著者
波木井 優子
出版者
立教大学日本語研究会
雑誌
立教大学日本語研究 (ISSN:21853134)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.105-118, 2021-03-25
著者
細谷 篤志
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.52, no.17, pp.81-111, 2021-03-29

本稿では、近世朝廷における組織的な記録管理の実態について、口向を事例に検討した。 口向とは、近世において御所の日常業務を管掌した組織・空間のことで、そこに勤仕し た実務担当者を口向役人という。彼らは、朝廷内での広範な実務や雑務に対応した役職に 就き、朝廷の円滑な運営に貢献した。また、江戸幕府から派遣された旗本の禁裏付武家が 実質的に口向役人の任免を司ったことから、口向は幕府による朝廷統制の末端に位置づい ていたといえる。 その役人集団のなかに、文書・記録管理に専従する役職として「日記役」があった。正 徳5年(1715)の設置以来、幕末まで計64名の就任が確認される。同役が筆録した記録 には「禁裏執次所日記」があり、その一部である計71冊が宮内庁書陵部に現存している。 収載内容は、口向役人に関する事柄のほか、朝廷の年中行事や、天皇・公家らの相続、幕府・ 諸大名による朝廷献上物など、きわめて多岐にわたる。 同記録は、口向の筆頭職「取次」が職務上の必要から利用したものと思われるが、その作成や簡便な利用のために、日記役を中心として口向の諸職が組織的に動員された。さら に記録の情報源は、朝廷の各部署などから取次にもたらされた文書類が中心であったと みられる。したがって、朝廷全体での出来事を総括した公的記録たる「禁裏執次所日記」 の管理は、口向の組織的基盤と取次の情報集積機能によって存立していたと考えられる。The example of “Kuchimuki” is used in this paper to examine the actual circumstances of systematic records management in the early modern imperial court. “Kuchimuki” refers to the organization responsible for the daily work of the early modern imperial palace. The persons in charge of the organization’s business are known as “Kuchimuki-yakunin”. These individuals hold positions that correspond to various businesses in the imperial court and contribute to its smooth operation. Among these groups of officials, there is a position known as “Nikki-yaku” that is dedicated to records management. These individuals write the Kinri-Toritsugisho-Nikki, in which various events of the imperial court have been recorded. Seventy-one books still exist in the archives and the Mausolea Department of the Imperial Household Agency. These records were thought to be used by “Toritsugi”, the primary profession of “Kuchimuki”, because of its duties. The various “Kuchimuki” professions were systematically mobilized for its creation and simplified use centering on “Nikki-yaku”. The information sources for these records were also thought to center on the documents brought to “Toritsugi” by each department of the imperial court.
著者
高木 利久
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.d12-d24, 2021-04-15

生命科学は,ヒトゲノムの解読以来,ビッグデータを基盤としたデータ駆動型の研究に変貌を遂げつつある.このような背景のもと,約15年前に我が国におけるこの分野のデータの共有・統合を目指す統合データベースプロジェクトが開始され,それを推進するためのデータベースセンタも整備された.本稿では,この15年にどういうことがあったのか,そこから得られた教訓は何か,僭越ながらそれらを「10の教え」としてまとめたので紹介する.
著者
八木 直人
出版者
新潟産業大学附属東アジア経済文化研究所
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要
巻号頁・発行日
no.46, pp.19-31, 2016-02

本論文では,(S, s) 在庫政策を伴う一般的な投入産出構造と時間構造を持つマクロ経済モデルを提示し,経済変動における離散的数量調整過程の特性を分析する。とくに個々の企業の生産および派生需要の伝播によるマクロ的在庫調整過程をそれぞれ演算として定義し,在庫調整過程の安定性に関する条件を示す。また演算の集合としての群を定義し,外生需要によって引き起こされる在庫調整過程を代数的に分析するアプローチを示すとともに,在庫調整過程とマクロ動学における安定集合の代数構造を分析する。最後に,マクロ経済の在庫水準の長期的な定常状態について分析する。
著者
小島 弥生 田中 道弘 Yayoi KOJIMA Michihiro TANAKA
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 = Bulletin of Saitama Gakuen University. Faculty of Humanities (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.113-125, 2020-12-01

先行研究(田中・小島, 2019)に引き続き、諦観傾向尺度の構成概念妥当性を検討することが本研究の目的であった。諦観傾向の強さは自己肯定感との間に負の相関関係があると想定した。また、諦観傾向と自己愛との間の相関、諦観傾向と友人関係への態度(深い友人関係を望むか否か、広い友人関係を望むか否か)との間の相関についても探索的に検討した。予測どおり諦観傾向と自己肯定感の間には強い負の相関が示されたほか、諦観傾向と自己愛の下位概念である主導性との間に弱い負の相関がみられた。また、諦観傾向と友人関係への態度の間には性差がみられ、男性は諦観傾向が強いほど狭い友人関係を志向するのに対し、女性は諦観傾向が強いほど浅い友人関係を志向するという結果が得られた。
著者
渡邉 勉
出版者
目白大学
雑誌
目白大学心理学研究 = Mejiro Journal of Psychology (ISSN:13497103)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-15, 2018-03-31

高村(旧姓,長沼)智恵子(1886~ 1938)は油絵画家として自立する志を抱き,『青鞜』創刊号表紙に凛とした女神を描いた。本論は彼女のその後をイメージの観点から臨床心理学的に考察した。彼女は彫刻家・詩人の高村光太郎(1883~ 1956)と出会い芸術家同士の新しい生活を始めたが,油絵制作の悩みや共棲の葛藤に直面していた時に,郷里の原家族が破産した。精神のバランスを崩し自殺を企て,その後統合失調症を発症した。入院後彼女は色紙の切抜きを日課にして,膨大な作品を残した。特に「蟹」は傑出していて自己イメージの投影が生じたようだ。光太郎は健やかな妻も病む妻も詩集『智恵子抄』に謳いあげた。賞賛も批判もあるが,誰も二人の生活のミステリアスな謎を解明することはできない。智恵子の死後,光太郎は十和田湖畔に二人の女性の裸像群を建てた。それは智恵子の面影を写していると評されたが,彼は完全に肯定していない。智恵子を賛美する自分を認識している,その自分の自覚を表現しているのかもしれない。いのちの最期に彼らが創出したイメージは,あたかも無意識に導き出されたかのように,それぞれの本来の資質を明らかにしているだけでなく,彼らの生涯を象徴している。智恵子の紙絵は,美しいものを求める執念だけでなく,ようやく自己の本来性を探り当てた喜びの表現でもあるに違いない。だからこそ光太郎ひとりにその秘かな楽しさを打ち明けたのではないか。
著者
倉光君郎
雑誌
第54回プログラミング・シンポジウム予稿集
巻号頁・発行日
vol.2013, pp.27-34, 2013-01-11

Mini Konoha�は、究極の、もう少し具体的にいえば人類が開発する最後のスクリプト言語処理系、つまりもう新しいスクリプト言語は設計しなくてもよいといえる仕様の実現を目指している。本稿では、Konoha/KonohaScriptの開発経験からふりかえり、言語性能、応用領域、文法やプログラミング教育、ソフトウェア工学との関係など、様々な面から究極なスクリプト言語の設計を考えてみたい。