著者
上羽 陽子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010 (Released:2010-08-23)

本研究は、ものづくりの「作りの手個人の創意工夫」や「伝統的技術の戦略的継承法」に実践的にアプローチし、その製作と流通の歴史を掘り起こすことによって、「伝統的」とされてきた手工芸品の社会・文化的意義をめぐる従来の視点を大きく変えることを目的とした。成果としては、南アジアの染織技術の特質について、インド西部やネパールなどの事例から明らかにした。
著者
近藤 雅樹 佐々木 史郎 宇野 文男 宮坂 正英 熊倉 功夫
出版者
国立民族学博物館
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2002 (Released:2002-04-01)

平成17年度は北欧・東欧・ロシア(サンクトペテルブルグ)に所在する博物館のコレクションを重点的に調査し、近藤・佐々木・水口千里(研究協力者)・宮坂がその中心となり、コペンハーゲンとストックホルムでの調査に伊藤廣之(研究協力者)・藤井裕之(同)が参加した。また宮坂と小林淳一(研究協力者)がライデンとミュンヘンにおいて川原慶賀の作成した動植物の標本画と風俗画の調査をおこなった。ストックホルムでは国立民族学博物館が所蔵するツンベリーの収集資料(100点余)を調査し、金属製ボタン12点などを確認した。彼が持ち帰ることができた資料は小さなものばかりだった。日本資料とされる秤量器具の中には干の中国製品が混在していた。彼以後の収集に係る能面約50点をはじめとする工芸品類、和蝋燭、刻煙草、海藻などの産業資料も確認した。コペンハーゲンでは国立博物館において非公開資料の特別閲覧が許可され、和紙のコレクションや人力車とその乗客の生人形1体などを確認した。同館の常設展示は目本展示が非常に充実している。これは、同館のカイ=ビルケット・スミスと岡正雄の親交が深かったことにもよるが、民族学・考古学資料に限らず美術工芸資料と科学・産業技術資料にも見るべきものが多い。ドレスデンでは民族学博物館と衛生博物館に20世紀初期の衛生博覧会に日本が出品した資料が多数残されていた。明治時代末期に坪井正五郎が三越百貨店と提携して開発した教育玩具もあった。サンクトペテルブルグでは前年度に続きクンストカメラの所蔵資料を調査した。駅舎や鉄橋など近代初期の建造写真を多数収録した大阪製の「のぞきからくり」を発見したほか、江戸時代の望遠鏡などを確認した。ヨーゼフ・クライナー(海外研究協力者)は国際シンポジウムの成果を編集し『ヨーロッパ博物館・美術館収蔵の日本関係コレクション』2巻を刊行した。
著者
朝倉 敏夫 太田 心平 岡田 浩樹 島村 恭則 林 史樹 韓 景旭 岡田 浩樹 島村 恭則 林 史樹
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01 (Released:2009-04-01)

東アジアのコリアン・ネットワークについて、既存の研究では明らかとなっていなかった、ないし否定されてきた3点が明らかとなった。越域性、多重性、主体性の3点である。この研究成果の主たる報告書、および現地還元活動として、『韓民族海外同胞の現住所―当事者と日本の研究者の声』(學研文化社、2012)を、韓国語にて出版した。
著者
中牧 弘允 李 仁子 イシ アンジェロ 大越 公平 坂本 要 新免 光比呂
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004 (Released:2004-04-01)

2004年度は、国内におけるカレンダーの収集と、マルチカレンダー文化の実態調査に焦点を絞った。研究代表者は暦のコレクションで知られる施設を訪問し、マルチカレンダーの収集状況を把握した。実態調査に先立ち、民博において研究会を開催し、研究目的を遂行する上で必要とされる情報の共有化をはかり、あとはそれぞれの地域やテーマにもとづきカレンダーの収集と調査に従事し、年度末に民博で開催される研究会で中間報告をおこなった。収集したカレンダーや関連資料を研究代表者のもとに保管し、研究支援者を雇用し情報のデータ化をはかった。2005年度は国内においては補足調査にとどめ、海外においては台湾、韓国、ブラジル、ボスニア、イラン、フィンランド、アメリカなどでマルチカレンダー文化の収集と実態調査を実施した。また収集したカレンダーの一部を研究代表者のもとに集め、情報のデータ化をはかった。さらに研究代表者を中心に『民博通信』7月号に「マルチな暦を生きる-カレンダーにみる在日外国人の暮らし」をテーマに特集を組み、中間的な報告と問題提起をおこなった。
著者
笹原 亮二
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007 (Released:2007-04-01)

九州周辺には各地に島嶼が存在する。それらの島嶼は古来、国内外を巡る航路以上に位置し、また、歴史的に中国・朝鮮半島・沖縄(琉球)といった「異国」と接する境界領域に位置したことから、各島嶼の民俗芸能は国内外から政治的・文化的等、様々なかたちで多大なる影響を蒙ってきた。こうしたことは、これらの島嶼の多種多様な民俗芸能の理解にあたっては、それらを、文化的・歴史的・地域的に形作られてきた多様性に富む存在として、それぞれの島嶼の文脈において精確に見ていくことが必要となることを示している。
著者
伊藤 敦規
出版者
国立民族学博物館
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009 (Released:2009-04-01)

本研究計画の2年度目に実施した調査・研究・成果報告は以下の通りである。米国南西部先住民ズニのズニ博物館長による日本国内博物館収蔵資料調査について、江戸東京博物館での民族藝術学会(4月)、立教大学での日本文化人類学会(6月)にて概要を口頭発表した。5月に国立民族学博物館で開催されたサントリー文化財団のプロジェクト、および、11月のアジア太平洋資料センターでの連続講座にて、ホピ族の宝飾品産業形成史についての口頭発表を行った。日本国内における文化人類学者と米国先住民コミュニティの知的財産を通した関わりについては、10月の東北大学での共同研究会、12月の国立民族学博物館での共同研究会にてそれぞれ口頭発表をした。加えて、11月のアメリカ人類学会(米国ルイジアナ州)と、2011年1月の国際シンポジウム(北海道)では、英語と日本語による口頭発表を行い、日本語圏以外の研究者との研究成果の共有を図った。年度内に開催された北海道大学アイヌ・先住民研究センターの共同研究でも口頭発表を2度行い(6月、11月)、研究者とアイヌ民族のアーティストや商工会役員等と研究成果の共有を行った。文化人類学を専攻する研究者や先住民族の知的財産問題の関係者以外への成果の公開も行った。10月に獨協大学で行った連続講座での講演である。米国先住民の知的財産問題に関するアウトリーチ活動も行い、日本国内の消費者、ホピとズニのアーティスト、ギャラリー経営者、自治政府知事との共有を図った。米国アリゾナ州とニューメキシコ州での3週間ほどのフィールドワークも実施し、アーティストやその拡大家族成員を対象に、制作技術やコミュニティにおける知的財産(宗教的知識)の管理の様態について聞き取りをした。これら調査で得られた資料の分析・整理を進め、学術論文を複数投稿すると共に、学位論文(社会人類学博士)を執筆した。
著者
岡 晋
出版者
国立民族学博物館
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008 (Released:2008-04-01)

中国雲南省迪慶州に居住するナシ族の宗教的職能者「トンバ」と、ナシ族の共同体を支える親族組織、出自の記憶、祖先祭祀の関係性について、各種史料の分析と現地調査を行い、次の点を詳らかにした。(1)「トンバ」は総称であり、担う儀式ごとに職能者の名称は異なる。中でも、「カドゥ」は共同体の祖先祭祀(祭天)儀礼を司る世襲職であって、社会制度上、修行次第で誰もがなれる「ダフ」等とは根本的に異なる。(2)ナシ族の祖先祭祀は、「カドゥ」が担う祭天儀礼と、「ダフ」が担う送葬儀礼、家長が担う死者供養の三種類があり、「祖先」(出自)の想起のされ方は送葬儀礼と死者供養が共通し、祭天儀礼は後二者とは構造的に対立する。即ち、送葬儀礼と死者供養は、最近の死者から始原へと溯るのに対し、祭天儀礼は始原から最近の死者へと近付いていく。(3)「カドゥ」の「世襲制」は、共同体の基幹である「家」制度に支えられている。「家」は「断絶」の危機に際して養子・婿を迎え、それでも断絶した場合、断絶家は別家の分家時に「再興」される。その際、断絶家の「祖先」は再興家によって継承される。即ち、「家」は祖先供養を通じて双系的に継承され、実際の「血縁」関係は世代を重ねるごとに忘れられていく。(4)ナシ族の共同体内には、「○○族であったが、いつのまにかナシ族になった」という「家」が少なくない。この「いつのまにか」のプロセスには、「家」制度と「カドゥ」による共同体の祖先祭祀が機能している。以上四点は、ナシ族の宗教的職能者を一括に「トンバ」と呼び、その内容の差異に注意を払ってこなかった従来までの文化人類学研究や歴史学研究からは到達し得ないものであり、それらを詳細かっ明確に示したという点で本研究は非常に価値がある。また、異なる「出自」をもつ集団が「ナシ族」へと取り込まれていくプロセスは、複雑に民族が雑居する中国西南地域での研究に対しても、有効な視点を提供する。
著者
松原 正毅 庄司 博史 小長谷 有紀 林 俊雄 堀 直 濱田 正美
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1991 (Released:1991-04-01)

本研究の平成5年度における調査では、新彊とモンゴル国を主要な研究対象とした。新彊においては、アルタイ山脈と天山山脈にて調査を継続している。アルタイ山脈では、平成3年度から持続しているカザフ族、トゥワ族、トルグ-ト・モンゴル族の遊牧生活についての調査をおこなった。この調査にあたったのは、松原正毅と楊海英である。従来、この地域の遊牧生活についての調査資料はまったくなかったといってよい。その意味では、すべての研究実績が学術的な空白をうめるうえでたいへん有益な役割をはたしたといえる。アルタイ山脈のカザフ族については、移動の歴史、社会構造の変遷、遊牧生活の現状などにわたる多大な情報を収集することができた。とくに、1930年代から1980年代にいたる時代(中華人民共和国の成立前後をふくむ時代)に対応した社会組織の編成と再編成について克明な資料を入手した。この資料は、社会主義化のなかで従来のカザフ遊牧民の社会組織がどのような過程をへて崩壊し、1984年の生産請負制の導入にともなってあらたな形に再編成されたかを具体的にしめす重要なものといえる。同時に、この資料は、遊牧の起源と遊牧社会の特質についての考察に多大な寄与をもたらすものである。アルタイ山脈では、カザフ族だけでなく、トゥワ族やトルグ-ト・モンゴル族も調査対象になった。トゥワ族やトルグ-ト・モンゴル族についての調査資料は、地域社会における少数民族のありかたをかんがえるうえで貴重な情報をもたらしている。とくに、トゥワ族は、中国においても1980年代にはいってひとつの独自な集団と認定された民族で、新彊全域で2000人ほどの人口を保持するにすぎない。トルコ系の言語をはなしているが、宗教的にはモンゴル族とおなじ仏教徒である。そのため、外部からはモンゴル族と同一にあつかわれてきた。トゥワ族自身も一部は独自の民族意識をもっているが、一部はモンゴル族意識をもつというように、民族意識のうえにおいて分裂している。この事象は、民族形成においてみずからの意識が重要な役割をはたすことをしめす例といえる。トルグ-ト・モンゴル族は、現在カザフ族と密接な接触をたもちながら遊牧生活をおくっているため、カザフ語とのバイリンガル現象があらわれてきている。これがかれらの生活に相互的な影響をおよぼしている。トゥワ族やトルグ-ト・モンゴル族の事例は、民族形成論を構築するうえで貴重な手がかりを提示するものである。同時に、トゥワ族やトルグ-ト・モンゴル族の遊牧に関する歴史人類学的資料は、従来の学術的空白をうめるものといえる。トルグ-ト・モンゴル族の調査には、小長谷有紀もくわわった。新彊では、アルタイ山脈だけでなく天山山脈においても調査をおこなった。天山山脈では、山脈の中央に位置するユルドゥス渓谷を中心に調査を実施をしている。この調査には、松原、林俊雄、浜田正美、堀直、楊が参加した。ユルドゥズ渓谷は、非常にふるくから遊牧民の活動の舞台となった地域であるが、中華人民共和国の成立後軍事的な要地となったため外国人研究者のたちいりがまったく許可されない地域となっていた。今回、外国人研究者としてはじめて入城がゆるされたので、新発見にちかい多大な成果があった。いままで記録されていないおおくの古墳や石人、遺構を発見し調査をおこなっただけでなく、この渓谷で遊牧生活をおくるトルグ-ト・モンゴル族について多方面にわたる情報をうることができた。モンゴル国における調査は、西モンゴルを中心におこなった。この調査には、松原、林、浜田、堀、楊が参加した。西モンゴルも、従来外国人研究者のたちいりが厳重に制限されていた地域である。そのため、数おおくの遺跡や遺構をあらたに発見し、記載することができた。それだけでなく、モンゴル語化しながらもイスラム教の信仰を保持するトルコ系のホトン族の調査もおこなっている。ホトン族の資料も、民族形成論を構築するうえに重要な情報を提供するものといえる。いずれも遊牧の歴史人類学的研究にとって貴重な成果である。以上のほか、青海省において庄司博史が土族の調査を担当した。上記の調査の比較資料として重要といえる。
著者
笹原 亮二
出版者
国立民族学博物館
雑誌
萌芽的研究
巻号頁・発行日
1999 (Released:1999-04-01)

本年度の調査は、前年度までの調査成果を踏まえて、未調査の地域の祭や民俗芸能、及び補充調査の必要な地域の祭や民俗芸能について実施した。本年度新たに調査を行ったのは、岩手県の三陸海岸地方南部で行われている虎舞である。虎舞は宮古市域や釜石市域を中心に20ヶ所以上で行われている芸能である。虎舞は、文楽や歌舞伎で有名な国姓爺合戦に因んだもので、中国を舞台として和藤内の虎退治の話を仕組んだストーリーが演じられるものである。同様の内容を有する芸能は神奈川県三浦半島や瀬戸内地方にも若干見られるが、分布の密度は三陸地方のほうがはるかに濃い。また、三陸地方の虎舞の芸態や音楽が、他地域の虎舞よりも三陸や岩手に多数分布している剣舞や山伏神楽とむしろ共通性を感じさせる。三陸地方の虎舞の調査研究はそれほど進んでおらず、関連資料の蓄積があまり見られない。従って、どのようなかたちで現在の分布状況や芸態が掲載されたかは、今回の調査では明らかにすることができなかった。基本的なデータの集積が待たれる。補充調査としては、南九州の琉球人踊について調査を行った。本年度は、琉球人踊の分布が知られていたにも関わらず、昨年度まで調子をしていなかった種子島の琉球人踊について調査を行った。従来の研究では、鹿児島本土では琉球から島津家にやってくる使節に因んだ琉球人踊が行われているのに対し、種子島では一般の人々が江戸期から盛んに琉球と行き来してきたということがあり、そうした直接交渉に因んだ琉球人踊が行われているとされてきた。確かに、鹿児島本土とは異なるかたちで種子島の人々が琉球人に扮した踊が行われていたが、琉球の人々を写実的に真似たのではなく、鹿児島とは異なるかたちでではあるが、かなり変形した奇妙なかたちで琉球人の姿態を演じていた。直接的な琉球の人々との交渉が相当ありながら、何故こうした変形させて演じられているのか、興味を惹かれるところである。また、種子島では、北部の西之表市から南部の南種子町まで各地に琉球人踊に類するものが分布していて、内容は場所によってかなり違っていた。更に詳細な実態調査の必要性を感じた。本年度はそのほか、長崎地方の獅子浮流、佐賀地方の面浮流、伊勢地方の唐人踊と鯨船神事、沖縄地方の唐踊と獅子舞などに関する調査を実施し、関連資料を収集した。