- 著者
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小椋 純一
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.105, pp.297-317, 2003-03-31
日本の植生景観は,有史以来,特に植生への人間の関わり方により大きく変化しながら今日に至っている。それは,たとえば第二次世界大戦後に特に顕著なスギやヒノキなどの人工林の急速な拡大,あるいはここ30~40年ほどの間のマツ林の急激な減少などの森林の樹種的な変化もあるが,その他にも明治期以降における里山の森林樹高の変化,あるいは草原の減少などもある。本稿では,京都府の場合を例に,文献から明治期における植生景観の変化の背景を考察したものである。その結果,明治期における京都府内における植生景観の変化の大きな背景として,砂防事業の推進,山野への火入れ制限・禁止,植林の推進があったものと考えられる。そのうち,砂防については,明治4年以降に大々的な砂防事業が展開され,樹木の伐採や採草の制限・禁止などの措置がとられた。また,山野への火入れ制限・禁止も,森林の保護や拡大を主な目的としてなされ,それに対する規制は明治10年代よりかなり強くなっていった。また,明治初期より植林の奨励がなされ,それは山野への火入れ制限・禁止などで支えられることにより,明治後期にはしだいに盛んになっていった。これらのことにより,淀川流域の一部に存在したはげ山,農山村の採草地などとして存在した草原,あるいは燃料として利用された低木の柴地が減少していく一方,スギ・ヒノキを中心とした森林が拡大し,あるいは森林の樹木が高木化するなど,京都府内の植生景観に大きな変化が見られるようになったと考えられる。