著者
趙越
雑誌
中国漁業経済
巻号頁・発行日
vol.37, 1993
被引用文献数
1
著者
織田 禎二 宮本 忠臣 白石 義定 朴 昌禧
出版者
The Japanese Society for Cardiovascular Surgery
雑誌
日本心臓血管外科学会雑誌 (ISSN:02851474)
巻号頁・発行日
vol.20, no.5, pp.861-864, 1991

小児の開心術では通常,輸血が不可欠であるが,ときに親の宗教上の事情により輸血が拒否されることがある,われわれは"エホバの証人"のシンパを親にもつ1.4歳の小児の開心術で同様の経験をした.無輸血での心臓手術を希望する親を説得して,母親の血液に限り輸血の許可を得たため,Lilleheiらの"controlled cross circulation"(交差循環)をこの母子間で行い,心室中隔欠損孔パッチ閉鎖,僧帽弁再建術に成功した.この交差循環は母親の総大腿動脈よりroller pumpで脱血して患児の上行大動脈へ送血し,患児の上下大静脈より落差脱血にてreservoirに導いた血液を別のroller pumpで母親の大腿静脈へ送血して行った.交差循環時間は212分であった.術後は母子とも発熱を認めたほかはきわめて順調に経過し,術後2.2年経過した現在もきわめて経過順調である.
著者
安 玉発 慶野 征〓 齋藤 勝宏
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.233-241, 1996-03-29
被引用文献数
3

中国農村経済体制改革の推進に伴い,従来の国営商業野菜流通システムが再編され,大消費地から離れた遠隔地野菜産地出荷量及び産地卸売市場数の増加が注目されてきている.本稿では,調査地として山東省魯中地区を選定し野菜流通システムの再編が産地形成に果たす役割について考察した.この地区は,中心卸売市場としての寿光卸売市場及び中小の郷・村級卸売市場を設立することにより,一大産地を形成するに至った産地でもある.分析の結果得られた主な知見は以下の通りである.先ず第一に,集団出荷組織を持たない中国においては,寿光市場だけではなく中小の周辺卸売市場が野菜生産発展と農家の所得を増大させる上で重要な役割を果たしたこと,寿光卸売市場は産地野菜を流通させる上で非常に重要な核となっていること。第二に,取引代理人制度中心卸売市場においては効率的な取引を行う上で非常に重要な役割を果たしていること.そして第三に,野菜流通システムの確立は,流通コストの逓減効果,当該産地で生産された野菜の広域流通推進効果,さらには取引代理人制度が産地の拡大産地競争力の形成を促進する効果を持つことである。
著者
荒木 一視 柴 彦威
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.249-265, 2004
被引用文献数
1

世界の食料経済が新たな局面を迎える中で,食料貿易は近年増加している.それは特にアジアの消費の拡大にもよるものである.アジアの大国でもある中国は,特に近年のめざましい経済成長の中で,農産物の大生産国であると同時に,大食料消費国でもある.南米から北米,アフリカからヨーロッパという食料貿易の研究は,世界システム論的な視点あるいはコモディティチェーン(商品連鎖)といったアプローチにより行われてきた.しかし,中国の食料流通に関する研究は少なく,これ抜きには東アジアの食料貿易の理解は難しい.これらのアプローチの東アジアヘの適用を検討する上で,この巨大な国の国内の流通システムの研究は不可欠である.以上のような観点から本論では,中国の青果物供給体系を明らかにすることを試みる.その際,研究事例として北京はもとより中国でも最大級の卸売市場である大鐘寺青果物卸売市場を取り上げ,3月と9月の入荷状況を検討した.両月を設定したのは,3月は多くの野菜が端境期を迎える一方,9月は出荷が最盛期を迎える時期に相当するからである.使用した資料は「大鐘寺農副産品批発(卸売)市場蔬菜水果上市行情及産地月報表」「大鐘寺農副産品批発(卸売)市場月成交量統計表」である.「月報表」では各品目ごとの入荷産地が,「統計表」では各品目ごとの取引額,取引量,最高値,最安値を含む単価がそれぞれ示されている.以上の資料を用いて具体的に北京市に入荷する青果物がどの地域からどのような形態で輸送されているのかを明らかにし,このような青果物の入荷圏がどのように形成されてきたのかなどにも言及するとともに,わが国の青果物流動との比較も行った.その結果,青果物の入荷パターンには季節的な違いが認められた.多くの農産物が出荷の最盛期を迎える9月には,同市場への入荷は北京市近郊,華北地域に集中したが,端境期となる3月には遠く華中・華南方面からも入荷が認められた.その際,単価の高いものほど遠隔から,安いものほど近郊から入荷するという傾向が確認できた.総じて,季節的な変動が認められるものの,端境期には中国全土をカバーするような北京市への青果物供給システムがすでに構築されているといえる.その背景には中国国内の経済格差が影響していることが考えられる.特に,北京の購買力の高さがこのような全国的な体系の構築において重要な役割を果たしたと考えられる.その意味では北京で豊かな消費を享受する者は,日本や米国などの消費者と同じであり,従来コモディティチェーンのアプローチなどで取り上げられた生産地と消費地の格差の問題と同様の問題が中国国内にも当てはめられる.今回確認されたのと同様の全国的な青果物供給体系を早くに構築した日本との比較では,両者の性格の違いが浮き彫りになった.また,東アジアの食料供給という観点からは,中国のもつ,供給者としての側面のみならず,強力な購買力を持ち,時に広大なスケールでの供給圏を構築しうる消費者としての側面が重要であることが確認された.これは欧米諸国への供給者として注目されたアフリカや南米の国々とは大きく異なる点であり,東アジアの食料流通を考える上での極めてユニークな特徴である.
著者
趙 麗明
出版者
北海道大学大学院農学研究院
雑誌
北海道大学大学院農学研究院邦文紀要 (ISSN:18818064)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.45-78, 2013

以上の各章では本研究の中心課題である中国地方都市における農産物卸売市場を中心とする野菜流通構造の形成過程の解明に向けて,以下の内容を確認,解明した。II. 「中国における野菜生産流通の地域的特徴と分析事例」では中国における野菜生産流通の特徴を整理し,分析事例であるフフホト市の位置づけを確認した。内陸部の野菜生産量は全国の29%と少なく,年間野菜消費量の35%を沿海部から調達している。分析事例であるフフホト市の年間野菜消費量に占める域内野菜の割合は20%であり,内陸部の中でも野菜生産停滞が深刻で,域外野菜への依存度が比較的高い地域である。III. 「フフホト市の野菜流通における農産物卸売市場の役割拡大」では分析事例地域であるフフホト市都市部における野菜流通量の75%を占めるトンガヨ卸売市場の特徴を解明した。すなわち,トンガヨ卸売市場は従来の地場流通市場から広域流通市場に性格変化した。他方,トンガヨ卸売市場は需要量が多く,売り手を見つけやすいという理由からフフホト市における野菜生産農家の主な出荷先農産物卸売市場となっている。IV. 「野菜流通の大量化,全国的広域化に伴う農産物卸売市場の性格変化」ではトンガヨ卸売市場経営者の市場行動分析を通じて,トンガヨ卸売市場における域外野菜売場面積の安定的確保(拡大)・域内野菜売場面積縮小の実態を解明した。トンガヨ卸売市場経営者は野菜取引量の最大化を目的として,大規模な卸売専業業者の営業が展開しやすいように,野菜売場整備を行った。その結果,大規模な卸売専業業者を通じて搬入される域外野菜の売場が安定的に確保され,販売農家と小規模な卸売専業業者を通じて搬入される域内野菜の売場が縮小した。V. 「卸売専業業者による野菜卸売市場流通の大量化,全国的広域化の展開」ではトンガヨ卸売市場における野菜卸売専業業者の商品調達行動分析を通じて,卸売専業業者の商品調達先が従来の域内産地から沿海部を中心とする域外産地や産地卸売市場,或いは全国から出荷品が集まる大都市の集散地卸売市場に切り替わったことを解明した。すなわち,域内産地の生産量が少なく,規模拡大した卸売専業業者の仕入需要を満たさなくなったため,卸売専業業者は生産力の高い沿海部の野菜産地や産地卸売市場,或いは全国から出荷品が集まる大都市の集散地卸売市場からの調達に切り替えた。VI. 「大規模小売業者による域外野菜の需要,割合拡大」ではフフホト市における野菜小売業者の商品調達行動分析を通じて,域内野菜と域外野菜の需要動向の実態を解明した。つまり,域内野菜は単価が安く,鮮度もよいという理由から小規模小売業者が優先的に調達している。これに対し,域外野菜は単価が高いものの,大きさや形など規格化がよく,大規模小売業者の仕入需要を最も満たしている。このため,大規模小売店舗の増加につれて,野菜小売流通に占める域外野菜の割合が拡大している。
著者
IIDA K.
雑誌
J. Earth Sci., Nagoya Univ.
巻号頁・発行日
vol.6, pp.101-122, 1958
被引用文献数
1
著者
石橋克彦
雑誌
歴史地震
巻号頁・発行日
vol.1, pp.55-58, 1985
被引用文献数
1
著者
今村明恒
雑誌
地震2
巻号頁・発行日
vol.2, pp.23-28, 1949
被引用文献数
1
著者
曹 建平
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-18, 2015

本稿では近代満州における煙草市場の実態分析の一環として日系新聞の『満日』(マイクロフィルム)に注目し,そこに掲載された広告の内容を分析することにより煙草企業の市場販売戦略を明らかにすることを目的とする。分析にあたり,多国籍企業の英米煙草会社と日本資本の東亜煙草会社・満州煙草株式会社との広告を抽出し,広告における文字情報と図像情報から成る広告要素と広告手法に着目する。なお,史料とした『満日』は南満州鉄道株式会社が発行した『満州日日新聞』と『満州日報』との通称で,1907年に創刊され,1944年までに発行しつづけたものである。結論としては,まず,満州国期に数多くの煙草広告が掲載されたことが挙げられる。悉皆的な集計と分析をしないと正確な判断はできないが,全体的な印象としては,英米煙草会社の広告はほかのメーカーに比較すると,はるかに多いようである。これは巨大な資本力に負うことと考えられる。そして,英米煙草会社は広告にさまざまな手法を用いたりして単一銘柄を集中に広告するほか,図柄を変化させて広告効果の向上を図った。また,宣伝文のないシンプルな広告が多用され,視覚効果に訴えていた。次に,日本資本の煙草企業が新聞広告を活用していた実態が明らかになった。東亜煙草会社は早い時期から新聞に広告を出したが,掲載頻度がそれほど高くなかった。そして,日中戦争勃発前に掲載した広告はまだ普通の商品広告で,製品品質の良さや包装の美しさなどの点をアピールする余裕があったようであるが,日中戦争勃発後,戦争の相乗結果もあって消費者の愛国心を利用して国貨購入を呼びかける広告手法はその広告の基本路線となった。一方,国策会社として設立された満州煙草株式会社の広告は戦争の勃発・拡大を背景として誕生したもので,戦時宣伝や戦争支援の意味合いが見え,イデオロギーの宣伝陣地となっていた。
著者
矢久保典良
雑誌
東洋学報 / The Toyo Gakuho
巻号頁・発行日
vol.97, no.4, pp.31-58, 2016-03

During the 2nd Sino-Japanese War, the fact that life in Chinese Muslim communities centered around mosques (qingzhensi 清真寺) dispersed throughout the country by no means implies that Muslims were isolated from the political power and society outside their communities. The research to date on Muslims and Muslim communities during wartime mainly emphasizes the aspect of their anti-Japanese resistance activities, efforts to rescue the nation from foreign danger and their overall patriotism, in an effort to maximize their contributions to the Chinese war effort. However, for Muslims, the political environment created during wartime could not be separated with their daily lives and religion. Therefore, more attention should be paid to the many diverse aspects of the relationship between Muslims and the War.For example, during the War, the Chinese Islamic National Salvation Association (中国回教救国協会), a social and religious organization aiming at the integration of Muslim society through the management of mosques, was of the opinion that mosque management should attempt to link politics with religion. This article is an attempt to clarify the perceptions and programs of the Association about mosque management under wartime conditions, by focusing on the process by which its management system was put into effect. The ideals espoused by the NSF were reflected in its Methods for Mosque Management, a plan conceived in the midst of the Republic of China's attempts to deal with structural problems surrounding state religious regulation and internal mosque affairs during wartime. The Association looked upon insufficiencies in mosque management mechanisms as detrimental to improving how religious affairs were conducted and was of the opinion that its Methods of Management would overcome such insufficiencies. The Association's system first tried to advance the organization of individual Muslims and the integration of their internal affairs, an issue that had arisen during the early Republican era, through improvements in mosque management. Then there was the aspect of government supervision and regulation of Islam and its places of worship. Although the Association took the opportunity offered by the government's attempt to regulate religion to present its views concerning mosque management, its motivation was clearly based on the conviction that there were problems that needed solving within the internal affairs of mosques.