著者
神谷 浩夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.57, no.6, pp.413-426, 1984-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
52

Consumer behavior research stimulated by the development of cognitive behavioral approach has accumulated many empirical studies, having close relation to such established fields as spatial interaction studies and the central place theory. Recent trends in this field suggest that spatial behavior is influenced by spatial and temporal constraints and that preference structure behind the behavior is not intrinsic to individuals. In the light of this argument, the focus of the study is placed on the constraints-oriented spatial choice process. The purpose of the paper is to propose a store choice model which includes the concept of constraints and to test its validity. First, through the descriptive analysis in Section III, consumers' patronage patterns for various facilities (including grocery store, pharmacy, post office and bank) are examined. The data are gathered through the self-reporting about these facilities by housewives living in Nagoya City. In Section IV the proposed model is operationalised and applied to the grocery store choice. In this model, the choice process is divided into two components. One expresses the process of constructing individual's choice set. The other indicates the process of choosing the best alternative among the choice set. And the standard ellipse is used as the choice set to delineate the activity space where consumers usually keep contact. The form of the choice function is multiplicative. When we introduce the activity space ellipse, we could explain the observed behavior better than without employing the ellipse. At the next step, we subdivid the population into subgroups according to their socio-economic status. This subdivision is repeated in terms of the ownership of private vehicle and the housewife's working status. After the population is divided, the activity ellipses are changed respectively and then applied to the grocery choice model. This time the explanable results were not obtained. The defficiency of the activity ellipse may be due to the discrepancy between the actual travel mode used and the household's ownership reported, and also due to the shape of ellipse.
著者
中村 豊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.1-21, 1978-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
25
被引用文献数
7 3

近年,わが国でも,メンタルマップに対する関心が寄せられているにもかかわらず,実証的な研究はほとんどなされてこなかった.そこで,筆者はわが国における都市域のメンタルマップの名古屋市における事例研究を行なった.都市域のメンタルマップについては,リンチLynchのエレメント抽出以後も,地理学においてはほとんどなされなかったが,1960年代後半にアダムスAdamsがくさび形のメンタルマップの仮説を示すことにより,1つの議論の材料が与えられた。しかし,アダムスの仮説は実際のメンタルマップを説明するには不十分であったので,それは再検討をせまられた.再検討の方向は,1つにはアダムスの仮説を,分析方法を洗練させることによって修正するものであり,もう1つはメンタルマップの操作的な概念の変更であった.本研究では,筆者はこの2つの方向に従って実証的に両者を比較検討した.その結果,アダムスの仮説は概念化が不十分であり,メンタルマップの概念化は行動的アプローチを基礎に行なわれる方がよいことが理解された.そして,その行動的アプローチによって,都市域のメンタルマップはより一貫した説明が可能になることが理解された.
著者
野村 亮太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.57, no.8, pp.537-548, 1984-08-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13

篠山川は,兵庫県東部に位置し,篠山盆地を貫流して,西方に流れ,加古川と合流する.その途次,盆地内で3段,盆地西方で1段の河岸段丘を形成する.盆地内の段丘を上位から,川代面,大山面,宮田面とし,盆地西方の段丘を阿草面とした.このうち,川代面と大山面の一部区間は,盆地中央に向かって高度を下げ,現在の篠山川の流下方向に対して逆傾斜している.また,盆地北部に広く分布するチャートが盆地西端の川代礫層に含まれず,さらに,川代礫層のインプリケーションは現在の篠山川と異なった方向を示し,大山礫層の礫径も東部に向かって小さくなる傾向がある.これらのことから,川代礫層,大山礫層を堆積したころ,篠山盆地の排水は現在の篠山川を通じては行なわれず,武庫川によって行なわれていたと考えられる.この排水路が河川争奪によって変更され,篠山川は加古川へ流出することとなった. 河川争奪の原因は,盆地南部の流紋岩よりなる山地の山麓部に広がる麓屑面堆積物の一部が盆地出口の河床に押し出した結果,河床が上昇したことによると推定される.このため,盆地内は湛水し,西方にあった分水界の低位置から浴流し,新しい排水路ができ,それが恒常化して,現在の篠山川が生れたと考えられる.河川争奪がおきたのは,大山礫層中にみられる姶良Tn火山灰および14C年代からみて,約2万年前以降と考えられる.
著者
石水 照雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.35, no.8, pp.362-373, 1962
被引用文献数
2

本稿は本邦においてとくに近年多くの関心が注がれている都市化の問題に関してなされた諸研究の成果を整理し,体系化を試みることによつて,この分野における地理学的研究の現段階(水準)を認識し,今後の研究の方向について若干の考察を行なうことを目的とする. (1) 本邦地理学界の都市化に対する関心がとくに高まつたのは戦後であるが,これは戦後における激しい都市化現象の進展に対応している. (2) 都市化概念については,いくつかの見解が披渥されたが,景観に重点をおく狭義の見解と機能に重点をおく広義の見解とに分れている. (3) 都市化のメカニズムに関する理論化に多くの努力が払われてきているが,現段階では都市化現象のecological processの分析を通じて都市化の空間的・地域的機構を求める方向に進んでいる. (4) 本邦における都市化の特質を明らかにするため,京浜・阪神・中京・東北の各地方ならびに本邦全体に関して,都市化の諸段階・近郊地域相互の比較・地域としての特色などについての研究がなされてきている. (5) 今後の都市化研究のあり方については,空間的・地域的観点が強調されecological approachに対する支持が大きく,また社会的貢献のためにも都市化地域理論が要請されている. (6) これらの文献研究を通じて結論されることは,現在の方向に沿うより多くの事例研究の必要性である.
著者
藤田 佳久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.41, no.5, pp.297-309, 1968-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
23

わが国における林野所有形態の地域差に関連し,大井川上流域旧田代村(現井川村の北部)の明治初期官民有区分時の土地台帳の変化を通じ村持林野成立の要因を把握しようとした.その結果,水田を欠き焼畑が生活基盤であったこの村では旧天領であったことも関連し,農民層分解がみられず自作農民からなっていたこと,それゆえ総有的な奥山林野が村側の名目的個人分割化の対応もふくみながら一括村持山として認定されたことが認められた.このような山間焼畑地域における地域的性格は官民有区分に大きな意味をもったと思われる.
著者
阿部 康久
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.73, no.9, pp.694-714, 2000
被引用文献数
4

昭和初期の東京とその周辺地域を対象として,中国人労働者の集住地区が衰退していった過程を,政府や地方自治体の外国人政策の変化や,、都市労働市場の状況との関係から検討した.1920年代前半に日本へ来住した中国人労働者の就業構造は,昭和恐慌の発生によって一変した.1930年には中国人建設・運搬労働者の半数近くが失業するほどになり,彼らに対する排斥運動も深刻化しっっあった.そのため,この年には,失業者を中心に帰国希望者が相次ぎ,日本政府の斡旋により中国人労働者の大量帰国が実施された.1920年代後半期には,政府による中国人に対する強制送還も厳格化された.まず,1926年末頃から,窃盗などの検挙者を中心に送還者数が増大した.1929年頃からは主な送還対象者が不正入国者や無許可労働者に拡大され,1930年には送還者数が最大になった.これらの政府の諸政策によって,隅田川・荒川沿いの地域などに居住していた中国人労働者は帰国を余儀なくされ,彼らの集住地区は衰退していった.
著者
鏡味 完二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.28, no.5, pp.237-248, 1955-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
32

Bis heute ist der Wortsinn des Berges “Fuzi”, Fudschi-jama auf Deutsch, von vielen Gelehrten erklirt worden durch ein Aino Wort “Huchi” (=die Grossmutter, die Göttin des Feuers). Aber Dr. K. Kindaiti bewies, dass die Auslegung ein Missverständnis war. Doch es gibt hieriiber noch keinen treffenden Aufschluss in der N issenschaftlichen Welt. Hierauf land der: Verfasser überzeugende Beweise, dass das Wort “Fuzi”, ein altes echt japanisehes Wort ist, das die Schönheit der langen Abdachung des Berges bedeutet. (1) Auf Japanischen Inseln gibt es den Dialekt “Fuzi” welehes die lange Abdachung des Berges bedeutet. Auch der Regenbogen und die Glyzinie, die sehön in der Luft hängen, werden noch jetzt im Dialekt als “Fuzi” bezeichhnet. (2) Die vielen Ortsnamen “-fuzi”, deren Ursprünge die wie obenstehende Bogengestalten sind, verbreiten sick auf den Japanischen Inseln. (Siehe Abb. I). (3) Der Verbreitungstypus der Ortsnamen von “fuzi” hat eine Struktur der konzentrischen Kreise, deren Zentrum sick in Yamato befindet. Es g_??_bt keine Beziehung zwischen dem Gebiete der, Verbreitung und Hokkaido als Heimat der Aino. Der Verfasser ermittelte auch, dass die Ortsnamen “-fuzi” nicht so alt sind, wie bis heute von vielen Gelebrten angenommen wilyde; nämlich die Namen der Berge “-fuzi” kamen in der Zeit vom 3. _??_7. Jahrhundert vor, und die der vielen Siedlungen “-fuzi” (Siehe Abb. 1) im 9. J. H.. Die Verbreitung des Namens “Fuzi-san” (-san=-yama=Gebirge) mit dem Namen “Asalma- yama” (“Asama” stammt von “Azama” =Name des Seevolkes in alter Zeit) entsprechen der Entw icklungsregion der Berg-religion von “Fuzi-sengen” (“-sengen” ist die Japanische Farallele des chineschischen Zeichens “Asama”). Der Zasanlmenhang zwischen dem beiden Verbreitungen von Berg und Religion bedeutet, dass diese Bergreligion sich im Gesichtsfeld von “Fuzi-san” entwickelt hat. Das Gesichtsfeld von “Fuzi-san” ist ebenso ausdehnbar, wie die Kreisflache mit dem Halbmesser von 223 KM. (Siehe Abb. 3). Auch die Name “Fuzimi” (Von aus kann man den “Fuzi-san” sehen) verbreiten sich in diesem Kreise (Siehe Abb. 4). Abb. 1: Verbreitung der Namen “Fuzi”, die die lange Abdachung des Berges bedeuten. Abb. 2: Verbreitung der Namen “Azumi”, “Azuma” and “Asama”. Diese N amen sind für Berge and Siedlungen. “Azwni” ist der älteste. “Azuma” and “Asama” folgen nach “Azumi. Diese stammers von Seevolksnamen. Abb. 3: “Fuzi” and “Asama” -Bergnamen Zeichen des Hiihnerauges ist “Fuzi-san”. Kleine Kreise sind Namen des Berges “Fuzi”, schwarze Punkte sind Namen des Berges “Asalma-yama”. Abb. 4: Verbreitung des Namens “Fuzimi” “Fuzimi”. bedeutet, dass von -aus man den “Fuzi-san” sehen kann.
著者
鈴木 力英 河村 武
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.779-791, 1995-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
15
被引用文献数
1 1

日本における地上から300hPaまでの気温逆転層(接地逆転層は除く)の地域性と季節性を明らかにすることを試みた.資料には高層観測磁気テープを使用し,1983年3月~1987年2月の4年間を対象期間とした.対象地点は国内の20地点,対象時刻は日本標準時で9時と21時である.逆転層の月別出現頻度と出現高度の情報をもとにクラスター分析を行ない,日本列島を5つの地域(北海道型,東本州型,仙台・館野型,西日本型,太平洋島しょ型)に区分し,次のような結果を得た.北海道型では1,000~950hPaの気層で逆転層が梅雨期を中心に31%(6月)の頻度で発生し,これはオホーツク海気団の影響と考えられる.750hPaを中心とした逆転層の出現頻度の極大は夏季を除いた季節に全国でみられ,冬季季節風,および移動性高気圧等に伴う沈降性逆転が原因であると考察される.
著者
吉川 虎雄 太田 陽子 米倉 伸之 岡田 篤正 磯 望
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.238-262, 1980
被引用文献数
44

ケルマデック諸島南端部に近いニュージーランド北島プレンティ湾南東岸地域の海成段丘は,上位からマタカオア・オタマロア・テパパ・テアラロアの4段丘に分類される.これらの各段丘は,いずれも海進を示す地形と堆積物とを伴い, 4回の高海面期の存在を示す.段丘をおおうテフラの細分とそれらのフィッション=トラック年代,段丘堆積物の14C年代から,段丘の形成期は,上位のものからそれぞれ約22~23万年前,約12~13万年前,約8~10万年前,約4,000~5,000年前と推定される.<br> 各段丘面の高度分布から,この地域では, (1) 南東から北西への傾動と, (2) 北縁部における北への著しい擁曲とが認められる. (1) は,明瞭な二つのヒンジによって, (1a) 南東部の急な傾動, (1b) 中央部のゆるやかな傾動,および (1c) 北西部の沈降とに分かれる. (1b), (1c) および (2) は,この地域の山地の成長を示すが, (1a)は山地地形とは調和しない.段丘面は古いものほど同じ様式でより著しく変位しているので,第四紀後期には各地域ごとに同じ様式の地殻変動が継続したことを示す. (1a)の隆起や傾動の規模および速さは,ニュージーランドでは最大級の値であり,環太平洋地域の他の島弧一海溝系におけるそれらに匹敵する.このことと,この地域の海溝に対する位置関係から, (1a)はケルマデック海溝内縁に発生する大地震に伴う地殻変動によるものと考えられる.
著者
上田 元
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.62, no.6, pp.417-437, 1989
被引用文献数
1

習志野市における行政過程への住民参加の実態を検討する.行政は,市民本位の生活空間管理をめざしてコミュニティ単位に領域組織を編成し,これに参加する有志市民の組織化を試みた.しかし,行政領域に基づくこの試みは,住民側の既存の領域的な近隣組織と葛藤を生じ,結局後者が参加の主体となった.これは市政に参加する市民代表の性格を曖昧にし,市民の行政への要望や参加のあり方を局地化することになった.そこで,このように制度化した参加がいかなる実効性をもつのかを,近隣組織への加入率と提出された要望の実績によって評価したところ,街区ごとにかなりの差が認められた.そしてこの差には,入居時期と住宅事情,旧住民・就業産業状況等,世帯の類型・流動性の違いが一義的に対応ずることがわかった.また,市民の要望は,市民の生活環境評価の善し悪しや,宅地開発の形態を反映しているが,在来区域は制度の実効性に問題がある街区を多く抱えている.
著者
河上 税
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.71, no.5, pp.345-350, 1998-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
25

東北地方における政府主導による地域開発は,明治以降たびたび計画され,実行されてきた.しかし,住民の生活を豊かにするための本格的な地域計画は第二次世界大戦後であり,国土総合開発法に基づく特定地域総合開発や,東北開発促進法に基づく東北開発が進められた.その結果,経済的基盤や生活基盤などが整備されて所得が増加してきており,一応の成果を収めている.今後は,住民の福祉や文化的生活の向上を図るための総合開発に重点を移すべきである.
著者
吉川 虎雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.8, pp.552-564, 1971
被引用文献数
3

大地震の際におこった地殻変動の調査から生れた山崎直方先生の変動地形観は,その後の研究に大きな影響を与え,変動地形の研究はわが国の地形研究における一つの大きな柱として発展した.先生の変動地形観は,その後の研究によって改められるべき点も生じてきたが,基本的には正しいことが明らかになってきた.わが国における変動地形の研究は,現在ようやく山崎先生の意図しておられた段階に到達し,最近いちじるしい進展のみられる固体地球科学との連契を一層深めて,新しい段階に入るべき時期を迎えている.<br> 本稿では,変動地形について山崎先生が抱いておられた見解の中で,とくに現在の地殻変動と地形発達に関与した過去の地殻変動との関係についてのその後の研究の進展をのべ,地形構造の研究において今後とるべき一つの方向を論じた.
著者
岡本 耕平
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.56, no.10, pp.695-712, 1983-10-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
18
被引用文献数
8 2

本稿の目的は,名古屋市における認知距離をできるだけ多様な角度から検討することによって,研究方法の違いを越えて認められる認知距離の基本的性質を明らかにすることである.分析の結果,認知距離を規定する要因は,被験者の属性より,むしろ起点(被験者の位置),終点,認知される距離の種類などの刺激中心要因群であることがわかった.刺激中心要因群は,都市構造と関係するr本研究では特に,起点を複数選定し,しかも直線距離と時間距離の認知形態を比較した結果,名古屋市の都市構造が認知距離に及ぼす影響を見い出した.また名古屋市では,都心方向への距離は,都市縁辺方向への距離に比べて過小評価され, Lee (1970) の結果を支持した.
著者
江口 卓
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.151-170, 1983-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
37
被引用文献数
9 10

本稿は,インドネシアの降水分布を規定している要因を明らかにすることを目的とした.インドネシアの気流系は,主として北太平洋起源の熱帯東風南太平洋起源の熱帯東風インド洋起源の西風という3つの気流によって構成されている.多降水域は,熱帯収束帯とは必ずしも一致せず,インド洋起源の西風帯内に出現している.また,多雲量域もこの西風帯内に分布し,インド洋起源の西風がインドネシアの降水分布を規定する要因となっている.そのため熱帯収束帯は,多降水域や多雲量域の及ぶ限界としてとらえられる.熱帯東風の卓越する地域では,一般に降水量,雲量とも少ない.特に,南太平洋起源の熱帯東風の卓越する地域では,降水量,雲量とも少ない.
著者
佐藤 大祐
出版者
公益社団法人日本地理学会
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.8, pp.452-469, 2001-08-01
参考文献数
26
被引用文献数
3

海岸の観光地では,海浜別荘地や民宿地域などが大都市からの距離や利用者の社会階層などに応じて発達し,観光産業を基軸とした地域が形成された.その中にあって,近年マリーナの増大が顕著で,漁業などとの海域利用の競合が発生している.本研究では,東京を中心としたマリーナの立地と,マリーナ利用者の属性とレクリエーション行動を解明することを目的とした.1960年代に三浦半島の相模湾岸において別荘地帯の延長線上に開設されたマリーナは,充実した施設を併設している.この利用者は,東京都区部の西部に居住する高額所得者層から成り,夏季を中心にリゾートマンションなどに滞在して,沖合海域において大型のクルーザーヨットでのセーリングとモーターボートでのトローリングを,沿岸海域に密集する漁業活動とすみわけっっ行っている.一方,1973年の第1次オイルショック以降,東京湾において産業施設から転用されたマリーナは簡易な施設で構成されている.中産階級にも広がる利用者は,週末に日帰りし,波浪の静穏な東京湾内湾の中でも沿岸寄りの海域を小型モーターボートを使って行動することで,沖合の大型船の航路とすみわけている.,このようなマリーナとその海域利用の実態が明らかとなった.
著者
酉水 孜郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.12, no.6, pp.527-540, 1936

Since there is a large variety of vegetables cultivated by very intensive methods in the vicinity of T&ocirc;ky&ocirc;, it is possible to find various forms of cultivation, showing the regionality in agriculture of this part of the country.<br> The various forms of cultivation we see are mainly results of thenature of the soils, -climate, crop-rotation, and the intensive method of cultivation used.<br> As the loamy soil of the Musasino Upland, west of T&ocirc;ky&ocirc;, is light and readily holds moisture, barleys on the upland are cultivated by means of the dotted method (Fig 2), which makes it easier for the. farmers to avoid frost damage.<br> On the sandy soil of the Tama-gawa and Ara-kawa flood plains, barleys are cultivated, in line form (Fig. 3), because here frost scarcely does any damage.<br> To avoid the severe frost and the cold N. W. wind in winter, which often injure vegetables, the farmers use coverings to protect the vegetables from frost, but in such a way as not to shade them entirely from sunshine (Fig. 5, 6, 8, 10). The vegetables are also planted on the southern side of the barleys so as not to be damaged by N. W. winds (Fig. 11).<br> During the season from spring to summer, owing to circumstancesof crop-rotation and climate, the winter barleys are not cultivated so. intensively. In that case there are various forms of cultivation (Fig. 9, 12), and the wide spaces between the furrows of barleys is used for some kinds -of vegetables; thus certain forms of inter-tillage can be noticed (Fig. 14, 15 16, 18).<br> As the crop rotates very quickly in this neighbourhood, we have consequently many types of inter-tillage, thus showing the seedling and cropping periods of each plant at the same time (Fig. 17, 19). Inter-tillage applied only to vegetables also may be noticed in this part of the country (Fig. 20, 21) 23, 24).
著者
松本 繁樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.10, pp.630-642, 1965-10-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
4

筆者は中部地方建設局磐田工事事務所保管の資料をもとに,大井川下流部 (0~23km) 問における最近の河床変動の実態を検討し,ついでこれと砂利採取との関係について考察を加え,さらに今後の採取可能量にまで論及したが,それらを要約するとつぎのようになる. 1) 大井川下流部の1963年度の平均河床高を,1955年度のそれと比較してみると,全ての区間での河床低下が認められ,低下量の最大は73.6cm, 最小は1.6cm, 全区間の平均では33.5cmとなる. 2) つぎに総土砂変動量から河床の変動をみると, 1958および1961の両年度で堆積となった以外は,全ての年度で洗掘を示し, 1958年度以降6年間の総計では,差引約370万m3の洗掘という結果になる. 3) 大井川下流部での砂利採取は,近年急激な勢で増加していて, 1958年度以降1963年度までの採取許可量は,合計約320万m3にのぼり,その推定採取量では640万m3ないしはそれ以上に達するものとみられる. 4) 一方,同じ6年間の川自身による堆積量を逆算してみると,約270万m3となるが,この値は先の砂利採取量の2分ノ1以下にしかすぎない. つぎに上記の資料をもとに, 1kmの区間毎の土砂変動量(洗掘量)洗掘量と砂利採取量との関係を吟味してみると,両者には一部の区間を除いて,かなりの相関が認められ(相関係数r=0,602), その関係はy=0.351x+13.92なる式をもって表わすことができる,また砂利採取量のみから算定した河床低下量と実測による低下量との問にも,ほぼ類似したかなりの相関が示され(r=0.635), その関係はy=0.469 x+5.48という式で表わすことができる. 8) 下流部河床内における1963年度末現在の砂利の採取可能量は,約850万m3と計算されているが,実際にはこれにさらに上流からの流入土砂量(年間約70万m3ないしは45m3)を加算しなけれぼならない。しかし,今後の砂利採取量を現在とほぼ同一である(実質採取量で年間約200万m3)と仮定しても,大井川下流部での砂利採取は,この先10年を待たずして,全面的な禁止を余儀なくされるものと考えられる.
著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.6, pp.325-348, 2001-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32
被引用文献数
2

近年の急速な経済開発下におけるインドの2農村を事例に,耐久消費財の普及という新たな経済的変動がそれまでの伝統的な村落社会の階層構造にどのよラな影響をもたらしたのかを論じた.具体的には,耐久消費財所有に基づく経済的階層と農地所有やカーストに基づく階層の比較を行った.その際,とくに各階層の上位と下位の動向に着目し,結果として,カースト制度に基づく社会の階層構造が崩壊したとはいえないものの,個々の世帯単位では両村ともにまとまった変化の傾向が認められた.これに関わっては,一部の上層農塞を除き,農外就業の多寡が新たな経済階層上の地位に大きく影響した.わけても高い学歴を経て得られる局収入で安定した農外就業の果たす役割が大きい.
著者
田口 雄作 永井 茂
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.239-257, 1982-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
11

静岡県熱海市に設置した深さ80mの観測井において, 1980年6月下旬から約3か月間にわたって発生した,いわゆる伊豆半島東方沖群発地震に対応する水位変動を観測した.なかでも, 6月29日16時20分に発生したM=6.7の主震で,本井の水位は, coseismicに約80cm低下した.低下した水位は,もとのレベルに復帰するまでに1年2か月の時間を要した.得られた水位記録をもとに,地震との対応を求めたところ,地下水位低下量は,地震のエネルギーの大きさに対応し,地震後の時間の経過につれて減少することが判明した.本井の地下水は自由地下水的な性状を示しており,初川の河川水によって伏没かん養されている.したがって,水位変動に与える影響は,降水がもっとも大きく,気圧との対応は顕著でない.このような水文学的性状は,主震の発生前後でほとんど差異は認められない.これらの現象を考慮して,地震による地下水位変動のメカニズムに関するモデルを提案する.