著者
音喜多 信博
出版者
岩手大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

平成29年度においては、本研究課題全体への導入として、哲学的人間学に見られる階層理論のアリストテレス主義的な特徴を総体的に整理する研究をおこなった。本年度は、とくにシェーラーとメルロ=ポンティについて考察をおこなった。アリストテレスの『魂について』においては、魂の三つの能力が論理的な階層性を成すものとして区分されているが、それに比することができるようなかたちで、シェーラーとメルロ=ポンティにおいては生物の心的機能についての一種の階層理論が見られる。シェーラーは『宇宙における人間の地位』(1928)において、「感受衝迫」から「実践的知能」まで、生物の心的機能を四段階の階層性において捉えていた。そのうえで、人間の「精神」は、このような他の生物と共有する心的機能を前提としながらも、環世界の拘束を越える「世界開放的」な自由を獲得すると述べている。メルロ=ポンティは『行動の構造』(1942)において、シェーラーの「世界開放性」概念に大きな影響を受けながらも、その宇宙論的な含意は切り捨て、生物の行動形態を「癒合的形態、可換的形態、シンボル的形態」という三つの階層に区分して、それらを現象学的に分析している。本研究の結果、以下のようなことが明らかとなった。上記の思想家たちの階層理論においては、階層の上位のものは下位のものの存在を不可欠の前提としているとともに、下位のものは上位のものにその部分として取り込まれ、その自律性を失っているというように、諸々の層は「統合」的関係にあるものと構想されている。そして、その統合の向かう方向性は、人間の行動や認識の自由の拡大という規範的なものであることが窺われる。このような考え方は、人間の精神の機能をもっぱら理性に見出すデカルト的心身二元論に対するアンチテーゼであるとともに、人間のあり方を純粋に生物学的に説明しようとする生物学主義とも一線を画すものである。
著者
牧 博司
出版者
日本図学会
雑誌
図学研究 (ISSN:03875512)
巻号頁・発行日
vol.36, no.Supplement, pp.135-138, 2002 (Released:2010-08-25)
参考文献数
3

教室は密室であってはならないという立場で, 筆者担当の「機械製図II」の科目につき, 機械の分野の図面の採点例を紹介し, 筆者の教育哲学を述べたものである.機械製図の教育がトレーシングや物真似教育である限り, ほとんど同じ作品が提出されるから採点結果に大きな差の付きようがない.すなわち, 学生の到達度の判定が粗くなってしまう.到達度の判定に最適な出題は, 組立図を与えて指定した部品の部品図を描かせることである.あるいは部品図を与えて組立図を描かせることである.本資料は前者の出題につき2001年度の採点例を紹介したもので, 採点基準とその結果を示し, 会員の参考に供するものである.
著者
山下 雄大
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2017-04-26

本年度(2018年度)は前年度の研究成果を考慮した上で、公安委員会の理論的指導者であるサン=ジュスト、ビヨ=ヴァレンヌ、ロベスピエールの三者に共有されている「統治への不信」というモチーフに基づく「統治」概念の特殊な用法、および1793年後半に完成した「革命政府」の理論形成におけるその帰結の究明に取り組んだ。具体的な内容は以下の通りである。まずはルソーの政治哲学における「統治」概念の形成過程と「行政官」の意義に着目するとともに、ルソー主義の関連文献を読解・分析し、革命期の「統治」批判とルソー受容の関係性について検討した。ルソーにおいては必要悪と位置づけられている行政官をめぐる議論を参照軸とした結果、革命初期にすでに登場していたことが指摘されているルソーを叩き台とした理論形成の傾向、すなわち「アンチ・ルソー主義」が93年のジャコバン主義に及ぼした影響の範囲が画定された。続いて、革命政府の理論化に大きく寄与したとされている上記三者の演説をコーパスとして、「統治」と「立法者」概念に注目しながら93年のジャコバン主義に通底するレトリックを検討した。共和政の安定のために求められる自己統治の理想が人民の対概念として形成された可変的な「敵」と名指された人物に対する統治へと向かうアポリアのなかで成立を余儀なくされた革命政府の理論にあっては、特徴的な解釈を施された「立法者」概念が重要な役割を果たしている。この視点を導入することにより、立法府の成員たる代表者としての近代的立法者による、人民それ自体の創造・再生を担う古典的立法者像への自己同一化の試みが93年のジャコバン主義を際立たせる争点のひとつであることが判明した。
著者
横田 理博
出版者
電気通信大学
雑誌
電気通信大学紀要 (ISSN:09150935)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.15-35, 2015-02-27

Kitaro Nishida (1870-1945), a philosopher, served as a teacher at Yamaguchi-Kotogakko, a college under the old system, from 1897 to 1899. In this article, I will explore how Nishida lived and what he contemplated during his stay in Yamaguchi. In the first section, I explain about the school where he worked and discuss where he lived. Then, I will inquire into his diaries, letters and articles, in the second, third and fourth sections respectively. Reading his diaries during his stay in Yamaguchi, you gain a strong impression of his will, which he used to focus his consciousness as part of his Zen training to live an ascetic life. He also enjoyed climbing mountains, seeing waterfalls and playing a kind of football. His daily experience in nature and his practice of contemplation provided a context for his ideas about experience and the knowledge of reality. In the sixteenth century, Francis Xavier visited Yamaguchi. He spent more time propagating Christianity in Yamaguchi than anywhere else he visited in Japan. In the Meiji Era, Amatus Villion, a missionary, searched for the place where Xavier lived and found it in 1893. According to Nishida’s letter to his friend, while he was in Yamaguchi he was deeply impressed by the words, “Which of you by taking thought can add one cubit unto his stature?” which is written in the sixth chapter of The Gospel according to Matthew. This helped him get rid of his dissatisfaction and complaints and feel easy and peaceful. Yasunosuke Yamamoto published an article in 1898 called “Religion and Reason”. According to it, every religion has it’s own >creed<, which is identified with a dogma. Men who believe the creed have >beliefs<. The emotions that drive us to seek spiritual peace hinder the development of reason in a religion and so men accept a creed blindly and irrationally. Yamamoto expressed a view that we should not be restrained by our >emotions< and should develop our >reason< in our religion. Nishida objected to Yamamoto’s view of religion. In the same year, he published an article, “My comment on Mr. Yamamoto’s article titled ‘Religion and Reason.’ ” He says, “It is not true that a creed precedes a belief, but it is true that a belief precedes a creed.” We can escape from the limited world, go into the unlimited world, unify with the Absolute and experience “the reason why the reality of the active universe as a whole is what we see.” Nishida called this kind of >intuitive understanding< a >belief<, which is most important for him. The >belief< is originally beyond words but becomes expressed as a >creed< with concepts and words, which is not so important for him. His view of religion attaches greater importance to the intuitive and emotional understanding than to the only intellectual knowledge and understanding. Nishida found in the center of religion a desire to escape from the limited world and unify with the Unlimited. He regarded God not as transcendent out of the cosmos but as working immanently in the midst of the cosmos. Such a view of religion during Nishida’s stay in Yamaguchi was expressed also in Study on the Good (Zen no Kenkyu) which was published in 1911. 哲学者、西田幾多郎(1870~1945年)は、明治30(1897)年から明治32(1899)年まで、旧制の山口高等学校の教師を務めた。本稿は、山口時代の西田がいかに生き、いかに思索していたのかについて考察する。第一章では、西田の職場である「山口高等学校」とはどのような学校なのかを述べ、そして、西田が山口のどこに住んでいたのかについての情報を整理する。そのあと、彼の日記・書簡・著作に順次目を向ける(第二・三・四章)。 山口滞在中の彼の日記には、禅の修行、そして自分の生活を禁欲的に律することへと意識を集中しようという決意がみなぎっている。その一方で、山に登ることや滝を見ることやサッカーをすることを楽しんでいる。そのような日常の経験が彼の思索の背景にある。 山口は、16世紀にフランシスコ・ザビエルが日本で最も長い期間滞在し布教した土地であり、1893年、ヴィリオン神父の尽力によって、ザビエルの住居の場所が発見された。西田が友人に宛てた書簡によれば、彼は山口で「マタイによる福音書」第六章の「あなたたちのうちの誰が、思い煩ったからといって、自分の背丈を一尺ほどでも伸ばせるであろうか」という言葉に感動し、それによって、いろいろな不満が解消し、心が安らかになったという。 ところで、山本安之助は「宗教と理性」という論文を1898年に発表した。それによれば、いずれの宗教にも「信条」(教理)があり、信者はこれを信仰する「信念」をもっている。安心を求める感情が、宗教において理性が働くことを阻害し、人々は盲目的・非合理的に信条をうけいれる。山本は、宗教において、「感情」に束縛されずに「理性」を働かせなければならないという「啓蒙」的な主張を表明している。 この山本の宗教論について西田は反発し、同じ年、「山本安之助君の『宗教と理性』と云ふ論文を読みて所感を述ぶ」と題する論文を発表する。西田は「信条ありて而して後信念あるにあらず、信念ありて而して後信条あるなり」と言う。つまり、彼にとって何より大事なのは、有限界を脱して無限界に超越して絶対的なるものと一体化し、「宇宙実在が全体として活動する所以のもの」を「感得」することとしての「信念」であった。「信念」が概念化され言葉となった「信条」はそれほど重要ではない。宗教において、このような「感得」や「感情」を重視する一方で、「智識」や「理解力」は重視されない。 有限世界を脱して無限なる力に合一することを宗教の中心に置き、神はこの宇宙の外に超越しているのではなく、この宇宙のただなかで働いていると考える西田の山口時代の宗教観は、1911年に発表される『善の研究』でも継承されることになる。
著者
金山弥平
出版者
日本心理学会
雑誌
心理学ワールド
巻号頁・発行日
no.60, 2013-01-15
著者
松田 幸子
出版者
上田女子短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:09114238)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.A1-A8, 1993-03-31