著者
小石川 聖
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.107-121, 2023 (Released:2023-10-26)
参考文献数
54

2018年のサッカーワールドカップで、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が導入され話題となった。一方で、日本ではインスタント・リプレイを見ること自体はスポーツ中継には当たり前の光景になっているばかりか、1969年の大相撲では既にビデオ判定が導入された。本稿では、ビデオ判定導入に至る過程がメディア経験の変化でもあったことに着目し、メディア論を用いて「リプレイ」にアプローチする。 スポーツ中継の歴史の中で1964年の東京オリンピックは、「テレビ・オリンピック」と称され、放送技術の革新が喧伝された大会であり、スローモーションVTRもそのひとつであったことがこれまで明らかにされている。しかし、VTR導入以前には、リプレイは写真や映画フィルムによって可能になっていた。本研究の目的は、そうしたリプレイ技術の開発・導入の過程を具体的に明らかにすることである。 理論的には、メディア論における技術の社会的構成という立場から分析を行う。この理論は、技術の開発・導入に直接携わる科学者や技術者だけでなく、一見すると無関係に見える人びとに注目する。放送技術の社会的構成を問う本研究の場合は、テレビの演出に関わる制作陣やアナウンサー、解説者といった人びとを対象とする。技術の開発・導入状況と、そうした人びとのリプレイへの解釈を明らかにするために、当時の放送技術や放送文化の専門誌を資料として分析を行う。 結論として、VTRの導入はそれ以前の技術の混在した状況をまとめあげる転機となったが、リプレイへの期待はVTR導入以前から存在していた。リプレイは、スポーツ中継の新しい演出として模索され、スポーツの専門性への視聴者の要求に応えることができる技術として期待されたのである。一方で、VTRは「機械の眼」の威力を人びとに実感させた技術でもあり、東京オリンピック後には大相撲のビデオ判定につながっていったのである。
著者
海老田 大五朗
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.51-63, 2012-09-30 (Released:2016-09-06)
参考文献数
22

本稿の目的は、「柔道整復」の歴史の一側面を系統立てることによって「柔道整復」という名称の謎に迫り、「柔道整復」という概念がいかにして構成されたかを分析することである。世界中を見渡しても、「柔道」のような特定のスポーツの名称を冠した療法は他に類を見ない。 本稿ではまず、「柔道」の発展史を確認することで、柔道整復術が公認される時代というのは、柔道が発展普及していく時代と重なることを示唆した。こうした時代背景こそが、「柔術」ではなく「柔道」を使用することになった要因の一つといえよう。 次に、「整復術」の源流といわれている「接骨術」と現在の「柔道整復」の差異を検討することで、非観血療法と呼ばれる療法が受け継がれ、他方で薬の処方については受け継がれなかったという事実を確認した。 最後に「帝国議会衆議院請願委員会議」の議事録などを検討することで、「柔道」が柔道整復師にとって独自の職業アイデンティティの一翼を担っている可能性を示唆した。
著者
西原 茂樹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.69-84, 2013-09-30 (Released:2016-08-04)
参考文献数
12

本稿の目的は、明治末期から昭和初期にかけての甲子園野球関連言説を読み解き、当時において「甲子園野球」という独特の対象が構築されていく有様を明らかにすることである。 「純真」は1920~30年代の甲子園野球関連言説において頻繁に使用された用語である。これは当初は主催者である新聞社により、選手や関係者が努めて遵守すべき「標語」として位置づけられており、必ずしも甲子園野球のあり方そのものを表現するものではなかった。しかし1920年代半ば以降、様々な論者が最高峰たる東京六大学野球と対比しつつ甲子園野球を言説化していく中で、「純真」は六大学野球とは一味違うこのイベントの魅力を表現し得る用語として捉え直され、その結果、それを核として定型化された一連の「物語」が構築されることとなった。 そこから窺えるのは、存続の危機に晒された明治末期の野球界が生き残りをかけて確立させた「規範」としての「青年らしさ」が、草創期の甲子園大会の運営においても重要な前提となっていたこと、そして昭和初期に商業化の一途を辿る六大学野球への批判が拡大する中で、「青年らしさ」を正しく体現し得る「他者」として甲子園野球を捉える見方が定着し始めたことである。
著者
鈴木 康史
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.21-39, 2016-10-05 (Released:2017-10-05)
参考文献数
44

本研究は、明治時代の野球史を〈遊〉と〈聖〉という視点で再検討しようとするものである。 明治初期に、西洋伝来の「遊戯」として日本に紹介された野球は、「体育」に取り入れられることとなるが、しかし、こうした〈遊〉の「快楽」の利用に対して、もう一つの〈遊〉の世界があった。 日本に野球をはじめて持ち帰った平岡熙は「遊芸」好きの人物である。彼によって始まった日本の野球は当初は江戸的な「遊芸」と同じ〈遊〉なる地平に置かれることになる。だが時代がすすむにつれ、こうした江戸的な心性が消え、〈遊〉の禁欲化が始まる。その例をわれわれは正岡子規に見ることができる。子規は野球の「愉快」を屈託なく語った人物として名高いが、その背景には平岡の「遊芸」的な世界のうち「酒色」にまつわる部分を不健全として禁欲する、そのような〈遊〉の世界の分割が確認できるのである。 こうした〈遊〉の禁欲化はさらに第一高等学校において進められる。そこにおいては「武士道野球」が発明されることになるが、明治20 年代には、まだ野球はその「愉快」さで価値づけられており、武士道化が始まるのは、明治30 年代に入ってからである。今回はその始まりを一高の校風論争に確認した。剣道部の鈴木信太郎がはじめて「武道」(そこには野球も「新武道」として含められている)による「精神修養」と「武士道振起」を語るが、それは〈遊〉が〈聖〉なる苦行の手段として位置づけられるという事態であった。 それに対して、明治末に「武士道野球」を語った押川春浪は、少し異なった場所にいる。春浪は野球を「武術」化して「精神修養」せよと語るが、しかし彼のスポーツ実践はこうした禁欲的な修練のたまものではなく、むしろ一瞬一瞬を面白く遊ぶものであった。彼はそこで武士的な実践を模倣することで武士の精神を体現する。これは「世俗内禁欲」としての〈聖〉なる武士道野球に対する対抗的な〈遊〉ぶ身体なのである。
著者
野崎 武司
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
no.10, pp.26-35,133, 2002

本研究の目的は, 祝祭としての現代スポーツにおけるスポーツ観戦者たちの〈反-近代〉の局面の効果を明らかにすることである。〈反-近代〉とは, 間身体のパフォーマンスを通じて, 新たなる眼差しが産出される機制として定義された。現代における祝祭としてのスポーツは, 大きなサイズの諸身体を熱狂へ動員する装置として機能している。スポーツ観戦者たちの身体体験は, それ固有の政治性と関連しているに違いない。<br>国民国家で構成されている現在の社会は, グロバリゼーションの潮流に逆らいつつ, 想像の政治的共同体であり続けている。その産出を続けているのは, 祝祭における半ば呪術的な〈反-近代〉の体験である。いかなるアイデンティティ (例えば, 国民性) も, 彼にとっては先験的選択として与えられる。自らの主観性=主体性と世界地平を選び取ることのできるものはいない。主な結果は以下の通りである。<br>1) 祝祭における熱狂は, 間身体のパフォーマンスを通じて, 観戦者たちの身体に, 国民性にまつわる規範を配備する。その規範は, 時に, 異邦人に関する発話をその内奥から断ち切ってしまう。<br>2) '98年 W-cup サッカーフランス大会は, 移民選手の大活躍でフランス国民の国民性を再編成したように考えられる。ゲームでの熱狂は, 彼らの身体の国民性に関する規範を書き換えるのである。<br>3) われわれは,「私達」と「彼ら」を明確に区分する規範を, 深い身体的実感とともに, 身に宿している。そうした規範に編成された時空のなかに生きているのである。祝祭での熱狂は, 新たな世界地平を産出する反面, 別な形の差別を構成してしまう。
著者
三上 純
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.59-75, 2023 (Released:2023-10-26)
参考文献数
21

本稿の目的は、固定的なジェンダー観の形成に寄与する運動部活動文化に着目し、それが体育教師志望といかに結びついているのかを、統計分析によって明らかにすることである。先行研究の概観から以下の3つの仮説を設定し、その検証を分析課題とする。①体育教師志望に与える様々な運動部活動経験の影響は、運動部顧問志望に媒介されて生じる。②運動部活動を通じた男性体育教師との結びつきが、体育教師志望に影響する。③運動部活動における性に関わる指導者の言動や仲間同士のコミュニケーションが、体育教師志望に影響する。 本稿では、日本の中学校・高校に通っていた大学生・大学院生を対象に、2021年2~3月(以下、1期調査とする)および同年4~7月(以下、2期調査とする)に実施したオンラインのアンケート調査によって得られたデータを使用する。1期調査では、筆者の知人や大学に勤務する教員を通じてEメールまたはLINEで、約1600人に回答リンクを配布し397人から回答を得た。2期調査では、大学に勤務する教員が受け持つ授業を通じて約3000人に回答リンクを配布し、755人から回答を得た。本稿では2つのデータを統合して使用する。 体育教師志望を従属変数とするロジスティック回帰分析と、運動部顧問志望を媒介変数とするKHB法による媒介分析の結果、仮説①および仮説②は支持されたものの、仮説③は支持されなかった。しかし、体育教師志望を強く規定する運動部顧問志望を従属変数として多項ロジスティック回帰分析を行った結果、運動部活動における性に関わる指導者の言動や仲間同士のコミュニケーションは運動部顧問志望の規定要因となることが示された。このことから、固定的なジェンダー観の形成に寄与する運動部活動での指導者や仲間との関係性が、運動部顧問志望を経由して体育教師のジェンダー観に影響すると考えられた。
著者
吉田 幸司
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.85-97,126, 2005-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
24
被引用文献数
6 3

2002年日韓ワールドカップ開催のために、候補地自治体は各地で新しいスタジアムを建設した。埼玉県によって建設された県営埼玉スタジアム2002も、その一つである。埼玉県はスタジアム建設当初から地元のJリーグチーム、浦和レッズのホームスタジアム誘致をめざしてきた。しかし、スタジアム完成から3年以上が経過しても、浦和レッズのホームスタジアムは、さいたま市営の浦和駒場スタジアムのまま、移転はなされずにきた。このホームスタジアム移転をめぐって、県とクラブはそれぞれの思惑で埼玉スタジアムの移転・使用の正当性の根拠として「公共性」を主張してきた。本稿ではまず、スポーツ社会学領域における公共性論を、暫定的に「スポーツの持つ公共性」を論じる立場と、「スポーツの創造する公共性」の可能性を探る立場という、二つの潮流として整理し、その上で、浦和レッズ・サポーターへの参与観察を元にした、事例研究を考察した。埼玉スタジアムを核とした「スポーツによるまちづくり」という公共事業が公共性=公益性を担保する、というロジックを「大義」とした埼玉県の思惑にレッズ・サポーターは一方的に屈服してしまうことなく、また表立って抵抗するわけでもなかった。だがそれでもホームスタジアム移転をクラブは留保してきた。その理由を「聖地」駒場で築き上げてきたレッズ・サポーターの「浦和スタイル」に見出す。本論文は、このホームスタジアムの移転に際して、これまで県やクラブの主張する公共性の「大義」に、レッズ・サポーターはかかわることがなかったことを踏まえ、それでもこの移転問題に「かかわらざるをえない」レッズ・サポーターを、その浦和スタイルから捉えかえす試みである。
著者
東元 春夫
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.95-101, 1994

この研究はスポーツの社会における「言いわけ」を分析することにより、その社会における「正当な」社会ルールの本質をさぐろうとする試みである。通常「言いわけ」は失態のとりつくろいなど事後的に行われる副次的自己防衛行為であるが、逆に最初に社会的に蓄積された「言いわけの在庫」があり、それに触発されて行為が行われることも多い。ここでは1991年の新聞紙面に現れたプロ野球の契約更改交渉事例を対象に分析を行った。中日・落合選手による「夢」や「子供たちの野球離れ」「世間を騒がせたくない」という発言および調停委員会の (持込み続出)「懸念表明」には日本のプロ野球界の旧態依然とした体質が見られアメリカとの文化的相違が対照的である。スポーツの集団および下位集団には「言いわけ」の在庫が存在し、それらはその集団の成員によって学習され共有されるとすれば、スポーツ独自の、あるいはそのスポーツが行われる社会独自のボキャブラリーが存在するものと推察される。
著者
高橋 豪仁
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.53-66, 1994-03-10 (Released:2011-05-30)
参考文献数
36
被引用文献数
2

本研究の目的は、スタジアムにおけるプロ野球の集合的応援には、どのような型が繰り返し行われているかということを儀礼の観点から明らかにすることである。広島東洋カープの応援を事例として、広島市民球場で行われたナイトゲーム9試合を観察し、応援行為に共通して見られる型を見い出し、そこで用いられている応援のリズム・パターンを北沢の理論を援用して象徴=構造論的に検討した。この研究によって次のことが明らかになった。(1) スターティングメンバー発表時の応援、1回表前の選手のコール、攻撃前の三三七拍子や7回攻撃前の風船飛ばし等、ゲームの時間や空間の境界をしるしづけるものとして、応援がなされていた。また得点、出塁、アウトを取る等のゲームの状況に合わせて、一定のパターンで、太鼓や鐘が打たれ、トランペットや笛が吹かれ、メガホンが打ち鳴らされた。応援行為の定式化と反復性が可能となるのは、スポーツの進行そのものが特定のルールによって秩序づけられていることによる。(2) 集合的応援行為において応援団は重要な役割を果たしていた。ライト側応援団、センター側応援団、レフト側応援団は、各選手のヒッティングマーチを互いにタイミングを合わせて演奏した。応援団はフィールドからのゲームの進行状況に関する情報を用いて、観戦者たちの集合力を喚起していた。(3) 応援で用いられるリズムの基本型は、農耕儀礼で用いられる「ビンザサラ」のリズムと同じであった。また、リズムの型は3拍と7拍が核となり、女性のジェンダーを表象し、現世から神々への報告である「打ち鳴らし」の形態をとっていた。このことは、プロ野球の応援において、豊饒を願う農耕儀礼と同じように、自分のチームの勝利をかなえようとして行う、日本の神話的思考に基づく呪術的な行為が表出されているということを示唆しているのかもしれない。
著者
有元 健
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.45-60, 2015

本論は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を契機として新自由主義的な国策と都市形成が結びつきヘゲモニーを構築するあり方を、東京大会招致から決定後の諸言説・表象を素材として分析し批判するものである。本論はまず、「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」という招致スローガン及びポスターを記号論的に分析する。そこでは領土的な意味合いを視覚的に連想させる「日本」ではなく音声化された「ニッポン」という記号が用いられることによって情緒的なナショナリズムが喚起されると同時に、東京という個別的な都市が「ニッポン」に置き換えられることによって、個別の利益が全体の利益を代表=表象するというヘゲモニー構造が自然化される。本論は次に、東京大会開催決定後のエコノミストや都市政策専門家の新自由主義的言説の中で2020年東京大会がグローバル・シティとしての東京の都市開発戦略にどのように奪用されているかを分析する。そこではオリンピック開催を契機とした都市開発をめぐるユーフォリアがたきつけられながら、アベノミクスの経済政策と東京一極集中化が肯定されていく。だがそうした都市開発や経済政策の受益者は階級的に選択されたものとなる。本論は最後に、そこで語られるオリンピック・パラリンピック開催の「夢の力」が、現実にはどのような結果を導きうるのかを2012年ロンドン大会の事例を参照しながら批判的に捉えていく。レガシー公約とは反対に、ロンドン大会が生み出した都市のジェントリフィケーションは貧困層を圧迫し、またスポーツ普及は全体として進まず、参加者の階級的格差が広がっている。「夢の力」を当然のように期待し、それが良きものだと前提することは、オリンピック・パラリンピックというスポーツ文化を奪用しようとする限られた一部の特権的な受益者を批判する視点を失うことになる。
著者
下竹 亮志
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.59-73, 2019-03-30 (Released:2019-03-30)
参考文献数
46

本稿は、これまでの研究において看過されてきた「指導者言説」を対象として、戦後の運動部活動をめぐる言説空間を再構成する試みの序説的位置づけを持つものである。具体的には、これまでの運動部活動における中心的な教育的価値として議論の対立軸であった「規律」と「自主性」に着目し、その二項対立的な把握の仕方を乗り越えることを試みた。その際、ミシェル・フーコーにおける自由と安全の作用と戦略の論理の視座から、「規律」と「自主性」を「教育的価値」ではなく生徒の振る舞いを導く「教育的技法」として捉える必要性を指摘した。その上で、1970 年代半ばから1980 年代の「指導者言説」を分析した。 そこには、3つの特徴的な語りを見出すことができる。まず、当時の生徒の利己主義、無気力、無感動、無関心といった問題が認識されるなかで、「人間教育」としての運動部活動という主題が浮上していたこと。次に、そのような状況において、一方では「自主性」が指導者の課す厳しい練習などの「規律」それ自体に向かって発揮されるべきものとして語られていたこと。しかし他方で、「規律」を中心とした指導の困難さが語られるなか、指導者たちは練習と試合を住み分け、前者に「規律」を後者に「自主性」を割り振るという手法に活路を見出したことである。ここに見出せるのは、「規律」と「自主性」の配分問題という、これまでの研究で着目されてこなかった新たな問題設定である。このような当時の「指導者言説」の分析を踏まえて、最後になぜこの時期に指導者たちは突如として冗長に語ることができるようになったのかという問いについて考察した。
著者
リー トンプソン
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.21-36, 2008-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
13
被引用文献数
2

本稿の目的は、日本のスポーツメディアにおける「日本人種」言説を浮き彫りにすることである。2007年に、黒人選手の身体能力に対するステレオタイプを有害な神話として批判するホバマンの翻訳本が出た (Hoberman, 1997)。この本は、人種は生物学的なカテゴリーなのか社会的なカテゴリーなのかという、欧米における人種論争を起点としている。人種に関してホールは「言説的な立場」をとる。人種とは、人類の無限の多様性を整理するための言説上の概念である、という。深刻な人種問題を歴史的な背景に、欧米の人種論争は主に黒人を中心として展開されている。日本において人種が話題になる場合も、その欧米の論争を反映して黒人問題が中心になることは多い。そのため、日本において主流といえる人種言説は見逃されやすい。日本における主流の人種言説とは、外国人と区別した「日本人種」を想定する言説である。本稿では、ホールの「言説的な立場」から人種をとらえる。本稿の目的は、いくつかの事例を分析することによって日本のメディア、特にスポーツメディアにおける一つの主流の人種言説である「日本人種」言説を浮き彫りにすることである。書籍、広告、そしてテレビ中継、多様なメディアからの事例を取り上げる。テクストに登場するスポーツ種目は欧米発祥の陸上競技と日本古来の大相撲である。テクストの分析を通して、「外国人」を対照として日本人には共通した「身体特性」があるという人種的な考えを浮き彫りにする。そしてその人種が及ぶ範囲やそれが持つ意味などは、テクスト間、あるいは同じテクストのなかにも一定していないことを指摘する。
著者
加野 芳正
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.7-20, 2014-03-30 (Released:2016-07-02)
参考文献数
15
被引用文献数
1

2012年の暮れに、大阪市立桜宮高校に通う一人のバスケット部の生徒が、顧問教師の激しい体罰に耐えかねて自殺した。この事件をきっかけに、運動部活動における体罰が社会問題となった。 日本の学校教育では、明治12年に出された〈教育令〉以降今日まで、法的に見ると、ほぼ一貫して体罰は禁止されている。しかし、体罰はしばしば生徒を統制する手段として用いられてきた。とりわけ戦前においては、教育に体罰は必要であるという前提に立って体罰は語られた。それが戦後になると、なぜ法律で禁止されている体罰が学校教育において行使されるのかという問いのもとに議論されるようになり、体罰事件は「教師の行き過ぎ」として描かれるようになった。そして、1990 年代になると、体罰は暴力であり、暴力はいかなる理由があろうとも許されないという言説が支配的となった。 100年以上も前にE.デュルケムは、人間的陶冶の中心たる学校が、また必然的に蛮風の中心たらざるをえなかったのは、いったいなぜだろうという問いを立てた。彼は体罰の発生を、学校が生徒をして自然の成長に任せるわけにいかず強制的な介入が不可欠なこと、そして、知識・技術の上で自分より劣っている生徒と接しているうちに知らず知らずのうちに抱く教師の誇大妄想癖の、二点に求めた。しかし、彼の議論は体罰発生の必要条件を説明していても、十分条件を説明していることにはならない。この欠点を補って亀山佳明は、R.ジラールの欲望の三角形モデルを用いて、学校における暴力の発生を説明した。彼の野心的なところは、「体罰」「対教師暴力」「いじめ」という学校で生起する三様の暴力を射程に収めている点である。「体罰」と「いじめ」は別々の問題であるが、共通する部分も少なからずある。 教室における体罰の発生は、教師の権威の低下を前提として説明できる部分が大きい。しかし、運動部活動における体罰を、同じような背景によって説明できるかについては、疑問も残る。
著者
清水 諭
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.24-35,131, 2001-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
28
被引用文献数
4 1

本論文の目的は、この国のサポーターカルチャーズ研究に向けてのパースペクティヴを導き出すことである。まず、英国で行われてきたフーリガニズム研究について、レスター学派、テイラーの研究を批判的にレヴユーしている。そして、1990年代におけるフーリガンの変容をふまえたポピュラーカルチャーズ研究として、ジュリアノッティとレッドヘッドの研究を検討している。本論文では、これらの研究を基盤にしながらも、この国におけるサポーターの現実との往復運動によって研究を進めていくことが重要だと考える。浦和レッズサポーターへのフィールドワークによれば、表象とその記憶に加えて、「男らしさ」、「浦和の場所性」、そして「抵抗の契機」といった要素がそれぞれの歴史的堆積をふまえながら複雑に絡み合って、重層決定されていることがわかる。サポーターのさまざまなポピュラーカルチャーズの要素をふまえながら、その日常で瞬間瞬間にさまざまな要素が紡ぎ合わさって構成される現実を読み解くことが必要である。
著者
宮澤 武
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
pp.26-02, (Released:2018-01-30)
参考文献数
38

競争を基本原理とするスポーツにおいて、勝利することに多様な価値が付随し、「負け」はマイナスの側面しか持ち合わせないようにみえる。しかしながら、新聞等のメディアによって「負け」はプラスの価値を付与され取り上げられる。こうした矛盾ともいえる事態を解明するため、新聞記事が「負け」をどのように取り上げているかを分析し、なぜ「負け」にプラスの価値が付与されるのかを明らかにすることが本稿の目的である。 本稿において分析対象とした記事は、戦後から現在(1946~2016年)までの読売新聞東京朝刊から、スポーツにおける「負け」を取り上げたものとした。国立国会図書館の新聞記事索引データベース「ヨミダス歴史館」と「日経テレコン21」を利用し、「負け」を見出し語に検索し、4,407件の記事を得た。スポーツにおける「負け」は批判すべきものか、もしくは称賛すべきものか、そして新聞記事において「負け」が批判および称賛される際、どのような側面に価値が見出され、語られているかに注目し、ドキュメント分析を用いて分析を進めた。 分析の結果、闘志や根性などの“精神論”を「負け」と結びつける状況が読み取れた。こうした状況は、「負け」を捉える記事と「負け」を称賛する記事の両方にみられた。また、努力や鍛錬などの用語に象徴される「厳しい練習」を称えることで、「負け」をポジティブに語る状況が浮き彫りになった。こうした価値観の背景には何があるのかを、日本人のスポーツ観の特徴と関連づけて考察した。新聞記事においてそうした価値観を継続的に語ることには(a)日本人の伝統的アイデンティティを再生産する機能と、(b)競争社会において生産された敗者を救済する機能の2つがあるのではないかと考えられる。
著者
髙橋 義雄
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.25-35, 2022 (Released:2023-04-26)
参考文献数
23

技術革新の兆候を感じた編集委員会が、『スポーツ社会学研究』第23巻の特集論文で、超人スポーツ委員会についてすでに触れている。それから7年の間に、超人スポーツ協会は法人化し、様々な活動を実施してきた。現在ではヒューマンオーグメンテーション(Human-Augmentation)と呼ばれる技術が急速に発展し、「人機一体」と称されている。脳神経科学や医学などの学際的な知見によるこれらの技術は、工学が社会実装化を試みている。2013年に2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致に成功し、アニメやロボットなどの日本が得意とする分野の科学技術の発展のための関係者間のプラットフォームが構築された。一方で、人間拡張技術によって、人間の「身体所有感(Sense of self-Ownership)」と「運動主体感(Sense of self-Agency)」の研究が進んだ。その結果、近代スポーツ科学が当然のこととして扱ってきた物理的な肉体としての身体の再検討が必要になった。つまり、人機一体化したアバターという機械は、「私」の範囲なのか、それとも「機械」の範囲なのかという認識の揺らぎを生じさせた。さらに、不測の事故が発生した際の責任は人間にあるのか、それとも機械側にあるといったルールの整備、個人の権利や情報保護、科学技術における経済安全保障の議論に照らした身体活動や個人の生理的情報のビックデータの管理が必要になっている。また、人間と機械の変化と適応のなかで、人間を機械依存の最適化方向へ適応させ、自らの心身自体を縮小しスポーツ競技者単体の能力を低下させてしまう危険性も指摘されている。不自由な設定をしてそれを楽しむスポーツの特徴は、人間拡張技術をスポーツに導入しやすくする。そのため、人間拡張技術による「人間像」の議論は、スポーツを通じてこそ可能になるとも考えられる。
著者
岡田 桂
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.37-48,106, 2004-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
18
被引用文献数
2

英国や欧州におけるサッカー・リーグの試合では、時おり、男性選手同士がキスし合うパフォーマンスが見受けられる。こうした行為は、ゴールを決めた際の感激の表現として理解され、受け入れられてはいるが、通常想定される「男らしさ」の価値観からは逸脱している。近代スポーツは、その制度を整えてゆく過程で、男らしさという徳目に重点を置いた人格陶冶のための教育手段として用いられてきた経緯があり、サッカーを含めたフットボールはその中心的な位置を占めていた。それではなぜ、男らしさの価値観を生みだしてゆくはずのサッカー競技の中で、「男らしくない」と見なされるような行為が行われるのだろうか。この疑問を解く鍵は、近代スポーツという制度に内在するホモソーシャリティにある。男らしさの価値観を担保するホモソーシャリティは、異性愛男性同士の排他的な権利関係であり、女性嫌悪と同性愛嫌悪を内包する。サッカーをはじめとするスポーツ競技は、ジェンダー別の組織編成によって制度上の完全な女性排除を達成しており、もう一方の脅威である同性愛者排除のために、ホモフォビアもより先鋭化された形で実践されている。こうして恣意的に高められたホモソーシャルな絆によって、スポーツ界は通常の男らしさ規範に縛られない自由な表現が許される場となり、キスのような、通常であればホモソーシャリティの脅威となり得るホモセクシュアリティを仄めかすようなパフォーマンスも可能となるのである。つまり、こうした行為は「自分たちは同性愛者ではない」という確固とした前提に基づいた、逆説的な「男らしさ」の表出であるといえる。また、男性同士のキスという全く同一の行為が、プロ・サッカーという特定の文脈では「男らしさ」を表出し、他の文脈では正反対の意味を構成するという事実は、ジェンダーというものが行為によってパフォーマティヴに構築されるものであり、ジェンダーのパフォーマンスとそれが構築する主体 (不動な実体) との間の関係が恣意的なものであること、即ち、行為の実践によってそれが構築する主体をパフォーマティヴに組み替えてゆくことができる可能性を表しているといえる。
著者
磯 直樹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.63-78, 2013-09-30 (Released:2016-08-01)
参考文献数
40

本稿は、一つの柔道場を通じてフランス社会を照射する試みである。私が調査を行った場所はパリ郊外の柔道場である。ここは、移民系住民が中心の貧困地区である。ここでの調査の過程には、反省性の実践が伴われた。この「反省」とはブルデューによって提起され、ヴァカンらによって継承された社会学の方法であり、対象化する主体である研究者自身を対象化することによって、科学的方法を洗練させ、対象の記述の質を高めることを可能にする。本稿では、このような反省性を実践することによって、調査者である私自身の強襲被害を対象化し、フィールドであるF 地区における暴力と社会的境界の関係を分析した。フランスの他の柔道場と同様に、この地区においても柔道家のほとんどは子どもである。そこでは、柔道場は孤島のような場所になっており、閉鎖的な共同体に近いその地区で尊重される価値とは別の価値、つまりフランス社会一般で通用するそれを教えこむ場であった。この地区は「ゲットー」と称されることも多いが、ここにおける柔道実践とは、結果的にそのような地区から子どもが将来的に抜け出せるようになることを意味している。私はこのような結論を、自ら被った強襲事件を契機に導出することができた。
著者
石田 智佳
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.57-72, 2020-09-30 (Released:2020-10-15)
参考文献数
28

近年、五輪などのメガ・スポーツイベント開催を契機とした都市開発は、スタジアムや競技関係地区周辺部で暮らす地域住民の立ち退きを引き起こしている。日本においても、2020年東京五輪開催のための新国立競技場開発により、近隣のTアパートで暮らしていた住民が立ち退かされている事実が報告されている。本稿はこうした立ち退きを迫られた住民たちに着目し、彼らがどのように立ち退きを考え対応しているのか、彼らの暮らしの内実から立ち退きの実践過程を明らかにするものである。 事例として東京都新宿区のTアパートを取り上げた。そして、住民の生活実態と地域住民組織である町内会と老人会の活動に焦点を当て、1年間のフィールドワークを行った。調査によって明らかになったのは、第一に、住民たちは「高齢者」として暮らすなかで、「支え合い」という関係性を軸に生活していたこと。第二に、この関係性が失われていくなかで、住民たちは町内会や老人会という地域住民組織を通じて、それぞれが立ち退きに対して活動し合っていたことである。彼らは、立ち退きに対し反対を示しつつも高齢者である自身の生活と今後の立ち退きを、各々の会の活動を経ながら考え合っていた。 住民たちの生活と立ち退きという問題は、切り離して考えることはできない。なぜなら住民は、自らの生活の立て直しを迫られる中で立ち退きを考えていかなくてはならないからである。Tアパート住民の地域住民組織を通じた活動は、立ち退きを強いられる先に潜む「再定住」という課題を浮き彫りにしていた。最後に本稿は、彼らの生活や「再定住」という視角から、新たにスポーツイベント政策の議論を展開していく必要性を指摘した。
著者
清水 泰生 岡村 正史 梅津 顕一郎 松田 恵示
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.25-45,119, 2006
被引用文献数
1

本稿は、平成15、16年度の2年間にわたり、本学会において設置された「スポーツとことば」に関するプロジェクト研究報告である。最初にテレビのスポーツ実況中継の特長について整理をした。そして、札幌オリンピックと長野オリンピックの純ジャンプ競技の中継を文字おこししたものを基に両者に違いがあるかどうかを調べた。札幌は文の形 (主語+述語) がしっかりしているのに対して長野は述語の反復の表現が目立つなどの違いが見られた。このことを踏まえて考えると1972年から1998年の間に実況中継に変化があったと考えられる。次に、この変化を説明するために、プロレスと「古舘伊知郎」という問題に着目してみた。プロレスはスポーツにとって周縁的な存在である。近代スポーツが真剣勝負を追求することによって抜け落ちた要素を体現したからだ。古舘伊知郎は1980年代初頭にプロレスの虚実皮膜性を過剰な言葉で表現し、それ自身虚実皮膜的な「古舘節」を創った。プロレス実況を辞めた後の彼は主として芸能畑をフィールドとしたが、舞台でのトークショーの試みの中で新境地を開き、今ニュースキャスターとして、「古舘節」を抑える日々を送っている。そして最後に、我々は1980年代における新日本プロレスブームと古舘節の、ポストモダン的文脈について考察した。周知のようにプロレスは80年代に再びテレビ文化の主役に踊り出たが、それはかつての力道山時代ような大衆文化としてではなく、若者を中心としたサブカルチャーとしてであった。そして、1980年代における状況は、その後のポストモダン状況に比べればほんの入り口に過ぎず、東浩紀も指摘するように、日本の若者文化は1996年以降、ポストモダンの新たなる段階へと突入する。そうした中80年代型スノッブ文化の申し子とも言うべきプロレスは埋没し、古舘節だけがプロレスという本来の文脈を離れ、スポーツ観戦のサブカルチャーにおける、ある種の「萌え要素」として機能することとなったのである。