著者
尾本 健一郎 大石 崇 磯部 陽 松本 純夫
出版者
日本腹部救急医学会
雑誌
日本腹部救急医学会雑誌 (ISSN:13402242)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.733-736, 2014-03-31 (Released:2014-09-29)
参考文献数
13

原発性腹膜癌の初発症状は多量の腹水貯留による腹部膨満などが多く,腸閉塞症状はまれである。今回,癒着性腸閉塞として加療されていたが手術を契機に診断された1例を経験した。症例は71歳女性。左付属器切除術,子宮膣上部切断術および2度の腸閉塞歴がある。嘔吐,右下腹部痛で当院受診。CT画像で腸管の拡張がみられ,石灰化が目立っていたが腹水は少量であり,あきらかな腫瘤を指摘できなかったことから癒着性腸閉塞の再発として入院となった。保存的加療されていたが,全身状態悪化のため第5病日に手術を施行した。回腸約40cmが一塊となっており,後腹膜と強固な癒着を呈していた。小腸部分切除術を施行した。術後第40病日に軽快退院。病理診断で卵巣漿液性乳頭状腺癌と類似し,原発性腹膜癌と診断した。漿膜面の腹膜播種による硬化から腹膜癌が腸閉塞の原因と考えられた。
著者
森 周介 笹原 孝太郎 田内 克典
出版者
日本臨床外科学会
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.233-238, 2009 (Released:2009-07-05)
参考文献数
13
被引用文献数
4 4

症例は80歳,女性.内科の定期診察で腹部腫瘤を触知した.CTおよびMRIでは,結腸肝彎曲部外側に長径60mm大の不整形軟部腫瘤を認め,FDG-PETで同部に高集積像を認めた.手術所見では,結腸肝彎曲部漿膜面に腫瘤を認め,大網に播種結節を認めた.術中組織検査にて,漿液性乳頭腺癌に類似する組織像との診断で,結腸右半切除術を施行,播種結節を取り切るように大網を切除した.右付属器は肉眼的に異常を認めなかったが,原発巣の可能性を考慮し切除した.S状結腸の強い癒着のため左付属器の観察は断念した.肉眼所見では,径70mm×65mm,割面は白色充実性分葉状の腫瘤であった.組織学的検査所見では,病変の中心は腹膜脂肪組織内にあり,結腸固有筋層まで浸潤する漿液性乳頭腺癌であった.右付属器は卵管采付近に5mmの癌巣を認めたが,大きさと広がりから考えて,腹膜原発漿液性乳頭腺癌と診断した.
著者
河野 修三 下田 忠和 飯野 年男 二階堂 孝 梅田 耕明 桜井 健司
出版者
一般社団法人 日本消化器外科学会
雑誌
日本消化器外科学会雑誌 (ISSN:03869768)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.72-76, 1995 (Released:2011-06-08)
参考文献数
18
被引用文献数
2 3

症例は68歳の女性. 平成5年7月に左鼠径部の有痛性腫瘤を主訴に来院し, 大網のヘルニア嵌頓の診断にて手術を施行した. ヘルニア嚢には3×2cmの腫瘤を認め, 同部を切除した. 病理検査の結果が転移性腺癌であったため, 生殖器および消化器の精査を行い諸検査で異常所見を認めなかったため, 腹腔鏡検査に引き続き, 開腹手術を施行した. 大網には多発性散在性に瘢痕様病巣が存在したので大網網嚢切除を施行した. 大網およびヘルニア嚢腫瘤の病理組織学的検査から腹膜原発漿液性乳頭腺癌と診断した. ヘルニア嚢に悪性腫瘍を発見することはまれなことである. 腹膜原発の漿液性乳頭腺癌は比較的まれな疾患であるが, 腹水貯留による腹部膨満感や腹部腫瘤触知により診断されることが通常である. ヘルニア嚢の腫瘤より同疾患が診断された報告はほかになく, 非常に興味深い症例と考えた.
著者
岡田 春太郎 郷田 康文 太田 紗千子 髙橋 守 渋谷 信介 寺田 泰二
出版者
特定非営利活動法人 日本肺癌学会
雑誌
肺癌 (ISSN:03869628)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.50-53, 2021-02-20 (Released:2021-02-26)
参考文献数
8

背景.原発性腹膜癌は卵巣癌,卵管癌とともにミュラー管由来腺癌と総称される疾患である.今回,両側の横隔膜上の脂肪組織内に転移が認められた原発性腹膜癌症例を経験したので報告する.症例.78歳女性.皮膚筋炎と診断され,間質性肺炎の評価のためのCTで横隔膜前縁の脂肪組織内に右側34 mm,左側49 mm大の腫瘤と,下大静脈や腸骨動脈周囲に多数の腫瘤が認められ,悪性リンパ腫が疑われた.生検目的で胸腔鏡下に右側の脂肪内の腫瘍を摘出し,病理検査で漿液性癌が認められた.婦人科臓器由来の腫瘍転移が疑われ,婦人科で腹腔鏡下両側付属器摘出と腸間膜腫瘍摘出が施行され,両側付属器には腫瘍は認められなかったが,腸間膜上の腫瘍は横隔膜上脂肪組織内のものと同じ組織像であり,原発性腹膜癌と診断した.卵巣癌は横隔膜直下の腹膜から横隔膜を浸潤して胸腔へのリンパ節へ転移する経路が報告されているが,本症例も同じ転移経路で横隔膜上のリンパ節に転移したと考えられた.結論.原発巣が明らかでない横隔膜上の腫瘍性病変が認められる症例は,炎症性疾患や悪性リンパ腫の他,原発性腹膜癌などの悪性腫瘍のリンパ節転移についても検討する必要がある.
著者
馬場 卓也 肥満 智紀 梅枝 覚 山本 隆行 湯澤 浩之 中山 茂樹
出版者
日本臨床外科学会
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.608-612, 2015 (Released:2015-10-01)
参考文献数
12

症例は65歳,女性.腹部膨満を主訴に来院.腹部CT・MRIで多量の腹水と下腹部に分葉状軟部腫瘍を認め,PET-CTで同部に高度集積を認めた.血清CA125は高値であった.腹水穿刺細胞診でadenocarcinomaと診断された.消化管・子宮・卵巣に異常を認めなかったため,原発不明癌として試験腹腔鏡を施行した.大網に一塊となった多房充実性腫瘍と腹膜播種を認めた.腫瘍は可及的に切除した.病理組織学的検査は漿液性乳頭状腺癌であった.以上より,腹膜原発漿液性乳頭状腺癌の診断で術後はpaclitaxel・carboplatin併用による化学療法を施行した.一時は奏効したが次第に腫瘍は増大し,腹水も貯留するようになっていった.腹水濾過濃縮再静注法(CART)を行うことで全身状態は保持しえたが,術後18カ月で死亡した.稀ではあるが原発不明癌では本症例も念頭に置き,診断・治療にあたるべきと考えられた.
著者
高倉 有二 高橋 忠照 貞本 誠治 豊田 和広 池田 昌博 中谷 玉樹
出版者
Japan Surgical Association
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.67, no.6, pp.1428-1432, 2006-06-25 (Released:2009-01-22)
参考文献数
18
被引用文献数
1 1

症例は69歳の女性で,右鼠径部の膨隆を主訴に受診した.右大腿ヘルニアの嵌頓にて緊急で嵌頓解除,ヘルニア根治術を施行した.ヘルニア内容は腫瘤性病変であったが,壊死状であり,確定診断がつかなかったため,悪性腫瘍の腹膜播種を疑って再手術を施行した.腹腔内には回盲部や骨盤を中心に多数の腫瘤を認めた.両側卵巣は正常大であった.切除不能と判断し腫瘍生検のみ行い手術を終了した.組織学的には卵巣の漿液性乳頭状腺癌に類似しており腹膜原発漿液性乳頭状腺癌と診断した.腹膜原発漿液性乳頭状腺癌は腹膜原発の稀な疾患で,多くの場合腹水貯留による腹部膨満感が初発症状となる.腫瘍のヘルニア嵌頓で発見されることは稀であり,ヘルニア内容がはっきりしない場合は本症例のような腹膜原発の悪性疾患も考慮すべきである.

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著者
和田久太郎著
出版者
黒色戦線社
巻号頁・発行日
1988

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著者
和田久太郎著
出版者
改造社
巻号頁・発行日
1971

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著者
和田久太郎著
出版者
幻燈社
巻号頁・発行日
1971

1 0 0 0 獄窓から

著者
和田久太郎著
出版者
勞働運動社
巻号頁・発行日
1927
著者
市川 康夫
出版者
The Japan Association of Economic Geography
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.235-254, 2021-12-30 (Released:2022-12-30)
参考文献数
35
被引用文献数
1

本研究は,先進国農村で1960年代末より広く展開した「大地に帰れ運動( Back to the Land Movement)」において,農村がいかなる役割や機能を果たしてきたのかを,当事者の生活や意識,運動の展開過程の分析から明らかにすることを目的とした.「大地に帰れ運動」は,1968年の社会運動を契機として,都市や資本主義社会への批判や決別を目標に,1970年代と2000年代以降という「2つの波」を形成してきた.この2つの波の比較から,次のようなことが明らかとなった.まず,「大地に帰れ運動」において,農村という空間は,価値の再定義を行う「実験の場」として機能していた.それは,貨幣や労働,家族観や自然環境の価値を,共同体という社会実験から問い直す過程でもあった.そのなかで,農村は個人を解放する「逃避の場」から,エコロジーの実践とその社会共有の場へと役割を変化させてきた.カウンターカルチャーとしてのコミューン・共同体の背景には,常に批判対象としての主流社会の存在があった.また,「都市」というアンチテーゼに対する「農村」は重要な命題であり,「都市の否定的イメージ」と「理想郷としての農村」の対比が強く意識されていた.「大地に帰れ運動」は,社会への批判とエコロジーの実践をエネルギーに今日まで存続し,そのプロセスのなかから常に新たな価値が生み出され,消費されてきたと結論づけられる.