著者
河越 正羽 水谷 義弘 轟 章 松崎 亮介 安岡 哲夫
出版者
一般社団法人 日本機械学会
雑誌
日本機械学会論文集A編 (ISSN:18848338)
巻号頁・発行日
vol.79, no.801, pp.555-562, 2013 (Released:2013-05-25)
参考文献数
27
被引用文献数
1 3

In this study, a new welding method which utilizes conductivity of CFRTP (Carbon Fiber Reinforced Thermo-Plastic) is proposed. Electrical current is applied through the CFRTP single-lap joints in thickness direction. Since resistance of joining surface is the highest in the current path, the joining surface is preferentially heated by Joule heating. In this study, spot welding and surface welding were conducted. By applying constant voltage of 5.0V or 10.3V, the joint-surfaces were heated above melting temperature Tm of the material and were welded. In order to evaluate lap-shear strength (LSS) of welded joints, tensile lap-shear strength tests were conducted. As a result, the tensile lap-shear true stress of spot welding is 31.0MPa and LSS of surface welding is 22.0MPa. These strengths were comparable to those that were welded by traditional resistance welding method. It is also found that LSS is changed with welding pressure of joint parts.
著者
松田 ヒロ子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.549-568, 2016

1945年8月に日本が無条件降伏した際、台湾には約3万人の沖縄系日本人移民(沖縄県出身かあるいは出身者の子孫)がいたといわれている。そのなかには、1895年に日本が植民地化して以来、就職や進学等のために台湾に移住してきた人びととその家族や親族、戦時中に疎開目的で台湾にきた人びとや、日本軍人・軍属として台湾で戦争を迎えた沖縄県出身者が含まれる。本稿はこれらの人びとの戦後引揚げを「帰還移民」として捉え、その帰還経験の実態を明らかにする。沖縄系移民は日本植民地期には日本人コミュニティに同化して生活し、エスニックな共同体は大きな意味を持っていなかった。にもかかわらず、米軍統治下沖縄に引揚げの見通しが立たないまま、台湾で難民状態におかれた沖縄系移民らは、はじめて職業や地域を超えて全島的な互助団体「沖縄同郷会連合会」を結成した。中華民国政府からは「日僑」とよばれた日本人移民らは、原則 として日本本土に引揚げなくてはならなかったが、米軍統治下沖縄への帰還を希望した人びとは、 沖縄同郷会連合会によって「琉僑」と認定されることによって引揚げまで台湾に滞在することが特別に許可された。すなわち、帝国が崩壊し引揚げ先を選択することが迫られたときに、それまで日本人移民コミュニティに同化して生活していた人びとにとって「沖縄(琉球)」というアイデンティティが極めて重要な意味を持ったのである。しかしながら、「琉僑」として引揚げた人びとが須らく米軍統治下沖縄社会を「故郷」と認識し、また既存の住民に同郷人として受け入れられたわけではなかった。とりわけ台湾で幼少期を過ごして成長した引揚者たちは、異なる環境に適応するのに苦労を感じることが多かった。また、たとえ自分自身は沖縄社会に愛着と帰属意識を持っていたとしても、台湾引揚者は「悲惨な戦争体験をしていない人」と見なされ、「戦後」沖縄社会の「他者」として定着していったのである。
著者
井上 弘樹
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.125, no.8, pp.61-87, 2016

本稿では、一九六〇年代から七〇年代の台湾での寄生虫症対策と、そこでの日本の医療協力に焦点を当て、医学分野において日台関係が再構築される過程を分析した。従来の研究では、一九四五年から一九五〇年代の台湾医学界の様々な場面に植民地期からの連続性が確認され、一九五〇年代から六〇年代にかけては、「米援」の下で台湾医学界の「アメリカ化」が進み、医学体系の「脱日本化」が図られたことが指摘されている。その一方で、一九五〇年代以降に日台医学界の関係の再構築が進展したことは等閑視されている。当該時期の日台の医学分野における関係の再構築をめぐる本稿の議論は、中国国民党政権と「米援」の下で台湾医学界の脱植民地化が進む中で、日本がそこにどう関わったのかという問題に通じる。<br>一九五〇年代以降、米援の下で台湾の医学制度や組織の「アメリカ化」が進展したことは確かである。ただし、それは必ずしも台湾と日本の医学界の関係断絶を意味せず、特に戦前の人的関係に支えられた学術交流という場面で、日台医学界の関係は再構築された。この関係は、一九七〇年頃に政府間の制度化された医療協力へと移行する。寄生虫症対策に限れば、当時の台湾では米援終了や国際機関からの寄生虫症対策支援の中止、及び疾病対策の変化に伴い、寄生虫症対策の技術や資金が不足していた。一方の日本は、寄生虫症対策の経験を生かした海外医療協力を推進し始めた時期にあった。<br>こうした状況下に始まる日本の医療協力は、環境衛生改善を中心とする台湾の従来の寄生虫症対策から、学校保健を基盤とする定期的な集団駆虫政策への転換を後押しした。ただし、台湾医学界でも回虫症研究や対策が着実に進められており、その成果は医療協力を含む寄生虫症対策に生かされた。他方、日本の寄生虫学界は、台湾での医療協力を通じて東アジアに再び活躍の場を見出し、その成功経験はその後の日本の寄生虫学の世界展開に繋がった。
著者
伊藤 昌司
出版者
九州大学
雑誌
法政研究 (ISSN:03872882)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1063-1085, 1997-03
著者
菅野 敦志 すがの あつし Sugano Atsushi 名桜大学国際学群
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.25, pp.77-86, 2016-03

本稿は,日本における台湾研究の理解につなげることを目的として,戦前・戦後の台湾教育史をめぐる研究動向とその変遷について論じるものである。教育史に限らず,台湾史研究の特殊性は,1945年を境としてそれ以前が国内史,それ以後が外国史として扱われることにある。戦前は日本統治がもたらした「文明化」としての教育近代化の成果を誇示するものであった他方,戦後はかつての植民地教育が,天皇制に基づく国家主義の下での異民族に対する民族性剥奪の教育であったとして批判される傾向にあった。とはいえ,第一,第二世代の研究者を経て,第三世代の研究者の登場や,1987年の戒厳令解除に伴う日本統治時代をめぐる歴史観の見直しという台湾内部の変化を受けて,日本の学界においても日本統治時代の教育を,「抑圧―被抑圧」の二項対立だけでなく,統治された側の主体性の点に着目して再検討されるようになり,研究の枠組みは大きな転換を果たすこととなった。本稿では,それら第一世代から第三世代の研究者の成果を紹介しながら,「制度から人へ」,そして「支配―被支配」から「台湾人の主体性」へと変容を遂げていった日本の台湾教育史研究の変容と回顧を概観したうえで,今後の研究についても展望を試みる。In this paper, I would like to briefly review the transition of the research trends and analytical frames regarding the History of Taiwanese Education in Japan, from the Pre-WWII Period to the present, mainly by reviewing the most important book publications during the period. The scholarship on the History of Taiwanese Education can be divided into two periods: one is the Japanese Colonial Era from 1895 to 1945, and the next is the Republic of China Era from 1945 to the present. The turning point came after the lifting up of martial law in Taiwan in 1987, when Kuomintang's historical view of an anti-Japanese narrative began to accept more moderate and objective views in the evaluation of the past Japanese rule. This change in historical discourse in Taiwan had also influenced trends in Japanese academic circles. Gradually, new research and publications came to focus and underscore the importance of the subjectivity of the Taiwanese people during the Japanese Colonial Era, rather than the long dominant framework which often presupposes a binary opposition between the colonizer and the colonized, oppressor and oppressed.
著者
陳 虹彣 Hung Wen CHEN 平安女学院大学国際観光学部
雑誌
平安女学院大学研究年報 = Heian Jogakuin University journal (ISSN:1346227X)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.34-42, 2016-03-01

日本統治下の台湾において、1930年代には都市と農村の教育格差が議論されるようになった。本研究は台湾人向けの国語教科書を対象に、都市と農村の格差問題について検証を行った。検証の結果によると、農村の公学校においては確かに教育上の格差問題が存在しており、当時の公学校及び社会教育に属する国語講習所の国語教科書の使用や編さんにも影響を与えていた。そして、使用対象が異なることにより、教材の選択においても違う方針が取られていた。In Colonial Taiwan, the educational gaps of urban and rural areas were discussed during the 1930s. I analyzed the Japanese language textbooks for Taiwanese to discover the disparity of materials and how the materials be used in the classroom. Then I found the disparity between Urban and Rural was actually existed and it influenced the editorial policy of the language textbooks of public elementary school and Japanese continuation school. And also by the users of the textbook are different, different policy of choosing teaching materials had been taken.
著者
加藤 靖子
出版者
一般社団法人中国研究所
雑誌
中国研究月報 = Monthly journal of Chinese affairs (ISSN:09104348)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.15-29, 2016-02

1980年代までの旧幹部制度期においては,女性はエリート地位獲得に不利であると言われてきた。そこで,女性エリートの経歴分析を行うことにより,エリート女性の特徴やこれまで明らかにされていなかった専門職から党政職及び下級管理職から上級管理職への移動に関する選抜要素を明らかにすることを試みた。その結果,専門職から党政職(管理職)への移動では,政治姿勢に問題がないと認められることが第一であり,教育的資格はさほど重視されないが,上級幹部に選抜されるためには学歴(実務能力)に加え,人事権を握る党グループメンバーからの評価が重要である可能性のあることが示された。