著者
阿部 未幸
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.161-180, 2014-03

東日本大震災からの地域コミュニティの再建に欠かせないもののひとつとして、郷土芸能の重要性はしばしば指摘されてきた。本稿では、岩手県岩泉町小本地区において伝承される中野七頭舞に着目し、1976年に小本地区で「中野七頭舞保存会」が結成されてから、東日本大震災に直面するまでの過程を明らかにする。中野七頭舞保存会は、自らの伝承・公演活動に加え、小本小学校の「民舞クラブ」設立をきっかけに同校で中野七頭舞の指導を始め、地区出身者の舞い手を育成している。現在の保存会メンバーの多くは、小本小学校で中野七頭舞を学んだ卒業生であり、彼らは進学や就職で小本地区を離れても、公演や講習会のために郷土へ戻ってくる。保存会は、県外の民族舞踊愛好者や教員たちに積極的に講習を行い、現在では、数多くの学校やサークルなどで中野七頭舞が取り組まれている。中野七頭舞は多様な担い手によって構成されており、こうした地域内外のネットワークが、地域コミュニティの維持や東日本大震災発生からの復興支援に機能したことを明らかにした。
著者
熊本 哲也
出版者
岩手県立大学
雑誌
リベラル・アーツ (ISSN:18816746)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.83-93, 2015

Les Institutions chimiques de Rousseau, écrit dans sa jeunesse, qui n'était pas publié lors de la rédaction, se fait remarquer récemment après le long oubli. Selon Bruno Bernardi, les notions chimiques dans les Institutions chimiques, réapparaissent en tant que termes importants de sciences politiques dans ses écrits de la philosophie politique tel que Du Contrat social : ces termes nous indiquent le développement de notion métaphorique qui est propre au « corps politique ». Ici, nous allons traiter un terme « rapport », terme transversal, au moins, entre la philosophie politique et la chimie pour montrer une transversalité du terme et de la notion entre deux domaines. La notion chimique de « rapport » à l'époque de Rousseau voulait dire surtout une «affinité» entre les substances. Mais ce mot « rapport » au sens de l'affinité ne désignait pas les phénomènes précis chimiques, plutôt utilisé dans le sens vague. Car, à cette époque on ne trouvait pas encore tous les « rapports » chimiques qu'il peut y avoir, et on ne comprenait pas la vraie théorie chimique. Le mot même de « rapport » est tellement polysémique qu'il y avait une nécessité de l'utiliser pour dire sur la chimie, le dit-il Rousseau. Or, l'affinité=rapport symbolisait le paradigme scientifique (au sens de Thomas Kuhn) de l'époque « chimie-centrique » du 18e siècle où la théorie de gravité universelle de Newton était expliquée comme un phénomène d'affinité chimique, un tel Goethe écrivait un roman intitulé Les Affinités électives (Die Wahlverwandtschaften) Même longtemps après la rédaction des nstitutions chimiques, le sens du « rapport=affinité » chimique ne reste-il pas dans des autres écrits postérieurs de Rousseau tels que Emile, Du contrat social, La Nouvelle Héloïse, ou d'autres. Par exemple, les « vrais rapports de choses », expressions répétées dans Emile, ou bien le rapport des personnes et de l'amour qui n'est que le thème de la Nouvelle Héloïse, tous cela n'a pas seulement un sens de « relation » plutôt statique, mais aussi un sens chimique, sens dynamique. Dans Du Contrat social (manuscrit Genève), le mot « rapport » veux dire proportion ou relation, non pas le sens chimique. Le sens politique de « rapport » n'est pas utilisé comme quelque chose de nouveau mixte mais plutôt comme quelque chose d'instable. Au lieu de ce « rapport » au sens politique, Rousseau a recours à un autre terme comme celui de « liaison » qui est toujours dans le vocabulaire chimique.
著者
三浦 修
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.127-149, 2010-05

岩手県の自生種のシラカンバ(カバノキ属)、導入種のドイツトウヒ(トウヒ属)、導入種のポプラ(ヤマナラシ属)の植栽によって、当時の農村景観を改善できると賢治は考えた。現在の農村景観計画に相当するこのアイディアは、田村(1918)が提唱した装景に由来する。ここでは、3属の樹木を賢治の「装景樹」と呼び、どのように作品に描かれたかを詳細に記載した。賢治が実際につくった景観計画案やその実践のプロセスをも明らかにした。作品描写の分析によって、賢治の科学(植物生態学など)的リテラシーを考察した。さらに、装景樹の着想について、当時の林学や植物学において、樹木や森林の美が研究されたことや、造園学とその実践学が確立したことなどの学問的な時代背景を考察した。
著者
熊本 哲也
出版者
岩手県立大学
雑誌
岩手県立大学社会福祉学部紀要 (ISSN:13448528)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.11-26, 2002-09-30

"The Purloined Ribbon" at the end of the Livre second of Jean-Jacques Rousseau's Confessions is known for the possibilities of various readings. The two most outstanding readings are: psychoanalytic literary analysis and deconstruction literary analysis. The former does not differentiate the "narrator" from the "narrated" in the text. The latter denies finally the analysis of the unconscious level and neglects the importance of the first half of the text while it is bound for the speech-act theory. In short, the precedent analysis tends to rely on theories and lacks the careful textual analysis. In order to construct a more inclusive literary critique, this paper focuses upon the desire theme of "The Death of Mme Vercellis" for it allows us to see the complicated interactions in the text. The textual analysis reveals that the words place (position) and perte (loss for the death) in the first half of the text are used effectively to show the analogical relationship between Mme Vercellis and her servant Marion to whom Jean-Jacques makes a false accusation of the stolen ribbon. By doing so, the narrator extends the meaning of place and perte to signify the symbolic death of Marion and sees Marion identifying with Mme Vercellis. In other words, Marion has the necessity to suppleer (fulfill) the loss of Mrs. Vercellis and has a role as a substitution to morn the deaths of both Mme Vercellis and Marion. Therefore, the exceeding desire of the narrator shows the connection between the text of "death" in the first half and the text of Stolen Ribbon Incident in the latter half of the Episode. The ribbon Jean-Jacques purloined literally ties the two texts by representing his "desire" and "mourning" for Mme Vercellis and Marion. In this sense, the purloined ribbon is just like a Freud's "bobbin" in The Beyond of the Pleasure Principle.
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.145-152, 2000-11-01

西川如見(1648-1734)は長崎の人で天文学者・地理学者である。彼は地形を科学的に観た最初の日本人学者である。なぜならば彼は著書『怪異辨断』(1715)において,天文と地文(自然地理)に関係した諸現象について科学的に論じている。彼は当時,西洋の地球球体説を理解していた数少ない日本人学者の一人であり,同書において,地球が丸いことを科学的に解説している。如見はまた,『怪異辨断』において多くの自然地理ないし地形学的現象について論じ,それらは怪異ではなく,科学的合理的に説明できる自然現象であることを説いた。例えば彼は,地すべりを,その土地の地質・地形的な性質と結び付け,一種の簡易な実験を用いて説明した。彼はまた,世界各地の自然地理〜環境に関する情報,例えばイタリアの火山やアラビアの沙漠などに関する情報も紹介している。
著者
佐藤 嘉夫 浜岡 政好
出版者
岩手県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

超高齢化が進行する中山間地域の集落自治会への住民の期待と参加意識は高いが、限られた地域資源と人材不足から、軽度の見守りやサロン活動等は、広くおこなわれているが、集落の共同事業とは異なる性質を有する個別援助活動は広がっていない。伝統的家族規範が支配的な中で、集落自治会の福祉的機能を高めるためには、ローカル・ガバナンスの視点に立った、地域福祉のメインシステムとサブシステムの連結を図る「新たな公共」の創出が不可欠である。
著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.123-137, 2001-12-31

本論は、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームがフリーメイソンの会員であると人々から噂されていることの真偽とその意義について論じたものである。第8挿話で、ノーズィ・フリンがデイヴィ・バーンのパブでブルームがフリーメイソンであると噂し、第12挿話では「市民」がやはりブルームがフリーメイソンであると示唆する。第18挿話では、彼の妻モリーでさえも自分の夫がフリーメイソンであったと考えている。ブルーム自身はそのことは決して口外しないのだが、彼の無意識を映し出す心理劇となる第15挿話では、彼は見事にフリーメイソンのマスターを演じている。彼がフリーメイソンだとすれば、それは何を意味するのか?実は、このことはブルームがユダヤ系であることと深く関わっている。帝政ロシアはじめヨーロッパ各地での排斥運動を受けて、1904年前後に急激にユダヤ人がアイルランドに流人してきたことで、当時のアイルランドではユダヤ人排斥運動が小規模ながらリマリックやコークで起こりつつあったのである。一方、フリーメイソンはユダヤ教を認知しており、ユダヤ系2世であるブルームがフリーメイソンに入会してもおかしくない当時の社会状況が背景にあった。ブルームが本当にフリーメイソンなのかどうかは定かではない。だが、ブルームがフリーメイソンかもしれないという噂が小説内で戦略的に流されているのは、当時の世相を反映した社会風刺なのである。
著者
佐藤 智子
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.31-64, 2005-10-31

今から362年前の1643年6月10日、そして再度の7月28日、鎖国時代の日本であったが、1隻のオランダ船ブレスケンス号が、水と食料を求めて山田湾に姿を現した。記録によると、異国船の入港に地元の人々は驚愕を隠せなかったが、乗組員を温かくもてなした。この史実をもとに山田町は、1960年代にブレスケンス号の母港であるオーストブルフ市へ姉妹都市締結の打診をしたが、実現には至らなかった。その後オランダ王室私設顧問からクリステリック・カレッジ・ザイスト校を紹介され、1996年国際理解教育を目的にして同校へ最初の中学生を派遣した。ザイスト市表敬訪問も含むこのプログラムは継続して実施され、両市町の絆が強固になっていった。そして日蘭交流400周年記念の2000年に、山田町はザイスト市と念願の友好都市締結を果たした。提携から今年で5年が経過したことになるが、継続性をみている青少年派遣事業に焦点を当てて交流の内容を検証した。また何故1960年代に山田町が望んだ姉妹都市締結が実現しなかったのか、日蘭関係の歴史を紐解きながら考察した。
著者
藤村 由希子 安藤 広子
出版者
岩手県立大学
雑誌
岩手県立大学看護学部紀要 (ISSN:13449745)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.83-91, 2004-03
被引用文献数
6

岩手県内における死産,早期新生児死亡における助産師・看護師の対応の現状について把握し今後のケアの検討資料とすることを目的に実態調査を行なった.24施設で勤務する助産師・看護師を対象に割り当て抽出法により質間紙を205部郵送し,178名から有効回答を得た (有効回答率86.8%).調査期間は2003年3-4月であった.調査対象者の年齢は30代が61名(34.2%)と最も多く,臨床経験年数は15.9(±8.7)年であった.児が亡くなった場合スタッフ間で毎回カンファレンスを行っているのは57名(32.0%)であった.亡くなった児の写真や足形などの遺品を渡しているのは28名(15.7%)であった.亡くなった児と母親との面会を積極的にすすめていろのは47名(26.4%),父親との面会を積極的にすすめているのは86名(48.3%)であった.退院後に何らかのケアを行っているのは54名(30.4%)であった.児を亡くした母親や家族と接する時に「悩んだことがある」は156名(87.6%)で,言葉かけや態度などについで悩んでいた.亡くなった児との面会は母親よりも父親の決定に委ねられていることや退院後のケアが行われていないことから,母親およびその家族への対応についての検討が必要である.また看護職者の多くがケアへの戸惑いや悩みを抱えているにもかかわらず,カンファレンスも少ないことから,今後のケアのあり方として,スタッフ間での情報や知識の共有の機会が必要である.
著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.1, no.4, pp.437-452, 1999-12-31

ジェイムズ・ジョイスは、『ユリシーズ』に関してこう語った : 「もしダブリンが破壊されても、この小説を読めば再建が可能だ」。ブルームを乗せた葬式馬車は確かにサックヴイル通りを進んでいるのに、なぜか彼は有名な中央郵便局や賑やかな通りの様子を伝えようとしない。また、グラスネヴィン墓地での葬式参列中には、彼は土葬死体が腐乱する様子を次々と妄想していく。本稿では、この挿話に1916年の復活祭蜂起をはじめとする独立戦争の祥子(愛国主義)を読み込んでいる。
著者
川乗 賀也
出版者
岩手県立大学
雑誌
岩手県立大学社会福祉学部紀要 (ISSN:13448528)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.21-24, 2015-03

平成14年に厚生労働省は精神科医療について、それまでの入院主体から地域医療への転換をはかったが、近年は全国的に当事者の自傷または他害のおそれがある者についての精神保健福祉法第24条に基づく、警察官や保健所の精神保健福祉相談員による危機介入が増加している。しかし和歌山市保健所ではこの危機介入が有意に減少していることが分かった。これには以下の要因が考えられた。まず相談員を増員することで危機介入時の体制を充実させた、入院時から退院を意識した関わりをしている、地域の関係機関同士の関係を良好に循環させる働きをしていることなどが考えられた。
著者
黒岩 幸子
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.27-62, 2004-09-30

1955-56年の日ソ交渉を契機として、日本政府は、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した千島列島に南千島(択捉・国後)は含まれないとの立場をとり始め、それ以降、択捉、国後、色丹、歯舞は「北方領土」と呼ばれるようになった。「北方領土」が四島を指す固有名詞として定着すると同時に、千島列島は切断され、カムチャッカと道東を結ぶステッピング・ストーン(踏み石)としての役割も、かつて列島全体に居住していた先住民の歴史も捨象されてしまった。千島列島には、先史時代から現在までに、先住民共同体・日本人社会・ロシア人社会という三つのトポス(場所)が生成している。本稿は、日本とロシアという近代国家の邂逅と国境画定のプロセスの中で崩壊していった千島の第一のトポス、主にアイヌ共同体の盛衰をたどることによって、北方領土問題の歴史的側面を明らかにするものである。
著者
米地 文夫 佐野 嘉彦
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.63-75, 2004-09-30

宮沢質治の作品に頻出する「スケッチ」という語について、自然科学の立場から検討を加えた。賢治にとって「スケッチ」とは、自然科学におけるフィールドワークの「スケッチ」に類するものであった。一般には詩と呼ばれている賢治の「心象スケッチ」は、彼自身は詩ではなく、科学的な「スケッチ」であり、彼の心象に映じた心理学的世界像を科学的に記載し、後日の分析のための論料(証拠)としようとするものであった。賢治の「スケッチ」が描く世界は、現実の世界から彼の心象に投影されたものであり、賢治にとっては、真の世界像を構築するための論料(証拠)であった。 特に「心象スケッチ」の名のもとに書かれた作品における天空の表現を例にとりあげ、すなわち、賢治の「スケッチ」の特性の一端を明らかにした。すなわち、空や雲の色を、鉱物、特に宝石、貴石を比喩に用いて描写し、それによって色相のみならず、彩度や明度まで的確に表現しようとしたのである。そのような比喩は、一般の読者には難解で衒学的と受け取られがちである。しかしながら、賢治にとって、宝石、貴石などの名称を絵の具のように選んで用いるのは、科学的に最も的確に表現するために必要なスケッチ技法として、当然のことなのであった。
著者
佐藤 智子 岩手県国際交流協会
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.115-131, 2013-05

2011 年3 月11 日の東日本大震災以降、254 の国・地域・国際機関(2011 年5 月2 日現在)から人的、物的、精神的な支援が日本に寄せられた。これまで幾十年に渡り外国の特定の都市と交流を続けてきた自治体にも、相手の都市から見舞の手紙や義援金・寄付金等が届けられた。震災から7ヵ月後に岩手県の各市町村を対象にして実施したアンケート調査をもとに、海外からの支援の詳細を明らかにするとともに、支援によって住民の国際交流に関する意識がどのように変容したかを考察した。