著者
板垣 史郎 内山 道子 金澤 佐知子 細井 一広 照井 一史 下山 律子 ????田 成紀 Ueno Shinya 早狩 誠
出版者
弘前大学大学院医学研究科・弘前医学会
雑誌
弘前医学 (ISSN:04391721)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.50-57, 2013-05-31

本研究では,食事が多様な食品機能成分の摂取経路という一面を有し,疾病予防法を構築する上で有用な切り口であることを鑑み,アンジオテンシンIから強力な血圧上昇を有するアンジオテンシンIIへの変換を司るアンジオテンシン変換酵素(ACE)を標的として,青森県特産の農産物及び水産物に含まれるACE阻害物質の探索を行った.青森県特産食材より蒸留水で抽出した抽出液について,ACE阻害活性の評価を行った.ACE阻害活性を示した抽出液から各種カラム分画法にてACE阻害活性物質を単離・精製し,質量分析法により,ACE阻害成分を同定した.その結果,カボチャ,ニンニク,大豆,大鰐モヤシの抽出液に特に強いACE阻害活性を見出した.その中から,カボチャを対象としてACE阻害活性成分の特定を試み,分子量303のムギネ酸前駆物質,ニコチアナミンがその機能実体である可能性を強く示唆する結果を得た.
著者
濱田 康行
出版者
学士会
雑誌
学士会会報
巻号頁・発行日
vol.869, pp.60-64, 2008-03
著者
大山 貴稔
出版者
九州地区国立大学間の連携事業に係る企画委員会リポジトリ部会
雑誌
九州地区国立大学教育系・文系研究論文集 = The Joint Journal of the National Universities in Kyushu. Education and Humanities (ISSN:18828728)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1,2, pp.No.6, 2020-03-31

本稿は、葛谷彩・芝崎厚士編『「国際政治学」は終わったのか――日本からの応答』(ナカニシヤ出版、2018年11月)を俎上に載せ、同書が刊行されたことの意義と残された課題について検討するものである。まずは研究史を踏まえて本書の位置づけを確認し(第2節)、所収された論考に見られた論点を整理する(第3節)。そこから同書で扱われたこと/扱われなかったことを明らかにして、副題に掲げられた「日本からの応答」という切り口について批判的に考察を進めていく(第4節)。この考察を通して、本書では踏み込んで論及されなかった「日本における応答(歴史研究や地域研究における自己省察)」という論点を新たに提示したい。
著者
菊池 聡
出版者
地域ブランド研究会事務局
雑誌
地域ブランド研究
巻号頁・発行日
vol.4, pp.47-78, 2008-12-31

90年代終盤以降、 「秋葉原」は「おたく」の聖地として、急激に変貌を遂げてきた。この「秋葉原」という地域ブランドの確立は、日本の文化・経済状況の変化がもたらした「おたく」ステレオタイプの変容と拡散に、深い関連があると考えられる。本論文では「おたく」ステレオタイプと「秋葉原」の関連を明らかにするために、大学生(N-368)に対して調査を行い、 1998年の調査と比較した。その結果、ネガティブな「おたく」ステレオタイプが、ややポジティブな方向へ変化してきたことを明らかにした。また「おたく」概念についての自由記述の分析から、 98年の段階ではほとんど見られなかった、 「秋葉原」という表現が、特有のファッションや趣味と結びついて多く出現していることを見いだした。これらをもとに、日本を代表する地域ブランドとなった「秋葉原」の特徴を考察した。
著者
服部 亜由未 HATTORI Ayumi
巻号頁・発行日
2013-03-25

名古屋大学博士学位論文 学位の種類 : 博士(地理学)(課程) 学位授与年月日:平成25年3月25日
著者
浅原 正和 ASAHARA Masakazu
出版者
三重大学教養教育機構
雑誌
三重大学教養教育機構研究紀要 = BULLETIN OF THE COLLEGE OF LIBERAL ARTS AND SCIENCES MIE UNIVERSITY
巻号頁・発行日
no.2, pp.1-18, 2017-03-31

国家間における動物の贈与は、歴史的に外交の一手段として用いられてきた。先行研究において、オーストラリアが歴史的に“ カモノハシ外交” とも呼べるカモノハシの国外移送をイギリス、アメリカに対して行ってきたことが論じられている。それに加え1990 年代、カモノハシを移送する試みが日本に対しても進んでいた。これら3 か国への移送計画は、それぞれ異なる組織が異なる目的のため進めたものだった。1943 年のイギリスへの移送は英首相ウィンストン・チャーチルのリクエストであったが、一方で戦時下におけるオーストラリア政府の外交政策の一環でもあった。これまでこの移送は戦時中、機密事項であったとされていたが、顛末を報道する新聞記事も戦時中に発行されていた。なお、生体の移送に先立って送られた剥製は、ボーア戦争でチャーチルを助けた隊に所属していたエディー氏の飼育個体であった。1916~58 年にかけて試みられたアメリカへの移送は、動物商や動物園といった民間が主導して進めた。1947 年の移送も動物園間の交渉で始まるが、オーストラリア政府が輸出許可を出さなかった関係で政治家が動いた。最終的に、カモノハシを戦時中の返礼とみなすということで許可が下りる。日本の東京で1996 年に開催が予定されていた博覧会でカモノハシが出展される計画は、ニュー・サウス・ウェールズ州フェイ首相と、東京都鈴木知事との間で自治体外交として進められた。しかし、1995 年に両者の首長が交代することで、計画は中止に追い込まれる。これら時代ごとに計画があったカモノハシの移送先は、オーストラリアの経験してきた国際情勢の変遷と関連している。まず、第二次世界大戦前後で、国防の依存先がイギリスからアメリカへ替わったことは、戦中・戦後のカモノハシの送り先に象徴されている。そして、20 世紀終盤に最大の貿易相手国となった日本との間で自治体外交が活発化し、そのことが日本へのカモノハシ移送計画を生み出した。
著者
小寺 智津子
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室
雑誌
東京大学考古学研究室研究紀要 (ISSN:18803784)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.45-63, 2010-03-20

弥生社会ではガラス製品は装飾品としての用途以上に、政治的意味合いを伴う威儀品として私用されたため、その研究は弥生社会の分析へとつながるものである。一方ガラス素材は基本的に全て搬入品であり、当時アジアにおいて奢侈品として広く流通していたものであった。ガラスは当時の国際的な交流についての手掛かりを与えてくれる遺物でもある。本項では弥生時代のガラス製品の中でガラス釧を取り上げて詳細な検討を行った。まず出土した釧を各々細かく観察した後、西谷タイプと南大風呂タイプの大きく2タイプに分けた。さらに製作地を検討するために弥生時代の銅釧と比較を行い、国内でその形状の系譜を追うことが可能かを考察した。結果どちらのタイプも国内における系譜は存在せず、搬入品であることが明確となった。次に釧を出土した各墳墓の特徴や釧の出土状況などを検討し、副葬品としてのガラス釧の入手経路やその服装された背景を考察した。結果それぞれの地域の中で、独自の価値を持って副葬された状況が垣間見えるものとなった。特に出雲・丹後地域のガラス釧が副葬された主張の傑出性が高く、当該地域におけるガラス釧の威儀品としての重要性の高さや、各首長が独自に列島外から入手した可能性が推測された。また西谷タイプのガラス釧は釧として副葬された状況が伺える一方で、大風呂南の釧は中国の「佩玉」的な意図をもって副葬された可能性が浮上し、丹後地域の独自性、大陸との関係性の深さがより抽出される結果となった。今後の課題はこれらのガラス釧の製作地と古代アジアにおける流通経路の検討である。
著者
劉 守軍
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 = Human and Environmental Studies (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.67-82, 2011-12-20

宇都宮徳馬は, 第二次世界大戦後, 外交問題を中心に活躍し, 日ソ・日中・日朝国交回復に尽力し, 保守政治家の中でも数少ないリベラリストとして知られる. しかし, 彼は戦前に日本共産党に加入し, 「転向」をへて, 企業を営みながら官僚統制批判の言論活動に従事したという, 異色の知識人・自由主義思想家でもあった. このように日本の知識人の「政治」や「社会主義」, 「平和」に対する一つの特徴を示す存在である宇都宮について, 従来日本では, 一次資料にもとづく充分な検討がなされてこなかった. ことに, 戦後における彼の活動について, 思想史的な追及は不充分である. こうした研究状況を踏まえ, 本稿は戦後から1949年政界進出にいたるまでの宇都宮の思想と行動に焦点をあて, 戦前・戦中における官僚統制や軍部独裁への批判との連続性を意識しつつ, 戦後における彼の思想的立場, とりわけ戦後経済再建に関わる政策論の特徴とその史的位置を確認する.
著者
筒井 清次郎
出版者
愛知教育大学体育教室
雑誌
愛知教育大学体育教室研究紀要 (ISSN:02884712)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.41-45, 1987-03-04

This study intended to clarify the relationships between the change of track and field record and learned helplessness. In this study one's perception that track and field record is not improving or declining instead of effortfull training is equivalent to perception of responseoutcome noncontigency in learned helplessness theory. The questionnaire was constructed according to the model of reformulated LH theory by Abramson et al and adapted for track and field athletes from questionnaire by Hosaka et al. The subjects were five hundred and seventy-seven college athletes (male n = 401, female n=176). All of them were athletes who had experience track and field not less than three years. The data were analysed by the 2 (perception of contigency and positive future expectation: perception of noncontigency and negative future expectation) X 2 ( attribution to internal and stable factor: attribution to the other factors) X 2 ( sex) ANOVA. The main results are as follows: 1. The athletes who perceived their own record change as not improving or declining ( noncontigent) and had negative future expectation showed lower intrinsic motivation for track and field, lower athletic motivation and higher helplessness in personality than athletes who perceived their own record change as improving( contigent) and had positive future expectation. 2. The athletes who attributed the cause of their record change to internal and stable factor seemed to show higher intrinsic motivation for track and field than athletes who attributud it to the other factors.
著者
木村 祐哉 川畑 秀伸 大島 寿美子 片山 泰章 前沢 政次
出版者
ヒトと動物の関係学会
雑誌
ヒトと動物の関係学会誌 (ISSN:13418874)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.63-70, 2009-12

ペットを失ったことで悲しむ飼主に対し、日本では「ペットロス症候群」という名称が一部で用いられる。この表現には肯定的な立場をとる者もいれば否定的な立場をとる者もおり、それが受け容れうるものであるかどうか、想定される影響について判断する必要が生じている。本研究では、異なる3大学でそれぞれ医学、獣医学、文学を専攻する学生99名を対象とした自由記述式の質問紙調査を実施した。内容分析の手続きにより全13,475字の記述内容から142個の最小分析単位を抽出、4グループから成る18個のコードが生成された。このコードを基本的発想データ群としたKJ法の手続きにより、【命名の是非】は【病名の妥当性】と【病名の影響】から判断されるという構造が想定された。また、ペットの喪失に伴う【悲嘆への認識】は個々人で異なることがあり、それが【病名の妥当性】と【病名の影響】の双方に影響を及ぼす可能性が示唆された。