著者
前川 貞次郎
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.1-37, 1952-05

フランス革命の間に、いくつかの人権宣言が作られている。公けに発布されたり、起草されたものでも、有名な一七八九年のものを最初に、九三年のコンドルセの起草によるジロンダンの入権宣言、同年六月のモンタニャールのもの、および九五年の権利・義務宣言がある。これらはいづれも憲法の前文的位置におかれ、憲法とは不可分のものであるが、その他に私人の人権宣言草案もすくなくない。私は、さきの四つの人権宣言と、私人のものとしてロペスピェールの宣言草案をとりあげ、それらを一応憲法とは切りはなして比較考察し、それらがいづれもその時々の歴史的状況を反映したものであり、ブルジョワ的性格において共通している点を、人権宣言の内容を分析することによつて、実証しようと試みた。
著者
櫛木 謙周
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.p756-764, 1979-09

個人情報保護のため削除部分あり
著者
虎尾 達哉
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.68, no.6, pp.p815-855, 1985-11

個人情報保護のため削除部分あり本稿では、先づわが正史上において「監護喪事」のために差遣される使人を監喪使と仮称し、この監喪使が果してわが喪葬令百官在職条(監喪規定) の適用を示すや否やを疑い、次で階唐監護使とわが監喪使の実態を各々検討・比較した上で、正史における監喪使辞退の諸例と葬司辞退のそれとの類似性を手掛りに遂に監喪使の実体を装束・山作両司によって構成される葬司長・次官級官人五位以上と考定するに至った。この葬司はやがて『延喜式』太政官・葬官条(葬司規定) に継承される何らかの慣例・法規によって編成されたと想定される。そして、さらにこの間の事情を考察した結果、唐令の継受によるわが監喪規定はその不可欠の前提たる体系的喪礼の未継受・欠如のために適用に至らず、実際には天皇・皇后等の御葬司に準ずるわが国固有の葬司の編成が行われたとの推定に及んだのである。In the historiography of ancien Japan we can often find the acounts of funeral supervisors temporarily appointed when dignity died. This papre persues the substance of such funeral supervisors recorded in history. The results are as follows. 1) Those funeral supervisors were not in accordance with the provision in Taiho 大宝 and Yoro 養老 code which established funeral supervisors. 2) Substantially they were a chairman or vice-chairman of two commisions : one was engaged in dignifying a funeral, and the other in building a grave. 3) Ancient Japanese governors adopted the provision of funeral supervision from T'ang, 清 but not the systematic Confucian courtesy of funeral which was indispesable to funeral supervision. That is the reason why none was actually appointed to supervise a funeral in Japan. 4) Instead of funeral supervisors, the two commissions were organized in imitation of several commissions organized in case of Emperor's death or empress's. This institution was peculiar to Japan.
著者
和田 光弘
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.70, no.5, pp.p733-765, 1987-09

個人情報保護のため削除部分あり黒人奴隷制に基づくタバコ・プランテーションの展開をみたメリーランド植民地とヴァジニア植民地は、タバコ植民地とも称され、イギリス旧帝国の「辺境」として、従来、そのモノカルチャー的性格が過度に強調されてきた。それゆえ、アメリカ独立革命においてこれら植民地が有した経済史的意義は、しぼしば捨象され、政治史上での理解とのあいだに大きなギャップが存在していたといえよう。そこで本稿では、特にメリーランド植民地を対象に、植民初期から独立前夜までの経済の動向をできる限り計画的に分析することによって、タバコ植民地の持つ独立革命への経済的前提要因を探りだす。本国の航海法体制への反発という「消極的」要因とならんで、従来見過ごされてきた経済構造そのものの変容という現象が、「積極的」要因として、提示されることになるのである。
著者
村山 修一
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.491-535, 1973-07-01

個人情報保護のため削除部分あり
著者
阿部 拓児
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.88, no.5, pp.664-698, 2005-09-01

前六世紀中葉以降、アカイメネス朝の支配下に入ると、小アジアは多様な文化的背景を有する人々が混在する地域となった。本稿では、かかる小アジアの南西端に位置したカリアを取り上げ、そこでいかなる文化が実践され、それをいかに理解すべきかを問う。カリアは、前五世紀にはヘロドトスによる信憑性の高い情報を得られ、前四世紀には在地の支配者であったヘカトムノス家がサトラペスとなり多くの建造物や碑文が残されていることから、小アジアの他地域と比較した場合、考察対象として適している。本稿では、カリアの宗教的中心地であったラブラウンダと政治、経済的中心地であったハリカルナッソスの具体的考察を通し、前述の問いに答えていく。考察の結果、ヘカトムノス朝下のカリアでは、従来に比べギリシア人とカリア人という境界線を希薄にするような文化が生まれていたことを示すことになろう。
著者
宮川 剛
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.66-96, 2001-01

個人情報保護のため削除部分あり一六世紀後半から一七世紀前半のイギリスでは救貧をめぐる問題が深刻化し、慈善・寄付の現状に大きな関心が寄せられることとなる。本稿では、エリザベス救貧法体制における救貧の単位であり、かつ、富者と貧者が私的な慈善・寄付をつうじて結びつく場でもあった教区に焦点を合わせる。すなわち、ロンドン市内のセント・バーソロミュー・エクスチェンジ教区を主たる対象として取り上げ、一六世紀末から一七世紀前半におけるこの教区の救貧活動を、救貧のための財源、救貧扶助を受けた人々、慈善・寄付の動機など、様々な角度から解明することを目指す。教区を対象とすることにより、救貧法による公的な救貧と、私的慈善による貧者への援助とが救貧の現場においていかに機能していたかを、実態に即して考察することができるのである。
著者
尼川 創二
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.p245-288, 1975-03

個人情報保護のため削除部分あり一九二一年三月のロシア共産党第一〇回大会は、食糧割当徴発を食糧税に代え、さらに地方的規模での自由な取引を容認して、いわゆる「戦時共産主義」からネップへの転換を定めた。だが、この食糧税導入の措置は、あらかじめ重要議案として上程されたものでもなければ、綿密な討議を経て採択されたものでもなかったのである。税導入の決定は、なぜこのようなかたちをとらなければならなかったのであろうか。この問題は、「戦時共産主義」の問題と密接に関連しているように思われる。通説では、「戦時共産主義」は、戦争と経済崩壊によって余儀なくされた一時的措置、正常な路線からの逸脱であるとされ、「共産主義への直接的移行の試み」の側面は一部の「夢想家」の所為に帰される。しかし、これによっては、「戦時共産主義」の背後にあった意図や願望を正しく捉えることはできないであろう。共産党は「戦時共産主義」を通じて社会主義建設を企てていたのであり、ネップの端緒である、税と地方的自由取引の容認でさえ、少なからぬ困難を伴ったのである。
著者
松村 寛之
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.272-302, 2000-03

個人情報保護のため削除部分あり本稿は、重要な近代思想の一つとして昨今注目されつつある優生学が、一九三〇年代から十五年戦争期にかけての日本でいかなる位相にあったかについて論ずるものである。この時代には、「日本民族衛生学会」の創設など、二〇世紀初頭以来日本に浸透してきた優生思想が政治的・思想的運動として本格化してゆくと同時に、他方で満州事変を契機とする陸軍の「国防国家」建設がはじまる。本稿ではこの「国防国家」と優生学の関係について、当時の優生学の中心的担い手であった医学者の古屋芳雄の思想と行動をてがかりに考察する。その際の筆者の論点は以下の二つに大約されるだろう。すなわち一つには、かつて白樺派の同人であった古屋が、「正常な科学」である優生学に傾倒する論理のなかに、「近代」のもつアクチュアルな問題性を観相することであり、いま一つは彼の思想の強い影響をうけつつ生成した「国防国家」の優生学を、ファシズムを「近代の病理」として認識する契機として位置づけることである。
著者
朴 永哲
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.570-597, 1997-07

個人情報保護のため削除部分あり従来、中国法制史の研究に於いては概ね制度の外郭解明に比重が置かれてきたが、社会と人々の意識の次元から法を捉えることが必要であると筆者は考える。かかる問題意識より本稿は主に太平広記所収の唐代入冥譚を題材として当時の中国人の法意識を探ろうとするものである。そこに見える地獄の裁きは現実の律令裁判の模倣であったが、次第にその裁きは宗教的厳格さを失い世俗化していくとともに、ついには裁きの消滅、地獄の現世への従属を見るに至る。それは中国における伝統的な不死の信仰と、神による正義の実現なる西洋的法観念の欠如がもたらした結果であったが、またそこには現世の人情を裁きの基準とする「原情主義」の現れをも看取することができる。「原情主義」は現実の律と裁判に於ける基本原則の一であり、その地獄説話への反映は当時の中国人の意識における正義の所在を示すものと考えられる。
著者
今岡 典和
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.p455-481, 1983-07

個人情報保護のため削除部分あり出雲尼子氏の戦国大名としての権力の形成については、従来幕府―守護体制に対する反逆的性格が強調される事が多かったが、室町期の出雲守護京極氏との関係に注目すれば、京極氏との連続面が目立ち、尼子氏の守護としての性格が明らかとなる。京極氏の出雲領国支配は、自立性の強い国人・寺社等の伝統的在地勢力によって大きな制約をうけていた。これに対して尼子氏は、京極氏一族の守護権限代行者として近江から出雲に入り、経久の代に京極氏の家督と守護権を継承し、更にそれを幕府によって認定されている。尼子氏は戦国期における幕府―守護体制の一環に加わる事により、早期に一国支配を実現し得たのである。その事は、家臣団の構造においても伝統的国人層を中心とする出雲州衆と尼子氏の権力機構を構成する富田衆の二重構造として表われており、それは同時に尼子氏権力の本質な問題点ともなっていたのである。It has been emphasized that, as to the power of the Amagos, Sengokudaimyo 戦国大名 in Izumo, it was established against the bakuhu-幕府-shugo 守護 system. But when we pay more attention to the Amagos' relationship to the Kyogokus 京極氏, shugo in Izumo-no-kuni 出雲国 in the Muromachi 室町 period, we can find that there is a considerable continuance between the two. Therefore we may regard the Amagos as shugo. Concerning to the rule by the Kyogokus over Izumo-no-kuni, it was restricted by highly independent, traditional local powers, such as kokujins 国人, temples, shrines and so on. Against these powers, the Amagos came to Izumo from Ohmi 近江 for the purpose of acting for the Kyogokus. In the days of Tsunehisa 経久, the Amagos inherited the estates and the rights of shugo, and then was authorized by the bakuhu. Thus the Amagos was able to rule out Izumo-no-kuni as a whole by taking part in the bakuhu-shugo system earlier than the other Sengoku-daimyos. But the Amagos' power was established after such process that it was sustained by a vassal of duality, consisting of two groups : one, Izumoshu-shus 出雲州衆 who largely came from traditional kokujin class, and the other Toda-shus 富田衆 who administered political affairs. This duality remained a great problem for the Amagos.
著者
杉山 雅樹
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.89, no.5, pp.714-742, 2006-09

イル・ハーン朝末期、ヤズドの支配権を授与されたムザッファル朝の創始者 Mubariz al-Din Muhammad は、Abu Sa id 死後の混乱期において、ヤズドの有力者であるニザーム家に関わる人々を経済的保護によって優遇し、ケルマーン地方進出以降には、ウラマーの側も積極的に王朝の支配を支持する姿勢をとるようになる。こうして Mubariz al-Din は徐々に支配に対する都市住民の支持を獲得したが、シーラーズ征服後、さらなる遠征を前にして、新たに支配領域に組み込んだファールス地方に対し、これまで以上に支配者としての立場を明確にする必要に迫られた。このため、カイロのアッバース朝カリフに対するバイアを行い、その後世俗権力者「スルタン」としての地位とカリフの持つ宗教的権限をも主張するようになった。こうした支配者としての権威の変遷は、モンゴルの影響が急速に薄れていくイランにおいて、新たなる君主像が生まれつつあったことを示しているといえよう。
著者
君塚 弘恭
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.87, no.6, pp.781-811, 2004-11

一八世紀初頭、フランス王国では主要都市に経済政策を実行するための商業会議所が設置された。本稿は、ボルドーに設置されたギュイエンヌ商業会議所のスペイン継承戦争期における活動を分析し、商業会議所の活動がボルドーの商取引に与えた影響と会議所が都市の商人社会の中で果たした役割について検討した。第一に、ボルドーの貿易商人たちは、会議所の運営を担い、ボルドーに実施される政策に商人社会の利害を反映させるよう地方長官や財務総監と意見の調整を行った。第二に、会議所は、オランダ船に対する旅券の申請業務を代行し、王権の貿易政策を維持すると同時に戦時下で敵国となったオランダの商人との商取引を維持し、ボルドーの葡萄酒貿易を安定させた。第三に、王権の政策と商人たちの利害が一致しない場合、会議所を中心として商人たちは抗議を行った。つまり、会議所は、ボルドー商人社会にとって王権に対する「抗議の拠点」となったのである。