著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.349-367, 2004-02-10

志賀重昂の著書『日本風景論』(1894)の中心的な位置を占める火山に関する記載部分の分析検討のうち、中部日本の火山等に関する志賀の記載をとりあげ、彼の剽窃や改竄の諸相をさらに明らかにした。特に高頭式編『日本山嶽志』(1906)のなかに志賀の訳読として掲載されている"Handbook for Travellers in Central & Northern Japan"の記事と『日本風景論』における記事とがほとんど同一の内容であることを明らかにし、剽窃の実態を検証した。また、志賀の郷里三河についての記載の不自然な比重のかけかたに、彼の強い愛郷心がみられることを示し、さらに大槻磐渓の語句の改竄が愛郷心と愛国心とを結び付けるための志賀の強引な操作であることを論じた。これら志賀が行った剽窃や改竄および不自然な構成などは、読者の愛郷心を、他国に冠絶する日本の風景を説くことによって愛国心を高めるための、確信犯的意図によるものであった。
著者
新田 章太 小西 俊司 竹内 郁雄
雑誌
情報教育シンポジウム論文集
巻号頁・発行日
vol.2019, pp.114-121, 2019-08-10

プログラミング教育の普及に伴い,プログラミング学習環境の構築や改善への期待が高まっている。企業などにおけるプログラミング研修や,新しいプログラミング教育法を開拓している学校では,プログラミング言語の多様化や高度化,アップデートへの対応が必要である。このためには,少ないヒューマンリソースで,進化の激しいプログラミング技術領域における学習教材・試験の編集・改善ができるシステムが望まれる。本研究では,学校や企業におけるプログラミング教育に用いることのできるシステムとして track というオンラインプログラミング学習・試験配信システムを提案する。 track は複数のプログラミング言語に対応しやすい実行環境や自動採点機能を搭載した,オンラインのプログラミング教材や問題を誰もが柔軟に作成・編集できるシステムである。本論文は track の研究課題と解決手法を記述し,プログラミング教育の新しい手法として提案する。
著者
中田 尚 吉見 真聡 片桐 孝洋 吉瀬 謙二 岡本 吉央 津邑 公暁
雑誌
研究報告計算機アーキテクチャ(ARC)
巻号頁・発行日
vol.2009-ARC-184, no.24, pp.1-6, 2009-07-28

先進的計算基盤システムシンポジウム SACSIS2009 併設企画として,マルチコアプログラミングコンテスト 「Cell チャレンジ 2009」 を開催した.文字列の編集距離を求める規定課題部門,および各チームが自由に課題を設定できる自由課題部門の 2 部門で行ったところ,のべ 77 チームの参加を集め,盛況に終えることができた.本稿では,Cell チャレンジ 2009 の実施報告を行う.
著者
東中 竜一郎|古川 忠延
雑誌
人工知能
巻号頁・発行日
vol.31, no.6, 2016-11-01
著者
尾城 孝一 Koichi OJIRO
巻号頁・発行日
pp.1-72, 2019-10-18

第1部: OA 概論• 定義• 背景• 小史• 現状第2部: OA の暗黒面• 粗悪ジャーナル(ハゲタカ)• Sci -Hub (学術論文海賊サイト)• APC (著者支払いモデル)まとめ
著者
王 一凡
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH) (ISSN:21888957)
巻号頁・発行日
vol.2015-CH-106, no.8, pp.1-4, 2015-05-09

大正新脩大蔵経所収 『一切経音義』 は,活字本でありながら多様な差異を有する膨大な異体字群を内包している.当資料を適切にデジタル化・UCS 符号化するためには,活字の異同を検討したうえで用字に関する体系的な理解を得る必要があるが,総字数 100 万字超,異なり活字約 3 万種と推定される本文を直接点検しながら,一貫性のある分析を行うことは困難である.したがって,活字の集計を省力化する手段が求められる.本報告では,オープンソースライブラリ OpenCV による自動処理を適用することでこれを実現する試みを紹介し,もって特定分野への汎用ライブラリの応用の可能性を提示する.
著者
千葉 精一
雑誌
尚美学園大学芸術情報学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Informatics for Arts, Shobi University (ISSN:13471023)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.11-32, 2006-11-30

近年、音楽用CDの世界ではポップス・ロック系ジャンルを中心に音量感(ラウドネス:LOUDNESS)を上げるためのレベル競争が激しくなってきている。それらの中には音量感を上げるための処理に行き過ぎと思われるものも見受けられ、音量感は上がったものの音質劣化や楽器バランスの変化が起きているのではないかとの疑問を持つに至り、その状況を検証し適正なCD収録レベルは如何にあるべきかについて考察を試みた。また、DVD-Videoは発売当初、映画が市場の大半を占めていたが最近ではライブやプロモーション映像を収録したミュージックDVDも多くのタイトルがリリースされてきている。これらの中にCDとDVD-Videoがひとつのパッケージに同梱された商品形態があり、一部には収録音声レベルにかなり差のある商品も存在することが判明した。音声レベルにばらつきがあることはユーザーにとって「その都度ボリュームを調整せざるを得ない」という不便さを招き、また同一メディアでありながら音量にバラつきがあること自体も問題であり、実態の検証と原因、改善策などについて考察してみた。
著者
菅野 博之 大塚 英志 泉 政文 山本 忠宏 本多 マークアントニー 大内 克哉 Hiroyuki KANNO Eiji OHTSUKA Masafumi IZUMI Tadahiro YAMAMOTO Mark Anthony HONDA Katsuya OUCHI
出版者
神戸芸術工科大学
雑誌
芸術工学2012
巻号頁・発行日
2012-11-30

WEB上にまんが表現が移行するということは、「単行本」や「雑誌」がWEBの環境下で新たな適応を求められることを意味する。現在のまんが表現は「コマ」を映画の1カットに見立て「モンタージュ」的に接続する一方、2頁単位の「見開き」に「構成」として配置するものであるが、そのような方法はWEB上では一度解体する。本研究では「横スクロール」形式によってiPadなどのタブレット上に帯状に描かれたまんがを表示する技法において、紙のまんがに替わる新しい文法形式を検証するため、中世の絵巻物「信貴山縁起」の手法の解析を行った。その結果、画面を上下二分割する中心軸上で読者の視線を上下させる技法を確認し、それがiPad対応の横スクロールまんがにも用いることができることを確認した。その他「異時間図法」など、絵巻の技法は応用可能であることが確認できた。「絵巻」と「横スクロール形式のWEBコミック」の方法上の互換性は高く、そこに「紙のまんが」や「アニメーションの技法」をどのようにあらためて導入するかが次の重要な課題である。
著者
古牧 徳生 Tokuo HURUMAKI
出版者
名寄市立大学
雑誌
紀要 (ISSN:18817440)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.19-51, 2015-03-31

古代ギリシアに発祥した哲学は「真に在るところのものは何か」を探求していくうちに,人間の認識能力の限界に行き当たり,懐疑論に陥った。この懐疑論を克服するために多くの哲学者たちは次第に神の恩寵を約束するキリスト教に改宗していったことを思想史の流れから見てみたい。
著者
名倉 賢 Ken NAGURA
出版者
総合研究大学院大学教育研究交流センター
雑誌
新分野開拓'99
巻号頁・発行日
pp.84-89, 2000-03

経済現象の熱力学への還元
著者
護 雅夫
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.49-79, 1965-06

The present writer points out that some passages in a memorial presented to Yang-ti by Ch’i-min-qaγan in 607 bear striking similarity to the T’u-chüeh inscriptions as regards to their phraseology, and concludes that the Chinese texts are translations from the Turkic (T’u-chüeh).1) In the memorial, we read: “Among the populace of T’u-chüeh, those who did not die came together again and became the populace.” Such expression is not common in Chinese. On the other hand, in the inscriptions are found the following examples: “il ymä il boldï, budun ymä budun boldï. (The state also became the state. The populace also became the populace.)”, “ičikigmä ičikdi, budun boldï. ölügmä ölti. (Those who surrendered surrendered and became the populace. Those who died died.)”, “ïda tašda qalmïšï qubranïp yiti yüz boldï. (Those who remained at wood and stone (?) came together and made seven hundred.)”, etc. The above-cited passage in the memorial may be reflections from such a Turkic expression as: “ölügmä ölti, anda qalmïšï qubranïp budun boldï.”2, We read in the memorial: (A) “Your Majesty the Emperor,…… grasping the four directions of the whole country, took the seat (of the Emperor)”, and (B) “The Sage, the preceding Emperor,…… let me take the seat as the Great Qaγan.” In these passages, any accession to a throne is expressed by the word “坐” (to sit down, to take a seat)”. This word “坐” coincides with the Turkic word “olur- (to sit down, to take a seat)” which means “to accede to a throne”. The Turkic expression “özümin ol täŋri qaγan olurtdï ärinč (That Heaven had let me take the seat as the Qaγan)” may be prototype of the above-cited Chinese passage (B). Moreover, in the inscriptions are such expressions as “tört buluŋdaqï budunuγ qop almïš (He grasped the whole people in the four angles (directions))”, etc. We may assume this Turkic expression to be prototype of the Chinese phrase, “grasping the four directions of the whole country”.3) Ch’i-min-qaγan expresses his gratitude to Yang-ti that the preceding Emperor and Yang-ti nourished and revived (養活) himself and the populace of T’u-chüeh. In the inscriptions, the deeds of “igid-” and “tirgür-” of qaγans and tigin are highly praised. The word “tirgür-” means “to revive, to restore to life”. The word “igid-” in the inscriptions have been translated as “to raise, to elevate, to restore”. But, this word means “to nourish, to educate, to bring up, to cultivate” originally. Thus, the Turkic “igid-” and “tirgür-” coincide with the Chinese expression “nourish and revive” in the memorial.4) In the memorial is a passage saying: “When I looked up, I saw only Heaven. When I looked down, I saw only Earth.” It is not improbable that such view of the world was introduced from China. But, as is seen in the inscriptions and other Chinese sources, T’u-chüeh worshipped Heaven, Earth and Water originally. Moreover, there are such expressions in the inscriptions as follows: “üzä kök täŋri, asra yaγïz yir (the blue Heaven over (us) and the black Earth under (us))”, “üzä täŋri asra yir (Heaven over (us) and Earth under (us))”, etc. In the light of such expressions, one feels that the above-cited Chinese passage must have been composed under Turkic influence.