著者
木地 節郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.298-308, 1958-05-01 (Released:2008-12-24)
被引用文献数
1 1

In recent years many new cities have been born and many old cities have expanded their city areas by absorpting their sorrounding rural villages. In such a new city area, consumers keep their rural living conditions and rural consumer habits still now. Some local cites came in contact with each other. From the viewpoint of urban geography, the relation between the city boundary and the extention of the retail trade area is the most important subjects to desolve. So the author adopted the following subjects; 1) The factors which restricts the geographical extention of retail trade area. The extention of retail trade area depends upon the conditions of trafics or transportations between the shopping center and consumers dwelling places. 2) Relation between the extention of the retail trade area and administrative boundary. Extention of city area resulted in confining daily movement to consumers into the city area, and the influence of retail trade area collides with each other directly. 3) Contact of two city boundaries. Some examples are found in the case of local small cities, in which retail trade area accord with city boundary approximatly. The author tried to illustrate the relation between the extention of retail trade area and city boundary on the case of two local small cities, i. e. Fukuchiyama (popul. 61, 800) and Ayabe (popul. 53, 000) in Kinki District in Japan. In these cases, two retail trade area contact with each other along with the city boundary. This is proved in quantity by the table which shows the havitual purchasing place at the two Azas neighboring the city boundary.
著者
菊地 一郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.31, no.9, pp.555-565, 1958

(1) 工業の地域構造とはその地区工業間の動的な相互関係を包括する概念であると定義し,江東工業の地域構造の解明を試みた.研究方法として2段の分析方法をとつた.第1段は地域分類であり,第2段は工業の地域的発展過程の分析である.<br> (2) 地域分類の手段としてポテンシャル概念の導入による工業集積ポテンシャルの式を用い,生産力集積圏を業種別に求めることによつて江東地域を類型地区に分けた.それらは城東地区,本所深川地区および向島地区で,それぞれ重化学工,軽工業および雑工業部門によつて特色づけられている.<br> (3) 明治維新までの江東地域の土地利用は本所深川地区が町屋として,城東地区が農業地としてはつきり2分されていた.<br> (4) 本所深川地区では維新以後,かつて地積の地部分を占めていた寺社や武家屋敷が商工業地として利用される様になつた.そしてそれぞれ江東3大橋に通ずる道路に沿つて繁栄していた両国深川森下および門前仲町の商業地を中心として家内工業がさかんに行われてきた.またその頃になると問屋資本によるマニュファクチァーも恵まれた立地条件のもとに発達し,屈折を経ながら資本主義的生産による軽工業への道を歩み現代におよんでいる.<br> (5) 城東地区では,本所深川地区で生成された労働力が新たな産業資本による近代工業とくに重化学工業導入の基礎となり,この地区に存在した広大で安価な農地が工業用地としてその立地に重要な役割を果した.<br> (6) 向島地区も農業地から次第に工二業地に変質していつたが,その理由の1つは関東大震災を契機に一層工業化した本所深川地区および城東地区への下級労働者や下請零細工場が集まつてきたことによる.こうして今日の江東工業地域の地域構造の基盤がここに形成されるにいたつた.
著者
佐藤 英人
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 = Geographical review of Japan (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.80, no.14, pp.907-925, 2007-12-01
参考文献数
57
被引用文献数
2 5

本研究の目的は, 大規模オフィス開発事業に伴うオフィス移転を, 従来, 住居移動で議論されてきたフィルタリングプロセスを適用して分析し, 新たに供給されるオフィスビルが, 既存市街地内のオフィスビルに対して, 不動産経営上, どのような影響を与えるのかを解明することである. 分析の結果, 横浜みなとみらい21地区には, 横浜市内から転出した企業が多く, 新旧オフィスビル間にはテナント企業の争奪が認められた. 争奪によって空室となった既存市街地内のオフィスビルでは用途転用が確認され, 公共施設や商業施設への転用が認められた. また, 引き続き事務所として利用されたオフィスビルは, 横浜市内への進出を目指す中・小規模企業の受け皿となっている. したがって, 大規模オフィス開発事業に伴うオフィス移転は, テナント企業の連鎖移動を誘発させ, 結果的には, 既存市街地のオフィスビルに入居するテナント企業の選別格下げが起る.
著者
山鹿 誠次
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.35-41, 1959-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
3
被引用文献数
1

The writer has studied the process by which the city functions, developing towards the urban fringes, incited the urbanization of suburbs. Special hospitals for the patients of such diseases as tuburculosis, mental disease and infectious diseases seek their sites in the suburbs of the metroplis, because there they can get capacious grounds, quiet environment and fresh air. When we see the distribution of the special hospitals in Tokyo, we find that most of the newly established hospitals are situated in the urban fringe, and some of the older ones built in the inner region, have removed centrifugally to the outshirts. Kiyose town is in the western suburbs of Tokyo, and on the Musashino Upland. It was formerly a farm-village, , but since 1331 many tuburculosis hospitals have been established in the pine forests of the south-western area of this town, and so Kiyose has become one of the largest hospital quarters in Japan, having 14 hospitals, 4, 821 beds, and 25% of its whole ares is covered by hospitals. Consequently, the population increased rapidly and the shopping street developed between the, hospital quarters and the railway station. Moreover many residential houses were recently built, and this town has also grown into one of the residential districts of Tokyo. Through the study of Kiyose and some other hospital quarters in Tokyo, the writer has come to the conclusion that there are some grades in the relations between the special hospitals and the urbanization in the metropolis. The grades are as follows: (1) Special hospitals were first established in the innermost region of the metropolis, but with the development of the metropolis, they moved to the outer regions, or were turned into general hospitals. (2) In the region next to the former innermost region of the metropolis, the hospitals which were established in the days when the region were the suburbs are now in the residential districts which have developed since their establishment. (3) In the next region, urbanization is in advance, and there the hospital quarter and the residential district are contiguous to each other. (4) In the outermost region of the metropolis, hospitals are situated apart from other establishments, and the residential district has not advanced into this region yet. Kiyose belongs to the third grade.
著者
山鹿 誠次
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.159-168, 1963-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
23

日本における衛星都市の性格・類型およびそのような性格の生じた要因について分析し,さらに衛星都市群の形成とその発達要因について考究した結果,次のような結論を得た。 (1) 衛星都市は巨大都市の周辺にあつて,巨大都市と密接な関係をもつて発達し,巨大都市の機能の一部を分担する中小都市である. (2) 衛星都市の性格は大都市と地方都市のいずれとも異なり,その複合性・半独立性をもつ。しかしその中には,従属型・半独立型・複合型などいくつかの類型がある. (3) 衛星都市性格形成の要因としては住宅・工業・学園など大都市機能の遠心的拡大によつて,大都市的性格が付与され,一方既存都市の変質や母市からの隔離によつて半独立性が要求され,この二つが複合した性格をおびるに至つたためである. (4) 日本の三大衛星都市群を対比すると,大阪中心のものが最も早く発達し,東京中心のものがこれにっいで,第2次大戦の影響を強くあらわし,名古屋中心のものは近年発展しつつある。このような差異には,三大都市圏における諸種の地理的条件が反映している。
著者
坂口 美優 赤坂 郁美
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.101, 2014 (Released:2014-10-01)

ヒートアイランド現象を緩和する効果があるとして、都市内緑地の熱環境改善効果に期待が高まっている。都市内の緑地では、樹木による日光遮蔽効果や葉面からの蒸散作用で周辺市街地よりも気温が数℃低くなる。これはクールアイランド現象と呼ばれ、成田ほか(2004)によって新宿御苑とその周辺市街地では夏季日中には約2℃、夜間は日によって変化があるものの1~3℃の差が現れることが明らかになった。また、静穏な夜間に芝生面からの放射冷却などで生み出された冷気が周辺市街地へと流れ出る「にじみ出し現象」の存在が丸田(1972)によって指摘されている。緑地内で低温域を作り出すのは樹林地及び水面である(尹ほか,1998)。そのため、水面の面積が大きいほど周囲の温度を下げる効果が大きいと考えられる。そこで、本研究では都市部の公園の中でも公園全体の面積に対し池の割合が大きい石神井公園とその周辺市街地で気温の観測を行い、クールアイランド現象やにじみ出しによる冷気の到達範囲を明らかにする。東京都練馬区の都立石神井公園(面積約22.5ha)において観測を行う。園内には三宝寺池(面積約3.2ha)と石神井池(面積約4ha)の2つの池がある。 公園内13か所(図1のA~M)と公園外市街地2か所(図内三角形の印)に温度・湿度データロガー(T&D社TR72-U)を設置し、2014年8月から1か月間の定点観測を行う。公園をほぼ南北方向に横切りその延長上の市街地を含むルート(図1に示すルート1,2)と、公園を東西に分けている道路(井草通り:図中ルート3)上と、公園の西端・東端からそれぞれ150m・200mの道路(図中ルート4,5)において気温の移動観測を夜間に行い、冷気のにじみ出し効果の範囲を調査する。また、日中にも公園内の冷気が周辺市街地に影響を及ぼしているかどうかも調査するため、日中にも気温の移動観測を行う。観測の際の移動は夜間は自動車、日中は徒歩で行う。夜間に公園と市街地の境界地点3か所(図1内星印)に熱線式風速計を設置し、風速の観測を行う。風向については夜間の気温移動観測時に観測を行う。予備観測として、2014年6月2日に図1のルート1において日中に徒歩での移動観測を行った。17時の地点3から16の各地点の気温を図2上に示す。気温の最高値は南側の市街地内地点13の31.3℃で、最低値は公園内地点9の29.1℃であった。公園内は市街地に比べ気温が低く、クールアイランドを形成していることがわかる。観測を行った16時30分から17時30分には南風と南東の風が卓越しており、公園北側の市街地内の気温が南側より低かった原因の1つと考えられる。また、地点4~6の西側は住宅地であるが、東側は松の風公園という緑地であるため、その冷却効果の影響も受けている可能性がある。また、夜間の自動車での移動観測を2014年7月6日に行った。19時40分のルート1・ルート3の各地点の気温を図2中・下に示す。ルート1で公園外北側の地点7と8で最も低温となっている以外は6月2日の徒歩での観測結果と類似した特徴を示しており、公園北側には団地内の緑地の影響とみられる低温帯が形成されている。ルート3においては公園に面している地点での低温帯の形成が確認できる。8月における本調査の結果は、発表にて述べる。
著者
河角 龍典
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.156, 2004 (Released:2004-07-29)

1.はじめに 京都は,天候や自然災害に関する古記録が歴史時代を通して最も充実した地域のひとつである.水害に関する古記録もそのひとつであり,京都市内を流下する鴨川を中心にいくつかの水害史料が編纂されている.これまで鴨川の水害史は,文字として記録された災害史料をもとに,洪水の頻度やその発生メカニズムについて論じられてきた.しかしながら,過去の洪水氾濫区域の特定やその変遷については,ほとんど検討されることはなかった.また,洪水の頻度や洪水氾濫区域が,歴史時代の地形変化とどのような関係にあるのかということについても不明な点が多かった.本研究の特徴は,考古遺跡に堆積物として記録された洪水の痕跡に注目することによって,平安時代以降の地形変化や過去の洪水氾濫区域の復原を試みることにある.具体的な研究目的は,鴨川の水害史料に現れた洪水の発生頻度の変遷と平安時代以降の地形変化との関係,平安時代の地形変化と洪水氾濫区域の変化との関係について考察し,鴨川の水害史を再構築することにある.2.歴史時代の地形変化 本研究では,ジオアーケオロジー(geoarchaeology)の手法を適用し,考古学や歴史学の研究成果に対応する精度の地形環境復原を行った.その結果,鴨川流域の歴史時代の地形変化は,5ステージに区分できた.ステージ_I_(8世紀_から_10世紀頃)地形は比較的安定しているが,氾濫原と河床との比高は小さい.ステージ_II_(11世紀から14世紀頃)河床低下が進行し,扇状地が段丘化した.2mほどの段丘崖によって扇状地が段丘面と新しい氾濫原の2面に区分される.ステージ_III_(15世紀頃)段丘面においても溢流氾濫に伴う堆積が開始し,河床が徐々に上昇した.ステージ_IV_(16世紀_から_20世紀前半)自然堤防の形成と天井川化が進行し,河床はさらに上昇した.ステージ_V_(20世紀後半)1935年の鴨川大洪水を契機に浚渫工事が行われ,河床が低下した.鴨川に隣接する河川(紙屋川,御室川)では,天井川が撤去される.3.水害史料による洪水頻度の変遷と地形変化 歴史時代の地形環境復原によって明らかになった鴨川の河床変動と水害史料による50年後ごとの鴨川における洪水発生頻度の変遷とを比較した結果,両者はよく対応することが判明した.すなわち,史料に記録された洪水頻度の記録は,気候変動や流域の植生環境に加えて,鴨川の河床高度と京都の市街地が展開する地形面高度の垂直的な位置関係と密接に関係する.平安時代の前半に洪水発生回数が増加するが,この時期には,鴨川氾濫原が大半を占める平安京左京において都市開発が著しく進行した.こうした氾濫原の土地利用も洪水頻度を増加させた要因のひとつとして考えられる.4.平安時代の地形変化と洪水氾濫区域の変化 地形環境復原よって明らかになった地形変化,鴨川の河床変動,水害史料,堆積物として刻まれる洪水記録から平安時代(ステージ_I_・_II_),すなはち河床低下前後における鴨川の洪水氾濫区域の復原を試みた.ステージ_I_(8世紀_から_10世紀頃)氾濫原と河床の高度差が小さいために,鴨川の洪水氾濫区域は平安京左京の大半を占めることが判明した.この時期の洪水発生区域は,水害史料をみても,「京中」と示される頻度が高い.ステージ_II_(11世紀から14世紀頃)河床低下に伴い鴨川沿いに形成された段丘崖によって,洪水は段丘崖下の新しい氾濫原内に限定され,段丘面では洪水の氾濫する頻度が低くなった.この時期の洪水発生区域は,水害史料をみても,「京中」と示される頻度が少なくなる.5.おわりに 本研究では,従来から行なわれてきた水害史料の分析に加えて,遺跡に記録される洪水の痕跡についても検討することによって、鴨川水害史の再構築を試みた.その結果,史料による鴨川の洪水発生頻度の変遷は,鴨川の河床変動と密接に関係することが明らかになり,さらには平安時代以降の一連の地形変化によって洪水氾濫区域も変化することが判明した.今後は,こうした土地に刻まれた過去の水害の履歴をいかに防災に活用するか考える必要がある.
著者
赤羽 孝之
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.275-296, 1975-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
17
被引用文献数
6 1

本研究は電子部品工業を採り上げ,この工業自体の構造とその地域的側面,また地域の地理的・社会的条件(農村)と工業との関係を解明しようとしたものである. その結果,電子部晶工業の生産組織は専門メーカー・分工場・下請工場・内職というヒエラルヒーを構成し,それに対応した形で労働力の質が変化すること,また地域的な配置関係も伊那市の中心部に専門メーカー・完成品生産の工場が集中し,周辺の農村部では一部工程の下請工場がほとんどを占め,そして労働力の質もそのような配置関係に対応することが明らかとなった. 農村との関係では,農村の下請工場を支えているのは,農村の中の経営耕地規模の小さな第2種兼業農家の主婦層であり,伊那市中心部の大規模工場へは農村の若年労働力が吸引されていること,そして天竜川の河岸段丘上の農村と段丘の下の農村では,伊那市中心部への交通の便の相違,他部門の工場への雇用機会の相違などのために農家の主婦の電子部品工場への吸引のされ方に相違があることなどが明らかとなった.
著者
荒木 一視 岩間 信之 楮原 京子 田中 耕市 中村 努 松多 信尚
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100001, 2015 (Released:2015-10-05)

災害に対する地理学からの貢献は少なくない。災害発生のメカニズムの解明や被災後の復旧・復興支援にも多くの地理学者が関わっている。そうした中で報告者らが着目したのは被災後の救援物資の輸送に関わる地理学的な貢献の可能性である。 救援物資の迅速かつ効果的な輸送は被害の拡大を食い止めるとともに,速やかな復旧・復興の上でも重要な意味を持っている。逆に物資の遅滞は被害の拡大を招く。たとえば,食料や医薬品の不足は被災者の抵抗力をそぎ,冬期の被災地の燃料や毛布の欠乏は深刻な打撃となる。また,夏期には食料の腐敗が早いなど,様々な問題が想定される。 ただし,被災地が局地的なスケールにとどまる場合には大きな問題として取り上げられることはなかった。物資は常に潤沢に提供され,逆に被災地の迷惑になるほどの救援物資の集中が,「第2の災害」と呼ばれることさえある。しかしながら,今般の東日本大震災は広域災害と救援物資輸送に関わる大きな問題点をさらすことになった。各地で寸断された輸送網は広域流通に依存する現代社会の弱点を露わにしたといってもよい。被災地で物資の受け取りに並ぶ被災者の長い列は記憶に新しいし,被災地でなくともサプライチェーンが断たれることによって長期間に渡って減産を余儀なくされた企業も少なくない。先の震災時に整然と列に並ぶ被災者を称えることよりも,その列をいかに短くするのかという取り組みが重要ではないか。広域災害時における被災地への救援物資輸送は,現代社会の抱える課題である。それは同時に今日ほど物資が広域に流通する中で初めて経験する大規模災害でもある。    遠からぬ将来に予想される南海トラフ地震もまた広い範囲に被害をもたらす広域災害となることが懸念される。東海から紀伊半島,四国南部から九州東部に甚大な被害が想定されているが,これら地域への救援物資の輸送に関わっては東日本大震災以上の困難が存在している。第1には交通網であり,第2には高齢化である。 交通網に関してであるが,東北地方の主要幹線(東北自動車道や東北本線)は内陸部を通っており,太平洋岸を襲った津波被害をおおむね回避しえた。この輸送ルート,あるいは日本海側からの迂回路が物資輸送上で大きな役割を果たしたといえる。しかしながら,南海トラフ地震の被災想定地域では,高速道路や鉄道の整備は東北地方に比べて貧弱である。また,現下の主要国道や鉄道もほとんどが海岸沿いのルートをとっている。昭和南海地震でも紀勢本線が寸断されたように,これらのルートが大きな被害を受ける可能性がある。また,瀬戸内海で山陽の幹線と切り離され,西南日本外帯の険しい山々をぬうルートも土砂災害などに対して脆弱である。こうした中で紀伊半島や四国南部への救援物資輸送は問題が無いといえるだろうか。 同時に西日本の高齢化は東日本・東北のそれよりも高い水準にある。それは被災者の災害に対する抵抗力の問題だけでなく,救援物資輸送にも少なからぬ影響を与える。過去の災害史をひもとくと,救援物資輸送で肩力輸送が大きな役割を果たしたことが読み取れる。こうした物資輸送に携われる労働力の供給においてもこれらの地域は脆弱性を有している。     以上のような状況を想定した時,南海トラフ地震をはじめ将来発生が予想される広域災害に対して,準備しなければならない対応策はまだまだ多いと考える。耐震工事や防波堤,避難路などの災害そのものに対する対策だけではなく,被災直後から始まる救援活動をいかに迅速かつ効率よく実施できるかということについてである。その際,被災地における必要な救援物資の種類と量を想定すること,救援物資輸送ルートの災害に対する脆弱性を評価し,適切な迂回路を設定すること,それに応じて集積した物資を被災地へ送付する前線拠点や後方支援拠点を適切な場所に設置すること等々,自然地理学,人文地理学の枠組みを超えて,地理学がこれまでの成果を踏まえた貢献ができる余地は大きいのではないか。議論を喚起したい。
著者
貞広 幸雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100003, 2012 (Released:2013-03-08)

本論文では,GISとインターネット情報を用いて,江戸末期~明治初期の歴史空間データを簡便に作成する方法を提案する.ここでは初等中等教育や地域情報のインターネット上での発信などでの利用を念頭に置き,情報の厳密さよりも作成の簡便さを重視した方法を採用する.対象地域は現在の千葉県全域であり,主として江戸末期~明治初期の以下4種の空間データを整備した.1) 地形,2) 人口分布,3) 交通網,4) 行政区.
著者
谷 謙二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100007, 2016 (Released:2016-04-08)

1.はじめに 日本の大都市圏の発展過程に関しては,すでに多くの研究がなされてきたが,戦前から戦後への継続性については十分に検討されていない。戦時期をはさむこの間には,軍需産業を中心として重化学工業化が進展したが,その立地についても大きな変化が起こったと考えられる。そこで本研究では,1930年から40年にかけての東京市を対象として,工業立地の変化,人口郊外化さらに通勤流動の変化の関係を明らかにする。区間通勤データとして1930年は「東京市昼間移動調査(昭和五年国勢調査)」を用い,1940年は「東京市昼間移動人口(昭和十五年市民調査)」を国勢調査で補って用いた。工業に関しては,「東京市統計年表」の区別工業統計を用いた。2.東京市の人口増加と工業立地 東京市内での人口増加の推移をみると,1930年,35年,40年の人口は,それぞれ499万人,591万人,678万人と,10年間で189万人もの急激な増加を示した。旧市域は,1930年時点で既に大部分市街化していた。1930年には旧市域・新市域の人口はそれぞれ207万人,292万人だったが,1940年にはそれぞれ223万人,455万人と,新市域の人口が圧倒的に多くなった。1930年代には人口の郊外化が進展したことがわかる。次に工業の立地について1932年,36年,40年の工場従業者数の変化を検討したところ,この間の東京市の工場従業者数は,23万人,39万人,67万人と増加し,特に36年以降の増加が著しいのは日中戦争の進展により軍需産業が急拡大したためである。人口と同様,旧市域での増加は小さく,蒲田区など城南地域を中心とした新市域での増加が顕著である。3.通勤流動の変化 従業地ベースでの就業者数の変化を検討すると,1930年時点では,旧市域での就業者が多かった。特に流入超過数が多い区は,現在の都心三区に含まれる麹町区,神田区,日本橋区,京橋区,芝区である。特にビジネス街の丸の内や官庁街の霞ヶ関を抱える麹町区は,11万5千人の就業者のうち区外からの流入者が9万3千人を占め,流入超過数は8万9千人を数える。一方新市域では流入超過を示す区は見られない。1940年になると,周辺部での就業者の増加が著しく(図6),中でも蒲田区の増加率は300%を超えている。その結果,就業者数をみると旧市域で133万人,新市域で143万人と,新市域と旧市域の就業者数が逆転し,人口に続いて雇用の郊外化が進展した。新市域においては,工場の増加した城東区,品川区,蒲田区で流入超過に転じた。1930年代は都心へ向かう通勤者も増加したが,それ以上に新市域での工場の立地が進んでそこへの通勤者も増加し,通勤流動は複雑化した。 これを男女別にみると,男性就業者が新市域で増加した工場に向かったのに対し,女性就業者は都心方向に向かっており,男女間で異なる傾向を示している(図1)。4.おわりに 1920年代は,郊外住宅地の開発が工業の郊外化よりも早く進んだ時期だったが,1930年代で,特に日中戦争が始まって以降は,工業の立地の郊外化が住宅地の郊外化よりも進んだことが明らかとなった。そのため,通勤流動では都心に向かう通勤者だけでなく,郊外間の通勤者や郊外に向かう通勤者も増加して複雑化した。また,男性では新市域に向かう通勤者が顕著に増加したのに対し,女性は都心へ向かう通勤者が増加した点が特徴的である。
著者
斎藤 功 菅野 峰明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.48-59, 1990-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
1 4

武蔵蔵野台地の既存の集落の辺境に開かれた新田集落は,平地林の落ち葉等を活用し,耕種農業,ついで近郊農業を行ってきた。このような地域に新しい主要道路が開通することによって,農家は都市化への急速な対応を迫られるようになった。本稿では小平・田無・東久留米市の境界地帯を事例として,新青梅街道の開通により農民が都市化へいかなる対応をしたかを解明した。 農民の都市化への対応は,一般に通勤兼業が先行する。しかし,農地に執着する農民が,農地を道路や不動産業者に販売した場合,その代金は自宅の新築改築および広い敷地にアパートや貸家を建てて家作経営を行うものが多かった。ついで道路に沿う農地に対しては,道路関連産業の要請により,農地を販売するのではなく賃貸する者も現れた。賃貸の農地は,新車・中古自動車展示場やレストラン,資材置場や倉庫および流通センター等に活用された。 農地を活用した自営的な兼業としては,ゴルフ練習場などのスポージ施設経営が群を抜き,この狭い地域に6つのゴルフ練習場が設立され,わが国最大のゴルフ練習場集中地区となった。ゴルフ練習場ではバッティングセンターやテニスコートぽかりでなく,顧客のためにレストランやゴルフショップを併設する場合が多い。専門度の高いスポーツ施設経営者は,農業経営から離れ産業資本家に脱皮したといえる。 地価の高騰は,一般のサラリーマンに一戸建の家の購入を困難にさせているが,農家が賃貸マンションを建てたりしているので,人口密度は高くなる。しかも,自家用車の所有率が高いため,駐車場需要が高いので駐車場を経営している農家も多い。このように農家では,アパート・マンション・貸家等の家作経営や農地の賃貸など,何らかの農外収入を得ている。しかし,残存した農地では,スーパーマーケットと契約して野菜類を栽培したり,直売している。
著者
山本 健見
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.127-155, 1993-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
73
被引用文献数
4 5

本稿は,ドイツの代表的大都市の中から,都市人口に占める外国人の比率が高く,しかも外国人全体の中に占めるトルコ人比率が特に高い都市である西ベルリン,ケルン,デュースブルクと,外国人比率は高いがトルコ人はユーゴスラビア人につぐ第2位集団でしかないミュンヘンとシュトゥットガルトとを取り上げて,各都市における民族的少数集団の空間的セグリゲーションの状態と程度を描くとともに,その要因を考察することを目的とする。その際,空間的セグリゲーションは,問題となる社会集団間の社会的距離を反映するという古典的人間生態学の理論の妥当性を検証することも,本稿の目的の一つである。 ドイッの大都市を事例としたこのテ・一マに関わる既往の諸研究は,アメリカの黒人ゲットーなどと対比して,ドイッ各都市に共通する特徴を重視してきた。しかし,ドイツ各都市において民族的少数集団が集積・集中している地区の特徴は類似しているものの,民族的少数集団の空間的セグリゲーションの程度に関する各都市の間の差異はかなり大きい。ドイツの各都市は固有の特徴を示しており,古典的人間生態学の理論は妥当しない場合が多い。類型的に見れば,北部の経済的に停滞してきた都市,すなわち西ベルリンとデュースブルクで空間的セグリゲーションの程度が大きく,南部の経済的躍進の著しい都市,すなわちミュンヘンとシュトゥットガルトで小さい。ケルンは両者の中間に位置付けられる。 このような類型的な特徴を説明するためには,民族的少数集団の側の居住地に関する主観的選好という要因よりも,構造的な要因に,すなわち各都市の形成史に制約された住宅供給の特質という要因を重視すべきである。本稿では,デュースブルクを事例として公益住宅企業が果たした役割を考察し,またミュンヘンを事例として「社会住宅」の果たした役割を考察した。その結果,空間的セグリゲーションに関する古典的理論からすれば逆説的なことであるが,差別が空間的分散を生み出し,また住宅供給側の主観的差別の欠如ないし小ささが空間的集中をもたらしていることが明らかとなった。
著者
Loren SIEBERT
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.1-26, 2000-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
58
被引用文献数
1 2

Department of Geography and Planning, University of Akron, Abstract: Japan's ancient provinces were converted into modern prefectures after the Meiji Restoration of 1868. In the Kanto region, the eight former provinces of Musashi, Sagami, Awa, Kazusa, Shimosa, Hitachi, Shimotsuke, and Kozuke were reorganized into the seven prefectures of Tokyo, Saitama, Kanagawa, Chiba, Ibaraki, Tochigi, and Gunma. At the same time, railroads were being built to provide a new transportation method linking geographic areas. To what extent and how rapidly did the new prefectures replace the old provinces in geographic perception? One measure of that acceptance is how the new prefectures influenced the names given to rail companies, lines, and stations, all of which were created after the province system was replaced. Mapping and categorizing of rail names from 1872 to 1995 shows that province-based names significantly outnumbered prefecture-based names. This is especially true for station names, but is strongly apparent for rail company and line names as well. For line names, provincebased names have outnumbered prefecture-related names throughout the period. Only in the case of company names has the number of prefecture-related names (including those based on a capital city with the same name as the prefecture) finally exceeded the number of provincebased names. Spatially, province-based company, line, and station names are spread extensively throughout most of the Kanto region, whereas prefecture/capital-based names are found primarily in and around Tokyo itself. These temporal and spatial patterns reveal that the provinces have lived on in geographic perception long after their official demise.
著者
松本 栄次
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.50-62, 1994-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
26
被引用文献数
1

ブラジル北東部地方(ノルデステ)の主要な地生態系としては, 1) 湿潤熱帯気候下で深層風化した結晶質岩地域に発達するマール・デ・モロス型地生態系, 2) 同じく湿潤熱帯気候下で,未固結の堆積物からなる台地地域に見られるタブレーロス型地生態系,および, 3) 熱帯半乾燥気候下で有刺灌木林(カーチンガ)に覆われた侵食小起伏面からなるペディプレーン型地生態系がある。それぞれの地生態系における植生の破壊によって生ずる特徴的な劣化プロセスは,ハーフオレンジ(円頂丘)斜面におけるラテライト皮殻の形成,タブレーロス台地面における「白砂」の生成,および土壌侵食によるペディプレーンの露岩地化である。 ほとんど石英砂のみからなる不毛な土壌である白砂の生成は湿潤熱帯でもっとも特徴的な地生態系劣化プロセスのひとっである。タブレーロス台地上の白砂は,鉄・アルミニウム酸化物が地下浅所に析出して形成されたハードパンを不透水層として,その上に貯留され,またはその上を流動する酸性の浅層地下水の作用によって生成される。 タブレーロス台地面のように砂質な土壌の場合,森林の伐採によって蒸発散量が減少し土壌水分が増加する傾向がある。このような地中水の増加・地下水面の上昇は,ハードパンを浅所に形成し白砂を生成する上で有利な条件である。こう考えると,人間が白砂の生成を助長している可能性が高いと言える。
著者
白坂 蕃
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.68-86, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
53
被引用文献数
2 2

わが国の山地集落では,1950年代後半から著しい人口減少がみられた.一方,経済の高度成長によって,山地に対するレクリエーション需要が増大してきた.そしてレクリエーション活動の地域的展開に伴い,既存集落の変貌や新しい観光集落の形成がみられた.特にスキー場の開発による集落の変貌と,新しい集落の形成はその典型である. 筆者は,スキー場がその集落の形成・発展において重要な役割を演じ,スキー場と集落がひとつの複合体として機能する場合を,「スキー集落」と規定した.そして,スキー場の地域的分布の条件を考えるために,日本におけるスキー場の開発過程とスキー・場の地理的分布を明らかにした.さらにスキー集落をその起源により類型化し,スキー集落形成の諸条件を明らかにした. わが国のスキー場の地理的分布をみると,年最深積雪量50cm以上の地域で,しかも滑走可能期間が110日以上の地域に著しい集中がみられる.これらの自然条件に加えて,スキーヤーの発源地が基本的には大都市であるために,スキー場の立地には交通条件が大きく関与している.また,一般に日本のスキー集落の形成にあたっては,温泉の存在がその発展に大きな条件になっている.さらにスキー場の開発には広大な土地が必要であるため,スキー集落の形成においては,スキー場適地の土地所有形態が重要な要因で,これには共有地の存在が有利な条件となる. わが国におけるスキー集落は多種多様であるが,筆者は,それぞれの集落の起源や変貌の過程によって日本のスキー集落は基本的に二つに類型化できることを明らかにした.すなわち,第1は,既存の集落がスキー場の開発によって,従来の集落を著しく変貌させた「既存集落移行型スキー集落」である.第2は,スキー場が開発され,地元民の移住などにより,従来の非居住空間に新しい集落が形成された「新集落発生型スキー集落」である.
著者
NAKAMURA Tsutomu
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan series B (ISSN:18834396)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.84-92, 2013 (Released:2013-05-29)
参考文献数
19
被引用文献数
1 1

Based on experience during the Great East Japan Earthquake, this article examines the efficiency and high-security requirements of Japan’s pharmaceutical supply chain and its response pattern in an emergency. Ensuring supply chain security requires an enormous amount of investment, sacrifices, and improvement in efficiency. The practical measures being implemented need to maintain a strict balance between supply chain security and efficiency. To assess the supply chain security needs of the pharmaceuticals, interviews were conducted with Japan’s pharmaceutical supply chain players. Although faced with some difficulties, the supply chain functioned effectively during the sudden change in demand following the 2011 quake. The distribution centers are located mainly in the three major metropolitan areas unevenly, but dispersing inventories are maintained at all the branch offices outside the area of specific lead time. However, this article has found that the changes in the pharmaceutical supply chain could lead to a low level of security. The national or local governments might be required to provide public assistance for the management. Additional measures might be needed if differences between municipalities in the extent of the measures result in substantial regional disparities in access to pharmaceuticals. Users and suppliers need to continue risk communication about how much money they should invest in secure supply chain. Geographical studies are required to contribute to the spatial arrangement of the pharmaceutical supply chain that considers both moderation of the medical insurance system’s finances and the supply chain’s function as a social infrastructure.
著者
YAMAZAKI Takashi KUMAGAI Mika
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan series B (ISSN:18834396)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.31-41, 2009-08-30 (Released:2009-10-07)
参考文献数
63
被引用文献数
2 2

This paper examines how the journal Political Geography has been accepted in Japan. Compared with other ‘international’ geographical journals widely subscribed to in Japan, the status of the journal is not necessarily high. However, following a general rise of political geographic studies in Japan, Japanese universities' subscription to the journal increased in number from the late 1980s to the early 1990s. The citation of the journal in major Japanese geographical journals has also been increasing. While the journal is accepted in such a way in Japan, the way Japanese geographers have cited articles in the journal points to some problematic aspects. Using the case of Japan, this paper illustrates how the ‘international’ journal is used outside the Anglophone world, assesses the role of the journal in the revitalization of political geography in Japan, and proposes some options to make the journal more international.