著者
竹内 郁雄
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.43, no.12, pp.1353-1361, 2002-12-15
著者
三重野 芳典 椎塚 久雄
雑誌
情報処理学会研究報告人文科学とコンピュータ(CH)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.49(2000-CH-046), pp.25-30, 2000-05-31

本稿では、マルコフ過程(情報源)および遺伝的アルゴリズム(GA)に基づく自動作曲システムを提案する。マルコフ過程(情報源)では、音高の状態遷移を推測した上で、次音を決定するシステムを構築した。さらに、遺伝的アルゴリズムを使用して、情報理論で決定された音列を改良したことを示す。我々の真の目的は、人間の感性をサポートするような自動作曲システムを構築することである。
著者
安倍 泰孝 原口 和也 丸岡 章
雑誌
研究報告ゲーム情報学(GI)
巻号頁・発行日
vol.2011-GI-25, no.6, pp.1-7, 2011-02-26

計算ブロックパズルでは,与えられた n × n の盤面のブロックへの分割および各ブロックに対する自然数の割当に対し,ラテン方陣条件と部分和条件を満たすように,盤面上のすべてのセルに 1, 2,...,n の数を割り当てることが求められる.本研究では計算ブロックパズルの生成アルゴリズムを開発する.生成されるパズルの種類は,アルゴリズムに組込まれる推論規則によって調整される.被験者実験の結果,高度な推論規則を用いて生成されたパズルは,そうでないパズルより正答率が低いことが観察された.
著者
小西 瑞恵 コニシ ミズエ Mizue KONISHI
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集
巻号頁・発行日
vol.45, pp.233-246, 2008-01-31

国際港湾都市として知られる長崎は、1580年(天正8)から1587年(天正15)まで、イエズス会が支配する教会領の自治都市であった。この自治都市長崎の歴史については、1970年代に始まる安野眞幸氏の詳細な研究があるが、都市史研究者でさえ、それを熟知しているとはいえない。また、その歴史的位置についても、都市史の上で共通の理解が成立しているとはいえない。その理由は、最近の都市論がヨーロッパの自治都市と日本の自治都市との比較研究を軽視する傾向があるためである。しかし、私は16世紀から17世紀にいたる日本の歴史を考える上で、教会領長崎の検討が重要であると考える。15世紀から17世紀半ばにいたる大航海時代についても、従来のようなヨーロッパ中心の史観ではなく、アジアを主体として考えるという新しい研究動向をうけて、あらためて自治都市長崎を検討することが必要になっている。ここで安野氏の研究を中心に研究史をふりかえり、自治都市長崎の歴史と歴史的位置を検討した。その結果、自治都市長崎が安野氏や網野善彦氏が述べているように、同時代の堺や伊勢大湊と同じ公界である事実を確認し、詳細な比較検討が可能であることを例証した。たとえば、自治都市長崎の自治組織は10人前後の頭人たちが構成する「頭人中」「惣中」であったが、これは堺の会合衆が10人であったことと一致する。また、港湾の管理運営についても、長崎では大湊と同様、公界によって行われていたと推測した。このような比較検討を、さらに進める必要がある。教会領長崎の信仰・宗教の中心は、氏神神宮寺のイエズス会による破壊によってキリスト教(教会)になるが、権力による破壊と弾圧を経て、江戸時代には氏神としての諏訪神社の再建と回帰(長崎おくんち)にいたることも述べた。
著者
塩田 昌弘 Masahiro SHIOTA
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 = Otemae Journal (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.101-125, 2012

明治・大正・昭和を通して、実業界で活躍し、阪急電鉄、阪急百貨店、東宝映画、宝塚歌劇、阪急ブレーブス、コマ・スタジアム、逸翁美術館、マグノリアホール、池田文庫、小林一三記念館等の創設の基礎にその才能・才覚を発揮した不世出の実業家・小林一三(1873〜1957)について紹介する。 特にこの小論では、小林一三の成した事業のうち、文化・美術方向を中心に逸翁美術館に焦点をあて論考しようと思う。本来、事業はそれを成した人の人格の反映と考えられる。後年、今大閤と言われた小林一三であるが、幼年期は、愛情の薄い家庭に育った。だが、その小林一三がどの様にして、その才能を開花させていったのか。小林一三の志とは何か、逸翁美術館成立の礎となったコレクションを貫流する美とはどの様なものか、これらについて考察する。
著者
有本 泰子 河津 宏美 大野 澄雄 飯田 仁
雑誌
情報処理学会研究報告音楽情報科学(MUS)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.12(2008-MUS-074), pp.133-138, 2008-02-09

音声に含まれる感情情報を自動認識することを目的に、オンラインゲーム中の自然な対話を収録し、感情音声のコーパスを構築した。感情の種類の分類としてプルチックの提案した感情立体モデルのうち、その一次的感情を取り上げ、収録した音声に付与した。また、収録した音声の高さ、長さ、強さ、声質に関わる11種の音響的特徴を抽出し、音響的特徴ごとに分散分析を行ない感情間の有意差を検証した。さらに、分散分析の結果に基づき、特定の感情と他の感情とを判別するための判別分析を行なった。その結果、驚きで79.12%、悲しみで70.11%と高い判別率が得られ、他の感情においてもほぼ60%以上の判別率となった。
著者
酒井 茂幸
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.136, pp.115-134, 2007-03-30

本稿は、近時、伝存が明らかになった、国立歴史民俗博物館蔵田中穣氏旧蔵『鷹歌等』所収「住吉 玉津島 高野山へ賢良御参詣時於路次人々」(内題、本稿では「賢良高野山参詣路次和歌」と仮称)を中心に、能登守護畠山氏の義忠(法名賢良)の主催した歌会の作者圏を調査し、歌会に集った公・武・僧の歌人達の階層や構成を探究したものである。田中本『鷹歌等』は、未整理の歌稿を書き抜いた歌群中に正徹の新出歌が一〇首含まれるなど、正徹関係の資料が多い。しかし、正徹の他撰家集『草根集』の編纂に近い段階の歌稿の抜書の転写であり、扱いには注意を要する。「賢良高野山参詣路次和歌」も、そうした一連の資料群に含まれるが、外部徴証から成立年次は文安三年(一四四六)を軸とする前後三、四年と推定される。本歌会の出詠者が正徹と堯孝の門弟格の歌僧に限られるのは特筆される。賢良が主催した歌会で独立した伝本が残るのは、他に『畠山匠作亭詩歌』と『瀟湘八景歌』があるが、いずれも歌道家や守護大名を中核に作者が構成されている。『畠山匠作亭詩歌』を基準に、義忠(賢良)の主催した歌会の出詠者を、『草根集』や『堯孝法印日記』などをもとに比較すると、幕府に直勤した奉公衆・御供衆などの武士階層が出家遁世し歌人として活躍しているケースも見出される。これは、専門歌人の門弟筋に限られた「賢良高野山参詣路次和歌」とも異なる人的構成である。『畠山匠作亭詩歌』と『瀟湘八景歌』からは、賢良の五山僧との親密な交友圏が知られ、賢良は歌人と五山僧が一堂に会する雅会の後援者的役割を担っていたと推測される。『草根集』には、歌会催行記事が確かに目立つが、漢詩と和歌がセットとなった雅会も催されている。賢良主催の歌会では、階層や歌道流派を超えた文芸の「場」が機能していたのである。
著者
福田 周
出版者
リトン
雑誌
死生学年報 = Annual of the institute of thanatology
巻号頁・発行日
vol.10, pp.207-236, 2014-03-31

In this article, the process of psychological recovery from trauma caused by a major earthquake through the use of namazu (gigantic catfish) drawings (called namazue in Japanese) is examined. Namazue can bee seen in the tile block print pictures found in kawaraban, newspapers of the Tokugawa Period, several of which were published around the time of the Great Ansei Earthquake (1855) which struck Edo (Tokyo) at the end of the Edo Period.Ordinary people in Edo used catfish to symbolize the damage caused by the earthquake and their feelings toward it. According to Komatsu (1995), they were able to reduce their earthquake-related fear and anxiety through namazue. Komatsu classified the psychological modification process of the images of namazue into four categories: a) Direct expression, b) Imagery representing cursing, c) Personified and ambiguous images, and d) Images of recovery.This process is then compared with that of post-traumatic play therapy. Using a drawing of one elementary school student who suffered from a recent earthquake experience as an example, the same self-healing process of creating images of namazue can be seen.In conclusion, for reconstruction in the disaster area of the Great East Japan Earthquake to proceed, the author recommends that: 1) people should be mindful of the potential psychological effects that namazue may have on psychological recovery from trauma; 2) people should trust their own, innate human power of recovery; and 3) an environment should be created in which the psychological recovery process can proceed smoothly.
著者
村田 直郁 川島 英之 建部 修見
雑誌
研究報告システムソフトウェアとオペレーティング・システム(OS) (ISSN:21888795)
巻号頁・発行日
vol.2016-OS-137, no.8, pp.1-11, 2016-05-23

分散データベース管理システムにおいて外部キー制約や二次索引,実体化ビューの管理を行うための高性能な処理方式として Read Atomic Multi-Partition(RAMP) トランザクションがある.RAMP トランザクションは隔離性を緩和することで高性能化を実現した研究であるが,それを先進的デバイスによって高性能化する技法は未開拓である.そこで,本研究では高性能インターコネクトである InfiniBand を利用し,Remote Direct Memory Access(RDMA) の機能を用いて RAMP トランザクションを高速化する手法を提案する.まず,RDMA-Write による GET/PUT オペレーションの高速化手法として GET+/PUT+方式を提案する.続いて,RDMA-Read による更なる GET オペレーションの高速化手法として GET*方式を提案する.提案手法の評価のため,プロトタイプ In-Memory Key-Value Store を実装する.Yahoo! Cloud Serving Benchmark を用いた実験において,従来方式と比べて最大 2.67 倍の高速化を達成することを示す.
著者
伊波 立樹 東恩納 琢偉 河野 真治
雑誌
研究報告システムソフトウェアとオペレーティング・システム(OS) (ISSN:21888795)
巻号頁・発行日
vol.2016-OS-137, no.11, pp.1-8, 2016-05-23

当研究室では処理の単位を Code Gear,データの単位を Data Gear を用いて並列実行を行う Gears OS を開発している Gears OS では並列実行をするための Task を Code Gear と Data Gear の組で表現する.Task の依存関係は Code Gear を実行するために必要な Input Data Gear と Code Gear で作られる Output Data Gear によって決定し,それにそって並列実行を行う.依存関係の解決などの Meta Computation の実行は Meta Code Gear で行われる.Meta Code Gear は Code Gear に対応しており,Code Gear が実行した後にそれに対応した Meta Code Gear が実行される.本論文では Gears OS のプロトタイプとして並列処理機構を設計し,CbC(Continuation based C) で実装する.
著者
Hiroshi Mine Taku Shimosawa Soki Sakurai Tadashi Takeuchi
雑誌
研究報告システムソフトウェアとオペレーティング・システム(OS) (ISSN:21888795)
巻号頁・発行日
vol.2016-OS-137, no.14, pp.1-8, 2016-05-23

With online video editing systems, file servers supporting standard file sharing protocol and achieving high I/O performance with real-timeness are required to reduce the overall system cost. AVFS is a file system optimized for the efficient storing and access of video files. Samba is a widely used file server application and enables client terminals to access files via a network. Since Samba is not adapted to efficiently process accesses to video files using features provided by AVFS, modifications of Samba such as the addition of deadline information to I/O requests are required to benefit from AVFS. In this paper, we propose rt-Samba, the Samba-AVFS cooperation method composed of a Samba VFS module and an I/O surrogate daemon using real-time features provided by AVFS. Using this method, I/O access performance is improved while keeping the amount of modifications in Samba low. Furthermore, the standard CIFS protocol is preserved, allowing the use of unmodified editing stations for accessing files. Evaluation results of a Linux file server implementation of our proposed method show that rt-Samba achieves 3 times higher read throughput and 1.1 times higher write throughput keeping the storage I/O stability compared to an original Samba server accessing files on Ext4.
著者
森 達
出版者
東洋大学法学会
雑誌
東洋法学 (ISSN:05640245)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.191-213, 1957-11
著者
五十川 伸矢
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.51-76, 1996-03-29

古代平安京や中世京都とその周辺の葬地となった地域の墓の考古学的資料をもとにして,都市とその周辺における墓の歴史的展開について考えてみたい。平安京では,その京域内に墓を作らせなかったため,その周辺の山野に葬地が次第に形成されていった。古代には天皇や貴族などの人々の墓がみとめられるが,当初は墓参のないものであった。一般庶民は,その遺体を河原に遺棄されるものであったといわれており,墓が作られたとしても簡単なものであったらしい。12世紀にはいって,都市の外周部の葬地には,集団的な墓地が顕在化し,中世的墓制が確立していったとみられる。木棺に伸展葬される形態が主流であり,古代の墓の伝統が続いていた。13世紀にはいると,都市の内部にも墓が作られて,そのなかには,都市が解体して墓地が形成されるのではなく,都市空間を前提として墓地が営まれるものもあった。ここに京域内に墓を作ることを禁じた古代からの伝統はついえた。墓の形態には,土葬では屈葬の木棺があらわれ,火葬骨は各種の蔵骨器に納入された。15世紀には,さらに墓の遺跡が増加し,墓を作りえた人々が増したことがうかがえ,直葬の形態をもつ土壙墓が,ややめだつようである。その背後には葬式仏教化した寺院があり,庶民のあいだにも累代の墓をもち,墓参をおこなう風が成立しつつあったとみてよい。16世紀には政治的に都市再編がおこなわれ,都市の空間設定に変化が生じると,その墓地や火葬場も運命をともにし,移動をよぎなくされるものもあった。こうして,近世・近代へとつながる墓のありかたが定着していった。