著者
坂田 雅和
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.43, pp.109-118, 2015-03

アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の短編"Cat in the Rain"(1924)には、これまでにまだ解き明かされていない謎が散見される。先行論文においていくつかの謎は検討されているが、こと猫の特定化においては決定的な解釈はいまだ出されていない。本論ではこの猫の特定化は猫を表現する不安定さ、そして猫に隠されたものがあるがゆえ謎のままで漂うものなのか、あるいは作者ヘミングウェイによる、短編であるがゆえの作成手法であるのか、精査して検証する。併せて作品の中の妻の心の変化、妻を表す表現の数々、そして、この作品の書かれた1920年代という時代的背景と、その時代を生きた作者の軌跡をたどることにより、作者がこの作品に埋め込んだもの、そして内包されているものを猫の同定化と併せて子細に迫ってみる。猫の特定化内包不安定さ
著者
椙原 俊彰
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.42, pp.1-18, 2014-03

『雲介子関通全集』が昭和十二年に完成されて以降、江戸中期の高僧である捨世派関通の研究は飛躍的に拡大、発展を遂げた。全集は多くの研究者たちに支持され、関通研究における原典の役割を担ってきた。しかし、本全集は全集とはいいながら未収録の著作などもあり、またその底本についても十分に吟味されていない点もある。本論では、資料の成立背景やテキストの比較検証等から浮き彫りとなった本全集における問題点を指摘し、『雲介子関通全集』の再評価を試みるものである。関通雲介子関通全集捨世派山下現有
著者
山本 博昭
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.71-87, 2012-03-01

朝鮮総督府は、韓国「併合」以来、三次にわたる教育令改正により学校教育制度上の「国語」普及・常用政策を推進した。そして日中全面戦争以後、志願兵制実施及び徴兵制施行による朝鮮人青年を総動員する時期に至り、それまでの「忠良なる国民」から「天皇の神兵」「銃後の臣民」である「皇国臣民」となるための「国語」習得を推進するため、国民精神総動員朝鮮連盟・国民総力朝鮮連盟等との官民合同の「国語」普及・常用運動を展開した。1933年2月11日結成の在朝日本人民間団体緑旗連盟は、この官民合同の「国語」普及・常用政策推進をその事業方針に掲げ、運動を展開し、朝鮮植民地支配の一翼を担い支えた。その活動相を主として連盟発行の『緑旗』及び『大和塾日記』を対象に考察する。
著者
濱田 時実
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.55-71, 2015-03-01

大阪府富田林市にある美具久留御魂神社の秋季例大祭はだんじりが出る特徴がある。同地域は、「都市」や「農村」ではなく「郊外」と呼べる地域である。南河内においてだんじりが出る祭りは太子町にある科長神社の夏祭りで始まり、美具久留御魂神社の秋季例大祭で終わると言われている。したがって、だんじりが地域の祭礼における象徴ともなっている。本稿ではだんじりに関係する行事を主として取り扱う。これまでの地域研究において、民俗学が扱ってきたフィールドは大きく分けると「都市」「農村」「山村」「海村」に分類することが可能だが、現代におけるフィールドの概況は必ずしもそれらだけでは十分と言えない。祭礼研究においてもフィールドがそれらの分類に属していることを前提として論が進められているのが現状であり、祭礼研究の大きな課題である。本稿では、「都市」「農村」などに属さず、これまで民俗学が取り扱うことのなかった「郊外」という立場に注目し神社祭祀の現状を取り上げる。そして都市祭礼とも村落祭祀とも呼べない、郊外における神社祭祀の事例から、祭礼研究における課題を主張したい。
著者
■田 幸子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.57-71, 2010-03-01

16世紀後半、キリスト教布教・伝道を目的に来日した宣教師によって伝えられ、日本語に翻訳された『イソップ寓話集』は、ローマ字口語体で書かれた『イソポのハブラス』と国字文語体で書かれた『伊曾保物語』の二種である。『イソポのハブラス』は、文禄2(1593)年天草学林で出版されたが、鎖国時代の発禁措置もあり、一般には流布せず、現在世界中に唯一冊、大英博物館の所蔵本があるのみである。一方『伊曾保物語』は、一般に広く普及し、芸の道の教えや子弟の教育のための教訓書として受容された。キリスト教の宣教師によって伝えられた書物であるにもかかわらず、鎖国後も『伊曾保物語』が出版され読み続けられたのは、物語の寓意が、その時代にふさわしい教訓として受け入れられたからであろう。『伊曾保物語』の本文と書物に引用された本文及び寓意に着目することで、日本の近世における『伊曾保物語』の受容のあり方を考察した。
著者
堀岡 喜美子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.153-169, 2017-03-01

中世祇園社片羽屋神子については脇田晴子氏により一定明らかにされている。すなわち宮籠、片羽屋(座・衆)とも称され祇園社に下級の役人として神楽や夫役に奉じた男女混合の組織であった。しかしながら、なぜ宮籠組織が片羽屋や片羽屋神子と称されるのかは判然とせず、男神子の職掌についても不明な点が多い。また、丹生谷哲一氏は職掌より宮籠・片羽屋神子は散所非人と位置付けている。本稿はこうした片羽屋神子に関する研究の到達と課題を踏まえ、祇園社関係文書を再考することにより神子組織編制の過程、および職掌について検証した。この結果、「神子」号は宮籠組織が自ら獲得したと思われ、また宮籠・片羽屋神子は散所非人ではないが、下級の呪術的芸能者集団(1)と位置付けられることが明らかになった。祇園社宮籠片羽屋神子散所非人呪術的芸能者
著者
坂本 卓也
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.55-71, 2018-03-01

幕末期以降日本に導入された蒸気船について、その心臓部である蒸気機関の運転と修理・建造技術の国内化過程の検討を行った。分析の時期は幕末から明治期とし、国内における技術導入の牽引役となった幕府海軍と日本海軍を主な分析対象とした。幕末期の運転技術について、長崎海軍伝習所や軍艦操練所などで技術伝習が行われるが、実地訓練の不足などにより、その技術には大きな不安を抱えたままであった。また修理・建造技術についても、長崎と横浜の両製鉄所において外国人の技術伝習が行われるが、彼らの指導下から脱することはできなかった。明治期以降には、イギリス海軍機関士の体系的な教育や遠洋航海により運転技術の向上が見られ、明治二〇年(一八八七)には国内化を達成している。修理・建造技術についても横須賀造船所におけるフランス人技術者による指導や、留学生の派遣による技術向上により、明治四〇年頃までには国内化を達成している。幕末明治蒸気船蒸気機関運用
著者
伊佐 迪子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.87-103, 2016-03-01

兼実家の姫君は入内し中宮へと上った。兼実家では中宮を支える為に、父親の兼実と母親役の讃岐が中宮御方へ常に候して扶持する。母儀は雑用や病気の世話などには携わらない。中宮の毎日は順調に推移する事である。中宮は里心を起しては大炊亭へ退居を望むので、その間は狭小では居住者側が身を竦めての毎日なのである。従って兼実家の様相は一変した。良經は後鳥羽天皇の文人上首に認められ、能保卿女を娶り、一条亭に居所を構え幸先のよい出立であった。兼実は所労に悩み、灸冶に頼り、内裏から助けを求め、讃岐に頼り切っている。中宮良經文人御不豫法皇
著者
松田 昌子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.101-117, 2017-03-01

針祭りまたは針供養とは、古い針や折れた針を二月あるいは十二月八日に豆腐や蒟蒻に刺して感謝の気持ちをささげ、あるいは供養を行う行事をいう。先行研究により、針供養の行事全体についてはある程度の考察が重ねられてきたが、年中行事として針が特別視されることや、蒟蒻や豆腐に針を刺して地中に埋める習俗についての研究は十分ではない。そこで針供養と関連する事象についての関係を資料から考究し、針供養の事象について明らかにすることを試みた。すると、まず日本海側の特徴的な気候から、針と河豚が関連して嘘と針に関する伝承が生まれ、誓文払と結びつき文学作品に反映されるほどに民間に広まっていたことが分かった。次に針の形状から想起される一つ目の山の神や、疱瘡神の喩えと考えられる豆腐小僧との関連も推察された。最後は、行事の主役となる針について、針塚に埋めることと修験道の呪術との関わりを検討した。針供養蒟蒻誓文払豆腐疱瘡神
著者
北野 元生
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.207-222, 2017-03-01

俳人西東三鬼(以下、三鬼)のほぼ五千五百字からなる短編時代推理小説であり、湯治場の盲人の按摩の一人語りから成り立っている「《まげものスリラー》鼠小僧神がくし―按摩徳の市の話―(以下、「神がくし」)」については、鼠小僧の神がくしの顚末とその種明かしに一種の爽快さがある。また同じく推理小説に用いられる手法で一人称の語り手である按摩の德の市が最後になってやっと自分の正体を明かす語り方に、作者である三鬼なりの工夫が凝らされて興味深い。そして、何よりもこの小説が芥川龍之介の短編小説「鼠小僧次郎吉」(以下、「次郎吉」)を下敷きにして書かれた可能性があり、その辺りの検証がなされべきであると考えられる。本論は、「神がくし」と「次郎吉」における、とくに「物語行為」を比較検討して、両者の関連を明らかにすることを目的に論考を行ったものである。西東三鬼芥川龍之介短編時代推理小説鼠小僧信頼できない語り手
著者
近藤 伸介
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.35-48, 2017-03-01

唯識において他者という存在は、アーラヤ識を基盤とする識=表象として自己と同程度の実在性を持つ。唯識における自己と他者は、共に識として存在し、同じく識である環境世界=器世間を共有し、互いに影響を与え合いつつ共存している。よって唯識とは、自分の心しか存在しないという独我論ではなく、自己も他者も器世間も他ならぬ識としてのみ存在するという唯心論である。本稿は、『阿毘達磨大毘婆沙論』及び『大乗阿毘達磨集論』における「共業」から始め、『摂大乗論』における「共相の種子」、『唯識二十論』に見られる有情どうしの交流と辿りながら、唯識における「他者」について考察し、有部の「共業」が唯識の「共相の種子」へと移行したこと、また有部において心の外にあった器世間が唯識において心の中へ取り込まれたこと、さらに有情どうしの交流が物質的身体による交流から、識と識との交流へと変化したことを明らかにする。共業共相器世間唯心論独我論
著者
淺井 良亮
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.17-34, 2016-03-01

本稿は、近世京都に於ける大名家の拠点・御用・縁家について、佛教大学図書館所蔵「新発田藩京都留守居役寺田家文書」を活用することで、それぞれの実相を検討するものである。この作業を通じて、近世京都で展開された公武関係について、理解を深める一助となることを目指す。検討の結果、次のことが明らかとなった。拠点をめぐっては、一般的な「京都藩邸」という画一的印象に対し、多種多様な様相の存在を指摘し、三つの類型を提示した。御用については、主に公家への使者勤や彼らに関する情報収集などが期待されたことを明らかにし、公武関係の中で極めて重要な位置を占めていたことを指摘した。縁家とは、婚姻関係で結ばれた姻族を指し、さらには姻族を通じて広がる血族の人びとをも含めることを究明した。京都留守居藩邸京都御用縁家新発田藩
著者
加澤 昌人
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.69-85, 2014-03-01

本論では、米沢藩二代藩主上杉定勝を生涯にわたって支えた直江兼続の妻おせん(後室=上杉家の呼称)の人物像を『上杉家御年譜』を中心にして論じ、次の点を明らかにした。兼続の死後も後室のために直江家は藩によって維持され、後室は、定勝に対し助言を行い、藩の上級役人を自由に動かせる立場にあること、藩主の婚家である大名家と応対ができ、幕府の証人にもなるという、大きな力を持ち特別な立場にある姿を明らかにした。また、後室の前夫直江信綱出自の総社長尾家の再興と、後室を上杉家の一員として高野山において供養するという点から、定勝の後室に対する生前と死後の孝行について明らかにし、後室が定勝の母としての立場を持つことも指摘した。さらに、直江家関係の文書が上杉家文書に多数含まれることと、その保存状況から、これらの文書は後室から定勝へ継承されたもので、ここでも両者の密接な関係を指摘した。
著者
宮智 麻里
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.35-52, 2015-03-01

成田不動と歴代市川團十郎の関係は広く知られている。成田山新勝寺の初めての江戸出開帳の時に上演された『成田山分身不動』の最後に登場する初代市川團十郎とその息子九蔵が演じた不動明王に江戸の人々が惹きつけられたというのが定説である。しかし「流行神」が乱立し、開帳が頻繁に行われる江戸においては、それだけでは人々を惹きつけるのは難しかったはずである。本稿は、元禄以降、江戸の成田不動信仰の拠点であった「成田山御旅宿」の経営にかかわっていた講中と市川團十郎の贔屓には居住地と職業に共通点があることに着目し、彼らが成田不動を信仰した理由を再検証するものである。彼らは度重なる火災を経験し、疫病により経済的損失を被るという点でも共通している。そこで、元禄十六年の出開帳のときに演じられた『成田山分身不動』を分析し、倶利伽羅龍王(剣)信仰が日本橋地区の「江戸っ子」商人たちを惹きつけた背景にあったことを検証する。
著者
金 泰蓮
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.73-90, 2015-03-01

本論文は、朝鮮総督府によって設立された朝鮮総督府博物館(1915-1945)の設立背景から設立及び1916年の運営の変化を中心に取り上げて、この時期の総督府博物館の性格を検討する。総督府は、1910年から進めてきた先史時代及び古蹟調査を1916年に総督府博物館に統合し、日本内地の「遺失物法」や帝室博物館と関連する「古蹟及遺物保存規則」を公布した。総督府博物館はこれを契機として、朝鮮半島の文化財の調査、発掘、保存、展示、教育に関わる業務を統一的に掌握した。総督官房の所属であった設立から1921年までの当該時期の総督府博物館の実態を明らかにする。
著者
諸岡 哲也
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.159-165, 2016-03-01

鏡花文学には仏教的なものが基底に存在しているが、泉鏡花と仏教の関係については重要な要素であると考えられるが、これまであまり深く論じられることがなかった。『五大力』にも、題名からうかがえるように、仏教的な要素が見られる。そこで本稿では、仏教的視点から作品を読み解くことで、『五大力』は毘沙門天と不動明王によって登場人物が救済される物語として解釈できることを示し、ひいては鏡花の仏教観の一端を明らかにする。泉鏡花五大力仏教毘沙門天不動明王
著者
山本 勉
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.91-108, 2015-03-01

本稿においては、渋江保の代表的な著作、万国戦史に焦点を当て、日清戦争時に出版された万国戦史の概要について触れると共に、全24巻の万国戦史の中で、渋江名義の10巻及び他筆者名義ではあるが、渋江が実質執筆者であることが確認された8巻についても取り上げ、渋江はどのように万国戦史を執筆したのか、万国戦史シリーズ執筆において渋江が果たした役割や万国戦史24冊の特徴について考察する。
著者
浅子 里絵
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.47-62, 2014-03-01

本研究は、兵庫県豊岡町の市街地を対象に、大正14(1925)年に発生した北但馬震災における行政と罹災民の動向とその復興過程における市街地の変容を検討した。公的な記録や新聞記事等の資料を用いて震災直後の被災地のバラックの展開状況を復原し、またバラック建設や商売の開始、公的機関の建造物の設置など、時間の経過とともに次第に変化する震災対応から、市街地が復興する過程にはまず「緊急措置」があり、その後「復興計画準備」と「復興計画実施」という段階が存在することを明らかにした。また震災による復興計画は豊岡町の景観に影響を及ぼし、昭和初期に新市街地が形成され、拡大していくこととなった。
著者
谷口 慎次
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.109-124, 2009-03-01

谷川俊太郎は、幼少期から現在に至るまでテクノロジーに興味を持ってきたとしばしば発言してきた。本論では特に詩集『二十億光年の孤独』を含む初期作品におけるテクノロジーについて調査・考察を行った。それにより明らかになったことは、作品自体がテクノロジーに関係したテーマや要素を含んでいることの意義よりも、むしろ谷川のテクノロジーへの興味・関心が彼のディタッチメントな視点や態度を生成してきたことが重要であるという点であった。本論では加えて、「鉄腕アトムの主題歌」の製作の過程を見ることで、谷川の「鉄腕アトム」に対する役割の重要性やその後の彼の活動範囲の拡大について考える。
著者
山中 健太
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.109-124, 2012-03-01

本論は、兵庫県宍粟郡千種町で昭和三〇年代から五〇年代にかけて地域の保健衛生上の問題を解決すべく実施された、地域保健活動の実態と受容を、ある保健婦の活動の足跡から明らかにするものである。昭和三〇年代、当地域では行政と住民双方から地域の保健衛生環境の改善に向けて様々なアプローチがなされた。そうした中、この活動の端々にある保健婦の存在が語られ、彼女が橋渡しとなって地域保健活動が行われていたことが分かった。また、彼女の活動を支えたのは地域住民であり、千種町いずみ会という地域組織の存在なしには語れない。従来、こうした地域変化における活動の意義について明確な分析がなされてきたかというと、いずれも行政側の見解でしかなく、住民との関係性のもとで語られることはなかった。本論は住民行政双方間の接触における実態の解明と受容の様子を論じ、地域生活の質的向上における双方間の協力関係のありようを明らかにした。