著者
川口 幸大
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.12, 2010

この分科会では、共産党による統治のもと60年を経た今日の中国社会において宗教がいかなる諸相にあるのかを、キリスト教、イスラーム教、チベット仏教、民間信仰についての共産党の政策と、人々の具体的ないとなみに着目しつつ議論する。
著者
近藤 有希子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.58-77, 2019

<p>本論では、虐殺後のルワンダにおいて、和解し統合されたシティズンシップを創り出す装置として、虐殺記念週間におこなわれる集会や虐殺生存者基金に着目して、そのなかで方向づけられる人びとの倫理的な応答のあり方を検討する。それらの装置は、凄惨な紛争によって分断された人びとを等しく「ルワンダ人」として包摂する試みのもとに適用されてきた。他方で、そのとき形成される「国家の歴史」においては、トゥチだけを「生存者」、つまり「真のシティズン」として認定し、フトゥを一様に「加害者」、つまり「二級のシティズン」として位置づける効果を孕んでいる。そこでは愛する者の死を悼み、自身の壮絶な体験を嘆くことができるか否かという点で、格差をともなう承認の配置がおこなわれており、人びとの感情が規律化される事態が生じていた。</p><p>このような状況下にあって、村のなかには「トゥチの生存者」というカテゴリーに依拠して、その生存を確保させる者もいる。彼女たちの哀悼は、公的な場においてしばしば「国家の歴史」に一致した、およそ流暢な語りのなかに見出される。他方で、村に暮らす大半の人びとが虐殺時にはなんらかの脅威に曝されており、善悪に二分できない「灰色の領域」にあった。このような「国家の歴史」にはあてはまらない経験を生きる者たちの、決して語り慣れることのない発話は、かれらが代替不可能な個別の記憶とともに生き延びようとするときに現出している。</p><p>このとき地域社会のモラリティは、多くの者がみずからの経験に対して「言葉をもたない」ことにおいて開示されていた。なぜなら、統制されえない身体化された記憶、「語りえなさ」の発露としての情動こそが、体験の一般化を拒否する沈黙の作用とも重なりながら、個々人のかけがえのない経験を感知して、それに付随する痛みへの想像力の回路を開くからである。ここに、避けがたくともに生きる人びとの倫理的な応答性が導かれていた。</p>
著者
近藤 有希子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1990年代前半に大規模な紛争と虐殺を経験したルワンダ共和国において、国民の安全と治安は重大な関心事項である。これまでルワンダの国家は、開発における「優等生」と称賛されるとともに、その統治が「強権的」だとして非難されてきた。本発表では、そのようなルワンダの政治体制が、統治者の意志と実践だけによるものではなく、地域の人びとの安全を希求する想像力や実践とが交差するなかで、構築し維持されてきたことを描き出す。
著者
藤井 真一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.509-525, 2018 (Released:2018-10-18)
参考文献数
31

本稿の目的は、ソロモン諸島真実和解委員会の活動とガダルカナル島における在来の紛争処理に 注目して、ソロモン諸島における「エスニック・テンション」後の社会再構築過程にみられる課題、 とりわけ紛争経験の証言聴取をめぐって生じた緊張関係を解明することである。 冷戦終結後に世界各地で頻発・長期化するようになった地域紛争への対応として、真実委員会に よる修復的な紛争処理が増加している。1998年から2003年に「エスニック・テンション」と呼ばれ る地域紛争を経験したソロモン諸島国でも、2010年から2012年にかけて真実和解委員会による社 会再構築の試みがみられた。本稿では、ソロモン諸島真実和解委員会が世界的な紛争処理の動向を 受けながら外部から導入された紛争処理としての側面があることを示す。次に、ソロモン諸島ガダ ルカナル島においてみられる在来の紛争処理について述べ、真実和解委員会の証言聴取活動との競 合関係を指摘する。最後に、真実和解委員会が公聴会の場面に伝統的な贈与儀礼を導入したことを 踏まえ、在来の紛争処理について考察する。 本稿の考察から明らかになることは、以下の三点である。第一に、ソロモン諸島真実和解委員会 の中心的活動であった証言聴取について、ソロモン諸島の文化的規範と競合する問題があったこと。 第二に、証言聴取と文化的規範との競合を乗り越えるために、公聴会において贈与儀礼が執り行なわ れたこと。第三に、在来の紛争処理であるコンペンセーションを損失した財に対する補償や知識・情 報への対価として捉えるのではなく、継続的な関係構築のための手続きとして捉えるべきであること。 ソロモン諸島において真実和解委員会が証言聴取をしたことは、ローカルな規範に則った紛争処理と の間で葛藤を生じさせつつも、平和へと向かうポテンシャルを創発するものであったのだ。
著者
浅井 優一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.482-502, 2020 (Released:2020-05-28)
参考文献数
45

現代人類学を特徴づける知的動向が存在論的転回として論じられ、主体と客体、表象と事物、文化と自然などの二項対立を自明とする認識論ではなく、そうした「対」が生起する過程や創発する現実を捉える存在論への転換が希求されるようになった。そのような問題意識を背景とし、本稿では、フィジーにおいて「氏族」や「土地の民」という範疇が生起した過程、そしてオセアニア人類学の理論的変遷を言語の次元に降り立って分析し、存在論的転回および現代人類学における民族誌記述の問題系に言語人類学の視角を接合することを目的とする。その上で本稿は、三段構えをとる。はじめに、1)ヤコブソンがパース記号論を基礎にして展開した詩的言語に関する洞察、それを敷衍したシルヴァスティンの儀礼論を概観し、詩や儀礼が指標的類像化(ダイアグラム化)という記号過程として理解できることを確認する。次に、2)筆者が調査を行ってきたフィジー諸島ダワサム地域での出来事を事例に、フィジー人の民族意識の根幹にある「土地の民」という範疇が、植民地期に遡る「氏族」の文書を通じたダイアグラム化を経て生起したことを指摘し、それが氏族のルーツを辿り、始祖のマナを讃える儀礼的実践を通じて前景化した過程を詳らかにする。最後に、3)ワグナーの比喩論に端を発し、ストラザーンの人格論の基調をなす「図と地の反転」という視座がヤコブソン詩学に類比することを示唆し、連続性を切断して驚異、斬新、潜在を回帰的に実現するメラネシア社会の生成原理が、韻文の生起が伴う詩的効果として理解できることを指摘する。さらに、サーリンズの構造歴史人類学からストラザーンのメラネシア人格論へというオセアニア人類学の推移自体が、同様に記号過程として記述し得ることを示す。以上を通じて、閉じた象徴体系として認識論の中核に布置され、存在論的転回では正面から扱われなかった言語という視角を文化人類学の問題系へ接続し、言語事象を基点にした記述分析に存在論的転回以後の民族誌記述の一所在を見出したい。
著者
劉 振業
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

本発表では、中国における麻雀の役割を考察する。具体的には調査地である中国広州市のX社区の星光老年の家での麻雀を詳細に描写することによって、賭博や互酬性による新たな社交の可能性を提示したいと考える。麻雀は遊びの一種として、中国においてはさまざまな場面で目にする。しかし、麻雀は常に賭博をはじめ、その中毒性による家族関係の悪化や社会生活の撹乱など、多様な負のイメージが認められる。発表者は、星光老年の家にて調査を続けてきたが、その中で観察される麻雀が、異なる形でプレイされていたのである。星光老年の家とは、中国民政部が2001年に高齢化の加速のために実施した星光計画によって、老人のためにサービスを提供する場として建てられたものである。元々実力と偶然を両方が勝利に必要な麻雀というゲームを、運という偶然の部分を強化して不確実性を好む傾向を強調する一方、ゲーム後に認められる不完全な互酬性によって不確実性がもたらす勝敗の不平等的な関係を短期間で修正し、調和関係に向かわせるという複雑な仕組みが、本発表の事例には見いだせる。
著者
寺戸 宏嗣
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.238-260, 2010-09-30 (Released:2017-08-14)

本論文は、ベトナム社会主義共和国ハノイ市におけるバスインターチェンジ建設事業を事例に、都市開発を巡る行政的意思決定過程での技術、政治、理念の錯綜と分節を記述・分析することを目的とする。公共交通体系の発展を目的とした或る国際共同プロジェクトによる同事業は、現地の都市状況だけでなく同市交通局の行政機構にも深く埋め込まれており、その中でドイツ人専門家の発案になるバスインターチェンジのコンセプトは一連の成長と転換の過程を経た。中でも、その設計がほぼ完成し着工目前と思われていたプロジェクト終盤に、新交通局長の着任を契機とする設計の大幅変更が起きた。本論文はこれら一連の過程から、行政機構での一種の技術論争のメカニズムと、それに応じた技術、政治、理念の錯綜と分節のあり方を見出す。インターチェンジというコンセプトを、周囲の人と交通の流れや未来の交通施設といった脈絡や諸要素に関係づけ、それらを織り込んで捉える中で具体的かつ理念的に成長させていったプロジェクトチーム(III章)に対して、新局長らはそれを単体の施設として捉え、周囲の交通の流れとの軋轢を問題視する観点から設計案の変更を迫った(IV章)。ここには、インターチェンジを周囲の事物や流れといかに関係づけ/切り取るかを巡る異なる視点のスケールが「技術的」次元で衝突するようになる一方、プロジェクトチーム(とりわけ外国人専門家)がそれを「技術/政治」もしくは「(技術的)細部/理念」といった異なる次元に分節化しようとする(徹底困難な)試みが見出される。社会的に拡張するのではなく技術的に細密化したこの論争過程には、異なる理念や論理が衝突し合う交渉過程ではなく、それらが不分明になるとともに、それらに訴えることが困難になる、非対称な行政的力学が指摘できる(V章)。
著者
中生 勝美
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.47-65, 1997

民族研究所は, 戦時中の短い期間に存続した。そこの研究員は, 戦後に活躍する民族学者が数多く在籍していた。しかし, 「戦争協力をした研究所」との批判があり, その実態は明らかにされていない。民族研究所は, 終戦とともに廃庁となったため, 残された資料は完全でない。そこで, 公文書と関係者の聞き取りから, 民族研究所の設立経緯と活動内容を調べ, ウィーンに留学していた岡正雄の民族研究所設立の構想, その人脈に加え, 日本の民族学者を組織していた古野清人の協力で, 民族研究所が設立された経緯を明らかにできた。民族研究所の設立目的は, 日本軍の占領地を現地調査することにより, 現地の異民族工作のための基礎資料を集めることであった。しかし実際には, 直接的な民族政策への参与はなく, 現地調査や文献研究により, 学術的に水準の高い研究が生まれた。特に, 岡正雄がウィーン学派への疑問から, イギリス的社会人類学へ問題関心を転換しており, フィールドワークによる異文化研究を, 民族研究所で実現したいと考えていた。戦後の日本民族学会をリードするメンバーは, 戦後になってヨーロッパやアメリカの人類学を受容したのではなく, 戦時中に設立された民族研究所の時代には, すでに海外の研究動向に目を配りつつ, 占領地や植民地のフィールドワークにより, 戦後に連続する研究を始めている。その一方で, 国策機関としての民族研究所が運営されたため, 研究所の蔵書の一部が, 占領地の略奪図書を中心に集められていたことなども明らかになった。中国には「飲水想源」(水を飲むとき, 源を想う)という諺がある。日本民族学のルーツを直視して, 負の遺産も含めた歴史を記憶する作業は, 民族学の現在を考える上で意義があるのではないだろうか。
著者
中村 友香
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.4, pp.515-535, 2019 (Released:2019-05-12)
参考文献数
36

近代医療は地理や経済、政治や文化など様々な地域的状況に結び付いて展開する。ネパールにおける近代医療は、1990年代後半以降、短期間に急速に展開してきた。近代医療は当該地域で暮らす人々にとって欠かせないものになりつつあるが、具体的にどのような地域的特徴を持ちながら展開しているのかについてはこれまでほとんど論じられていない。本稿では、ネパールの近代医療の臨床の場の状況を、病いの語りと南アジアのパーソンをめぐる議論を鍵に明らかにしようと試みる。 これまでの病いの語り研究は、社会装置・権力装置としての近代医療を反省する形で発展してきた。ここでは、個別具体的経験をめぐる個人の語りが重視された。南アジアのパーソンをめぐる議論は、様々な宗教実践や社会実践の事例を通じて、切り離しが困難なつながり合ったパーソンという特徴を示してきた。 本稿はこうした二つの議論を基に、内分泌科クリニックの待合室と診察室におけるやりとりを分析する。それにより、ここでは(1)病いの語りは間身体的関係を持つ家族らにも共有されており、(2)繰り返される語りを通じて、医師をもその関係に取り込もうとしていることを明らかにしていく。
著者
渡邉 麻理亜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.E09, 2016 (Released:2016-04-23)

頭髪は、人体の頭部から離れると、「不浄」なものや「汚いもの」として扱われることが少なくない。しかし、中国の伝統医療や韓国の伝統医療では、頭髪は「血余」もしくは「血余炭」と呼ばれ、外用としても内服用としても使用される薬品として現代まで使用され続けている。本発表では「血余炭」と呼ばれる頭髪を炭化させた薬品としての側面に注目し、中国での使用状況を中心に頭髪の利用の多様性と特殊性について検討する。
著者
浅井 優一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.95, 2012

本発表は、フィジーのタイレヴ地方ダワサム地域において、2010年に開催された首長(ラトゥ; Ratu)の即位儀礼が実行されるまでの過程で為された議論に焦点を当て、儀礼開催を望む長老・氏族が、土地の「あるべき過去の姿」/神話を再解釈し、それを再現する首長の即位儀礼を決行することによって、儀礼開催反対派を排除し、氏族間の権力関係を再編成したこと、一種のクーデターを成功させた過程を明らかにする。
著者
楊 小平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

本発表は、広島市における原爆遺構の観光化を検討することで、戦争の記憶の表象と越境の関連性を考察することを目的としている。
著者
中村 八重
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第54回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F12, 2020 (Released:2020-09-12)

本発表は韓国のレトロブームのなかで植民地遺産としての建築物がどのように位置づけられているのかを、建築物の観光化をめぐる現象の分析を通じて明らかにしようとするものである。植民地時代の衣装を新しいものとして消費することが若い世代で流行している。こうしたブームが、従来「生きた歴史教育の場」という役割が課せられていた植民地遺産をめぐる言説や現象に与える影響を検討する。
著者
中村 沙絵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第53回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F23, 2019 (Released:2019-10-01)

人道主義が世界各地で展開し、多様な主体や局地的な実践形態をとりこみながら遂行されている。こうしたなか、贈与の効果によってその価値を測る世俗的贈与と、与える行為そのものに意味を付与する宗教的贈与のロジックが、同一の活動において同時に保持されるような混淆的な状況が出現し、研究の対象にもなっている。しかし人道主義と宗教が重なり合う領域がいかなる贈与のロジックによって成立しているか、それがいかなる経験や関係性の創出に寄与しているかについては、あまり問われてこなかった。本報告ではスリランカで人道主義的な介入と宗教的実践とが重なり合う領域としての社会奉仕実践、およびそこでの贈与行為に着目する。与え手・受け手のふるまいやロジック、ならびに与え手と受け手のあいだでとりむすばれる関係性のありようをみながら、こうした混淆的な贈与の実践がもたらす経験や社会性について検討する。
著者
藏本 龍介
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第53回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F22, 2019 (Released:2019-10-01)

本発表では、ミャンマーの「自然法」瞑想センターを事例として、仏道修行/布教事業/社会福祉事業が渾然一体となった「布施行」の実態を分析する。そして「布施」というロジックに貫かれたこのセンターにおいては、「布施経済」とでも呼びうる独特な経済制度がみられることを示す。
著者
秦 玲子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本発表は、ニュージーランド・マオリ(以下、マオリ)の伝統的タトゥーであるモコ復興の過程について、モコを刻む彫師、そしてモコをまとう人々、個々人の経験に注目して報告するものである。個々人の経験に注目することで、マオリ文化復興への理解を深めると共に、各地の文化復興運動をめぐる議論に貢献したい。
著者
岩間 春芽
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本研究の問いはネパールの北西部を援助を行いに訪れた人達がどのようにしてネパール北西部の情報を得て、どのような想像をしているのか、また想像の共有によりどのような現象が生じているのかである。4つの事例から「貧しいネパール北西部」を想像するメディアスケープが存在しており、世界の様々な地域の人たちが同じような想像を共有しており、想像した人達が更に援助を広めるという現象を引き越しているということが言える。