著者
真鍋 周三
出版者
アンデス・アマゾン学会
雑誌
アンデス・アマゾン研究 (ISSN:24340634)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.33-54, 2021-12-20 (Released:2022-04-06)
参考文献数
61

1560年代ペルーアンデス高地のワマンガ地方においてタキ・オンコイ(Taki Onqoy. ケチュア語で「踊り病」を意味する)と呼ばれる、土着の神々を復活させるための「踊り」を伴う祭祀・儀礼が自然発生的に拡大し、植民地支配体制を揺るがす状況となった。先住民群衆によるこの騒動で日常生活が麻痺した。それは1564年8月もしくは9月ごろから数年間にわたって、クスコ司教区ワマンガ地方南東部のパリナコチャス地区を中心に広がった。およそ8000人の先住民がこれに関与したとして告発され、キリスト教への集団改宗を強いられたといわれている。 タキ・オンコイを水銀汚染問題と関連付けた最近の研究について述べておく。2015年に日本の真鍋周三が「16世紀ペルーにおけるタキ・オンコイの政治・社会的背景をめぐる試論」、『ラテンアメリカ・カリブ研究』第22号、39-54頁とそのスペイン語版[Manabe 2015]を発表し、水銀汚染問題との関係からタキ・オンコイを捉える視点を提起した。 2016年にペルーのサンタ・マリア(公衆衛生学者・人類学者)が、「タキ・オンコイ─16世紀ペルーにおける水銀中毒症」なるテーマで、タキ・オンコイと水銀中毒を関連付けた博士論文を著した。また2017年には「16世紀ペルーにおける水銀とタキ・オンコイ」なるテーマで修士論文を執筆した。 本稿では、タキ・オンコイと、ワンカベリカ水銀鉱山に由来する水銀汚染問題との関係の一端を明らかにするべく、歴史学の立場に立って新たな解釈を試みる。本稿の内容は10分の1税徴収問題がタキ・オンコイの鎮圧とどう関係したのかを検討・考察する。
著者
吉田 拓矢
出版者
日本時間学会
雑誌
時間学研究 (ISSN:18820093)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.19-34, 2020 (Released:2021-06-14)

古代日本においては、日蝕を忌避することに昼夜は関係しない、という時間観念があった。日没のため実際に観測できない場合であっても、日蝕とみなされて朝廷政務は止められたのである。つまり、日蝕記事のなかに日本から観測可能であったものが少ないのは、暦官らが誤算を犯したからではなく、はじめから観測できることを想定していないものまで「夜蝕」として予報していたからであった。 このことを踏まえて記事を分析していくと、10世紀までの日蝕予報と暦官らの技能は、次のようにまとめられる。8世紀から9世紀中葉にかけては、予報に誤算がみられないことから、ときの暦官らは的確に計算を進められるだけの技能を有していたことがわかる。しかし宣明暦施行後は、日本に伝えられた暦本に漏れがあったことも影響し、的中率が大幅に低下した。このときに予報精度をしばらく改善することができなかったのは、唐から伝えられた暦術をひたすら墨守しようとする、彼らの姿勢の表れであろう。
著者
小泉 空
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.83-100, 2020 (Released:2020-10-09)
参考文献数
37

本稿の目的は、フランスの思想家、ジャン・ボードリヤールが、フランスで1968年に起きた五月革命に立ち会うことで、どのような政治理論を練り上げたかを明らかにすることである。68年五月革命は、その直接行動主義、反権威主義、自主管理といった運動スタイルによって、フランスに限らずその後の社会運動に大きな影響を与え、文化面、思想面でも大きな影響を及ぼしてきた。だが同時に五月革命は多くの批判の対象ともなっており、とりわけ2011年のオキュパイ・ウォールストリート以降、一部の左派理論家からは、五月革命的な運動スタイルの限界を指摘する声も上がっている。そこで本稿は、ボードリヤールの68年論を例にとりながら、あらためて今日における五月革命の意義を考えようと試みる。まず今日の五月革命をめぐる言説を検討しながら、ボードリヤールの68年論を再考する意義を明らかにする。次にボードリヤール68年論の特徴を、複数性、ユートピア、特異性という概念をキーワードに分析する。第3 に一部の論者が批判の対象としている、ボードリヤール68年論と消費社会の絡み合いについて検討する。最後に、ボードリヤール68年論の批判に対抗するために、ボードリヤール68年論のポイントとは、革命が伝播していくプロセスへの着目だということを明らかにする。
著者
田 泰昊
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.145-168, 2018 (Released:2019-10-09)
参考文献数
14

本稿は、日本のコンテンツ産業の特徴であるメディアミックスが、実際にどのように動 いているかについて考察するものである。特にメディアミックスの現場で活動している実 務者(KADOKAWA のライトノベル編集者)たちが、自分の職業とメディアミックスをどの ように認識しているか、そしてその認識のもとでどのように実践しているかを、インタビ ューを通じて検討した。その結果、メディアミックスはあくまでも編集者本人の「書籍の 販売数をより多くするための戦略」であって、彼らを動かす動力は創造的な動機ではなく、 リスクに対する恐れからなるものであった。本稿はこのリスクを大きく分けて3 つあるも のとみて、彼らがそれをどのように乗り切っているかを明らかにしている。3 つのリスク とは、第一がライトノベル市場の狭さ、第二が相手会社に対する不安、第三がメディアミ ックスされた作品の作品性に対する不安である。これらを克服するため、彼らはメディア ミックスを念頭に置き、良い作品をつくろうと努力する。具体的な実践は次のようである。 1つ目は、キャラクターをつくることに力を入れることで、イラストレーターの選定の際 にもメディアミックスを考えながら進める。2 つ目は、相手会社(マンガやアニメ関係)に 対する情報を継続的に収集し、場合によってはプレゼンテーションまでする。3 つ目は、編 集者自ら発売のタイミングを調節し(コミカライズ)、脚本会議にも定期的かつ積極的に参 加(アニメ化)することで、メディアミックス作品の完成度を高め、作品の魅力が失われ ないようにすることである。
著者
石松 紀子
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.169-192, 2018 (Released:2019-10-09)

1973 年、ブルガリアで開催された国際造形芸術連盟(IAA)の会議で、各国・地域における「カ ルチュラル・アイデンティティ」を重視する決議がなされる。この「カルチュラル・アイ デンティティ」の概念は、1979 年に開催された福岡市美術館の開館記念展「アジア美術展」 を実現させる上で大きな指針を与えるものとなる。同展は、日本でアジアの現代美術を紹 介する先駆けとなり、以後ほぼ5 年ごとに実施され、第1 回(第1 部1979 年/第2 部1980 年)、 第2 回(1985 年)、第3 回(1989 年)、そして第4 回展(1994 年)まで続く。 第1 回から4 回までの「アジア美術展」を検証すると、さまざまなアイデンティティの 捉え方がみえてくる。第1 回展から第3 回展までは、アジアにおける「文化の独自性」「民 族的な特質」といったスローガンのもとに「アジアの共通性」を模索するが、第4 回展に おいては、個々の作品や美術家を重視する姿勢へと転換する。 第2 次世界大戦後、アジアの多くは宗主国の支配から解放され国家として独立を果たすが、 自立した国家を構築する過程で、美術分野においても「アイデンティティ」の形成は重要 な課題として考えられるようになる。本稿では、「アイデンティティ」の概念が日本におけ るアジアの現代美術の展覧会で語られた初期の例として「アジア美術展」を取り上げ、そ の概念の受容と変遷について考察する。 その上で本稿は、「アジア美術展」において、IAA が提唱した「アイデンティティ」概念が、 アジアの現代美術を受容する枠組みとなっていったプロセスや、各展覧会におけるその概 念の捉え方や変化を検証する。また、「アイデンティティ」を考察することで、アジアにお ける日本の立ち位置や、日本がアジアに向けるまなざしについても検討する。そうするこ とで、アジアの現代美術を語る上で、美術言説を形成することの重要性や、改めて日本を みつめる視点の必要性を明らかにする。
著者
田尻 歩
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.103-124, 2018 (Released:2019-10-09)
参考文献数
30

アメリカ合衆国の写真家・批評家アラン・セクーラ(1951-2013)は、批評活動において は写真の抑圧的使用を批判しながらも、創作の方法としては「リアリズム」を擁護してき た。本論は、彼の写真理論を階級の観点から考察し直し、「リアリズム」概念を捉えなおす ことを目的とする。この作業を通じて、これまで日本のセクーラ研究においては十分に焦 点が当てられてこなかった彼のマルクス主義的な側面を明確に記述し、それとともに、写 真・表象研究における「リアリズム」の批判的な理解の可能性を探求する。彼が批評的活 動を主に行った1970 年代後半から1980 年代は、ドミナントな写真理論においては反リアリ ズム的な傾向が強かった。本論は、英国の批評家ジョン・ロバーツの議論に依拠しながら、 リアリズムという概念が、ある写真がその映した対象に関する事実を述べていると考える 実証主義と同一ではなく、その時代に応じて創り直される知の実践的形式であるという立 場をとる。そのような観点から、本論の前半部においては、1970 年代後半から勃興し、現 在の写真研究の基盤を形作ったイギリスと合衆国における写真・芸術理論の反リアリズム 的側面を概観する。本論の後半では、同時期にリアリズムを擁護しながらも批判的に写真 を考察したセクーラの写真理論を階級的な観点から再読する。セクーラの従来の研究にお いては、どのような文献に依拠して写真理論を発展させていったかが基礎的なレベル以上 には明らかにされてこなかったが、本論は、彼が依拠した言語理論と社会理論を参照しつ つ彼の写真理論の特性を明らかにする。また、ほかの論者には十分に注目されていなかった、 精神労働と肉体労働の間の分業の批判が、資本主義の文化の一部として写真を理解するセ クーラにとって、理論・実践面で根本的な課題であったことを論じる。
著者
陳 海茵
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.97, 2017 (Released:2019-10-09)
参考文献数
28

本論文は、毛沢東時代の終焉と改革開放という決定的な政治的社会的転換期1970 年代の 中国現代アートを対象に、それが「政治当局に抵抗する芸術」あるいは「欧米の後を追う芸術」 という立場をアプリオリの前提にするのではなく、(1)作品創作、(2)展示活動、(3)語り、 といった個別具体的な場面で、「政治」、「社会」、「芸術」の間にどのようなせめぎ合いが行 われたのかについて考察する。ここで念頭に置かれるのは、西欧社会の文脈から発展して きた「社会を志向する芸術実践」やアート・アクティビズムの動向である。共産圏国家に おいてアートがいかなる意味とやり方で連帯を創出しうるのかについて明らかにし、中国 現代アートの一事例をグローバルな同時代性の中に接続することを試みる。 ここでは事例として文革直後に結成された「星星画会」というアマチュア芸術家集団を 取り上げる。彼らは政府に無許可で展覧会を開き、その活動は最終的には「政治の民主化」 や「芸術の自由化」を求めるデモへと発展した。「星星画会」の芸術家たちは独自のやり方 で自分たちの正当性を主張した。一つには、民主化運動の拠点だった「民主の壁」を始め とする公共空間を展示空間に作り変えることで排除ではなく包摂の政治を要求した。また、 政府御用の芸術が持つ「技術」や「伝統」に対して、現代アートにおける「思想」と「現 代性」を指摘し、「自己表現」というプライベートな領域を開くための概念を強調すること で、それまで社会に奉仕するための道具でしかなかった社会主義的な「個体」を脱構築した。 ここでは近代個人主義ではなく、自由、民主、多様性といった反・文革的な文脈性やメッ セージ性のもとで「自己」を捉え直すことへと注意を向けさせようとしていたのである。
著者
杉山 紘一郎
出版者
芸術科学会
雑誌
芸術科学会論文誌 (ISSN:13472267)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.170-180, 2008 (Released:2009-01-14)
参考文献数
14

風が通り抜けると、ひとりでに音を奏でるエオリアン・ハープ。不思議な印象を与える発音方法と繊細で神秘的な音色のため、古くから人々を魅了してきた。しかし、現在では都市の喧噪に飲み込まれるようにほとんど失われつつある。本稿では、エオリアン・ハープの歴史的な背景をおさえながら、独特な発音原理を紐解いていく。そして、オーストラリアやアメリカで活躍しているエオリアン・ハープ・アーティストの作品、著者によるエオリアン・ハープの実践を紹介していく。多くのアーティストは主に安定した風の吹く広大な土地の中で実践を行なっている。しかし、著者は住んでいる都市にエオリアン・ハープを組み込むことを考えた。普段感じている都市特有の複雑な風をエオリアン・ハープの音を通じて改めて感じ、日常的な感覚をより鋭敏にするためである。また、こうした体験を通じて制作した新たなエオリアン・ハープを紹介し、現代におけるエオリアン・ハープの可能性を探る。
著者
白鳥 和人 塩入 健太 星野 准一
出版者
芸術科学会
雑誌
芸術科学会論文誌 (ISSN:13472267)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.65-74, 2008 (Released:2008-07-30)
参考文献数
34
被引用文献数
3

概要-本稿では,格闘対戦型ゲームの自動対戦キャラクタの仮想プレイヤにゲーム状況やプレイヤ行動に応じた発話音声を付加する手法を提案する.本提案ではまずゲーム状況を画面内マーカ位置の画素変化からライフポイントや技パターンを読みとり獲得する.これに基づき計算機側プレイヤの感情パラメータを算出する.音声会話データは実際にゲームプレイ中の発話を録音し抽出しパラメータと対応付けておく.このシステムで遊ぶときこれらの会話セットを適切に選択し仮想プレイヤに発話させる.実際のユーザにプレイをさせた結果,対戦型ゲームを計算機プレイヤと行う場合での手法の有用性が確かめられた.
著者
安藤 大地 Dahlstedt Palle Nordahl Mats 伊庭 斉志
出版者
芸術科学会
雑誌
芸術科学会論文誌 (ISSN:13472267)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.77-86, 2005 (Released:2008-07-30)
参考文献数
20
被引用文献数
6 10

近年,音楽作曲の分野への対話型進化論的計算(IEC)の応用に関する研究は非常に発展してきている.この発展の背景には,人間の感性をコンピュータシステムに取り込むことは,コンピュータシステムの発展にとって必要不可欠という認識がある.しかしながら,IECを作曲に応用した従来のシステムは,実際の作曲家には積極的に使われてこなかった.この理由は,主にシステムを用いた作曲過程や扱うデータ形式が伝統的な作曲技法のそれとは大幅に異なるためである,と考えられる.そこで筆者らは,実際の作曲にIECシステムを活用することを目的として,新しい作曲支援システムを構築した.新しいシステムの主な特徴は,クラシック音楽の作曲家が馴染みやすい遺伝子表現や作曲過程である.また,実際にシステムを利用してピアノの小品を作曲し,その有効性を確認した.
著者
白井 暁彦
出版者
芸術科学会
雑誌
芸術科学会論文誌 (ISSN:13472267)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.22-34, 2004 (Released:2008-07-30)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1

この論文は,近年のコンピュータゲームに代表されるエンタテイメントシステムの定義に関する論文である.芸術科学分野において,エンタテイメントシステムは,メディアアートやテクノロジアートといった他のインタラクティブシステムと混同され,もしくはその解釈をあいまいにして語られることが多い.本論文では中世から近代,現代の「遊び」に関する科学的研究を引用しつ,近年のコンピュータを用いた遊びのためのシステムである「エンタテイメントシステム」の解説と定義を,最新の実例とともに行うものである.
著者
陳 璟
出版者
芸術学研究会
雑誌
芸術学論集 (ISSN:24357227)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-10, 2021-12-31 (Released:2021-12-29)
参考文献数
15

本稿の目的は、女性日本画家の自画像の制作背景を整理し、画家が残した言葉と対照することを通して、女性日本画家の自画像がフェミニズムの思想を反映する表象の一つであることを提示することにある。本稿で考察対象とするのは、伊藤小坡、島成園、梶原緋佐子、小倉遊亀、北澤映月の以上5名の女性日本画家と、彼女たちが描いた計7点の自画像である。彼女たちは主に明治から昭和時代まで、女性像を中心に制作を行い、官展と院展で活躍した女性画家として知られる。研究の背景では、日本のジェンダー研究が、女性像に対する性差的な視線も存在すると問題視していることを再確認する。それとともに、女性日本画家には男性の視線に対抗する作例は見当たらないという問題を提起し、女性日本画家の制作背景と言葉を調査した。その結果、彼女たちの自画像の考察は、フェミニズムを反映する新たな見方に基づく必要があるとした。彼女たちの画業の中で自画像を制作するに至った背景を調査した。その結果、成園の《無題》と《自画像》は、画中人物の視線が鑑賞者に正対することと画家自身の言説を含め、フェミニズムを反映する作品であることが判明した。一方、緋佐子の《静閑》と映月の《好日》は自画像を主題とした作品だが、鑑賞者の視線を意識して描いた女性像ではなく、自らの功績を表わす自画像である。人物の横顔の表現は、鑑賞者の視線と交わることをせず、自律した画家が制作に没頭するような画面を作った。また、小坡の《製作の前》と《夏》は、男性鑑賞者の視線を意識する美人画と同じである。小坡は官展に入選するために歴史画を辞め、自画像を描くことを通して、当時の社会が期待した女性らしさに応じたのではないかと推測した。小坡の同時代の作品は今後の課題として調査する必要があると結論付けた。
著者
中司 敦子 神崎 資子 高木 章乃夫 岩田 康義 池田 弘 福島 正樹
出版者
The Japanese Society for Dialysis Therapy
雑誌
日本透析医学会雑誌 (ISSN:13403451)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.163-168, 2004-02-28 (Released:2010-03-16)
参考文献数
21
被引用文献数
2 2

慢性腎不全患者の意識障害として尿毒症性脳症が知られているが, 透析療法が普及した昨今ではこの病態を経験することはまれである. 今回われわれは緩下剤の連用中に高マグネシウム (Mg) 血症による意識障害をきたした慢性腎不全の2症例を経験したので報告する.症例1は77歳, 男性. 糖尿病性腎症による慢性腎不全で加療中, 食欲不振と意識混濁が出現し入院. 血清Cr 4.31mg/dL, BUN 64mg/dL, 血清Mg 7.3mg/dLと上昇. 血清カルシウム値は5.8mg/dLと低下. 皮膚の潮紅, 肺炎および呼吸抑制による呼吸不全を認めた. 血液透析で血清Mg値は低下したが, 翌日再分布によると考えられる再上昇をきたしたため血液透析を再度行い軽快した.症例2は78歳, 女性. 慢性関節リウマチ, 腎機能低下で加療中に尿路感染症により腎機能が増悪し, 全身倦怠感, 見当識障害が出現したため入院. 血清Cr 6.56mg/dL, BUN 96mg/dL, 血清Mg 7.1mg/dLと上昇. 血液透析を3日間連続して行い軽快した.いずれの症例もMg製剤の服用歴を有し, 高度な高窒素血症が存在しないにもかかわらず意識障害を呈した. 当院で2年間に血液透析導入時に血清Mgを測定した78例中, 中毒域の高Mg血症をきたしたのは今回提示した2例のみであった. その他に, 意識障害をきたした症例は低血糖の1例のみで, 尿毒症性脳症による意識障害はなかった. 今回の症例では緩下剤の連用および感染による慢性腎不全の急性増悪が重篤な高Mg血症の原因と考えられた. 治療として血液透析が有効であったが, 再分布による血清Mg値の再上昇に注意が必要である.
著者
千葉 眞
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.1_15-1_37, 2013 (Released:2016-07-01)

The present circumstance of religion is highly complex and diversified. In this diversified manifestation of religion what shall be the best possible relationship expected between religion and politics in the world today? This article tries to elucidate this normative question by taking up the cases of four theorists: Richard Rorty, John Rawls, José Casanova, and Shigeru Nanbara. In the author's view the four theorists assume four divergent positions vis-à-vis religion, and these divergences can help shed light on the above normative theoretical problem. Rorty takes “strong secularist” position. Rawls does “liberal secularist” one. Casanova assumes the approach of “deprivatization of religion.” Finally, Nanbara perceives “religion as the giver of invigorated life, spirit and ethos to society.”   I came to the conclusion that a continual dialogue, translation, and negotiation between religious discourse and public reason is significant and indispensable. This critical and constructive rapport should be made in terms of the normative values and ethos which religion can provide to politics for enhancing human rights, democracy, and peace in the midst of each and every concrete situation.
著者
王 子龍
出版者
東京大学経済学研究会
雑誌
東京大学 経済学研究 (ISSN:2433989X)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.15-31, 2018 (Released:2019-01-25)

アヘン戦争以降,中国の航運市場の対外開放に伴い,欧米企業は中国航運市場へ進出を開始した.19世紀西洋世界で起きた蒸気船革命の影響は,1869年のスエズ運河の開通により,東アジア海域にも及ぶことになった.1860年代以降,欧米諸国の貿易会社は相次いで航運部門を独立させ,中国に汽船会社を設立して,鋼鉄製蒸気船を運航し始めた.これにより,運航速度,輸送量,安定性などの面で劣位に立たされた伝統的な帆船であるジャンク船業は大きな打撃を受けた.中国在来のジャンク船の隻数については,いくつかの先行研究が推計を試みているが,ジャンク船運輸の変遷状況は未だに不明のままである.また同様に,中国航運市場における西洋式帆船,さらに蒸気船の運航状況の全体像も明らかにされていない.しかし,鉄道建設が遅れた近代中国において,交通運輸における航運業は極めて重要な存在であった.近代中国の経済発展における物流の基礎的な意義を明らかにする上で,こうした近代中国航運市場の構造およびその変遷過程を解明することは,重要な基礎作業であると考えられる.本研究では,『中国海関統計』に即して,19世紀後半~20世紀前半における中国航運市場の歴史的変容過程をマクロ的な視点から明らかにする.

3 0 0 0 OA 華族名簿

出版者
華族会館
巻号頁・発行日
vol.大正5年3月31日調, 1916