著者
加賀美 英雄 満塩 大洸 大和 雄一
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.271-283, 1992-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
52

南海前弧スリバーはフィリピン海プレートの北の境界に発達するマイクロプレートである. これは, 百万年前頃から南海トラフに沿ってフィリピン海プレートが斜めに沈み込むことによって形成されたのである. この新しい沈み込みサイクルは四国の海岸地域を隆起させ, 四国山地を形成した. 四国山地の麓と高知海岸平野の間にある城山層の層序と堆積岩相の研究から, 本層の下部はアルプス造山における赤色モラッセと類似の赤色礫岩相の河成堆積物よりなり, 中部は大規模な扇状地堆積物よりなり, 上部は高位段丘堆積物よりなることを示した.大陸棚盆地と土佐前弧海盆に分布する竜王層は, 500mの厚さと四国山地に匹敵する分布範囲を示すが, この堆積物は隆起した四国山地のみからきたものである. 本層は南海トラフの底にある海溝埋積タービダイトも含めて, シーケンス層序学の低位堆積体を代表している. それゆえ, 本層は四国山地の初期曲隆にともなう海成モラッセといえる. 南海前弧スリバーは繰り返し隆起し, その各サイクルはフィリピン海プレートの新規沈み込みに対応した. 海岸山脈の隆起の機構は付加体の深部における延性変形流動か, 付加体の断層変形または脆性変形であろう. 南海トラフや四国山地における野外観察は, 付加体深部での活褶曲のような延性変形を支持している.
著者
高島 勲
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.209-220, 1995-08-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
25
被引用文献数
12 9

熱ルミネッセンス(TL)年代測定の最近の研究動向を紹介し,火山岩中の石英による測定法と年代精度にかかわる項目を解説した.測定法では,赤色発光の利用,生長曲線によるパレオドースの決定,人工照射と天然TLの関係を議論した.年間線量評価では,元素分析と放射線現地計測を比較し,元素分析値から年間線量を算出する場合の水分量,元素移動,宇宙線量を見積もる方法を示した.同一地層についてのほかの手法による年代データとの比較から,TL法は数千年から百万年までの年代範囲を20%程度の精度で求められることを明らかにした.誤差要因が多いことから,TL法を精密年代決定法として利用することは困難であるが,注意深い実験で10%以内の誤差におさめることは可能である.TL法の利点は,測定が簡単で,桁違いとなるような大幅誤差例が少ないことであり,第四紀火山の活動史復元等への利用が最適である.
著者
大村 明雄 太田 陽子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.313-327, 1992-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
34
被引用文献数
8 4

琉球列島の喜界島・波照間島・与那国島および大東諸島の南・北両大東島に発達する更新世サンゴ礁段丘の地形層序と段丘構成物の生相および岩相解析, さらにサンゴ化石のウラン系列 (α-spectrometric 230Th/234U) 年代測定結果を総括した. それによって, 各島々で後期更新世における高海水準期 (酸素同位体ステージ7, ステージ5およびステージ3) の汀線を認定し, それらの現在の高度と Chappell and Shackleton (1986) による古海面変化との比較から, 例えば島の誕生時期・その後の隆起量および速度・傾動の方向などを含めた地殻変動史の点で, 5島それぞれが極めて個性的なことが明確になった.
著者
米田 穣 吉田 邦夫 吉永 淳 森田 昌敏 赤澤 威
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.35, no.4, pp.293-303, 1996-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
49
被引用文献数
14 16

本研究は,縄文時代中期(4,000年前頃)から江戸時代(250年前頃)にわたる8遺跡から出土した人骨38個体を試料として,骨コラーゲンの炭素・窒素同位体分析および骨無機質における微量元素分析を行い,その結果に基づいて長野県における約4,000年間におよぶ食性の時代変遷を検討したものである.結果として第1に,同位体分析から,当地域では縄文時代中期から江戸時代に至るまで主食は基本的にC3植物であったと考えられる.縄文時代から中世にかけては,非常に強くC3植物に依存していたのに対し,江戸時代には海産物の利用の可能性が示唆された.内陸部で庶民の日常食として重要だったと論じられている雑穀類に関しては,今回の分析試料ではC4植物である雑穀を主食とした個体は検出されなかった.また,炭素同位体比から縄文時代北村遺跡出土人骨17個体について食性に性差の存在する可能性が示唆された.第2に,北村縄文人骨1個体で実施した微量元素分析からは,同位体分析で示唆されたC3植物食の内容がシイ・クリを中心とする可能性が示唆された.
著者
百武 松児
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.253-258, 1996-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
5
被引用文献数
2

1955(昭和30)年頃に始まる新潟地域の著しい地盤沈下は,新潟市の臨港地域を中心に,浸水などの被害をもたらした.この対策と原因究明のため,「新潟地区地盤沈下対策調査委員会」,「科学技術資源調査会の新潟地盤沈下特別委員会」が設置され,検討された.その結果,「地盤沈下の原因は種々考えられるが,天然ガス採取に伴う地下水の急激なる過大の汲み上げが主原因である」と結論され,その対策が講じられた.この間,多くの関係者から出された地盤沈下の原因にかかわる議論を紹介し,また天然ガス採取法の開発とその現状についてふれた.
著者
中里 裕臣 佐藤 弘幸
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.251-257, 2001-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
51
被引用文献数
20 29

下総層群は,年代値の得られているテフラの対比および酸素同位体比曲線との対比から約45万年前~8万年前の年代を占める.各累層境界は陸成層や不整合の存在から海面低下期に対応する.千葉県の木更津-姉崎地域で確立された下総層群の標準層序は,テフラの追跡・対比により木更津市以北の千葉県北部全域に適用できる.成田市-東金市以東の千葉県北東部において,従来上総層群に対比されていた塊状シルト層の上部は,テフラの対比によって地蔵堂層に対比され,その堆積深度はより南西側の地蔵堂層に比べ深い.したがって,地蔵堂層堆積期までには,この地域における“鹿島”隆起帯の顕著な活動は認められない.さらに,下総層群の各累層基底面等高線図から,これらの面の傾動速度の経時変化を求めると,地域によって違いが認められる.その境界は千葉-八潮断層の延長線,成田-多古を結ぶライン,利根川沿いにあると考えられ,鹿島-房総隆起帯の運動にブロック化が認められる.特に千葉県北東部は藪層堆積期に急激な傾動を受けた.“鹿島”隆起帯が顕在化する時期は藪層堆積期であり,その影響によりこの地域ではバリヤー島システムが形成された.
著者
松浦 秀治
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.49, no.5, pp.293-298, 2010-10-01 (Released:2012-03-27)
参考文献数
14
被引用文献数
1 1

第四紀の定義が改訂され,ジェラシアン期を含むように引き下げられることになった背景には,「ホモ属の出現」が暗黙の了解事項として存在していたが,本報告では,「初期ホモ属」という用語に関する今後の定義再検討,あるいは新しい標本の発見如何によって,必ずしも「ホモ属の出現時期はジェラシアンの基底に近い」とは言えなくなる可能性を指摘した.また,人類最初の出アフリカ(Out of Africa)による分布拡大の時期と様相に関しては,インドネシア・ジャワ島の初期人類,また,中国の元謀出土人切歯や泥河湾馬圏溝出土石器が,それぞれオルドヴァイ正亜磁極期近くに遡るという主張と相まって,「150万年前以前のカラブリアン初期における東方アジアへの人類拡散」は,近年の人類進化史観におけるひとつの「general model」になっていた.しかし,その基盤は脆弱であり,再考を要するものであることを示唆した.
著者
近藤 恵
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.171-174, 1993-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
32

日本の在来馬の起源については, 様々な議論がなされてきた. 特に, 縄文時代におけるウマの存否に関しては, 実際に縄文遺跡からウマ遺存体が出土している例が少なくないことを根拠とする存在説に対して, 近年の精密な調査において, 確実に縄文時代に遡る出土例がみられないことから, 存在説に疑問が投じられ, 他にも文化的見地や遺伝学的調査から不在説が支持されている. 著者らは, この問題を解決する一助として, 縄文遺跡から出土したウマ骨資料について, 理化学分析により年代の検証を試みている. 本報告は, 千葉市木戸作遺跡出土ウマ遺存体に関して, 下田 (1979) による化学分析の結果を基に, 今回新たに分析したデータを加えて, フッ素年代判定法により年代の再評価を行ったものである. その結果, このウマ遺存体は縄文時代のものではなく, 縄文後期の貝層へ後世に混入したものであると判定された. 他の遺跡から出土したウマ遺存体に関する年代学的研究においても同様の結果が示されており,「縄文馬」の存在については, 再検討する必要がある.
著者
吉岡 敏和
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.97-109, 1987-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
32
被引用文献数
3 1

The Kyoto Basin, which is situated in the central part of the Kinki district, is delineated by several active faults along its eastern and western rims. This paper describes the faulted terrace surfaces and the distribution of the Quaternary deposits in order to estimate the activity of the faults and the tectonic development around the Kyoto Basin. The basin formation model that explains the topographic features around the basin is also discussed. The findings are summarized as follows.The active faults along the eastern rim of the Kyoto Basin are characterized by right lateral movements, and those along the western rim by left lateral movements. These faults show younger activity in the northern part of the basin, and older activity in the southern part.The Osaka Group, Pliocene to Pleistocene in age, is distributed in and around the Kyoto Basin. Its accumulating area migrated northward during the Pleistocene. This migration is considered to be the result of a northword shift of the fault activity.The mechanism of basin formation during the Quaternary is explained by a model in which the compression between the Shigaraki Plateau block, situated east of the Kyoto Basin, and the Hokusetsu Mountains block, situated west of the basin, caused northward movement of the Tamba Mountains block and subsidence of the Kyoto Basin.
著者
佐藤 裕司 加藤 茂弘 井上 史章 兵頭 政幸
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.5, pp.401-410, 1999-10-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
34
被引用文献数
4 5

兵庫県,播磨平野東部の加古川市都台において,海成粘土を挾む段丘堆積層を新たに見いだし,層相からI~IVの4つの堆積ユニットに区分した.珪藻分析の結果からみた堆積環境は,ユニットIが淡水成,ユニットII・IIIが海成または汽水成,ユニットIVが陸成で,段丘堆積層は海進・海退の1サイクルを示す.ユニットIII中に挾在する加古川火山灰は,岩石記載的特徴の一致から,大阪平野地下のMall(2)層中の甲子園浜I火山灰や,215kaに降下したと推定される琵琶湖高島沖ボーリングコア中のBT51火山灰に対比された.したがって,段丘堆積層のユニットII・IIIはMall(2)層に対比でき,酸素同位体ステージ7.3における相対的高海面期に堆積した可能性が高い.また,層相と珪藻遺骸群集の種組成に基づいて,火山灰層準が旧汀線と認定され,当時の汀線高度が現在の海抜約44mにあることがわかった.この旧汀線高度と加古川火山灰の推定降下年代から,当地点における215ka以降の平均隆起速度は0.2~0.3mm/年と推定される.
著者
加藤 茂弘 佐藤 裕司 松原 尚志 兵頭 政幸 檀原 徹
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.5, pp.411-417, 1999-10-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
23
被引用文献数
6 5

六甲山地西麓に分布する明美累層高塚山部層に挾在する高塚山火山灰層から0.41±0.12Maのフィッション・トラック年代を得た.高塚山火山灰層の岩石記載的特徴は,大阪層群のMa9層最下部に挾まれる港島II火山灰層のそれにほぼ一致し,両火山灰層の対比を支持する.さらに高塚山火山灰層は,岩石記載的特徴と降下年代の類似性から,約0.39Maに噴出したと推定される琵琶湖高島沖ボーリングコアのBT76火山灰層に対比される可能性が高い.高塚山火山灰層の年代と対比結果から,高塚山部層に挾在する海成層は大阪層群のMa9層に対比でき,酸素同位体比ステージ11に相当する時代に堆積したと考えられる.
著者
大森 博雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.63-76, 1975-06-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
11
被引用文献数
3 1

Erosional low-relief surfaces on the mountains of the Oshima Peninsula are divided into two levels. The higher surface is called the Matsumae surface and the lower one is called the Kikonai surface in the Matsumae Peninsula of the southern part of the Oshima Peninsula. Coastal terraces spread below and around these erosional low-relief surfaces. The Esashi district is one of the areas where coastal terraces are typically developed in the Oshima Peninsula. The author discussed the physiographic development and the crustal movement of the Esashi district.The coastal terraces in the Esashi district are classified into five surfaces as follows:Esashi surface (Pleistocene); 340-140m a. s. l., 1500m wide.Oyama surface (Pleistocene); 170-80m a. s. l., 2000m wide.Ohma surface (Pleistocene); 80-40m a. s. l., 500m wide.Jinya surface (Pleistocene); 45-20m a. s. l., 250m wide.Kitamura surface (Holocene); 12-8m a. s. l., 100m wide.The Esashi surface is presumed to have been formed by the transgression over the Kikonai surface which was the lower erosional low-relief surface.The Oyama surface is the widest marine erosional surface in the Esashi district. This terrace was formed by the transgression over the Esashi surface which was gently sloping toward the sea.The Ohma surface was formed by the transgression with larger than 20m rise of the sea level. The coast at that time, however, was a ria coast.The Jinya surface was formed about 30, 000 years B.P. At that time, the rise of the sea level was larger than 7m. It is suggested that the minor transgression took place at the Würm interstade about 30, 000 years B.P.The Kitamura surface was built by the Postglacial transgression with larger than 50m rise of the sea level. A part of the Kitamura surface is presumed to be a marine terrace formed by a minor transgression about 3, 000 years B.P.From the height of the old shorelines of these terraces, the crustal movement of the tilting toward the north in the area of Palaeozoic sedimentary rocks, the warping in the area of Miocene sedimentary rocks in the Esashi Hill of the northern part of the Amano River and the tilting toward the south in the Kaminokuni Hill of the southern part of the Amano River are recognized. The crustal movement is presumed to become relatively active after the period between the formation of the Oyama terrace and that of the Ohma terrace.
著者
成瀬 敏郎
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.75-93, 2014
被引用文献数
1

これまで著者は,乾燥地域や氷河末端から風で運ばれる風成塵とその堆積物であるレスについて,日本列島をはじめ,中国,韓国,ヨーロッパ,イスラエル,アメリカ合衆国,ニュージーランドなどのレス地帯を調査し,レスの分布,研究史,堆積時期,気候変動とのかかわりを研究してきた.本論では,レスの研究史,レスの分布と堆積時期,風成塵の同定に ESR 酸素空孔量(以下,酸素空孔量とする)分析が有効であること,風成塵・レスの堆積量や粒径などが過去の風の強さを復元するのに有効であること,完新世土壌の母材に占める風成塵の役割の重要性について述べた.さらに中国と韓国の旧石器編年・対比にレス-古土壌による編年法が有用であること,日本列島において MIS 6 のレス層に前期旧石器が包含されていることを述べた.
著者
松下 まり子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.375-387, 1992-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
68
被引用文献数
13 11

日本列島太平洋岸における完新世 (後氷期) の照葉樹林の発達史について, 各地で報告されている花粉分析結果を検討し, 主に黒潮との関連で考察した. 房総半島以南の太平洋沿岸地域では, 完新世の初期から照葉樹林が成立し, なかでもシイ林の発達が顕著にみられた. とくに伊豆半島や房総半島南端で照葉樹林の発達が良く, その成立, 拡大時期も早かった. これらの地域は早くから黒潮の影響を受け, 冬季温暖かつ湿潤であるといった海洋気候が照葉樹林の発達をより促したと考えられる. 照葉樹林は, 急激な温暖化とともに九州南端から日本列島を北上したが, 一方で黒潮の影響を受ける沿海暖地からもその分布を拡大していったことが推定された. また太平洋沿岸地域における照葉樹林は, 完新世初期に3回の拡大期をもって発達した.
著者
奥田 昌明 安田 喜憲 瀬戸口 烈司
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.287-295, 1999-08-01

ギリシャ南島部コパイ湖の最終氷期に多産するキク亜科化石花粉について詳細な研究を行った結果,おもに<i>Matricaria</i>型および<i>Centaurea</i>から構成されていることが明らかとなった.この組成は,トルコのアナトリア高原南西部から報告されている後氷期の花粉組成ときわめてよく似ている.このことは,トルコの高原地帯における完新世の植生が,ギリシャ南部海岸低地における最終氷期植生の相似型となりうる可能性を示している.
著者
近藤 錬三 佐瀬 隆
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.31-63, 1986-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
246
被引用文献数
22 35
著者
米倉 伸之 辻 誠一郎 岡村 道雄
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.5, pp.283-286, 1997-12-01
参考文献数
4
被引用文献数
1

The aims of the symposium &ldquo;Termination of Last Glaciation and the Formation and Development of Jomon culture in Japan&rdquo; are to clarify (1) what changes have occurred in natural environments in and around the Japanese Islands from the Last Glacial Maximum to the Postglacial periods, (2) what changes have occurred from Late Paleolithic culture to Jomon culture in terms of the relationship between natural and cultural environments, in paticular changes in coastal and land ecosystems and ways of human life, and (3) how and when the Jomon culture was established in terms of natural environmental changes.<br>The symposium consisted of three different parts: (1) Last Glacial Maximum (the age of upper Paleolithic culture, 20-15ka), (2) a transition period from Late Glacial to Postglacial (the age of formation of Jomon culture, 15-10ka), and (3) Postglacial period (the age of the development of Jomon culture, after 10ka). The topics were presented by three speakers for each part from the viewpoints of geology, paleoecology, pedology, and archeology.<br>The topics of presentations in the symposium are the following: Upper Paleolithic culture in Japan and East Asia (Masao Ambiru); Spatial distribution of the vegetation around the Last Glacial Maximum in Japan (Mutsuhiko Minaki); Paleoenvironmental changes of the Japan Sea since the Last Glacial period (Ryuji Tada); A land ecosystem in the transition to the Jomon age (Sei-ichiro Tsuji); The formation of Jomon culture in the Southern and Northern parts of Japanese Islands (Michio Okamura); Soil formation and the environmental change (Kan-ichi Sakagami); Development of Jomon villages (Yasuhiro Okada); Forest vegetation and utilization of wood during the Jomon period in Japan (Mitsuo Suzuki and Shuichi Noshiro), and Jomon agriculture: retrieval of evidence (Masakazu Yoshizaki). The discussions in the symposium have focused on the relationship between the changes in natural environments and ways of human life, in particular the change of land ecosystems and the utilization of natural resources.<br>The state of the art in studies of the natural environmental changes from the termination of the Last Glacial to the Postglacial and their relations to the regional development from the upper paleolithic culture to the Jomon culture in Japan are reviewed from various viewpoints, and future tasks of research are presented.
著者
岡村 道雄
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.5, pp.319-328, 1997-12-01
参考文献数
37
被引用文献数
1 7

人類活動と自然環境の因果関係を研究するためには,地域的に両者の実像と変遷を捉えなければならない.特に,人類活動に大きな影響を与える因子に,気候と動植物相が考えられるが,それらの日本列島内での時空的な実態はほとんど明らかにされていない.ここでは,両者の関連が考察でき,自然環境と道具の組み合わせに地域性が認められる九州南部,東海東部から関東,中部・信濃川中流域,北海道を中心に分析してみた.晩氷期に南九州・四国南岸から南関東の太平洋沿岸部に,クリ・クルミ・ドングリ類が実る中間温帯林,豊かな縄文的な森が形成されはじめ,植物性食料の採取・加工に磨石・石皿・土器など,森に増殖しはじめたシカ・イノシシなどの狩猟に落とし穴や石鏃が用いられはじめた.一方,列島の北半は,完新世になっても旧石器時代的な寒冷気候が継続し,北アジアと同一歩調で細石刃が発達した.本州では少量の土器が用いられるが,木の葉形の石槍,打製石斧,有舌尖頭器を用いた狩猟を中心とした生業が続き,本州中部を境に北と南の縄文文化が成立した.