著者
長山 正義
出版者
大阪市立大学大学院看護学研究科
雑誌
大阪市立大学看護学雑誌 (ISSN:1349953X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.21-25, 2008

はじめに : spiritualityは霊性とも訳されるが、鈴木大拙は日本的霊性として、霊性の前に日本を置き日本の霊性であることを強調している(鈴木, 1999)。日本的霊性とすることによって霊性というものが国や地方によってやや異なっていることを表現している。例えば、霊性をキリスト教信者が有しているものに限定して考えると、同じ宗教であったとしても他国の信者が有している霊性と日本での信者の霊性とは異なっているということである。わが国とは風土、言語、教育などが大きく異なっている国が多々あることから、その国々で霊性のもつ意味が異なるということである。また、スピリチュアリティつまり霊性を宗教信仰に限定することは必ずしも現実的ではない。spiritual, but not religious(SBNRと略す)に傾倒する人々、つまり宗教を信じないが、霊性は信じている人々の存在である。unchuched peapleとも呼ばれるが、これは内村鑑三の無教会主義(無教会主義キリスト教)と紛らわしい。無教会主義はキリスト教信仰の形式の一つであるとされるので、SBNRの人々つまりunchuched peapleとは明らかに異なる。このSBNRに傾倒する人々が最近、米国で増加しているといわれる(R. C. Fuller, 2001)。……
著者
樋口 聡
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.1-13, 2004-09-30 (Released:2017-05-22)

The question of whether or not sport is art has been discussed by many scholars of the philosophy of sport. Taking this discussion into account, we now know that a simple conclusion regarding sport as art is not adequate, because it is clear that there is a politics of culture concerning sport and art behind the discussion. In this paper, the author summarizes this broader, background discussion as the context for critically reviewing Wolfgang Welsch's paper "Sport-Viewed Aesthetically, and Even as Art?" (XIVth International Congress of Aesthetics, 1998). Specifically Welsch considers modern sport as an example of today's aestheticization of the everyday, and regards sport as art. An important matter we should pay attention to in Welsch's paper is that he proposes two different concepts of art, that is: "art-art" and "sport-art." Welsch's strong point is that he clarifies the ambiguity of the contemporary concept of art and suggests a broad extension of the notion of art beyond the traditional concept of art through the discussion of the relationship between sport and art. Welsch's discussion is based on his idea of "recurrence" to the original meaning of aesthetics, aisthetis.
著者
久野,康彦
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究
巻号頁・発行日
no.34, 2002

19世紀末〜20世紀初頭はロシアにおいて大衆文学が急速に発展した時期であり,そこに見られる「オカルト」への関心,および文学への反映は,リアリズムからシンボリズムへといった当時の主流文学の流れとある程度連動しながらも異なった様相を呈し,当時の文学状況の全体像を把握する上で興味深い。死後の霊の存在を信じ霊との交信を試みるという,1850年代以降西欧で大流行したスピリチュアリズム(心霊主義)は,И. С. Тургеневの神秘小説やВс. С. Соловьев(1849-1903)の連作長編に見られるように,ロシアの文学においては,フランスのシャルコーに代表される当時の精神病理学としばしば結びつき,一種独特な心理分析的な幻想表現を生み出した。その点では,動物磁気への関心を強く反映した19世紀前半の「幻想心理小説」(В. Ф. Олоевский, Н. И. Гречなど)の系譜を継承するものである。動物学者・作家のН. П. Вагнер(1829-1907)の短編《Не вылержал》(1895)は,田舎の知り合いを訪ねた主人公が心ならずも心霊体験をするというもので,心理分析への志向が強いという点で前述の特徴が典型的に見られる。また十月革命前のロシアで最も人気を誇った作家の一人であるА. В. Амфитсатро(1862-1938)の長編《Жар-Цвет》(1895;1910,11改訂)は,オカルト,フォークロア,民間信仰,古代・中世文学,神話などの多彩な情報を盛り込んだスケールの大きいオカルト小説で,同じく「死後の生」というスピリチュアリズムのテーマを扱いながらも,実証主義的な観点から精神病理学の知識などを援用している点に特色がある。一方,芸術・思想により強いインパクトを与えたのが神智学である。ロシア人女性Е. П. Блаватская(1831-91)を創始者とし,古代の忘れられた叡智の再発見と普遍宗教の確立を目指すこのオカルト運動は,ロシアでも20世紀になってシンボリストたちなどに強い影響を及ぼすようになる。しかし,神智学がもたらした秘教的東洋というイメージをより鮮明に提示したのは大衆小説であった。創始者の妹でオカルト小説の作者としても有名なВ. П. Желиховская(1835-96)の短編《Виление вкристалле》(1893)は,東洋の叡智に触れながらもオカルト的知を軽率に扱う西欧人という設定に,神智学が本来持つ西洋近代文明批判の観点が窺える。そして,20世紀初頭のロシアにおける最大のオカルト小説作家В. И. Крыжановская(1857-1924)の長編《Смерть планеты》(1911)は,滅亡の迫った地球を舞台にキリスト教信仰を守りつつ悪と戦うインド人のマギたちの活躍を描いたもので,より大衆的なレベルでの神智学の影響の例となっている。
著者
笹原 和俊
出版者
一般社団法人 情報科学技術協会
雑誌
情報の科学と技術 (ISSN:09133801)
巻号頁・発行日
vol.70, no.6, pp.309-314, 2020

<p>多様な情報と人々をつなぐはずのソーシャルメディアが,社会的分断や情報のタコツボ化を助長しているという問題が顕在化している。特に,エコーチェンバーやフィルターバブルといった閉じた情報環境は,自分の好みに合致した情報のみが来やすく,自分とは異なる観点からの情報が来にくいため,フェイク(偽)ニュースやヘイト(憎悪)の温床となる危険性を孕んでいる。本稿では,計算社会科学の観点から,偽ニュースが拡散する仕組みについて解説し,ウェブの負の側面について論じる。また,今後のウェブの技術が克服すべき問題について議論する。</p>
著者
今田 隆人 瓜生 紗希 甲斐田 裕清 北村 花梨 中川 聖加
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集
巻号頁・発行日
vol.2021, pp.3H4GS11a01, 2021

<p> 本研究の目的は、検索エンジンによるアルゴリズムによってユーザーが好みの情報に囲い込まれるという弊害があるフィルターバブルに対して、多様な情報に触れることができる環境の形成手段について調査することである。先行研究では、フィルターバブルのもたらす効率性や合理性について肯定的な主張が成されている一方、イデオロギーの極性化や、それに伴う社会の分断の可能性といったフィルターバブルの危険性についても言及されている。 本稿では、多様な情報に触れるナッジを検討し、導入した場合と導入しなかった場合で対照実験を行った。本研究から得られる知見によって、フェイクニュースやヘイトといった社会の分断にも繋がりかねない問題の解決の一助となることを示唆する。</p>
著者
辜 承堯
出版者
関西大学東西学術研究所
雑誌
関西大学東西学術研究所紀要 (ISSN:02878151)
巻号頁・発行日
no.49, pp.333-352, 2016-04

Japanese scholars began their studies of Chinese drama in the Meiji period. After the Meiji Restoration, Japanese academia was significantly influenced by Western academic methods, and as result of this aspects of folk culture such as drama became an important object of study in the field of Chinese-literature studies. Masaru Aoki(1887‒1964) was a famous researcher of Chinese drama during Japan's modern period. Through Aoki's writings and the recollections of his family and close friends, this paper will attempt to outline the contours of his Chinese-drama research. Through an analysis of Aoki's major works(Shina Kinsei Gikyoku shi ,Genjin Zatsugeki Jyosetsu), this paper will clarify the approach and problems that are characteristic of Aoki's drama research.
著者
浅田 あゆみ 鈴木 杏 河本 実季 大嶋 廉之 宮永 佳代 長澤 一樹
雑誌
日本薬学会第140年会(京都)
巻号頁・発行日
2020-02-01

【目的】炎症性腸疾患(IBD)患者はうつ病の有病率が高いが、それは腸管における炎症に起因すると考えられているものの、その詳細は不明である。そこで本研究では、unpredictable chronic mild stress(UCMS)などに対して低感受性のマウスに対してIBDを発症させたときのそのストレス感受性の変化について、うつ様行動の誘発、海馬での炎症関連因子の発現変動を指標として検討した。【方法】IBDは、C57BL/6JCrl系雄性マウス(7週齢)に対し1w/v% デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)水溶液を10日間自由飲水させることにより発症させ、その評価は糞便の状態と体重変化に基づいたdisease activity index (DAI) 並びに大腸における炎症性サイトカインの発現により行った。このDSS負荷終了後、マウスに対してUCMS(拘束、強制水泳、明暗サイクルの変動など)を21日間負荷し、そのうつ様所見は強制水泳試験などにより評価した。大腸及び海馬における炎症性サイトカインなどの発現量はreal-time PCRにより解析した。【結果・考察】DSSを摂取させたマウスにおいて、DAI並びに大腸でのIL-1β及びTNF-αの発現の増大を示すIBDの誘発が確認されたが、うつ様所見は認められなかった。これらIBDを発症したマウスに対するUCMSの負荷は、無処置マウスに対するその負荷の場合とは異なり、強制水泳試験において無動時間が延長し、海馬でのIL-1β及びTNF-α発現が増大傾向にあったことから、うつ様所見の誘発が認められた。このうつ様所見を示したマウスのDAIは、DSS負荷直後より低下していたものの対照群と比較して有意に高く、また大腸での炎症性サイトカインの発現量は増大傾向にあった。以上のことから、大腸における炎症の発症がマウスのUCMSに対する感受性を高め、うつ様行動を誘発することが示された。
著者
工藤 晋平 梅村 比丘
出版者
広島国際大学心理臨床センター
雑誌
広島国際大学心理臨床センター紀要 (ISSN:13482092)
巻号頁・発行日
no.8, pp.23-34, 2011-03-20

愛着に基づいた臨床的介入において個人の愛着状態の把握は欠かせない。本研究ではWaters & Waters(2006)による安全基地に関するスクリプトを捉える測定法(NaS法)の日本での適用について,臨床的な観点から攻撃性の要素を含めた版(NaSA法)も作成しながら検討を行なった。大学生19名を対象に調査を実施した結果,NaS法,NaSA法の評定者間信頼性や内部相関などはある程度確認された。しかし愛着表象測定の質問紙であるRQやECRとはNaSA法のみが理論的に予想される関連を示し,対人葛藤解決方略との関係でも強制方略と負の相関を示すなど,攻撃性の要素を含めたNaSA法の適用可能性が示唆された。しかし,物語の量が全体に少ない,物語同士の関連の低いものがある,などの問題点も見いだされ, AAIを用いての妥当性の検討も含め,今後の検討も必要であると考えられた。