著者
川瀬 和也 Kazuya KAWASE 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-12, 2021-03-10

本稿の目的は、行為者性に関する階層理論を整理し、その射程を明らかにすることである。現代行為論においては、心的態度の階層によって自律を説明し、これを通じて行為者性とは何かを明らかにしようとする階層理論が影響力を持っている。本稿では、H. G. フランクファートの階層理論、M. E. ブラットマンの計画理論、C. M. コースガードの実践的アイデンティティに訴える理論の三つを、心的態度の階層性に加えて何が必要だとされているかという観点から整理する。また、特にブラットマンの計画理論と、コースガードの実践的アイデンティティに基づく理論を比較し、両者において人格の同一性についての理解の違いが問題となっていることを示す。また、人格の同一性の捉え方によって、「操作の問題」への応答が変わることを明らかにする。これを通じて階層理論にとって人格の同一性をめぐる問題の重要さが増していることを明らかにする。
著者
大賀 郁夫 Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.1-26, 2018-03-09

幕末期の一連の政治史において、薩摩・長州・土佐・越前各藩など雄藩が、重要な役割を果たしたことは言うまでもないが、藩全体の八割を占めた九万石以下の小藩はいかにして幕末期を乗り切り、維新を迎えたのだろうか。本稿では、日向延岡藩七代藩主であった内藤政義が記した自筆『日記』から、元治~慶応期に譜代小藩である延岡藩の動向を考察した。政義の交際は、実家の井伊家、養子政挙の実家太田家、それに趣味を通じて交流のあった水戸徳川家など広範囲にわたる。元治元年七月の禁門の変以降、二度に及ぶ長州征討に政挙が出陣しているが、江戸にいる隠居政義は高島流炮術や銃槍調練に励む一方、政局とはかけ離れた世界に居た。政義は梅・菖蒲・桜草・菊観賞に頻繁に遠出し、また水戸慶篤と品種交換や屋敷の造園に勤しんだ。在所からの為替銀が届かず藩財政は破綻に瀕しており、慶応三年末、薩摩藩邸の焼き討ちを契機に政義は在所延岡への移住を決断する。六本木屋敷に養母充真院を残したまま、翌慶応四年四月、政義は奥女中や主な家臣家族ともども品川を出船し延岡へ向かった。幕末期の譜代小藩の動向を窺うことができる。
著者
新井 克弥 Katsuya ARAI
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.1-12, 2007-03-20

80年代、分衆/少集論を中心に展開した消費社会論は現代思想、マーケティング、社会学等様々な分野で議論と対象となり、その間続いたバブル景気の理論的な援護射撃を演じた。だがバブル崩壊とともに、その有効性は失われ、これら議論が展開されたこと事態がすでに過去のこととなっている。そこで、本論ではこのような消費社会論がなぜ発生したのか、そして、どのような変容を遂げ今日に至っているのかをボードリヤール理論の受容過程を辿ることで明らかにすると同時に、現代人のコミュニケーション行動との関連での今日的な有効性について考察する。
著者
李 善愛 Sun Ae II
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.175-196, 2000-03-21

韓国政府は10年余り前まで、「子供は男の子、女の子区別なく二人だけ産んでよく育てよう」という二人子政策を国民に勧めてきた。そして、今は子供は二人のみ産むのが常識となっており、兄弟が5女1男、6女1男などのように多いと珍しく思われている。これは子たくさん儲かるのを望んだの結果であろうが、多くは家を継ぐ男の子を産むため、肉体的、精神的、経済的負担をかかえながら子供を産み続けた結果であると思われる。韓国人の男児への選り好み度が高いのは、胎児の産み分けを手助けして検挙された医者の記事が毎年、マスコミを通して世間を騒がせることから十分裏付けることができよう。本稿では、男児信仰にまつわる韓国のお産文化を通して今昔における生命観の変化についてうかがうことにする。
著者
田中 薫 Kaoru TANAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.105-134, 2000-03-21

メディアの世界が、今日のような多彩な姿に発展するきっかけとなったのは、写真の発明である。写真術の登場と、その技術的な進歩がその後のジャーナリズムのあり方を大きく変えた。それ以前、最初の重要な転換点はグーテンベルクによる印刷術の発明であった。そして印刷物の図版の部分は、初期は木版による凸版方式によるものであったが、やがてアミ凸版が発明され、写真の取り入れが可能となった。その後、ふんだんに写真技術を応用したオフセット印刷とグラビア印刷が発達し、紙メディアの進化に拍車をかけた。1946(昭和21)年。その年の4月に創刊され、その後15年間続いて1960(昭和35)年3月に廃刊となった『サン写真新聞』という、「写真」という言葉を題字に入れた紙メディアがあった。当時、すでにモノクロームの写真の質は高く、技術的な完成度も高かったが、印刷技術は、今日と比べてレベルが低かった。したがって『サン写真新聞』も写真の印刷の質はあまりよくない。それ以前には写真を主体にした印刷媒体として戦前から『アサヒグラフ』という雑誌があり、それらはグラフ雑誌と呼ばれていた。戦後は急速に写真雑誌の時代となる。写真の雑誌には3種類がある。カメラの普及を企図したもの及び写真を芸術として扱うものと、写真の技術を生かして報道することを旨としたものなどである。前者が技術系の専門誌及び『カメラ毎日』や、『アサヒカメラ』などであり、後者が『FOCUS』『FRIDAY』などの雑誌類である。『サン写真新聞』は、そのどれとも少し異なっていた。その『サン写真新聞』の約10万枚に近い保存ネガを素材に、廃刊から約30年後に私はMOOKを編集し、雑誌として再生を試みた経験がある。その体験を踏まえ、ある時代にのみ実在し、滅びていった写真ジャーナリズムの存在を確認し、どのようなメディアであったかを記録することにより、「写真ジャーナリズムとは何か」という問題について考察してみたい。
著者
川瀬 隆千 Takayuki KAWASE
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.39-57, 2003-03-20

雇用・能力開発機構「ポリテクセンター宮崎」にて,再就職のための準備をしている失業中の人たち257人(男性119人,女性102人,性別不明36人,平均年齢37.49歳)を対象に,感情の社会的共有とソーシャル・サポートが精神的健康に及ぼす影響について調査した。GHQ30を用いて測定された対象者の精神的健康度の平均は6.59,標準偏差は5.62であり,従来のサンプルに比べて特に低いことはなかったが, GHQ30得点が7点以上(不健康範囲)である対象者は男女とも45%を超えており,失業は精神的健康にとって大きな脅威であることが示された。失業に伴って経験される感情とその社会的共有行動について尋ね,それらと精神的健康度との関連を検討した結果,悲観的で不安を感じている人ほど精神的健康度が低いことが示された(r=.414, p<.001, Af=245)。さらに,経験された感情,感情の社会的共有と精神的健康度との関連を検討した結果,悲観・不安の感情経験に比べて,その社会的共有が少ないほど,GHQ30得点が高かった(r=.217,p<.001,N=245)。悲観的で不安を感じていても,それを他者に語ることができないと,精神的に不健康な状態になりやすいといえる。対象者が身の回りの人々からどのような支援(ソーシャル・サポート)を受けているかを検討したところ,情緒的な支援の多くは友人から提供されており,金銭的な援助は両親から提供されていた。一方,情報提供などの役割が期待される職安職員やポリテクセンター職員から情報的な援助を受けているとした対象者は少なかった.ソーシヤル・サポートの有無と精神的健康の間には有意な差は認められなかったが,職安職員やポリテクセンター職員など専門家による的確なサポートの必要性が示唆された。
著者
四方 由美 Yumi SHIKATA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.17-27, 2012-03-02

本稿は、「宮崎における女性史資料保存に関する研究」(平成20年度~平成22年度 宮崎学術振興財団地域貢献研究:研究代表者 四方由美)において作成した「宮崎地域女性史文献目録」及び「宮崎における女性の活動年表」を、地域女性史研究に位置付けることを目的とする。 研究の視座と目的を明確にするために、先行研究からフェミニズムと女性史、ジェンダー史の概況について整理を行い、さらに地域女性史の可能性について考察を行った上で、「宮崎地域女性史文献目録」及び「宮崎における女性の活動年表」を地域女性史研究に位置付けた。 また、これらの成果を宮崎における地域女性史の資料としてどのように活用することができるかを示した。地域女性史をみることは、空間的にも時間的にも点在する宮崎の女性たちの活動を線として繋げて力あるものとして再構築し、地域の問題にアプローチする契機につながる。
著者
四方 由美 Yumi SHIKATA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.61-69, 2004-03-20

現在、日本では男女共同参画をめぐってバックラッシュが起こっている。保守派の主張する争点は、①「らしさ」のしばりから自由を求める男女共同参画の動きは、あるべき「らしさ」を否定し、日本の文化や男女関係を破壊するのではないか、②「専業主婦」否定の動きではないか、③家族の絆を破壊するのではないかなどである。このようなバックラッシュが起こる背景には、フェミニズムに対するバックラッシュの高まりに加えて、男女共同参画の政策化にともなう反発があると考えられる。 また、バックラッシュは保守派によるものだけではない。男女共同参画を推進する立場にある立法・行政サイドにおいて、男女共同参画社会基本法に盛り込まれた「ジェンダー概念に基づく男女平等」の理念に対する理解が進まないため、この理念が運用面で排除される傾向がみられる。こうした動きは男女共同参画社会の推進を阻むだけでなく、新たな差別を生む事態に陥っている。男女共同参画についての政策そのものが矛盾を孕んでいることは、その大きな要因の一つである。 本稿では、このような観点から今日のバックラッシュ現象を考察することを通して、男女共同参画をめぐる議論を整理する。
著者
田宮 昌子 Masako TAMIYA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.75-92, 2017-03-10

『論語』は孔子の著作ではなく、言行録であり、弟子たちによって口承され、戦国から前漢にかけて文字テキストに定着していった。漢字による最初期の文献であり、多くの漢字語彙の定義は『論語』における用法を原点とする。その原初性と平易かつ深遠な普遍性の故に、古典中の古典として、中国のみならず日本にも大きな影響を与え、『論語』由来の多くの語彙が現代日本語の中で現役であるように、二十一世紀の現在も中国と日本の言語と文化を支えている。筆者は、この春から勤務校の国際文化学科で『論語』の講読を始めた。国際文化学科で教授するに当たっては、『論語』の読解と暗誦を通して、現代中国語と現代中国人の意識を支える語彙・表現を学習し、中国語上級力を下支えすること、同時に、これらの語彙・表現とそれらから構成される価値の体系が現代日本の言語や文化をも支えていること、東アジアの共通智とも言えるものであることを学び、東アジアに基盤を持つ国際人としての教養となることをも狙いとした。小稿では、21世紀の今日に日本の大学で『論語』を教授する、学ぶという場を契機に、古典について、思想について、『論語』について、日本における中国の言語と文化の受容について…こうした一連の非常に基本的で根源的な問題について考える。
著者
梅津 顕一郎 Kenichiro UMEZU 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.193-202, 2022-03-10

本稿は、社会学的消費文化論の理論枠組みに関する一考察の試みである。かつて若者文化論、メディア文化論等に接点を持ち、ポスト・モダン化する現代社会を説明する有力な議論枠組みの一端を担ってきた所謂消費文化論は、今日、有効な理論的役割を果たしているとは言えない状況になっている。 これに対して本稿では、大塚英志が1989 年の『物語消費論』以来、幾度となく修正を試み展開してきたと思われる「物語消費」の概念を中心に、消費と物語性に関する従来の議論を再整理することで、消費文化論の社会的有効性を再生する足がかりを模索する。筆者は80 年代の消費文化論に対しては批判的な立場であり、その問題視座の根幹をマーケティングと80 年代の我国に於けるポスト・モダニズムの接点に置いていることを公言している大塚にとってその現代社会論的な貢献について筆者のような観点から議論することは、必ずしも本人の執筆意図に即したものであるとは言えないだろう。しかし筆者は大塚の議論が、益々グローバル化する情報社会の下での、消費を介した認識や社会観、あるいはアイデンティティの形成に対して批判的な議論を展開するための、有効な道具となりうる可能性を孕んでいると考える。彼の提示する「サーガ(saga)」としての大きな物語という概念は、J.F. リオタールが提起した「ナラティブ(narrative)」としての大きな物語とは本質的に異なるものである。しかしそれは決して概念的誤謬によるズレではなく、むしろ「物語」の変質を言い当てたものである。 ここでは、大塚の「サーガとしての物語」と、J.F. リオタールによる「大きな物語」の概念について比較検討を行い、それらを大澤真幸による3 つの時代区分に当てはめることにより、シミュラークルも含む記号的価値の消費と、それを通じた世界認識の概念地図を、試論的に構築していく。
著者
李 善愛 Sun Ae II
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.17-31, 2005-03-22

韓国では海藻の利用は多いが、とくにワカメは日常の食料だけでなく、近代医学が発達した今日においても命の尊さを司るため行われる儀礼の供え物として用いられている。また、安価の養殖ワカメが大量生産されているにもかかわらず、天然であることで高級贈答品としての社会・文化的価値を生み、経済的価値の高い商品として用いられている。同時に韓国ではワカメが採取できる藻場(岩)は土地と同じく不動産としての価値が付けられている。そのため、ワカメ漁場の所有・利用形態は村ごとに異なり、複雑であるが、ワカメ漁場の所有形態はほとんど共有であり、その利用形態は村民か漁村契員がくじ引きをし、共同で生産・分配するか個人で生産・所有するものとして特徴づけることができる。これはワカメに対する社会・経済・文化的価値が、独特のワカメ漁場の所有・利用形態を作り出していると思われる。なお、漁場面積は減り、漁業者数は毎年減少しているにもかかわらず、ワカメ漁場利用が綿々と続いているのは、ワカメ漁を行う村の生業形態が専業ではなく半農半漁であることと、ほとんどが海女によってワカメ漁が行われていることを明らかにした。
著者
四方 由美 福田 朋実 Yumi SHIKATA Tomomi FUKUDA
出版者
宮崎公立大学人文学部
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.33-49, 2016

本稿は、2015年12月28日に行われた「日韓外相会談」に関する新聞報道(2015年12月24日から2016年1月23日の朝日新聞および読売新聞)の分析から、「慰安婦問題」に関する新聞の議題設定の状況を明らかにすることを試みたものである。分析の結果、「日韓外相会談」に関する新聞報道は、この会談が慰安婦問題を「解決」に向かわせる出来事として伝えたこと、慰安婦問題は韓国、米国、北朝鮮など他国との関係においても言及されることなど、いくつかの傾向を導出した。
著者
住岡 敏弘 Toshihiro SUMIOKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.243-256, 2012-03-02

人格教育をめぐる政策としては、「人格教育における連携事業」(Partnership in Character Education Project)が有名である。この事業は、1994年に、クリントン政権のもとで成立した『アメリカ学校改善法』(Improving America's Schools Act)のなかで規定され、人格教育プロジェクトについて州政府に対する補助金規定が盛り込まれた。その後、ブッシュ政権のもとで2002年に成立した『落ちこぼれ防止法』(No Child Left Behind Act)においてもこの事業は引き継がれ今日に至っている。しかし、「人格教育における連携事業」創設以前にも、連邦政府は既に人格教育に対する補助金事業を行っていた。1981年10月には、『シティズンシップの原理の教授に教育分野の包括補助金を使用する権限を付与する法律(An Act to authorize the use of education block grant funds to teach the principles of citizenship)(PL97-313)』が成立し、レーガン政権下での『初等中等教育法』の改正法である『1981年教育統合改善法(Education Consolidation and Improvement Act of 1981)』チャプター2の包括補助金から、シティズンシップ教育プログラムの改善に対して補助金が支出することが可能になったのである。この規定にもとづき、人格教育プログラムの改善にも連邦資金が使われてきたのである。本論では、シティズンシップ教育に対する連邦政府の公的関与に対する本格的な分析の前段階として、同法成立に向け連邦議会で提出された法案ならび公聴会での論議についての確認を行った。
著者
有馬 晋作 Shinsaku ARIMA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.1-17, 2013-03-08

橋下徹氏は大阪都構想実現のため、大阪府知事職を任期途中で辞任し大阪市長選挙に出馬するという前代未聞の行動に出て、2011年12月大阪市長に就任した。その後、大阪都構想実現に向けての市政改革に積極的に取り組んでおり、就任1年が経とうとしている。一方、橋下徹氏が代表の「大阪維新の会」は国政進出を目指し、公約の「維新八策」を掲げ国政新党「日本維新の会」を立ち上げるなど、今や国政レベルの台風の目となっている。本論文は、このように、現在、全国において最も注目されているともいえる橋下徹氏が担う大阪市政について、その政策展開の特色を明らかにするものである。
著者
四方 由美 大谷 奈緒子 北出 真紀恵 小川 祐喜子 福田 朋実 Yumi SHIKATA Naoko OTANI Makie KITADE Yukiko OGAWA Tomomi FUKUDA 宮崎公立大学人文学部 東洋大学 東海学園大学 東洋大学 宮崎公立大学 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities Toyo University Tokaigakuen University Toyo University Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.79-92, 2019-03-08

本稿は、宮崎公立大学人文学部紀要第25巻第1号に掲載の「犯罪報道の共起ネットワーク分析(1)」(以下、前稿)に続き、犯罪報道分析を行い、その結果をジェンダーの視点から考察したものである。週刊誌報道を対象にKHコーダーを用いて頻出語句を抽出した上で、共起ネットワーク分析を行い、事件報道において何がどのように関連付けて伝えられているのか、数量的かつ体系的にとらえることを試みた。犯罪事件の報道において女性被害者、およびその関係者の伝えられ方について特徴を導出することができた。
著者
中別府 温和 Harukazu NAKABEPPU
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.101-130, 2011-03-04

小論の目的は、マヤ・ユカテカの一カトリック村落マニにおける宗教文化統合のあり方を、駆け落ち婚という視点から解明することである。宗教的文化統合は仮説的概念である。「宗教が文化の中心に位置していて、その文化のある部分を濃く、ある部分を弱く色づけている」と仮説的に考えて、社会を調査し分析していくために作成されている。この仮説に立つことによって、宗教現象の諸特性を時間感覚、空間感覚、社会構造、政治経済的態度などの視点から具体的に分析し、宗教現象の科学的解明を試みる。本稿では、宗教現象の一つである婚姻を、調査地マニの人々の駆け落ち婚という視点から聴取調査し、宗教現象と貧しさに関わる一側面を解明した。(1)駆け落ち婚の頻度の高さ(親世代62%、兄弟姉妹の世代51%)、(2)強度の儀礼的形式性(男の家での男と親とのやりとち(「一人で帰ってきたのではない。女を連れている」という慣習的言語表現)、男の両親から女の両親への早々の知らせならびに女の両親による対応(「3日目に再度来訪するように」という慣習的言語表現)、3日目の制裁(「綱での殴打」)・親による許し・結婚の約束、両家族だけによる祝宴など)、(3)当事者の経済的地位(パルセレーロとミルペーロ)の調査分析の結果、駆け落ち婚が貧しさと関連して継続してきていること、また、この慣習はマヤ的な要素を色濃くそなえていることが明らかになった。
著者
森部 陽一郎 Yoichiro MORIBE
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.125-134, 2016-03-11

本論では、メジャースポーツイベント、特にオリンピックを中心に「押し寄せる観客」の問題について考えた。そして、ピクトグラムの特性の理解をおこなった。その特性(非言語情報伝達手段)を踏まえて、2020年開催のオリンピック東京大会で想定される、「押し寄せる観客」に対応するために、ピクトグラムの有効性について考察をおこなった。さらに、今後の展開として、進むIT化とそれを補完する意味でのピクトグラムの活用も示した。
著者
阪本 博志 Hiroshi SAKAMOTO
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.263-282, 2010-03-05

「マスコミの帝王」と呼ばれた評論家・大宅壮一(1900-1970)は、1965年から亡くなる直前まで『週刊文春』誌上で対談を連載し、毎回各界の第一人者との対談をくりひろげた。今日では忘れ去られているといってよいこの対談について筆者の作成した記録を示し、『週刊公論』『改造』などにおける大宅による他の連載対談の記録との比較から、その重要性をうきぼりにする。そしてこの対談の変容をさぐったうえで、考察を加える。
著者
倉 真一 Shinichi KURA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.45-64, 2020-03-06

本稿は、保守系オピニオン誌『SAPIO』における2010 年代の外国人言説を分析したものである。分析の結果、明らかになった点は以下のとおりである。 第一に、2000 年代に現れた移民や外国人を管理する主体としてのネーションは、2010 年代に入っても「外国人参政権法案」や「ヘイトスピーチ」、「年間20 万人移民受け入れ構想」といった政治的争点が浮上するたびに、同誌上において再確認されていった。 第二に、2014 年の特集記事「移民と在日外国人」において、「移民国家ニッポン」というビジョンを実現する統治的主体として、移民や外国人を管理する主体としてのネーションは位置づけられた。外国人や移民が「日本的な価値観や美徳、文化や慣習」を受け入れる(=同化)客体として構築される一方、統治的主体としての「われわれ」=ネーションは、彼らを教導する「寛容な」主体として構築された。 第三に、移民や外国人を管理する主体としての潜在能力を発揮できない(移民や外国人を十分に客体化できない)事態に直面する時、「移民国家ニッポン」というビジョンは揺らぎ、それを実現すべき統治的主体としてのネーションの不安が惹起されることになる。2010 年代後半、特に2018 年の2 つの特集記事を通じて、さらに「移民国家ニッポン」というビジョンの揺らぎ、統治的主体の不全感や無能感へと進んでいった。その結果、特集記事での移民や外国人のイメージも、ポジティブとネガティブ両方を含むものから、外国人犯罪に象徴されるネガティブなイメージのみが前景化していった。 第四に、2010 年代の雑誌『SAPIO』における外国人言説は、同誌の創刊当初の外国人言説を特徴づけていた「混住社会ニッポン」というビジョンの揺らぎとその失効の過程と重なり合う。「移民国家ニッポン」というビジョンとその揺らぎは、『SAPIO』誌上における外国人言説の四半世紀を経た回帰としても把握できるものである。