著者
長谷川 匡弘 石田 惣 松井 彰子 松本 吏樹郎 長田 庸平 初宿 成彦 植村 修二 和田 岳
出版者
大阪市立自然史博物館
雑誌
自然史研究 = SHIZENSHI-KENKYU, Occasional Papers from the Osaka Museum of Natural History (ISSN:00786683)
巻号頁・発行日
vol.4, no.5, pp.117-156, 2022-02-28

大阪府下から記録されている哺乳類、鳥類、両生類、爬虫類、魚類、昆虫類、その他無脊椎動物、コケ類、維管束植物について、主に明治時代以降に持ち込まれたと考えられる外来種を整理し目録を作成した。結果として哺乳類11種、鳥類12種、爬虫類3種、両生類2種、魚類45種、昆虫類・クモ類196種、その他無脊椎動物68種、コケ類3種、維管束植物種800種がリストアップされた。This list shows non-native species that are thought to have been introduced mainly after the Meiji era and were recorded in Osaka Prefecture. As a result, the following species were listed, Mammals: 11 species, birds: 12 species, reptiles: 3 species, amphibians: 2 species, fish: 45 species, insects and spiders: 196 species, other invertebrates: 68 species, mosses: 3 species, vascular plant species: 800 species.
著者
児島 明
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.55-72, 2008-03

日本の学校に通う経験を持ちながら、早くから就労の世界に身をおくようになる在日ブラジル人の若者の進路選択過程は、学校からの離脱及び学校から離脱した後の就労への水路づけの過程として描きだすことができる。学校からの離脱は、国家間移動のみならず地域間移動や帰国/再来日という多層的な移動経験の結果であるだけでなく、学校での困難及びそれに対してなされる学校側の対応の在り方が大きく影響する。とりわけ、不登校対策や進路相談といった生徒の学びの可能性を保障するための実践が、逆に学校からの離脱の促進という意図せざる結果を生みだしてしまう現状に目が向けられる必要がある。そして、離脱の過程で、あるいはその結果としてかれらが形成する「脱出の物語」は、家庭でも学校でも早期就労を引き止める力が働かないことによって消費社会と接続する。在日ブラジル人の若者の早期就労は、主体的選択という観点からのみでなく、かれらを取り囲む環境的要因との関連において説明される必要がある。
著者
彭 雪儿 宮下 芳明
雑誌
エンタテインメントコンピューティングシンポジウム2022論文集
巻号頁・発行日
vol.2022, pp.129-131, 2022-08-25

本稿では,非接触型のアロマサイネージシステムにおいて「気流への影響」という観点から最適なハンドジェスチャを考察した.例えば,手を横方向に払うジェスチャを行うと,ユーザの前に滞留する空気が横に押しのけられ,反対側から新鮮な空気が入り込み,自然な拡散よりも遙かに速い「消臭」が実現される.よってこのジェスチャは,現在のにおいを消したり,次のにおいに切り替えたりする際の操作への割り当てが適しているといえる.このような考察のもとで,ハンドジェスチャで操作するアロマサイネージシステムを設計・試作した.
雑誌
C.0.E.オーラル・政策研究プロジェクト
巻号頁・発行日
2004-09

インタビュー対象者 : 小田村 四郎 (オダムラ シロウ)
著者
新海 拓郎 SHINKAI Takuro
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山町(神奈川県)
雑誌
総研大文化科学研究 = SOKENDAI Review of Cultural and Social Studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.18, pp.(65)118-(79)104, 2022-03-31

これまで民俗学において養殖業は漁撈に比べて扱われる機会が少なかった。そこで、本稿は内水面養殖の一例として、奈良県大和郡山市で行われる金魚養殖を対象とした。明治期から現在に至るまでの金魚の養殖業の中で変化してきた技法について明らかにする。大和郡山は全国有数の金魚の産地で、ため池を利用したワキン(和金)の大量生産が中心となっている。そこで、本研究では、文献資料と古老からの聞き取りから得られた情報をもとに双方の比較を行い、技法の変化の内容と要因を明らかにした。本稿では、産卵藻、初期餌料の確保、金魚の養成、運搬方法に着目した。まず、産卵藻についてはその原料である柳の根が高度経済成長期の河川改修の増加によって入手が困難になった。そして、周辺山地に自生するヒカゲノカズラというシダ植物へと代替していった。初期餌料の確保にはかつては赤子すくい(ミジンコ捕り)という方法が用いられていた。また、金魚の養成では「ヨリコ」(選り子)さんと呼ばれる女性たちによる選別作業は現在見られなくなってしまった。運搬方法は重ね桶から酸素詰めのビニール袋へと変化してきた。これらの変化の大きな外的要因は3点挙げられる。まず、大和郡山の都市化による環境の変化は柳の根からヒカゲノカズラへと産卵藻の原料の変化をもたらした。次に、近代化による技術の発達は運搬方法を変化させた。そして、生産品種の転換によるコスト削減(人件費削減)によって赤子すくいやヨリコさんの選別作業は見られなくなった。このように、様々な要因によって大和郡山の金魚養殖に関する技法は変化してきたといえよう。Studies on aquaculture have not been conducted frequently in the field of folklore in comparison to fishing. This paper reports on the transition of aquaculture techniques from the Meiji era to the present, focusing on goldfish aquaculture in Yamato-Koriyama City, Nara Prefecture, one of the leading goldfish farming areas of Japan. In Yamato-Koriyama, the business is mainly mass production of a goldfish breed called wakin using irrigation ponds. This study compares the differences between past and current techniques based on written materials and information obtained from interviews with local elders and clarifies the details of technical changes and their causes.This paper focuses on spawning grass, the procurance of initial feed, goldfish raising, and transportation methods. First, increased river improvement during the period of high economic growth made it difficult to collect willow root, which is the material used for spawning grass. Willow root was replaced by a fern plant called Hikagenokazura, which grows naturally in the surrounding mountains. Next, the initial feed for goldfish was provided by capturing Daphnia pulex, which lives in irrigation ponds, using a scooping method called Akako-sukui. In recent years, sorting work by women called Yoriko is no longer available in local goldfish farming. Finally, the transportation method has changed from using stacking tubs called kasane-oke to water and oxygen-filled plastic bags.There are three major external factors relating to these changes. The first factor is the urbanization of Yamato-Koriyama, which caused environmental changes resulting in the replacement of the material used for spawning grass from willow root to Hikagenokazura. The second factor is modernization, which facilitated the development of technology and transformed the means of goldfish transportation. The third factor is cost reduction due to changes in farmed goldfish varieties, which caused Akako-sukui and sorting work to disappear. In this way, this study has discovered that the techniques used in goldfish farming in Yamato-Koriyama have changed over time due to various factors.
著者
大隈 慎吾
出版者
埼玉大学社会調査研究センター
雑誌
政策と調査 (ISSN:2186411X)
巻号頁・発行日
no.19, pp.15-24, 2020

株式会社社会調査研究センターは毎日新聞社と共同で、2020年4月から、「ノン・スポークン(Non-spoken)調査」と名付けた独自方式の世論調査を実施している。原則的に月1回実施される本調査は、スマートフォンを対象としたショートメール調査と固定電話を対象としたオートコール(自動音声応答)調査の混合モード調査である。回答者の属性に関して、性別には男性への偏りが見られるが、年代は国勢調査の分布に近い。固定電話調査部分の世帯内対象者抽出に関して標本の代表性に問題があるものの、内閣支持率等、政治意識に関する回答で従来型の世論調査法であるRDD調査との間に大きな違いは見られなかった。Since April 2020, The Social Survey Research Center Co., Ltd. and The Mainichi Newspapers Co. Ltd have conducted a opinion survey using an original method referred to as “non-spoken survey”. It is a mixed-mode survey consists of short message service (SMS) survey via smartphones and interactive voice response (IVR) survey via landline, and is conducted once a month. The sample of survey respondents was biased toward men, but the distribution of age group was closer to the census data. The landline mode's within-household respondent selection method lacks representativeness. However, the respondent’ attitudes toward politics (cabinet support rate, etc.) was closer to the conventional random digit dialing (RDD) telephone surveys.
著者
安藤 広道
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.185, pp.405-448, 2014-02-28

「水田中心史観批判」は,過去四半世紀における日本史学のひとつのトレンドであった。それは,文化人類学,日本民俗学の問題提起に始まり日本文献史学,考古学へと拡がった,水田稲作中心の歴史や文化の解釈を批判し,畑作を含む他の生業を視野に入れた多面的な歴史の構築を目指す動きである。その論点は多様であるが,一方で日本文化を複数の文化の複合体とし,水田中心の価値体系の確立を律令期以降の国家権力との関係で理解しようとする傾向が強く認められる。そして考古学の縄文文化,弥生文化の研究成果も,その動向に深く関わってきた。しかし,そこで描かれた複数の文化の対立や複合の歴史は,位相の異なる文化概念の混同のうえに構築されたものであり,その土台としての役割を担ってきた縄文文化や弥生文化の農耕をめぐる研究成果も,必ずしも信頼できる資料に基づくものではなかった。文化概念の整理と,農耕関係資料の徹底した資料批判を進めた結果,「水田中心史観批判」が構築してきた歴史は,抜本的な見直しが必要であることが明らかになった。「水田中心史観批判」は,批判的姿勢と視点の多様化が,多面的で厚みのある歴史の構築を可能とし,併せて研究対象資料と分析方法の幅の拡充につながることを示してきた。一方で,文化の概念から個々の観察事実に至る理論に対する議論が充分でなく,「水田中心史観」に対する批判の意識が強すぎたこともあって,研究成果を批判的・内省的に見直す姿勢が弱くなってしまっていた。そのため,視点の多様化の有効性が生かされず,複数の学問分野のもたれ合いのなかで,問題ある歴史が構築されることになったのである。今後は,こうした「水田中心史観批判」の功罪を踏まえ,相互批判と内省を徹底し,より多くの事象を説明し得る広い視野に基づく理論の構築と表裏一体となった歴史研究を進めていく必要がある。

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著者
和達 清夫 中曽根 康弘
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, 1960-07-30