著者
難波 功士
出版者
関西学院大学
雑誌
関西学院大学社会学部紀要 (ISSN:04529456)
巻号頁・発行日
no.99, pp.131-153, 2005

In 1983, a writer called young people 'otaku' (later, he used the word 'otaku-zoku'). They were absorbed in animation, manga, idols, personal computers, sci-fi, and so on. They and their companions called each other 'otaku' as well. They were only interested in others' knowledge about their common hobbies. Their communication style was mutually one-way and their life-style was like a hermit because of their commitment to favorite objects or subject matter. In 1989, one of them, a young man named 'Tsutomu Miyazaki', committed serial murders of little girls. So, otaku-zoku caused moral panic in Japanese society and they were labeled as sexual perverts. At first, there were many female-otaku. However, after the murder case, otaku (-zoku) began to mean young men who were withdrawn in their room, absorbed in various media, uninteresting in their appearance, and disconnected with other people, especially adult women. The word 'otaku' had negative image. But, in the 1990s, the sales of some subject matter which had been loved by otaku (-zoku) began to increase exponentially all over the world. Such otaku-related business became the most promising industry in Japan. So the implication of otaku changed. In the first half of the 1990s, a genre of music called 'Shibuya-kei' was born. In those days, in the Shibuya area, several mega record stores were launched, and many imported record stores, clubs, offices of independent record labels and editorial rooms of free papers or magazines about music began to be concentrated there. One of the mega record stores set up a corner of 'Shibuya-kei' CDs. By definition, Shibuya-kei means a type of music which was popular in Shibuya. Shibuya-kei musicians went to the Shibuya area to collect records, to play as DJs, or to spend time with companions at clubs. They composed music extracting elements from old and rare music sources and newly arranging them at will. In a sense, they can be called 'Ongaku-otakus (music freaks)'. Those musicians were also leaders of fashion, visual culture, and life style taste for their adoring fans, who usually dressed in French casuals. At the same time, otaku began to be called 'Akiba-kei', named after the Akihabara area, where many shops for otaku people, e.g. personal computer, video game, fanzine, female figures, and animation video, could be found. Akiba-kei (a.k.a otaku-zoku or otakukei) and Shibuya-kei had some common characteristics. They had media-oriented lifestyles, relatively wealthy backgrounds, and uni-sex feelings. These points suggest that the focus of youth subcultures from the 1980s to the 1990s was gradually centered on the media and the taste for them.
著者
山中 茂樹 北原 糸子 田並 尚恵 森 康俊
出版者
関西学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究は、今後30年以内に発生するだろうといわれる首都直下地震において発生する膨大な避難者たちの行動を予測するとともに、その対応策を考えるのが目的であった。ところが、2011年3月11日、東日本大震災が発生。加えて東京電力福島第1原発の事故で福島県民を中心に多くの強制避難・自主避難が生じた。そこで、同時進行している事象の実態把握と解析も進めた。3年間の成果として、住民票を移さずに避難した人達の在留登録制度の新設や避難元自治体と避難先自治体が避難住民の名簿を共有する避難者台帳の整備、広域避難者の支援に充てるファンドの創設など多くの政策・制度を提案した。
著者
武中 美佳子 岡井 沙智子 小原 依子 井上 健
出版者
関西学院大学
雑誌
臨床教育心理学研究
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.43-55, 2005-03-25
被引用文献数
1

本実験では,心拍数に合わせたテンポのリズムを聴取することによる,同期現象,気分誘導について,さらに,被験者の精神テンポおよび音楽の嗜好との関連性について生理的および心理的影響を調べた。テンポは心拍数と同じ,速い,遅いの3種類,生理指標は心拍変動,脳波である。また,実験前後に精神テンポ,STAI,血圧および心拍数の測定を行った。精神テンポはタッピングで測定した。結果として,+60%でHF/totalが低く,LF/HFおよび変動係数が高かった。-60%および心拍テンポではHF/totalが高くLF/HFが低かった。また,-60%では「のんびりしている」,「体の力が抜けている」,「遅い」などの得点が高く,心拍テンポではα波相対パワーおよびα波ピーク周波数が最も高く,変動係数が最も低かった。精神テンポによって2群化して行った分析においてもほぼ同様の結果が認められた。また,精神テンポと心拍数に相関はみられなかったが,精神テンポが有意に速かった。よって,心拍数に合わせたテンポや精神テンポよりもやや遅いテンポが,リラックスし,副交感神経優位の状態をもたらすと考えられる。音楽の嗜好の点では,覚醒的音楽を好むグループでは,交感神経優位の状態,気分の高揚を求め,鎮静的音楽を好むグループでは,副交感神経優位の状態,心身の弛緩を求めていると考えられた。また,精神テンポは生理機能に由来するものではなく,各々固有のものであり,気分や環境によって変動すると推察された。
著者
桑原 圭裕
出版者
関西学院大学
巻号頁・発行日
2012

博士論文
著者
黒田 展之
出版者
関西学院大学
雑誌
法と政治 (ISSN:02880709)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.339-387, 2002-06
著者
松井 琴世 河合 淳子 澤村 貫太 小原 依子 松本 和雄
出版者
関西学院大学
雑誌
臨床教育心理学研究
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.43-57, 2003-03-25
被引用文献数
2

本研究は,編曲の異なる3曲のパッフェルベルのカノンを被験者に呈示することによって,音楽聴取時における心身の変化を観察するものであった。それぞれのカノンについて音楽分析を行うと共に,生理反応と心理指標を用いて評定を行うことにより,編曲の違いによって生じる聴き手の生理的・心理的影響の変化を検討し,音楽刺激の精神生理学的研究を行うことを目的とした。本実験は,K大学の学生28名,音楽系大学の学生5名(平均年齢21.4歳)を対象とした。実験では,編曲によってポップな感じが与えられるカノン,カノン演奏に並行して波の音が流れるカノン,最も原曲に近い弦楽合奏によるカノンの3曲を呈示し,それぞれの音楽刺激聴取時と,安静(無音状態)時における生理反応を測定した。実験で測定されたのは脳波・筋電図・心拍・呼吸・皮膚電気反射・血圧・皮膚温・重心動揺からくる身体のふらつきの程度であり,本研究では,脳波,皮膚電気反射,呼吸,心拍,重心動揺からくる身体のふらつきの程度の指標を用いた。また各音楽刺激呈示後に,音楽を聴いているときの気分について12項目,音楽を聴いているときの心身の自覚について10項目,音楽の印象について7項目の評定を求めた。音楽刺激による生理反応について,中枢神経系である脳波は,いずれの音楽刺激聴取時においても安静状態に比べて覚醒水準の低下が認められた。また,重心動揺による身体のふらつきについては,音楽刺激聴取時における開眼時の重心動揺総軌跡長が顕著に減少したことによって,ロンベルグ率の増加が導かれた。このことより,音楽刺激が視覚性の姿勢制御機能を高める上で効果的に作用したと考察された。また自律神経系では音楽刺激聴取時の呼吸数の増加に有意差が認められた。次に,本研究で呈示された3曲の音楽刺激別に考察を行うと,ドラムを用いてビートを刻んだポップな感じのカノンでは心理評定において軽い興奮状態が示された。また生理反応においても,心拍・皮膚電気反射の反応回数・呼吸数の増加といった興奮性の刺激的な音楽によってもたらされたと推察される結果が得られた。また,評定に騒々しさが認められるなど,原曲と大きく異なった編曲に抵抗が感じられたことも推察された。しかし,心理評定において他刺激と比較すると興奮状態を示す有意差が認められたものの,それらの項目の得点が顕著に高くはなかった。そのため,原曲のクラシック音楽がもたらした効果と,微量の興奮をもたらす音楽刺激が生体に適度な睡眠導入刺激となって受容されたことにより,脳波において覚醒水準の低下が認められたと推察された。次にサブリミナル効果として波の音が並行して流されたカノンでは,波の音の影響として,評定により鎮静効果が認められた。また,重心動揺によるロンベルグ率が健常平均値と最も近づいたことについて,波の音がもたらす1/f型ゆらぎが,クラシック音楽であるカノン自体が有する1/f型ゆらぎと調和したことによって,重心動揺によりよい刺激となって作用したためであると推察された。脳波においては覚醒水準が低下したが,これは心地よさの指標とされる1/f型ゆらぎが大量に作用したために,睡眠が促されたと推察された。また波の音がカノンに並行して流れたこの曲では,カノンを聴きたい被験者にとって波の音が耳障りとなったことも考察され,さらに波の音による影響をより明確にするため,波の音がもたらす作用について追及する必要性が感じられた。最も原曲に近い弦楽合奏によるカノンでは,他の2曲に比べて多くのα波が誘発されたものの,その程度についてはさらに調査する必要があると推察された。また,原曲のカノンに馴染みがある被験者にとって,この曲が最も聞き慣れた音楽として受容されたために心地よさがもたらされたと推察された。重心動揺においては,ロンベルグ率が最も増加したことが開眼時の総軌跡長の減少によるものと示唆されたため,本音楽刺激聴取時に視覚性の姿勢安定維持機能が最も高まった状態であったことが推察された。以上のように,編曲されたそれぞれの音楽の特徴的な要素を取り上げて考察を行ったが,本研究で用いた音楽刺激は音楽の3要素であるメロディ・和声・リズムの全ての要素において多くの相違点が認められた。そのため,特徴的な要素以外にさまざまな要素が影響し合ったことで反応が導かれたと指摘された。また,より深い音楽分析による検討を行い,多岐にわたるジャンルの音楽を用いて同様の研究を実施することによって,より一般化された音楽における編曲の違いから生じる生理的・心理的反応の変化を検討,考察することが可能となるであろう。
著者
大島 明秀
出版者
関西学院大学
雑誌
日本文藝研究 (ISSN:02869136)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.86-110, 2008-03-10

本稿では、明治二十二年『国民之友』誌上に発表された徳富蘇峰「明治年間の鎖国論」を中心に、明治初期から二十年代に至る「鎖国」観の変遷を追跡した。 斯論において蘇峰は、「鎖国」に否定的な発言をしてはいるが、それは同時代を江戸の継続した時代と捉え、そこに遺り続ける旧弊「鎖国主義の精神」、すなわち西洋の知識・文物に対する排除的(保守的)姿勢への批判であった。そこには外国を敵視したり、侵略したりするような排外的且つ植民地主義的発想は全く不在であった。 従来の研究史では、戦前の「鎖国」研究は「鎖国得失論」であると語られてきたが、かかる蘇峰の議論に代表されるように、明治二十年代前半まで(とりわけ日清戦争以前)は、多様な「鎖国論」(「鎖国得失論」に回収されえない議論)が存在したことが明らかになった。
著者
関根 孝道
出版者
関西学院大学
雑誌
総合政策研究 (ISSN:1341996X)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.165-197, 2005-09-20

On March 2, 2005, the United States District Court Nothern District of California gave an epochmaking decision. The decision held: in light of the many similarities between the lists generated by the Japanese Law for the Protection of Cultural Properties and the U.S. National Historic Preservation Act ("NHPA"), the Japanese Law is an "equivalent of the National Register" under the NHPA within the meaning of section 470a-2 thereof; since the Okinawa dugong is protected under Japanese Law on the basis of its cultural significance to the Okinawan people, section 470a-2 of the NHPA can apply to the Okinawa dugong, an animal protected for cultural, historical reasons under a foreign country's equivalent statutory scheme for cultural preservation; while section 470a-2 applies to "any federal undertaking outside the United States", it can as a matter of law apply to the undertakings alleged by plaintiffs in that case because plaintiffs have alleged and provided evidence to show that the contested actions and decisions were undertaken by the U.S. Department of Defense and thus constitute a federal undertaking which may directly and adversely affect a property, the Okinawa dugong; since the case at issue deals with a statute, unlike the NEPA, explicitly demonstrates Congress's intent that it apply abroad where a federal undertaking promises to have direct or adverse effects on protected foreign properties, the cort must construe section 470a-2 in accordance with the statutory text-to preclude enforcement as a blanket rule based on the act of state doctrine would empty section 470 of any meaning; since the record before the court does not currently describe an "official act of a foreign sovereign perfomed within its own territory," but rather a process intertwined with U.S. Department of Defense decision-making, the court evaluates the actions of a federal agency for the act of state doctrine not being implicated. This decison is extremely significant mainly for the Okinawa dugong protection and U.S. military facilities issues here in the future.
著者
堀田 晴子 澤村 貫太 井上 健
出版者
関西学院大学
雑誌
臨床教育心理学研究
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.1-8, 2007-03

本研究では,心拍テンポ音楽が心身に与える影響について,心拍変動を中心に検討した。モーツアルトの『ディベルティメントK. 136第2楽章』について,3種類のテンポすなわち(1)被験者自身の心拍数で常時変化するテンポ(心拍テンポ),(2)聴取前1分間の平均心拍数による固定テンポ,(3)聴取時の心拍数に無関係のランダムテンポを用いた。音楽聴取時の心拍変動のパワースペクトルから,LF/HFとHF/Totalを算出した。心拍テンポ音楽でHFが大きく,副交感神経優位となり,最もリラクゼーション効果があったと考えられた。各テンポ音楽提示後の心理評定については,「好き-嫌い」の項目のみ有意差があり,心拍テンポ音楽がランダム音楽よりも好まれることが示された。それ以外の項目では有意差はなかったが,全体の傾向としては,心拍テンポ音楽が最も肯定的な印象を与えたようであった。今後,テンポの区別をもう少し明確化すること,被験者が実験室でより自然に音楽を聴けるよう配慮すること,また,音楽刺激として被験者が好む音楽を用いることにより,心拍テンポ音楽の効果についてより深く検討することができると思われる。
著者
松野 敬文
出版者
関西学院大学
雑誌
美学論究 (ISSN:09113304)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.A33-A47, 2008-03

本稿は画家バルテュス(Balthus,本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ,1908-2001)の油彩画《鏡のなかのアリス》(1933年)(図1)を取りあげて,バルテュスの芸術的特性を「稚拙さ」すなわち技術的貧困さという見地から考察するものである。具体的にはまず作品の文脈を説明し,画面構成と色彩配置,光源の設定,人物像や椅子等の造形を吟味する。次に同時代の他の作品,特に1934年のパリ,ピエール画廊個展に出品された大作-《窓(幽霊の恐怖)》(1933年)(図2),《街路》(1933年)(図3),《キャシーの化粧》(1933年)(図4),《ギターのレッスン》(1934年)(図5)-との比較によって,本作の特性を明らかにする。その結果提示される結論は,以下の通りである。バルテュスの芸術家としての独自性は,画家自身の「稚拙さ」-デッサンの拙さ,迫真性の不足,絵の下手さ-にある。そしてまた人物像の造形上の問題点や鑑賞者への働きかけの乱暴さといった「稚拙さ」が,《鏡のなかのアリス》を魅力的にみせる要因となっている。
著者
宮本 又郎
出版者
関西学院大学
雑誌
經濟學論究 (ISSN:02868032)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.1-39, 1998-12
著者
池埜 聡
出版者
関西学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

平成30年度の成果は以下の5点にまとめられる。1. 情報交流を目的としたインターアクティブなホームページを公開した。2. 客員研究員(Visiting Project Scientist in Psychiatry)として米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部マインドフル・アウェアネス・リサーチ・センター(MARC)に1年間在籍し、米国のマインドフルネス実践の現状と課題の抽出、そしてMARCとの研究・実践における連携体制を構築した。3. MARC提供の1年間マインドフルネス指導者養成プログラム、マインドフルネス・ファシリテーション・トレーニング(Training in Mindfulness Facilitation: TMF) を修了。認定資格であるUCLA-Trained Mindfulness Facilitator 及びInternational Mindfulness Teachers Association (IMTA)-Certified Mindfulness Teacher (CMTP-0146)を取得し、ソーシャルワーク(SW)専門職のストレス低減を超えたSWの価値の体現に資する介入方法としてマインドフルネスを応用する理論と実践方法を修習した。4. 日本マインドフルネス学会及びオックスフォード大学マインドフルネス・リサーチ・センター(OMC)共催によるマインドフルネス認知療法(MBCT)指導者養成プログラム(最終モジュール)を修了。スーパーバイズを受けることでMBCT実践が可能な立場となった。うつ再発予防及びストレス低減などSW専門職のエンパワメントにMBCTを活かす道筋を明確化した。5. TMFとMBCTの比較に基づくマインドフルネス指導者養成の問題、トラウマ被害者などへのマインドフルネスのネガティブな影響、SWの価値に資するマインドフルネスのあり方などをテーマにした学会発表、論文出版及び論文投稿を達成した。
著者
難波 功士
出版者
関西学院大学
雑誌
関西学院大学社会学部紀要 (ISSN:04529456)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.41-56, 193, 2004-10-28

'Futen-zoku (The Vagabond Tribe)' emerged in the summer of 1967. They gathered the small park in front of the east gate of Shinjuku station. They called it 'Green House'. In the 1960s, Shinjuku was the hottest venue for the youth and there were many spots where events of avant-garde, underground or alternative culture were occurred and performed. Futen-zoku stayed there without doing anything all day long and sometime they indulged themselves in using drugs or chemicals, e. g. thinner, glue and sleeping pill. They wore eccentric clothing. The mass media took them up in a 'moral panic', because of their license, idleness and neglect of orthodox gender roles. However, they didn't have any firm belief or cause or their own media. So, they disappeared the following year and their subcultural values were taken over by other youth subcultures. Futen-zoku belonged to Dankai-no-Sedai (the Japanese Babyboomer generation), and their social class backgrounds were not so low. 'Annon-Zoku' (whose members intensively read the women's magazines, "an・an" and "non・no") was born in 1972. It was the first youth subculture of which members were mainly young women. Led by articles of those magazines, they took trips to historic cities (Kyoto, Kamakura etc.), scenic locales (Karuizawa, Hokkaido etc.) or exotic towns where Western people have lived since olden times (Nagasaki, Kobe etc.). They were usually college students or office workers (OL, in Japanese). So, their social class backgrounds were also not so low, and they belonged to the Dankai or post-Dankai generation. In the early 1970s, a girl from middle or upper class family wasn't permitted to take a trip by herself yet. 'Annon-Zoku' did not represent deviance, but created certain 'gender trouble' under the circumstances of the 1970s. They were sneered at because of their uniformity or vulnerability to the influence of the media. However, they reflected the atmosphere of the 'Women's Lib' period, too. These two youth subcultures were considered to be consumption-oriented or superfluities of affluent society. However, they were important as the heralds of youth culture in the 1980s and 1990s.