著者
村瀬 憲夫
出版者
名古屋大学国語国文学会
雑誌
国語国文学論集 (ISSN:03894606)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.17-35, 1973-04
著者
SATHER Jeremy A.
出版者
International Research Center for Japanese Studies
雑誌
Japan review : Journal of the International Research Center for Japanese Studies (ISSN:09150986)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.39-68, 2017-03-17

This translation and analysis of Imagawa Ryōshun’s Nan Taiheiki examines the events that led him to write the work, namely his dismissal from the office of Kyūshū tandai and his subsequent participation in the Ōei Disturbance. After the rebellion ended in failure, he spent the rest of his life writing and critiquing literature. Nan Taiheiki, written around 1402, was a product of this period and of his rancor toward the Ashikaga chieftain Yoshimitsu. While the original Nan Taiheiki has no chapters or section headings, a close examination reveals three fundamental concerns. First, a focus on the Ashikaga’s status as a collateral family of the Minamoto, which gave them a near divine right to lordship. In order to protect his family from “becoming lowly people without name or rank,” Ryōshun asserts his family’s loyalty to the Ashikaga, in the process laying the groundwork for his criticism of Yoshimitsu later in the work. Second, a repudiation of Taiheiki, not for its overall storyline, but for its omission of the deeds of families that had participated in the Ashikaga’s rise to power, most notably his own. And last, a criticism of Yoshimitsu, whose maladministration led to Ryōshun’s dismissal from the office of tandai. Importantly, his criticism is of Yoshimitsu the individual, not of the Ashikaga family; a large part of Nan Taiheiki is meant to demonstrate Yoshimitsu’s unworthiness as a ruler and to cast Ryōshun’s participation in the Ōei Disturbance as the act of a loyal follower of the Ashikaga. Accordingly, I show that Nan Taiheiki, which Ryōshun did not even title, has been misinterpreted: its criticism of Taiheiki is but one of several aspects of the text, all of which are tied together by Ryōshun’s need to protect his family’s legacy and criticize Yoshimitsu, who he considered the architect of his downfall.
著者
樋澤 吉彦
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.45-57, 2020-07-31

本稿は、日本精神保健福祉士協会(協会)より提案されている“Psychiatric Social Worker”(PSW)から“Mental Health Social worker”(MHSW)への名称変更の妥当性について、「社会福祉士」とは別建てで制度化した精神保健福祉士法(P法)制定時の根拠に焦点化したうえで、ごく基本的な事項の整理検討を行うことを目的としている。名称変更についてはむろん様々な意見があるものの、その契機として総じていえることはすなわちPSW の活動領域が「メンタルヘルス」領域全般に拡大しているという点である。この点は名称変更に対する是非とは別に概ね肯定的に了解されていた。この点をふまえたうえで、P法制定の経緯、及びその根拠について当時の厚生省の見解をもとに整理を行った。P法制定議論のなかで「求められていた人材」とはすなわち「医師、看護婦等の医療関係の有資格者」しかいない精神病院において「病棟を離れて病院内外を行き来するパイプ役として精神障害者の社会復帰を支える専門職種」、「精神障害者の社会復帰のために必要な医療的なケア以外の支援を行う人材」であった。またその「対象」は、「社会福祉士」との「住み分け」を意識されたうえでの、主に精神科病院に入院しているか、あるいは地域において生活しているかに関わらず「社会復帰の途上」(社会復帰を遂げていない)にある精神障害者であった。さらにその「業務の範囲」は、あくまで「社会復帰の途上」にある精神障害者が主として治療/支援を受けていることが想定される精神科病院、社会復帰施設、そして保健所等の行政機関が想定されていた。協会によるMHSW への名称変更の根拠の一つとして、精神保健福祉士の業務が「医療的支援」及び「メンタルヘルス課題をもつ国民」全般に対する領域にまで「拡大」してきている点があげられているが、当時の厚生省が明言しているように、少なくともP法制定時の議論ではメンタルヘルスは国家資格としての「精神保健福祉士」の活動領域としては想定されていなかった。その後、2010(平成22)年の障害者自立支援法改正の一つとしてP法改正がなされたが、本改正に至るP法改正検討会では精神保健福祉士の領域拡大がうたわれており、結果的に従来役割に「精神障害者の地域生活を支援する役割」が加えられる方向で改正が行われた。すなわち「社会福祉士」とは別建てで必要とされた精神保健福祉士は端的に「メンタルヘルス」領域における「ソーシャルワーカー」となったのである。P法制定時の経緯とともに「社会福祉士」との「住み分け」の課題を棚上げしたうえで、現時点におけるPSW の活動をそのまま表すのであれば、「MHSW」の略称は正しいという結論となる。
著者
神野 尚 ジンノ ヒサシ Hisashi JINNO
雑誌
大阪産業大学論集. 人文科学編
巻号頁・発行日
vol.113, pp.59-74, 2004-06-30

This time I take up Roots (1976), the saga of an American family, in which Alex Haley traced his family to its deepest roots, back to his African ancestors. When he was a boy in Henning, Tennessee, Haley s grandmother used to tell him stories about their family - stories that went back to her grandparents, and their grandparents, down through the generations all the way to a man she called "the African." Still vividly remembering the stories after he grew up and became a writer, Haley, who had carried on the dying wishes of Malcolm X that he wanted to refashion the broken strands between the American Negroes and African culture, began to search for documentation that might authenticate the narrative. It took ten years and a half a million miles of travel across three continents to find it, but finally, in an astonishing feat of genealogical detective work, he discovered not only the name of "the African" - Kunta Kinte - but the precise location of Juffure, the very village in The Gambia, West Africa, from which he was abducted in 1767 at the age of sixteen and taken on the Lord Ligonier to Maryland and sold to a Virginia planter. This paper aims at going deep into the born episodes of Roots together with Haley's life full of vicissitudes.
著者
西本 豊弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.73-86, 1995-01-20

縄文時代は狩猟・漁撈・採集活動を生業とし,弥生時代は狩猟・漁撈・採集活動も行うが,稲作農耕が生業活動のかなり大きな割合を占めていた。その生業活動の違いを反映して,それぞれの時代の人々の動物に対する価値観も異なっていたはずである。その違いについて,動物骨の研究を通して考えた。まず第1に,縄文時代の家畜はイヌだけであり,そのイヌは狩猟用であった。弥生時代では,イヌの他にブタとニワトリを飼育していた。イヌは,狩猟用だけではなく,食用にされた。そのため,縄文時代のイヌは埋葬されたが,弥生時代のイヌは埋葬されなかった。第2に,動物儀礼に関しては,縄文時代では動物を儀礼的に取り扱った例が少ないことである。それに対して弥生時代は,農耕儀礼の一部にブタを用いており,ブタを食べるだけではなく,犠牲獣として利用したことである。ブタは,すべて儀礼的に取り扱われたわけではないが,下顎骨の枝部に穴を開けられたものが多く出土しており,その穴に木の棒が通された状態で出土した例もある。縄文時代のイノシシでは,下顎骨に穴を開けられたものは全くなく,この骨の取り扱い方法は弥生時代に新たに始まったものである。第3に,縄文時代では,イノシシの土偶が数十例出土しているのに対して,シカの土偶はない。シカとイノシシは,縄文時代の主要な狩猟獣であり,ほぼ同程度に捕獲されている。それにも関わらず,土偶の出土状況には大きな差異が見られる。弥生時代になると,土偶そのものもなくなるためかもしれないが,イノシシ土偶はなくなる。土器や銅鐸に描かれる図では,シカが多くなりイノシシは少ない。このように,造形品や図柄に関しても,縄文時代と弥生時代はかなり異なっている。以上,3つの点で縄文時代と弥生時代の動物に対する扱い方の違いを見てきた。これらの違いを見ると,縄文時代と弥生時代は動物観だけではなく,考え方全体の価値観が違うのではないかと推測される。これは,狩猟・漁撈・採集から農耕へという変化だけではなく,社会全体の大きな変化を示していると言える。弥生時代は,縄文時代とは全く異なった価値観をもった農耕民が,朝鮮半島から多量に渡来した結果成立した社会であったと言える。
著者
上椙 英之 上椙 真之 多仁 照廣
雑誌
研究報告電子化知的財産・社会基盤(EIP)
巻号頁・発行日
vol.2012-EIP-55, no.11, pp.1-5, 2012-02-03

本論文では,デジタルカメラを使用し,石造遺物の文字情報を取得する撮影手法を提案する.安定した撮影環境が望めない,フィールドワーク中に於いても,光を遮り,フラッシュライトを用いることで,文字の復元も可能な程の陰影のコントラストの取得が可能であることが確認された.
著者
川上 量生
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.61, no.11, pp.1096-1097, 2020-10-15
著者
神山 伸弘
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A11-A42, 2010-09

ヘーゲルは、1822/23年冬学期の「世界史哲学」講義において〈インドの天文学〉に関して詳細な言及をしている。しかしながら、ガンス版ないしカール・ヘーゲル版の『歴史哲学』では、それが明確に跡づけられず、かえって〈インドの天文学〉のいかがわしさのみが伝わる格好になっている。しかし、〈インドの天文学〉を詳細に伝える「世界史の哲学」講義のイルティング版にしても、集積テキストの編纂という方法論が禍して、ヘーゲルが〈インドの天文学〉をそれなりに評価していた文脈を読み取ることが難しいものとなっている。 本稿では、イルティング版とグリースハイム・ノートとを対比するなかでイルティング版の問題点を指摘しながら、さらに〈インドの天文学〉を理解するために必要な知見を確認する。そして、そのことを通じて、ヘーゲルが「世界史哲学」を講義するさい、経験的知識を〈情報知〉として可能なかぎり収集している姿を浮き彫りにしていく。
著者
菊地 洋右
雑誌
研究報告アルゴリズム(AL)
巻号頁・発行日
vol.2010-AL-131, no.7, pp.1-4, 2010-09-15

単純グラフ G のすべての辺を含む路をオイラー路、オイラー路が閉路となっているものをオイラー回路という。オイラー路をもつグラフを semi-eulerian とよび、オイラー回路をもつグラフをオイラーグラフとよぶ。オイラーグラフの特徴付けはグラフ理論の教科書に必ず載っていると言っていいほどよく知られている。オイラーグラフが与えられたときに、オイラー回路の数え上げは #P-完全であることが知られている。本研究は、単純グラフ G がオイラー路をもつとき、重複も抜けもなく、そのオイラー路を列挙するアルゴリズムを提案する。本研究のアルゴリズムではまず Fleury’s Algorithm を用いて単純グラフ G のオイラー路を求める。このオイラー路から順次、オイラー路を求めていくことで列挙を行う。提案するアルゴリズムは、Fleury’s Algorithm を適用した後に、すべてのグラフ的列を 1 つあたり O(m) 時間で列挙する。
著者
堀込 孝二 Koji Horigome
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.135-150, 2019-03-31

I visited the West coast of America, Los Angeles, home of the sports business. There are a variety of professional sports teams in Los Angeles. Baseball (Major League Baseball), Soccer (Major League Soccer) and American football (National Football League) among others. The purpose of this study is to learn about the sports business in America, where participants are able to enjoy sports and attract clients.