著者
小峯 敦 藤田 菜々子 牧野 邦昭 古家 弘幸 橋本 努 原田 太津男 堂目 卓生
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究は、3つの時代と2つの国(および全世界)という特徴的な時期・国に焦点を当て、「戦争・平和と経済学」の複雑な関係を歴史的・思想的に精査することで、「経済学は戦争を回避し平和を構築することに貢献できるのか」という根源的な問いに回答する。初年度に続き、二年目はこの共同研究を軌道に乗せ、特に、(a))学術雑誌(英語)の「戦争と平和の経済思想」シリーズを特集させること、(b)近隣の社会科学者や政策担当者に開かれた形で、日本語による専門書・啓蒙書を編纂すること、という二点を推進した。その具体例として、(a)学術雑誌History of Economic Thoughtにおいて、War and Economicsというシリーズを2017年度中に3回連載し、研究分担者・連携研究者による3本の英語論文を掲載した。また、(b)いくつかの出版社と交渉し、『戦争と平和の経済思想』(晃洋書房、2018年度後期に出版予定)として出版するべく、11人による原稿を集め、草稿を検討する研究会も行った。2017年度における最大の実績は、Fabio Masini (the University of Roma Tre, Italy) とMaria Paganelli (Trinity University, USA)という研究者を招き、2日間に渡り、広島修道大学で国際会議を開催したことである(2017.9.4-5)。平和記念館の資料にもアクセスできたことは大きな収穫であった。二番目の実績は、経済学史学会・全国大会で、スミス研究の世界的権威Nicholoas Phillipsonの招待講演を実現したことである。特に、現実主義的な側面をスコットランド啓蒙研究の立場から、一般会員にも平易に講演された。
著者
大谷 由香 師 茂樹 小野嶋 祥雄 河上 麻由子 榎本 渉 吉田 慈順 野呂 靖 村上 明也 西谷 功
出版者
龍谷大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

「唐決」とよばれる日中間を往来した仏教の教義に関する書簡を中心とし、国や地域、文化を越えた仏教教義の問答内容と歴史的背景の分析を通じて、「仏教東漸」とは異なる東アジア仏教の相互交流の実態を明らかにする。本研究では、地域・時代・分野を別とする仏教学者と、対外交流史を専門とする歴史学者が共同研究を行う。これによって学術分野を超えた東アジア仏教史全体を俯瞰するための新たな視点の獲得を目指す。
著者
小長谷 大介
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.37-45, 2013-09-30
著者
八幡 耕一
出版者
龍谷大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究から得られた示唆は、情報通信技術の革新が、先住民族の権利宣言の立案過程とその議論にも影響を及ぼし、国家が先住民族テレビを制度的に支援する意義が、起草・交渉の過程を通じて低減または変質していったと推察される点である。また、事例分析からは、国内法における先住民族問題の認知が重要な役割を果たすことは明らかであり、技術革新だけに依拠していては、先住民族テレビの成立・存続は十分に達成しえないと考えられる。
著者
溝端 悠朗
出版者
龍谷大学
巻号頁・発行日
2020

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著者
市村 卓彦
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.1-12, 2009-03-12
著者
時本 義昭
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.A1-A25, 2007-09

フランスではギゾーによって一八三四年に初めて大学に憲法講座が設置され、そこで初めて憲法の講義を行ったのはイタリア出身のペッレクリーノ・ロッシである。本稿は、その最初の講義の講義録を紹介するとともに、それを七月王政下の諸情勢の中に位置づけることによって評価したものである。ロッシの『憲法講義』は「開講の辞」と一〇五講義から成り、前半で人権が、後半で統治機構が論じられている。そこでは一八三〇年憲章の存在を前提として歴史的観点と比較法的観点から分析がなされている。同憲章の存在を前提としているという意味で『憲法講義』は法実証主義に立脚しているが、このことが『憲法講義』の後世への影響力を弱めた原因の一つである。すなわち、『憲法講義』は現行制度に密着するあまり個々の点で理論的展開が不十分なものとなり、体制の崩壊ととものその妥当性を失ったのである。その結果、講義内容の学問的レベルは高いとはいえず、個々の点における後世への影響も強いとはいえない。しかし、『憲法講義』の意義は、フランス革命に由来する諸原理に立脚した公法を初めて体系化することによって近代憲法学の原型を示したことにあると考えるべきである。
著者
安田 好弘
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷法学 (ISSN:02864258)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.662-679, 2015-10-14
著者
時本 義昭
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.A1-A20, 2008-01

尾高朝雄のノモス主権論においては、抽象的な理念であるノモスに主権が帰属させられる。また、純理派は、革命期において、主権の帰属主体が「個別的で具体的」であったことが議会による無制限な支配や多数派による圧制をもたらしたとして、抽象的な存在である理性に主権を帰属させることを主張した。いずれにおいても、主権の帰属主体が抽象化されることによって主権の帰属主体自らによる主権の行使は不可能となり、その結果として主権の帰属と現実における主権の行使とが分離され、主権の行使は内在的に制限される。ところで、カレ・ド・マルベールの国民主権論における国民も抽象的な存在であることから、ノモス主権=理性主権=国民主権となる。さらに、宮沢俊義の国民主権論も、「誰でも」によって構成される国民が抽象的な存在であることから、この等式における国民主権に含まれる。その結果、意外にも、主権の帰属主体に関する限り、宮沢・尾高論争における理論的な対立的要素はなくなるのである。