著者
山神 達也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.187-210, 2003-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
59
被引用文献数
6 3

本稿では,日本の大都市圏における人口増加の時空間構造を把握するために,展開法に依拠し,時間的・空間的連続性を仮定したモデルを適用するとともに,観測値が得られる最新年次までの動向を基に,人口増加の空間構造の将来予測を行った.その結果,以下のことが明らかとなった.まず,日本の大都市圏では,人口増加の絶対水準が徐々に低下した.また,東京・大阪・福岡の各大都市圏では,人口成長の中心が遠心的に移動し,近年,人口の再集中傾向がみられる。一方,他の大都市圏は,人口成長の中心が都心から10~15km帯にとどまり,都心区の人口回復は,予想されないか,予想されても人口増加の空間構造が絶対的分散から相対的分散へ変化するにすぎない.以上の結果は,展開法に依拠した本稿のモデルの適用によりはじめて得られるものであり,従来の都市発展モデルでは同一の発展段階にあるとされた大都市圏問の差も確認することができた.
著者
西部 均 平野 昌繁
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.7, pp.479-491, 2002-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
39

兵庫県南部地震による市街地被害の数量的評価のため,神戸市兵庫区・中央区の応急修正版住宅地図に基づいて震災被害率を計算した.家屋の被害には1950年の建築基準法施行が最も大きく影響していると考え,米軍空中写真を利用して市街地の戦災状況を判別し,震災被害と戦災状況を比較した.その結果,震災被害率は戦災の程度が大きいほど小さくなる関係にあることが確認された.その関係性を踏まえた上で,さらに1万分の1地形図を利用して震災被害率の空間分布の方位特性を分析した.その結果,戦災を免れた地区ばかりでなく,活断層に沿う部分でも被害が大きいことも判明した.このように空間的に市街地被害を評価することで,被害分布図のみでは判定しがたい家屋特性と活断層という被害要因の相乗効果を明確化することが可能となった.
著者
後藤 拓也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.7, pp.457-478, 2002-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
34
被引用文献数
3 2

本稿はカゴメ株式会社を事例に,食品企業が農産物流動の国際化にどのように関与しているのかを明らかにした。日本のトマト加工品輸入量は1972年以降急増し,早くから国際的な農産物流動を経験してきた.その輸入地域は,1980年代までは台湾に依存していたが,1990年代以降は著しく分散化し,空間的変化が顕著である.輸入地域の1980年代以降の変化は,基本的には原料のコスト要因に規定される傾向にある.しかし,輸入量の約50%を占めるカゴメの海外調達戦略が,輸入地域の空間的変化に大きな影響を与えていた.そこでカゴメを事例に,企業単位で海外調達のメカニズムを検討した.その結果,カゴメが1980年代以降に海外調達提携先の多元化を進め,調達地域を著しく分散化させてきたことが確認された.カゴメによる海外調達先の分散化は,調達用途の多様化,調達のリスク分散,調達の周年化を進める上で重要であり,低コスト調達のみを追求した結果ではない.事実,カゴメの調達組織では,海外産地に対し多面的な評価を行っている.一方,カゴメによる海外調達の進展は,国内調達にも大きな影響を与えた.カゴメは,自らの国内産地を輸入原料で代替困難なジュース専用産地に位置付ける必要があり,国産原料をジュース専用品種へ全面的に転換したのである.これは,カゴメが海外調達で進めてきた用途別調達,分散調達,周年調達が,国内調達と連動していることを端的に示している.
著者
北崎 幸之助
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.161-182, 2002-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
36

本研究は,戦後開拓地が現在まで農業集落として維持・発展している大八洲開拓農業協同組合地区を研究対象地域として取り上げ,アクターネットワーク論を用いて,開拓集落の維持・発展の要因を明らかにすることを目的とした.満蒙開拓団出身者らによって建設された大八洲開拓農業協同組合地区は,加藤完治の直接的な指導を受けた初代組合長の佐藤孝治が地域スケールのグレートアクターとなって,満蒙開拓団時代の紐帯や加藤から受けた農業指導を活かしながら共同経営を開始した.高度経済成長期以降,入植2代目の多くは日本国民高等学校や農業試験場などから最新の農業技術を学び,地域の営農に活かしていった.地域内に形成された水稲作や酪農における機能集団の外的なネットワークは,国家や地方スケールの補助事業を積極的に導入しながら営農の集団化を進め,水稲の請負耕作や集団転作などに対応した.また,開拓組合員に求心力を持たせる相互扶助や土地売買に関する内的なネットワークも形成され,組合員の離脱を防ぐ役割を果たしていた.このように,大八洲開拓農業協同組合地区内には,外的・内的なネットワークが重層的に形成されるとともに,国家や地方スケールの垂直的なネットワークとの連繋も図られていたため,戦後開拓地を農業集落として維持・発展させることができた.
著者
大橋 めぐみ
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.139-153, 2002-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
23
被引用文献数
3 3

本研究では,日本の条件不利地域における小規模なルーラルツーリズムの可能性と限界を明らかにするため,長野県栄村秋山郷の事例を取り上げ,ツーリズムの需給構造ならびにツーリズム資源となるルーラルアメニティの保全との関連に注目して検討した.秋山郷を訪れるツーリストは,ルーラルアメニティを構成する要素のうち自然的・文化的要素への関心が高く,リピーターを中心に満足度も高い.しかし,農業的要素への需要は十分満たされていない.地域住民は,農業や建設業との複合経営の一環として,低コストで小規模な宿泊施設を経営してきたが,近年は経営の維持が困難となっている.こうしたツーリズムは文化的要素の維持には貢献してきたものの,農業的要素の維持には結び付いてこなかった.ルーラルアメニティの劣化はツーリズム自体の存立を脅かすものであるが,その保全のためにはツーリストやツーリズムに携わる住民のみでなく,地域住民全体を含めた保全の枠組が必要である.
著者
吉村 信吉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.19, no.7, pp.365-381_1, 1943-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13

1) 昭和17年12月及び18年1月の低水時に原町田及びその西方の相模野臺地の地下水を調査した。 2) 本地域の一般地下水ば臺地面下23~17mにあり,地形に從つて北西より南東に向つて低下する。その面は境川の河水面と平衡を保ち下の不透水層とは無關係である。原町田附近では町田川及びその支谷の底が低い位置にあるのでそれに向ひ流出し,地下水面は境川との間に分水線を作ることなしに低下してゐる。これは境川中流の冬季の水量を減少させる1つの原因である。 3) 大沼,鵜野森,原町田,金森の3宙水域が本水面上10~15mの所に發達してゐる。武藏野臺地と異なり中央は邊縁部よりも10m近く盛上つてゐる。原町田に於ては宙水域の端を精密に觀密することが出來た。 4) 聚落の發生,立地と地下水との關係を略述した。
著者
林 上
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.12, pp.875-877, 1971-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
2
被引用文献数
3 2

冒頭で述べたように,濃尾地震直後における小藤文次郎の調査により本巣町金原地区において, 7.2mに及ぶ水平変位のあったことが報告されているが,筆者はこのたび根尾村中地区における同地震にともなう断層運動の水平変位を調査した.その結果,上述した地籍図と実測図との間における各境界線および道路の食違い量を水平変位量の近似値と考え, 7.4mの値を得た.この値は小藤の値とほぼ同じであるが,このように大きな水平変位が単に金原地区だけにあったにとどまらず,それより12kmも北西に位置する当地区においても発生していたことなどからみて,根尾谷断層は濃尾地震時の断層運動においても,広範囲にわたって「横ずれ断層」(水平成分〉垂直成分)の性格をもっていることが裏付けられたといえよう.
著者
竹内 常行
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.445-458, 1975-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13
被引用文献数
1

九十九里平野では,いく列かの砂堤(あるいは浜堤,砂堆)と砂堤間の低湿地が,海岸線にほぼ平行しているという地形的特色に対応して,砂堤は集落・畑・山林などの場所,低湿地は水田になっているというのが,従来の通念であった.しかし,砂堤の大部分は島畑区域となっているので,水田は砂堤の区域にも広く分布しているという事実によって,従来の通念を修正し,ついで九十九里平野に島畑のできた理由について.従来発表された意見の誤りを指摘し,地形に由来する水利上の不利を克服しながら,砂堤区域に水田を拡張して行なった結果,島畑景観が生れたものであることを明らかにした. ついで本稿の大部分を椿海干拓地の島畑地域の記述にあてて,まずその島畑の分布図を作成し,特色ある島畑景観地域について,いかなる地形,いかなる水利条件の地域に,島畑景観が生れたかを明らかにする.
著者
木村 ムツ子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.394-401, 1974-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
15
被引用文献数
3 4
著者
Hiroo OHMORI Kazutaka IWASAKI Kazuhiko TAKEUCHI
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical Review of Japan (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.131-150, 1983-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
26
被引用文献数
3 5

For the remobilization of dunes in the southern part of Australia, many causes have been pointed out. The climatological cause, however, has been discussed only insufficiently. In this paper the relationship between the recent dune activities revealed by geologic, geomorphologic, vegetation and hearing surveys, and the rainfall fluctuations induced by the analysis of both instrumental data and drought records was examined. It was confirmed that the patched distribution of presently active dunes with a sharp contrast to the surrounding stable dunes covered with vegetation in the semi-arid and humid zones is not due to the local difference in climate, but due to the patched distribution of thickness of the latest Pleistocene to late Holocene dune sands. Although some of presently active dunes are reported to have been active even before the European settlement, most of them started their sand drifts after the vegetation clearance by them. Therefore, almost all of them can be called “remobilized dunes”. The marked dune activities have been taking place whenever the residual mass curve of rainfall continuously decreased for more than one year resulting in the amount of the sum of the decrease exceeded 500 and/or 600‰ of the mean annual rainfall of each region. It is since the end of the 19 th century that the periods of decreasing in rainfall and severe droughts, when marked sand drifts also occurred, became frequent in the southern part of Australia. It was relatively humid from the end of the 18th century to the end of the 19th century and the dry phase started from the beginning of the 20th century. The remobilized dunes have increased in both number and coverage since the beginning of the 20th century when the dry climate became more frequent. This circumstance continues now at least in the southern part of Australia.
著者
今泉 俊文 楮原 京子 大槻 憲四郎 三輪 敦志 小坂 英輝 野原 壯
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.5, 2006 (Released:2006-05-18)

1.はじめに 陸羽地震(1896年)は,千屋断層が引き起こした典型的な逆断層タイプの地震であり,世界的に見ても歴史地震としては数少ない逆断層の例の一つである.これまで本断層を対象に地形・地質調査,トレンチ調査,反射法地震探査・重力探査等いろいろな調査研究がおこなわれてきた.演者らは,千屋丘陵の西麓・花岡で,陸羽地震時の断層露頭を発見した.地表トレースが地形境界に沿って湾曲することが明確になり,逆断層の先端(地表)から地下に至る断層の形状・構造が複雑であることがわかった,その形成過程とあわせて検討することが必要である.2.断層線 花岡・大道川(菩提沢)の河岸において断層露頭を発見した.この場所は,千屋丘陵西麓(断層崖)から300m程山側(東側)に入り込んだ沖積扇状地の扇頂付近にあたる.露頭の標高は,丘陵前面の断層崖基部に比べて高い.つまり,断層線は地形境界に沿うように湾曲する(図1).松田ほか(1980)は,花岡では断層が扇央を通過すると考えていたが,地籍図・土地台帳図の解釈からは,山際を通過することが指摘されていた(今泉・稲庭,1983).このような崖線の湾曲は,逆断層の特徴でもある.中小森のトレンチ調査現場(天然記念物保存地)の小谷で行われたボーリング調査結果から,このような断層線の湾曲は,地表近くで断層の走向または傾斜が変化(地下から地表に向かって雁行)することによって生じると考えた(今泉ほか,1986).花岡の谷(大道川)は.千屋丘陵の開析谷では谷幅も広い.谷幅に応じて湾入の程度が変わるとすれば,断層面の形状の変化も,谷幅に比例した深度から生じていると考えるべきだろう.この露頭の脇を通って(せせらぎ公園のある沢沿い),1996年に活断層を横切る反射法地震探査がはじめて実施され,千屋断層がemergent thrustであることや,この断層に沿って断層上盤側が東側へ傾動する構造などが明らかにされた(佐藤ほか,1998). 逆断層露頭を直接観察できる地点(一丈木・赤倉川河岸など)や,明瞭な地震断層崖が連続する場所は,千屋丘陵の麓でも,大局は断層線がほぼ北北東〓南南西走向を示す区間である.これに対して,走向が変わる千屋丘陵北端部や南端部では,断層上盤は撓曲変形を示し,陸羽地震時の断層の詳細な位置や変位量は不確かである.北端部や南端部では,逆向き断層を含めた副次的な断層によって,上盤側に数列の背斜状の高まりが生じている.3.断層露頭 上盤側の新第三紀層と段丘堆積物が下盤側の地震前の地表に衝上(傾斜は約30度)して.そこに崖高1.2m程の低断層崖を形成している(崖の上にはかつて小規模な発電所があった).断層に沿っては,砂礫層の回転・引きずりが明瞭である.この地形面(砂礫層の堆積の)年代を知るために年代を測定中である.あわせてこの露頭から陸羽地震以前の活動についても(その時期も含めて)詳細を検討中である.
著者
牛垣 雄矢 木谷 隆太郎 内藤 亮
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100057, 2015 (Released:2015-04-13)

1.研究目的 発表者の一人は,東京都千代田区秋葉原地区について,すでに2006年における現地調査と2000年以前の資料を基に,商業集積と変容の過程を分析するとともに(牛垣2012・2013),「地域的個性」の形成過程という文脈で考察した(牛垣2014)。しかしこれらの論文においては,雑居ビルに入居する店舗については補足的な扱いにとどまり,ここに入居する小規模な店舗の集積・変容の過程については課題となっていた。本発表では,2013年に実施した現地調査によって得られたデータを基に,雑居ビルに入居するような小規模な店舗も含め,2006年から2013年にかけての商業集積の変容について考察する。 2006年から2013年にかけての7年間で,同地区は大きく変容しているように見える。家電業界の再編,サブカルチャーやアイドルブームといった近年の動向が,同地区に変化をもたらしているとも考えられる。2.研究方法 牛垣(2012)と同様,単独の店舗が占有している建物を「占有ビル」,複数の店舗が入居している建物を「雑居ビル」とし,同地区へ集積する店舗の規模を区別する。また,立地傾向とその変化については,秋葉原駅からの遠近と表通り・裏通りを区別し,A~Fの6地区に区分して分析する。3.結果 ①同地区を代表する業種であった家電,デジタル,アニメ関係の店舗が減少したのに対して,比較的新しい業態であるメイド喫茶が雑居ビルで急増し,同地区に固有の空間的性格をもたらしている。逆に,アニメ関係店は雑居ビルで急減しており,雑居ビルにおける店舗の入れ替わりや業種・業態の変化が顕著である。 ②家電業界の再編の影響もあり,秋葉原駅近辺に立地していた老舗の電気店が全国的にチェーン展開する企業の傘下に取り込まれている。また家電系以外の店舗においても,占有ビル・雑居ビル双方でチェーン店が増加し,他の商業集積地と同様に,商業空間の均質化が進行している。 ③これに対して駅から離れた裏通りの雑居ビルでは,メイド喫茶のほかリフレ系やJK散歩といったよりオタク度の高い店舗が入居しており,表通りと裏通りで空間的性格が二極化している。 ④また,比較的軽度なオタクといえる一般的なアニメやアイドル店は占有ビルに多いのに対して,少女アニメ店やメイド喫茶は雑居ビルに多く入居する傾向がみられ,アニメ系の店舗の中でも立地傾向は二極化している。4.考察 大手流通企業によるチェーン展開が進む中,国内外で商業空間の均質化が進行しているが,固有の景観的・機能的性格を有していた秋葉原地区においても,駅近辺・表通りに立地する大型店ではチェーン化が進行したのに対して,裏通りなどに多い雑居ビルでは同地区特有の性格が強化され,空間的性格が二極化している。家電街からパソコン街,パソコン街からアニメ街への変容の際には,駅近辺や表通りに立地する大型店でこれらの新しい業種を取り扱ったことが,同地区の業種変化をもたらしたが(牛垣2012),2006年から2013年にかけての変化はこれと異なる傾向をみせている。 これは,同地区がこれまで小売業中心の商業集積であったのが,飲食・サービス業の割合を高めていることとも関係があると考えられ,その点においても大きな変化といえる。また,第二次世界大戦後のラジオ店から家電・パソコン関係と,電子部品を扱い技術的な知識が要求される業種であったのが,アニメ化によってそれが不要となったことで,同地区に同業種が集積する必要性が減じたといえるが(牛垣2012),メイド喫茶などの集積によりこの傾向が更に強まったといえる。
著者
村山 良之 笠原 慎一郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100244, 2015 (Released:2015-04-13)

東日本大震災の経験を踏まえて,文部科学省は,2012年『学校防災マニュアル(地震・津波災害)作成の手引き』と2013年『「生きる力」を育む防災教育の展開』(1998年度版の改訂版)を学校現場に向けて提示した。これらはそれぞれ,学校の防災管理と防災教育の充実,向上を学校に求めた文書である。   学校の防災管理 大津波による被災や避難所での混乱を経験して,学校の防災管理の改善が急務である。上記の文部科学省(2012)は,これを踏まえたもので,各学校の防災マニュアル改訂の指針となるべきものである。これを基に,複数の教育委員会がマニュアルの「ひな形」を作成,提示している。標準的なマニュアルを基にして(適宜複製,改変して)各校のマニュアルを作るのは,「諸刃の剣」である 。 鶴岡市教育委員会は2012年度から防災教育アドバイザー派遣事業を行い,村山が指名された。その初年度は,鶴岡に関連するハザードと土地条件,および文部科学省(2012)等をテキストにマニュアル作成に関する内容の教員研修会を4回開催した。しかし,年度末に各校の防災マニュアル(相当の文書)を収集したところ,一部の学校で充実した改訂・策定が行われていたものの,多くの学校はまだまだであることが判明した。そこで,現職教員院生を含む発表者らは,宮城県教育委員会の了承を得て,宮城県教育委員会(2012)を下敷きにして,鶴岡市版を作成し,2013年度末に各校に配信した(鶴岡市教育委員会,2014)。これらの最初に,各校がマニュアル作成の前提となるべき事項を確認,整理するための頁を設定した。担当教員がもっとも苦労する頁になるかもしれないが,「自校化」の鍵と思われる項目群である。この頁の作成作業を,少なくともその確認を,校内の全教員でされることを望みたい。「諸刃の剣」であることを少しでも避けるための工夫である。(山形市版作成も進行中) 学校防災マニュアルは,改訂を継続することが必要であるし,実際場面では即興的な逸脱があり得ることも心しておくことが必要である。これらも,東日本大震災の教訓である。学校の防災教育 児童生徒に身近な地域の具体例を示したりこれを導入に用いたりすることは,学校教育においてごく日常的に行われていることである。自然災害は地域的現象であるので,学校の防災教育においては学区内やその周辺で想定すべきハザードや当該地域の土地条件と社会的条件を踏まえることが必要であるし,これによって,災害というまれなことを現実感を持って理解できるという大きな教育的効果も期待できる。すなわち福和(2013)の「わがこと感」,笠原(2015)の「自己防災感」の醸成につながる。たとえば山形県で火山災害を学ぶには,桜島ではなく吾妻山,蔵王山,鳥海山のうち近い火山を事例とすべきであるし,地震災害ならば1964年新潟地震や山形盆地西縁断層帯等を取り上げるべきである 。山形県に限らず最近大きな自然災害を経験していない多くの地域でも,過去の災害事例や将来懸念される災害リスクには事欠かない。ハザードマップも(限界も踏まえて)活用されるべきである。 このように防災教育は,多分に地域教育でもある。ただし防災資源も提示する等して,危険(のみ)に満ちた空間と認識されることは避けるべきである。たとえば小学生の「まちあるき」では,危険箇所とともに,堤防の役割(と限界)の指摘,防災倉庫の見学,消防団や自主防災組織へのインタビュー等,無理なく可能であろう。あらためて取り組むべき課題 当該地域に関わる誘因と素因の理解は,学校の防災管理や防災教育における自校化の土台としても必須であり,さらに,東日本大震災の教訓の1つである児童生徒自ら判断の土台でもある。 ところが,学校防災を担う学校教員にとって,当該地域のハザードや素因(とくに土地条件)を理解することが難しいことが指摘されている。自然災害に対する土地条件をもっともよく示すのは「地形」である。地形は地表面の形状であるから,わかりやすいはずであるが,そうは思われていない。国土地理院のウェブサイトから,容易に複数の地形分類図(土地条件図,治水地形分類図,都市圏活断層図等)にアクセスできるようになった。これと国や自治体が公表している各種ハザードマップを組み合わせることで,より的確な解釈が可能となる(はずである)。 地域と学校の実態に即した学校防災マニュアルの作成や改訂,防災教育の教材やプログラムの開発と実践が求められている。地理学研究者,地理教育学研究者は,学校教員と共同でこれに当たるまたはこれを支援すべきと考える。また,学校現場の教員や教員を目指す学生に,これを可能にするための,地球科学に関する基礎的な内容を含む研修や大学での授業が必要と考える。
著者
和田 崇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100015, 2012 (Released:2012-09-14)

近年,漫画やアニメ,ゲームを始めとする日本のコンテンツが海外で注目されるようになり,日本政府もこれを踏まえるかたちで,日本独自のコンテンツを海外に積極的に発信する「クールジャパン」戦略を展開してきた。一方で,日本国内においても,地方の自治体や経済団体などが漫画やアニメ,映画などのコンテンツを活用した観光振興や文化振興に取り組む事例が増加している。本発表では,日本におけるコンテンツを活用した地域振興活動について,その発展要因と活用パターンを概観する。 コンテンツを活用した地域振興活動が活発となってきた要因(背景)として,製作者と消費者,地域それぞれの環境変化を指摘できる。コンテンツの製作者は,デジタル化に伴って情報の編集・複製が容易になったこともあり,リスク削減と収益拡大のために,コンテンツの二次使用を積極的に行うようになり,地域もメディアの一つとみなされるようになった。また制作に当たり,新たなストーリーやロケーションを地域に求める動きも活発となってきた。消費者は,メディアごとにコンテンツを楽しむ従来からの消費形態に加え,インターネット上でコンテンツをめぐるコミュニケーションを楽しむという形態が確立した。その一方で,コンテンツゆかりの場所やリアルに再現される場所を訪ねることにより,コンテンツをより深く味わおうとする行動もみられるようになってきた。 各地域の自治体や経済団体などは,地方分権が進展する一方で,地域間競争を勝ち抜くことが求められるようになり,地域資源を活用した地域の個性化・魅力化に取り組むようになった。その際,手軽に制作あるいは活用可能な資源としてコンテンツが注目されるようになった。 コンテンツを活用した地域振興活動にみられるコンテンツと地域の関係については,3つのパターンを見出すことができる。第一は,歴史や風景など場所の持つ力がコンテンツに組み込まれている点である。それによって,製作者はコンテンツの魅力を高め,自治体や経済団体などは地域の魅力を発信している。第二は,地域がキャラクターの新たな活動場所となっている点である。それによって,製作者は二次使用の機会を広げ,自治体や経済団体などは地域や商品の知名度向上とブランド化に結びつけている。第三は,地域がコンテンツ消費者のライブ体験,購買,交流の場所となっている点である。
著者
神谷 浩夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100198, 2012 (Released:2013-03-08)

1.本発表の目的 発表者はこれまで,海外で働く若い現地採用の日本人女性を中心に調査を実施してきた.1980年代初頭のバブル崩壊以降,国内労働市場は二極化が進展する一方,これまで以上に流動化が進んだ.それと同時に,海外で働くことが大きなブームとなった.こうしたブームを支えたのは,現地採用で雇用される未婚の女性であった.最近では,現地採用として海外で就職する日本人は女性だけでなく男性にも広がりつつある.そこで本研究では,シンガポール,サンフランシスコ,ホーチミンで実施したこれまでの調査をふまえながら,2011年2月にバングラデシュで行った現地で働く日本人若者の調査結果を報告する.2.バングラデシュの特徴 バングラデシュは世界の最貧国のひとつに数えられることが多く,海外からの民間投資額も多いわけではない.むしろODAなど政府関連の援助による投資が主流である.そのため2010年の外務省海外在留邦人数調査統計によれば,バングラデシュに住む日本人は569人,そのうち長期滞在者が504人,永住者が65人である.長期滞在者の内訳は,民間企業関係者が101人,同居家族が20人,政府関係職員が131人,同居家族が66人,その他が97人,同居家族が58人となっている.つまり民間企業関係者よりも政府関係職員の方が多い.近年日系企業の進出が活発化していると言われているが,その水準は低位に留まっている. 一方,シャプラニールやマザーハウスに代表されるように日本人によるNGOや社会的企業の活動がバングラデシュで活発に繰り広げられている.さらに,グラミン銀行やBRACなどマイクロクレジットが世界的に注目されるようになり,BOPビジネスも脚光を浴びるようになっている.2010年には,ユニクロがグラミン銀行と提携してソーシャルビジネスを開始し,安い賃金を生かした縫製産業が成長を遂げつつある.3.調査結果の概要 当該国において日本企業の進出が進むには,日本への送金が可能となる制度枠組みの整備が重要である.ダッカで実施した現地調査では,16人の男女から話を聞くことができた(表1).ヒアリング結果を要約すれば,①高学歴の人が多い,②未婚の男性が多い,NGOや社会的企業などの職に就いている人が多い,といった特徴が浮かび上がった.なお,その他の詳細な結果については,当日に報告する.
著者
水越 允治
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.7, pp.447-460, 1965-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
42
被引用文献数
4 6 7

前の報告では,わが国の主要地点における降水量の極値を推算し,これにもとづいて概略の地域分布図を作成し,二・三の説明を付け加えた.しかしながら,推算地点が少なくて必ずしも分布の全貌を明らかにしたとはいえず,また推算に際して採用した GUMBEL の方法にも若干の問題点のあることが指摘された.ゆえに,今回は地点数をできる限り増し,推算も JENKINSON の方法ですべてやりかえた.その結果,季節別の極値分布について詳細な状態が明らかとなった。例えば,梅雨による大雨の卓越する地域と台風による大雨の卓越する地域とが明確に分れることがわかった.また前報で降水量極値の経年変化についてあらましを述べたが,今回経年変化型の地域分布について改めて検討してみた結果,若干地域的なまとまりを見せる傾向の存在することが明らかとなった.
著者
吉田 英嗣
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.8, pp.544-562, 2004-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
46
被引用文献数
4 4

第四紀の成層火山を持っ流域の地形発達には,大規模山体崩壊など,火山特有の侵食過程に伴う土砂供給が関与し得る.本稿ではその一例として前橋・高崎地域の地形発達を検討した.24ka頃,利根川が形成する扇状地面上に前橋泥流堆積物が堆積した結果,泥流堆積域で地表が緩傾斜化し,河床高度が増した.利根川は泥流堆積面を侵食し,16ka以降,河道を定めて広瀬面を形成した.前橋泥流堆積面である前橋面上には,前橋泥炭層が広範に形成された.11ka頃,前橋泥流堆積面を侵食していた烏川の谷を含む高崎地域に,井野川泥流堆積物が流下し,鳥川は河道を現在の位置に変えた.この烏川は井野川泥流堆積面(高崎面)を下刻し,高崎面が離水した.さらに,高崎面東部で井野川泥流堆積物を刻む水系が,侵食面の井野面を形成した.両泥流の堆積は,本地域における複数回の大規模な河道変遷を招き,ひいては地形発達を長期的に規定してきた.
著者
岸本 實
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.54, no.7, pp.353-363, 1981-07-01 (Released:2008-12-24)

Professor G. T. Trewartha delivered the presidential address on “A Case for Population Geography” before the Association of American Geographers on the occation of its 49th annual meeting held in Cleveland, Ohio, March 20 _??_ April 2, 1953. He, then, suggested that in geography the central theme is human life and fundamentally geography is to be anthropocentric, and emphasized the necessity of the research of population geography. After the Second World War, the research works on population geography have increased so much in comparison to the Pre-War days, and it owes to a greater degree of spatial mobility than ever before, in almost all countries containing the developing and developed countries due to the results of stability of political conditions. The mobility has taken many forms; some have been in response to the general evolution of national societies and economies, others have acted as stimuli for fundamental social, economic, and political changes in the nations. In Japan, too, spatial mobility after the War has been equally intense as European countries. About eight millions or seven percents of the national population changed their residences in every year and such spatial mobility has changed the regional conditions in the country. Spatial mobility in Japan after the War has taken three types as follows: (1) rural-to-urban migration, especially in the first stage, (2) residential mobility in and around the great cities as the results of population concentration, (3) inter-urban migration mainly since the oil shock in 1973. As to the regional factors of the rural-urban migration, it has been, hitherto, insisted on that the economic motivation, that is, the lower level of income in the farm areas is the most important regional factor for the rural-to-urban migration. But it is not necessarily the most important. There are many other social factors which push out people to urban areas from rural farm, especially the breakdown of human relations in rural areas. As to the residential mobility and inter-urban migration, we are also forced to explain the factors from human values, want, needs, and choice of the inhabitants, in addition to the economic motivation.
著者
内藤 正典
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.134-163, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
47
被引用文献数
1 1

クフレイン村は,ダマスカスの近郊に広がるオアシスの東端,シリア沙漠との境に位置する人口約1,600人の農村である.年間降水量100mmのこの村では,灌漑による夏季の疏菜と降雨による冬季の小麦栽培がおこなわれてきた.しかし1960年代以降,灌漑用水の不足と農地改革による経営規模の縮小とによって農家経営は行き詰まり,耕作放棄が進んでいる.この傾向は,オアシスの東半分を占めるステップ地帯の諸村に共通にみられる.数千年にわたって,都市民に食糧を供給してきた灌漑農業の歴史は,独立後の40年というわずかな問に崩壊の危機を迎えた.危機を招来した直接の原因は,首都への人口集中に伴う周辺農村の急速な都市化と,経済効果の伴わない農地改革の2点にある.そしてこれらの問題は,国家統合のために不可欠の政策が実現される過程で顕在化した.オスマン帝国時代から都市権力の中枢にあった名望家地主層の追放,およびマイノリティー・グループによるセクタリアニズムの解消という2つの政策がそれである.本稿は,2つの国家統合政策が,その実現過程で,近郊農村をどのように空間的に編成し,結果として農村の崩壊をもたらしたのかを分析した.第1の政策は,エジプトとの連合が成立した1958年に農地改革を実施し,名望家地主を追放することよって実現した.しかし農地改革は,都市権力の交代の副産物にすぎなかった.その後1963年のバアス革命をへて,1970年まで続く政権抗争では,-社会主義を標榜するバアス党内の権力抗争であったにもかかわらず-農民が革命の主体となることはなかった.1970年に成立した地方山村出身のアラウィー派政権も,農民組合員に対する特権の供与を通じて,上からの組織化を進めているが,農村全体の基盤整備には消極的である.第2のセクタリアニズムの解消は,アラウィー派政権の樹立によって一層困難となった.国家権力の中枢が位置する首都で,多数を占めるスンニー派住民に対抗するために,少数民族・宗派集団のオアシス農村への定住は黙認されている.このため,水需要の増大から灌漑用水は極度に不足し,既存の灌漑設備はオアシス内への集落の展開によって破壊された.農地改革によって村落の社会・経済構造が一変し,しかも灌漑農業の限界地に位置するクフレイン村では,権力による空間編成の過程で発生したさまざまな矛盾が,最も明示的なかたちで農村自体の存立を脅かすことになったのである.