著者
中村 靖子 大平 英樹 金 明哲 池野 絢子 重見 晋也 葉柳 和則 中川 拓哉
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-07-17

本研究は、独伊仏日の四カ国語圏にまたがって愛国的文化運動や、公共芸術や文化遺産保護運動、文芸誌とその検閲などを対象とし、ファシズム期のスイス、イタリア、日本、フランスにおける集合的記憶の構成過程を辿ろうとする領域横断型の学際プロジェクトである。四つの言語圏における文化運動のオラリティ資料を介して、人間の社会に情動が広範なムーヴメントを創り出すメカニズムを考察しようとするものであり、伝統的な人文学が培ってきた文献研究のスキルとテキストマイニング手法が共同することにより上記の目的を達成することが可能になると期待できる。
著者
中川 拓也 井上 さゆり 横畑 泰志 佐々木 浩 青井 俊樹 織田 銑一
出版者
日本野生動物医学会
雑誌
日本野生動物医学会誌 (ISSN:13426133)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.13-20, 2012 (Released:2012-08-23)
参考文献数
42
被引用文献数
1 1

日本の中央部および西部で1982~2002年に収集された70頭のニホンイタチ(Mustela itatsi)および12頭のタイリクイタチ(M. sibirica)の寄生蠕虫類を調査した。吸虫1種(浅田棘口吸虫Isthmiophora hortensis(Asada, 1926)),線虫3種(日本顎口虫Gnathostoma nipponicum Yamaguti, 1941,Sobolyphyme baturini Petrow, 1930および腎虫 Dioctophyme renale(Goeze 1782))がそれぞれ岐阜および愛知県,兵庫県,石川および福井県および京都府,兵庫県産のニホンイタチから得られた。 鉤頭虫の1種,イタチ鉤頭虫 Centrorhynchus itatsinis Fukui, 1929が東京都および静岡,石川,福井,岐阜,三重,滋賀および鹿児島の各県産のニホンイタチおよび三重および滋賀県産のタイリクイタチから検出された。今回のS. baturiniの検出は,本種のニホンイタチからの,また中部および西日本からの初記録となった。他の種については新しい産地の報告となった。
著者
山田 勝雄 川澄 佑太 杉山 燈人 安田 あゆ子 関 幸雄 足立 崇 垂水 修 林 悠太 中村 俊信 中川 拓 山田 憲隆 小川 賢二
出版者
一般社団法人 日本結核病学会
雑誌
結核 (ISSN:00229776)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.407-413, 2015 (Released:2016-09-16)
参考文献数
19

〔目的〕今回6例の肺M.abscessus症に対する手術を経験した。肺M.abscessus症に対する外科治療の報告は多くない。同時期に手術を施行したMAC症例との比較検討も含めて報告する。〔対象と方法〕2012年7月から2014年6月までの2年間に6例の肺M.abscessus症に対する手術を経験した。6例全例を完全鏡視下手術で行った。手術を施行した6例の肺M.abscessus症例に対し,年齢,性別,発見動機,菌採取方法,病型,術前抗GPL-core IgA抗体価,術前化学療法,術前治療期間,手術適応,手術術式,手術時摘出組織の菌培養結果,術後入院期間,手術合併症,術後再燃再発の有無に関し検討した。これらの項目の一部に関しては,同時期に手術を施行した36例のMAC症例との比較検討を行った。〔結果〕手術に関連した大きな合併症は認めず,術死や在院死もなかった。6例のうち3例が術後1年以上を経過し化学療法を終了したが,現時点で6例とも再燃再発は認めていない。MAC症例との比較では,肺M.abscessus症例の術前治療期間の平均が5.5カ月とMAC症例より18.9カ月短く,統計学的にも有意差を認めた。〔結論と考察〕肺M.abscessus症に対する手術は安全で有効な治療手段と考える。また内科医が肺M.abscessus症に対してMAC症よりも早期に外科治療が必要と考えていることが示唆された。
著者
中川 拓 今野 隼人 佐々木 智彦 大山 倫男 伊藤 学 齋藤 元 南谷 佳弘 小川 純一
出版者
特定非営利活動法人 日本呼吸器外科学会
雑誌
日本呼吸器外科学会雑誌 (ISSN:09190945)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.733-741, 2010-05-15 (Released:2010-08-09)
参考文献数
14
被引用文献数
1

フィブリンの析出のためにドレナージが困難となった急性膿胸および肺炎随伴性胸水に対して,胸腔鏡下の手術奏功例が多数報告されているが,全身状態が不良で手術困難な場合も少なくない.このような症例に対してウロキナーゼの胸腔内投与の有用性が報告されている.しかし標準的な投与方法は確立していない.当科でウロキナーゼの投与を行った急性膿胸および肺炎随伴性胸水5例を対象に,ウロキナーゼ投与方法,治療期間,効果を中心にretrospectiveに検討した.全例で多房性胸水を認めていた.4例は発症後1~16日の経過で,ウロキナーゼ投与(1回12万単位,6~9回投与)のみで肺の良好な再膨張が見られた.ウロキナーゼ注入に加えて外科治療を要した1例は,発症から1ヵ月経過した膿胸で,手術後治癒した.出血などの合併症はなかった.ウロキナーゼの胸腔内投与は簡便であり大きな合併症もなく,poor risk症例に対して考慮すべき治療法と思われた.
著者
奥村 詠里香 追分 俊彦 掛上 謙 林 顕代 中川 拓也 林 由美子 林 篤志
出版者
公益社団法人 日本視能訓練士協会
雑誌
日本視能訓練士協会誌 (ISSN:03875172)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.97-102, 2015

<b>【目的】</b>白内障混濁別の散乱光と白内障手術前後における散乱光の変化を検討する。<br><b>【対象及び方法】</b>平成26年4月から同年9月までに富山大学附属病院で白内障手術を施行した38例50眼に対し、白内障手術前後に眼内散乱光測定装置C-Quantを用いて散乱光を測定した。核白内障、皮質白内障、後嚢下白内障、retrodotsに分類して混濁の程度分類を行い、各白内障の混濁程度、術前視力、眼球高次収差と散乱光の関係、白内障手術前後の散乱光の変化について検討した。<br><b>【結果】</b>核白内障、皮質白内障の混濁程度と散乱光値には相関が認められた(p<0.01)が、retrodotsの混濁程度と散乱光値には相関はなかった。核白内障、皮質白内障の術前視力と散乱光値、眼球高次収差のRMS値と散乱光値には相関はなかった。核白内障、皮質白内障の散乱光値は術前と比較し、術後で散乱光値が有意に低下していた(p<0.01)。後嚢下白内障は症例数が少なく統計処理は行っていないが、核、皮質、後嚢下白内障の中で後嚢下白内障の術前散乱光値が最も高値であった。<br><b>【結論】</b>今回、白内障の混濁別の散乱光値について検討できた。核白内障、皮質白内障の混濁増加に伴って散乱光値は上昇し、白内障手術によって散乱光値は低下した。 混濁別では後嚢下白内障の散乱光値が最も高値であった。散乱光測定検査は、白内障の診療に役立ち、また、視力以外の見えにくさの評価法として用いることができると考える。
著者
中川 拓哉 Nakagawa Takuya
出版者
名古屋大学大学院人文学研究科図書・論集委員会
雑誌
名古屋大学人文学フォーラム (ISSN:24332321)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.97-111, 2020-03-31

The term “Kokusai Eiga” (International Film) emerged in some film magazines around 1936. It first referred to films produced to introduce “correct” images of Japan and the Japanese to Western countries, instead of images that were often exaggerated to portray an exotic and strange land. They also sought critical acclaim. The best-known international film was Atarashiki Tsuchi (New Earth), a Japanese-German co-production in 1937. Nevertheless, after opening to the public, it was criticized intensely for two reasons. First, “Japan” in the film was just as exoticized as it had been in the usual newsreels, which was exactly what Kokusai Eiga had sought to overcome. Second, Atarashiki Tsuchi was criticized for the ways in which it alluded to the 1936 Anti-Comintern Pact. The German director Arnold Funk depicted the similarity of the Japanese national character to the Nazi ideology to stress the friendly relationship between both countries. The failure of Atarashiki Tsuchi disappointed the critics, and they began to wonder if only the Japanese could understand Japan. After the start of the Second Sino-Japanese War in July 1937, the Japan government attempted to use film for propaganda purpose and asked filmmakers to express “Kokumin Seishin” (the national mind) in film. The 1938 film, Kokumin no Chikai (Holy Purpose), was a Kokusai Eiga, and may be considered a successor of Atarashiki Tsuchi. Kokumin no Chikai was an answer to the criticism of Atarashiki Tsuchi but also to the requests of the government concerning the expression of “Kokumin Seishin.” The people in the film devote themselves to their nation, suppressing their personal feelings and circumstances. This film depicted images of a loyal “nation” but at the same time missed the original purpose of Kokusai Eiga, which was to introduce characteristic images of the “Japanese” to other countries.
著者
岡 徹 奥平 修三 中川 拓也 古川 泰三 柿木 良介
出版者
社団法人 日本理学療法士協会近畿ブロック
雑誌
近畿理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.29, 2011

【はじめに】キーンベック病は比較的珍しく、特に若年者スポーツ選手では稀である。今回、我々は硬式高校男子テニス選手に生じたキーンベック病に対し、血管柄骨移植を施行した1例を経験したので報告する。【説明と同意】本研究の目的、結果の取り扱いなど十分な説明を行い、データの使用および発表の同意を確認後に署名を得た。【症例紹介】16歳男性、高校硬式テニス部所属(県内ベスト4レベル)。試合中に片手フォアハンドでボールを強打したところ急に痛みが出現する。その後、腫脹と疼痛のためにテニス困難となり、Lichtman分類Stage_III_b(X線像で月状骨に圧潰像、舟状骨が掌側に回旋)のキーンベック病と診断される。発症から2ヵ月後に手術となる。【理学・画像所見】手背側に腫脹、リスター結節部周囲の圧痛と運動時痛を認めた。X線上では月状骨の硬化像と圧潰を認め、MRI(T1)上では月状骨の低信号を確認した。【手術所見】橈骨遠位背面から血管柄付きの骨を骨膜、軟骨組織とともに採取した。次に、病巣部位である月状骨の壊死部を背側よりドリリングと掻爬を加え、その間隙に移植骨を挿入した。移植後は有頭骨と舟状骨を鋼線で固定した。【評価項目】疼痛(NRS)、握力、手関節可動域および手関節機能評価表(Mayo Modified Wrist Score以下:MMWS)の各評価を術前、術後4ヵ月、5、6および8ヵ月で評価した。【理学療法】術後4ヵ月間の手関節ギプス固定後に抜釘した。その直後より、手関節ROM練習、筋力強化練習を開始した。筋力強化練習(股・体幹・肩甲帯強化)、ストレッチ指導、およびスポーツ動作指導を実施した。【結果】疼痛は、術前NRSが7/10で術後4ヵ月より軽減し術後6ヵ月で0/10と消失した。握力は術前18_kg_が術後5ヵ月で30_kg_(健側比75%)まで改善した。手関節ROMは術前で掌屈10°、背屈30°、橈屈15°、尺屈40°が、術後8ヵ月では掌屈35°、背屈70°、橈屈20°、尺屈45°と拡大した。MMWSは術前10点が、術後6ヵ月で90点まで回復した。術後5ヵ月からテニス競技復帰をした。掌屈のROM制限は残存するが、右手関節の不安定感、疼痛なくスポーツ活動(テニス)を行っている。【考察】。本疾患の発生要因については、いまだ解明されていない。しかし、テニス競技による手関節への外力で月状骨に局所的な応力が集中していることは推察できる。術後は長期間の固定による手機能(特にROM低下、筋力低下)の回復を積極的に行った。その後は、手関節の局所機能の回復とともに、上肢に限局したストレスがかからないような身体機能の再構築(肩甲骨や体幹・股関節の機能向上)やフォーム指導およびラケットの再検討などをおこなった。本症例は、術後6ヵ月から公式試合に復帰をした。掌屈のROM制限は残存するがテニス動作では橈尺屈が特に重要で現在のROMでテニスが可能であった。右手関節の不安定感、疼痛なくスポーツ活動(テニス)を行っており、今後も再発しないよう身体面のチェックや現場のコーチと密な連絡をとっていくことが重要である。【理学療法の意義】キーンベック病に対する理学療法の報告はほとんどないため、症例報告として症例の治療経過や理学療法プログラムおよび評価項目など検討していく必要があると考える。
著者
中川 拓麻 奥 牧人 合原 一幸
出版者
東京大学生産技術研究所
雑誌
生産研究 (ISSN:0037105X)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.271-274, 2016-05-01 (Released:2016-05-30)
参考文献数
8

近年,力学系理論を用いて複雑システムの急激な転移の予兆を事前に検出する動的ネットワークマーカー(Dynamical Network Marker: DNM)の手法が発展しつつある.本研究では,複雑ネットワーク構造を持つ数理モデルを構築してその有効性の解析を行った.これに際して,転移の予兆として従来考えられていた性質の一部は,現実的には多くの場合成立しないことを指摘し,手法の修正を行った.数値解析の結果,システムの性質に応じてDNM を適切に選ぶことで,幅広いシステムにおいて転移の予兆検出が可能であることが示唆された.
著者
阿部 宏史 谷口 守 中川 拓哉
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木計画学研究・論文集 (ISSN:09134034)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.653-659, 2001

本研究では, 岡山・東京間の空路利用促進に向けた課題を探るために, 岡山市と倉敷市の事業所を対象として, 東京への業務出張時の利用交通手段に関するアンケート調査を実施し, 航空便の利便性を中心とした利用者の意識を分析した。また, 空路利用促進策の一つとして, 岡山県内で要望の強い岡山空港での東京線ナイトステイの実施による運行ダイヤ改善が旅客増に及ぼす効果を推計するとともに, ナイトステイ実施後の利用促進課題についても検討した。まず, 評価意識の分析結果から, 岡山空港・東京線に対する評価では運行ダイヤの利便性に対するウエイトが高く, ナイトステイ実施によるダイヤの改善が評価の向上につながることを明らかにした。次に, ナイトステイ後の始発便への転換意向の集計結果から, 現在の交通手段からの転換率は30%-40%程度と推計され, ナイトステイは空路利用促進に効果が見込まれることを示した。また, 2000年10月のナイトステイ実施後の航空便利用状況から, 本研究による知見の有効性が検証された。
著者
岡 徹 古川 泰三 中川 拓也 末吉 誠
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.42 Suppl. No.2 (第50回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.0116, 2015 (Released:2015-04-30)

【はじめに】腓骨筋腱脱臼は比較的珍しく,また症状が足関節外側側副靭帯と酷似するために見逃されることが多い。そのため症例数が少なく治療方針や手術方法,術後理学療法の評価や治療プログラムの報告が非常に少ない。今回,我々は外傷により生じた腓骨筋腱脱臼の1例を経験したので報告する。【症例紹介】56歳男性,瓦職人。仕事中に屋根から転落し左足から接地して受傷,左足外側に痛みが出現する。他院にて治療するが歩行時の疼痛と脱力感や不安感が改善せず,受傷から2ヶ月後に当院を受診しMRI,CTおよびレントゲン検査にて左腓骨筋腱脱臼(Eckert分類・GradeI:上腓骨筋支帯と骨膜が連続した状態で腓骨より剥離)と診断され手術となる。手術手技はDas De変法で腓骨外果後方部に骨孔を作成し,上腓骨筋支帯断端を付着部に再逢着した。【方法】疼痛(以下:NRS),足外反筋力(MMTにて計測),足背屈ROM,片脚立位保持時間,日本足の外科学会足関節判定基準(以下:JSSFスコア)などの各評価を術前,術後4週,8,12,及び24週で評価した。理学療法は術後2週間はギプス固定,3週よりプラスチック短下肢装具装着し部分荷重と超音波治療を開始,6週でサポーターと足底板を使用し全荷重独歩となる。12週でスポーツ動作練習のランニング開始しとなる。術後より,筋力強化練習(体幹・股・膝・足関節患部外)をおこない,術後6週より患部外反筋強化運動とROM運動を開始した。その後,足底板のチェックを行いながら,バランス練習,スポーツ動作を実施した。【結果】歩行時の脱力感や不安感は全荷重時より改善したが,疼痛は術前NRS4/10が術後12週で3/10と改善したが16週までは残存した。外反筋力は術前,術後8週,12,24でMMT3,3,4,5と改善した。背屈ROMは術前0度が術後12週で10度と健側と同等まで回復した。片脚立位保持時間は術前5秒が術後24週で30秒以上の保持が可能となった。JSSFスコアは術前,術後4週,8,12,24で59,32,65,81,100点と改善した。ADLは術後16週ですべて痛みなく自立し,仕事復帰は術後12週で可能となった。足関節のサポーターは術後24週まで装着した。【考察】新鮮腓骨筋腱脱臼はまれな疾患であり保存療法では再脱臼率が74~85%と高いとされ,新鮮例の場合でも診断が確定すれば手術療法を選択したほうが良いとされる。受傷機転としては,強制背屈や外反により腓骨筋腱を押さえている上腓骨筋支帯が腓骨より剥離あるいは断裂して生じる。本症例も転落時の左足強制背屈回旋により発症したが,術後の足機能は良好な回復となった。これはDas De変法の上腓骨筋支帯断端を付着部に再縫着し長腓骨筋腱の不安定性が改善したためと考える。Das De変法術後の固定期間の報告では,白澤らは2週,新井らは3週,安田らや萩内らは4週間の固定と様々である。今回,我々は術後6週まではギプスとプラスチック短下肢装具で他の報告よりも長めに固定した。また,その後のサポーターも術後24週まで継続して装着した。術部の足外反筋強化運動も術後6週以降に自動介助で痛みに留意して進め,早期より炎症の軽減や癒着防止などを目的に超音波治療も積極的に施行した。Das DeらはDas De変法術後の長期成績として21例中3例に疼痛や瘢痕でのROM制限を認め,白澤らも17例中2例に再脱臼を認めたと報告している。Das De変法を用いた術後理学療法は,上腓骨筋支帯断端部の癒合が未完成な術後12週までは上腓骨筋支帯断端部の再断裂や縫着部位の炎症に注意しながら慎重に理学療法を行うことが重要と考える。また,仕事やスポーツ復帰後も継続的な筋力強化運動が必要である。【理学療法学研究としての意義】本疾患の報告は少なく,理学療法の評価方法や治療プログラム,患者の回復経過などの報告はほとんどない。今後,本疾患の予後や評価,理学療法プログラムの一助になると考える。