著者
飯島 隆
出版者
日本醸造協会
雑誌
日本醸造協会誌 (ISSN:09147314)
巻号頁・発行日
vol.113, no.10, pp.588-612, 2018-10

経済連携協定(Economic Partnership Agreement: EPA)とは,関税削減といった自由貿易協定(Free Trade Agreement: FTA)に係る取極に加えて,非関税障壁の除去,知的財産や投資,協力などといった様々な分野に係る連携取極を二国間(バイ)や複数国間(プルリ)で締結するものである。世界貿易機関(World Trade Organization: WTO)による多国間(マルチ)自由貿易交渉が停滞する中,それを補完する観点から,WTO協定内の関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariff and Trade: GATT)第24条により,WTOの無差別原則と矛盾しないものとして許容されているEPAが,世界各国で積極的に活用されている。我が国においても2002年11月に発効した日シンガポール・EPAを皮切りに,2018年6月末現在で25ものEPA交渉を行い,うち15ものEPAが既に発効している。EPAは,酒類を取り巻く環境に対しても様々な影響を与える。日チリ・EPAは,日本市場における輸入ワインの勢力図を塗り替えたというだけでなく,日本におけるワイン飲用の習慣を一層浸透させることに貢献したと言えるだろう。また,2005年4月に発効した日メキシコ・EPAでは蒸留酒の地理的表示(Geographical Indication: GI)の相互保護が実現したほか,環太平洋パートナーシップ協定(Trans-Pacific Strategic Partnership Agreement: TPP)では,それに付随した交渉において米国が蒸留酒の容器容量規制撤廃に向けた手続き開始に合意するなど,EPAを通じ,日本産酒類の輸出環境に資する成果が様々な形で得られている。とりわけ,欧州連合(European Union: EU)とのEPAである日EU・EPAは,2013年4月に交渉を開始したが,EUが世界最大の酒類輸出経済圏であること,また歴史的・文化的背景から酒類に係る独自の哲学を有し,またそれに係る様々な規制・制度が古くから存在していることから,酒類環境に多大な影響を与えるものになることが交渉開始以前から想定されていた。日EU・EPAは2017年7月6日に大枠合意(agreement in principle),同年12月8日に交渉妥結(finalisation of the negotiations),2018年7月17に署名に至ったが,事実,酒類に関し,過去のEPAとは比較にならないほど様々かつ大きな影響を与える事項が合意された。今回,酒類にかかる合意内容について,基本的事項から技術的事項まで幅広く含めて解説する。
著者
森田 耕喜
出版者
国際医療福祉大学
雑誌
国際医療福祉大学紀要 = Bulletin of International University of Health and Welfare (ISSN:13424661)
巻号頁・発行日
no.2, pp.21-30, 1997-08-31

近代の合理主義思想は、存在のロゴスともいうべき神の理法がこの世界を貫徹し、神が創造したこの世界と人間とは神の一部を共有しているから、人間理性は世界の理性的法則を認識可能となるよう保証されているというものである。こうした人間の合理主義的理性は、近世的な自然科学思想や技術的発展に支えられているように見えるが、17世紀以来の思想家たちが腐心してきたのは神の存在と霊魂の不死性を証明することであった。デカルトの二元論は心身関係に決定的なものとなったが、その後の哲学思想がこの問題とどのように向き合ったかを検討することで、死の概念について考察する。カント哲学において、思弁的理性がその限界を超えて実体や霊魂の不死性について論証することは越権行為であり、不可能であるとされる。『純粋理性批判』において、「理論理性」の問題は「実践理性」の問題へと、即ち、人間の「自由」と「信仰」の領域へと移行されるのである。Nach dem rationalistiche Gedanken in der Neuzeit ist die Welt durch die Vorsehbnung als Logos des Seins geherrischt und weil Gott diese Welt und den Menschen erschaffen hat, besitzen beide geheinsam ein Teil der güttlichn Vernunft. So kann die menschliche Vernunft das vernünftliche Gesetz der Welt erkennen. Es scheint, daβ diese rationalistische menschliche Vernunft sich auf den naturwissenshaftlichen Gedanken und die technische Entwicklung stützt, aber quälen sich viele Denker seit 17 jahrhundert mit dem Dasein Gottes und der Unsterblichkeit der Seele. Decartes Dualismus spielt eine groβ Roll bei der Verhältnis zwischen Leib und Seele. Durch die Untersuchung der philosophische Gedanken danach möchten wir den Begriff des Todes in der Kantischen Philosophie.
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.13, pp.1-12, 1994-03

菅季治(1917〜1950)は,若くして生涯を閉じた,ひとりの忘れられた哲学者であり,北海道が生んだ教師でもある。その残したしごとは,25才から26才にかけて執筆されたものであるが,自由のない,不毛な時代にもかかわらず,その哲学,思想,文学,人間にむけた関心は,知識人としてのたしかな思索のあとをしめしており,その稀有な思想と生き方は,いまに生きつづけている。その核心は,自己同一性がいかにして成りたつか,という自己と他者との関係性,相互関係(はたらきかけ,相互活動)にむけられている,と同時に,同一性における,一人ひとりの内面のうごき,欲望(そのあらわれとしての快と不快)のあらわれ方にたいする,心理・行動の観察(記録)にむけられているのが特質である。菅の遺著「哲学の論理」は,人間のあり方のうちでも「他者」との関係性を追求しているが,これにたいして「人生の論理-文芸的心理学への試み」は,獲得されるべき自己,同時に,そとにあるものをつつみ,みずからをつくりだしていくなまの自己実現のプロセスをえかきだして,感清-情念の世界を基本に一個の人間学の構築をめざしている。本稿は,その成りたち,内容と方法,ならびにその先駆としての意義をあきらかにした。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.17, pp.225-234, 1998-02

菅の「人生の論理」の執筆は,1943年9月,戦時である。本論では,菅の論述のもとになっている,キエルケゴールならびにアミエルに焦点をあて,その整理と解釈を試みた。菅がうけたキエルケゴールやアミエルの影響についは,これまでも指摘があったが,誤解にもとづくと思われるものがある。これまでみてきたことからあきらかなように,菅の,豊かな感性のうえに築かれた,哲学的土台は,戦時にあって人間的価値をもった教養をしめていて,その心理の論述も,冷静な観察の眼を生かした考察となっている。とりわけ,絶対的,一元的な哲学の伝統のなかで,他者との自由な,人間的な社交と交際,それによるさまざまな問題の解決につなげていくことを見通した「相互承認論」の展開は,じつにあらたな人間関係の転換点をしめしている。すべての人が「自由な人」になることが,人間の根本のありかただというのが,菅の哲学の基本である。「自他」「相互承認論」を基礎づけているのが,この人間観であり,その原点となっているのが,人間を縛するものからの自由ということである。その批判のキーワードは,「世間」である。戦時の全活全般が,「他者抹消」(戦時がこの死生観のうえに築かれていたし,哲学がそうであったことに注目したい)が公の論理とされていただけに,菅がいまわれわれによびかけていることの意味は,時代を超えて重い。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.20, pp.265-274, 2001

これまで菅季治(1917〜1950)の生活思想,哲学思想の意義をあきらかにしてきた。その主要著書は「人生の論理」(1950年,草美社)「哲学の論理」(1950年,弘文堂刊)である。本稿は,遺稿「語られざる真実」(1950年,筑摩書房)にふれながら,戦後における菅のシベリア抑留体験をあきらかにするとともに,抑留者引揚問題が国内政治の最大の問題になるなか,証人としての菅の,国会における意見陳述,ならびにその意見表明にしめされた立場,内容について解析を行なったものである。それ自体,菅の生活・哲学思想の論理の展開でもある。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.19, pp.263-270, 2000

本稿の目的は,ひきつづき菅季治(1917〜1950)の戦中における生活思想,哲学のもつ意義をあきらかにすることである。菅の哲学研究の命題は,「ものははたらくはたらきは矛盾的自己同一 関係 関係のろんり」の追求であり,「なる 動く はたらく」,または「生成・運動」論の探求である。では,その「論理」は,どのような「はたらき」を対象化して,みちびかれたものかが,重要な,菅の哲学研究の課題となる。本稿では,とくに「人生の論理」(1950)「哲学の論理」(1950)のなかから,学問研究のあり方として,なにを探求し,なにを方法・内容としているか,をあきらかにするとともに,彼の戦中における研究・実践の一つの到達点をしめした。また,菅の西田幾多郎にむけられた批判点,ならびにコミュニケーション(交わり)論も,あらためて着目すべきものとしてとりあげた。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.15, pp.217-230, 1996-03

「天の下にあるものはすべて,同じ法則,同じ運命のもと,すべては同一の自然の相の下に現れるにすぎない。人間を縛って,この秩序の棚の内に拘束しなければならない」菅季治(1917-1950)の「人生の論理-文芸的心理学への試み」の「前かき」に,モンテーニュからかりたこのことばがある。地上にあるすべてのもの,そして人間すべて上も下もなく同一であり,「宇宙における人間の位置」についての,このただしい自覚がいまや必要だという。現実の人間の,この理念とはなんとひどくかけ離れていることだろうか,たがいに傷つけあい倒し合う人間,かがれ歪んでいる人間,争いのなかの傷つけあう人間を見聞きするくらいかなしいことはない,と菅はいう。本稿では,ひきつづき戦中におけるひとりの哲学徒の,人間心理の内面をとらえた思索と行動(観察と記録)をあきらかにしたが,その文学,哲学,思想,文芸をかりた臨床的な研究方法のなかに,今日のあらたな教育的人間学の構築への手順も期待できると思われる。とくに今回は,菅のキエルケゴールの考察から多くとった。末尾に,「人生の論理」から「孤独」「弱い魂」「たいくつ」の各節を資料掲載とした。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学教育学部旭川校特殊教育特別専攻科障害児教育研究室
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.138-152, 1995-03

菅季治(1917〜1950)の主としてスピノザ(B. Spinoza 1632〜1677)哲学による「心理学への試み」の特質と,その心理学的論述について考察するのが,本稿のねらいである。人間が他の人(他者)をみとめ,他者からみとめられる相互の人間関係がなりたつには,なによりも自由で平等な,たがいの人格がみとめられるということがあってのことである。自分と他者とを一体のものとみなし相互にはたらきかけあうことのなかに,自分(他者も自分)を見出していくというのが,人間のあり方である。菅が,戦争・国家・権力・支配という総力戦のなかで,人間どう生きるかを問いながら,その哲学の課題としたのも,この相互の関係の基本についてのものだったのである。(「哲学の論理」にくわしく展開されている)私の手もとに,菅が使用したスピノーザ「哲学体系」(原名倫理学)(小尾範治訳,昭和2年発行岩波文庫)がある。これには,菅がつけたいくつもの傍線のもと,赤鉛筆で三ヶ所,つよくうったものが目をひく。その一ヶ所は,概括するならつぎのものである。「われわれの存在を維持し,その活動能力を増大するものを善といい,これにたいしてわれわれの存在の維持を妨げ,阻害するものを悪という。こうしてわれわれは,あるものが,われわれの喜びとなり,あるものが悪となるものであることを知るのである」(第四部人間の屈従,或いは感情の力について下線は菅のもの)戦争真ただ中の菅の哲学ならびに心理学的論述の前提は,このなかにいいつくされているといってより。人間,どうあるべきか,同生きるべきか,の目標をかかげるとうよりか,まず人間,どう生きているか,どうあるかのほんとうのあり方(欲望,感情-よろこびとかなしみ)をあきらかにすることが,根本と考えられたのである。人間のあり方とは,なによりも自分をまもることであり,自分を維持し,肯定されることをのぞむものであり,けっしてきずつけられ,屈従すること,否定されることをのぞむものではないということである。菅の遺著「人生の論理」は,戦中に書かれたことを基本にしているが,人間,どうあるかのありのままのあり方と,その生き方を凝視し,観察・記録(主として文学・哲学・思想と菅自身の人間観察による)したものであり,同時に,その日常性,通俗性にたいする,するどい批評をとおして,人間,どう生きるかをふかく問うものとなっている。末尾には,資料として「愛」「競争意識」「世間」「卑屈」の各節を採った。
著者
松尾 雄二
出版者
宮崎大学教育文化学部
雑誌
宮崎大学教育文化学部紀要. 人文科学 = Memoirs of the Faculty of Education and Culture Miyazaki University. Humanities (ISSN:13454005)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.85-114, 2002-03-30

ニュートンの『プリンキピア』の巻末に付けられている「一般的注解」は、それが力学だけでなく神学や哲学や倫理学等、広範囲の諸問題とつながる内容をもつため、日本においてこれまで完全な訳がなかった。 ここにラテン語原文からの正確な訳を試み、また詳細な注によって解説を加えることで、17世紀科学革命の完成点といわれるこの著作を、彼自身がどのように見ていたかを明らかにした。 そこで彼は、人間一般の知的な営みの中に『プリンキピア』的方法論を位置づけながら、近代科学的思考が神学に基づいていることを主張している。
著者
内田 浩明
出版者
大阪工業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究では、カントの晩年の草稿である『オプス・ポストゥムム』の思想を、他の哲学者・思想家との関係に着目しながら究明した。本研究では、スピノザ主義やシェリング、シュルツェの『エーネジデムス』等の『オプス・ポストゥムム』の第7束や第1束で言及される思想との関係について考察したが、特にカントがどのような意図でスピノザ主義に言及したのか、そもそもスピノザやシェリングの思想を肯定的に捉えたのかどうかが解明できた。