著者
荒川 紘
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.1-41, 2005-01-31

Hayashi Shihei, Takayama Hikokuro and Gamo Kunpei were called the Three Eccentrics (Sankijin) of the Kansei era. They did not work under the feudal lord (daimyo), but, by wondering various places, deepened the thought of the ieal political system of Japan. Many people, spesially scholars of the Mito domein (now part of Ibaraki Prefecture), were influenced profoundly by them. Consequently, the Three Eccentrics of the Kansei era became precursors of the movement to overthrow the Tokugawa shogunate. Hayashi who was a samurai of Sendai domein (now part of Miyagi Prefecture), went a several times to Edo to study, and contacted with scholars of Western learning. Later, making three trips to Nagasaki, he became convinced of the need to strengthen national defenses and immersed himself in the study of the geography and military science. Takayama who was born in Kozuke Province (now Gumma Prefecture), the son of a wealthy farmar, went to Edo to study and made several trips to the imperial capital of Kyoto to visit the residences of court nobles and royal personages and to persusade the legitemacy of the emperor's authority. Gamo who was born into a merchant family in the castle town of Utsunomiya (now in Tochigi Prefecture), visited frequently to the Mito domain (now part of Ibaraki Prefecture) and associated with members of the Mito school. These visits further inspired his interest in the true relations between sovereign and subject (taigi meiburi). He toured the country inspecting imperial tombs and found many of them in disrepair. First, this paper surveies activities of the Three Eccentrics of the Kansei era. Second, the historical role of their wonderings is discussed, concerning with the Meiji Restoratoin. Finally, their opinions for the education are considered.
著者
橋本 剛
出版者
静岡大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2002

コンピュータ将棋の開発では探索と評価関数が大きな2本の柱であるが,評価関数は従来各駒の玉との相対位置を点数化した「相対評価」が主流であった.だが相対評価には悪手であるにもかかわらず玉が自分の駒に接近してしまうなど重大な副作用がある.本稿ではこのような副作用のない「絶対評価」をメインにして相対評価の使用を大幅に制限する評価関数TACOSYSTEMを提案し,その実装方法を具体的な例を用いて示す.TACOSYSTEMを実装した我々の将棋プログラムTACOSは第14回世界コンピュータ将棋選手権で決勝入りを果たすという好成績を収めた.ゲーム木探索にとって水平線効果は最も厄介な問題で,特に水平線効果が出やすいゲームではその対策が不可欠である.将棋など持ち駒を使用するゲームでは明らかに損と断言できる水平線効果の指し手が存在するが,これまでその対策が論じられたことはなく現在も将棋プログラムで頻繁にみられる現象である.これを「強度の水平線効果」の指し手と呼び,ゲーム木探索においてこれを完全に除去する方法「SHEK (Strong Horizon Effect Killer)」を提案した.SHEKでは探索中の局面同士で生じる強度の水平線効果はもちろん,ルート局面以前の過去の局面とで生じる強度の水平線効果も指し手の履歴さえあれば完全に除去することが出来るが,計算コストはほとんどかからない.SHEKの概念と実装方法を紹介したのち,千日手問題等に適用する方法も提案し,将棋プログラムに実装してその効果を実証していく.
著者
吉岡 濶江
出版者
静岡大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1995

【得られた新たな知見】茶カテキンが、何故、放射線によるDNA損傷を防御するのか、その機構について調べた。その結果、^<60>Coγ線およびトリチウム水中でのβ線照射等によって誘発されたDNA鎖切断の主な因子はヒドロキシルラジカル(・OH)によるものであり、茶カテキンによる防御効果は、そのラジカルを消去しているためであることを、固相スピンとラッピング法を用いたESR測定により確認出来た。また、茶カテキン(EGCg)がDNAの塩基対間にインターカレートしている現象を見いだした。そしてDNA近傍にあるEGCgが放射線によるDNA損傷を防御することもわかった。さらに、一本鎖DNA鎖切断に対するG値(1×10^<-4>mol/l)をも算出した。他方、遷移金属(鉄(II)クエン酸)錯体によによるDNA損傷機構および、それに対する茶カテキンの影響について詳細に調べた。DNA損傷機構をスーパーオキシドアニオンラジカル、過酸化水素、・OHの消去剤である、SOD、カタラーゼ、メタノール等の試薬を用いて活性酸素消去能を調べた。その結果、鉄(II)クエン酸錯体によるDNA鎖切断過程において、フェントン反応が発生し、その反応から生成される・OHがDNA鎖切断を誘発するのではないかと考察した。そして切断の過程において、電子移動が必要であり、溶存酸素がこれに深く関与していることを明らかにした。しかしESR測定結果からは・OHを検出することが出来なかった。その理由として、ESRの検出感度はDNAのような高い検出感度をもっていないためと考えられる。さらに、茶カテキンの影響について調べた。その結果、茶カテキンは鉄(II)クエン酸錯体化学種の溶存形により損傷及び防御作用としての2面性をもっていることがわ解った。現在その機構を検討中である。
著者
荒川 紘
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.1-28, 2002-07-31

A Babylonian epic, Enuma elish, whose chief purpose is to recount how the god Marduk became the head of the Babylonian pantheon, also describes how Marduk created the cosmos. Spriting the salt water goddess Tiamat into two, he used one half to form the heaven and the other to fashion the earth. This text then forcuses on how he created the heavenly bodies, the mountains and the springs, and the mankind. In this paper, we argue mainly how the cosmology of Enuma elish brought forth. First, we pay attention to the mother goddess Ninhursag and the water god Enki. As city-states appeared, Enki became the leading god of the Babylonian pantheon, who had the role of organizing the various features of the civilized world. Second, we discuss the atomospher god Enlil in Sumer who also created Heaven and Eath by devidindg "the mountain of cosmos". Its "mountain" correspods to Tiamat in Enuma elish. Additionlly, one of the interesting points is that the character of Tiamat stems from the fertility of the Tigris and the Euphrates and the chloridation of the land. Thi^ the relation between the Babylonian dynasty and Enuma elish is argued. We discuss there that the centralization of the political powers produced the systematic cosomology. It is noteworthy that Marduk and his cosmology were related to the origin and the order of the Babylonian dynasty, and the ziggurat, Mesopotamian temple tower, was a symbol of the Babylonian dynasty and its cosmography. Finally, we refer to Enuma elish's influence on the Jews and the Greeks. As to Old Testament, the creation of Heaven and Earth in Gensisl is thought to originate from the cosmology of Enuma elish. This cosmology was likely to be related to Greek science, also. The water goddess Tiamat may, for example, be connected with the water that Thales chose as his primordial stuff. And, the significance of studying Enuma elish in the present day is stated.
著者
福原 長寿
出版者
静岡大学
雑誌
挑戦的研究(萌芽)
巻号頁・発行日
2019-06-28

本研究では、産業プロセス排出のCO2を、CO2の分離操作なしに空気成分と混在したまま、25℃程度の常温域で高効率・高選択的に、かつ大量にCH4に変換する触媒反応場を創製する。そして、この反応場の触媒機構を解明し、CO2資源化技術の新学理を開拓する。研究のポイントは、構造体触媒反応場によってCO2を常温域で効率的なメタン変換を大量規模で行なうことである。通常の報告例では300℃程度で実施されるCO2のメタン化反応を、常温域で実施することは世界で未だ報告例はないことから、本研究で開拓する技術によって世界に先駆けたCO2の資源化ルートを開拓する。
著者
篠原 和大 藤井 道彦 小松 かおり
出版者
静岡大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

弥生時代の農耕集落として著名な登呂遺跡の復元された環境を活用しながら、弥生時代の農耕を中心とする生業のありかたを具体的に復元することを試みた。復元された水田での栽培実験や静岡・清水平野を中心とした弥生遺跡の検討、レプリカ法を用いた植物資料の収集をおこなった結果、「登呂モデル」としてある地域で弥生時代に農耕が形成され展開していく過程を示すことができた。
著者
安永 愛
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.61-83, 2010
著者
上利 博規
出版者
静岡大学
雑誌
人文論集 (ISSN:02872013)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.29-49, 2002-07-31

Michel Foucault (1926-1984) was greatly influenced by two types of art in the twentieth century, that is contemporary music and literature. Both of them attempted to depart from the art in the nineteenth century based on humanism. This movent in art and culture is called formalism, and at the same period the structuralism appeared in France. The first section of this paper (§1 Contemporary Music) examines the relation between music as formalism in the twentieth century and the philosophy of Michel Foucault. And the second (§2 Dream as Expression, Madness, Literature) concerns literature as formalism in the twentieth century. Throughout this paper we find that Foucault wanted to remind us that we have lived in the distance from the madness.
著者
田村 貞雄
出版者
静岡大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1989

本年度は主として史料所蔵者・所蔵機関を訪ね、史料の収集を行なった。まず「ええじゃないか」発生地域の県立図書館等を訪れ、市町村史・郷土研究誌の閲読と重要部分の複写を行ない、それらを手がかりとして原史料の収集を一部行なった。とくに1867(慶応3)年に焦点をしぼり、その前年以後の地域の情勢に関する史料、江戸・京都の政治動向についての情報の伝播に関する史料を収集した。収集箇所は東京・神奈川・愛知・三重・岐阜・京都・大阪・和歌山・兵庫・岡山・広島・香川・徳島の13都府県立図書館およびその他の史料所蔵機関(京都府丹後資料館、三原市立図書館、岐阜市歴史博物館など)、また重要資料所蔵者である兵庫県三田市の朝野家、三重県一志郡美杉村の向田家を訪ねた。また幕末期の政治・経済情勢を把握するために、上記機関のほか鹿児島・山口・佐賀・山形の県立図書館およびその他の史料所蔵機関(山口県文書館・酒田市立図書館)などで資料収集を行なった。以上の資料収集は、また十分なものとは云えず、膨大な推別史料のごく一部を散見したに過ぎない。しかし以上の史料の中間的分析では、「ええじゃないか」は1867年(慶応3)5月末の第2次長州征代中止決定の公示がきっかけとなった物価の下落と「にわか踊り」の自然発生のもとで、その情報伝播が広がり、7月中旬に三河地方で発生した。その狂乱が逆に京阪地方に達するのは、10月14日の大政奉還の直後でありこれを封膜派が十二分に利用した形跡がある。今後さらに広範囲に史料収集を行ない、従来の狭い政治史や民族学プロパ-の分析を脱し、政治史、経済史、社会史、民族学を総合した分析を志したい。
著者
荻野 達史
出版者
静岡大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

(1)日本における産業精神保健の歴史を詳細に記述し整理することができた。これは、この領域については先行研究がないため、新たな課題への研究上の基礎を築くものである。(2)この問題の中核的な社会的背景となる個人化についての研究を進めた。具体的にはU. BeckのIndividualizationの翻訳プロジェクトを立ち上げ、来春には刊行の予定である。(3)小中学校教員のメンタルヘルスに関する調査票調査を教員組合と協力して実施した。高い回収率を達成でき、分析を継続している。