著者
盛山 和夫
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.92-108, 2006-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
27
被引用文献数
1

一昨年のアメリカ社会学会会長ビュラウォイの講演以来, 「公共社会学」に対して熱心な議論が交わされている.これは現在の社会学が直面している困難な状況を「公衆に向かって発信する」という戦略で克服しようとするものだが, この戦略は間違っている.なぜなら, 今日の社会学の問題は公衆への発信がないことではなくて, 発信すべき理論的知識を生産していないことにあるからである.ビュラウォイ流の「公共社会学」の概念には, なぜ理論創造が停滞しているのかの分析が欠けており, その理由, すなわち社会的世界は意味秩序からなっており, そこでは古典的で経験的な意味での「真理」は学問にとっての共通の価値として不十分だということが理解されていない.意味世界の探究は「解釈」であるが, これには従来から, その客観的妥当性の問題がつきまとってきた.本稿は, 「よりよい」解釈とは「よりよい」意味秩序の提示であり, それは対象世界との公共的な価値を持ったコミュニケーションであって, そうした営為こそが「公共社会学」の名にふさわしいと考える.この公共社会学は, 単に経験的にとどまらず規範的に志向しており, 新しい意味秩序の理論的な構築をめざす専門的な社会学である.
著者
岡本 智周 笹野 悦子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.16-32, 2001-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
28
被引用文献数
4 2

本稿は, 戦後の新聞紙上で「サラリーマン」の表象がいかに変化してきたのかを分析する.近年しばしば「サラリーマンと主婦に子ども」という家族構成が家族の「55年体制」と称されている.その「55年体制的サラリーマン」が戦後の全国紙において生成し, 消失していく過程を具体的に提示することが, 本稿の意義である.分析の対象は, 1945年から1999年の『朝日新聞』における, 見出しに「サラリーマン」という語が入った全1034件の記事である.我々はまずこれらの記事を量的に検討し, それらを内容の面から8つのカテゴリーに分け, さらにカテゴリーごとに「55年体制的サラリーマン」を自明視する記事の割合の増減を検討した.この作業によって戦後を5つの時期に区分することができた.次に我々は, 内容分析によって各時期の「サラリーマン」の特徴を提示した.「55年体制的サラリーマン」に関して明らかになったことは, その自明性が高度経済成長期の初期に初めて成立し, 「サラリーマン」に対して1960年代後半においては「納税」が, ポストオイルショック期においては「性別役割分業に基づいた家族への回帰」が期待されていたことである.また, その自明性がバブル経済期半ば以降に問い直され始め, 1990年代において「サラリーマン」にはリスクを伴う個人化傾向・周縁化傾向が促されつつあるということも, 本研究によって確認された.
著者
山口 一男
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.552-565, 2003-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
9
被引用文献数
4 1

2001年日本社会学会のシンポジウムにおけるパネル討論での発表と議論を土台にしてそれをさらに拡大し, 「社会調査の困難」について米国で社会研究を行うものの立場から筆者が重要と考える以下の5つの問題に焦点をあてて論じる. (1) 「社会調査の困難」という概念について, (2) パネル調査の必要性と社会調査の目的との関連について, (3) 不完全情報の取り扱いについて, (4) 調査対象者の協力を得るということについて, (5) 調査対象者のインフォームドコンセントと人権保護について.
著者
江原 由美子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.74-91, 2006-06-30 (Released:2010-01-29)
参考文献数
9
被引用文献数
1

本稿の主題は, ジェンダーの社会学が, 社会生活に対してどのような意味を持っているのかを, シュッツの社会的行為論の枠組みを使用して, 記述することである.本稿では「理論化」という行為を, 実践的目的のために, 情報を縮減することと, 定義する.社会成員は誰も, 社会生活に適応するために, 多くの「理論化」を行っている.「ジェンダー」は, 社会成員のこのような「理論化」によって生み出される「理論」の1つである.「ジェンダー」は, 人びとの知覚を構造化し, 男女間のコミュニケーションの困難性を生み出す.ジェンダーの社会学は, 男女間のコミュニケーション困難性を探求することによって, 男女の相互理解を促進することに貢献してきた.ジェンダー・バッシングは, こうした男女の相互理解に向けた活動を, 破壊したのである.
著者
牟田 和恵
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.12-25, 1990-06-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
16
被引用文献数
2 1

本稿は欧米の近代家族史研究に触発されて、明治期刊行の七種類の総合雑誌・評論誌をデータとして近代日本の家族像の一端を探る試みである。記事の分析により得られた知見は以下の二点にまとめられる。 (1) 明治初期から旧来の封建的家族道徳を批判し新しい家族のあり方を模索する意識が現れ、二〇年代にはそれが「家庭 (ホーム) 」という言葉に象徴される、家内の団欒や家族員間の心的交流に高い価値を付与した家族への志向に結晶化する。その底を流れるロジックは、西欧化と産業化への意欲であり、国家と社会の発展のためには直系的「家」の論理は逆機能的であるという認識である。つまり「家庭」は家族員の情緒的結合の象徴であると同時に国家社会の発展の礎としても位置づけられているのである。 (2) 二〇年代後半以降、「家庭」型家族の理念にまた別の要素が加わる。明治初期の平等・友愛的な啓蒙的家族像は後退し、夫と妻の性役割分業が規範化されて「家庭」は「家婦」そして「主婦」が中心として存在し夫や老親に仕え子に献身する場となる。同時に家族や家庭は公論の対象から除外され、家庭はいわば「女性化」・「私化」する。これまで明治期以降の近代日本の家族については、明治民法による封建武士の家族制度の一般民衆への拡大、そして家族の「前近代性」、と結び付いた家族国家主義のイデオロギーによる国家の家族管理が論じられてきた。本稿はこれに異論を唱えるものではないが、明治期前半に西欧的な「家庭」型家族への志向が存在したこと、そして天皇絶対主義国家体制が確立し家族国家主義のイデオロギーの浸透する明治期中盤以降にこの新しい家族道徳もまたその土壤となり、同時に封建儒教的女性観を新たな形で普及させる機能を担ったというパラドックスが誌面から窺えることを指摘したい。
著者
薬師院 仁志
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.42-59, 1998-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
9
被引用文献数
1

本稿は, フィリップ・ベナールによる『自殺論』 (É.デュルケム, 1897年) の解釈を批判的に再検討する試みである。すなわち, ベナールによる解釈にもとづいて『自殺論』を再構成すると同時に, その限界を示すことを通じて, 『自殺論』という書物のもつ問題構成の重大性を再確認することを目標にしている。ベナールは, デュルケムの抱く女性にたいする偏見が, 『自殺論』においてデュルケム本来の理論をねじ曲げてしまったと主張する。デュルケムは, 女性もまた男性と同じように「自由への欲求」をもっていたのだという事実を隠蔽するために, 「宿命論的自殺」 (過度の拘束から生じる自殺) を追放してしまったというのである。ベナールは, 「宿命論的自殺」を『自殺論』から救出し, それとアノミー自殺とのU字曲線的関係を, 拘束という変数を軸に再構成したのである。本稿の課題は, ベナールによるこのような『自殺論』解釈を整理すると同時に, それがいかなる根拠にもとついて導出されたのかを明らかにし, あわせて, それがどの程度の妥当性をもつのかを理論的に検討することである。その際, 特に, ベナールが「集団本位的自殺」を自らの理論から除外したことに注目し, デュルケムとベナールの理論的相違点を明確にしたいと思う。
著者
南田 勝也
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.568-583, 1999-03-30 (Released:2010-11-19)
参考文献数
16
被引用文献数
2

本稿は, 20世紀後半を代表する音楽文化, 若者文化であるロック (Rock) を, 諸個人の信念体系や社会構造との関係性の分析を中心に, 社会科学の対象として論述するものである。ロックはその創生以来, 単なる音楽の一様式であることを越え, ある種のライフ・スタイルや精神的態度を表すものとして支持されてきた。それと共に, 「ロックは反逆の音楽である」「破壊的芸術である」「商業娯楽音楽である」といったように, さまざまにその “本質” が定義されてきた。ここではそれらの本質観そのものを分析の対象とし, 諸立場が混合しながらロック作品を生産していく過程について考察する。そのような視点を用いた論理展開をよりスムーズに行うために, ピエール・ブルデューの〈場〉の理論を (独自の解釈を施したうえで) 本論考に援用する。「ロック」という名称を共通の関心とする人々によって構成され, [ロックである/ロックでない] という弁別作業が不断に行われ, ロック作品がその都度生産されていく (理念的に想定した) 空間を「ロック〈場〉」と呼び, 〈場〉の参与者の社会的な配置構造とそこに生じるダイナミズムを論述することを主たる説明の方法とする。これらの考察を基にして, 最終的に汎用度の高いモデル図を作成し, 社会と音楽の関係性を総合的かつ多角的に把握するための一つの視座を提出する。
著者
兼子 諭
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.360-373, 2014

本稿は, アレグザンダーの「市民圏」論の検討によって, 公共圏論の理論的な刷新を図ることを目的とする.<br>公共圏論に大きな影響を及ぼすハーバーマスは, 公共圏を公論形成の領域と規定する点ではマクロ的な観点を保持する. だが, 直接的な対話による了解を志向する討議を公共圏におけるコミュニケーションのモデルとすることから, 民主的社会における市民の意思形成とマクロレベルでの政治プロセスの接続という点で理論的困難を抱えている.<br>これに対してアレグザンダーは「市民圏」概念を提唱する. 彼は, 市民圏におけるコミュニケーションを, 討議から, 感情的な共感に訴えることでオーディエンスからの承認を求めるパフォーマンスに代替することを主張する. 彼に従えば, 基本的なコミュニケーションをパフォーマンスとして捉えることこそが, 民主的社会における公共圏のより適切な理論化につながる.<br>理論的課題は多く, 公共圏におけるコミュニケーションがスペクタクルとして上演されることを肯定するだけという評価もあるかもしれない. だが, アレグザンダーの市民圏論が, 現代の民主的社会と公共圏の関係に対する新たな洞察を可能にすると, 筆者は主張したい.
著者
富永 健一 友枝 敏雄
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.152-174,268, 1986-09-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
13
被引用文献数
1 1

戦後四十有余年を経た今日、日本の社会科学は戦後の社会変動の帰結を実証的に明らかにする時期にきている。本稿の目的は、SSM調査三時点 (一九五五年、一九六五年、一九七五年) データの分析によって戦後日本社会の地位非一貫性の趨勢を明らかにすることである。この目的のために用いた分析手法は、 (1) 地位非一貫性スコアによる分析と (2) クラスター分析である。分析の結果、 (1) 一九五五年から一九七五年までの二〇年間に地位の非一貫性が増大したこと (2) 地位の非一貫性の増大は、この二〇年間の高度経済成長が下層一貫の人びとの地位の部分的な改善をなしとげることによっておこったこと (3) 主観的階層帰属や政党支持などの社会的態度に関して、非一貫の人びとは、上層一貫の人びとと下層一貫の人びとの中間に位置しており地位非一貫性が欲求不満やストレスをひきおこし、革新的な政治的態度と結びつきやすいというレンスキーの仮説は、日本社会にはあてはまらないこと、が明らかになった。以上の分析から、地位非一貫性は、地位の結晶化が不十分な場合に生ずる異常な状態ではなくて、むしろ高度産業社会においては正常な状態であり、しかも階層構造の平準化や平等化をもたらす重要なメカニズムであると考えられる。
著者
小泉 義之
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.209-222, 2004-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20

健康と病気の社会構築主義は, 生物医学モデルを批判し, 社会モデルを採用した.そして, 健康と病気を生命現象ではなく社会現象と見なした.そのためもあって, 社会構築主義において批判と臨床は乖離することになった.そこで, 健康と病気の社会構築主義は心身モデルを採用した.心身モデルとゲノム医学モデルは連携して, 心理・社会・身体の細部に介入する生政治を開いてきた.これに対して, 生権力と生命力がダイレクトに関係する場面を, 別の仕方で政治化する道が探求されるべきである.

7 0 0 0 OA 甘える男性像

著者
中尾 香
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.64-81, 2003-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
15

本稿の目的は, 戦後期日本において共有されていた男性イメージを確定するための作業の第一歩として, 戦後の『婦人公論』にあらわれた男性イメージを明らかにすることである.その結果, 明らかになったのは, 1950年代に登場した二つの系譜による男性イメージ-戦後に大衆化しつつあったサラリーマンが担うようになった「弱い」男性イメージと, 「家制度」のジェンダーを焼き直した「甘え」る男性イメージ-が, その後重なり合いながら展開し, 1955年頃から1960年代半ばにかけて繰り返し言説化されたことである.それらは, 男性の「仕事役割」を強調することをてことして, 私的な空間におけるジェンダーを母子のメタファーで捉え, 男は「甘え」女は「ケア」するというパターンを共有していた.さらに, 「仕事をする男性像」と「甘える男性像」のセットは, 60年代に言説にあらわれた「家庭的な男性」とは矛盾するものであった.この結果より, 次のような仮説を提示した. (1) 「甘え役割」と言い得るような男性の役割が成立していた可能性, (2) その「甘え役割」が女性の「ケア役割」を根拠づけているということ, (3) 「甘え役割」は「仕事役割」によって正当化されているということ, (4) 否定的に言説化された「家庭的男性」が「甘え役割」および「仕事役割」のサンクションとして機能していた可能性である.
著者
阪井 敏郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.2-34,117, 1960-10-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
13
被引用文献数
1 1
著者
籠谷 和弘
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.584-599, 1999-03-30 (Released:2010-11-19)
参考文献数
21
被引用文献数
1 1

うわさに対する否定行動は, 多くの場合望ましい成果をもたらさない。逆に否定そのものが原因で, 陰謀論との結びつきなど, うわさの背後にある「物語」の強化が起こることがある。本研究ではこの問題に取り組むために, 「不完備情報ゲーム」を用いた数理モデル分析を行う。まずうわさの伝播に影響を与える要素について検討し, 三要因 (不確実性, 心理的緊張, うわさへの信用度) を取り出す。次に伝播行動に対するうわさを信じる者の利得について, その二側面, 「選好」と「大きさ」を考え, その意味を考察する。そしてこれら三要因と利得の二側面とを考慮に入れた数理モデルを構築し, 分析を行う。その結果, うわさの否定が功を奏するための, いくつかの条件が導出される。ほとんどは自明なものであるが, 一つの興味深い条件が存在することが明らかになった。これはうわさを信じる者にとっての, ゲームの価値に関するものである。その内容は, うわさが虚偽である (否定が正しい) ときに, うわさを伝えることから被るリスクが大きい, というものである。これに対し, うわさが本当であるときに問題の重要性が高い場合, 人々はうわさを伝え続ける。これはうわさが, 陰謀論と結びつきやすいことを説明するものである。
著者
荻野 達史
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.311-329, 2006-09-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
51
被引用文献数
4

「社会運動の今日的可能性」を探るために, 後期近代における「個人化」の趨勢に注意を向けた場合, 2つの問いが導かれる. (1) 個人化の状況は, 理論的にみて, いかなる社会的運動を要請しているのか (2) 経験的には, その要請に見合う運動が展開されているのか本稿はこれらの問いに答える試みである.第1の問いに対しては, 個人化に関する議論に, Honneth (1992=2003) の承認論を合わせて検討することで, Cornell (1998=2001) のいう「イマシナリーな領域」への取り組みが求められることを導き出す.すなわち, 自己アイデンティティの構築に重い負荷をかける個人化状況は, ときに著しく損壊した自己信頼の再構築と, 志向性としての「自己」を「再想像」するための時空間を創出する取り組みを要請するこの課題は, Giddens (1991=2005) のライフ・ポリティクスの議論でも十分に意識化されていないため, 本稿では “メタライフポリティクス” として定位した.第2の問いに対しては, 1980~90 年代以降に注目を集めるようになった「不登校」「ひきこもり」「ニート」といった「新たな社会問題群」に取り組んできた民間活動に照準した.とくにそれらの活動が構築してきた「居場所」の果たしている機能とそのための方法論を検討し, 理論的課題との整合性を確認した.また, 同時に運動研究史上の位置づけを明確にした
著者
奥村 隆
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.486-503, 2002-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20
被引用文献数
1

「社会」というリアリティが喪失している, という.では, いかなる状況において「社会」はリアルに経験されるのだろうか.そのひとつは, いわば「社会を剥ぎ取られた地点」を経験・想像することを通してであるように思われる.この地点から「社会」を認識・構想することを, これまで多くの論者が行ってきた.われわれは, この地点をどう想像できるだろう.そこから「社会」はどのように認識されるのだろう.本稿は, ルソー, ゴフマン, アーレントという3人の論者がそれぞれに描いた「社会を剥ぎ取られた地点」と「社会」への認識を辿るノートである.そこでは, 人と人とのあいだに介在する夾雑物を剥ぎ取った「無媒介性」とも呼ぶべきコミュニケーションに対する, 異なる態度が考察の中心となる.このコミュニケーションを希求しそこから「社会」を批判する態度を出発点としながら, 「同じさ」と「違い」を持つ複数の人間たちが「社会」をどう作るかという課題への対照的な構想を, 本稿は描き出すことになるだろう.
著者
内藤 莞爾
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.83-104,117, 1968-07-01 (Released:2009-10-20)

In 1641, Nagasaki was officially recognized as the only trade port in Japan. But actually the port was already opened in 1579, and the city formation had also been taking place since then. Meanwhile, there had been many thousands of martyrs and exiles among citizens as well as among foreign missionaries in consequence of the persecution to Christianity. Kyushu University owns the old census registers called “Ninbetsucho” of Hirado-cho in Nagasaki, some of which, in perfect preservation, are taken up as the data in this paper. Besed on them, I intend to examine the dynamic movements of family in those days. This study covers 29 years, from 1634 (K an-ei 11) to 1659 (Manji 1), during which the war of Amakusa broke out and the trade monopolization mention above took place. Some of our findings are as follows. Dividing the population into houseowners (Ie-mochi) and tenants as done in the census, we can observe that the former group contained a considerable number of large households. But houseowners at that time generally kept many domestics or servants other than normal family member of servants was almost as many as the other. So if we exclude them from the household members, the number of normal member of both types does not differ very much. Moreover, considering the relationship between normal members, many of them were in- or un- complete families. It is considered so far that ambitious people who gathered there from many parts of the country were stimulated by the rapid urbanization in Nagasaki. We tried to analize these mobile circumstances appeared in the family register of 1642, which alone had the “descriptive” style just suiting our purpose. According to this, people born in the city were less than half, and more than 80 % of their fathers were immigrants. As for sex distinction, the in-moving mobility rate of males was higer than that of females. We can confirm that they married native-born females in Nagasaki after moving into the city. In short, families in those days, in our impression, were the units of«laboring»rather than«living».To add the effects of the trade fluctuations to these, therefore, family continuity was very low in general. There were little cases of creation of branch families, too. On the other hand, the residential mobility after moving into the city was fairly high. An example illustrating such a mobility at that time was the case of converts, so called «Korobi». For instance, in 1634«Korobi»amounted to 60% of the population, which in 1659 decreased to 18% including the dead. Through the analysis of family dynamics, the image of early Nagasaki as a growing «Western City»could clearly be seen.

6 0 0 0 OA 家族の個人化

著者
山田 昌弘
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.341-354, 2004-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
37
被引用文献数
13 13 24

近代社会においては, 家族は国家と並んでその関係が選択不可能, 解消困難という意味で, 個人化されざる領域と考えられてきた.この2つの領域に, 選択可能性の拡大という意味で個人化が浸透していることが, 現代社会の特徴である.家族の個人化が日本の家族社会学者の間で考察され始めるのは, 1980年代である.それは, 家族の多様化という形で, 家族規範の弱体化が進んだことの反映である.考察に当たって, 2つの質的に異なった家族の個人化を区別することが重要である.1つは, 家族の枠内での個人化であり, 家族の選択不可能, 解消困難性を保持したまま, 家族形態や家族行動の選択肢の可能性が高まるプロセスである.それに対して, ベックやバウマンが近年強調しているのは, 家族関係自体を選択したり, 解消したりする自由が拡大するプロセスであり, これを家族の本質的個人化と呼びたい.個人の側から見れば, 家族の範囲を決定する自由の拡大となる.家族の枠内での個人化は, 家族成員間の利害の対立が不可避的に生じさせる.その結果, 家族内部での勢力の強い成員の決定が優先される傾向が強まる.家族の本質的個人化が進行すれば, 次の帰結が導かれる. (1) 家族が不安定化し, リスクを伴ったものとなる. (2) 階層化が進展し, 社会の中で魅力や経済力によって選択の実現率に差が出る. (3) ナルシシズムが広がり, 家族が道具化する. (4) 幻想の中に家族が追いやられる.
著者
朴 沙羅
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.275-293, 2013

近年, 敗戦直後の連合軍占領期 (1945年9月から52年4月) における人口移動が解明されるにつれて, 在日コリアンの一部が太平洋戦争後に日本へ移住してきたことも次第に明らかにされてきた. その移動は通常, 「密航」や「不法入国」と呼ばれ, 管理され阻止される対象となった. しかし, 「密航」という言葉のあからさまな「違法性」のためか, 「密航」を定義する法律がどのように執行されるようになったかは, 未だ問題にされていない.<br>本稿が問題とするのはこの点である. 出入国管理法が存在せず, 朝鮮半島からの「密航者」や日本国内の「朝鮮人」の国籍が不透明だった時期に, なぜ彼らの日本入国を「不法」と呼び得たのか. 「密航」はどのように問題化され「密航者」がどのように発見されていったのか. これらを探究することは, 誰かが「違法」な「外国人」だとカテゴリー化される過程を明らかにし, 「密航」をめぐる政治・制度・相互行為のそれぞれにおいて, 「合法」と「違法」, 「日本人」と「外国人」の境界が引かれていく過程を明らかにすることでもある.<br>したがって, 本稿は, 朝鮮人の「密航」を「不法入国」と定義した法律, その法律を必要とした政治的状況, その法律が運用された相互行為場面のそれぞれに分析の焦点を当て, それによって, 植民地放棄の過程において「日本人」と「外国人」の境界がどのように定義されたかを明らかにしようと試みる.
著者
池本 淳一
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.169-186, 2013

武術学校とはスポーツ化した「競技武術」の専門課程をもつ中国における私立の体育系学校であり, 1980年代までの間に大学やナショナルチームを中心に発展してきた. 本稿は武術学校における再生産戦略とアイデンティティ構築に着目し, 競技武術の民間普及をもたらした社会的背景と, 実践者にとっての競技武術の意味を明らかにする. 具体的には以下の点を明らかにした.<br>第1に, 武術学校への転入学は農村の教育問題や都市の住居問題を解決するために, 農民や農民工の親によって決定された再生産戦略の一部であったこと. 第2に, 武術を学歴取得や就職のための技能として受入れ, 親の用意した再生産戦略を自分自身の戦略として受け継いだ生徒のみが, 中学部以上に進学していくこと.<br>第3に, 卒業生の多くは武術教師や警備員として都市で就職していくこと. 他方で豊富な身体資本を蓄積した生徒はステート・アマに, 豊富な文化資本を蓄積した生徒は体育大学・教育大学の武術科の大学生となること.<br>第4に, 卒業後, 武術は本人の出世と親子での都市移住を達成させるための経済資本となること. くわえて武術に打ち込むことで, 武術がナショナルかつ私的なアイデンティティを生み出す「身体化された文化資本」となること.<br>最後に競技武術の民間化をもたらした社会的背景, 武術文化が生み出す公的で私的な文化的アイデンティティ形成の可能性と危険性, 武術のローカリゼーションに関する諸問題を指摘した.
著者
樋口 明彦
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.2-18, 2004-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
33
被引用文献数
5

本稿では, ヨーロッパの社会政策において注目されている社会的排除アプローチを考察して, このアプローチが現代社会における新たな不平等の理解にとって有効であることを論じる.最初に, 社会的排除に関する先行研究を検討して, 貧困から社会的排除に至る社会科学上のパラダイム変化, および社会的包摂という新たな政策的フレームワークの導入という2点を指摘する.同時に, 社会的排除アプローチに対する根本的な批判に応じて, 社会的包摂の内在的ジレンマを吟味する.次に, 現在EU諸国が最優先している積極的労働市場政策が抱える内在的ジレンマに焦点を当て, その問題点を検討する.その問題点とは, 失業者に有償労働を強いる政策が彼らをいっそう脆弱にするという逆説的状況を指す.そのうえで, 地域コミュニティにおける社会的ネットワークの構築と文化的アイデンティティへの支援が, そのような経済的側面における破壊的影響力の緩衝材として機能している様子を示す.さらに加えて, 権利要求運動としてのシティズンシップが, あらゆる人々に対する社会的包摂にとって必要であることを指摘する.最後に, 複層的メカニズムとしての社会的包摂こそが, グローバリゼーションが進展して, 人々が日常生活のなかで多様なリスクを抱える不安定な社会において, もっとも有効なフレームワークであることを結論づける.