著者
井手 広康
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.254-257, 2021-04-15

2020年10月,大学入試センターは,2024年度の大学入学共通テストに教科「情報」を新設する方針を示した.さらに同センターはこの翌月,「大学入学共通テストにおける「情報」試作問題(検討用イメージ)」を関連団体に通達した.本稿では,これまでの教科「情報」の変遷と,大学入学共通テスト「情報」試作問題の概要を記すとともに,情報担当の教員が試作問題に対してどのような想いを抱いているのかをまとめる.
著者
原田 久 ハラダ ヒサシ Hisashi Harada
雑誌
立教法学
巻号頁・発行日
vol.103, pp.73-105, 2020-10-31
著者
柿沼 肇
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.138, pp.67-97, 2018-09-30

「戦後」開始されるようになった教育運動史の本格的・組織的研究を担ったのは新教懇話会(1958 年1 月正式発足)とその発展として改組された教育運動史研究会(1968 年8 月発足)である.この両組織の活動によって,運動史研究は大きな前進を遂げたが,90 年代に入ってしばらくする頃から低調になり始め,中頃には会自体が「開店休業」状態に陥ってしまった. その研究会がやり残した課題はいくつかあるが,その一つが『「教労」・「新教」教育運動史事典』の編纂事業である(註・「教労」とは日本教育労働者組合,「新教」は新興教育研究会のこと,ともに前史および後継の運動を含む).そしてその『事典』の執筆項目の一つに「新教・教労の運動と弾圧機構」というのがあり,柿沼が執筆者ということになっていた.今回この小論を本誌に執筆しようと思いたった動機の一つはその時の「宿題」をいくらかでも果たさなければという思いがあったからである この小論では全体を大きく二つに括り,Ⅰを「戦前」日本の教育史,Ⅱを「戦前」社会運動,教育運動に対する「取締り・弾圧」機構,とした. Ⅰでは,『戦前』日本の社会と教育についてその内容を概略したあと「『戦前』日本教育の帰結とその教訓 教育(教師)の戦争協力と戦争責任」と題して以下の事柄を論じた. (1)日本教育の天皇制軍国主義的体質 (2)教育における「戦争責任」の払拭 -「空振り」と「免罪」 (3)「戦後」社会の中で -二度のチャンスを生かせず Ⅱでは (1)代表的な「取締り・弾圧」法令(33 項目と関連法令22 項目を列挙,一部に短いコメントを付す) (2)「取締り・弾圧」機構(情報収集,思想統制,世論形成等を含む.24 項目.各項にやや長めの解説を付す) なお,Ⅱでは時間をかけて膨大な資料・参考文献を収集したが,まだまだ目を通すことの出来ないままのものがかなり残されている.またこれまでの作業で新たな課題や問題意識も生まれてきている.そこで今回は,この「表題」での本格的な論文執筆のための「第一次作業」と位置づけて,題名のアタマに「研究ノート」と付すことにした.
著者
島内 景二
出版者
電気通信大学
雑誌
電気通信大学紀要 (ISSN:09150935)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1-2, pp.183-194, 2009-01-15

TAKEDA Shingen(武田信玄; 1521~73)was a renowned daimy(feudal lord) who governed Kai(甲斐) and Shinano(信濃)Provinces. As well as a military tactician, he was a man of letters. Shingen studied tanka poetry(和歌)because he aspired to hold both the pen and the sword(文武二道). His poem calligraphed on colored paper(色紙)is treasured in the Erin-ji Temple(恵林寺)even now. The poem reads as follows: sasowa-zu wa 誘引ずは kuyashikara-mashi くやしからまし sakura-bana さくら花 sane-kon koro wa 実こんころは yuki no furu tera 雪のふるてらIt is noteworthy that Shingen employed Chinese characters 誘引 and 実 in writingさそふ (to invite) and さね(really)respectively. By so doing, Shingen hinted at allusions to Wakan rei-sh (和漢朗詠集), Genji monogatari (源氏物語), and Ise monogatari (伊勢物語). This paper argues that Shingens tanka poem can be interpreted as a self-praise of his being a master of both the pen and the sword.
著者
玉瀬 耕治 富平 美智子 タマセ コウジ トミヒラ ミチコ Koji Tamase Michiko Tomihira
雑誌
帝塚山大学心理福祉学部紀要 = Tezukayama University bulletin of psychology and welfare
巻号頁・発行日
vol.3, pp.59-72, 2007

大学生を対象にして、「甘え」と「友人の役割行動遂行」「自己受容」「良好な友人関係」の関係が調べられた。測定尺度として、「甘え」については「希求」「受容」「歪曲」「拒絶」の4っの下位尺度が用いられた。この尺度では、前の2尺度を合わせた「相互依存的甘え」と後の2尺度を合わせた「屈折した甘え」について、主に他の尺度との関係が調べられた。「自己受容」尺度では「対人満足・生活の充実」「性格・能力の受容」の2つの下位尺度が用いられた。「良好な友人関係」尺度では「受動的友人関係」と「相互的友人関係」の2つの下位尺度が用いられた。相関係数を算出し、パス解析を行った結果、「相互依存的甘え」は「友人の役割行動遂行」を促し、その結果が直接的に「良好な友人関係」を促す場合と、「友人の役割行動遂行」が「自己受容」を促し、その結果が「良好な友人関係」を促す場合があることが分かった。これらの結果に基づいて、青年期の友人関係を理解する手がかりと「甘え」に関する臨床心理学的意義が論じられた。
著者
那須 里絵 西村 馨
出版者
国際基督教大学 International Christian University
雑誌
国際基督教大学学報. I-A 教育研究 = Educational Studies (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
no.63, pp.113-122, 2021-03-31

本研究では,仲間希求があるにもかかわらず学校で孤立し,孤独を抱えている思春期の子どもへのグ ループセラピーの有効性を検討した。思春期グループセラピーの仲間関係発達促進モデルの意義を述べ, 仲間関係発達を促進する上でのパラメーター(枠組み,活動,グループ発達段階,セラピストの基本的 技法)を整理し,外来機関でのグループセラピーのデザインを試みた。適切にデザインされたグループ セラピーの適用は,思春期の子どもに居場所を提供し,孤独感の低減と仲間関係の改善をもたらすこと が期待される。ここでデザインされたグループにおける仲間関係の具体的な発達過程について,孤独を かかえた子どもがどのように展開を見せるのかを検討することが今後の課題である。
著者
藤堂 友美
出版者
日本女子大学国語国文学会
雑誌
国文目白
巻号頁・発行日
vol.50, pp.53-62, 2011-02-28
著者
白川悠太 岡谷貴之
雑誌
研究報告コンピュータビジョンとイメージメディア(CVIM)
巻号頁・発行日
vol.2013-CVIM-187, no.30, pp.1-6, 2013-05-23

ディープラーニングの方法は,画像認識の様々なベンチマークテストにおいてよい結果を残しているが,それらは主に畳込みニューラルネットワークを用いた教師あり学習によるものである.一方,画像を学習対象とした無教師学習,特に全結合型の多層ネットワークを用いたものは,必ずしもベンチマークテストで注目されるような結果は残していない.本論文では,ディープボルツマンマシンを用いた多層ネットワークの無教師学習により,線画の生成モデルを学習し線画の欠損修復を行う方法を述べる.その上で自由度を揃え単層のモデルと比較し,全結合型の多層ネットワークの有効性について比較実験を行う.
著者
小林 信彦 Nobuhiko KOBAYASHI
雑誌
桃山学院大学総合研究所紀要 = ST.ANDREW'S UNIVERSITY BULLETIN OF THE RESEARCH INSTITUTE (ISSN:1346048X)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.35-50, 2000-01-24

In ancient India, the Buddhist samgha as a self-governing community maintained order by means of its own law called "vinaya." Violators were punished according to vinaya. On the other hand, all Buddhists, whether monks or laymen, were expected to follow particular customs called "sila." Unlike vinaya, this was not compulsory and did not carry penalties. In Japan far away from the original land of Buddhism, no one paid attention to the distinction between vinaya and sila, because temples were the apparatus of government and there was no samgha to be governed by vinaya. Under such circumstances, Saicho (766-822) openly repudiated vinaya and replaced it with sila. From that time down to this day, the Japanese have been convinced that the essence of true Buddhism consists in the repudiation of vinaya.