著者
前田 洋介
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.6, pp.425-448, 2008-07-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
56
被引用文献数
5 1

本研究は, ローカルに活動するNPO法人の担い手と成立ちを明らかにすることを通して, 東京大都市圏におけるNPO法人の分布の空間的特徴に説明を加えることを目的とする. 分析結果からは, 東京大都市圏では, 都心部にNPO法人が集中する一方で, 東京西郊を中心とする郊外にもNPO法人が広く分布しており, そこではローカルに活動するNPO法人の割合が多いという空間的特徴が示された. そして, 多摩市で実施したインタビュー調査からは, ローカルに活動するNPO法人は性別役割分業のもと, 既婚女性を中心に日常的活動が支えられていること, そして地縁を越え, 多摩市程度の広がりを持ったさまざまな選択縁ゐもとに成立していると特徴づけられた. これらの点は, 東京西郊を中心とする郊外にNPO法人が多いことの一っの背景として考えられる. また, ローカルに活動するNPO法人の分布は, 担い手レベルで東京大都市圏の社会地域構造と関係していると考えられる.
著者
河野 忠
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.168, 2004 (Released:2004-11-01)

1.はじめに高知県の沈下橋に代表される潜水橋は,日本各地に存在している.その概要は高知県(1999)の調査で,全国に407ヶ所現存していることが明らかとなった.その第一位は高知県(69ヶ所),第二位が大分県(68)で,以下,徳島県(56),宮崎県(42)と続いている.しかし,このデータは一級河川のみに限られており,その実態は未だ不明である.そこで大分県における沈み橋の実態を明らかにするため,悉皆調査を実施した.2.沈み橋の数と築造年大分県には四万十川や吉野川に架かるような100mを超える大きな沈み橋こそ少ないものの,200ヶ所以上存在していることが判明した.なかでも杵築市の八坂川には明治9年築造の「永世橋」という,日本最古といってよい沈み橋が残っている.これまでは,高知市にあった昭和2年築造の「柳原橋」が最古(現存する橋では四万十川の「一斗俵橋」,昭和10年)とされていたが,50年ほどその起源をさかのぼれることがわかった.また,大分県院内町には,河川の合流地点にある中州に延びたT字型をした「三つ又橋」という珍しい沈み橋の存在も明らかとなった.3.沈み橋の名称沈み橋という名称は,九州地方固有のものであり,高知県では沈下橋と呼ぶ.一般的には潜水橋と呼ばれ,潜り橋(東北_から_中部),冠水橋(荒川流域),潜没橋(京都府),潜流橋(広島県),地獄橋(関東)などの例がみられる.4.沈み橋の建設要因大分県に沈み橋が多い理由としては,小藩分立に由来する財政難,および肥後石工の流れを汲む豊後石工の存在がある.しかし,最も決定的な要因は地形,地質的条件と考えられる.大分県の沈み橋は,国東半島(22%)と大分県北部(26%),南部(40%)に集中している.南部に沈み橋が多い理由は,9万年前の阿蘇大噴火による火砕流堆積物(溶結凝灰岩)の存在といってよい.この溶結凝灰岩は竹田から臼杵,大分市にかけて堆積しており,広くて浅い谷底平野と河床縦断面が緩やかで平らな河床を形成している.北部は第三紀の古い地質であり,開析の進んだ谷が多い.従って,農地と河床との高低差が少なく,堤防も少ないことから,沈み橋の条件が整っていたといえよう.5.参考文献高知県四万十川流域振興室(1999):流域沈下橋保存に係わる全国事例調査結果,高知県.
著者
富田 啓介
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.6, pp.470-490, 2008-07-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
26
被引用文献数
1

愛知県尾張丘陵および知多丘陵に分布する8ヵ所の湧水湿地 (湧水によって形成された湿地) を事例として, 湿地内にみられる植生分布と, 地形および堆積物との関わりについて検討した. 谷壁斜面にみられる湧水湿地4地点と谷底面にみられる湧水湿地4地点にベルトトランセクトを設置し, 区域内の植生と堆積物の厚さの分布を調べた. 堆積物は, 谷底面の湧水湿地では厚く, 谷壁斜面の湧水湿地では薄かった. 植生にっいては, 谷底面の湧水湿地ではヌマガヤの優占する植被率の高い植生が, 谷壁斜面の湧水湿地ではイヌノハナヒゲ類などからなる植被率の低い植生がそれぞれ卓越していた. 谷壁斜面の湿地でも, 堆積物の厚い部分ではヌマガヤの優占する植被率の高い植生が卓越することが多かった. これらの結果は, 湧水湿地では地形が堆積物の厚さに影響を与えること, 植生分布と堆積物の厚さが密接に関係する場合があることを示している.
著者
三浦 鉄郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.43, no.11, pp.674-685, 1970-11-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
7

八郎潟東岸平野の開発進展とその地域性を明かにするため,その方法として,(1)当地域に立地する集落の成立年代を検討し,開発の時期的大要を把握し,(2)開発に関する古文書・古絵図などを参考にし,(3)実地調査を行なった.その結果は,(1)古代1こおいては,三角州の低湿地と氾濫原の低湿地をさけて自然発生の街道沿いに成立した集落付近が切添的に土地開発が進められた.(2)中世は,東方の山麓・台地の前面低地と自然堤防上が豪族の経済と戦略体制の二重性のもとに開発された.(3)近世は,広大な氾濫原が封建体制下の一円支配の財的確立を目して,藩営の用水路開さくによって,全面的開発が行なわれた.(4)現代は,当平野の大部分を占める氾濫原が開発の限界点に達したことと,人口増加におされて湖岸水面下を対象地に「地先干拓」が進められ,特に昭和期に入っては,国営による「八郎潟干拓事業」によって湖岸干拓が完成した.
著者
千葉 徳爾
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.27, no.6, pp.255-262, 1954-06-25 (Released:2008-12-24)
参考文献数
31

In the documents which have been studied, it was noted, that there are more bare hills in the rural common forest than in the other lands of the Okayama district. There were two types of rural common forest, one was used by the families of only one village and the other was used by the people of two or more villages. The former is not such a big problem, but the latter is the very subject of this study. In this study the word “common forest” means this type. The common forest is usually located between settlements, on ridges of hills or on the borders of villages. Forestry experts say that the soils of the rounded ridges are clay which are eroded easily for morphological reasons. However, the soil of the ridges. are.not always naturally eroded but also have been devastated by man's activities. In the documents we see that many of the common forests have been in dispute between some of the villages. Soil erosion has been noted, because the use of the forest were so wasteful by digging of roots, or by the use of the moss surface. Some people says that the cutting of wood for fuel and timber is the reason for erosion. In fact the requirement for fuel for urban and rural settlement increased due to the growing population and the development of industry. However, the fuel sold commercially was obtained from the private forest, because the products of the common forest. could not be sold without compensation to the villages and such cases were very rarely mentioned in the documents. Thus the author concludes that as the poor class who have no private forest grew with the development of an exchange economy, the common forest were used for fuel by the poor class and much waste took place. Thus the forests are denuded and have not been replanted. The rain weathered the granite hills and the eroded soils made the stream beds higher and higher. This process began from the. 19th century near the salt farms and margins of the Setouchi lowland.
著者
Takashi KUMAMOTO
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.135-161, 1999-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
62
被引用文献数
2 3

To construct a seismic hazard map for intraplate earthquakes in Japan, historical records, paleoseismology data and a time-dependent conditional earthquake recurrence model were combined to create two types of contour maps: a probability map of peak ground acceleration (PGA) of 0.2 g or higher between 2001 AD and 2050 AD, and a PGA map of 10% probability during the same period. The resulting maps demonstrate the effectiveness of conditional seismic hazard analysis, although there are several uncertainties in the estimation of the slip rate, the elapsed time, and the segmentation of seismogenic fault systems. To create these maps, the historical seismicity rate for the last 400 years, and synthetic earthquake frequency from active fault data are first compared to examine the effect of uncertainties in fault segmentation and slip rate estimation. Then hazard maps based on time-dependent and time-independent models are derived. The results suggest that the conditional hazard map shows better agreement with current understanding of the recurrence behavior of active faults. For example, (1) low probabilities are obtained for faults that are considered to have ruptured within the historical period, and (2) higher probabilities are calculated for faults with long elapsed times or high slip rates. In addition, some seismogenic active fault systems are indicated as precautious faults based on the time-dependent earthquake recurrence model.
著者
FUKUI Kotaro IIDA Hajime KOSAKA Tomoyoshi
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan series B (ISSN:18834396)
巻号頁・発行日
vol.94, no.2, pp.81-95, 2021-12-25 (Released:2021-12-25)
参考文献数
71
被引用文献数
2

We conducted ground penetrating radar (GPR) soundings and geodetic surveys in four perennial snow patches (PSPs) in the northern Japanese Alps (NJA) and considered the possibility that they could be active glaciers. The Kakunezato and Ikenotan PSPs had large ice bodies (>30 m thick) and flow velocities greater than 2 m/a; hence, both PSPs were admissible as active glaciers. Kuranosuke PSP also had a large ice body (25 m thick) but a flow velocity of only 3 cm/a and, therefore, the PSP was admissible as an active glacier that had been shifting to a PSP. Hamaguriyuki PSP was not admissible as a glacier because there was no evidence of a flow under current conditions. As a result of this study and the work of Fukui and Iida (2012), a total of six PSPs in the NJA were admissible as active glaciers. We also investigated the climate conditions, mass balance, and surface area changes of the active glaciers in the NJA based on in situ measurements of air temperature, snow depth, and mass balance, as well as the interpretation of aerial photographs. We found that the mountain ridges of the Tateyama Mountains were slightly higher than the climatic equilibrium line altitude (ELA). Local topographic conditions that led to huge snow accumulations by avalanches were considered likely to alter significantly the ELA of each glacier in the NJA. The Kakunezato and Ikenotan PSPs lost only 12% and 16% of their surface areas between 1955 and 2016, respectively.
著者
花岡 和聖
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100040, 2011 (Released:2011-11-22)

本研究では、明治後期から大正軍縮期までを対象に、近代日本の軍事的・社会経済的動向を踏まえつつ、海軍志願兵の志願者の地域差とその経年変化を明らかにした。特に日露戦争期の志願者数の急増に着目した。本研究で得られた研究成果は、以下のように整理できる。 ?@海軍志願兵の志願者数は、日露戦争期に急増し、その後、政治経済的動向を受けて上下変動を繰り返した(図1)。特に日露戦争期に志願者数が急増し、その熱狂の「波」は東日本から西日本へと波及した(図2)。志願兵の合格率は、明治後期の30%代から大正期には50%を上回り、学力や栄養状態の改善とともに合格率は上昇した。 ?A志願兵の合格者の内訳をみると、対象期間を通じて農業従事者 が60%以上を占め、農村地域が海軍志願兵の供給を担っていた。ただし、日露戦争期には、商工業者の割合が一時的に増加した。 ?B府県別に志願兵の志願率をみると、明治後期は関東地方で低く、東北や四国・中国、九州地方で顕著に高い傾向が確認された。大正期に入ると、近畿地方でも志願率が低下し、大都市を含む府県とそうでない府県での差が確認される。この時期、志願率の格差は縮小傾向にあるが、要因分析の結果を鑑みると、その主要因は地域間の経済格差の縮小であったと考えられる。 ?C日露戦争期に着目すると、増加率は、1904年(明治37)に東日本でまず増加し、翌年に西日本で増加するといった空間的拡散を確認できた。それ以外の大半の年次の増加率には、統計的に有意な地理的パターンを見いだせなかった。一方で、日露戦争期、志願率の地域差は大幅に縮小し、その後もその地域差は維持された。 ?D志願率の地域差を規定する要因を分析したところ、志願率は粗付加価値額で表される府県の経済状況に強く影響を受け、特に大正期の好景気になるとその傾向は顕著になった。以上から志願兵への志願は、地域の雇用機会と密接に関わり、海軍志願兵は不景気における雇用機会の一つであったと考えられる。 ?E志願兵と九州及び中国・四国地方との結合関係が両地方で拮抗するようになった。同時に、東京と大阪を中心とした「都市―農村」や「中心―周辺」といった地域構造が当時形成されつつあり、志願率の地域差もその枠組みに準拠するように変化したと考えられる。
著者
大谷 猛夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.46, no.9, pp.583-599, 1973-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

本稿は,東京都足立区の本木地区における零細工業の存在基盤と階層構成について考察する. 1) 日本工業の中で独占企業への生産の集中がおこなわれていない部門は,雑貨工業をはじめとする一部の軽工業である. II) 雑貨工業は,独占資本が生産過程に直接関与することが少なく,問屋制的な家内工業の様相を強く残している. III) 東京都足立区本木地区には,大正末期以来,皮革工業を中心とする零細な自営工業が密集している. IV) 本木地区の零細工業は,業主と家族労働に主体をおく自営の家内工業がその中心である.ここの自営業者は,中小「企業」を指向する少数の上層自営業者を除けば,もっぱら,より大きな経営から原材料の支給をうけ,それを加工し,それに対する加工賃(事実上の労働賃金)を受けとる経営である. V) これらの下層自営業者は,原材料・完成品の市場から遮断されていると同時に,他の経営に外注もせず,雇用労働力も持たず,系列・外注関係の最末端に位置している.景気の調整弁として,不況時に,まっ先に切り捨てられる不安定な存在である.
著者
Taisaku KOMEIE
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.79, no.12, pp.664-679, 2006-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
64
被引用文献数
6 12 4

Japanese colonial environmentalism in early twentieth-century Korea is examined with special reference to academic representations of hwajeon or shifting cultivation. Tracing the progress of the project for the disposal of hwajeon and the accompanying researches in forestry, geography, and agronomy, the author discovered that there was an intricate but strong relationship between the scientific discourses and colonialism in the name of conservation. After the Japanese annexation of Korea in 1910, the colonial foresters began to map the condition of the forest areas and to exclude the shifting cultivators in order to save the woody lands from them since these cultivators had apparently destroyed the Korean natural environment from the southern area up to the north for centuries. The disposal project mobilized academic researchers in geography and agronomy and was revised by them in the 1920 s. Hwajeon was found to be more systematic and stable than the foresters had supposed but was definitely represented as a destroyer not only of timber but of the national land itself and then a subject of “improement” in the 1930 s. The serial mapping and researches had a critical influence on the manner of understanding and treatment of the indigenous agriculture, although some of the Koreans and also Japanese considered it to be a debatable issue.
著者
佐藤 大祐
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.8, pp.599-615, 2003-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
49
被引用文献数
2 2

本稿は明治・大正期の日本において,ヨットというスポーツがいかに伝播したのかを,ヨットクラブの結成とクラブ会員の社会属性,および当時の社会的背景に注目して明らかにした.その結果,ヨットは居留地外国人・駐日外交官から日本人華族・財界人へと受容基盤を変化させるとともに,外国人居留地から高原避暑地,海浜別荘地へと伝播し,定着したことがわかった. まず,ヨットは欧米列強の植民地貿易の前進基地である外国人居留地に導入された.横浜では,居留地貿易を主導した商館経営者や銀行・商社駐在員,外交官などの外国人によって,ヨットクラブが1886年に結成され,彼らの社交場として機能した.その後,ヨットは1890年代に形成された中禅寺湖畔の高原避暑地.に伝播し,ヨットクラブが1906年に結成された.この担い手はイギリスやベルギーなどの駐日公使をはじめとする欧米外交官であった.中禅寺湖畔では,東京における欧米外交官と日本人華族の国際交流が夏季に繰り広げられた.そして,ヨットは海浜別荘地である湘南海岸において,華族を中心とする上流日本人の間へ1920年代から普及していった.
著者
Satoshi IMAZATO
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.81, no.5, pp.323-335, 2008-05-31 (Released:2010-07-01)
参考文献数
117
被引用文献数
1 3

This paper overviews the progress in the social and cultural geography of Japanese rural areas from the mid 1990s to the mid 2000s by considering four topics: political and economic restructuring, sustainable systems of social integration and subsistence, self-governance of natural environments, and the history of the social construction of rural images. Today, Japanese rural geographers encounter two kinds of globalization: economic globalization, which directly or partially influences the four phenomena above, and the globalization of research activities by geographers who must internationally develop their own theoretical frameworks on these topics.
著者
吉田 圭一郎 岩下 広和 飯島 慈裕 岡 秀一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.79, no.10, pp.516-526, 2006-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
35
被引用文献数
3 9 4

本研究では父島気象観測所で観測された78年分(戦前: 1907~1943年,占領期間: 1951~1959年,返還後: 1969~2000年)の月別気温および降水量データを用いて小笠原諸島における水文気候環境の長期的な変化を解析した.占領期間および返還後の年平均気温は戦前と比較して0.4~0.6°C 高く,年平均気温の上昇率は0.75°C/100yrであった.また,返還後の年降水量は戦前に比べて約20%減少した.修正したソーンスウェイト法により算出した月別の可能蒸発量と水収支から,年平均の水不足量(WD)が戦前に比べ返還後には増加したことがわかった.また,返還後は夏季において水不足となる月が継続する期間が長くなった.これらのことから小笠原諸島における20世紀中の水文気候環境は乾燥化の傾向にあり,特に夏季に乾燥の度合いが強まり,また長期化することにより夏季乾燥期が顕在化した.
著者
NISHINO Toshiaki
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan series B (ISSN:18834396)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.126-136, 2010-03-30 (Released:2010-05-20)
参考文献数
6
被引用文献数
1

The purpose of this paper is to report the present conditions of the mountain villages in Japan and to offer viewpoints for regional policy. The traditional mountain village societies in Japan are rapidly aging because of the fact that the industries that have historically supported these villages—namely agriculture and forestry—are no longer relevant. The government increased taxes for supporting mountain villages in order to fund the constructions of roads and infrastructure projects for the region since 1970. However, revenue from the increased taxes was negatively offset by the continuing proportional decrease in population of the region, rendering the funds generally ineffective. My proposal to halt the economic recession of the mountain villages is to promote the forestry and agriculture industries directly to urban areas. This includes strategies and programs set up to enable the mountain villages to sell and distribute their products directly to urban regions.
著者
成瀬 厚 杉山 和明 香川 雄一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.10, pp.567-590, 2007-09-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
85
被引用文献数
3 3 1

近年, 日本の人文地理学において, 言語資料を分析する研究が増加しつつある. 本稿では, そのような論文を方法論的な観点から批判的に検討することを目的とする. まずは日本の地理学における言語資料分析を概観し, 言説概念の英語圏地理学への導入・批判を紹介することを通じて, 地理学研究で言語の分析をすることの意義を探求した. 人文地理学における言語の分析は, 単に新たな研究の素材の発掘や量的分析を補完する質的分析にとどまらない可能性を有している. それは, 社会を根源的に見直す概念となり得る. 現在の研究に不足しているのは, 言語資料の分析方法に関する詳細な検討, 関係する主体のアイデンティティの問題, そしてその言葉の生産過程における政治性への認識, である. 地理学的言説分析とは, 生産された言葉が発散するように地理空間に流通し, それを人々が消費し, 解読することによって, 意味的に収束させていく過程を分析し, また同時に, その意味的収束において発信者と受信者のアイデンティティと記述要素としての地理的要素との関係を論じていくことである.
著者
石坂 愛
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100015, 2016 (Released:2016-04-08)

1980年代~1990年代の商業空間の変容により,地方都市における中心市街地のシャッター通り化は我が国の深刻な問題となった.この傾向は地方都市においてまちおこしという意識を喚起させ,日本の観光形態にも影響を与えた.各々の地域における観光協会や自治体は商品価値を生む地域資源の探索に尽力し,その中で注目されるのがテレビアニメ(以下,アニメ)作品の舞台や映画のロケ地を新たな資源とし,アニメファン(以下,ファン)による「聖地巡礼」を促す動きである(山村,2009).聖地巡礼とは,アニメ作品のロケ地,またはその作品や作者に関連する場所,かつファンによってその価値が認められている場所を「聖地」とし,そのような場所を訪ねることと山村(2008)は定義する.聖地巡礼に関する研究の多くは商工会や自治体によって展開されるイベントに着目し,その開催経緯や参加するファンの目的という点に言及している.しかし,まちおこしの背景にある課題に中心市街地の衰退があると考えれば,アニメを題材としたイベント等の展開やアニメファンによる聖地巡礼が,中心市街地において商業を営む地域住民に対していかに影響をもたらすかを考察する必要がある.本研究は,茨城県大洗町を作品の舞台とするテレビアニメ「ガールズ&パンツァー」(以下,ガルパン)が,大洗町の中心市街地に立地する小売店にもたらす社会・経済的変化を明らかにすることを目的とし,中心市街地の小売店経営者における地域住民やファンとの人間関係およびガルパンへの意識の変化と,ファン来店後の売り上げの変化を震災以前とアニメ放送以降に区分して分析した.その際,店舗の業種や立地特性を考慮するために2つの商店街における小売店について検討した.アニメ劇中に多くの店舗が登場した曲がり松商店街は,早期から聖地巡礼目的のファンの通行する様子がみられた.対する大貫商店街は劇中での登場も乏しく,店舗は分散して立地している. 調査の結果,飲食店および酒類,海産物,軽食を販売する食料品店はほぼ全店来店者数および売り上げが増加している.また,買回り品販売店や理美容室等のサービス業においても一部増加がみられた.各小売店はリピーターを獲得し,アニメ放送終了2年後も震災以前の2割以上の来店者数を維持している.なお,店舗におけるファン誘致の成功と来店者数・売り上げ増加率において,小売店の業種や店舗の立地はほとんど関係なく,ファン誘致を成功させた小売店は共通して「ガルパンらしさ」の創出などにより,ファンを受け入れる姿勢を見せている.「ガルパンらしさ」は,各小売店が所有する店舗においてガルパンに関連するイラストやフィギュアなどの装飾品を展示することで,店内および店頭におけるガルパンの景観的要素を強化している様子を意味する.ファンは商店会主催のクイズラリーや店舗に展示されるガルパンに関連グッズの見学など,消費行動以外を目的として来店した店舗においても消費行動をとる傾向にあるため,来店者数増加を経験した小売店は売り上げも増加している. 経営者のアニメやファンに対する理解は,店舗における来店者数の増加や「ガルパンらしさ」の有無に関わらず好転する傾向にある.一方で,「ガルパンらしさ」の創出やファン誘致に積極的な経営者はガルパンを通じて地域住民との交流が活発になっているのに対し,コマーシャルツールとしてのガルパンに一線を画す経営者に関しては地域住民間の交流が活発になったケースが少ない.後者にあたる経営者は地域住民という立場でガルパンを受け入れているものの,既存の客層や販売商品を考慮して,店舗においてファンの誘致を控えている傾向が強い.まちおこしという課題を振り返るならば,このような小売店の経営者の意向を汲み取り,地域コミュニティの紐帯を強めていく必要がある.山村高淑(2008):アニメ聖地の成立とその展開に関する研究―アニメ作品「らき☆すた」による埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察―.北海道大学国際広報メディアジャーナル7,145-164.山村高淑(2009):観光情報革命が変える日本のまちづくり インターネット時代の若者の旅文化と新たなコミュニティの可能性.季刊まちづくり22,46-51.
著者
金田 章裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.249-266, 1976-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
44

摂津・河内・大和・山城・伊勢・尾張などでは条里地割の内部に島畑が存在している.このような島畑景観の起源は条里地割そのものの起源とは別に検討を必要とするものであり,文献史料と現地の地割形態との対比の結果,明確に確認されるのは14世紀末であり, 12世紀以前においてはまだ形成されていなかったと考えられる.律:令制下では本来畑は制度的に田と異なり,かつその評価も低かったが,11世紀以後の制度的な差異の消滅および土地利用の進展の結果,例えば15世紀初めには田畑が同一の評価を受けていた例も確認される.この頃には従つて田畑共に有効に利用する集約的な土地利用形態と結びつく島畑景観形成の経済的・社会的条件は一応満足することとなり,前述の起源とも合致する.このような島畑景観形成のプロセスは,微地形・表層地質の調査・検討の結果とも矛盾せず,むしろ検証されるものである.
著者
武者 忠彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.6, pp.421-440, 2004-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
34
被引用文献数
2 1

本稿では,地方都市の宅地開発政策にみられる農協の主体的な役割を,政策過程分析の枠組を援用して明らかにしている.事例とした長野県松本市における宅地開発の政策過程は,次のように再構成される.(1)1980年代初め,無秩序な開発による財政需要の増大と,開発を抑制することによる隣接市町村への人口流出という相反する問題に直面していた松本市では,市街化区域拡大によって周縁部の農地を開発し,人口を定着させることが行政課題として正当化された.(2)一方,当初は市街化区域拡大に反対であった農家の立場も徐々に変化してきたことから,行政は農家の利益団体である農協との協働によって「地域開発研究会」を設立し,区画整理事業を推進するという政策を選択した.(3)行政にとっては事業の合意形成などにおける農協の主体的役割は不可欠であり,農協にとっても市街化区域拡大による事業は組合員の農外所得創出,資金運用や不動産取引に関する利益があった.このような,両者の利益の接点となる政策実現のため,農協の主体的な役割は地域開発研究会によって制度的に維持されていた.
著者
遠藤 匡俊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.19-39, 2004-01-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
57
被引用文献数
2 2

本研究の目的は,1800年代初期におけるアイヌの社会構造の一端を示し,命名規則の社会的・空間的適用範囲を明らかにすることである.1800年代初期の厚岸(アッケシ),択捉(エトロフ),静内(シズナイ),高島(タカシマ),北蝦夷地東浦(南カラフト東海岸)の5地域では,社会的に他人へ従属する人々が多く,そのほとんどは主人の家に同居していた.特に北蝦夷地東浦では人口の48.8%が同居者であり, 79.2%の家が同居者を含んでいた.居住者名を照合した結果,非親族を同居者として含みながらも同一家内に同名事例はなく,集落や多数の集落を内包する場所という空間的範囲でみても同名事例は非常に少なかった.つまり1800年代初期のアイヌ社会には命名規則が存在していた.さらに,対象とした5地域は互いにかなり離れており対象年次もそれぞれ3~28年間の違いがあるものの,5地域間で居住者名を照合すると同名事例は非常に少なかった.命名規則の空間的適用範囲は蝦夷地全域に及んでいた可能性がある.