著者
新井 皓士
出版者
一橋大学
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.125, no.3, pp.205-223, 2001-03-01
被引用文献数
2

論文タイプ||論説
著者
宮地 尚子 後藤 弘子 青山 薫 ケン クリアウォーター ガルヴァス イシャ 紀平 省悟 菊池 美名子 栗林 美知子 松村 美穂 嶺 輝子 宮下 美穂 中島 啓之 仁科 由紀 坂上 香 田辺 肇 田中 麻子 ヴァーナー チャン リル ウィルス 吉岡 礼美
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

トラウマとジェンダーの相互作用を、(1)精神病理的側面から、(2)犯罪行為や逸脱現象の側面から、(3)文化創造的な側面から探り、明らかにした。(1)では海外研究協力者との共同研究や、臨床家、脳科学やジェンダー学等の専門家らによる共同研究会議を実施、トラウマの臨床的課題について検討した。(2)では刑事司法におけるストーカーや性犯罪事件の取り扱い、女性薬物依存症者のトラウマと社会復帰、性労働従事者への暴力について分析した。(3)では参加型アートプロジェクトの実施、参与観察を行い、トラウマからの創造性について考察した。(1)~(3)を統合し、成果を著作やウェブサイト等の形にまとめ、国内外で発表した。
著者
菊池 浩幸
出版者
一橋大学
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.123, no.6, pp.932-949, 2000-06-01

論文タイプ||論説
著者
三浦 玲一 川端 有子 戸田山 みどり 渡辺 美樹
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

戸田山の日本における『ちびくろサンボ』の受容史研究から、児童文学の評価においては、「優れた」作品であることが、(児童文学として)「教えるに値する」という価値観/イデオロギーと密接に繋がっていることが示された。渡辺の考察は、このことと関連して、児童文学においては、先行する作品から断絶することで成立する独創性(オリジナリティ)の重視が比較的希薄なこと、同時に、ある種の作品においては、児童文学のコンヴェンション/規範に積極的に依拠しようとする姿勢が見られ、それが評価されていることを調査した。非政治的な「美学的価値」や作者の「オリジナリティ」の虚構性は、いわゆる文学研究においても(多くの論争を巻き起こしながら)既に指摘されている点である。本研究は、そのような性質が、より明示的、あからさまに承認されている場としての「児童文学」を対象とした。個々の作品がその固有性としてもつ、オリジナルな美学的価値とは、20世紀初頭のいわゆるハイ・モダニズムの時代に、芸術としての文学という体制が確立すると共に、自明視されることになる。エレイン・ショウォールターの著作に代表されるような、歴史的なジェンダー研究は、このハイ・モダニズム体制の成立を、文学が(性的な含意を伴った)「表現」として認知される過程と同時進行し、それゆえ、このような美学の成立は、世紀転換期のジェンダー配置の転換と、密接に結び付いていることを示唆している。三浦および川端の研究は、クィア理論以降の拡張されたセクシュアリティの理解から見るとき、児童文学のテクストとみなされるものも亦、セクシュアリティ、ジェンダーの力学から構成されており、そこでは、「児童文学」であることからむしろ積極的に、伝統、規範に依拠しようとしつつ、そのことでむしろ逆説的に、転覆的なジェンダーを描くこととなった諸作品のありようを考察した。
著者
中嶋 泉
出版者
一橋大学
雑誌
言語社会
巻号頁・発行日
vol.5, pp.285-303, 2011-03-31
著者
高木 駿
出版者
一橋大学
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2019-08-30

近代まで美の欠如と見なされてきた「醜」は、現代に入り美しくない芸術作品の登場とともに、作品を構成する一つの要素として積極的意義を担わされるようになった。現代美学は、醜に崇高さを惹起する効果があることを解明したが、これにより、すべての種類の醜さが明らかにされたわけでも、ましてや醜の体系的理解が得られたわけでもない。そこで、本研究は、「醜の美学」の体系化に向け、第一に、醜さを類型化し、第二に、別種の醜さの体系性を明らかにする。そのために、18世紀ドイツの哲学者I・カントの美学を用いる。というのも、カント美学では、不快の感情に基づいて、種々の醜さを分類し、それらの体系性を考察できるからである。
著者
増田 四郎
出版者
一橋大学
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.369-395, 1952-10-01

論文タイプ||論説
著者
佐藤 文香 千田 有紀
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

本研究は錯綜するフェミニズムの現状を整理し、「第二波フェミニズム」の思想的意義と達成、そして限界を考察しようとするものである。「第二波フェミニズム」を、改めて日本の歴史的文脈のなかに位置付けて理解し、その成果と課題を理論的・実証的に明らかにしたうえで、フェミニズムの新たな歴史叙述を模索していく。世代間の差異を強調した単線的な進歩史観を問い直し、日本のフェミニズムの評価を再検討することを目指す。
著者
嶋崎 隆
出版者
一橋大学
雑誌
一橋社会科学 (ISSN:18814956)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-49, 2008-12

従来において、英米系とされるいわゆる分析哲学と大陸系のヘーゲル哲学とは、水と油のような相容れない関係にあった。ところが最近、この対立がアメリカのヘーゲル研究を中心に急速に溶解してきた。その震源地はローティ、ブランダム、マクダウェル、ピンカードらであるが、この新傾向はドイツにおいても注目を浴びてきている。本稿はこの傾向に注目し、もっとも本格的に展開したヴェルシュのまとめを紹介・検討しつつ、この新ヘーゲル主義の特徴と問題点を、おもに『精神現象学』を素材に考察する。この傾向は、いわゆる言語論的転回とプラグマティズム的転回の両傾向を含むが、ヴェルシュはおもに前者を扱っている。そのさい彼は、論理実証主義や分析哲学がヘーゲル主義化していくさいの論点として、1直接的な感覚与件や原子論への依拠にたいする批判、2要素主義から全体論への転換、3意識と対象の密接な一致、という三点を取り出す。本稿はとくに、1ではセラーズの所与性への批判、2では、クワインと後期ウィトゲンシュタインの批判、3では、最近の新ヘーゲル主義者の批判を、それぞれ取り上げる。このさいとくに、「いま」「ここ」「このもの」「私」というテーマをもつ直接的な感覚的確信が実は多様に媒介されているという、ヘーゲル『精神現象学』における議論に焦点が当てられる。ここで言語論的転回への評価が不可欠になるが、ヘーゲルの客観的観念論ないしその実在論を高く評価し、「言語論的観念論」を批判するヴェルシュの総括の妥当性について論評する。ところでヴェルシュが忌避したプラグマティズム的転回について、本稿ではさらにローティやピンカードについて検討し、真理論や認識論の議論を踏まえながら、そこで「認識論か社会実践か」という二者択一の硬直した傾向が見られることを批判する。以上のように、アメリカの新ヘーゲル主義の傾向の紹介・検討を、できるだけ幅広く試みる。
著者
野崎 歓
出版者
一橋大学
雑誌
言語文化 (ISSN:04352947)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.23-42, 1995-12-25

論文タイプ||論説
著者
阿久津 聡 内田 由紀子 中田 光紀 永田 智久 宮本 百合 Lee Jinju 山本 翔平
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2021-04-05

研究者らはこれまでの研究で、遺伝子発現の技術を使い、会社に対する評価や職場での協調、自己効力感といった要因が高いと炎症マーカーの抑制や細胞性免疫の増強につながることを突き止めた。本研究では、働く人々の健康に影響を及ぼす、①国の文化、②企業、③従業員という3つの要因間の関係性を理論化した「三層モデル」を構築し、産業医学・神経科学・心理学の方法論を援用してモデル検証する。さらにモデルを基に介入調査を立案・実施し、その効果検証まで行い、効果的な健康経営施策への含意をまとめる。
著者
後藤 昭
出版者
一橋大学
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.117, no.4, pp.573-591, 1997-04-01

論文タイプ||論説
著者
嶋崎 隆
出版者
一橋大学
雑誌
一橋社会科学 (ISSN:18814956)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-48, 2008-06

本論は、哲学の立場から、私が「エコフィロソフィー」と名づける分野に関して、そこにそもそも原理的に、どういう基本課題なり問題領域が設定される必要があるのかをできるかぎり総合的に検討するものである。すでにこの新しい哲学分野では、日本内外でかなりの蓄積が見られるといえよう。たしかに、エコロジーの各流派を扱ったものとか、環境倫理に焦点を当てた研究は豊富に存在する。だがそれでも、そもそも全体としてエコフィロソフィーがいかなる諸課題を担う必要があるのかについて、幅広く検討されたことはあまりなかったと考えられる。各研究者・各運動家は、自分の興味・関心から問題を提起するわけであるが、それがエコフィロソフィーのどの分野に該当するのか、などを自覚して展開することは意外と少ないと思われる。本論はまず前段として、地球規模の環境問題への対応の困難さについて予備的考察をおこなう。さらに具体的に地球温暖化問題を中心に、自然環境の問題が地球規模で広がってきていることを紹介・検討する。すでにこのなかで、私のエコフィロソフィーのスタンスがある程度明らかになるだろう。以上が前半部分であるが、こうした状況認識を踏まえて、エコフィロソフィーの四つの分野の究明をその基本課題と定めて、そこでどういう問題が、従来の哲学と比べて新しく登場してきたのかを紹介・検討したい。エコフィロソフィーの分野として、第一に自然哲学と狭義のエコロジー、自然科学の分野が考えられ、第二に環境倫理における多様な議論が考察される。さらに第三に、経済現象を中心に、環境問題を社会批判・社会認識との関連で考察する。そして第四に、エコロジカルなライフスタイルの形成の問題を、生活文化を背景に展開したい。以上四つの分野で、エコフィロソフィーの課題は尽くされているように考えられる。