著者
塚原 東吾
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.27-39, 2018-11-20 (Released:2019-12-02)
参考文献数
21

日本のSTSは,公害問題についての宇井純や原田正純,もしくは反原発運動の高木仁三郎らの系譜を受け継ぐという想定があるが,これはある種の思い込みに終わっているのかもしれない.実際,日本のSTS は今や体制や制度への批判ではなく,科学技術と社会の界面をスムースに接合させる機能を自ら担っている.そのため本稿では,日本のSTSで“科学批判”と呼ばれる潮流の衰退が進んでいる現状について,まずはおおまかな図式を示してみる. またこの変容を考えるため金森修の所論を,戦後日本の科学批判の歴史にそって検討する.さらに日本でSTSの出現に至った2 つの重要な潮流,すなわち一つ目は廣重徹に濫觴を持ち中山茂が本格展開した思潮(この流れは80 年代に吉岡斉を生み出す)と同時に,村上陽一郎のパラダイムがある種の転換(「村上ターン」)を迎えたことが,戦後科学論の分岐点として,STSを制度化の背景になっていたことを論じる.
著者
塚原 東吾
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.27-39, 2018

<p> 日本のSTSは,公害問題についての宇井純や原田正純,もしくは反原発運動の高木仁三郎らの系譜を受け継ぐという想定があるが,これはある種の思い込みに終わっているのかもしれない.実際,日本のSTS は今や体制や制度への批判ではなく,科学技術と社会の界面をスムースに接合させる機能を自ら担っている.そのため本稿では,日本のSTSで"科学批判"と呼ばれる潮流の衰退が進んでいる現状について,まずはおおまかな図式を示してみる.</p><p> またこの変容を考えるため金森修の所論を,戦後日本の科学批判の歴史にそって検討する.さらに日本でSTSの出現に至った2 つの重要な潮流,すなわち一つ目は廣重徹に濫觴を持ち中山茂が本格展開した思潮(この流れは80 年代に吉岡斉を生み出す)と同時に,村上陽一郎のパラダイムがある種の転換(「村上ターン」)を迎えたことが,戦後科学論の分岐点として,STSを制度化の背景になっていたことを論じる.</p>
著者
久保田 尚之 塚原 東吾 平野 淳平 松本 淳 財城 真寿美 三上 岳彦 ALLAN Rob WILKINSON Clive WILKINSON Sally DE JONG Alice
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.412-422, 2023-11-21 (Released:2023-11-25)
参考文献数
23
被引用文献数
1

日本で気象台が開設される以前の江戸時代末期に,外国船が日本近海に気象測器を搭載して往来していたことに着目し,気象観測記録が掲載された航海日誌を収集し,気象データを復元した.18世紀末には探検航海する外国船が日本近海に現れ,19世紀に入ると米国海軍の軍艦等が日本に開国を求めるために日本近海を航行するようになった.これらの航海日誌に記録された日本近海の気象データの概要を示し,江戸時代末期に外国船が日本近海で遭遇した台風事例について,経路等の解析を行った.1853年7月21~25日にペリー艦隊6隻が観測した東シナ海を通過した台風の解析事例,1856年9月23~24日に蘭国海軍メデューサ号が観測した安政江戸台風の解析事例,1863年8月15~16日の薩英戦争中に英国海軍11隻が観測した東シナ海における台風の解析事例について報告する.
著者
塚原 東吾 三浦 伸夫 小笠原 博毅 中島 秀人 隠岐 さや香
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究は科学機器の歴史について、主に望遠鏡と顕微鏡に光をあて、イタリア・オランダ・イギリスのケースに加え、フランスの事例の研究を行った。この研究では哲学機器とも呼ばれた数学機器や、望遠鏡と四分儀を組み合わせた測地機器、また物理教育に使われた一連の力学機器などを検討したその際、科学機器自体の歴史を基礎に、科学の組織化、いわゆるアカデミーなどの制度化についても検討を行った。科学機器の歴史を通じて、科学史をより広く、また深い観点から検討するための基礎的な作業である。
著者
財城 真寿美 三上 岳彦 平野 淳平 Michael GROSSMAN 久保田 尚之 塚原 東吾
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.447-455, 2018-08-25 (Released:2018-10-05)
参考文献数
14
被引用文献数
4

Past meteorological records are important for improving our understanding of past, present, and future climates. Imaging and digitization of historical paper-based instrumental meteorological records must be carried out before these records are lost to decay. This kind of activity called “data rescue” is now taking place at many institutions around the world. A data rescue project is underway to preserve Japanese instrumental meteorological records from the 19th century. These data were collected by foreign residents and visitors, Japanese scientists influenced by Dutch science, and by Japanese merchants. Recently, meteorological measurements taken at Mito from 1852 to 1868, and at Yokohama in 1872 and 1873 have been found. Based on instrumental records collected through this data rescue project, a warmer climate in the 1840s and 1850s around the South-eastern Kanto Region has been identified. Large year-to-year variations of winter temperatures have also been detected.
著者
DEMAREE Gaston R. MAILIER Pascal BEILLEVAIRE Patrick 三上 岳彦 財城 真寿美 塚原 東吾 田上 善夫 平野 淳平
出版者
東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.4, pp.503-511, 2018
被引用文献数
4

<p> ルイ・テオドール・フュレ神父(1816-1900年)は,パリ外国宣教会の宣教師として極東に派遣された。日本の琉球諸島・沖縄の那覇における彼の気象観測原簿の発見は,19世紀日本の歴史気候学に新しい進展を開くものである。フュレは,1855年2月26日に沖縄の主要な港である那覇(19世紀の文献ではNafaと綴っていた)に到着した。1856年12月から1858年9月まで,彼は1日5回(午前6,10時,午後1,4,10時)の気象観測を行った。水利技師アレクサンドル・デラマーシュ(1815-1884年)は,フランス海軍兵站部によってフュレ神父に委託された気象測器の検定を行った。気象観測は,1850年代のフランスで使われていた気象観測方式に従って実施された。気圧観測データは,気圧計の読みとり値,気圧計付随温度計の読みとり値,そして温度補正した気圧の数値で記載されている。気圧データは,必要に応じて,1850年代に使われたデルクロスとハイゲンスの公式を用いて検定・補正された。この歴史的な気圧観測データを現在の那覇における気圧平年値と比較した。観測期間中の1857年5月に台風が接近通過したことが,ルイ・フュレ神父によって目撃されている。ほかにも何度か気圧の低下が観測されているが,おそらく発達した低気圧の通過によるものであろう。そうしたなかで,オランダ船ファン・ボッセが多良間諸島の近くで難破したことがあったが,船長と彼の妻や船員達は島民に救助された。その後,彼らは沖縄の那覇に移送されたが,そこで3名のフランス人宣教師と出会い,最終的に出島のオランダ交易所からバタビア(現在のジャカルタ)へと航行した。</p>
著者
塚原 東吾
出版者
古今書院
雑誌
地理 (ISSN:05779308)
巻号頁・発行日
vol.61, no.8, pp.4-14, 2016-08-01 (Released:2016-11-09)
著者
財城 真寿美 磯田 道史 八田 浩輔 秋田 浩平 三上 岳彦 塚原 東吾
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.192, 2009 (Released:2009-06-22)

1.はじめに 東アジア地域では測器による気象観測が最近100年間程度に限られるため,100年以上の気象観測データにもとづく気候変動の解析が困難であった.近年,地球規模の気温上昇が懸念される中,人間活動の影響が小さい時期の気象観測記録を整備し,長期的な気候変動を検証することは,正確な将来予測につながると考えられる.またこれまで数多く行われてきた古日記の天候記録による気温の推定値を検証する際にも,古い気象観測データが有効であると考えられる. Zaiki et al.(2006,2008)は1880年代以前の日本(東京・横浜・大阪・神戸・長崎),また中国(北京)における気象観測記録を均質化し,データを公開している.本研究はこれまで整備してきた19世紀の気象観測記録とほぼ同時期の1852~1868年に,水戸で観測された気温の観測記録を均質化し,現代のデータと比較可能なデータベースを作成することを目的とした.さらにそのデータを使用して,小氷期末期にどのような気温の変化があったかを検討する. 2.資料・データ 19世紀の水戸における気温観測記録は,水戸藩の商人であった大高氏の日記(大高氏記録)に含まれている.原本は東京大学史料編纂所に,写本が茨城大に所蔵されている.寒暖計による気温観測は1852~1868年にわたり,1日1回朝五つ時に実施されている. 水戸気象台の月平均値は要素別月別累年値データ(SMP:1897年~),日・時別値は地上気象観測日別編集データ(SDP:1991年~)を使用した. 3.均質化 大高氏記録の気温は,華氏(°F)で観測されているため,摂氏(°C)へ換算した.さらに,当時の観測時刻である不定時法の「朝五つ時」は季節によって変動するため(午前6時半~8時頃),各月の平均時刻を算出した.そして,水戸気象台の気温時別データを利用して,各月の朝五つ時のみの観測値から求めた月平均気温と24時間観測による月平均値を比較し,均質化のための値を算出した.均質化後には,最近50年間の観測データとの比較によって異常値を判別し,データのクオリティチェックを行った. 4.19世紀の水戸における気温の変動 今回,大高氏記録から所在が判明した1852~1868年の水戸の気温データは未だに断片的ではあるが,1850・1860年代は寒暖差が大きく,夏(8月)は水戸の平年値よりも0.9°C高く,冬(1月)は0.5°C寒冷であったことが明らかとなった.これは,すでにデータベース化している19世紀の東京・横浜での気温の変動とほぼ一致する傾向にある.今後は,大高氏による観測環境がどの程度直射日光の影響を受けやすかったのか等,検討する必要がある.