- 著者
-
小笠原 節夫
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 地理学評論 (ISSN:00167444)
- 巻号頁・発行日
- vol.36, no.5, pp.267-279, 1963-05-01 (Released:2008-12-24)
- 参考文献数
- 23
鍋田干拓地は伊勢湾奥,木曽川河口左岸にある第二次大戦後の国営干拓地であつて,昭和34年9月伊勢湾台風高潮によつて入植者288人中125人の生命が失われ,かつ家屋,耕地の全面的流失という大被害をうけた.これを契機として集落計画の全面的変更が行われた. 被災前の集落計画では, (1) 集落は東西方向の幹線道路にそつた路村形態をとり, (2) したがつて集落は干拓地全面にひろがり微高地を利用しようとする意図はなかつた. (3) また家屋も木造,平屋建てであつて,そうじて水害対策を欠く. (4) 1戸当り土地配分面積は1.4haでこれが数筆に分散しており, 1筆面積も区々であつて営農面でも欠陥の多いものであつた.これは干拓地の土地条件の不整一であつたことと,入植が一斉でなく逐次的に行われたことによる. 被災後の集落再計画が被災前のそれと異なる主な点は, (1) 集落を干拓地北西角の微高地に集中させ, (2) これを第二線堤防で包囲すること, (3) および家屋を鉄筋プロック3階建てとして水害対策に万全を期したことである. (4) 1戸当り土地配分面積は2.Ohaに増加し, (5) 1筆区画 (40a) もより整然となり, (6) 各戸の耕地は3筆が原則として連続するように, (7) さらに入植者の各グループ毎にも,ある程度耕地が集団するように計画されていて営農条件も被災前より整備されている.ただし再計画では住居と耕地は完全に分離することになつた,このような大規模な計画変更が可能であつたのは,被害が大きかつたこと以外に,被災時にはまだ国有地あつたからである. 最近のわが国における干拓地の集落計画は,集落と耕地の配置から九州型と児島型に類別できるが,鍋田干拓の被災前後のそれは何れも九州型に近い. 被災後の水害対策を極度に考慮:した鍋田干拓の集落計画は非常に特異なものであるが,他干拓地の集落計画にもつとも参考となるのは家屋の堅牢,高層化の点であろう.水に対して安全というばかりでなく湿気をさける意義もあるからである.