著者
中村 俊夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.171-183, 1995-08-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
60
被引用文献数
6 4

1950年頃にLibby(1955)によって開発された14C年代測定法は,現在,地質学,地球科学,環境科学,考古学,文化財科学などさまざまな分野で利用されている.この45年の歴史をもつ放射能測定(14Cの放射壊変で放出されるβ線を検出し,14C濃度を知る方法)による14C年代測定法に対し,加速器技術を取り入れた新しい14C年代測定法(加速器質量分析法)が約15年前に開発され,現在全世界で活躍している.ここでは,名古屋大学タンデトロン加速器質量分析計を用いた14C年代測定の現状を概観し,測定される14C年代値の信頼度をさらに向上するための検討課題について,すなわち,試料の採取,試料調製,加速器質量分析法による14C濃度測定などの14C測定上の問題,および14C濃度から14C年代値の算出,その暦年代への較正に至るデータ処理上の問題点について議論する.さらに,14C年代測定法と他の年代測定法との比較について紹介し,タンデトロン分析計の利用の実情と将来計画について概説する.
著者
菅 香世子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.59-75, 1998-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
3 4

伊豆・小笠原弧北部の火山フロントに位置する八丈島火山群は,活動年代が異なる複数の小型成層火山の複合体である.入丈島火山群を構成する各火山の原形と生成順序は,それらの地質と火山地形から推定することができる.八丈島火山群の火山は,安山岩を主体とする火山と,玄武岩を主体とする火山とに分けられ,後者でも活動の後期には安山岩あるいはデイサイトマグマが活動することがある.このため,八丈島火山群では安山岩の産出頻度が高い.また,最近の10数万年間だけでも7~8個の小型成層火山が生成されてきた八丈島火山群は,マグマの上昇径路となる開口割れ目が比較的生じやすい条件下にあるといえる.八丈島火山群は,伊豆・小笠原弧北端部と本州弧との衝突に起因するNW-SE方向の圧縮の影響を多少は受けているものの,基本的には伊豆・小笠原弧で卓越する伸張のテクトニクストの下に置かれていると考えられる.
著者
近藤 玲介 塚本 すみ子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.243-254, 2009-08-01 (Released:2012-03-27)
参考文献数
31
被引用文献数
2 5

北海道北部に位置する利尻火山は,山麓部が新期および古期火山麓扇状地に覆われるが,古期火山麓扇状地の堆積要因や形成年代には不明な点が多い.本研究では,古期火山麓扇状地面が最も広く発達する利尻火山西部において,扇状地堆積物を記載するとともに形成年代を推定した.利尻火山西部の扇状地堆積物は上部と下部の2ユニットに大別され,上部ユニットには複数の層準にレスおよびその再堆積物が挟まれる.これらの層準から試料を採取し,石英微粒子法によるOSL年代測定を行った.この結果と層相の特徴を総合すると,古期火山麓扇状地の下部ユニットは,沓形溶岩流の噴出後から約22 kaまでの間に,沓形溶岩流噴出に伴う不安定斜面形成の影響を受けながら急速に堆積した.そして,上部ユニットは約22 kaから完新世初頭まで,すなわち最終氷期極相期以降の寒冷な気候環境の影響を受けて断続的に堆積し,扇状地を形成したことが明らかとなった.これらのことから,古期火山麓扇状地の地形発達は,利尻火山の活動と気候環境が複合的にかかわりあった結果であることを示す.
著者
町田 洋 新井 房夫 杉原 重夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.19, no.3, pp.233-261, 1980-11-15 (Released:2009-08-21)
参考文献数
63
被引用文献数
34 41

The middle Pleistocene time range is defined here the period before the last interglacial in the Brunhes epoch. In Japan, the Shimosa-Kazusa Groups around the Tokyo Bay in Kanto and the upper part of the Osaka Group in Kinki both represent the standard middle Pleistocene sequences and have been studied in detail. These groups are characterized by the cyclic sedimentation caused by transgression and regression corresponding to climatic changes.The purpose of this paper is to attempt the correlation of the Kazusa Group and the Osaka Group by identification of widespread marker-tephras. Accurate determinations of the refractive indices of volcanic glass, orthopyroxene and hornblende, together with other determinations, have enabled successful characterization for correlation to be made for several tephra layers in southern Kanto and Kinki. The following marker-tephras are found over two districts, resulting in the establishment of several important datum planes in the middle Pleistocene sequences.The vitric tephra called Ks 11, which is sandwiched in the Kasamori Formation and its correlatives in southern Kanto, can be identified as a marker tephra of the Osaka Group called Sakura ash, in the vicinity of Osaka and Kyoto. The estimated age of this tephra, about 450, 000 years, is based on its stratigraphic relationship with the underlying dated tephra, Kinukawa ash (460, 000-470, 000 years). Stratigraphically, it is included in the deposits immediately below the transgressive horizon (Tama-f and Ma 7) and also occurrs in the biozone of Stegodon orientalis in both districts. The vitric tephra called Ku 1, sandwiched in the Kokumoto Formation, is identified and correlated with a tephra called Imakuma I ash. It is included in the deposits immediately above the Brunhes-Matuyama boundary. The very important dated tephra, Azuki ash (870, 000 years), in the Osaka Group, can be correlated with Ku 6C tephra in the lower part of the Kokumoto Formation by their peculiar petrographic properties. Both are sandwiched in the deposits below the Brunhes-Matuyama boundary.From the relationship between the identified tephras and marine sequences, it is concluded that during the period from 700, 000 years to 450, 000 years at least three interglacial-glacial cycles are recorded, and that after 450, 000 years the following major interglacial episodes are indicated; 450, 000YBP, 370, 000YBP, 300, 000YBP, 230, 000YBP, and 130, 000YBP.
著者
春成 秀爾
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.517-526, 2001-12-01
参考文献数
38
被引用文献数
1 2

自然環境の変化,大形獣の絶滅と人類の狩猟活動との関連,縄文時代の始まりの問題を論じるには,加速器質量分析(AMS)法の導入により精度が高くなった<sup>14</sup>C年代測定値を較正して,自然環境の変化と考古学的資料とを共通の年代枠でつきあわせて議論すべきである.後期更新世の動物を代表する大型動物のうち,ナウマンゾウやヤベオオツノジカの狩猟と関連すると推定される考古資料は,一時的に大勢の人たちが集合した跡とみられる大型環状ブロック(集落)と,大型動物解体用の磨製石斧である.これらは,姶良Tn火山灰(AT)が降下する頃までは顕著にその痕跡をのこしているが,その後は途切れてしまう.AT後は大型動物の狩りは減少し,それらは15,000~13,000年前に最終的に絶滅したとみられる.その一方,ニホンジカ・イノシシは縄文時代になって狩猟するようになったとする意見が多いが,ニホンジカの祖先にあたるカトウキヨマサジカが中期更新世以来日本列島に棲んでいたし,イノシシ捕獲用とみられる落とし穴が後期更新世にすでに普及しているので,後期更新世末にはニホンジカおよびイノシシの祖先種をすでに狩っていた可能性は高い.<br>縄文草創期の始まりは,東日本では約16,000年前までさかのぼることになり,確実に後期更新世末までくいこんでおり,最古ドリアス期よりも早く土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧に代表される神子柴文化が存在する.同じような状況は,アムール川流域でも認められている.また,南九州でも,ほぼ同じ時期に土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧(栫ノ原型)に加えて石臼・磨石の普及がみられ,竪穴住居の存在とあわせ定住生活の萌芽と評価されている.豊富な植物質食料に依存して,縄文時代型の生活がいち早く始まったのであろう.しかし,東も西も草創期・早期を経て約7,000年前に,本格的な環状集落と墓地をもつ定住生活にいる.更新世末に用意された新しい道具は,完新世の安定した温暖な環境下で日本型の新石器文化を開花させたのである.
著者
尾田 太良 嶽本 あゆみ
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.341-357, 1992-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
13
被引用文献数
22 26

第四紀古海洋復元のための基礎研究として, 日本列島太平洋側海底の表層堆積物中の浮遊性有孔虫遺骸群集を調べ, 表層水塊との関係を検討した. この結果に基づき, 四国沖, 遠州灘沖, 房総沖および鹿島灘沖の4海域より採取したコアの浮遊性有孔虫化石群集の垂直的分布から, 過去2万年間の黒潮の流路の変遷を推論した.20,000~16,000年前には, 西南日本沖の黒潮の流路は現在より南にあり, 四国沖や遠州灘沖では冷水塊が頻発していた. 15,000~14,000年前には, 黒潮は西南日本沖で南に大きく蛇行し, 黒潮前線は房総沖にあった. その時期には四国沖や遠州灘沖で冷水塊が発生していた. その後, 11,000年前までに西南日本沖では黒潮の影響が強くなった. 房総沖と鹿島灘沖では, 11,000年前頃短期的な寒冷化があった後, 急速に温暖化した. 10,000~9,000年前には黒潮の流軸は本州に近づき, 黒潮前線も北に移動しはじめた. 9,000~6,000年前には黒潮はさらに西南日本に接近し, 黒潮前線は6,000年前に最も北上した. 5,000年前以降, 黒潮は西南日本沖で現在の流路に近づいたが, 4,500~1,500年前には, 房総沖や鹿島灘沖で冷水塊が発達していた.
著者
宍倉 正展
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.17-28, 1999-02-01
参考文献数
29
被引用文献数
4 6

房総半島南部の保田低地には,高位から保田I面,II面,III面,IV面の4面の完新世海岸段丘が発達する.詳細な地形・地質調査の結果,従来,元禄地震時(1703年)の地震隆起に伴い形成されたと考えられていた最低位の保田IV面は,段丘面上の泥炭の年代,歴史的遺物の証拠から元禄地震以前に離水していたことが明らかになった.さらに,地形的証拠と古文書・古絵図の記載から判断すると,保田低地は元禄地震時に沈降したと考えられる.また,保田I面,保田II面は4,350yrs BPより前,保田III面は2,200yrs BPより前に離水しており,いわゆる元禄型地震によって離水した沼面群とは対比できない可能性がある.これは,元禄型地震のたびに保田低地が沈降していることを示唆する.保田面群の成因を大正型地震によるものと考えれば,保田I面の旧汀線高度から,大正型地震の平均再来周期は670年以内であると推測される.
著者
大場 忠道 Banakar Virupaxa K.
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.223-234, 2007-06-01 (Released:2008-08-21)
参考文献数
56
被引用文献数
6 7

深海底堆積物コア中の底生有孔虫殻の酸素同位体比カーブは,これまでに数多く報告されてきた.それらは,過去の気候変化と海水準変動にとって充分に確立された信頼のおける指標である.将来の気候で起こりそうな動向を理解するためには,過去の間氷期の記録において最も温暖であった期間を正確に見極めることが必要である.この総説で,われわれは過去の間氷期の温暖な程度を理解するために,過去42万年間のこれまでに報告された9つの高分解能な酸素同位体記録を比較した.その酸素同位体比の変動から描き出された間氷期の暖かさの順番は,海洋同位体ステージ(MIS)5.5>9.3>11.3>1>7.5である.この間氷期の暖かさの順番は,Lisiecki and Raymo(2005)の標準酸素同位体比カーブと,また南極のEPICAドームCの氷床コアの水素同位体比カーブときわめてよく似ている.とくに,MIS 5.5中の最も温暖な期間における相対的な海水準は,MIS 1の期間よりあるいは現在より,おそらく約7±4m高かったであろう.一方,MIS 11.3は,過去の5つの間氷期の中で最も長い温暖期であることが明らかになった.この観察事実は,温暖化が進行している将来の地球環境を予測するためには,MIS 5.5と11.3の詳細な研究が本質的で重要であることを明瞭に示唆している.
著者
川村 賢二
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.109-129, 2009

第四紀後期の古気候研究において,氷床コアは重要な役割を果たしてきた.特に,南極やグリーンランドで深層掘削された氷床コアからは,温室効果気体の濃度が氷期—間氷期の気候変動を強める方向に変動したことや,氷期の間には急激な気候変動が幾度も起こっていたことを明らかにしてきた.日本が独自に掘削したドームふじ氷床コアからは,気泡の酸素濃度(O<SUB>2</SUB>/N<SUB>2</SUB>)が現地の夏期日射量を物理的メカニズムにより記録していることを用いて,そのオービタルチューニングにより,過去34万年間にわたる年代決定の精度を2,000年程度へと飛躍的に高めることに成功した.この年代は,地球軌道要素からの強制力に対する,グローバルな環境変化のタイミングの把握と,メカニズムの理解に向けた有力な手がかりを与える.ここでは,南極氷床コアから氷期—間氷期変動のメカニズムを考察するために必要となる,気候変動とCO<SUB>2</SUB>変動との関係や,南極の気候変動と他地域の変動との関係,時間スケールの異なる変動間の関連など,筆者がNatureに掲載した論文では省略せざるを得なかった多くの点を含めて解説する.異なる時間・空間スケールの変動を総合的・有機的に捉えることで,南極の気候変動のタイミングが10万年周期の氷期—間氷期サイクルに関するミランコビッチ理論と整合的であることを示す.今後は,第2期ドームふじ氷床コアにより,正確な年代をさらに延ばしていくことと,間氷期前後の詳細な解析が重要になる.
著者
河村 善也 亀井 節夫 樽野 博幸
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.317-326, 1989 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
24 41

The Middle and Late Pleistocene mammalian faunas of Japan are described with new opinions on their succession and relation to the continental faunas. Although fossil materials assignable to early Middle Pleistocene are seemingly scarce in Japan, the fauna of that time is considered to have been transitional between the Early and Middle Pleistocene ones. On the other hand, fossil records which are younger than early Middle Pleistocene are abundant from the mainlands of Japan; viz. the Honshu-Shikoku-Kyushu area.In the middle Middle Pleistocene, the fauna of this area contained a considerable number of taxa which are extant today in the area (about 50%). It was also characterized by a high proportion of endemic species and the predominance of temperate forest elements. From this time to the late Middle Pleistocene, several species disappeared from the fauna; at the same time, immigrants from the continent were scarce. The faunal characters of the late Middle Pleistocene were basically identical with those of the preceding time.In the early Late Pleistocene, no mammal seems to have immigrated from the neighboring continent, and faunal composition was almost consistent with that of the late Middle Pleistocene. The elements of that fauna still persisted in the late Late Pleistocene, apart from the extinction of a few forms. In addition to the fact mentioned above, immigration from the northern part of the continent was recognized in the late Late Pleistocene, although it was restricted to a few large herbivore forms and to a short time duration.The introduction of the continental faunas to the mainlands of Japan during Middle and Late Pleistocene times was not so remarkable as previously inferred. Therefore it becomes doubtful that the faunas of the area were drastically replaced by the immigration of the Choukoutien, Wanhsien and Loess faunas of China during those times.
著者
廣瀬 孝太郎 長橋 良隆 中澤 なおみ
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.157-173, 2014-06-01 (Released:2014-10-24)
参考文献数
43
被引用文献数
1 11

福島県猪苗代湖の湖心部付近において湖底堆積物(掘削深度37.13m, コア採取深度0~28.13 m;深度は湖底面からの深さ)を掘削した.この湖底堆積物コア(INW2012)を模式コアとして,猪苗代湖層と命名する.猪苗代湖層は,岩相層序により,下部・中部・上部に3分される.下部(深度37.13~26.60m)は,砂礫層と細礫や材片を含み上下方向に岩相変化の激しい中粒砂層や砂質シルト層からなる.中部(深度26.60~24.89m)は,全体を通じて上方に細粒化する極細粒砂~シルト層からなり,材片が散在する.上部(深度24.89~0.00m)は,主に明暗縞状に細互層する粘土からなり,それとは岩相から区別されるテフラ層や粘土~砂の薄層などの非定常時の堆積物を挟在する.下部・中部・上部は,それぞれ猪苗代湖形成前の河川成堆積物,猪苗代湖形成初期の湖成堆積物,現在と同程度の大水深環境下で形成された湖成堆積物と解釈される.挟在するテフラ層のうち6層は,層相と岩石学的検討に基づき,下位よりAT, As-K, To-Cu, Nm-NM, Hr-FA, Hr-FPに対比した.また,堆積物中の材片の14C年代値と岩相層序から,猪苗代湖が湖として成立したのは約42,000年前であり,猪苗代湖層上部の堆積速度は0.3?1.0mm/yrとなる.
著者
青木 賢人
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.189-198, 2000-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
31
被引用文献数
4 10

木曽山脈北部の千畳敷カールおよび濃ヶ池カールのカール底に分布するターミナルモレーン上に露出する複数の巨礫に対し,宇宙線生成核種の一つである10Beを用いた露出年代測定法を適用し,モレーン構成礫の生産年代を測定した.AMSによる10Be測定から得られた露出年代値の多くが17~19kaを示し,両モレーンは最終氷期極相期に形成されたことが示された.また,両モレーンは構成礫の風化皮膜の厚さが等しく,モレーン構成礫の風化皮膜の厚さを用いた相対年代法(WRT年代法)による年代推定結果と矛盾がないことが確認された.
著者
藤根 久 遠藤 邦彦 鈴木 正章 吉本 充宏 鈴木 茂 中村 賢太郎 伊藤 茂 山形 秀樹 Lomtatidze Zaur 横田 彰宏 千葉 達朗 小杉 康
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.55, no.6, pp.253-270, 2016-12-01 (Released:2017-01-12)
参考文献数
46
被引用文献数
3

有珠火山の南麓には善光寺岩屑なだれ堆積物(Zd)が多数の流れ山をなして分布する.Zdは従来,9kaから6kaに発生した有珠山外輪山の崩壊によるとされてきた.海岸の近くの岩屑なだれの流れ山に囲まれた標高約4.5mの低地においてボーリングコアを2本採取し,その層序,年代,堆積環境,植生変遷を検討した.両コアはほぼ岩相が同様で,標高+2~-6mにわたり連続的に泥炭層および有機質シルト・粘土層が見られた.AMS法による14C年代測定の結果,最下部の有機質シルト・粘土層から20calkaBP頃の年代が得られた.泥炭層下部には15calkaBP頃に濁川カルデラから飛来した濁川テフラ(Ng)が,泥炭層中部には駒ヶ岳から6.6calkaBPに飛来した駒ヶ岳gテフラ(Ko-g)が,同上部には白頭山苫小牧火山灰(B-Tm)などのテフラが認められた.コアの基底には洞爺火砕流堆積物(Toya(pfl))と同質の軽石に富む軽石質火山灰層が捉えられた.珪藻化石は,20~10calkaBPに湖沼~沼沢湿地が継続し,10calkaBP頃に沼沢湿地に移行し,以後0.4calkaBPまで継続したことを示し,先行研究で明らかにされている最終氷期から完新世にかけての北海道の植生変遷と矛盾しない.花粉化石は,20~15calkaBPに亜寒帯性針葉樹林が卓越し,15calkaBP頃からカバノキ属が増大する移行期を挟み,10calkaBP頃に温帯落葉広葉樹林へと推移したことを示した.以上から,2本のコアの泥炭層および有機質シルト・粘土層は,Zdの岩屑なだれで閉塞された凹地に形成された湖沼~沼沢湿地の堆積物で,岩屑なだれの発生は20calkaBPのLGM(最終氷期最寒冷期)の頃である可能性が極めて強い.また,有珠外輪山の活動は20calkaBPより以前に始まって山体を形成していたことになる.
著者
松下 まり子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.301-310, 2002-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
33
被引用文献数
3 10

大隅半島肝属平野における完新世堆積物(KYコア)の花粉分析を行い,肝属川流域の照葉樹林の発達過程を明らかにし,6,500yrs BPに起こった鬼界アカホヤ噴火の植生への影響について考察した.検出されたおもな木本花粉の産出状況に基づき,下位よりKY-I,KY-II,KY-III,KY-IVの4つの花粉化石群帯が区分された.これらに対応して4つの森林期,すなわち古い方から落葉広葉樹林期,エノキ-ムクノキ林を伴う落葉広葉樹林-常緑広葉樹林移行期,照葉樹林(シイ林)期,照葉樹林(シイ-カシ林)期が設定された.当地域での照葉樹林の発達は,9,200yrs BPのKY-II帯に始まっており,シイを主体とする照葉樹林は8,000yrs BPに成立し,鬼界アカホヤ噴火に至るまでの1,500年間安定して繁栄を続ける(KY-III帯).鬼界アカホヤ噴火により一旦途絶えた森林は6,200yrs BP(6,570yrs BPを大気-海水リザーバー効果補正)にはすでにシイ-カシ林として回復し,4,000yrs BPまで維持される(KY-IV帯).当地域は,幸屋火砕流(K-Ky)到達域の北限に位置し,火砕流堆積物の厚さや分布は一様でなく,したがって鬼界アカホヤ噴火の影響も一律ではなかったであろうが,肝属川流域全体をみると,照葉樹林は比較的早く,少なくとも100~300年程度で回復したものと思われる.
著者
鳴橋 龍太郎 須貝 俊彦 藤原 治 粟田 泰夫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.43, no.5, pp.317-330, 2004-10-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
27
被引用文献数
7 9

プレート内部の活断層における活動間隔の規則性を検討する目的で,桑名断層の完新世活動史を群列ボーリングコアの層相解析およびコア中の82個の14C年代測定結果を基に復元した.断層を挾んだコア間において,対比線(等時間線)を多数認定し,対比線に挾まれた同時代地層の層厚を比較することによって,約7千年前以降に少なくとも6回の断層変位イベントが解読された.さらに,高精度でイベントの回数と時期を検出するため,沈降(下盤)側と隆起(上盤)側それぞれの堆積速度の時間変化を詳しく比較・検討した.その結果,下盤側の堆積速度が上盤側のそれとほぼ等しい時期(A)と,前者が後者より有意に大きい時期(B)とが交互に現れることが判明した.(A)から(B)への変化は断層変位の発生時期を,(B)は断層崖が埋積されていく期間を示すと判断される.この解釈に基づくと,桑名断層には過去約7千年間に,有史以降の2回を含めて6ないし7回の活動を認定しうる.そして,桑名断層の活動間隔は平均約1,000年,平均変位速度は約1mm/yであるといえる.
著者
ブルーム アーサー 朴 龍安
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.77-84, 1985
被引用文献数
37

韓国の黄海沿岸に位置するたくさんの小さい入江 (三角江) は, 20世紀初期以来, 干拓が行なわれてきた. これらの入江では, 薄い水田土壌及び河成の堆積物の下に, 有機質に富む河口成堆積物が風化した基盤の砕屑物を覆っている. 河口成堆積物の基部約15cmは, とくにたくさんの流木の破片を含み, これは完新世海面上昇期の高潮位に形成された泥炭質泥層と混ざっている. これらの基底付近の河口成泥層のうち, 8試料の<sup>14</sup>C年代が得られた. その年代と深度に基づいて韓半島黄海沿岸における完新世海水準変化曲線が復元された.<br>8,600y.B.P.から4,800y.B.P.の間, 韓国の黄海海岸は約1.6mm/年の平均速度で沈水した. その後, 沈水速度は約0.4mm/年に減少した. 韓国南東部の浦項-梁山地塊は, その東岸を一連の海成段丘で縁取られている. これらの海成段丘の年代はまだわからないが, おそらく少くとも最終間氷期 (約125,000年前) にさかのぼると考えられる. 後期更新世のこの地塊の隆起速度は約0.1m/1,000年と推定される.
著者
檜垣 大助
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.27-45, 1987-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
57
被引用文献数
10 6

In this paper mass movement and slope formation in the central Kitakami Mountains are discussed with special reference to their periods. Many tephra layers of the late Quaternary found in the study area enable to study the periods of mass movement and slope formation tephrochronologically (Fig. 2).The slopes are classified as follows (Fig. 3). (1) gentle slopes on the summits, (2) piedmont gentle slopes, (3) fan-like gentle slopes, (4) smooth crest slopes, (5) upper head hollow slopes (continuing smoothly from the surrounding slopes), (6) lower head hollow slopes (smaller than (5), surrounded by clear breaks in slopes), (7) talus and alluvial cone, (8) other slopes. In the study area two periods of mass movement, chiefly by solifluction, are confirmed during the Last Glacial.The first period was in the early Last Glacial Stage, perhaps around 50, 000y.B.P., and the second was in the late Glacial Stage, between 30, 000 and 10, 000y.B.P..These periods of mass movement correspond to those of the involutions under periglacial climate in the Northern Kitakami Lowland area (Endo, 1977) (Fig. 7).In the study area not only were well-jointed bedrocks such as shale, slate, and schist susceptible to frost shatterin, bnt also fallen volcanic ash and soil produced from deep weathered bedrock were also susceptible to solifluction.Gentle slopes on the summits and smooth crest slopes have been formed by bedrock frost shattering and solifluction in these periods of mass movement by surface processes. Gentle piedmont slopes have been formed by solifluction. Upper head hollow slopes were developed as smoothly concave profiles by debris accumulation. Fan-like gentle slopes were developed chiefly by slope wash (partly by solifluction in the Last Glacial Stage) at the same time.Most of the piedmont gentle slopes and fan-like gentle slopes began to form in the early Last Glacial Stage or in the cold period before the Last Interglacial Stage, and the deposits of the late last Glacial Stage, which is generally recognized as the maximum period of the last Glacial Stage in Japan, are only 0.5-2.0m thick.During the warming period from the latest Pleistocene to Holocene, landslides have formed lower head hollow slopes and alluvial cones have been formed at the outlet of valleys with small river basins.
著者
岩田 修二
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.275-296, 2014
被引用文献数
3

日本アルプスの氷河地形研究における転向点1(1940年)は,発見時代の多様な氷河地形を今村学郎がアルプス型氷河地形だけに限定した時点である.転向点2(1963年)は,空中写真判読による日本アルプス全域の氷河地形分布図を五百沢智也が発表した時点である.その後,日本アルプスの氷河地形研究は大きく進展したが,転向点3(2013年)は,「地すべり研究グループ」によって複数の氷河地形がランドスライド地形と認定された時点である.転向点3以後における日本アルプスの氷河地形研究の課題は:1.露頭での詳細調査による氷河堆積物とランドスライド堆積物との識別,2.白馬岳北方山域での氷河地形とランドスライド地形との峻別,3.白馬岳北方山域での山頂氷帽の証拠発見,4.剱岳の雪渓氷河や後立山連峰のトルキスタン型氷河がつくる氷河地形の解明である.つまり,急峻な山地での氷河による侵食・堆積作用とその結果できる地形を見直す必要がある.
著者
河村 善也
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.251-257, 1998-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
29
被引用文献数
20 39

第四紀における日本列島への哺乳類の移動を本州・四国・九州と北海道,琉球列島という3つの生物地理区に分けて考察した.本州・四国・九州地域では,長鼻類化石の生層序学的研究によって,次の3種のゾウが最初に出現した時期が明らかにされている.すなわち,シガゾウの出現は1.2~1.0Ma頃,トウヨウゾウの出現は0.5Ma頃,ナウマンゾウの出現は0.3Ma頃である.これらのゾウの出現は,それらが近隣の大陸地域から移入してきたことを示し,またそのような移入を可能にする陸橋の形成を示唆する.ナウマンゾウの移入期以後,本州・四国・九州地域は大陸や北海道からずっと隔離されてきたと考えられる.北海道では,化石の記録が本州・四国・九州よりはるかに少ない.北海道の後期更新世の哺乳類は,ナウマンゾウ,プリミゲニウスゾウ,ヤベオオツノジカといった3種の大型草食獣で代表される.そのうち,ナウマンゾウとヤベオオツノジカは,本州・四国・九州地域から0.3Ma頃に移入した可能性があり,プリミゲニウスゾウは後期更新世後半にシベリアからサハリン経由で移入したと考えられる.琉球列島では,更新世の化石記録は大部分が後期更新世のものである.琉球列島北部の後期更新世の動物相では固有の要素が卓越しているが,それらはおそらく更新世以前にこの地域に移入したものであろう.琉球列島南部の後期更新世の動物群は,中期あるいは後期更新世に移入した種類と,より早い時期に移入した種類から成り立っている.
著者
森脇 広 松島 義章 町田 洋 岩井 雅夫 新井 房夫 藤原 治
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.253-268, 2002-08-01
被引用文献数
2 7

姶良カルデラ北西縁の平野を対象に,完新世の地形発達および相対的海水準変動,地殻変動を,地形と堆積物の観察,<sup>14</sup>C年代測定,テフラ分析,考古遺跡,貝化石と珪藻化石の分析結果にもとづいて検討した.3面に区分される完新世海成段丘は,それぞれ7,300cal BP(6,500yrs BP)~3,500yrs BP,3,000~2,000BP,古墳時代(1,500cal BP)以降に形成された.姶良カルデラ周縁では,カルデラ中心部へ向かって傾き上がる傾動隆起が生じ,その隆起量は7,300cal BP(6,500yrs BP)以降,最大10m以上に達する.この地域の海面高度は8,700cal BP(8,000yrs BP)頃には現海面高度にあり,現海面上4~5m(8,500~8,400cal BP:7,700yrs BP頃),現海面上6m(8,100cal BP:7,300yrs BP頃)を経て,7,300cal BP(6,500yrs BP)頃に現在の海抜12mの高さに達した.その後,海面は次第に低下し,現海面上5~7m(3,000~2,000yrs BP),現海面上2~3m(1,500cal BP)を経て現在に至った.この特異な相対的海水準変動は,姶良カルデラの火山活動に伴う地殻変動が影響しているとみられる.8,100~8,000cal BP(7,200~7,300yrs BP)には,海進は内陸深く及び,溺れ谷が形成された.この時期,米丸マールを形成したベースサージは,別府川流域の内湾を大きく埋積した.その後,汀線は段階的に前進し,縄文時代後期(3,500yrs BP頃)には現在の海岸に近い位置にまで達した.約8,000~7,000cal BP(約7,300~6,000yrs BP)の時期に,池田カルデラ,桜島,鬼界カルデラでも大規模な噴火が起こり,縄文海進最盛期に形成された南九州のリアス式海岸は急激に変化した.