動を受容していく者とに分かれていくことになった。しかし、1987年6月民主抗争では大統領直接選挙制実現を求める運動にあらゆる多様な社会運動団体や多数の一般市民が結集して民主化を成就させることができた。そのときにキリスト者が中核となった民主憲法争取国民会議がこの運動の主導的役割を果たした。6月民主抗争には保守的であったキリスト教会の一部も合流したが、全斗煥時代にも親政権的で民主化運動に敵対する保守的キリスト教会が存続し続けた。
著者
棚村 惠子
出版者
東京女子大学論集編集委員会
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.127-144, 2013-09

東京女子大学初代学長新渡戸稲造の教育理念としての「犠牲と奉仕」は、女性を一人の人格とみなす彼の人格教育論や実践と分かちがたく結びついている。新渡戸の提唱による二つのS(Service and Sacrificeの頭文字)は学校の記章のデザインとしてだけでなく、実際の生き方として創立当初から今日に至るまで学生や卒業生の人生を導いてきた。新渡戸の教育論は、良妻賢母主義教育とは根本的に異なるだけでなく、19世紀の後半にアメリカ社会で女子教育論として広く認められたキャサリン・ビーチャーの「女性の領域論」に基づく「家庭のための女子教育」やプロテスタント主流派の婦人海外伝道局が唱道した「神の国のための女子教育」とも異なり、さらに、男女平等論によるエリザベス・スタントンらが求めた「自立のための女子教育論」とも異なる独自の女子教育論であった。キリストの生き方をモデルにし「基督の心持」と表現された新渡戸の「犠牲と奉仕」の精神は神に自らを捧げる献身と家庭や社会、国家に自らを捧げる奉仕とを「悲哀」(Sorrow)役割によって結び付ける点がユニークである。悲哀の経験は他者への共感を生み、奉仕へとつながるからである。3つのSで表された彼の教育論は、現代社会に逆行しているように見えつつ、2011年の震災後の悲哀に満ちた日本社会を共感に満ちた社会にするために必要かつ有効な教育論であると思われる。
著者
遠藤 勝信
出版者
東京女子大学論集編集委員会
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.31-45, 2017-03-15

This paper mainly focuses on a grammatical problem in Rev. 1 : 1–3, and considers the form of the revelation which John has at the beginning of his letter. The problem is that ἀποστέλλω lacks the object noun(s), and this ellipsis makes obscure ‘who (or what) is to be sent?’ In most Japanese translations, including Shinkyoudouyaku (Japan Bible Society, 1987), takes adverbial phrase διά τοῡ ἀγγέλου αὐτοῡ (by his angel) as the object and paraphrases it such as ‘He sent his angel.’ Even if this paraphrase may not be impossible, it needs some explanation how the adverbial phrase can be replaced by the object noun(s) in this context.