1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1949年09月06日, 1949-09-06
著者
静岡県広報室
出版者
静岡県
巻号頁・発行日
no.(8), 2001-03
著者
中村 ちよ
雑誌
東京女子大学紀要論集
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.45-69, 1977-03-20

Andersen wird wegen seiner phantasievollen Darstellung von Mensch und Natur nicht nur von den Kindern aller Lander geliebt und geschatzt, sondern auch von den Erwachsenen durch sein tiefes Miterleben menschlicher Gefuhle hoch bewertet. Andersen nahm den Stoff fur seine Werke von verschiedenen Seiten. Die vorliegende Arbeit versucht die Behandlungsweise des Stoffes in einzelnen Werken entstehungsgeschichtlich nachzuprufen und damit das Wesen seiner Dichtkunst konkret klarzumachen und zu wurdigen. Hauptsachlich werden zwei wichtige Werke behandelt, eins aus seiner sehr fruhen, eins aus seiner spateren Schaffensperiode. Eine weitere Erforschung auch anderer Werke, soweit sie dokumentarisch belegbar sind, durfte sich sehr aufschluβreich erweisen. Diese Methode gegenseitiger Erhellung von Stoff und Form sollte sich auch auf die Werke Perraults erfolgreich anwenden lassen. So tritt zum Beispiel das Charakteristische dieses Marchendichters durch die Gegenuberstellung seiner Werke mit dem ≪Pentamerone≫ Basiles deutlich hervor. Die Charakterzuge und Eigenarten der Marchenwelt zeigen stets uber ihren Schopfer hinaus das geistige Klima des Volkes auf-die Marchendichter offenbaren meiner Meinung nach durch Stimmung und Gefuhle die Eigenart ihrer Nation-obwohl ich in dieser Arbeit nur kurz darauf eingegangen bin, indem ich auf das Gemut bei Andersen und den Witz und die Anmut bei Perrault hingewiesen habe. ≪Die Geschichte von einer Mutter≫ gehort zu den reprasentativen Werken aus Andersens Reifezeit. Der mutterliche Schmerz uber den Verlust des Kindes wird hier lyrisch dargestellt. In dieser Zeitperiode wird Andersen sich seiner eigenen schopferischen Kraft deutlicher bewuβt, wahrend er in seiner fruheren Zeit mehr oder minder dabei bleibt, fremde Erzahlungen oder Volksgeschichten nachzudichten. Zwar hat sich Andersen beim Konzipieren und Formen dieses Werkes stark an den ≪Himmlischen Garten≫ Herders angelehnt, sodaβ man sagen kann, daβ das Gelingen dieses beruhmten Werkes ohne Begegnung mit dieser Legende

1 0 0 0 OA 衆議院議事録

出版者
[衆議院]
巻号頁・発行日
vol.第19巻 第1-3,号外, 1903

1 0 0 0 OA 俳諧名家列伝

著者
籾山鈞 著
出版者
博文館
巻号頁・発行日
1893

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1948年09月30日, 1948-09-30
著者
四辻 伸吾 水野 治久
出版者
日本教育カウンセリング学会
雑誌
教育カウンセリング研究 (ISSN:21854467)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.1-10, 2020 (Released:2020-05-16)

本研究の目的は,小学生がいじめに対してどのような見方・考え方を持っているかを捉える尺度である 「小学生いじめ観尺度」を作成し,その因子構造,信頼性,妥当性を検討することであった。小学生のいじ めについての考え方に関する質問紙を用いて,小学校4~6年生599名を対象に回答を求めた。探索的因子 分析(最尤法,プロマックス回転)により,「いじめ一定理解」,「いじめ鋭敏感覚」,「いじめ解決可能」の3因 子11項目からなる「小学生いじめ観尺度」が作成された。また,「小学生いじめ観尺度」について信頼性と妥 当性を検証したところ,一定の信頼性と妥当性が確認された。
著者
原田 宗忠 中井 大介 黒川 雅幸
出版者
日本パーソナリティ心理学会
雑誌
パーソナリティ研究 (ISSN:13488406)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.50-60, 2020-08-04 (Released:2020-08-04)
参考文献数
20
被引用文献数
2

これまでの研究では,いじめ被害と自己像の不安定性がいじめ加害と関係する可能性が示唆されているものの,いじめ被害と自己像の不安定性の因果関係は示されてこなかった。そこで,本研究では3時点の縦断調査によってこれらの関係を示すことが主な目的であった。調査対象者は,小学校5, 6年生420名,中学校1, 2, 3年生942名の計1,362名であり,1年間において3回の質問紙調査を実施した。質問紙では,自己像の不安定性,いじめ被害経験,いじめ加害経験の測定を行った。いじめ被害経験と加害経験については,1回目の調査では現在の学年になってから,2, 3回目の調査では前の調査からのことを尋ねた。交差遅延モデルによる分析の結果,一部有意な傾向のパスを含むが,中学生においてのみ,自己像の不安定性が高いことがいじめ被害経験を高め,いじめ被害経験がいじめ加害経験を予測することが示唆された。
著者
濱田 浩美 斎藤 礼佳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.223, 2010 (Released:2010-06-10)

1. はじめに 摩周湖は、北海道東北部に位置する屈斜路カルデラの一部で、摩周カルデラの凹地に水がたまった湖である。摩周湖は、流入河川、流出河川をもたないため、不純物が運び込まれず、1931年、41.6mの世界一の透明度が観測されたことで知られている。 また、摩周湖は、「霧の摩周湖」で有名である。これは、1966年、歌手布施明が訪れたことのない摩周湖を、想像だけで歌い上げた歌謡曲『霧の摩周湖』がヒットしたことで、「摩周湖=霧、神秘の湖」のイメージが過度に定着したものである。さらに、旅行者の間で「晴れた摩周湖を見ると出世できない、結婚できない」といったジンクスが語られる。これもまた、「摩周湖=滅多に晴れない霧」というイメージを定着させた。しかし、実際には、霧がなく、晴れていて美しい湖を望むことができる日も多いという。 これまでは、摩周湖の霧の発生を検証するためには、現地で摩周湖を目視する必要があり、不可能であった。しかし、2007年12月より、弟子屈町役場が、摩周第一展望台にライブカメラを設置したことにより、その映像によって、現地に赴くことなく、霧を必要期間中観測することが可能となった。そこで、本研究では、1分毎に撮影されるライブカメラの映像を解析し、年間を通し、摩周湖の霧の発生頻度を明らかにすることを目的とした。 また、一般的に、摩周湖の霧は、釧路やその沿岸で発生する海霧が侵入してきたものであるといわれるが、発生要因は明らかにされていない。そこで、霧の発生要因の考察を行った。 2. 研究方法 (1)発生頻度の検証 摩周湖ホームページより配信されている摩周第一展望台に設置されたライブカメラの画像を、フリーソフトSeqDownloadを用いて1分間に1枚ダウンロード保存し、その画像から、視程を読み取った。観測期間は2007年12月28日~2008年11月30日である。画像を14地点に分け、霧により「地点が可視・不可視」を読み取り、霧の発生頻度を求めた。 本発表では、摩周湖の中心部に位置するカムイシュ島(3.0km)をK地点とし、K地点の可視・不可視に重点を置いて検証した。 (2)発生要因の検証 検証には、気象庁アメダス観測所の川湯、弟子屈の気温、風向、風速を収集した。また、インターネットから、毎日午前9時の天気図を収集した。国立環境研究所のGEMS Waterで観測している摩周湖心部の10分毎の水温を用いた。 3. 結果と考察 1日の可照時間中、K地点まで視程のあった時間を100分率で示した。霧発生率ごとの、日数は以下の通りである。 霧発生率x(%) 霧発生日数(日) 0 119 0<x<50 131 50≦x 83 図1に、各月の可照時間中、霧が晴れ、K地点が可視の時間の割合を100分率で示した。 霧によって、もっとも視程が悪化する時間の長い月は、7月、次に、8月で、可照時間中、約半分が霧の発生により不可視である。それ以外の月は、霧が晴れ、K地点が可視の時間が長いことがわかった。とりわけ、秋季、冬季のK地点の可視頻度は20%前後と、低い割合である。 7月、早朝から霧が発生している日が15日を越し、18時に霧が発生している日は20日前後であった。日中に霧が少なくなくなってはいるものの、霧が発生している時間が長い。霧は気温の上がる日中に少なくなり、気温の下がる早朝と夕方に発生することがわかった。11月は、霧の発生した10日未満であった。11月も7月と同様に、早朝に発生した霧が、日中に晴れ、夕方、再び発生することわかった。 夏季に発生する霧は、南東の風によって運ばれた暖かい気塊が冷却され発生する海霧の進入が考えられる。釧路の沖合で発生する海霧は、日本南東の太平洋上から流れてくる暖かく湿った空気が北海道の海面に触れ、冷却されて発生する移流霧と考えられている。海霧との関係を見るために、釧路、鶴居、弟子屈の日照時間を見てみると、摩周湖で霧の発生している日、その3地点の日照時間が0.0時間であった。また、霧の発生している日、第一展望台には南東、南南東の風が吹いていた。このことから、摩周湖に、海霧が侵入したことが考えられる。釧路で日照時間が1.0時間の日の霧については、摩周湖の標高の高さが関係していると考えられる。通常、海霧は、気温の高い市街地で消滅する。しかし、南東の風により、運ばれた暖かく、湿った空気は、摩周湖のカルデラ壁面を上昇する時に断熱膨張し、霧が再び発生する。
著者
斉藤 真奈美
出版者
中国学園大学/中国短期大学
雑誌
中国学園紀要 (ISSN:13479350)
巻号頁・発行日
no.10, pp.19-27, 2011-06

1990年代にアメリア・アレナスによって提唱された対話型鑑賞教育は,その後まもなく日本にも紹介され,美術館,学校現場が一体となった取り組みがなされている。この取り組みがそれまでの鑑賞教育と最も異なっているのは,美術の知識を一方的に教えるのではなく,ひとりひとりが作品と向き合い,意見を述べ合い,考察を深めていくところにある。 大学生を対象として,講義の一環として対話型鑑賞教育を取り入れる際には,幼い子供たちに対する場合とは違った配慮が必要となる。小論では,「まなざしの共有」というエッセンスを損なうことなく,すでにある程度の知識を身に着けた鑑賞者をどのように対話型授業に参加させてゆくかについて考察を試みる。