著者
金 釆洙
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.28, pp.177-207, 2004-01-31

湾岸戦争以降、世界の情勢はアメリカ中心になりつつある。EC(ヨーロッパ共同体)は、世界の情勢がアメリカ中心になっていくことを防ぐ方法としてEU(ヨーロッパ連合)に転換してきた。しかし、東アジア地域の国々は二十世紀のナショナリズムに縛られ、アメリカやヨーロッパの動きに対応できるような連帯形態を作れないのが現状である。 本研究は、アメリカ、ヨーロッパ連合に対応できる東アジア連帯構築のための雰囲気醸成の一つとして、グローバル的観点から近代日本のナショナリズムがどのように形成され、またどのように展開されてきたのかを考察することを目的とする。 考察は近代化過程における日本人のナショナリズムがどのように形成されたのかという問題を、まずその時代的背景と思想的背景から論じ、次に日本の為政者たちがどのようにそれを啓発していったのかを検討する。そしてそれをどのように国民に注入していったのかを把握する。最後にナショナリズムへと転換していった時の国民がどのようにナショナリズムを発揮していったのかを考察してみることにする。 その考察から筆者は近代日本のナショナリズムの成立とその展開様相について次のような結論を導き出した。第一、日本のナショナリズムは十九世紀初めから東進してきた近代西洋の産業資本主義勢力との接触とその勢力と対決してゆく過程で成立したと言える。すなわち、それは近代西欧勢力と日本との対立構造から生まれたというのである。第二、明治維新を通して政権を握った、幕府時代の外様藩を中核とした藩閥政府が西欧列強諸国から国家的安全と彼らとの平等を追究していきながら彼ら自身の政権を維持していく過程でそれが拡大・強化され、定立されたと言える。第三、日本のナショナリズムは「皇祖皇宗」という観念を基礎とする国体思想が明確に提示され、「大日本帝国憲法」の発布と「教育勅語」の発布を契機として、国体思想が学校教育を通して被教育者に注入されることによって確立されたと考察される。第四、日本のナショナリズムはその後日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などといった戦争を通して展開していき、敗戦後には占領軍の日本文化の断絶政策に対抗して文化的次元で展開していったのである。第五、近代日本のナショナリズムは神道・皇道思想などの基礎をなす自然思想と深く結ばれており。近代西洋の科学思想とも深く結ばれている。第六、近代日本のナショナリズムは近代西欧勢力との接触とそれとの敵対的関係を通して成立・確立されていったにもかかわらず、日本がその過程で彼らの文物を学んで行かざるを得ない立場であったため、その中には「洋才」思想に基づく「殖産興業」思想や「科学立国」の近代西欧勢力に対する友好的感情なども内包していると言える。第七、近代日本のナショナリズムの目標の一つはアジア主義を実現していくことであり、近代以前徳川幕府との友好関係を結んでいた韓国・中国等の大陸の国々を支配していくことであったと言える。第八、近代日本のナショナリズムは敵対と友好とで特徴づけられる現代日米関係の原型として捉えられる。
著者
杉本 厚夫
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.69-76, 2006

阪神タイガースは兵庫県に本拠地(甲子園球場)を置きながらも、大阪という地域アイデンティティを強く持っている不思議なチームである。また、2004年は4位であったにも拘らず、甲子園球場には延べ350万人もの観客動員数があったという。そこで、本稿は阪神タイガースファンの応援行動から、その背景にある大阪文化を逆照射してみたい。ジェット風船を飛ばしたり、メガホンを打ち鳴らしたり、応援のパフォーマンスを持った観客は、観ることから参加することへと変容した。この「ノリ」のよさは、大阪の「いちびり」文化を基盤としている。タイガースファンにとっては勝ち負けより、興奮できるゲームだったかが大切である。つまり、見る値打ちがあるかどうかで判断し、面白い試合だったら「もと」が取れたと言う。興奮するという「感情」を「勘定」に読み替える大阪商人の文化が息づいている。法被を着ることで、応援グッズを持つことで、仲間であることを表明した途端に一体感が生まれる。相手と一体化する「じぶん」の大阪文化を、甲子園球場という祝祭空間で体感することで、人々は都市の孤立感から救われる。六甲おろし(タイガースの応援歌)やそれぞれの選手の応援歌は、ただ単に観客を煽るだけではなく、同時に観客を鎮める働きを持っている。そこには、「つかみ」と「おち」の上方のお笑い文化が潜んでいる。
著者
大久保 将貴
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.20-34, 2019

<p> 因果推論とは,因果効果を識別するための仮定を満たすような工夫や戦略のことを意味する.因果推論については,すでに膨大な理論と方法が提起されている.ただし,因果推論が必ずしも具体的な方法と対応しているわけではないため,因果推論といった時にイメージする理論と方法は分野間で大きく異なる.本稿では,社会科学のみならず様々な分野の視点を考慮し,因果推論の理論と方法を体系的にレビューする.さらに,因果推論の限界と可能性について,今日でも繰り広げられている論争を紹介する.</p>
著者
嵯峨山 茂樹
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告音声言語情報処理(SLP)
巻号頁・発行日
vol.1994, no.40, pp.23-30, 1994-05-20
被引用文献数
18

いままで多数の研究者が、音声認識は有用な技術であると信じて研究開発に多大な努力を払ってきた。しかし、実際にはその実用化は思ったほどはかどってはいないようである。何が問題なのだろうか?何を解決すれば爆発的に実用になるのだろうか?この問題を議論するために、E?mailを用いた事前討論を開始し、多数の方々からの返答を得た。この報告書は、これら返答の中から筆者が取捨選択してまとめたものを基礎に、筆者の考えも加えて議論している。Although a number of researchers and engineers have paid considarable efforts in research and developement of automatic speech recognition technologies, speech recognition is not yet so widely used in the real world as we expected. What is the problem? What should be done to bring a boom of real applications to the speech recognition technology? To raise a wide-spread discussion, the author introduced an E-mail discussion on this problem. A number of replies have been received from speech researchers. This report includes summary of the E-mail discussion as well as author's own views.
著者
笹野 友寿 塚原 貴子
出版者
川崎医療福祉大学
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.47-53, 1998-06

看護大学生56名を対象として, 機能不全家族とアダルト・チルドレンの関係について調査した.機能不全家族尺度(DF尺度)とアダルト・チルドレン尺度(AC尺度)の間には, 有意な正の相関が認められた.DF尺度で特に注目すべき項目は, 「期待が大きすぎて何をやっても期待にそえない家庭」「他人の目を気にする表面だけ良い家庭」「嫁姑の仲が悪い家庭」であった.また, AC尺度で特に注目すべき項目は, 「私は常に承認と称賛を求めている」「私は過剰に責任を持ったり過剰に無責任になったりする」「私は衝動的である」であった.そして, データを解析した結果, 大学生の精神保健活動において, DF得点が4点以上で, AC得点が12点以上の者については, アダルト・チルドレンを念頭に置いて, 精神科医または臨床心理士が面接することが望ましいと思われた.なお, アダルト・チルドレンのACODとACOAの間には, 異種性が存在する可能性が示唆された.
著者
芝 健介
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学比較文化研究所紀要 (ISSN:05638186)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.67-88, 2001

1995年にドイツの代表的週刊誌『シュピーゲル』は、そのニュルンベルク裁判50周年特集号に「勝者の裁き」という見出しをつけた。すでに1985年の40周年特集号で同誌は、カイテルやリッベントロップ、フリック等、死刑判決を受けた被告の、刑執行直後の遺体写真をセンセーショナルにとりあげ、「時代の犠牲者」というメッセージを暗示していた。こうした見方、扱い方は、日本ではさらに激しく表示され、1996年の東京裁判50周年のシンポジウム(『争論・東京裁判とは何だったのか』築地書館、1997年参照)では、ナチ体制の犯罪、わけてもホロコースト(ユダヤ人絶滅政策)が、日本の「通常の」戦争犯罪と比較し、類をみぬ犯罪であったにもかかわらず、ニュルンベルク裁判よりも厳しい判決が東京裁判では下された、というイメージが参加者の想起するところにはかならないことも判明した。いずれにしても、裁判への強い関心とはうらはらに史上未曾有の大規模な戦犯裁判自体の意義は、おしのけられがちで、歴史のテーマとしても貶価されがちだったことは否めない。最近まで、ニュルンベルク裁判と東京裁判との比較も、本格的系統的におこなわれるようなことはほとんどなく、なされても副次的なこころみにすぎなかったのが実情である。東京裁判はニュルンベルク裁判をモデルとしながらも、それとは重大な相違を帰結することになった。小稿では、ヨーロッパと「極東」の両戦犯裁判の間に横たわるこの重大な差異についてさまざまな角度から特徴づけることを念頭におきながら、(1)戦犯裁判の成立過程(裁判憲章と構成)、(2)連合国の戦犯追及政策への枢軸側の対応、(3)なぜ多くの犠牲者の問題がなおざりにされたのか、わけても「アジア」の民衆被害者の貶価の問題、(4)判決と裁判証拠・ドキュメント史料の4点にわたって比較検討吟味した。小稿は、比較文化研究所総合研究プロジェクト・近現代における戦争終結過程の研究(松沢哲成教授主宰)に参加した筆者のささやかな成果であるが、2000年5月17日夕、ボーフム(ルール大学)でおこなったドイツ語の講演を基本的に再録したもので、このようなテーマで話す貴重な機会を筆者にお与え下さったノルベルト・フライ教授Professor Dr・Norbert Frei, Neuere und Neueste Geschichte an der Ruhr-Universitat Bochumに心から感謝申し上げる。また同大学日本学科のレギーネ・マティーアス教授Professorin Dr. Regine Mathiasはじめ、鋭い質問を投げかけ、熱心に耳を傾けて下さった方がたにも感謝申し上げたい。なお付表Anhang Aは、ニュルンベルク国際軍事裁判と12のニュルンベルク継続裁判の計199名の被告に対する判決一覧で、継続裁判で首席検察官をつとめたテーラー准将の、今ではなかなか入手しがたくなった著書Telford Taylor, Die Nurnberger Prozesse, Zurich 1951,S. 160-166.から再録させていただいたが、たとえば最初のへルマン・ヴイルへルム・ゲーリングの場合、ゲーリングが日本流にいえば姓Familiennameであるから、本来ならばGoring, Hermann Wilhelmとコンマを挿んで(フォンを称号にしている人の場合、たとえばヨアヒム・フォン・リッベントロップの場合も同様にvon Ribbentrop, Joachimと)表記しなければならない。しかし原頁尊重からオリジナルのままとしたので御注意いただきたい。Anhang Bは、東京裁判25名の被告に対する判決一覧で、折しもドイツ滞在中だった筆者作成のものであるが、関東(Kwantung)軍、張鼓峰(Changkufeng)事件、ノモンハン(Nomonhan)事件等の欧文表記法について東京から懇切に御教示いただいた松沢哲成教授にも感謝申し上げたい。
著者
井伊 雅子
出版者
公益財団法人 医療科学研究所
雑誌
医療と社会 (ISSN:09169202)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.205-218, 2008
被引用文献数
2

第2次世界大戦後,多くの途上国は先進国型の医療・保健システムを導入しようとした。しかしその対象は主に都市部に限られ,人口の多くを占める農村のための医療は軽視されてきた。日本では1961年に国民皆保険が達成されたが,1922年に制定された健康保険法に次ぎ1938年に国民健康保険法が成立し,戦前に農村を含む医療保険制度の骨格が形成された。インフォーマルセクターが相対的に多い経済構造の中でどのようにしてその取り組みを行い,社会保険を構築してきたのか,その歴史的な経緯を考察することは,現在公的医療保険制度の設立に取り組んでいる途上国への重要な示唆となる。<br> この小論では,明治の近代産業の勃興とともに大きな問題となった労働者保護のために始まった工場法,本格的な社会立法である健康保険法,戦時体制の中で急速に整えられた国民健康保険法などを紹介しながら,1961年の皆保険制度への布石を分析する。また,皆保険達成後の日本の医療保険制度について,国民健康保険の問題(経済構造の変化や高齢化といった社会状況の変化に対応していないために引き起こされた制度疲労,場当たり的な制度変更の積み重ねによる制度の複雑化と責任所在の不明化),公平な制度と言われる中で比較的議論されることの少ない負担の不公平の問題,高齢者医療保険制度への対応,保険者の役割という4つの視点から考察する。