著者
安田 正次 沖津 進
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.43-47, 2001-03-31
被引用文献数
5

群馬・新潟県境に位置する平ヶ岳湿原が乾燥化していることが近年報告されている.その原因を探るため,現地に近い十日町・水上・片品の3地点の積雪深の経年変動を比較検討した.その結果,1970年代後半から片品の積雪深が減少していることが明らかになった.冬季の季節風の向きから,平ヶ岳は片品の風上にあり,積雪状況が片品と連動していると考えられるので,平ヶ岳も片品と同様に積雪深が減少していると推測された.一方,片品の積雪深の減少と同じ時期から水上の積雪深の増加が認められた.積雪深の減少の原因は,降雪をもたらす雪雲が水上方面に偏在したために,片品方面で降雪が少なくなったためと解釈された.この降雪量の減少が原因となり,平ヶ岳の湿原の乾燥化が起こっていると考えられた.
著者
浅山 英一
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-9, 1958-12-30

ストック初雪外13品種を用いて,花色,草丈,開花の早晩,八重率等についてそれぞれの組合せを行い,F_1にあらわれる特性を調査し次のような傾向を見出した.(1)花色 同一系統の白色品種間のF_1は白色に,異系統の白色品種間のF_1は淡紫色又は紫色に咲く.白色花と紅色花とのF_1は紫色花となり,紅色系品種間のF_1は紅色系の花色にあらわれる.(2)草丈 F_1は概ね両親品種の何れかより草丈が高くなり,矮性種相互の組合せでは両親品種よりはるかに高性となるものが見出される.(3)開花の早晩 概してF_1植物は早咲となる傾向があり,早生種相互のF_1には両親品種よりも1カ月以上早咲するものが見出された.(4)八重率 F_1にあらわれる八重率は,両親とした固定品種の八重率よりも高いものが各組合せの70〜80%程度あらわれる.(5)花色に関する成績を除いては,逆交配の結果は必ずしも正交配の結果と同一であるとは限らない.
著者
小野 佐和子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.49-58, 1996-03-29

コミュニティーガーデン運動は,オープンスペースを自らの手で作り出すことを通じて,70年代の都市の荒廃に対処しようとする市民運動である。70年代から80年代にかけての運動を通じて,コミュニティーガーデンは合法化され,オープンスペースの一形態として社会的に認知される。その背景には,市民が行動を起こさざるをえないほど進んだ都市の荒廃,不動産不況による空き地の存在,草の根市民運動の盛況,伝統的オープンスペース計画の失敗,連邦レベル,自治体レベルでの住民参加を促す政策の存在が考えられる。組織化やネットワーキングによる住民の組織力を背景として問題解決や社会的認知の獲得がなされたのが,この時期の運動の特徴だと考えられる。
著者
宮城 俊作
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.205-220, 1990-02

本研究では関西地方に存続する6つの歴史的市街地を対象として,宅地割の形態にみられる特徴から抽出される宅地のタイポロジー,その基準となる形状寸法,「にわ」の存在形態,家屋を含めた敷地平面構成,の4点を検討した結果,以下の諸点が考察された.(1)抽出された住戸敷地の形態は,宅地割のオリジナル形態にみられた形状と標準規模を何らかのかたちで継承している.(2)「にわの配列は,宅地の形状と規模の基準値によって想定される敷地条件によく呼応し,間口3〜4間,奥行9間が「にわ」1単位の存在条件となっている.(3)「にわ」の単位と別棟の複数化は,敷地規模,特に奥行が増大することによって生じる.これによって敷地後部に「にわ」と家屋がヴァリエーションを持って配置されることになり,街区内部の空間に街路側とは異なった多様化が担保されることを示す.
著者
Ando Toshio
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.75-91, 2004-03-31
被引用文献数
1

後続の研究者の便宜に供するため,花卉園芸学研究室によって1988年以来行われてきた南米での植物探査の記録を残すこととする.探査はナス科Petunia属に傾注している.但し, Jussieu (1803)の定義した広義のPetuniaであり,狭義のPetunia (sensu Wijsman)属とCalibrachoa属を含んでいる.1995年から2001年までの7年間の全走行距離は69,191km (アルゼンチン=27,123km,ブラジル=31,308km,メキシコ=2,347km,パラグアイ=4,748km,ペルー=840km,ウルグアイ=2,825km)に達し,採集した標本は合計858点(アルゼンチン=210点,ブラジル=595点,メキシコ=1点,パラグアイ=37点,ウルグアイ=15点)に達した.前報[2]に記録した1988年〜1994年に比べて,走行距離は上回るものの,採集標本数は大幅に減少した.分布の周辺部分の探査に入ったからである.最初の2〜3年はブラジルに重点を置き,以降次第にアルゼンチンに重点を移した.ウルグアイの探査は補完的なものに留めた.ブラジルの探査は峠を越え,アルゼンチンの探査は道半ばである.パラグアイは2001年だけの探査だが,概ね満足できる結果を得ている.メキシコの探査は僅か1標本の確保に留まった.ペルーの探査は成果がなかった.ボリビアの探査はまだ行われていない.
著者
石橋 功 高橋 紀代志
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.105-113, 1967-12-31

WL種8羽,NH種15羽およびそれらの同系の親の交配によつて作出されたWL♂×NH♀種26羽の鶏が,産卵開始後365日間に生んだWL卵1660,NH卵3496,WL♂×NH♀卵6874コについて卵型を測定し,比較した.1.WL,NH,WL♂×NH♀種の初産日令は,それぞれ193.9,212.2,162.2日であり,初年度における産卵数は,211.4,235.9,271.4コであつた.WL♂×NH♀種のすぐれた結果はheterosisに基づくものと考えられる.2.WL,NH,WL♂×NH♀卵の平均卵重は53.84,59.56,57.24gであり,第1月から第12月までの増大量はそれぞれ9.8,8.3,15.9gであつた.3.産卵開始後の日数の経過に伴なつて,WL卵は卵型係数71〜72のほぼ同じ形で卵重が増大し,NH卵は79から73へ,WL♂×NH♀卵は76から73.5へと減少し,短径よりも長径の伸びが大であつた.4.WL,NH,WL♂×NH♀卵の卵重と長径間にはそれぞれ,r=0.758,0.735,0.818,卵重と短径間には,r=0.911,0.792,0.897のいづれも高い相関々係があつた.これらの関係を卵重をx,長径をy,短径をzとして回帰方程式で示すと,長径(y)はWL:0.316x+40.22,NH:0.351x+36.00,WL♂×NH♀:0.379x+35.34で表わされ,短径(z)はWL:0.254x+27.33,NH:0.200x+31.30,WL♂×NH♀:0.234x+29.07で示すことができる.本研究の一部は,徳納敏子君の協力を得て行なつたものであり,統計処理については本学部岩佐助教授の教示を得た.ここに記して厚く感謝の意を表する.なお,要旨は昭和42年度日本家禽学会春季大会において発表した.
著者
安蒜 俊比古 浅野 二郎 藤井 英二郎
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.85-92, 1988-03-18

築山庭造伝前編と後編に於ける役木を対象として,役木の配植位置と注視部位,庭園構成の格(真・行・草)に於ける役木の取扱いについて検討した.同一の配植位置にあっても,役木に対する注視部位が細部,局部,全形と役木によって異っている.真・行・草の庭園構成に於ける役木の取扱いは,庭園構成の格に関らず取扱われるものと,格によって取扱いが省略される役木がある.配植位置や庭園構成の格によって異なった傾向が見られるのは,とくに近景と中景の役木である.これは庭園構成の主景的な立場としての役木であるか,装景的な立場としての役木であるかによるものと考えられる.
著者
冲中 健 増田 悟 菅原 恩
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.91-97, 1984-12-25
被引用文献数
2

風台風8218号の緑化樹におよぼした潮風害について,ケヤキとイチョウを指標樹として調査研究を行った.その結果,台風8218号の中心が関東西部にあるとき降雨が上がり,南寄りの潮風が関東平野に吹き込んだ.潮風害は東京湾岸から100kmの内陸におよんでいる.被害の度合いは湾岸からの距離に逆相関を示すが,関東平野の西部・中部・東部の地域によって被害の様相を少し異にする等がわかった.
著者
渡辺 斉
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.48-54, 1953-03-01
被引用文献数
1

菜豆品種"金時"について,花芽の分化,発育及び開花の様相について調査し,次の結果を得た。1.花芽は,葉腋に分化し,頂芽が花芽になることはない。2.主枝及び側枝の葉節位の分化は,比較的速やかに行われ,その葉腋に短期間内に,花芽の分化が起る。3.葉腋に分化する始原体は,腋芽又は花芽として分化,発育する場合と,それが更に二つに分かれ,一は花芽,一は腋芽の始原体になる場合とある。4.第1複葉が展開するころ,花芽分化が始まり,第3複葉の展開時には,発育の早い花芽は,雌蕋形成達期にする。5.花芽の増生は,分化始めから12日位即ち,展開複葉6枚ごろに一応終了する。6.開花運動は,開花前日の日没頃から顕著になり,午前1〜2時ごろ開葯授粉を認める。花瓣の開綻は,午前2〜4時ごろである。7.不完全開花した花は,完全開花した花に比し,着果率が低い。
著者
元木 泰雄 横井 政人 小杉 清
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.31-36, 1972-12-25

1.1才ザクロおよび1才サルスベリのさし木3年苗と,本年生の実生苗について,千葉大学園芸学部において,花芽の分化発育状況を調べた.2.1才ザクロのさし木苗では,1971年には4月19日肥大期,5月3日がく片形成期と進み,6月7日から第1回の開花が始まった.その後7月5日には,第2回の肥大期が認められ,8月9日には,はい珠形成期まで進み,ついで開花した.3.1才ザクロの実生苗では,6月7日肥大期,8月9日はい珠形成期と進み,8月30日に開花し始めたが,この場合には,1回しか花芽分化がみられなかった.4.1才サルスベリのさし木苗では,1971年には4月26日肥大期,5月3日がく片形成期,6月28日雄ずい形成期と進み,7月12日から開花し始めた.5.1才サルスベリの実生苗では,6月21日肥大期,6月28日はい珠形成期と進み,7月10日から開花し始めた.このように1才サルスベリでは,さし木苗も実生苗も,花芽分化は1回しか認められなかった.
著者
広保 正 矢野 誠一 森永 道彦
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.43-46, 1970-12-31

キクの生育に対する窒素の供給時期および期間の影響について水耕法で研究した.窒素は7月16日から8月9日まで欠除しても影響がなかったが,それ以上欠除が長くなると生育が悪く開花も遅れた.また9月25日(出蕾)以後は欠除しても差支えなかった.謝辞,苗の供与をいただいた取手市斉藤恒次氏に感謝する.
著者
松本 悟 田代 順孝 宮城 俊作 木下 剛
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.93-102, 1998-03-31

本研究は,都市河川とりわけ近代産業発展の舞台となった隅田川とその沿川の産業施設に着目し,これらがやがて衰退・用途転換していく過程において,河川と産業施設との関係がどのように変化してきたのかについて,河川に対する表裏の認識という視点から分析することを通じて,沿川空間のもつ地域環境デザイン上の意義と課題について考察を行うことを目的に実施した.その結果,産業施設の河川に対する表(産業インフラとして)→裏→表(環境資源として)という認識の変化が明らかとなった.そして,河川と地域との関係を媒介する場としての産業施設の位置的な重要性が指摘され,地域の論理やニーズを的確に反映した空間デザインが課題とされた.
著者
高橋 英吉 井上 祐吉 永澤 勝雄
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.13-21, 1971-12-31
被引用文献数
1

1.カキ平核無の生理的落果に対する,しゃ光及び環状剥皮処理の影響を調査するため1968年および1969年に試験を行なった.2.1968年および1969年の第2次生理的落果のピークは,それぞれ7月7日および7月5日に現われた.3.アルミニウムを塗布したビニールフィルムによるしゃ光処理は,落果を著しく促進し,落果のピークは6月28日に認められ,対照無処理区にくらべ9日早かった.4.1969年の生理的落果期間中の異なる時期に5日間のしゃ光処理を行なった結果,各々の処理時期ともしゃ光により落果は増加した,しかし,落果のピークの出現は早くならなかった.この相違は1968年と1969年の日照量の差異によるものであろう.5.生理的落果終了後のアルミフォイルによる完全しゃ光および,果実着果部位の上下の環状剥皮による栄養しゃ断は,いずれも落果を促進させた.処理区の果実が50%落果するのは,環状剥皮による栄養しゃ断区が早かったが,全果が落果するのは,しゃ光区が早かった.これらのことから平核無の生理的落果は果実中の炭水化物含量だけでなく内生的ホルモンバランスにも起因するものと考えられる.
著者
浅野 二郎 仲 隆裕 藤井 英二郎
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.109-122, 1987-03-30
被引用文献数
1

紹鴎から利休へとつづくわび茶の草創の時期において,わび茶の先達たちが求めた世界は,一座建立の世界であり,それは,茶の場において亭主の座と客の座がもつ格差の否定につながるものであった.而して,利休が求めるものは,四畳半,三畳あるいは二畳といった,いわゆる小間の茶に佗びすますところのものであった.しかし,うき世の外の道を目指したこのわび茶も,終いにうき世の外のものではあり得ず,やがて,それは客のための茶へ,さらに客のもてなしのひとつとしてとらえる茶へと変容する.わび茶に対する意識のこのような転換に伴って,茶室の空間構成にも,新たな展開が起る.この際立ったひとつとして茶室における台目構があげられる.一方,露地についてみるとき,露地もまたおそらく茶室のたどった道筋と無縁のものではあり得なかった筈である.つまり,台目構の茶室に対応する露地は,台目構を構想する意識と深くかかわりつつ造形されていったものとみてよいのではあるまいか.本論文では,特に台目構の茶室をとらえながら,それに対応する露地の形態がどのように展開したかを,指図(平面図)が確認できる史料を手がかりとして,検討を加えた.即ち,織部がかかわった松屋久好の露地,細川三斎の露地および金森宗和の露地を事例的にとりあげ,関連資料を活用しつつ,これらの露地が辿った道程を見極め,それぞれの茶匠たちが求めた造形をとおして,わび茶における伝統の継承と創造の問題について論じた.
著者
西元 直行 小柳津 朝子 永沢 勝雄
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.9-17, 1972-12-25
被引用文献数
1

地下水位の高低によるブドウおよびナシの生育におよぼす影響を調査した.1.ブドウの新梢伸長量および新梢肥大についてはB区がよく生育した.水位の低いA区がB区・C区に比較して劣ったが,新梢伸長量の点よりみて,B区・C区は徒長的傾向であったとみられる.2.ブドウの葉のクロロフィル含量およびみかけの同化量については,地下水位の低いA区がB区・C区より多かった.しかし,葉面積は地下水位の高いC区およびB区がA区より大きかった.3.ブドウの根群および相貌におよぼす地下水位の高低による影響は大であった.水位の低いA区は主根を基本とする根群,水位の高いC区は細根を中心とする根群を形成した.B区はA区とC区の中間的な様相を呈した.4.ナシの新梢伸長および新梢肥大等については,地下水位の高いC区が明らかに劣った.さらに伸長停止期も早く,6月22日であった.5.ナシの葉内クロロフィル含量および葉面積に関しては,地下水位の高いC区がA区およびB区より明らかに劣った.光合成産物増加量はA区が特に少なかった.6.ナシの根群形成におよぼす地下水位の影響はブドウとほぼ同じであった.水位の高いC区で異常根および枯死した根が多かった.7.ブドウおよびナシを比較すると,地下水位の影響をより鮮明に受けたのはナシであった.
著者
臼井 則生
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.215-226, 1997-03-28

本稿は発展途上国において輸出ブーム現象が誘発する構造調整問題,すなわちオランダ病を回避するために如何なる政策対応が求められるのかを明らかにするため,1970年代に原油ブームを経験し,しかも対照的な経済パフォーマンスを示したインドネシアとメキシコの経済運営に関する比較検討を行ったものである.両国の経済運営にはいくつかの相違点が存在し,特に政府財政,対外借入ならびに為替レート政策に対照的な点が見い出された.メキシコは潤沢な原油収入が存在するなかで野心的な開発政策を展開し,財政ならびに貿易収支の赤字を拡大させ,結果的に政府の経済運営に対する信認が失われるなかで生じたキャピタル・フライトをファイナンスするため対外借入への依存度を増大させた.また,対外不均衡を解消するため為替切り下げを実施したものの,適切な需要管理政策が欠落したために,その効果は限られたものとなった.こうしたメキシコの状況に比べ,インドネシアの政府財政ならびに対外借入のあり方は比較的コンサーバティブであり,しかもこれらの対応は同時に実施された為替切り下げと整合性を有するものであった.メキシコが製造業部門の停滞というオランダ病の兆候を見せる一方で,インドネシアがオランダ病の影響を回避しえた理由のひとつは,こうしたマクロ政策対応の相違にあるものと考えられる.また,メキシコにおいては原油収入の多くが石油生産拡大のための公共投資という形で用いられたのに対し,インドネシアではオランダ病の影響を受けると考えられる製造業ならびに農業といった貿易財部門への投資として用いられた.原油ブームによる収入が貿易財部門の供給能力を増大する形で用いられたことが,インドネシアの成功のもうひとつの要因と考えられる.両国の比較分析を通じて得られる知見は,オランダ病の影響を回避するためには当該国の政策当局は輸出ブーム収入の短期的棚上げを含めたより慎重なマクロ経済運営を行う必要があるということ,ならびに輸出ブームによる収入を長期的観点から貿易財部門を中心にその生産基盤を強化する形で用いるべきであるという二点である.
著者
山田 稔
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.85-128, 1987-11-30
被引用文献数
1

複式簿記には,純利益の算定と,また,経済財の現在価値量の把握という2側面がある.勘定組織によって,期末貸借対照表の資産-負債=資本と期首の資産-負債=資本となり,期末資本-期首資本=純財産となる.これが損益計算書の総収益-総費用=純利益と一致することによって,簿記の自己監査機能が保持されるとみるのが,勘定組織の静的考察である.一方動的考察では,組織と体系は社会経済の発展段階に対応する利潤追求のための資本循環として認識する.農業複式簿記も簿記である以上,動的考察の対象として位置づけられる.農業複式簿記の対象は家族経営であり,これは経営発展段階では第1期に位置づけられる.家族経営は第1に生活をするための生業であること.第2に生活に必要を所得獲得に狙いがある.第3は生産財か消費財かの区分が明確でない.第4は計算思考も資産-負債=資本という資本等式である.家族農業経営は,最大利潤の獲得でなく,生活に必要を所得獲得が目的であることから企業発展過程では第1期に位置づけた.この第1期に位置づけられるとしたら,複式簿記で何が解明されをければならないか,小家氏の論文を素材として,家族経営に複式簿記を適用することの是非について検討し,そこでは,結論的には可能であることを指摘した.経営と家計の未分離を前提とするのでなく,未分離に求めるとすれば,経営実体を認識し,複式簿記家計簿を考えた.財産という現物形態があって経営が存在するため,資産-負債=資本という資本等式で計算することによって自己資本が確定される.年度内にあげた利益は,自己資本額の増加として把えるのが計算理念である.家族経営に複式簿記を適用する理論体系としていずれに準拠すべきであるかを検討した結果,第1期の理論体系でなければならない.その理由の第1として,自己資本の増加は,経営と家計の未分離の状態においては,家計を含めなければ計算できない.したがって,経営損益や家計取引も財産の変動として扱い,積極財産・消極財産とし,財産変動の勘定記入は,物的一勘定学説により行う.次に企業発展史からみた,第2期を検討し,そこでの経営形態は,企業と家計の分離した共同出資による合名無限責任会社となり,企業が記録の対象となり,この段階になると,取引の種類,回数,金額も多くなり,勘定組織も複雑となる.資本成熟としては,産業資本段階となり,資本循環もG-W…P…W'-G'にみられるように,生産過程Pを含むことになり,企業目的は財産構成内容よりも,製品を販売することによって得られる利益剰余金の確認が目的となる.この時期は,貸借対照表項目の中に,建設仮勘定が認められ資産の拡大が行われたり,償却引当金が負債勘定として認められることによって,企業利益が過小に計算される.第2期の理論を農業に適用すれば,経営と家計の分離を前提とした生産組織が考えられ,共同利用組織,集団栽培組織,受託組織,畜産組織,協業経営組織などはいずれも貸借対照表と損益計算書が作成されている.このように,複式簿記が使用されている要因は,個別経営とは切り離し,経営を対象とすること,会計主体である構成員に公平を所得分配,会計の客観性を保持,租税対策などの必要性によるものである.さらに,企業発展過程からみた株式会社の位置づけとして第3期を設定した.この期の勘定体系は,拡大再生産を基本とする剰余金算定で,余裕資金で利潤の増大を図るようになるA-P-K=Sのように,企業がいつでも活用できる剰余金の確保がその目的となる.この段階になると貸借対照表,損益計算書の外に利益処分案書が追加され,利益金の分配方法が提示される.これは出資と経営が分離された段階で,管理責任は株主総会がもつ.この時期に相当する農業は,専門的大規模経営が出現し経営と出資の分離した,株式会社形態の企業が,畜産部門とくに,ブロエラーや養豚の一貫生産にみられるように財務諸表の特定引当金のなかに,価格変動準備金を,法定準備金のなかに利益準備金,剰余金のなかに別途積立金を組入れるなどして,利益金の過小評価が行われている.この段階は,全体としてみれば,積立,引当金の整備体系であるといえる.このように,農業とくに畜産部門に企業経営が成立する条件は,生産にあたって,季節的影響を受けない,投下資本の回収が短期であり,生産に際し購入部分が大半であることなどの点について検討した.III章の農業複式簿記の展開では,論者によれば明治11年に駒場農学校において使用講義されたもので,英国より導入されたものであった.その内容は,人名勘定の設定が多いとしている.明治初期における外国からの複式簿記の導入は,当時の農政面と関わりをもっていたものと考えられる.すなわち,養蚕をはじめ,輸出できる作物の国際市場へ日本の農業生産を参画させようとした時期で,商品作物の生産にあたり,生産費の合理化や経営改善に関心が払われた時期であった.このように,わが国の農業複式簿記は,その初期においては,外国の簿記書を土台とした,模放的時代であった.しかし,明治17年に前田貫一氏によって,農業簿記教授書が出版され,わが国独自の専門書であり,その後明治33・37・44年の3著書が出版された背景として,機械制大工業による産業革命によって,潜在的失業人口は年雇という形で大規模経営に吸収され,商品生産農業を仕向するため,経営の採算に関心がもたれるようになった.明治33年の農業簿記教科書は,全体的に部門損益に重点がおかれていて,次の2点に問題が残る.第1は勘定の分類が体系的なものでない.田・畑勘定は作物の損益計算のための棚卸しを考えたものとみられるが,経営技術的分類からすれば生産対象であり,生産手段でもある.畜産及び養蚕勘定は,生産対象である.したがって,勘定科目の体系は,生産対象を中心に編成すべきものと考える.第2は,分配勘定のなかに営業費勘定を設けて生計費費用を算入している点で,これはむしろ,営業収入と営業外費用の計算を行った後に,営業外費用として生計費を計上すべきものである.その後,明治37年に農業簿記学,44年に最新農業簿記教科書が出版され,それぞれ検討した結果は,明治期の農業複式簿記は,簿記理論,勘定科目の体系,計算理念ともに未確立の時期であったということができる.大正期の農業複式簿記は,一部大規模経営を指向している地主層に適用しても,ほとんど普及しなかったとみられ,簿記は大正4年の「農家の簿記」によって代表されるように,自作・小作の小規模層を対象に単式簿記がその中心をなしていったものとみられる.昭和期の農業複式簿記は,昭和10年までは農業簿記に関心がむけられた時期で,それは高い現物小作料をとられては再生産不可能であるという損益計算書を地主に要求したり,農民自身が計算することによって,商品生産の意識が高揚されたときであった.第2の時期は昭和11年以降現在までで,その特徴は昭和30年代の農業複式簿記のブームである.経済の高度成長によって,農産物に対する消費需要の増加により,市場価格も上昇し企業的農業も発生した.一方では,農業労働力の減少と婦女子化,老齢化が進行するなかで,その対応策として施設の共同利用,栽培協定,作業の受委託,協業経営などが増加し,出資と労働の分離によって複式簿記の適用範囲が広がり,その著書はIII-1表のようである.昭和13年の近藤庫男氏の農業簿記学は農業複式簿記の記述として,体系的に記述された画期的なもので,この時期は商品生産農業が本格的に展開されようとした時であったこと,農業に対する経営改善要求が高まっていたおと,外国の会計学者による簿記会計理論に関する,優れた翻訳が著わされた時期でもあった.IV章の農業複式簿記理論の検討では,複式簿記の目標は利潤の発見にあるが,利潤の計算過程は収益マイナス費用によって決まるので,収益とは何か,費用とは何かについて,農業経営の実体から検討した.給付に対する収益であるという規定に従えば,固定資産増殖額や流動資産増減額の矛盾は本来の損益に影響させないとすれば経営外収益として処理する.農業収益計算のための収益評価基準としては,販売基準を採用する.生産現物家計仕向は仕向時における販売基準とし,繰越および貯蔵農産物については生産基準にする.経営費についても,給付に対する費用ということで流動供用財減少評価額は,費用であっても経営外費用とすることによって,農業粗収益と農業経営費は対応するものと考えられる.簿記の出発点としての貸借対照表は,開業貸借対照表で[numerical formula]という形で表現される.この式は投下資本Gが具体的生産手段として,経済財に変態した状態を前提として,出発する要因を5つあげ,計算理念としてはA-P=Kという資本等式が基本となる.それは自己資本Kが企業において中心的重要さをもっている.計算過程で財産・資本の2つの系統を区別し計算することが適当であること.農業簿記における資本循環の特異性では,農業生産と工業生産の資本循環の相違と経営計算上の問題点を5つあげ検討した.農業簿記と計算期間では,農業生産自体季節の影響をうける有機的生産であるから,一律の計算期間はとり得ないとして,経営組織別計算期間を提案した.投下資本Gが生産手段Wへの形態変化の処理では,農業経営におけるGという最初の資本は,複雑を経済財としての形態をとる.[numerical formula]に価値移転の過程が問題となり,立毛評価をとり上げ検討した結果,動的貸借対照表論による評価原則に則して行うべきことが判明した.農業複式簿記における内部取引の検討では,費用の中で大きなウェートをもつ家族労働費の扱い方について,倉田,加用簿記理論を検討し,簿記論の経済的認識からみれば加用理論による家族労働費を費用化できない帰結として,農家所得が計算されるとする経営実態の認識を優先する立場をとる.V章の農業簿記と会計公準の検討では,企業と家計の未分離に対する複式簿記上の論述を2つに整理した,第1は企業会計原則を基準尺度として,これに順応させて処理しようとするもの,第2は経営実体に則して処理しようとするものに分かれるが,検討の結果筆者は第2の立場をとるものである.会計期間の公準では,定期的会計報告の基礎となるもので年度始と年度末における資産・負債・資本と期間利益=期間収益-期間費用という形で報告されるが,収益および費用把握については,すでに指摘したとおりである.貨幣評価の公準では,検討した結果貨幣価値水準一定を前提とした,実体資本維持説による評価が経営実体からみて妥当であると判断した.VI章の植物資産と農業複式簿記の関係について考察し,まず植物資本財としての性格,複式簿記と育成価,複式簿記と果樹の更新とくに耐用年数以後の品種更新を合理的に行う方法を検討した結果,経済的老木期間中に更新することが,経営の経済的負担を小さくすることができる.また耐用年数以前の機能的減価としての品種更新については,偶発的原価の特別償却として経営外損失として処理する.VII章の農業複式簿記の勘定科目の性格と体系では,農業簿記でどのような勘定科目を採用するかは,農業経営組織と規模に関係するが,勘定科目の組織と体系がどのように構成されているかをみることは,経営の資産構成と損益の内容規定にかかわってくる.第1は勘定科目の構成,形式,内容によって,どのような経営の損益が把握されるか,第2は経営の資産的,資本的実体の把握,第3は経営と家計の分離と勘定科目,第4は部門損益の把握と勘定科目などについて,貸借対照表項目である資産,負債,資本および損益計算書項目の費用,収益の内容把握が各著書によって異なることを考察し,結論としてVIIの4)に示したような農業における損益計算書区分(試案)を提示した.この場合従来の農業複式簿記では,当期業績主義会計が70%,包括主義会計が30%という実状である.ところが,最近における経営の変化は,専業,兼業,生産の組織化などいろいろの形態をとっている.都市近郊で農業を営んでいる経営では,経営主体が農業以外の事業として,貸間業,駐車場,ガソリンスタンドなどを兼業している場合があるので,当期業績主義会計よりも,分配可能利益をも包括的に表示する包括主義会計によるべきことを提案している.
著者
永沢 勝雄 大野 正夫 野間 豊 大場 陸司
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-8, 1968-12-31

1.1966,1967両年度において,早生温州ミカンの結果母枝の発育程度とNAA散布による落果助長効果との関係,側枝の着果にあたえる影響を調査し,なお,NAA散布が収穫果実の形質におよぼす影響について調査した.2.NAA散布濃度は300,150ppmの2種類とし,花弁脱落期(満開5日後)ならびに幼果期(満開40日後)に散布した.一般に濃度の高い方が落果を助長した.3.NAA散布による落果助長効果は1966年では,幼果期散布区,1967年では,花弁脱落期散布区に顕著で,年によって様相を異にした.4.NAA散布が果実の形質にあたえる影響については,1966,1967の両年とも,いづれのNAA散布区においても一果平均重が大きく,大果歩合が高くなった.その原因としては,落果助長にもとずく,一果当り葉面積の増大によるほか,NAAそのものに残存果実の肥大を助長する作用があるのではないかと考えられた.
著者
栗原 伸一 霜浦 森平
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.47-57, 2005-03-31
被引用文献数
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少子高齢化が進む一方,長引く景気低迷から新たな税源確保も難しい我が国において,財政をいかに効率良く支出するかという「資源の最適分配」はもっとも重要な問題の一つである.そこで本研究は,地域住民を対象とした意識調査を行い,財政構造に関する意識や要因を都市・農村などの地域間比較を中心に整理・考察した.その結果,以下のようなことが明らかになった.(1) 現在行われている公共事業や社会保障に対して,地域住民の大半が「(やや)不満」に感じていた.(2) 公共事業費については,効率化による予算削減を望む者が多かったが,地方部では集落排水などの農村整備に対する選好も比較的高かった.(3) 社会保障費に関しては,農村を筆頭に多くの者が「増額」を望んでいたが,赤字公債発行によるこれまでの景気刺激型財政支出に対する嫌気と相まって,相対句なウェイトは小さかった.また老後等に備えての貯蓄額は平均5万円/月程度であった.(4) 予算支出の総額を抑えた再建型財政に対する選好が高かった.こうした分析の結果は最近の世論とも整合的であり,また都市農村で比較した場合,農村部では公共投資に関して寛大であり,社会保障費の希望増額が都市部よりも若干大きいことが分かった.こうした地域住民の選好を土台にして,財政決定を計画すれば納税者の効用度も向上し,納税者のコンセンサス獲得へとつながると考えられる.
著者
高橋 五郎 磯辺 俊彦
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.91-104, 1990-02

サン-シモンとフーリエの思想には,生産協同組合の思想の萌芽が見られた.本稿では,その萌芽にすぎなかった思想が徐々に発展させられていった様子を,彼らの弟子たちの思想を見ることによって辿ってみたものである.従来,サン-シモンとフーリエの思想のなかから生産協同組合論を見出だそうとの試みは,全くといってよいほど行われてこなかった.その理由の大きな部分は,生産協同組合研究は社会主義論の次元で扱われてきた傾向が強いことに見出だされる.また,マルクスやエンゲルスの偉大すぎる生産協同組合論のまえに,彼ら以前の生産協同組合論が埋没してしまって,その発展史を辿ることすら無意味のように思われてきたためとも見られる.しかし資本主義体制のなかでは,生産協同組合の仕組みをそなえた個別企業の存立する条件はないと断定することは疑問である.わが国農業の現状を見ても,農協が生産協同組合としての機能をそなえるならば,従来見られた農業生産組織論や最近の「集団的土地利用秩序」論の発展を深めるなかで,有効な農業生産機能をそなえることができる展望が持てよう.本稿は,こうした観点からマルクスやエンゲルスの思想以前に遡ることを通じて,そこに,現代社会に通じる生産協同組合論の基層的考え方を拾いだし再評価の機会をつくり出してみようと試みたものである.サン-シモンとフーリエの膨大かつ難解な著作からそれを完全なまでに行うことは不可能に近いが,本稿は,その糸口の発見に重点を置いたものである.