著者
柴田 伊冊
出版者
千葉大学大学院人文公共学府
雑誌
千葉大学人文公共学研究論集 = Journal of studies on humanities and public affairs of Chiba University (ISSN:24332291)
巻号頁・発行日
no.39, pp.71-83, 2019-09

[要旨] 日本国憲法は、アジア太平洋地域において日本がもたらした戦禍の反省から生まれた平和を指向する憲法である。その戦禍は、マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー(John W. Dower)が「敗北を抱きしめて("Embracing defeat:Japan in the Wake of World War II")(1999 年)」で、「日本人は乱暴の限りをつくした(They had run amok)」と表現したものであり、これによって中国だけで約 1,200 万人以上の人々が命を落とし、そして 200 から 300 万人以上の人々が命を落としたと推定される朝鮮戦争の勃発を導き、その結果、現在に至るまで継続している南北分断という地政が現れ、フィリピン、シンガポール、インドネシア、ベトナム、台湾、マレーシア、そして長い間、日本の植民地であった韓国と朝鮮民主主義人民共和国という広範囲の地域で約 500 万人の命が失われたと推定される。これらの戦場では軍人・軍属のみならず、老人と若者、男女、そして子供が犠牲者となることに何ら分け隔てがなかったし、それは第二次世界大戦での典型的なホロコーストであるナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(約 600 万人)を上回る規模であった。そして日本人自身にも約 310 万人の死者があったから、朝鮮戦争まで含めれば、2,300 万人以上が戦禍によって命を落としたことになる。フィリピンに焦点を当てただけでも、1945 年 2 月から本格化したマニラ攻防戦では、日本帝国陸軍と日本帝国海軍は自身を守るためとして多くのマニラ市民を殺害した。建物にマニラ市民を閉じ込めたまま爆破したり、焼却した。このため、マニラ攻防戦での市民の死亡者は、米軍の砲撃による犠牲者が含まれるものの、日本帝国陸軍と日本帝国海軍による虐殺が広範囲で発生したから、結局、10 万人以上に達したとされている。さらに、フィリピンでの戦争は、3 月に入ってからルソン島北部に中心が移ったが、ここでも日本帝国陸軍と日本帝国海軍は「ゲリラ討伐」と称して、多くの村落を焼き討ちして住民を殺戮した。そして開戦以来、フィリピンで死亡した日本帝国陸海軍軍人は約 48 万 7,000 人とされているから、フィリピンは、日本国によって、沖縄県を大きく上回る悲惨な戦場になった。1946 年 11 月 3 日、日本国憲法は、大日本帝国によって招来した戦禍、すなわち自国と周辺諸外国に及ぼした戦禍を踏まえて、将来に向けて、戦争を行なわない平和国家としての日本の実現を掲げて制定された。それ故、我々は、日本帝国陸軍や日本帝国海軍による「乱暴の限り」から目を背けることなく、日本国憲法に込められた意義、すなわち日本国が恒久の平和を求めるに至ったことの意味を見失わないようにしなければならない。 日本国憲法は、日本国によって命を落とした人々のために、そして日本国が起源になって再び平和を脅かさないことを追求し、そのために戦争を否定し、加えて事実上の武力の行使や武力による威嚇を行わないことによって、武力を手段として国際社会の秩序を維持することを放棄したものであり、それは日本国を席巻した軍国主義の再来を忌避した、第二次世界大戦直後における日本国民の総意であった。 第二次世界大戦の経験は、それを直視した世代が日本内外で 90 歳代に至った現在でも見失われるべきではなく、そして今後も語り継がれるものであるから、日本の周辺に位置する諸外国が、2,000 万人を超える犠牲者の悲惨を踏まえて、日本の将来を考えるときには不動の礎になる。そして我々が日本のあり方を考えるときの礎でなければならない。 このような視点から、本研究ノートは、法学の観点、すなわち法文の解釈や背景となる思想と現状の比較検証に止まらず、加えて、国際関係という現実から日本国憲法の変遷を顧みることに止まらず、第二次世界大戦当時の日本国周辺地域での戦禍を確認し、その凄惨さを不動の前提として考察を試みている。それは「軍隊」というもののあり方を直視することであり、日本国憲法の出発点において国民によって認識されたこと、すなわち国民の多くが、第二次世界大戦敗戦という経験から、それぞれが日本の今後を見通したという事実を尊重するものである。
著者
橋本 隆夫 内田 正博 小紫 重徳 光末 紀子 石川 達夫 三木原 浩 平野 雅史 石光 輝子
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1998

冷戦構造の解体後の新たなナショナリズムのうねりの中で、ユーロ通貨統合に象徴される統合体としてのアイデンティティを模索するヨーロッパの文化の交錯をめぐるわれわれの研究は、これまでの成果を深めさらに一層の広がりと深みの地平を獲得し、ここでひとまず4年の区切りをつける。今年度は各自が4年の研究活動の集大成として、研究会の発表を基に、また、ある者は海外より持ち帰った最新の文献資料を駆使し、それぞれの研究を論文に結実させた。個々の活動としては、1 研究会としては11月30日に橋本隆夫氏が「新石器革命と大地母神信仰」と題して、ヨーロッパの基層にある大地母神信仰について考古学的知見とホメロスやヘロドトスの文献的研究をクロスさせた学際的発表を行った。2 7月12日に立命館大学教授西成彦氏を迎え、「小説の一言語使用」の題目で講演会および討論会を行い、ポーランド生まれのイギリス作家ジョセフ・コンラッドの言語的アイデンティティのゆらぎを中心に活発な意見が交わされた。3 12月7日には静岡文化芸術大学専任講師小林真理氏による講演会「ヨーロッパの文化権と文化法について」が行われた。文化芸術振興基本法についての議論が進められる中、文化の中心地として長く君臨したヨーロッパの現在の文化支援や文化政策について多くの知見が得られた。研究会、講演会、海外調査研究を通じて、わたしたちはヨーロッパにおける文化の交錯とアイデンティティの複雑さ、強靭さの一端を垣間見ることができた。地域研究=個別文化研究の枠組みにおさまりがちだったヨーロッパ研究の守備範囲を少しでも広げられたのではないかと小さな自負を感じるしだいである。

1 0 0 0 OA 浄土苾蒭宝庫

著者
金井秀道 編
出版者
教報社
巻号頁・発行日
vol.下巻, 1895
著者
山田 明義
出版者
信州大学農学部
巻号頁・発行日
vol.38, no.1-2, pp.1-17, 2002 (Released:2011-03-05)

日本の野生きのこ類の主要な位置を占める菌根性きのこ類について、食資源としての利用性を明らかにすることを目的に、文献調査を行った。その結果、これまでに300種を超えるきわめて多様なきのこ類が利用されており、今後さらに研究の進展にともない、より多くのきのこ類が利用される可能性のあることが示唆された。これら菌根性きのこ類は、これまで殆ど人工栽培の研究が行われていなことから、産業利用の見地からは研究の必要性が指摘された。
著者
山田 明義
出版者
信州大学農学部
雑誌
信州大学農学部紀要 (ISSN:05830621)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.1-17, 2002-01
被引用文献数
1

日本の野生きのこ類の主要な位置を占める菌根性きのこ類について、食資源としての利用性を明らかにすることを目的に、文献調査を行った。その結果、これまでに300種を超えるきわめて多様なきのこ類が利用されており、今後さらに研究の進展にともない、より多くのきのこ類が利用される可能性のあることが示唆された。これら菌根性きのこ類は、これまで殆ど人工栽培の研究が行われていなことから、産業利用の見地からは研究の必要性が指摘された。
著者
小谷 一郎
出版者
日本評論社
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.101, no.3, pp.p393-408, 1989-03

論文タイプ||論説(人文・自然科学特集号 = Arts and Science)
著者
福山 昭
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 (0xF9C2)社会科学・生活科学 02 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
no.19, pp.83-91, 1971-03

In the latter part of Tokugawa era, kanten, a unique product in Japan, was made at the northern Settsu district, and was exported to China from Nagasaki. The aim of this article is to clarify characteristics of workers employed on the kanten industry in those days. At the same time, we try to understand the process of the development of that labour. We show the conclusion that labour of the kanten industry was in some ways typical of the birth of wage workers in Japanese capitalism in the Meiji period.
著者
稲垣 翔太 持山 志宇 引原 隆士
出版者
The Royal Society
雑誌
Royal Society Open Science
巻号頁・発行日
vol.8, no.7, 2021-07

電力パケットのパワープロセッシング --デジタル化・量子化された電力の論理処理と誤り訂正を可能に--. 京都大学プレスリリース. 2021-07-26.

1 0 0 0 OA 大学と哲学

著者
藤本 忠
出版者
北海道大学哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:02872560)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.61-79, 2019-01-04

The university has strong relationship with philosophy from the perspective of “Theory of science" ("Die Lehre von der Wissenschaft"). In this paper I investigate the history of Faculty of Philosophy considering the situation and reform which the Japanese universities are faced with. At that time, I take much notice of the history of (early) modern German university. Considering the expertise of I. Kant concerning the organization about university, we can understand the relationship between universities and political power at the time of Germany. In addition, we can see the influence of the ideal of the establishment of the Berlin University (Humboldt-Universität zu Berlin) on the Japanese universities and educations on philosophy or liberal arts.