著者
丸山 雅和 長島 美幸 白瀬 昌宏 古屋 香 松田 訓弘 成田 孝行
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.107, 2006

今回、過去5年間におけるシリンジポンプ保守管理データについて、機器不具合事例をFMEA分析によって定量評価し、現シリンジポンプ中央管理体制に関して考察したので報告する。<br><b><方法></b> 保守管理データより発見し得たシリンジポンプ不具合の各事例に対し、当院独自に定義したFMEAワークシート及び評価点表を作成し、機器不具合の影響度、致命度、RPN(危険優先指数)を算出し、定量評価及び特性要因図を作成、現シリンジポンプ中央管理、保守管理体制における改善箇所の抽出とシリンジポンプの安全管理に向けた対策を考察した。<br><b><結果></b> 過去5年間の保守管理データより、RPN平均4.93、(最高値:16.8、最小値:0.308)、致命度平均975.5/6000(最高値:2160、最小値:96)影響度平均29.3/60(最高値:38、最小値:7)を得た。<br><b><考察・まとめ></b> 致命度、影響度、RPN(危険優先指数)を算出することにより明確な対策作成順序及び中央管理体制、保守管理法に関する対策を明瞭化することができた。当院における現シリンジポンプ中央管理体制は基本的に予防保守を行っておらず、発生不具合の致命度、影響度について診療を観点に入れて評価すると、評価内において下位にあったものでも診療においては無視できるものではないと思われた。<br> 今回のFMEA結果より中央管理・保守管理体制におけるシリンジポンプ予防保守の必要性または中央管理方法の改善は示唆されたものの、経済的要因やマンパワー等を考慮すると完全な予防保守は不可能であるのが現状である。今回の結果を更にいろいろな観点から分析し、より信頼性の高い体制を確立していくこと、及び保守管理データの評価を行いデータベースとして活用できるシステムの構築が望まれる。
著者
納 光弘
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.3, 2008

椎貝学会長から『この学会に全国から参集する医師・看護師の皆さん方に、あなたがこれまで実践してきた「医学する姿勢」、「未知の病気」にせまる姿勢、「医師・看護師」にとって基本となる姿勢について話してほしい』との依頼を受け、身に余る光栄と感動してお引き受けした。 タイトルは、夢を追い続けてきたこれまでの私の歩みを語る中から何かをお伝えできればと考え、『夢追って生きる』とさせていただいた。<BR> 私は、昨年3月、鹿児島大学を定年退職し、現在66歳になるので、24歳で医学部を卒業して以来、今日までの42年間の私の夢追いの歩みを語りたい。私が医学部を卒業した1966年当時は、学園紛争の火が全国で燃え広がっていた時期にあたり、私達同期生は、医療は如何にあるべきかという問題に、好むと好まざるに関わらず真剣に向き合いながら、毎日を過ごしたのであった。やがて、学園には百人を超える機動隊が常駐し、紛争は鎮圧されたが、あの時、『いい医療を提供する、いい医師になろう』と心に誓ったその思いは、その後の私の人生を導く灯明となってくれたように思う。3年間在籍した内科の医局を辞し、ECFMG(米国臨床研修資格試験)を取得し、米国でのレジデント研修先をさがした。その過程で、縁あって、聖路加国際病院のシニアレジデントの立場で研修する機会を得た。ここで、内科の日野原重明先生にお会いし、先生の医療に対する姿勢に心をうたれ、以後、日野原先生のような医療人になりたい、というのが私の人生の目標となった。先生の推薦のお陰で米国のアルバート・アインシュタイン メディカルセンターへの留学も決定し、星雲の志に燃えたのであったが、運命はそれを許してくれなかった。鹿児島の郷里で開業していた父親が脳卒中で倒れ、私は、留学を断念して、郷里に帰ることとなった。やがて、父親も診療を再開できるまでに回復し、私は再び自分の研修先を探さねばならなくなった。丁度、この時、鹿児島大学に新しい講座・第3内科が新設され、初代教授として井形昭弘先生が赴任して来られた。そして、縁あって、井形先生にお会いし、先生の医療に対する姿勢に感銘をうけ、弟子入りをお願いした。私の医療人としてのこれまでの人生を振り返って考えると、日野原重明先生ならびに井形昭弘先生との出会いにより、それぞれの生き様に感動し、それを目標に生きてきたように思う。このたびの講演では、私がお二人の何に感動し、何を学び、そして私の人生にそれをどの様に生かしてきたかについて具体的にお話しする。それに加えて、もう一つ、ぜひお話したいことがあり、私自身が病気で倒れた体験の中から、とても大切なことを学んだので、このことについても話したい。6年前、2002年8月末、私が鹿児島大学病院の病院長の時、過労で倒れ、入院を余儀なくされたのであった。病院長も辞し、将来の展望も見えないままでの入院生活を過ごす中で、これまでの人生を振り返り、自分を見つめなおし、4ヵ月後に退院してから後は、全くあたらしい生き方を模索しながら今日を迎えるに至っている。何を考え、どの様な生き方をしてきたかについても、この講演でぜひとも語りたいと考えている。これらの詳細は私のHP(納 光弘のキーワードで検索していただくと出てきます)にも掲載してあるのでご覧いただければと思う。
著者
冨永 千珠 木下 美奈 山本 順子 竹之内 美樹 福山 國太郎
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.164, 2010

(背景)<BR>当病棟は日常生活自立度(寝たきり判定基準)でB・Cランクの褥瘡発生ハイリスク患者が多い。褥瘡発生率が低下した要因を分析し、得られた今後の課題について報告する。<BR>(対象)<BR>2007年1月~2009年12月に褥瘡発生した当病棟患者<BR>(方法)<BR>褥瘡発生原因(部位、自立度、バスタオル・横シーツの使用状況、ベッドアップ角度)の分析と対策を行い褥瘡発生数の変化を記録した。<BR>(結果)<BR>2007年に発生した褥瘡は仙骨9件、踵7件、その他10件。2008年は仙骨12件、踵2件、尾骨4件、その他11件。2009年は仙骨2件、その他5件。当初はバスタオルを使用した体位変換や横シーツ使用が見られ、体圧分散寝具の不適切な使用や、不充分な体位変換により仙骨・尾骨部に湿潤・摩擦・ずれが生じた例や、踵の除圧不足も見られた。また、経管栄養施行中の過度なベッドアップ、背抜きや除圧不足、脆弱な皮膚のケア不足も見られた。その他に酸素カヌラによる耳介圧迫、弾性ストッキングによる膝窩圧迫、手指・足趾の拘縮による圧迫も見られた。<BR> 踵部除圧チェックや横シーツの使用中止、バスタオルなしの体位変換実技指導を導入し、経管栄養施行中のベッドアップ適正化、スタッフへの予防策の継続指導・教育を行った。<BR> 酸素カヌラ固定の工夫や弾性ストッキングのしわ伸ばし、手袋や5本指靴下の着用を徹底した。2009年には踵部除圧が徹底され、バスタオルなしの体位変換の円滑な実施が実現された。<BR>(考察)<BR>スタッフへの実技指導や継続教育により褥瘡予防への意識が向上し褥瘡発生が減少したと考える。今後はベッドアップ時の背抜きや除圧、撥水・保湿クリーム塗布徹底で更に減少すると考える。<BR>(まとめ)<BR>スタッフ全員が褥瘡予防の重要性を認識し実施することが褥瘡発生減少につながるため、定期的勉強会や継続指導・教育を行うことが今後の課題である。
著者
李 啓充
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.3, 2011

米国医療の「光」は,自己決定権を中心とする患者の権利が州法等で手厚く保証されていることであり,「影」は市場原理に基づいて医療が運営されていることといってよいだろう。しかし,患者の権利が手厚く保証されているとはいっても,日本で「生存権」が憲法で保障されているのとは対照的に,米国では国民が医療にアクセスする権利は救急医療以外では保証されていない。医療へのアクセスは,「権利」ではなく,「特権(お金を払った人だけが受けられるサービス)」となっている現実があるのである。<BR> たとえば医療保険についても,米国では,国民が民間保険を「自己責任」で購入するのが原則である。制度上,高齢者・低所得者等の弱者に対する公的医療保険が用意されているものの,歳が若く(65歳未満),そこそこの収入はあっても民間保険の保険料を払うほどの経済的余裕がない場合は,「無保険者」とならざるを得ない。その結果,米国では,国民の6人に1人が無保険の境遇に喘ぎ,医療へのアクセスが著しく制限されるという,苛酷な状況が現出している。近年,日本でも「米国式に,医療保険の『公』の部分を減らして『民』を増やせ」とする主張が声高に叫ばれているが,国民が医療にアクセスする権利を損なう危険があるので注意しなければならない。特に,「混合診療解禁」論者は,「高度の治療・最新の治療は高くつくので,保険財政では賄いきれない。保険外の診療として,お金を払った人だけが受けられるようにする」と主張しているが,これは医療へのアクセスを「特権化」する主張に他ならない。<BR> さらに,米国では,保険に加入しているからといって医療へのアクセスが保証されるわけではない。たとえば,保険会社が医療内容の決定に介入する権限を有しているため,患者と医師がインフォームド・コンセントのルールに基づいて共同で決めた治療方針が,保険会社によって「否定」されることも珍しくない。米国のとりわけ高額な医療費を自弁できる患者は稀であり,保険会社が保険給付を拒否した途端に,患者の自己決定権が「絵に描いた餅」と化してしまう現象が起こっているのである。最近,日本でも,財界・保険団体を中心に「保険者機能の強化」を主張する動きが目立っているが,「医師と患者の間に立って通訳の役を務める」という言い方で「治療内容に介入する権限」を獲得することをめざしているので警戒を怠ってはならない。<BR> ところで,日本で医療費抑制路線が強化されるようになったのは,1980年代にレーガノミックス,サッチャーリズムを後追いする形で「小さな政府」路線がとられるようになったことがきっかけだったが,「小さな政府」で運営されている国で,貧富の格差が拡大することは周知の事実である。日本も例外ではなく,現在,OECD 加盟国中第3位の「貧困大国」となっている。社会経済的格差が健康被害をもたらす現象は公衆衛生学の領域では「status syndrome(格差症候群)」として知られているが,今後,日本においても,格差に起因する健康の不平等が深刻化することが懸念される。
著者
柳沢 正 砥石 佳子 中島 文香 三島 済 中島 浩美
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.198, 2005

はじめに<BR>今回当院手術室において17年間使用しているスリッパ洗浄機が故障を繰り返し、買い換えるか買い換えないか、という問題を機会にスリッパ管理の見直しをした。CDCガイドラインにおいては手術室の床が手術部位感染(SSI)の原因とはならないとされていることから、スリッパ洗浄を中止し、院内一足制を導入することにした。導入にあたり医師、スタッフの感染に対する意識の改革とスリッパ洗浄にかかるコストの削減ができたので報告する。<BR>結果、考察<BR>2004年4月に調査した結果、手術室に出入りした人数は約1900人、洗浄スリッパ数2694足であった。1か月の洗浄回数は83回。スリッパの履き替えに関しては規則が無く、1人で1日に何回も履き替えていたことがわかった。出入り口には脱ぎっぱなしのスリッパが散乱し、通行の妨げになっていた。また助手業務にスリッパ洗浄に費やす時間が多い事がわかり業務の見直しを行なった。<BR>手術室スタッフ、医師にスリッパ履き替えについてアンケート調査を行なった結果は1足制導入に関して感染、物品の汚染が考えられるという回答が多くあまりいい返事が聞かれなかった。手術室の床は手術部位感染の原因にはならないこと、床はもともと汚く床に座る、床置き物品、清掃など間違った認識の改革から始めることにした。<BR>院内感染対策委員会のアドバイスを受け、CDCガイドラインに基づいた手術部位感染防止について、手術室スタッフに学習会を行ない、床置き物品の整備、清掃手順を明文化し統一化を図った。医師に関しては部長医長会議で反発の意見が多い中、手術部部長より今なぜ履物交換規則の廃止なのかについて説明し説得した。また院内メールを利用して、職員に1足制導入についての情報提供することで、入室に関しての統一化ができた。またさまざまな意見や要望をいただき、参考にすることができた。<BR>院内1足制導入に伴い、個人別下駄箱を設けることにより履物を自己管理とし、導入後1か月で3割が院内1足制、7割が手術室1足制に移行することができた。この事で出入り口周辺のスリッパの散乱が無くなりスムーズな通行ができるようになった。<BR>スリッパ洗浄が無くなり、洗浄機の買い替えが無くなった事、スリッパ代、修理代、スリッパ洗浄にかかっていた、水道代、電気代、洗剤代、人件費のコスト削減につながった。院内一足制導入に伴い自己を守る、感染防止などでシューズカバーの使用が増えたことに関しては、感染に対する意識が高まったと考えられる。そして床に座ること、床置きの物品が無くなり、清掃手順も遵守されていることは、床に対して不潔であるという認識が強くなったと考えられる。
著者
野村 恵美 鎌田 恭子 久保 知子 福岡 達仁 碓井 裕史
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.53-60, 2007 (Released:2007-09-28)
参考文献数
11

肥満の成立には食物の摂取量,食習慣や運動量の他に遺伝素因も関与することがわかってきた。β3アドレナリン受容体遺伝子には安静時代謝量が低下する多型があり,日本人の約30%が該当する。減量指導にこの遺伝子の多型を調べ応用した。対象は職域健診でBMI (体格指数) 24以上の男女で,遺伝子検査を承諾し,生活習慣病の治療を受けていない45人 (男性39人,女性6人) とした。遺伝子多型は静脈血白血球から抽出したDNAを用いて,PCR法および制限酵素切断法により解析した。β3アドレナリン受容体の遺伝子型は変異なし群33人,変異あり群12人であった。保健師が各人の生活習慣や食行動を調査し,職域を巡回して,遺伝子検査結果の説明および減量のための個別指導をおこなった。指導開始から3か月後にBMIの低下した人は変異なし群75%,変異あり群92%で,いずれの群も指導前に比べBMIは有意に低下した。指導8か月後では変異なし群で57%,変異あり群では67%の人にBMIの低下が見られた。ただし,どの時点においても遺伝子の変異あり,なし両群間におけるBMIの変化に有意差を認めなかった。また,変異なし群は49%,変異あり群は75%に行動変容が認められ,約80%の人が「自分の身体に興味が持てた」や「ダイエットのきっかけになった」など遺伝子検査を受けて良かったと答えた。遺伝子解析結果を応用することで個別性のある減量指導をおこなうことができた。
著者
林 勝知 上田 宣夫 森 茂 三鴨 肇 山田 敦子 島田 武
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.274, 2006

<B><緒言></B>中濃厚生病院救命救急センターは、2000年8月から約6年、岐阜県の狭義の中濃地域(関市、美濃市)で、救急診療を行っている。今回、当センターとして、岐阜県中濃地域の救急医療体制の検証を行ったので報告する。<BR><B><検証結果></B><BR> 1.当センターの現状:年間の総救急患者数は約2万人で、重症度別にみると、一次が約90%と多い。救急車搬送による救急患者は、開設後約2年間は、一次が60から70%と多かったが、その後の約4年は一次が約50%となり、それに伴い急性心筋梗塞及び脳卒中等の重症救急患者の中濃医療圏の他の病院からの紹介、転送も増えてきている。ときどき生じる問題は、(1)約1時間に、三つの消防組合からあわせて4から5例の救急車搬送の要請があることにより初療室が混雑したこと、(2)中濃消防組合から約1時間で心肺機能停止状態(CPA)2例、重症外傷1例症・中等症外傷3例のホットラインが4回あり、大混雑の中で、診療を行なったこと、(3)夜間の中濃消防組合からの救急車搬送が、他の三つの二次病院ではなく、ほとんどが当センターであったこと等である。中濃地域の救急の協議会等で病診連携や二次病院の救急診療の役割分担を要望しているものの、未だ改善されてはいない。今後とも、行政の協力も求めながら、システムの改善を目指している。また、夜間、休日に直接来院する軽症患者が多いため、救命救急センターの利用法についてという掲示を出して、軽症例については、開業医の受診を奨めている。平日夜間については、少し受診患者が減少した。しかしながら、休日の午前中は多くの小児患者が来院している。このことについても今後改善されるよう模索している。<BR> 2.メディカルコントロール:オフラインメディカルコントロールとして、(1)中濃消防組合の救命救急士に対する包括的指示下の除細動のトレーニングは、プレコース、本コースあわせて8時間行った。(2)中濃消防組合の救命救急士でない一般の救急隊員約120名には一次救急処置(BLS)、自動体外式除細動(AED)のトレーニングを1)に準じ計8時間のトレーニングを行った。(3)気管内挿管の研修を2005年2名の救命救急士、2006年3名の救急救命士に行った。いずれも消防組合からの評価は高かった。
著者
椎貝 達夫 桑名 仁 神田 英一郎 前田 益孝
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日農医学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.114, 2005

<B>目的</B>:進行性腎不全(PRF)の治療は世界の腎不全対策を考えるとき、きわめて重要である。前医での腎不全進行速度がわかっているPRF60例について治療成績をまとめた。<BR><B>方法</B>:対象は前医での進行速度がScrの経時的変化からわかっている60例のPRFで、男42人、女18人、年齢58.2±14.7歳、原疾患は多発性のう胞腎以外の非糖尿病性腎症(NDN)57例、糖尿病性腎症3例である。<BR> 当院診療開始時のScr3.60±1.80mg/dl、Ccr26.3±16.0ml/minで、前医と当院での進行速度をScr<SUP>-1</SUP>・時間(月)勾配で求め比較した。当院の診療は24時間蓄尿による食事内容モニタリング、各種データの腎臓病手帳への記入・説明、家庭血圧測定によりプログラム化されている。<BR><B>結果</B>:図は60例のPRFの当院受診前と受診後の速度のちがいを示している。一番左は前に較べて進行速度が80%以上遅くなったグループで、31人(51.7%)がこのグループに属した。中央は進行速度の減少が前に較べて79%未満に止まったグループで、21人(35%)だった。一番右は当院受診後進行速度が前よりかえって速くなったグループで8人(13.3%)だった。<BR> 全体として、前医での治療が続けられていた場合、透析導入まで平均78.2か月を要するが、当院での治療で187.0か月となり、腎臓の寿命が2.4倍延長される。<BR><B>結論</B>:60例のPRFを対象とした交差法による検討で、従来の治療に比べ、腎臓寿命が全体として2.4倍延長された。今後当院が行っている治療法の全国への普及が必要である。
著者
理嵜 弥生 深津 葉子 宮本 三千代 須賀 良子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日農医学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.351, 2006

<B><はじめに></B>四肢切断術を受けた患者は危機的状況におかれ、障害を受容しそれを乗り越えるためのサポートが必要となってくる。今回、仕事中の事故で右上肢不全切断した患者の精神的変化に対するサポートについて振り返った。フィンクの危機モデル&sup1;⁾を活用することで、段階にあった看護介入や援助が行えたか分析し、結果、所見を得たので報告する。<BR><B><方法></B><BR>(1)対象及び経過:49歳女性、仕事中の事故で右上肢不全切断となり再接着術を行ったが、1ヵ月後急激に循環不良となり緊急で切断術を行った1事例<BR>(2)方法:患者との関わりを看護記録、スタッフからの情報、患者ケアカンファレンス用紙をもとに振り返り、フィンクの危機モデルを用いて分析した。<BR>(3)研究期間:受傷から退院まで<BR>(4)倫理的配慮:研究の取り組みと意義、プライバシーの保護について、患者に口頭で説明し同意を得た。<BR><B><結果及び考察></B>フィンクは危機のたどるプロセスをモデル化し、それを衝撃・防御的退行・承認・適応の4段階であらわしている。患者は受傷後上肢再接着術が行われ、比較的順調に経過していたが、術後3週目頃から発熱、疼痛増強、皮膚色不良となり、壊死組織による圧迫を疑い洗浄・デブリートメント術を行った。しかし、循環の改善はみられず高熱が続き、敗血症の危険性があると判断され翌日上肢切断術を行った。患者は受容できないまま切断となり、ただ一点を見つめ涙していた。この時衝撃の段階であったといえる。手術室入室までの間付き添い、訴えに耳を傾けるようにした。術後は会話の中で切断したことにはあまりふれず、時間が経つにつれ「昔に戻りたい」「治ると思っていたのに」と悲観的な言動が多く聞かれるようになった。また、人と対面することも避け塞ぎがちであった。この時防御的退行の段階であったといえる。訪室した際には患者が不安や悲しみの感情を表出できるよう傾聴し、精神的安定が保てるようサポートした。また、一番身近な存在である夫が付き添っており、患者の支えとなっていた。日が経つにつれ「手術してよかったんだよね」という言葉がきかれ、障害に向き合えるようになっていった。上肢を失ったショックは変わらずにあったが、その現実を受け止めていこうとしているようであった。この時は承認の段階であったと考えられる。この頃、退院の話もでて試験外泊を行った。「片腕がないのがこんなに不便だと思わなかった。これからどうしたらいいんだろう。」と不安もあったようだが、「洗濯物はたためたの。出来ることはやらなくちゃね。」と上肢切断という障害を受け止め、今後の生活について考えられるようになっていた。患者が一番不安に感じていることは何か、問題点は何かを見極め、解決に向けて働きかけていけるようにアドバイスするよう心掛けた。患者の多くは不安や問題を抱えたまま退院となってしまい、入院中に適応の段階まで迎えることが少ない。今回の患者は、外来にて義肢を作成することとなり、退院後は、外来にてフォローするかたちとなった。<BR><B><まとめ></B>危機的状況にある患者の精神的変化を把握するのに、危機モデルを活用することで、段階にあったアプローチを行うことができたと考えられる。<BR><B><引用文献</B>><BR>&sup1;⁾小島操子;看護における危機理論・危機介入-フィンク/コーン/アグィレラ/ムースの危機モデルから学ぶ、2004.6、金芳堂
著者
酒井 義法 船越 尚哉 家坂 義人 藤原 秀臣 猪瀬 留美子 江幡 恵子 荒川 克己
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.60, pp.456, 2011

東日本大震災により当院の所在する土浦市も震度6弱の揺れを経験した。直後に発生した停電により長時間のシステム停止を余儀なくされた。その状況を報告する。<br>1.震災による被害状況:1)サーバー類の状況:地震の直接的被害は免れた。メインサーバーは専用自家発電装置に接続されており停止せず。部門サーバーのうち非常電源に接続されたものは退避指示に従いシャットダウン。通常電源に接続されたサーバーはUPS(無停電装置)が作動し計画的にシャットダウンした。2)周辺機器の被害状況:デスクトップPC4台、ノートPC5台。PC用モニター4台。プリンター6台。PDA3台。放射線用高精細モニター4台。47型大型モニター1台。ネットワーク機器 4台(アクセスポイント2カ所、ハブ2カ所 )が破損。<br>当院には東京電力から二系統で送電されており長時間の停電は回避されると想定されていたが、未曾有の震災により約8時間の停電を経験した。メインサーバーは被害がなく、部門サーバー群も計画的にシャットダウンされ、電源供給再開後速やかに復旧した。しかし、周辺機器は転倒、転落で破損が発生し、また多くの周辺機器は通常電源に接続されており停電中は使用不能であった。破損した機器については予備の機器に直ちに交換した。また自家発電用の燃料の備蓄が枯渇寸前であったが、震災直後の交通網の混乱により供給は困難な状況であった。<br>2.地震対策:1)周辺機器設置場所の変更、周辺機器に転倒防止を施す2)サーバー類に関してはUPS、自家発電装置の定期点検を強化し停電に備える。3)予備の機器の確保。3.今後検討すべき課題:1)サーバー類のバックアップデータ保存方法の再検討。2)各種オーダーを一枚にまとめた非常用伝票の作成。3)非常電源に接続されたPCを各病棟や部署に1台確保し、停電時の情報伝達ツールとして活用する。4)自家発電用の燃料の確保。
著者
齋藤 博子 神保 隆行 須貝 勝 高橋 香保里 大橋 恭彦 山田 彰 井上 元保
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.354, 2006

<B><はじめに></B>近年、反復性膝蓋骨脱臼の要因として内側膝蓋大腿靭帯(以下MPFL)の重要性が指摘され、人工靭帯あるいは自家腱を用いた再建術が行なわれている。今回、自家腱を用いたMPFL再建術後の症例について、当院で実施している理学療法プログラムを中心に紹介する。<BR><B><症例紹介></B>17歳女性。高校では卓球部に所属。14歳で卓球の試合中に初回左膝蓋骨脱臼をきたし、その後3年間で計3回の脱臼歴あり。最終脱臼後に当院整形外科受診。術前理学療法を1ヶ月間(2回/週)行った後、左膝MPFL再建術を施行した。<BR><B><術前評価></B>関節可動域(以下ROM)制限なし。膝蓋骨異常可動性およびapprehension testは高度陽性で、kujala score56点。extension lag15°、BIODEX SYSTEM3を用いた筋力測定は60°/sec・180°/sec・300°/secの3スピードにて測定したがほとんど筋出力は得られず、それぞれ健側に対しての欠損率は膝伸展で97%、屈曲では99%であった。左大腿部は著明な筋萎縮がみられ、周径は5cm以上の左右差があった。歩行については左膝関節の円滑な動きが損なわれている印象が得られた。<BR><B><理学療法プログラム></B>手術翌日からSLR・セッティング等の大腿四頭筋訓練、2日目からCPMでのROM訓練、3・4日目からニーブレース装着下での部分荷重歩行、5日目から端座位での膝伸展、セラピストによるROM訓練、6日目からパテラブレースでの全荷重歩行、10日目から階段昇降、2週目から自転車エルゴメーター、4週目からスクワット、8週目からジョギング開始、16週でフルスポーツ許可とした。<BR><B><術後評価></B>術後9週時点において、膝蓋骨異常可動性およびapprehension testは陰性で、kujala score75点。膝ROM制限なし。extension lag5°BIODEX SYSTEM3による筋力測定での健側に対する欠損率は膝伸展68%、屈曲33%であった。大腿周径の左右差は3cm以内と改善、歩行は術前と比較して、いくぶん改善傾向がみられた。<BR><B><考察></B>近年、機能解剖学的および生体力学的研究から、MPFLは膝蓋骨内側支持機構の第1制御因子であることが証明されている。当院では、膝蓋骨内側支持機構の第1制御機構であるMPFLは第一に再建するべきであり、その上で種々の先天的解剖学的因子の有無に応じて付加的手術を行うかを決定するのが合理的であると考えて、MPFL再建術を行っている。膝蓋大腿関節は屈曲角度が大きくなるにつれて骨形態により安定するため、特に膝伸展位から屈曲90°範囲でのMPFLの機能が重要であるとされている。よってMPFL再建術後のROM訓練では、屈曲90°までを慎重に行うことが重要と考えられる。<BR> MPFLの膝蓋骨側約1/3は内側広筋遠位部の後面に癒合している。手術時にはこの部分の剥離を行ううえ、術前からの筋萎縮が強い症例が多い。また、術後膝蓋骨が内側へ矯正されることで内側広筋の筋収縮の感覚が得られ難い。そのため今回の症例のように術後の筋力回復、extension lagの改善が困難であることが多いと考えられる。以上よりMPFL再建術後の理学療法に関して最も重要となる点は、慎重なROM訓練と膝筋力の獲得であるといえる。
著者
雫田 研輔 畑 幸彦 石垣 範雄 高橋 友明 田島 泰裕 三村 遼子 前田 翔子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.65, no.5, pp.940-945, 2017-01-31 (Released:2017-03-18)
参考文献数
8

腱板断裂術後に肩関節可動域や腱板の修復状態は良好だが,肩すくめ動作が改善せず肩関節挙上が困難な症例をしばしば経験する。今回,肩すくめ動作が肩関節周囲筋の筋活動パターンに及ぼす影響を明らかにする目的で調査したので報告する。対象は肩関節に愁訴のない若年健常者50例50肩(男性27例,女性23例,平均年齢26.3歳)である。被験者を利き腕が上になるような側臥位にしてスリングで上肢を吊るし,特に指示を与えず自由に行なわせた前方挙上(N 群)と肩をすくめながら行なわせた前方挙上(S 群)の2 種類の運動を行なわせた。同時に,表面筋電計を用いて利き腕の三角筋前部線維,中部線維および後部線維,僧帽筋上部線維,中部線維および下部線維の活動量を測定し, 2 群間で比較検定した。僧帽筋において,S 群はN 群より上部線維の活動量は促進され,下部線維の筋活動量は抑制されていた。また三角筋においてS 群はN 群より前部線維と中部線維の活動量が抑制されていた。したがって,肩すくめ様の挙上パターンが挙上筋力の低下を引き起こすことが分かった。
著者
桂 敏樹 野尻 雅美 中野 正孝
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.1-10, 1998-05-30
参考文献数
40
被引用文献数
1

健康的なライフスタイルを悪化させる出来事を明らかにするために地域住民を対象に健康習慣の総体であるライフスタイルに及ぼす生活上の出来事の影響力を比較検討した。<BR>多変量解析の結果, 以下のことが明らかになった。<BR>1. ライフスタイルと有意な関連が認められた出来事は夫婦喧嘩, 夫婦別居, 借金, 帰省, 親友の死, 浮気, 収入の変化, 会社の倒産等であった。<BR>健康なライフスタイルにする出来事は浮気, 解雇, 帰省などであった。一方, 不健康なライフスタイルにする出来事は夫婦別居, 夫婦喧嘩, 会社の倒産などであった。<BR>2. 性別にみると男性でライフスタイルと有意な関連が認められた出来事は帰省, 収入の減少, 夫婦喧嘩, 結婚, 親友の死, 浮気, 解雇, 借金であった。<BR>健康なライフスタイルにする出来事は解雇, 帰省, 浮気, 妊娠などで, 不健康なライフスタイルにする出来事は夫婦別居, 夫婦喧嘩などであった。<BR>一方, 女性でライフスタイルと有意な関連が認められた出来事は結婚, 個人的な成功であった。<BR>健康なライフスタイルにする出来事は個人的な成功, 離婚, 退職などで, 不健康なライフスタイルにする出来事は会社の倒産等, 配偶者の死, 夫婦喧嘩などであった。
著者
小野寺 みつ江 仙波 静 山内 登志子 石田 泉 山田 さゆり 遠藤 利江子 山田 泰子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.60, pp.161, 2011

東日本大震災時における福島県厚生連6病院栄養科の対応と教訓福島県厚生連栄養士会 小野寺みつ江・仙波静・山内登志子・石田泉・山田さゆり・遠藤利江子・山田泰子<はじめに>東日本大震災時に福島県厚生連の栄養科で、何がおき、いかに対応し、どのような教訓を得たのかを報告する。<各病院の状況>福島第1原発から3_km_の双葉厚生病院では、3月11日地震により調理器具の全てが倒れ、ガス漏れが発生した。ライフラインは電気のみ確保されていた。当日夕食は、ガスコンロにより飲水不可の水で非常食を温めて提供したが、患者の避難場所が把握できず、また緊急に来院した外来患者にも食事を提供したので食数が掴めなかった。隣接する健康施設に職員用の炊き出しを依頼した。翌12日朝食も非常食を提供した。昼、水道が復旧、厨房器械の点検をしたが、原発事故のため全患者全職員が緊急避難し、同院は現在も休院中である。原発から30kmの南相馬市に位置する鹿島厚生病院では、震災直後、ガス、ボイラー、エレベーターが停止した。原発事故後、職員は自主勤務になったため、調理員の数が不足し、他部門のスタッフと協力を得て食事を提供した。さらにガソリン不足と物流停滞のため、16日以降の食材納入が停止した。栄養士は病院に宿泊し、食材集めに奔走した。同院は19日から4月10日まで一時休院した。中通り南部に位置し、液状化現象が起きた白河厚生総合病院は、建物には被害がなかったが、外部の水道管が破裂し断水した。病院の貯水タンクの水を使い、自衛隊による給水支援を受け、節水しながら食事を提供し、非常食は使用しなかった。塙厚生病院では6時間の停電があり、1食、非常食を使用した。坂下厚生総合病院ではガスが停止し、1食、非常食を使用した。高田厚生病院では食事提供上の問題は発生しなかった。<考案>_丸1_災害時に備え、設備、給食材料の業者と契約を結んでおく。_丸2_水を確保する。_丸3_非常時に備え、栄養科以外の職員に、非常食提供の指導と訓練をしておく。ライフラインが確保されない時を想定しておく。_丸4_患者や職員以外の非常食を備蓄しておく必要がある。
著者
櫻井 優子 皆川 さおり 大滝 智子 伊藤 香代子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.54, pp.145, 2005

【はじめに】新潟県中越地震での栄養科としての対応について、地震発生直後から、日常の業務が行なえる状況になるまでを振り返り、災害時のマニュアル作成を検討してきた。地震発生直後の病院全体の動向と、対応や行動について検討した。<病院全体での動向>地震発生直後、対策本部が設置され、入院患者様を避難誘導した。病院の破損状況が明らかになるとともに復旧作業が開始される。<栄養科>地震発生直後に栄養科職員はガスの元栓を締めて避難した。落ち着き始めた頃に病院の調理室に戻った。地震発生が夕食時間であったため、夕食を食べていない患者様がいることを報告し、栄養科としてどのような対応をしたらよいか、指示をあおいだ。安全な使用が確認できたのは、電気のみ。水道水の供給があったので、水を確保した。電気炊飯器にてご飯を炊いて、食事をしていない患者様へのおにぎりの提供を始めた。軽食程度の食糧(クラッカー、パック牛乳、パックジュース、食パン等)も避難している患者様へ提供した。インスリン注射している患者様は食事を済まされていた。栄養科の事務室は本棚が倒れ、数台のコンピューターのラインが外れていた。バックアップしてあるMDを持ち出した後、コンピューターのラインを接続してなんとか稼動できることを確認した。災害時のマニュアルを探し出すことができず、他の栄養科の職員とも連絡が取れない状況だった。しかしながら、食事が提供できないという状況は避けなければならない。患者様にはもちろんのこと、徹夜で働いている病院職員の方々にも朝食を提供するために、電気炊飯器でご飯を炊いておにぎりを作ることとした。備蓄されていた食料品を全て倉庫から出して、翌日の昼食までの献立を考えた。食糧の援助を頂ける契約をしていた業者も被害にあっているために、充分な食糧の援助は困難な状況だった。蒸気の安全が確認できたので、蒸気釜でご飯を炊いて味噌汁を作ることができたが、通常通りの食事を提供できる状況ではなかった。都市ガスの安全供給が確認できるまで、プロパンガスを手配して頂き、通常の業務に戻ることが可能になったのは地震発生から4日目だった。このような状況であったことから、今後の課題と対策について検討を行っている。<今後の課題>1、「非常時持ち出し品」としてリュックサック等に用意してはどうか? →ラジオ、懐中電灯、タオル、軍手、ウエットティッシュ等2、災害時のマニュアルは書棚に入れず、見えるところに置いておいたほうが良い? →地震が発生した時に、書棚が倒れて書類を捜すことができなかった。3、備蓄食糧については、災害時のマニュアルに掲載した献立に従って最低でも2日_から_3日は必要ではないか? →支援物資が届くまでの間、ライフラインが使用できなくても入院患者様に提供できるものがよい。4、災害時マニュアルの充実 →ライフラインの利用可能な状況やその場合の対処方法など、実際の行動に即したマニュアルであれば、非常時でも迅速な対応が可能だと思われた。
著者
神谷 有希 松野 俊一 田中 史朗 高橋 治海 山本 悟
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 第55回日本農村医学会学術総会 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
pp.148, 2006 (Released:2006-11-06)

<はじめに> 非浸潤性乳管癌(以下DCIS)の発見契機は、MMGでの微細石灰化や腫瘤・乳頭異常分泌である。MMG上では石灰化で検出されることが多いというのは知られているが、腫瘤・非対称性陰影・構築の乱れなどでも描出される。 今回は、非触知・US上所見なし・MMG上微小石灰化で発見されたDCISの症例を報告する。<対象> 女性 39歳<経過>2003年10月左乳頭異常分泌により当院受診 MMG・USとも異常なし 1年後のfollow up 2004年12月左MMGに集簇性、円形の微小石灰化 カテゴリー3 USは異常なし 6ヵ月後のfollow up 2005年6月左MMGに集簇性微小石灰化 前回より変化なし 6ヵ月後のfollow up 2005年10月前回の微小石灰化が一部線状 カテゴリー4 ステレオガイド下マンモトーム生検を実施<結果>生検の結果DCISであった。 触診では触れず、US上石灰化の場所が特定できず、ステレオガイド下においてフックーワイヤーを留置し、Bq+Axを行い、断端(-)であった。<考察> 乳癌は乳管上皮層から発生するため、ある時期には乳管の中に留まっており、その時期の癌は非浸潤癌である。この時期はまちまちであり、人により異なる。この非浸潤癌は癌細胞が乳管の中だけで増殖し、乳管内を進展するためリンパ節転移や遠隔転移をきたすことのない癌である。そのため、早期の発見が大切である。 集簇性の微小石灰化は乳がんを疑うものであるが、ごく狭い範囲に微小石灰化がある場合は良悪性の判断は困難である。 今回はfollow upしていたところ一部線状の石灰化が発生したため、マンモトーム生険を施行し、確定診断を行った。石灰化の位置がUS上で特定されなかった為、ステレオガイド下においてフックーワイヤーを留置し、手術を施行した。このように、エコー下にて病変部位が特定できず石灰化がある場合においての生険およびフックーワイヤー留置はステレオガイド下のマンモトームが大変有用である。
著者
島田 美紀代 山田 舞子 岩野 ミカ
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.60, pp.380, 2011

〈はじめに〉当院では、併設する訪問看護ステーションにおいて、理学・作業療法士による在宅リハを実施している。今回、脳血管障害者に対するアプローチを作業療法士の視点から紹介し、訪問看護ステーションにおける作業療法士の役割について若干の考察を交え報告する。〈対象〉脳血管障害(小脳レベル)。女性。発症後、当院リハで訓練・指導を経て約4ヵ月後に退院。退院1週間後訪問リハ開始。開始当初、主婦業がやりたい気持ちはあるが、失調症状によりふらつきや頭の重さの訴えが強く、横になることが多かった。〈経過〉まず、機能的評価やADL評価を行いつつ本人の不満や不安を傾聴したところ、生活動線が健常時のままである事・過度な緊張が入る事がADLの狭小につながっていた。環境設定を中心にアプローチし、横になることは少なくなったが、外に出る機会が激減していたせいもあり、体重が増加傾向をたどった。内から外への足がかりとして日課表を作成し、1日の生活パターンを図式化した。また、訪問看護師の助言より、定期的に体重測定を行った。このように客観的なデータを表示することで、自ら生活を見つめ直すきっかけになった。その後、家庭での役割や活動を意識した評価を行い、機能面ばかりではなく、その人らしく主体的に活動ができるよう援助を行った。〈考察〉作業療法は「活動」を扱う。「活動」とは人間が生きる上で必要な「作業」のことで、手芸等の「作業」ばかりではない。障害と共生しながらその人らしい生活を営むために、心身の時系的変化をくみ取りつつ「活動」を行える身体・環境づくりを行う必要がある。退院し「在宅復帰」という目標を達成した利用者が次に何を目標にし、どう人生を再構築していけばよいのか、「活動」を扱う者として「導き」の必要を感じた。又、訪問看護は特に他職種との連携が必須である。問題を共有しつつ、それぞれの立場の意見交換する重要性も感じた。
著者
桑原 直行 越後谷 和美 藤田 正子 鳥海 雄好 湯澤 仁
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.56, pp.235, 2007

〈はじめに〉災害拠点病院とは、災害に対して24時間緊急対応し、災害発生時に被災地内の傷病等の受入れ及び搬出を行なうことが可能な体制を有し、 被災地外の場合も、被災地からの傷病者の受入れ拠点にもなる病院である。また、災害発生時における消防機関と連携した医療救護班の派遣体制があるのも条件となっている。秋田組合総合病院は平成12年新築移転後、秋田県災害拠点病院としての体制作りと活動を行っている。新潟中越地震が発生した際にも医療救護班を派遣しているが、当時の貴重な経験と現在の当院での災害拠点病院としての取り組みと問題点を報告する〈活動内容〉平成16年10月23日午後5時56分に小千谷市を震源として、新潟中越地震が発生したが、この時から本格的な災害拠点病院としての活動が始まった。秋田組合総合病院は歴史的に新潟大学医学部との関係が深く、新潟県出身の医師も多いため、地震発生当初から支援要請があれば直ちに医療救護班を派遣する準備をしていた。県からの派遣要請のもと、先遣隊の後を引き継ぐ形で、地震発生から10日目にあたる11月1日から医療救護班を現地に送った。当初は現在のように訓練された医療班はなく、すべてが手探りの状態であった。この貴重な災害医療を経験することで、被災地のニーズは時々刻々と変化しており、これを的確にかつリアルタイムに把握し対応することの大切さを実感した。この医療救護班を派遣した実績を認められ、DMAT(災害派遣医療チーム)指定病院となり、現在DMATとして1チームが活動している。DMATとは、災害の急性期(48時間以内)に活動できる機動性をもった、専門的トレーニングを受けた医療チームのことである。大規模災害等での非常時における医療活動を、いかに効率よく行っていくかを4日間の研修で学んできている。秋田空港での航空機事故を想定した災害訓練等にも参加しており、少しずつ、災害拠点病院としての役割をはたせる体制が整ってきた。しかし、病院としての被災地内の災害医療に対応できる体制は十分とは言えない。災害急性期には、特殊状況下で、傷病者が普段と桁違いに集中発生する一時的なニーズに応えなければいけない。つまりトリアージが重要で、これはDMAT隊員だけができればよいというものではない。当院では、事務職も含め、トリアージを実践できるように院内研修会をすすめている。また、 DMAT研修での知識を共有し、さらに、隊員を拡充することも必要である。また、災害時のマニュアルの整備と訓練、食料備品などの事前の準備と備蓄などの問題点も多くあり、一つずつ解決する努力を継続していかなければならない。〈結語〉災害拠点病院として機能するためには、マニュアルを整備することはもちろんであるが、災害急性期に対応するためには、大規模災害は他人事ではないという職員全員の自覚と日頃の訓練によるスキルアップが必要不可欠である。
著者
杉山 貴敏
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 第55回日本農村医学会学術総会 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
pp.270, 2006 (Released:2006-11-06)

<緒言>近年, 傷を消毒しない,傷を湿潤環境下で治療する創傷治療(湿潤療法, Moist Wound Healing)が提唱されている. この療法は生体の細胞成長因子を積極的に利用する治療法で,創傷の治癒が従来の治療に比べて早いのが特徴である.口腔外領域は創を創傷被覆材などで閉鎖し湿潤環境下で治療し,口腔内領域はすでに唾液による湿潤環境にあるため, 含嗽剤をふくめた消毒を行わないことが, 湿潤療法を実践することにあたると考えられる.当科では平成15年5月より現在にいたるまで, 抜歯をはじめ外傷など創傷治療は全て湿潤療法に基づく治療を行っている. 今回,西美濃厚生病院歯科口腔外科で演者自身が行った平成13年5月より平成17年5月までの全ての創傷治療について, 湿潤療法実施前と湿潤療法実施後の2群に分けて, 術後の治癒不全, 感染等について比較検討を行った. 対象は1歳より96歳までの患者計733名, 湿潤療法実施前群(平均年齢60.2歳)556例, 湿潤療法実施後群(平均年齢58.5歳)591例で乳歯抜歯症例は除外した. 術後, 抜糸時に創が哆開した症例, 創のびらん,潰瘍,壊死を生じた症例,細菌感染を生じた症例,創部の疼痛が消失しない症例を治癒不全例とした。<結果>治癒不全例は湿潤療法実施前群52例(10.97%), 湿潤療法実施後群21例(3.55%)であり湿潤療法実施群が有意に少なかった. また, 抜糸までの期間は湿潤療法実施前群平均6.83日, 湿潤療法実施後群4.78日であった. <考察>以上の結果より、創を消毒しても術後の治癒不全や創感染を防止することはできないこと,湿潤療法による治癒期間の短縮の可能性が示唆された. 夏井は,創感染は縫合糸,壊死組織,血腫,痂皮などの異物が存在するからおこるのであって,細菌が存在するからおこるのではないと述べている.皮膚や皮下組織の感染は細菌単独でおこすためには組織1gあたり105から106個の細菌が必要とされているが,異物の存在下では200個の細菌で感染が成立するといわれている.消毒薬による消毒は一時的に細菌数を減少させるが,皮膚の皮脂腺や汗腺,口腔常在菌の増殖により細菌数は1日を通しては大きくは変化しないと思われる。 また、創傷治癒には肉芽組織が増生し,線維組織や上皮組織が再生されなければならない。消毒薬はイソジンガーグルの希釈濃度0.23から0.47%でも組織障害性をもっており、組織再生に必要なPDGF, EGF, bFGF, TGFβ, NGFなどの細胞成長因子を無効化し,上皮細胞や線維芽細胞の増生を阻害している。さらに,口腔内で消毒効果を発揮させるにはイソジンではポピドンヨード濃度で0.1%濃度を2から3分間持続させることが必要である.唾液で満たされた口腔内で、この濃度を保つことは困難である。 つまり、口腔内の消毒は,消毒効果よりも組織障害作用の方が大きく,治癒を遅延させているのである。口腔領域の創傷時には水道水や生理食塩水あるいは消毒薬を含まない含嗽剤で口腔をよく洗浄し,壊死物質や血腫など感染源をよく取り除くことが大切であり,異物である縫合糸などは可及的早期に抜糸する必要があると考えられる.湿潤療法により生体の治癒能力を最大限に発揮させ,治癒を早めることが, 術後障害も減少させることができると考えられた.