著者
伊賀 聖屋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.6, pp.361-381, 2007-05-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
31
被引用文献数
7 5

本稿は, 地場の味噌製造業者A・B社が使用する良質な原料農産物に着目し, その質の構築過程を「概念化」・「物質化」・「維持」の観点から考察した. 結果, 以下の点が明らかとなった. (1) A・B社原料の質は, 主に各社が食の安全に敏感な人々との交渉の中で, 原料の具体的生産・調達条件を規定することにより概念化された. (2) 概念化された質の物質化に向け, 各社はそれへの同意を得やすい農家に対し積極的アプローチを行った. その際に形成された各社ネットワークは, 原料の規定条件により異なる空間的発展様式を見せた. (3) 各社原料の質は, 各社が原料生産者に対し質の妥当性を再検討する場や原料生産の技術的支援体制を整備する一方, 消費者に対し原料生産に関わる情報を的確に伝達することで維持される. (4) 上の過程において各社は, 地元外の原料生産者や消費者とも戦略的に結びつきを強めたが, 接触手段・頻度の向上を図ることでその地理的関係を調整していた.
著者
阿部 康久 高木 彰彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.228-242, 2005-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
18
被引用文献数
1 1

衆議院への新選挙制度の導入によって,個人後援会に代表される国会議員の政治組織が,空間的にどのような変容を遂げつつあるのかを長崎県を事例として検討した.並立制導入以降も,議員の多くは,新選挙区から外れた地区においても政治活動を行い,中選挙区時代の後援会組織を,基本的には維持している.その要因として,選挙区外の支持者であっても,選挙の際には支援を受けられるという点があるが,中選挙区時代の区割りが,現在でも議員や後援者の意識に,強い影響力を有しているという側面も指摘できる.これに対して,現在の選挙区が,交通アクセスが悪い諸地域から成り立っているところでは,中選挙区時代の後援会組織を維持することに消極的である.また,衆院から参院議員や知事に鞍替えした議員は,広大な選挙区をカバーする後援会組織を作ることが難しく,その空間的範囲は,衆院時代のものに限定されている.党派別に見ると,与党系の議員は,自前の後援会組織だけでなく,党所属の地方議員や支持団体からも支援を受けられるのに対して,保守系野党議員は,このような支援を受けにくく,従来の後援会組織に集票活動を依存する傾向が強くなっている.
著者
清水 克志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.1-24, 2008-01-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
54
被引用文献数
2 2

本稿はキャベツ (甘藍) を事例に, 日本における外来野菜の生産地域が明治後期から昭和戦前期にかけて成立する過程を, 食習慣の定着と関わらせて考察することを目的とした. 明治前期に導入されたキャベツは, すぐには普及しなかった. 明治中・後期に, 都市の知識人がキャベツの新たな調理法を考案し, 大正期以降, その調理法が婦人雑誌や新聞で紹介された. また軍隊や学校給食などでキャベツがいち早く利用され, 都市住民の間でキャベツ食習慣の定着がみられた. 一方, 岩手県盛岡市などの各地の民間育種家は, 個々の地域の自然条件に適した作型であることに加え, 都市住民の嗜好に合致する国産品種を育成し, 生産地域の成立を促した. その結果, 長距離輸送が可能なキャベツは, 収穫期の異なる複数の生産地域から, 都市へ周年的に供給されるようになった. このことは, 外来野菜の生産地域の成立が, 食習慣の定着と密接に結びついて展開したことを示している.
著者
市川 健夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.142-152, 1958-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
8
被引用文献数
1

(1) In the Nagano Basin (Zenkoji-daira), apple were first grown for trial in around 1879, and widely cultivated in all parts of the basin at the beginning of the 20th century. Unlike those grown in Aomori prefecture, however, they could prove no dominant commercial crop. In around 1918, as the cultivating technique was improved, the apple-growing industry was gradually expanding in the diluvial upland on the western edge of the basin and on the natural levees of River Chikuma, where apple-cultivation possesses relatively superior condition to sericulture. After the economic crisis of 1930, making a nucleus of the existing apple-culivation on a small scale, it had developed to a certain extent in the whole basin, thus the apples produced here came to be a commercial farm product in place of that by sericulture. After the war, they have become the most dominant commercial crop in the baein, and now it ranks second to Tsugaru Plain as an important apple-growing area in Japan. (2) It is clear that 80% of the apple-production in Nagano prefecture is concentrated in the Nagano Basin because of its physical condition to fit apple-growing and its geographical situation near the markets. What is more, however, the principal conditions that enables the apple-growing to expand so rapidly are the high productivity traditionally fostered by engaging in commercial agriculture since old times, the cooperative producing organization and the cheap labors richly supplied from the surrounding mountain villages. (3) The apple is a most refined commercial crop, and its cultivation is controlled by physical and social conditons, so that the apple-growing in this basin has not evenly developed. The principal growing areas are the diluvial upland on the western edge of the basin, the natural levees of River Chikuma and the diluvial upland in the northern part and the fans in the eastern part, where the apples are grown as the main crops. In the other areas, however, farmers grow them as a plural management or a sideline while they engage in sericulture together with raising of rice, wheat, vegetables, flowers, tobacco and hops.
著者
須山 聡
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.13, pp.957-978, 2003-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
52
被引用文献数
1 1

本稿は富山県井波町の瑞泉寺門前町の景観を分析し,井波彫刻業が景観形成に果たしな役割を明らかにする.彫刻業者は,1970年代半ば以降門前町に進出し,近世末から近代にかけての商家建築を借り,作業風景や作品が外部から見える工房を意図的に作った.伝統的な彫刻と伝統的な建築物との組合せを,歴史的背景を知らない観光客は,「伝統」的景観と理解するが,両者は歴史的に関連を持たない.ゴッフマンの劇場理論を用いた分析から,門前町には観光と工業の二つの舞台が併存することが明らかになった.前者は「伝統」を,後者は生産をテーマとし,いずれにおいても彫刻業者が主役を演ずる.「伝統」テーマを期待した観光客は,彫刻業者が生産をテーマとしていることを理解しようとせず,彫刻業をアトラクションとして楽しむ.行政・地域社会は,彫刻業を利用した街路の修景などで,舞台を「伝統」テーマに沿って演出した.彫刻業者は工業の舞台にあり続けながら,行政・地域社会が演出した観光地の景観を経営資源として利用している.門前町の景観は,異なる景観形成主体によって演出された舞台の二重構造によって形成された.

12 0 0 0 OA 学界消息

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.28-32, 1947-06-15 (Released:2008-12-24)
著者
成瀬 厚
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.172-175, 2003-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13
被引用文献数
3 1
著者
成宮 博之 中山 大地 松山 洋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.79, no.14, pp.857-868, 2006-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
47
被引用文献数
3 3 1

本研究では,東京都内にある30地点の湧水における過去20年間の水温の変化について調べた。また2005~2006年の渇水期と豊水期に現地で水温,pH,電気伝導度を測定し,実験室でSiO2濃度を測定したSiO2濃度は,湧水の背後にある洒養域の広さの推定に用いた.これらと,東京都が過去に実施した調査結果とを合わせることで,1987~2006年の湧水温に関する観測値が得られた.水温の観測値を地点,時期ごとに分類し,外れ値の影響を考慮して変化傾向を求めることができるKendall検定を適用したところ,解析対象とした23地点のうち,渇水期13地点,豊水期11地点において,有意水準5%で有意な水温の上昇傾向がみられた.湧水のSiO2濃度と,渇水期と豊水期の水温差との問には有意水準5%で有意な負の相関関係がみられた。このことから,湧水のSiO2濃度が高い場合,その湧水は相対的に滞留時間が長く,また比較的広い洒養域からなるものと考えられる.そして熱容量が大きいことから気温や環境の変化に対して水温の変化が顕著に表れない可能性が示唆される.
著者
大平 晃久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.121-138, 2002-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
91
被引用文献数
3 2

場所の社会的構築において言語は中心的な役割を担い,地名もその一部として位置付けられる.しかし,固有名論を適用した地名の検討は個人名に比べ従来ほとんど行われていない.本研究では地名の名付け・使用の検討から,地名は場所を直接指示するという常識的な理解は誤りであり,地名も一般名同様にカテゴリーとして機能していることを示す.すなわち,個体化と類似性の設定に基づくカテゴリー化の能力によって,複数の範域が同一視され,また,無数の時間的・空間的切片の差異が捨象され,地名・場所は成立している.その上に,階層構造としての下位の地名の上位地名によるカテゴリー化,範域内の全事物・事件の地名によるカテゴリー化が加わることで,現実の豊かな地理的知識が構成されているのである.このように能動的・動態的なカテゴリー化として地名を理解することは,認知言語学や認知地図研究との接合によって,大きな発展の可能性を持っていると考えられる.
著者
上西 勝也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.8, pp.660-670, 2008-11-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
24
被引用文献数
2 1

江戸末期に幕府と各国間で締結された修好通商条約には外国人の行動範囲を原則40kmに規制した項目があり「外国人遊歩規程」といわれている. 横浜居留地の場合, 西端の制限地点は酒匂川としていたが明治初期に外交団側からの要請により正確な測量に基づき再設定すべく当時の内務省による実測量が施行された. その結果, 当初規制した範囲が妥当であったことが判明し見直しは不要となった. この実測量の成果と現地に残存する測量標石を発掘調査することにより実測量が当時, 東京からはじまり西へ延伸した三角測量の一段階であるとともに日本の測量技術向上に寄与したことを確認した.
著者
村田 喜代治 金田 昌司
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.193-205, 1960-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
1

新市町村建設促進法により昭和29年4月に発足した富山県黒部市は,積極的な工業誘致政策を推進し,その結果,三日市製錬所,北陸製塩,吉田工業の3工揚の誘致に成功した.ここでは,わが国ファスナー生産高の85~90%を占める吉田工業 (YKK) を研究対象とした. 1) ファスナー生産は本来消費地指向性の産業であるにもかかわらず,黒部市に立地した理由は戦災による東京工場の消失,疎開地魚津における発展に必要な土地獲得の不成功に直面した時,黒部市が希望用地97,200m2を提供した点にある.したがつて,一般に立地論で指摘される輸送費,労働費,集積の基本的立地因子の有利性は発見出来ない. 2) 黒部市立地によつて生じる不利益を克服する手段として,これまでの手工業的技術を廃し,アメリカから輸入したチェーン・マシンを基礎とした,機械化・経営の合理化を遂行した.とくに一貫工程の採用は生産費の低下,対外競争力の強化,大量生産による有効需要の創造を可能ならしめた.結局,この企業のもつextemal diseconomiesをintemal economiesによつて相殺した点に発展の諸力が求められる. 3) 吉田工業が当該地域に与えた直接効果は,生産効果,雇用効果,財政効果に分けられる.
著者
井上 学
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.79, no.8, pp.435-447, 2006-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
26
被引用文献数
3 5 1

本研究は,規制緩和後の乗合バス市場がコンテスタブルな市場として適当であるかどうか,京都市を事例に新規事業者と公営バス事業者との競争を通じて明らかにする.新規事業者の参入に対して,京都市営バスは既存のネットワークを活用する戦略をとった.具体的には,定期券制度の改善によって運賃面における優位性を打ち出した.また,市内中心部に参入しようとしたエムケイの行動に不安を持った京都市や商工会議所は,京都市営バスとエムケイとの協調を促した.エムケイが京都市営バスの路線の一部を受託することで,エムケイは新規参入をとどまった.エムケイのバス車両は京都市営バスが買い取ったためサンク.コストは最小限に抑えられた.この点において京都市のバス市場はコンテスタブルな市場といえる.今後,京都市営バスがさらなるサービスの再編によって最適な運賃が達成されることで,コンテスタビリティ理論に合致した状況になると思われる.

10 0 0 0 OA GIS革命と地理学

著者
碓井 照子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.10, pp.687-702, 2003-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
58
被引用文献数
1

本稿は,GIS革命が地理学にいかなる影響を与えたか,その本質的な問題点を整理するとともに展望する点にある.1990年代初頭に英米においてGISはツールか科学かという論争が行われ地理情報システムから地理情報科学への転換がみられた.この背景には,IT革命とGIS産業の発展がある.本稿では,この1990年代初頭のGISにおける質的な変革をGIS革命ととらえ,GIS革命が地理学にいかなる本質的な問題を提起したのかを(1)国土空間データ基盤と地理学,(2)電子地図の本質的変化と地理学方法論,(3)地理情報の標準化とオブジェクト指向の三つのテーマから明確にした.オブジェクト指向の考え方をベースにした地理情報標準では,地理空間を地物で構成された空間とみなし,UMLでモデル化を行う.この地理空間のモデル化の根底には,I. Kantにさかのぼれる空間の認識論や地誌学にみられる素朴科学としての地理学的方法論が底流として流れている.
著者
高野 誠二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.11, pp.661-687, 2005-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
54
被引用文献数
3 2

本稿では,日本の都市中心部における特徴である,古くからの街道沿いに発達した旧中心商店街と,鉄道開業後に発達した駅周辺地区との商業の競合関係に着目しつつ,各種の都市整備事業を通じた旧中心商店街の活性化をめぐる,都市内の政治権力構造を考察した.八王子市において大きな政治力を発揮してきたのは,歴史の古い旧中心商店街である甲州街道沿いの地区を地盤とする,「旦那衆」と呼ばれる実力者達である.彼らは商工会議所や商店会連合会等の中枢を占めたり,政治家や市の幹部等との豊富な人脈を駆使したりして,旧中心商店街の開発が優先的に行われるように積極的に活動した.また,自地区以外での事業には消極的な態度をとり,旧中心商店街の活性化を重視する政策の形成に大きく寄与してきた,しかし,大型店が駅周辺地区や郊外を志向するようになる中で,旧中心商店街の商業は衰退を続け,そこでの都市開発事業の多くは採算の目途が立たずに実現できなかった.また,旧中心商店街以外の地区や,旦那衆以外の商業者の反対意見により,八王子市における旧中心商店街優先政策は再検討を迫られつつある.
著者
斎藤 久美
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.11, pp.710-723, 2005-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
26

本研究は,韓国の地方中心都市である清州市を対象とし,都市における血縁組織の形成とその変容を,村落から都市への人口移動との関連から明らかにすることを目的とした.韓国の都市における血縁組織の形成は,1960年代以降,首都ソウルに人口が集中するとともに同族集落からの転入者によって,ソウルなどの大都市に形成される動きがみられるようになった.清州市の血縁組織は,清州市への人口集中が著しくなった1970年代以降活発に形成されたという.一方,清州市の血縁組織は,1970年代に忠清北道内の同族集落から清州市に転入した経済的・社会的成功者たちを中心に,同族集落との連絡を補うために形成された.その後,都市の血縁組織は,各同族集落からの転入者を会員に迎え入れ成長したが,その中で,就職の斡旋や住居地の紹介など,転入者の都市定着支援などの役割も補う例もあった.都市の血縁組織は都市居住者が増大するにしたがって,都市住民のニーズに応じ,血縁組織が細分化されるなど,社会状況に応じて変容し続けている.
著者
谷津 栄寿
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.43-46, 1965-01-01 (Released:2008-12-24)
被引用文献数
2

誰かがある問題を指摘すると,それを一体どのようにして解決するのか,どのように取りくむべきかなど質問し,自分みずから考えようとしない大学院め学生達があることには驚愕した.ロックコントロールの問題が,等閑にされていないだろうかと発言したため,筆者は返答に多くの時間をさかねばならなかった.思想はみずから育てあげるべきである.本稿では世界的にあまりにも有名な人々に対して反論を試み,彼等の研究方法において到達できるであろう限界を示し,ロックコントロール理論の一つの研究方法を述べた.要は,地形をつくっている地表物質の物性の理解の仕方なのである.多くの読者からの,非難と批判とを覚悟して,筆者の意見をのべることにした.
著者
井戸 庄三
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.5, pp.285-299, 1976-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
35

明治22年 (1889) の町村合併で誕生した新町村の名称について,茨城・埼玉など15府県の4,041町村を対象に検討を加えた.新町村名を, A (歴史的広域名称), B (中心地名称), C (合成名称), D (並列名称), E (自然名称), F (社寺名称), G (歴史遺跡名称), H (地形名称), I (狭域名称), J (人為名称)などに類型区分すると, Aが1,277町村で全体の31.6%を占めて第1位であり, Bが1,089町村でこれにっいでいる.以下, J・C・Eの順となり,これら5類型で3,567町村を数え,全体の88.3%に達する.これを府県別にこまかくみると,かなり多彩な特色が認められる.滋賀県は郷・庄名の継承を優先したためAの比率がきわめて高く,福岡県もAおよびBに重点をおいたので,この両県では歴史と伝統に恵まれた新町村名が選定された.これに対して, Cが高率である広島県とJが異常に多い千葉県は,新町村名の選定に関するかぎり,問題の多いケースといえる.
著者
内藤 正典
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.134-163, 1987
被引用文献数
1

クフレイン村は,ダマスカスの近郊に広がるオアシスの東端,シリア沙漠との境に位置する人口約1,600人の農村である.年間降水量100mmのこの村では,灌漑による夏季の疏菜と降雨による冬季の小麦栽培がおこなわれてきた.しかし1960年代以降,灌漑用水の不足と農地改革による経営規模の縮小とによって農家経営は行き詰まり,耕作放棄が進んでいる.この傾向は,オアシスの東半分を占めるステップ地帯の諸村に共通にみられる.数千年にわたって,都市民に食糧を供給してきた灌漑農業の歴史は,独立後の40年というわずかな問に崩壊の危機を迎えた.危機を招来した直接の原因は,首都への人口集中に伴う周辺農村の急速な都市化と,経済効果の伴わない農地改革の2点にある.そしてこれらの問題は,国家統合のために不可欠の政策が実現される過程で顕在化した.オスマン帝国時代から都市権力の中枢にあった名望家地主層の追放,およびマイノリティー・グループによるセクタリアニズムの解消という2つの政策がそれである.本稿は,2つの国家統合政策が,その実現過程で,近郊農村をどのように空間的に編成し,結果として農村の崩壊をもたらしたのかを分析した.第1の政策は,エジプトとの連合が成立した1958年に農地改革を実施し,名望家地主を追放することよって実現した.しかし農地改革は,都市権力の交代の副産物にすぎなかった.その後1963年のバアス革命をへて,1970年まで続く政権抗争では,-社会主義を標榜するバアス党内の権力抗争であったにもかかわらず-農民が革命の主体となることはなかった.1970年に成立した地方山村出身のアラウィー派政権も,農民組合員に対する特権の供与を通じて,上からの組織化を進めているが,農村全体の基盤整備には消極的である.第2のセクタリアニズムの解消は,アラウィー派政権の樹立によって一層困難となった.国家権力の中枢が位置する首都で,多数を占めるスンニー派住民に対抗するために,少数民族・宗派集団のオアシス農村への定住は黙認されている.このため,水需要の増大から灌漑用水は極度に不足し,既存の灌漑設備はオアシス内への集落の展開によって破壊された.農地改革によって村落の社会・経済構造が一変し,しかも灌漑農業の限界地に位置するクフレイン村では,権力による空間編成の過程で発生したさまざまな矛盾が,最も明示的なかたちで農村自体の存立を脅かすことになったのである.