瑞野明青(みずのあお) (@inonagapenchan)

投稿一覧(最新100件)

RT @raizou5th: 矢田部良吉は東京高等女学校校長を免職となった頃、他の官職も辞して植物学に専念する。そして『植物学雑誌』(4巻44号)「A few Words of Explanation to European Botanists」(泰西植物学諸氏に告ぐ)で欧米の…
RT @Mako_sanjo0818: 拙稿「文久・元治年間における三条実美の歴史的位置」が機関リポジトリで公開されていました。よろしくお願いします。 https://t.co/pGSp8OEI74
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒今村 洋一 「統計にみる明治・大正・昭和初期における全国の娼妓数」 『椙山女学園大学文化情報学部紀要』22巻 (2023/3) https://t.co/jCySIRQbse
RT @OBATA_LABO: 若手研究が終わったあとにでも三島通庸の伝記を山形大学出版会から出すか(妄想) https://t.co/LrPq2Ohfzc
RT @kagekageko: これはすごい論文ですね。ダウンロード可。無料。 J-STAGE Articles - 『発心和歌集』選子内親王作者説存疑(久保木秀夫) https://t.co/k0p9o78aBn
RT @parrot_paganus: 大福寺所蔵「瑞夢記」翻刻、川村学園女子大学リポジトリで上下とも閲覧可能になりました。 (上) https://t.co/wuUCuqHINg 男巫や勧進聖、在地の刀祢、南都の学僧、盲人などが出てきます。

14 0 0 0 OA 木戸孝允文書

@show_giku 木戸孝允文書の第6 明治8年の手紙です。 https://t.co/zmjEH8aiWk 国会図書館デジタルの上のリンクで読めます。 70頁の3月辺りから始まっているのかな 吉富簡一宛の手紙でも「弟は玄宗皇帝の侍従長~」と書いていますね
RT @zasetsushirazu: 町田明広「慶応二年政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』13、2021年)曰く、薩摩藩は抗幕姿勢を貫くためにパートナーとしての英国との関係を重視していて、一旦ぎくしゃくした両者の関係を改善するためにも、英国公使パークス…
RT @zasetsushirazu: 慶応2年1月21日(1866年3月7日)は、町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)曰く、18日に小松帯刀・木戸孝允らの会談で概要が決まった薩長同盟の内容を、坂本龍馬(長州藩から薩摩藩士と認識されてい…
RT @kishimoto_yoshi: 『本朝武家大系図』という中世諸家の系図をコンパクトにまとめた古書がある。国立国会図書館本は著者不明だが、承応2年(1653)中野五郎左衛門の編纂と思われ、蔵書印から埼玉の郷土史家で県会議長を務めた根岸武香の旧蔵書「冑山文庫」であったこと…
RT @zasetsushirazu: 明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去。何者かに暗殺されたが、真犯人は不明。当時、明治政府の参議を務めていた長州藩出身者は、広沢と木戸孝允だけだった。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、事件…
RT @zasetsushirazu: 文久2年12月22日(1863年2月10日)、国学者・塙忠宝(塙次郎)が死去。塙保己一の長男で、『続群書類従』などを編纂した。久田信行「盲唖学校の成立と山尾庸三(補遺)」(『群馬大学教育実践研究』31)は、伊藤博文と山尾庸三が塙を暗殺した…
RT @zasetsushirazu: 昭和7年1月31日、穂積歌子が死去。渋沢栄一の長女で、法学者の穂積陳重と結婚。穂積重行編『穂積歌子日記』(みすず書房)がある。同書に関する書評(『史学雑誌』101-4)の中で佐々木隆氏は、歌子が政治に対する豊富な知識と理解力を有していたで…

21 0 0 0 OA 関八州名墓誌

RT @kishimoto_yoshi: 有名人の墓を巡る人を掃苔家というが、昨今は墓マイラーとも言うらしい。大正時代の時山弥八もそんな趣味を持った人物。関東大震災で原稿を失う悲劇の乗り越えて大正15年『関八州名墓誌』を上梓した。来年の大河の主人公北条義時、宮本武蔵、吉田松陰、…
RT @rekishi_info: 1931年12月12日に日比谷公会堂で行われた渋沢栄一の追悼講演の記録 『故子爵渋沢栄一翁追悼講演録』 https://t.co/hGM22XOn3A #青天を衝け
RT @machi82175302: 今からちょうど157年前、元治1年12月2日、「鹿児島藩討幕の意ありて、内大臣近衛忠煕之に同意すとの説、廷臣間に行はる」。拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩-西郷吉之助の動向を中心に-」(神田外語大学日本研究所紀要8号、2016.3)を参照…
RT @zasetsushirazu: 大正11年11月10日、中島永元が死去。肥前佐賀藩出身で、幕末期には大隈重信らと共に長崎に遊学し、フルベッキに学んだ。松谷昇蔵「内閣制度導入前後における文部官僚」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』66、2021年)は、学校経営の前歴を持…
RT @zasetsushirazu: 笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなか…

33 0 0 0 OA 掌中官員録

RT @irisiomaru: 参議卿官僚は等級と役職ごとの給料が、各人の等級役職と共に、官員録に記載されていました。官僚の給料の高さを隅々まで公表することが、中央に優秀な人材を集め近代化推進に効果的に働いたのでしょう。 例えば明治8年 https://t.co/lCUQ18A…

11 0 0 0 OA 世外井上公伝

RT @kokeshinookimon: 「青天を衝け」で井上馨の顔に傷があるのですが、今まででこのことに気づいてツイートしたのは、FFでは中村武生さんだけだった。 https://t.co/PcBvP74KbM 写真だとわかりにくいこともあって、やや薄目の目立ちにくい傷になっ…
RT @zasetsushirazu: 慶応元年8月26日(1865年10月15日)、薩摩藩の新納久脩と五代友厚らがブリュッセルで、フランス貴族モンブランを相手にベルギー商社計画と呼ばれる契約を調印(ベルギー政府の証人が立ち会い)。宮永孝「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」(『…
RT @hi_kashi: この科研費(https://t.co/xGoGCplull)の成果の一部として出版されます。私も今回、メンバーに入れていただいて準備しています。昭和天皇の生の声が聞けて興味深い史料ですのでぜひお手元に。 昭和天皇『拝謁記』12月から公刊へ 初代宮内庁…
RT @machi82175302: 続き)このあたり、拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に― 」を参照ください。以下、ダウンロードも可能です。https://t.co/in1GB6YkW2…
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 信長と信勝の関係がなぜ破綻していったかをまとめた論文がPDF公開されてるのを見つけました。面白かったので投下します。要求される前提知識は麒麟見てれば補えます。 #麒麟がくる 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝…

お気に入り一覧(最新100件)

矢田部良吉は東京高等女学校校長を免職となった頃、他の官職も辞して植物学に専念する。そして『植物学雑誌』(4巻44号)「A few Words of Explanation to European Botanists」(泰西植物学諸氏に告ぐ)で欧米の研究者に頼らない日本の植物学の独立を宣言した。#朝ドラらんまん  https://t.co/3FXRbalSc7
拙稿「文久・元治年間における三条実美の歴史的位置」が機関リポジトリで公開されていました。よろしくお願いします。 https://t.co/pGSp8OEI74
J-STAGE Articles - 小樽における明治期の火防線と小樽公園の計画について https://t.co/0KQ5g3qSY1 >日本の都市計画史をまとめた書物においても北海道あるいは小樽に冠する記述は欠如している研究が多い 草
PDFあり。 ⇒今村 洋一 「統計にみる明治・大正・昭和初期における全国の娼妓数」 『椙山女学園大学文化情報学部紀要』22巻 (2023/3) https://t.co/jCySIRQbse
ついに近代日本政治史の本格的なネットワーク分析論文が!図1-1、1-8あたりはずっと眺めてみていたい。 https://t.co/vksFM13s5B
前RT:桃山時代頃の対丈の小袖を着たいなー。帯もほぼ紐だし。福田博美「『おはしょり』形成の過程」という論文も面白いです。https://t.co/te8ZxYUWxY
若手研究が終わったあとにでも三島通庸の伝記を山形大学出版会から出すか(妄想) https://t.co/LrPq2Ohfzc
これはすごい論文ですね。ダウンロード可。無料。 J-STAGE Articles - 『発心和歌集』選子内親王作者説存疑(久保木秀夫) https://t.co/k0p9o78aBn
講演:皇室中心主義に就て(一) - 歴史的音源 高田早苗の肉声がここから聴けます。滑舌も良くて力強く、相手に伝わりやすい話し方だと思います。所々「ンー」とか「エー」とか挟まるのが教授らしいです(笑) https://t.co/9yLttrG5Zt
吉田倫子「観光を糸口とした城郭文化財におけるバリアフリー整備の可能性」 https://t.co/Y6EDbWA5Ki #城 #バリアフリー
大福寺所蔵「瑞夢記」翻刻、川村学園女子大学リポジトリで上下とも閲覧可能になりました。 (上) https://t.co/wuUCuqHINg 男巫や勧進聖、在地の刀祢、南都の学僧、盲人などが出てきます。

1 0 0 0 幕末維新

https://t.co/o0t88Z6PMX 個人送信で『山内家史料 第十六代豊範公紀 幕末維新』の慶応元年から明治19年まで読めるようになったのはあまりにも強すぎる

40 0 0 0 OA 言継卿記

@1059kanri これですね、永禄十二年十一月十二日(193コマ目) https://t.co/bS9i1CO0UP

7 0 0 0 OA 木戸孝允文書

@126_enpitsu 拙いもので恐縮です。これから学びの機会が沢山あって素晴らしいですね。 申し忘れたのですが、現在城崎文芸館の常設展にも桂さんの書など貸出しておりますので、機会がありましたらご覧ください。 昨日ご紹介しました書簡は、こちらの『木戸孝允文書』第三にあるものです。 https://t.co/spPP26O6wc https://t.co/QjCyNJo3mb

206 0 0 0 OA 暁斎絵日記

おはようございます。 今日は、幕末から明治にかけて活躍した河鍋暁斎の命日(1889)です。 リンクは、緻密な絵からゆるカワの絵まで載っている河鍋暁斎絵日記です。 https://t.co/k3H3df9IEZ
町田明広「慶応二年政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』13、2021年)曰く、薩摩藩は抗幕姿勢を貫くためにパートナーとしての英国との関係を重視していて、一旦ぎくしゃくした両者の関係を改善するためにも、英国公使パークスの鹿児島訪問を推進した。 https://t.co/wLdjTW1HSq
大正11年4月7日、漢学者・東洋史研究者の林泰輔が死去。渋沢栄一の依頼で『論語年譜』(大倉書店)を編纂。『朝鮮通史』(富山房)などの単著がある。権純哲「林泰輔の「朝鮮史」研究」(『埼玉大学紀要 教養学部』44-2)曰く、「東京大学の東洋史学の揺籃期」に深く関与。 https://t.co/b3bZv5uHIf
弊学法学部の紀要にて、以下の論文が公刊されました! 「新型コロナウイルス感染拡大の防止と「自由」は対立するのか?:ケイパビリティ・アプローチを用いて考える」『法学会雑誌』57巻2号 早速リポジトリに公開してもらいました。こちらからお読みいただけます:https://t.co/iUVUlu5K2d
明治6年3月14日、日本人と外国人の結婚について定めた内外人婚姻規則が、太政官布告第103号として公布された。小山騰「明治前期国際結婚の研究」(『近代日本研究』11)曰く、国際結婚の問題は、条約改正の議論の中で論点となった内地雑居の問題にも、少なからず関係した。 https://t.co/CDYGvqoHMV
慶応2年1月21日(1866年3月7日)は、町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)曰く、18日に小松帯刀・木戸孝允らの会談で概要が決まった薩長同盟の内容を、坂本龍馬(長州藩から薩摩藩士と認識されていた)を証人として確認した日。 https://t.co/Vz75SjD6eh
京都や江戸城での装束着てやる蹴鞠しか知らなかったのですが、庶民まで蹴鞠が普及していたことをこの日の日記がきっかけで知りました。天保のリフティングブームも面白い♪ こちらがとても面白かったです
『本朝武家大系図』という中世諸家の系図をコンパクトにまとめた古書がある。国立国会図書館本は著者不明だが、承応2年(1653)中野五郎左衛門の編纂と思われ、蔵書印から埼玉の郷土史家で県会議長を務めた根岸武香の旧蔵書「冑山文庫」であったことがわかる。https://t.co/zJOqcCiX4L https://t.co/HIrNSvY7Tj
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去。何者かに暗殺されたが、真犯人は不明。当時、明治政府の参議を務めていた長州藩出身者は、広沢と木戸孝允だけだった。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、事件捜査に関する通説を再検証。 https://t.co/XCToPjhXws
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP

35 0 0 0 OA 大武鑑

『鎌倉殿の13人』を観ていて『鎌倉武鑑』を思い出した。『鎌倉武鑑』は文政2~3年に木邨梅年が編纂した鎌倉武士の武鑑であり、一人一人の家紋、系図、略歴が載っている。橋本博編『大武鑑 巻之1』に収録されているので、国立国会図書館デジタルコレクションで見られる。https://t.co/Ey0GeSIHdJ https://t.co/IT4dHrXzV9
明治29年2月14日、林正十郎(林欽次)が死去。幕末期に幕府の蕃書調所や開成所に出仕。フランス軍事顧問団が来日した際には、通訳として横浜に派遣された。大久保英哲「近代日本体育史における林正十郎「木馬之書」(推定1867年)の意義」(『体育学研究』38-3)などを参照。 https://t.co/gHENzRZRNx
文久2年12月22日(1863年2月10日)、国学者・塙忠宝(塙次郎)が死去。塙保己一の長男で、『続群書類従』などを編纂した。久田信行「盲唖学校の成立と山尾庸三(補遺)」(『群馬大学教育実践研究』31)は、伊藤博文と山尾庸三が塙を暗殺したことは「ほぼ確実」とする。 https://t.co/WwIBcyl1u9

1 0 0 0 OA 南遊日誌

https://t.co/rRxUBfgI0e 河野広中が明治12年に高知県に来たときの「南遊日誌」 立志社の豪華メンバーが出まくってる その中で反民権派の池知退蔵が2回も広中を訪ねてきている
昭和7年1月31日、穂積歌子が死去。渋沢栄一の長女で、法学者の穂積陳重と結婚。穂積重行編『穂積歌子日記』(みすず書房)がある。同書に関する書評(『史学雑誌』101-4)の中で佐々木隆氏は、歌子が政治に対する豊富な知識と理解力を有していたであろうことを指摘。 https://t.co/1eR6Jeor6h
明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に加盟(大隈重信、江藤新平らも一緒)。大隈と共に原市之進への大政奉還提案を試みたことがある。後藤新「台湾出兵の一考察」(『武蔵野法学』12)は、外務卿時代の副島の動向を分析。 https://t.co/6i9x1aTzGL
J-STAGE Articles - 戦前の関東圏における別荘の立地とその類型に関する研究 https://t.co/iqEqXuSPkc 原の別荘利用日数と泊数 原の曜日別別荘滞在率 原の季節別別荘滞在日数 の表があって爆笑してしまったんだが

1 0 0 0 OA 床次竹二郎

近所で床次の本ぜんぜん貸し出してもらえないんだけどNDLにいいのがあってハッ

21 0 0 0 OA 関八州名墓誌

有名人の墓を巡る人を掃苔家というが、昨今は墓マイラーとも言うらしい。大正時代の時山弥八もそんな趣味を持った人物。関東大震災で原稿を失う悲劇の乗り越えて大正15年『関八州名墓誌』を上梓した。来年の大河の主人公北条義時、宮本武蔵、吉田松陰、近藤勇など多士済々。https://t.co/dAcbZSjlWC
1931年12月12日に日比谷公会堂で行われた渋沢栄一の追悼講演の記録 『故子爵渋沢栄一翁追悼講演録』 https://t.co/hGM22XOn3A #青天を衝け
飛鳥井家といえば、先日、尾下成敏「戦国織豊期飛鳥井家の破子鞠の会について」(『藝能史研究』234 (2021/7))も読んだけど、こちらも面白かった。戦国期の京鞠会の出席者の性質の変化と政治情勢の絡み、鞠会そのものの位置づけの問題、武将たちの見学は意外に多いことなど。 https://t.co/o2DnIdnREN
1888年12月23日、ローレンス・オリファントが死去。幕末期に2度来日し、1度目は日英修好通商条約の交渉に参加。2度目には、第1次東禅寺事件で水戸浪士に襲撃された。北政巳「幕末日本と英国・スコットランド交流史」(『創価経済論集』42-1・2・3・4)が、その生涯を紹介。 https://t.co/LJYspbzcMZ
明治20年12月19日、吉原重俊が死去。幕末の薩摩藩が派遣した第2次海外留学生。イエール大学に初めて入った日本人で、後に日本銀行の初代総裁。吉原重和「新島襄と吉原重俊(大原令之助)の交流」(『新島研究』104)は、米国留学中の吉原と同じく米国にいた新島襄の交流を紹介。 https://t.co/DJc5vAb6b6
大正11年11月10日、中島永元が死去。肥前佐賀藩出身で、幕末期には大隈重信らと共に長崎に遊学し、フルベッキに学んだ。松谷昇蔵「内閣制度導入前後における文部官僚」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』66、2021年)は、学校経営の前歴を持つ文部官僚として中島を分析。 https://t.co/jY8PR4Z02z
笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなかで不平等条約化」した。 https://t.co/Q4um91vNEU

11 0 0 0 OA 世外井上公伝

「青天を衝け」で井上馨の顔に傷があるのですが、今まででこのことに気づいてツイートしたのは、FFでは中村武生さんだけだった。 https://t.co/PcBvP74KbM 写真だとわかりにくいこともあって、やや薄目の目立ちにくい傷になった。
慶応元年8月26日(1865年10月15日)、薩摩藩の新納久脩と五代友厚らがブリュッセルで、フランス貴族モンブランを相手にベルギー商社計画と呼ばれる契約を調印(ベルギー政府の証人が立ち会い)。宮永孝「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」(『社会志林』47-2)など参照。 https://t.co/WoNCjRFMVx
こちら実際の大隈の演説音声。あるあるあるある言っている。 https://t.co/t5x8NHguOM #青天を衝け
この科研費(https://t.co/xGoGCplull)の成果の一部として出版されます。私も今回、メンバーに入れていただいて準備しています。昭和天皇の生の声が聞けて興味深い史料ですのでぜひお手元に。 昭和天皇『拝謁記』12月から公刊へ 初代宮内庁長官が書き残す | NHKニュース https://t.co/Y2oD7g2XdW
続き)このあたり、拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に― 」を参照ください。以下、ダウンロードも可能です。https://t.co/in1GB6YkW2…

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