著者
横地 留奈子
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2011年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.16, 2011 (Released:2012-03-23)

関東地方南部、利根川下流域である東京都、埼玉県、茨城県、千葉県をまたぐ範囲には、特異な形の盆の風習がある。 一般に、盆は、祖霊祭であるとされている。 かつては旧暦の7月中旬に行われることが多かった。新暦が導入された明治6(1873)年以後の日程は、さらに多様化している。7月や月遅れである8月の13日から15日、または13日から14日、そして8月の初旬に行われている地域もある。祖霊を家に迎えることが主と捉えられているが、同時に無縁仏が家にやってくるともいわれる。祖霊とは、イエの先祖の霊である。一方の無縁仏には二種類あり、一つはかつてイエの構成員だったが先祖とならなかった霊、もう一つはイエとは無関係と考えられる霊(行き倒れなど)である。 盆の期間には迎えと送りが行われる。迎えとはイエの墓地や辻、川や海などからイエまで祖霊を迎えることである。祖霊に対しては一定期間イエで供物を捧げ、その後再び祖霊を送る。 その祀り方も、地方毎の特色がある。盆棚と呼ばれる祖霊を迎える台を庭や屋内に設けたり、祖霊と共に家に来た無縁仏に対して屋内や屋外で供物を出したりする。 関東地方南部の利根川下流域では、8月、もしくは7月の13日から15日に行われる。都市部では7月、農村部では8月に行われるとされる。盆は、おおよそ以下のように営まれる。 13日の夕暮れに「お迎え」を行う。集落の墓地に、灯りのない提灯を持って住民が訪れてくる。家の墓へと向かい、水をかけ、線香を手向け、お供えの食物を供える。墓石の前で提灯に火を灯すもすと、また家へと帰って行く。東京都北西部では、墓地が遠い場合は家の前の道路で祖霊を迎えることもあるという。素焼きの皿の中でオガラを焚いて音を鳴らせる地域もある。 家ではあらかじめ仏壇の前に盆棚を用意し、位牌を並べて置く。墓地からイエに着いた祖霊は、本の機関にそこに留まるという。盆棚には朝昼晩と3度の食事を出す。そうして祖霊が留まる中、千葉県北西部や茨城県南東部では、14日の昼には祖霊が「タカノノセガキ」へ出かけると説明する地域もあった。 15日は「送り」である。送る祖霊にお弁当を持たせたる地域もある。祖霊の乗り物としてナスの牛やキュウリの馬を作ったりする。そうして夕方、盆棚から提灯を灯して祖霊を迎えた場所まで行き、提灯の火を消すと完了である。 以上のように、祖霊を墓などから迎え、送る一連の動きが、墓とイエとで行われている。 ところが、祖霊をイエに迎え、誰もいないはずの墓地へ、14日早朝に行く地域もある。千葉県北西部と茨城県南東部である。民俗学でも「十四日の墓参」と呼ばれ、全国に分布してよく知られた風習である。が、その時に使用する台が、今回のテーマである。 材料は、30cm長の竹棒2本と一晩干したマコモである。竹棒2本を十文字にし、マコモで四角く編んでいく。15_cm_四方まで編むと、残った15cmほどの竹棒を折り、脚がわりとして地面に立てる。14日の墓参の際には、マコモで編んだ屋根上の部分に「アラヨネ」「ミズノコ」と呼ばれる、イモの茎やキュウリ、ナスなどを刻み生米を混ぜたものを乗せる。墓参の対象は、行為者に聞いても不明であった。 一方、全く同じ台を使いながら、その対象を祖霊とし、13日の迎えで使用する地域もある。 作成に手間のかかる同一の台を広い地域で行われているにもかかわらず、その使用方法や意味付けが異なるのはなぜか。分布の広がりから考察することが本研究の目的である。
著者
内藤 周弌
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
化学と教育 (ISSN:03862151)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.464-467, 2000-07-20 (Released:2017-07-11)
参考文献数
3

高校生に, 簡潔に「触媒作用の本質」を教えるのは難しいため, 高校の教科書では抽象的に「…は, 触媒を用いて合成される」といった記述が目立つ。しかし, 地球規模での環境問題の解決や石油の枯渇に伴う新しいエネルギー資源の創製のために, 将来, 触媒が果たさねばならない役割は益々大きくなっていくであろう。今こそ, 21世紀を担う高校生に是非「触媒の面白さと重要性」を生きたかたちで教えて頂きたいと思う。本稿はそのような目的の一助になればという趣旨で書かれたものである。

1 0 0 0 OA 感化啓蒙

著者
高瀬真卿 編
出版者
感化心学会
巻号頁・発行日
vol.上, 1885

1 0 0 0 OA 感化啓蒙

著者
高瀬真卿 編
出版者
感化心学会
巻号頁・発行日
vol.中, 1885
著者
庄司 拓也
出版者
専修大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2008

初期感化院の一つである東京感化院の運営及び感化教育の実態を明らかにした。具体的には、東京感化院は私立の施設であるため、比較的高額な入所費用を徴収しており、収容児に階層的な偏りのあることを確認できた。また、明治期の日本における感化教育の整備と展開の過程を明らかにした。具体的には、明治期から大正期にかけて、感化院の職員の不良少年観は変化していっており、精神医学を感化教育に導入していこうとする動きなどを確認できた。
著者
宮城県 編
出版者
宮城県
巻号頁・発行日
1908
著者
井上雅人著
出版者
ミネルヴァ書房
巻号頁・発行日
2019
著者
石田 大典
出版者
日本消費者行動研究学会
雑誌
消費者行動研究 (ISSN:13469851)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.1_1-1_30, 2010 (Released:2018-08-31)
参考文献数
110

苦情対応が顧客満足に及ぼす影響について、多くのマーケティング研究者によって研究が進められてきた。本研究では、メタアナリシス・アプローチにより約30年間にわたる苦情対応研究の成果を統合し、統一的な見解の導出を試みた。63篇の論文を対象としたメタアナリシスの結果、企業による苦情対応や公正知覚など、顧客満足を規定するいくつかの重要な先行要因が明らかとなった。また、モデレータ分析の結果、研究対象となる業種および被験者の文化特性が、苦情対応に対する満足とその先行要因の相関関係へ影響を及ぼすことが明らかとなった。
著者
都築 毅 武鹿 直樹 中村 祐美子 仲川 清隆 五十嵐 美樹 宮澤 陽夫
出版者
公益社団法人 日本栄養・食糧学会
雑誌
日本栄養・食糧学会誌 (ISSN:02873516)
巻号頁・発行日
vol.61, no.6, pp.255-264, 2008 (Released:2009-01-30)
参考文献数
41
被引用文献数
24 28

日本人の食事は世界から健康食として注目されている。しかし,日本人の食事をニュートリゲノミクス手法を用いて遺伝子発現レベルで,欧米の食事と比較し評価した研究はない。そこで本研究は,「日本食」と「米国食」を飼料としてラットへの給与試験を実施し,DNAマイクロアレイを用いて両食事の肝臓遺伝子発現レベルの相違を網羅的に検討した。日本食(1999年)と米国食(1996年)の献立を作成し,調理し,凍結乾燥粉末に調製したものを試験試料とした。ラットに3週間これを摂取させ,肝臓から総RNAを抽出し,DNAマイクロアレイ分析を行った。その結果,日本食ラットは米国食ラットと比べてストレス応答遺伝子の発現量が少なく,糖・脂質代謝系の遺伝子発現量が多かった。とくに,日本食では摂取脂質量が少ないにもかかわらずコレステロール異化や排泄に関する遺伝子の発現量が顕著に増加していて,肝臓へのコレステロール蓄積が抑制された。よって日本食は米国食と比べて,代謝が活発でストレス性が低いことから,日本食の健康有益性が推察された。
著者
杉本 昌明
出版者
日本食品保蔵科学会
雑誌
食品と低温 (ISSN:02851385)
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.137-142, 1986-11-29 (Released:2011-05-20)
参考文献数
28
被引用文献数
2
著者
溝渕 久美子 Mizobuchi Kumiko
出版者
名古屋大学大学院文学研究科附属日本近現代文化研究センター
雑誌
JunCture : 超域的日本文化研究 (ISSN:18844766)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.114-124, 2012-03-06

In this article, I look into how the prizes for original stories and screenplays were established, and how the publicness of cinema was constructed under the Film Law of Japan. Since the enforcement of the Film Law in 1939, the Japanese film industry was controlled by the Japanese Government. There were not enough stories and screenplays in the film industry, because ready-made stories such as Soseki's works were difficult to fit into the requirements of wartime circumstances. So, film makers established an institute for writing and started to serialize articles titled "A Classroom for Screenplays" in a movie magazine to train writers. In addition, the Japanese government and film industry began various public offerings for original stories and screenplays in some newspapers and magazines. Unlike other jobs related to film making, writers did not need a license to work under the Film Law. This made it possible to assemble writers using public prizes. A representative example is the "Cinema and Theater Play of the Nation" prize, established in 1941. The winner "Hahakogusa (The Story of a Mother and Her Child)" written by Koito Nobu, an elementary schoolteacher, was adapted into a film by Tasaka Tomotaka and published in an anthology along with other prizewinners. People who wanted to apply need not be cultivated or rich, and their gender, job, class, education, age, or habitation did not matter. Anybody literate enough to read the application and to write stories or screenplays and agree with the purpose of the offering could apply. These prizes gave people a feeling of participation in making of national cinema for themselves. In other words, people were not only spectators who watched the films made by Japanese Government and film industry, but were also "film makers" of "National Cinema". "National Cinema" was not just films for the nation, it was also films by the nation.
著者
佐伯 史子 萩原 康雄 奈良 貴史 安達 登 米田 穣 鈴木 敏彦 澤田 純明 角田 恒雄 増山 琴香 尾嵜 大真 大森 貴之
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.124, no.1, pp.1-17, 2016
被引用文献数
2

岩手県大船渡市野々前貝塚から出土した縄文時代晩期の熟年男性1体(1号),胎児ないし新生児1体(2号),壮年後半から熟年前半の女性1体(3号),熟年女性1体(4号),3歳程度の幼児1体(5号)の計5体について,形態人類学的および理化学的分析を実施した。人骨の年代は放射性炭素年代測定により3150~3000年前(cal BP)と推定された。形態学的検討およびDNA分析の双方から,野々前貝塚人骨が縄文時代人に一般的な形質を有することが明らかとなった。ミトコンドリアDNAのハプログループが判明した3体(1号N9b1,4号N9b*,5号M7a2)に母系の血縁関係は認められなかった。特筆すべき古病理学的所見として,出土成人3体全ての外耳道に明瞭な外耳道骨腫が確認された。これは,野々前貝塚の人々が水中(潜水)ないし水面域での漁撈活動に従事していた可能性を示唆するものである。炭素・窒素同位体比の分析では海産物を多く摂取していた食性が提示されており,外耳道骨腫の多発との関連がうかがわれた。また,出土成人3体全ての頸椎に重度の椎間関節炎が生じており,野々前貝塚の人々が頸椎に強い負荷のかかる生活環境にあったことが想起された。