著者
高他 武始 梅原 貞臣 野口 隆志 梅内 拓生
出版者
国際医療福祉大学
雑誌
国際医療福祉大学紀要 (ISSN:13424661)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.1-11, 2008-01-31

健康施策として一次予防を重視し,セルフメディケーション推進を通じて生活習慣病対策を進めようとする政府の考えのなかで,我々がキープレーヤーと考えるドラッグストア従事者が現在どのような意識で業務を遂行しているのか実態を把握し,どのように近隣住民の健康に寄与しているかを知る目的でアンケート調査を行った。その結果,現状では薬剤師・薬剤師以外の従事者とも近隣住民の健康への寄与に関する認識・実践に関し不十分な状況にあると考えられた。今後地域住民の生活習慣病対策を現実化していく健康管理システム構築のためには,ドラッグストア側の対応としてドラッグストア従事者における政府健康政策の理解と生活習慣病関連事項の知識習得,地域住民から信頼される身近な医療従事者としての意識の向上,さらに,改正薬事法施行による新たな薬の専門家(新資格者)の制度化を踏まえた従事者の時間的な余裕づくり,を念頭に入れ,ドラッグストアがセルフメディケーション推進の中心的な役割を果たしていく資質を確保していくことが必要と考えられた。
著者
野口 隆
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.56-62, 1977-03-31 (Released:2009-11-11)
参考文献数
24

The purpose of this paper is to compare three concepts of social structure which have been designed by A.R. Radcliffe-Brown, Claude Lévi-Strauss, and Georges Gurvitch.Radcliffe-Brown has defined social structure as “the network of actually existing relations”, taking an empirical position to see social reality on its surface. In contrast to this view, Lévi-Strauss has conceived of structure as a model, the formal property of which can be compared independently of its elements ; that is, he attempts to analyse structure at deeper level than empirical reality. However, these views run to extremes ; the former being too empirical and the latter too abstruct transcending the socio-cultural level.The real sociological standpoint should be that of empiricoideal or concrete-abstract as Gurvitch has assumed. Critisizing that Radcliffe-Brown's position is superficial and that of Lévi-Strauss is systematic but not holistic, Gurvitch emphasizes the meaning of social whole itself besides the interaction of social elements. And he attempts to analyse the social reality in a dynamic way, saying that the essence must be seeked in its movement and depth.Accepting Gurvitch's basic stand, I suggests in these paper that structure must be conceived as a totality of both culturally and socially constructed structures.
著者
野口 隆
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.67-84,136, 1958-12-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
57

Most of sociologists in establishing social types applied chiefly the general scheme of social relations. For example, Tonnies' “Gemeinschaft” and “Gesellschaft, ” Durkheim's “solidalite mecanique” and “solidalite organique, ” Gierke's “Herrschaft” and “Genossenschaft” etc.Although on may find sociologists' tentatives done from the point of view of social structure, they seized only its partial structure and regarded it as its whale structure or its elemental structure dogmatically. Consequently, it is in urgent need for us to establish social types based on the concept of social structure made precise sociologically in the strict sense of the term. This paper is a contribution to make precise the concept of social structure in relation to social types. According to Radcliffe-Brown, the social structure is in the first place the network of social relations of person to person, and is in the second place the differentiation of individuals and of classes by their social role or the differential social positions. Definitions of Redfield, Linton and Parsons are nearly parallel to the definition of Radcliffe-Brown. In short, the concept of social structure by these Anglo-Saxson savants is presented as the double construction that puts the notion of position of role “made on the basis of an interest in ego as a composite of action units relavant to various collectivities” on the micro-structure notion of social relations made “on the basis of interest in ego as an action system per us.” However, I centered on the concept of role that is “the point of contact between the system of action of the individual actor and the social system, ” though the composite of micro-social elements enters in the explication of social structure concept. The concept of role explicates the social structure directly in relation to the microsociety. And then the role defined by these savants supposed the system and could not be explained withont relation to the cultural pattern on the institution. This fact led them to the emphasis on the stability of social structure. Of course, Radchiffe-Brown and Parsons paid attention ot its changing phase. Radchiffe-Brown set up “actual structure” in opposition to “structural form”, and parsons said if theory is good theory, there is no reason whatever to belive that it will not be equally applicable to problems of change and to those of process within a stabilized system. But neither of them could clarify the positive sense of social change. It was only Merton that succeeded to throw light upon the positive meaning of change in social structure, to a certain extent, by the application of notions of “dysfunction” and “latent function.” But, the social structure is dynamic in itself and is a perpetual movement of structuration and distructuration. If so, the social structure will have no need, says Gurvitch, of a special functional analysis, entia non sunt multiplicanda. Gurvitch's definition of social structure is presented in “Determinismes Sociaux et Liberte Humaine” and La Vocation Actuelle de la Sociologie (2ed.). Ultimately, he considers the social structure as the dialectic of act and its works. Such elemental terms by which we can explain the social structure as multiple hierarchies, equiliblium, collective consciousness, culturall armature and movement of structuration -distructuration- restructuration will be derived from above.
著者
野口 隆子 鈴木 正敏 門田 理世 芦田 宏 秋田 喜代美 小田 豊
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.457-468, 2007-12-30

本研究では,教師が実践を語る際に頻繁に用いる語に着目し,語が暗黙的に含み込む多様な観点を明らかにするとともに,幼稚園及び小学校教師が用いる語の意味について比較検討をおこなった。対象となる語として「子ども中心」,「教師中心」,「長い目で見る」,「子ども理解」,「活動を促す」,「環境の構成」,「仲間作り」,「トラブル」の8語を選択。幼稚園計9園に勤務する保育者計92名(平均経験年数6.33年,SD=7.27),小学校計6校に勤務する教師101名(平均経験年数17.1年,SD=9.68)に対し語のイメージを連想し回答する質問紙調査を実施した。各語毎に内容をカテゴリー化し,幼稚園・小学校教師の発生頻度を比較したところ,全ての語において有意な偏りがみられた。全体的に,幼稚園教師は子どもの主体性や自発性を重視し,内面や行動について教師側が読み取りをおこない共に活動をおこなっていく観点を持っている。一方,小学校教師は教師側の指導,方向付けを重視し,子どもを理解する際直接な対話を重視する観点を持っていた。同じ語を対象としながらも,幼稚園・小学校の教師間では語の受けとめ方や理解に相違があることが示唆された。
著者
上田 敏丈 秋田 喜代美 芦田 宏 小田 豊 門田 理世 鈴木 正敏 中坪 史典 野口 隆子 淀川 裕美 森 暢子
出版者
一般社団法人 日本保育学会
雑誌
保育学研究 (ISSN:13409808)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.67-79, 2020 (Released:2020-12-08)
参考文献数
29

日本では,約1万の幼稚園があり,その内の70%が私立幼稚園である。私立幼稚園の多くは,ファミリービジネスであり,園長は経営者としての役割も担っているため,保育の質の向上には,実践面の役割を担う主任教諭の役割は重要である。そこで本研究では,私立幼稚園の主任教諭が自身のリーダーシップをどのようなものとして捉え,また自身の役割をどのようなものとして認識しているのか,そこでの主任教諭としてのやりがいや葛藤はどこにあるのかを明らかにすることを目的とする。私立幼稚園の主任教諭8名に対してインタビューを行い,質的データ分析方法であるM-GTA(木下2003)を用いて分析を行った。その結果,25の「分析概念」,9つの[カテゴリー],3つの〈コア・カテゴリー〉が生成された。主任は,園長と職員集団との意思疎通を図り,それぞれの意図を伝達する〈つなげる〉ことと,カリキュラムの調整や職員への指導,心理的支援といった職員集団を〈まとめる〉ことをリーダーシップと捉える一方で,この2つのリーダーシップの間で,やりがいと共に葛藤の〈板挟み感〉を感じていることが明らかとなった。
著者
藤本 淳 木田 景子 宇野 太啓 池邊 晴美 谷口 一男 野口 隆之
出版者
THE JAPAN SOCIETY FOR CLINICAL ANESTHESIA
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.19, no.6, pp.400-403, 1999-07-15 (Released:2008-12-11)
参考文献数
11

貼付用リドカインテープ(ペンレス®)は,患者に疼痛を与えない局所麻酔を目的として開発されたテープ剤である.今回,健康成人ボランティア20人を対象として,リドカインテープによる表在痛及び深部痛の疼痛閾値の変化を測定し,プラセボと比較して評価した.表在痛の疼痛閾値はリドカインテープ群がプラセボ群に比較して有意な上昇を示したが,深部痛では両群間に有意差はみられなかった.リドカインテープは表在痛に対して有効であり,使用法が簡便であることや患者の苦痛を伴わないことから有用な鎮痛法であると思われた.一方,深部痛に対しては有効性は認められなかったが,貼付法•貼付時間の点からさらに検討の必要があると思われた.
著者
小田 豊 秋田 喜代美 芦田 宏 鈴木 正敏 門田 理世 野口 隆子
出版者
独立行政法人国立特殊教育総合研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

平成16年度から18年度までの3年間に渡って採択された科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))「幼児教育における教師の保育観の日米比較文化研究:ビデオ刺激法による検討(課題番号16402042)」において、まず、多声的エスノグラフィー法を援用したビデオ再生刺激法の開発が挙げられる。その研究方法に基づいて、以下の2点を主たる研究成果としてここに記す。◆良質の保育を保育実践に照らし合わせて検証する本研究を通して、日独米の保育者それぞれが考える【良い保育】の要素が導き出された。「保育者の持つ"良い保育者"イメージに関するビジュアルエスノグラフィー」(質的心理学研究第4号/2005/No.4/152-164)では、日本の保育者を対象に"良い保育者"イメージを明示化することを試みた。その結果、"良い保育者"イメージは『子ども中心』志向と密接に結びついていることが示唆された。◆保育実践文化における保育者の暗黙的実践知・信条を描き出す海外での発表を数多くこなすことで、色々な分野や文化背景を持つ研究者から教示を得ることができたが、研究協力者であるドイツ人研究者からは色々な刺激を受けた。彼らと共有し合ったデータを用いた「多声的エスノグラフィー法を用いた日独保育者の保育観の比較検討一語頻度に注目した実践知の明示化を通して一」(教育方法学会掲載)では、ビデオ映像を用いた多声的エスノグラフィーの手法によって、日独の保育者の暗黙的な実践知として作用している保育観を明示化し、比較検討することを試みた。ビデオ視聴における保育者の語りを語頻度を軸に分析し、3つの共通点「子どもたちの自主性、主体性の尊重と、指導することへの抵抗感」「社会性の育ちを重視する視点」、そして「安全への視点」を見いだしたが、その内部構造は日独で異なっているという知見が得られた。
著者
森 正和 野口 隆之
出版者
一般社団法人 日本集中治療医学会
雑誌
日本集中治療医学会雑誌 (ISSN:13407988)
巻号頁・発行日
vol.14, no.3, pp.289-297, 2007-07-01 (Released:2008-10-24)
参考文献数
23
被引用文献数
1

経皮的気管切開や輪状甲状膜切開のキットは集中治療の領域で広く普及している。簡便ではあるが, 方法として未完成な部分もあり, 手技上注意すべき点も多い。経皮的気管切開における大きな問題点の一つは, 既存の気管チューブの位置についてである。すなわち, 内視鏡による手技確認と気管内スペースの確保のために気管チューブを抜いてくると, 気道確保と換気の維持を保証できなくなるというジレンマがあることである。もう一つの大きな問題点は, 気管切開チューブの挿入時の抵抗であり, イントロデューサと気管切開チューブ先端の成形に工夫の余地があると思われる。Griggs法では鉗子操作の巧拙が気管切開チューブの挿入の難易と合併症の有無, 程度に影響する。気管切開に比し手技的に容易と思われる輪状甲状膜切開のキットにも注意すべき点がある。セルジンガー法によるキットでは気管切開と同様, イントロデューサとカニューレとの段差のため, 挿入時の抵抗が比較的大きい。
著者
池田 博 土井 浩一郎 福田 洋一 野口 隆志 中嶋 俊哉 飯村 憲 渋谷 和雄
出版者
公益社団法人 低温工学・超電導学会 (旧 社団法人 低温工学協会)
雑誌
低温工学 (ISSN:03892441)
巻号頁・発行日
vol.39, no.8, pp.348-353, 2004 (Released:2008-03-10)
参考文献数
8
被引用文献数
3 3

From February 2003 to January 2004, a new superconducting gravimeter with a cryocooler was installed to replace the former device at the Syowa station in Antarctica. The new gravimeter has a high sensitivity of one nano-gal and is being used to survey the earth's core in the Global Geodynamics Project. A new type of diaphragm was confirmed to well isolate the vibration from the refrigerator cold-head and effectively prevent solid air contamination. A remote monitoring system from Japan is also going to be installed.
著者
野口 隆子
出版者
十文字学園女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005

平成17年度においては現職保育者及び実習生に対する調査研究をおこなった。まず第1に、保育者養成大学において初めて保育の場での観察実習をおこなった実習生80名を対象としたグループディスカッションを実施し、各グループのディスカッションの内容、実習経験と対話による学びについて検討をおこなった。第2に、保育の場で長期的な実習を経験した実習生13名及び幼稚園に勤務する現職保育者9名に対し、ビデオを用いた面接調査をおこなった。そして第3に、現場での学びがどのようにしておこるのか、そして実習指導について、保育者・実習生に対するインタビュー調査をおこなった。平成18年度・19年度には、これらの調査で得られたデータを分析し、国内外の学会において研究発表をおこなった。こうした面接調査・インタビュー調査は、保育における実践知の特徴を明らかにする上で重要であり、実習の経験や保育経験によって促される保育者の専門的発達の過程、メンターの役割やメンタリングの内容に関する基礎的知識を提供しうると考えられ、この点に意義があると考えられる。また、これらの調査から得られた知見をもとに、学び手が期待するメンター役割及びメンタリングを明らかにするための質問紙を作成した。この質問紙を用い、保育者養成大学で様々な実習を経験をした学生約120名を対象とした調査をおこなった。様々な園の文化によってメンター役割やメンタリング内容が異なっているが、その中で共通の要因が明らかとなった。メンタリングの場や内容、そして誰がメンターになるか、どのような指導をおこなうか、各々園が持つ文化があり、職場の制約も存在している。保育の場で実際に可能な指導とともに、成長を促すために必要となるメンタリングのタイプが示唆された。