根本利巳 (@tonchi_jin)

投稿一覧(最新100件)

RT @moroshigeki: 北﨑勇帆 (2016)「複合助詞「であれ」「にせよ」「にしろ」の変遷」 https://t.co/M4602cU6xa

40 0 0 0 OA 大日本地誌大系

RT @HisadomeK: 伝北条高時の腹切やぐら。 『新編相模国風土記稿』には「腹切岩窟 小富士山の麓にあり、北条氏滅亡の時、残兵此に逃げて自殺せし地なり、近世まで遺骨を掘出すことあり、又古瓦をも多く掘出せし事あり、其瓦紋に三つ鱗ありと云ふ」とあります。 https://t…
RT @Hirabayashi76: 件の経典は曇景訳『仏説未曾有因縁経』という経典で、 大正大蔵経データベースには未収録のようです。 『仏説未曾有因縁経』と部派仏教系経典の比較をしている論文は下記でpdfをDL可 関係論文 https://t.co/yK0ToMIVr6
RT @Hirabayashi76: @tonchi_jin 金剛智-不空-恵果-空海と滅罪の陀羅尼として重視され伝授されたのはご指摘通り、漢字音写本『大仏頂如来放光悉怛多鉢怛羅陀羅尼 』と梵本『大仏頂真言』ですね。 こちらの論文が丁度、論じています。 https://t.co…
RT @izumifgo: 奈良国立博物館の金光明最勝王経曼荼羅。脇侍が虚空蔵地蔵の如意宝珠コンビタイプ。いつもの人たちに加え八大龍王がいて祈雨本尊として使われてたとあってびっくり。請雨経法は真言宗だから南都はこうなのかな…? 新所蔵の「最勝曼荼羅」について:室町時代興福寺の祈…

14 0 0 0 OA 日本民俗学

RT @pririn_: @tonchi_jin 戦前戦後の研究者は椿井文書を木津文書とも呼びますが、 滋賀県奈良県京都府に特に多いそうです。 大阪の河内の人はあけすけで豪快なので、全部簡単にバラしちゃいますね。笑 https://t.co/IswDvttPj0 だからこ…
RT @pririn_: @tonchi_jin 海が光るシーン https://t.co/OJSrAUuWlf は、 日本書記の「神光照海」と合致させているのだと思われます。 https://t.co/V9xZyCE1ZT
RT @pririn_: @gigant2003 @tonchi_jin 「我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。」 海が光り翌日彩色豊かな僧形の石2つと小石約20。「我々は大国主と少彦名、国造りを終え東海へ去ったが民の救済の為に帰還」と。 そ…
RT @pririn_: @gigant2003 @tonchi_jin 斉衡3年12月29日(857/1/28)「戊戌 常陸国上言 鹿島郡大洗磯前有神新降 初郡民有煮海為塩者 夜半望海 光耀属天 明日有両怪石 見在水次 高各尺許 体於神造 非人間石 塩翁私異之去 後一日 亦有…
RT @UtuboKazu: 中川先生はなまえから推察できるように、禅寺に生まれた人で、長じてハイデガーに親しんだらしい。いまウェブで読めるのは1994年の仏教学会のシンポジウムでの発表要旨くらい。ここではマックス・シェーラーの哲学的人間学を主に論じている。https://t.…
RT @Link_dqx: @ikkaisai いや確かにチベットでよく祀られる仏様ではあるようですが、仏説一切如来烏瑟膩沙最勝総持経は件の仏様について説かれたお経のようです おそらくは説明にあるように中国で作られたものなんでしょう ちなみに大正蔵で調べたところ、経文と図の内容…

15 0 0 0 OA 弘法大師全集

RT @HisadomeK: @ikkaisai 空海に仮託された『舎心山太龍寺縁起』によると、阿波のの太龍寺の不動尊の両手は天照太神宮が雨宝童子に化して作ったのだそうです。 https://t.co/l0mabuXXNF もう少し調べないと判りませんが、雨宝童子が乗っているの…

21 0 0 0 OA 五畿内志

RT @pririn_: 乞巧奠( #七夕 ) https://t.co/SlbkXRj8Gp と盂蘭盆会 https://t.co/RSjb0gxIUG 共通お供えは、梨、桃、茄子、熟瓜。茨田郡で揃う https://t.co/mrhpEcqUOe 。 現代の精霊棚の雰囲気で…
ウヒャア~これが獅子窟寺か‼ https://t.co/pOm3lJnvbG #河内名所図会
本尊薬師佛 行基の作 https://t.co/pOm3lJnvbG
RT @Hirabayashi76: @tonchi_jin あっ、久々に論文検索したら『日蓮の法華仏教と真言密教』2012年という 立正大の関戸 堯海さんという研究者の論文を発見! これは日蓮の密教思想の影響と、脱真言/天台密教化の変化を知る上で良い論文 https://t.…
RT @konno_nogi: 妙見、日蓮、製鉄、鹿踊。 鹿踊に限らず、千葉県印西市の辺田前の獅子舞と平岡鳥見神社の獅子舞はこの論に無関係ではなさそう。(次行ったときに聞いてみたい) 井上孝夫「鹿踊りの起源をめぐる伝説について ―宮沢賢治を超えて―」 https://t.c…
RT @morita11: "CiNii 論文 -  狛江市東和泉の玉泉寺の観音像巡行習俗とおしゃもじ様の信仰" https://t.co/uYbTIDnMyy
RT @moroshigeki: @tonchi_jin 中国・日本で繰り返された法相・天台の三乗一乗をめぐる論争史という考え方は、徳一・最澄論争などに引きずられた後付けの「創られた歴史」じゃないか、と以前論文で指摘したことがあります。 http://t.co/ti26LuB0…
RT @moroshigeki: 金沢篤「svabhāvapratibandhaを読む ―インド論理学・仏教論理学の研究史の一滴―」(『インド論理学研究』1, 59-99, 2010-09)http://t.co/BoZpkX2Otj に、村上専精の因明学について言及があ ...
RT @Hirabayashi76: @tonchi_jin (続き)更にそれが曇無識訳『金光明経四天王品』を応酬している事、そして金光明経よりも、更に護国思想の見られる道教経典『霊宝無量度人品妙経』を取り入れているという論文『中国仏教における護国思想の受容過程について』 ...
RT @Hirabayashi76: @tonchi_jin(続き)論考『『仁王般若経』受持品について』水野荘平著 http://t.co/6jSwADTQ では玄奘訳の『仁王般若経』を前半を何らかの梵文原本があり、それからの訳出である事を示し、逆に五大力菩薩や供養法を説 ...
RT @Hirabayashi76: 【美術手帳2月号「円空Q&A」への私的補足5】円空仏は様式に囚われない大胆な簡略化、木の中に仏を見出す様な感性がある。だが伝統宗派と疎遠な訳ではなく寧ろ受法を重ね梵字を修学していた事、更には天台教学の仏性観も把握していた可能性はある  ...
RT @Hirabayashi76: @tonchi_jin 続き)それだけでなくイラン系民族が支配する旧ギリシャ植民地(インド・グリーク朝)のギリシャ、イラン、仏陀の重層信仰をカニシカ王における統治政策の側面から論じている。この論考http://t.co/7rMSew7 ...
RT @Hirabayashi76: @tonchi_jin 続き)論考『クシャーナ時代のブッダ劇』http://t.co/7rMSew7A p12に最古の光背表現としてBC1cのイラン系シャカ(サカ)王のコインがインドに先行している事やを指摘しています。それだけでなく ...
RT @Hirabayashi76: @tonchi_jin 良い文献が見つかりました。京大系の方で小林信彦という研究者の少し古い論考です。これ http://t.co/7rMSew7A によると根元さんと問答をしている仏教美術における光背表現に関する最古の文献は東トルキ ...
ぎゃっ…見られない(T-T)兎乃さん☆今晩は! RT @sakuyaunookichi: ( ..)φメモ 『シモーヌ・ヴェイユの労働観~工場体験と新たな方向~』 http://t.co/5wPEdkqN

お気に入り一覧(最新100件)

北﨑勇帆 (2016)「複合助詞「であれ」「にせよ」「にしろ」の変遷」 https://t.co/M4602cU6xa
@tonchi_jin 〽これやこの たなばたつめの こひわたる あまの川原の かささぎの橋 」 中務内侍日記,弘安八年(※1285年)九月條 https://t.co/cyJnyjpSs1

3 0 0 0 OA 和名類聚抄

河内鑑名所記https://t.co/hwZqO1L7WS のここ https://t.co/4YRfVShjRg にはたほこ大明神とあります(椿井文書P.220)。 和名抄では「“寳幡  華厳経偈之寳幢諸幡盖 訓波多保古(はたほこ)”」 https://t.co/v371Z7Peyw 。 https://t.co/FLTNzc7Fpt

4 0 0 0 交野町史

この地域(河内国交野郡)は土御門家の歴代組が点在している地域の一部なので https://t.co/b50MFGOsbb 、 石を牽牛とみなしていたのは彼等なのかも?とは考えています。 https://t.co/pGZGMHKZdv

40 0 0 0 OA 大日本地誌大系

伝北条高時の腹切やぐら。 『新編相模国風土記稿』には「腹切岩窟 小富士山の麓にあり、北条氏滅亡の時、残兵此に逃げて自殺せし地なり、近世まで遺骨を掘出すことあり、又古瓦をも多く掘出せし事あり、其瓦紋に三つ鱗ありと云ふ」とあります。 https://t.co/78NTWkzxaS https://t.co/oRmJfUJhgm

40 0 0 0 OA 大日本地誌大系

『新編相模国風土記稿』には「祇園天王社 松殿町にあり、永保年中新羅三郎義光の勧請にて神体は秘像と云伝ふ、[中略]又応永年中佐竹四郎義秀の霊を祀し社其屋鋪蹟にありしが、後年大破に及しより玆に合祀すと云ふ、故に土俗佐竹天王と称す」とあります。 https://t.co/YNvXLsLEt4 https://t.co/uN5sUbbhZm

60 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@tonchi_jin 東大寺二月堂お水取りでも椿の造花をたくさん作ります。 奈良といえば 東大寺 のりこぼし椿 白毫寺 五色椿 伝香寺の散椿(筒井順慶) 椿井氏先祖の椿井定房は筒井氏と大きな戦績を得ますから、 うちはこれが椿井の起源かな?とかも思うのです https://t.co/GiWzzzWfIb 椿井文書メモ
@tonchi_jin ちょうど良い論文が公開になってました。 「即身成仏思想についての一考察-安然の成仏論と異本『即身成仏義』をめぐって」 https://t.co/fLdDYCfqVz 《五大院安然が『即身成仏義私記』の中で引用している『即身成仏義』がそもそも異本》のようですね苦笑 (続く)
件の経典は曇景訳『仏説未曾有因縁経』という経典で、 大正大蔵経データベースには未収録のようです。 『仏説未曾有因縁経』と部派仏教系経典の比較をしている論文は下記でpdfをDL可 関係論文 https://t.co/yK0ToMIVr6
@tonchi_jin 金剛智-不空-恵果-空海と滅罪の陀羅尼として重視され伝授されたのはご指摘通り、漢字音写本『大仏頂如来放光悉怛多鉢怛羅陀羅尼 』と梵本『大仏頂真言』ですね。 こちらの論文が丁度、論じています。 https://t.co/osyoukzXgj
@tonchi_jin ヴァイシャーリー疾病救済譚と『却音黄神呪経』の編成 https://t.co/RmvkJqkz4Z を参考にしました。 根本さんが指摘した真言が、カウマーリ、ヴァイシュナビ、インドラーニ、ブラフマーニ、クベーラ妃、チャームンダー。あと一人どなたでしょ。
ざんまいず可愛すぎるあまりにワークシート見に行ったところで見つけた論文 子どもを主対象とした展覧会の実践的考察 ―わくわくびじゅつギャラリー「いのりの世界のどうぶつえん」を事例として― https://t.co/rJSSzZ3jTp よすぎて泣いてしまった。 https://t.co/5qSM4QXh1R

2 0 0 0 OA 秋田叢書

@gigant2003 青森県の義経のハバキで、菅江真澄(1754-1829年)が述べるように小山隆政の小山権現なのかもしれないですね https://t.co/BUij8JVt6s

2 0 0 0 OA 秋田叢書

@gigant2003 アラハバキ神とは菅江真澄(1754-1829年)が書いた江刺の小山隆政のはばきまきで https://t.co/J51LKFLd2u これも外来者であり客人で、
@tonchi_jin なぜ?と思いますが、確かあちこちでやり始めた頃ではないでしょうか? https://t.co/x1tp8Y73Uq
奈良国立博物館の金光明最勝王経曼荼羅。脇侍が虚空蔵地蔵の如意宝珠コンビタイプ。いつもの人たちに加え八大龍王がいて祈雨本尊として使われてたとあってびっくり。請雨経法は真言宗だから南都はこうなのかな…? 新所蔵の「最勝曼荼羅」について:室町時代興福寺の祈雨本尊 https://t.co/VrgURFmVxM https://t.co/ktuPjOzaXv

13 0 0 0 OA 諸系譜

@tonchi_jin 椿井文書の椿井政隆の曾祖父、祖父、父は、椿井庄の名家である椿井家と血縁関係にないようにうちには見えますがあってますか? この系図は本物でしょうか? https://t.co/6llwKMvCvF

13 0 0 0 OA 諸系譜

@tonchi_jin 息子萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は南山郷士盟主で、士族に編入されました https://t.co/5CVNb4bDF9 。 その根拠とした文書は椿井文書だったのかも。 お家の格式を上げる=パパりん椿井政隆から萬次郎氏への愛のプレゼント? https://t.co/x8Hql1r07L

14 0 0 0 OA 日本民俗学

@tonchi_jin 百済王神社の縁起は新書『椿井文書』にも写真が掲載されていますが、そのすぐ北の禁野火薬庫が 1909年大規模爆発を起こし約1495戸全半壊。 無から有ではなく、焼失した物を木津の職人さんに再現してもらったのかもしれません https://t.co/IswDvttPj0 。

14 0 0 0 OA 日本民俗学

@tonchi_jin 椿井文書は職人が造ったもんやのうて、江戸時代の椿井政隆はんが作りなさったもんを庫内から探してきてたまたまあったもんやでという方便は、 ぶぶ漬けほんまに喰っちゃるとする大阪人に通じない https://t.co/XB9VV783z5 。 全部面白がってばらしてしまいます https://t.co/IswDvttPj0 。

14 0 0 0 OA 日本民俗学

@tonchi_jin 戦前戦後の研究者は椿井文書を木津文書とも呼びますが、 滋賀県奈良県京都府に特に多いそうです。 大阪の河内の人はあけすけで豪快なので、全部簡単にバラしちゃいますね。笑 https://t.co/IswDvttPj0 だからこそ椿井政隆遺物を庫内から探してきたという方便は秘匿の為に大事だったんだろうけれど
@tonchi_jin 仏説観仏三昧海経の、阿修羅を産む始原の卵も https://t.co/PnrM8bc46a

45 0 0 0 OA 倭名類聚鈔 20巻

文学の中の妙音の天稚彦と、卜部左近中山星下り縁起 https://t.co/jJiA09hOup 。 その年月日の時刻に彦星が、中山寺&売布神社(下照姫神)へ沈むのが見える天野川の横の牽牛石神 https://t.co/arFLJafoXq 。 彦星=天稚彦と下照姫神の織女(太奈八太) https://t.co/gAFVAUgjH0 は、 #椿井文書 #七夕 https://t.co/bqqwPmL9aM

9 0 0 0 OA 中山寺由来記

文学の中の妙音の天稚彦と、卜部左近中山星下り縁起 https://t.co/jJiA09hOup 。 その年月日の時刻に彦星が、中山寺&売布神社(下照姫神)へ沈むのが見える天野川の横の牽牛石神 https://t.co/arFLJafoXq 。 彦星=天稚彦と下照姫神の織女(太奈八太) https://t.co/gAFVAUgjH0 は、 #椿井文書 #七夕 https://t.co/bqqwPmL9aM
@tonchi_jin 海が光るシーン https://t.co/OJSrAUuWlf は、 日本書記の「神光照海」と合致させているのだと思われます。 https://t.co/V9xZyCE1ZT
@gigant2003 @tonchi_jin 「我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。」 海が光り翌日彩色豊かな僧形の石2つと小石約20。「我々は大国主と少彦名、国造りを終え東海へ去ったが民の救済の為に帰還」と。 その前の斉衡3年11月23-25日(856/12/23-25)河内国交野乃原で郊祀 https://t.co/pX6WuFfxHH
@gigant2003 @tonchi_jin 斉衡3年12月29日(857/1/28)「戊戌 常陸国上言 鹿島郡大洗磯前有神新降 初郡民有煮海為塩者 夜半望海 光耀属天 明日有両怪石 見在水次 高各尺許 体於神造 非人間石 塩翁私異之去 後一日 亦有廿余小石 在向石左右 似若侍坐 彩色非常 或形沙門 唯無耳目 時神憑人云 」 https://t.co/OJSrAUuWlf

9 0 0 0 OA 中山寺由来記

@tonchi_jin 江戸時代の観音信仰と交野ケ原は何かあるみたいです。 摂津国紫雲山中山寺(江戸時代は仲山寺) の星下りの最初は卜部左近 https://t.co/jJiA09hOup ですが、その日の日没は何かを意味してます https://t.co/cGm5cjKUGq
中川先生はなまえから推察できるように、禅寺に生まれた人で、長じてハイデガーに親しんだらしい。いまウェブで読めるのは1994年の仏教学会のシンポジウムでの発表要旨くらい。ここではマックス・シェーラーの哲学的人間学を主に論じている。https://t.co/SNxt4g0EW6
@ikkaisai いや確かにチベットでよく祀られる仏様ではあるようですが、仏説一切如来烏瑟膩沙最勝総持経は件の仏様について説かれたお経のようです おそらくは説明にあるように中国で作られたものなんでしょう ちなみに大正蔵で調べたところ、経文と図の内容が一致したので間違いないかと https://t.co/Iy8BRgiYFz
@tonchi_jin 織女石(妙見石)ですね https://t.co/jCgEVY1gNr
@tonchi_jin あっ、久々に論文検索したら『日蓮の法華仏教と真言密教』2012年という 立正大の関戸 堯海さんという研究者の論文を発見! これは日蓮の密教思想の影響と、脱真言/天台密教化の変化を知る上で良い論文 https://t.co/35ZpiVx6R9 @toso_kamuro @tonchi_jin
妙見、日蓮、製鉄、鹿踊。 鹿踊に限らず、千葉県印西市の辺田前の獅子舞と平岡鳥見神社の獅子舞はこの論に無関係ではなさそう。(次行ったときに聞いてみたい) 井上孝夫「鹿踊りの起源をめぐる伝説について ―宮沢賢治を超えて―」 https://t.co/bkOIELmv2G
@tonchi_jin 続き)『打聞集』での記述での覚鑁の安然の批判(参考論文 http://t.co/CvMZF7cmd1) を、若き日の日蓮が何らかの形で「覚鑁の〈安然の『法華経』と『大日三部経』を包括した「四一教判」〉に対する批判」を知り、それを乗り越える理論を(続く
@tonchi_jin 日蓮の「不動愛染感見記」に観る事ができる道教的要素って気になります。そうそう真言宗の学僧が書いている日蓮の妙法曼荼羅関係論文を探したら「曼荼羅における文字表現」http://t.co/MbrfhAW2OZという論文を密教図像学会の真鍋俊照師が書かれてます。
@tonchi_jin 中国・日本で繰り返された法相・天台の三乗一乗をめぐる論争史という考え方は、徳一・最澄論争などに引きずられた後付けの「創られた歴史」じゃないか、と以前論文で指摘したことがあります。 http://t.co/ti26LuB0ho
@tonchi_jin (続き)更にそれが曇無識訳『金光明経四天王品』を応酬している事、そして金光明経よりも、更に護国思想の見られる道教経典『霊宝無量度人品妙経』を取り入れているという論文『中国仏教における護国思想の受容過程について』 http://t.co/S4NAN4NJ 続
@tonchi_jin 続き)1486年の火災の際の再興の時、本来の、前述の鍵和田聖子女史の説 http://t.co/WOGepnNB に説かれる様な空海特有の重層的思想で構想された立体曼荼羅が『摂無礙経』を基にした三輪身説に基づいて置き換えられてしまったというのが私見です(続
@tonchi_jin 続き)前述の東寺の創建当時の諸尊の配置についての論考が『東寺講堂立体曼荼羅の思想的背景』鍵和田聖子著 http://t.co/WOGepnNB です。私は更に入唐八家の請来に三輪身説を説く『摂無礙経』がないが現在の配置は『摂無礙経』と合致する事から(続き
@tonchi_jin(続き)論考『『仁王般若経』受持品について』水野荘平著 http://t.co/6jSwADTQ では玄奘訳の『仁王般若経』を前半を何らかの梵文原本があり、それからの訳出である事を示し、逆に五大力菩薩や供養法を説く後半部分を中国先述の疑経としています(続く
【美術手帳2月号「円空Q&A」への私的補足5】円空仏は様式に囚われない大胆な簡略化、木の中に仏を見出す様な感性がある。だが伝統宗派と疎遠な訳ではなく寧ろ受法を重ね梵字を修学していた事、更には天台教学の仏性観も把握していた可能性はある 参照http://t.co/NCw0n4mW
@tonchi_jin 続き)それだけでなくイラン系民族が支配する旧ギリシャ植民地(インド・グリーク朝)のギリシャ、イラン、仏陀の重層信仰をカニシカ王における統治政策の側面から論じている。この論考http://t.co/7rMSew7A は凄い。『水火双神変』の梵文元ネタも有り!
@tonchi_jin 続き)論考『クシャーナ時代のブッダ劇』http://t.co/7rMSew7A p12に最古の光背表現としてBC1cのイラン系シャカ(サカ)王のコインがインドに先行している事やを指摘しています。それだけでなくイラン系民族が支配する旧ギリシャ植民地(続く
@tonchi_jin 良い文献が見つかりました。京大系の方で小林信彦という研究者の少し古い論考です。これ http://t.co/7rMSew7A によると根元さんと問答をしている仏教美術における光背表現に関する最古の文献は東トルキスタンで発見された仏教布教劇の文献の様です(続

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